2023年8月13日日曜日

“浄土拒絶”~『ろくろ首』考(9)~


 年齢を重ねれば避けがたい話であるが、このところ電話を聞いて駆け付け、手を合わせ、薄布を外して面(おもて)を見る時間が多い。その際に感じるのは彼らが揃って重厚で立派であることだ。深い眠りに圧倒的される。不動である。揺るぎがない。それに引き替え、生きている我々は赤面してしまうぐらい落ち着きがない。不安におののき、痛みに耐えられない。死者は静かに我慢強く横臥するのに対し、負傷や疾患に苦しんで、呻き声を上げることは生者の特権のように思われる。

 『ろくろ首』というドラマを縮約すれば、死者が冥途に旅立つか、それとも生者となって蘇えろうかと逡巡する話である。勇猛果敢で知られた元侍で今は行脚(あんぎゃ)僧となった男が亡霊の群れと出逢い、懇願され、生前に失った首を取り戻す役目を負う。奪還に成功し、それにより幽霊たちは見事成仏した、めでたしめでたし、という内容だ。加えて石井はこのようにして従者三人を彼岸へと送り出しながら、肝心のヒロインをこの世に遺してしまう。生死にかかわる問答が最後にやって来る訳である。その端境に身体的な痛みの描写が盛り込まれているのが興味深い。 

 木立に囲まれて薄暗い山道を健脚を誇るように下っていく柳葉敏郎の背中を、夏川結衣が細い身体に足袋と草履姿でよろよろ、ひょこひょこと懸命に追っていく。腰が引けて実に頼りない。その様子を見て、彼女が生き返ったものと視聴者は理解する。足を引きずる姿なれば尚更である。

 小休止する川辺ではふくらはぎを撫でさする。視聴者は彼女の疲労や痛みに同情すると同時にそこに生者の証しを認め、故にめでたしめでたしと感じ、納涼大会の終わりがいよいよ訪れた事を了解する。おんなは見事黄泉から舞い戻り、生き生きと新たな人生へと船出したのだ。

 しかし石井はおんなを一瞬で変化(へんげ)させると、今度は首だけの頓狂な姿にして、男の着物の襟内へと潜り込ませるのだった。苦労して蘇ったにもかかわらず、およそ生者らしからぬ風体となり、何が何やら判然としないままに幕が降りてしまう。これでは視聴者が戸惑うのは当り前だ。

 解釈は様ざまに可能だろう。後述するが、原作への配慮があったかもしれない。また、暴姦で傷めた足もろとも、首から下、無遠慮な男たちの性的対象となる四肢、胴体をあっさりと捨て去り、純粋なる魂となって同行したいという一種の得度(とくど)の表明かもしれない。どのように想像してもらっても良い、僕としては気に掛けてくれればそれで十分嬉しい、と石井は何処かで微笑みながら見守るばかりだろう。

 私が「石井隆の」と冠された『ろくろ首』を語る上で、この奇妙な顛末が重要と感じるのは、うやむやな生死を審判したいからではない。明瞭さを欠いた状況にて幕を引くことを恐れない執筆態度が、商業作家の臆病さ、警戒心、阿諛(あゆ)を軽々と跳び越えていて感嘆させられるからだ。明晰な境界線をあえて引くことなく、曖昧の領域に飛び込んで行く者、行かざるを得ない者に対して、それで良いと肩叩くような素振りと勢いがある。

 どっち付かずの何処が駄目なんだい。人間は元来そういう者だろう。中途半端でもそうするしか無いなら、そっと見守ってやれよ。そんな強硬な「突き離し」が『ろくろ首』の終幕にはあって、実に石井隆らしい繊細さと豪胆が同居している。

 『ろくろ首』は先述の通り、さまざまな石井作品と面影を重ねる。ここまで次から次に並列を誘う作品も珍しいのだけど、この「突き離し」の観点から新たに浮上して連結するのが2000年以降の作品群だ。

 細君喪失の後、石井の作風は大きく変わったと言う人は多い。それは端的に『花と蛇』(2004)の強靭なる描写に当惑しての発言であった。いまさら物語なんて紡(つむ)げるかとばかりに、尋常ならざるアメイジングな画面づくりに終始した『花と蛇』であるから、過去作のメロウな物腰に耽溺した人には拒絶反応が出てもおかしくない。

 されど、どうやら発狂に至ったと思われるヒロイン杉本彩に対して、石井は「突き離し」をしつつも手を離すことなく境界へと導いている。残酷な状況に追い込まれた者にとって、日常から「突き離された」緩衝の場こそが救いの道になり得ると認識し、蛮勇をふるって誘導している。この『花と蛇』の救済手段と『ろくろ首』の奇妙な顛末は通底するところがある。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)しかり、『甘い鞭』(2013)しかり。

 振り返って2000年以前、「突き離し」で多くの人の脳裏に浮ぶのが『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の終局で交わされる名美と村木との台詞の応酬であろう。村木に視線を預けていた我々は、名美から冷徹な響きの「そちら」「ここ」という言葉を突き付けられ、魂が微塵に砕けて足裏のぬかるみに埋もれるような散々な気分を味わう。膝崩れることなくかろうじて立ちこらえて「ここ」に背中を向けた次第であるが、『赤い教室』の「ここ」の解釈も上の流れに従えば、いくらか色彩を変えてくるように思われる。石井は悪の巣窟ではなく、また、一方的に穢れた場処でもない「ここ」を創造して、土屋名美を守護している。(*1)

 つまり石井隆は家族の死を経てどうかした訳ではなく、当初から一貫した世界観を持って創作に打ち込んでいるのが分かる。その真一文字の光跡が『ろくろ首』で明らかになる。

 1993年の『ろくろ首』は石井の創作世界の縦軸のひとつに明らかに属しており、七十年代と近作を繋ぐ結び目の役割を果たしている。無視出来ない作品として、記憶に刻んでも構わないと捉えている。

(*1):「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 


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