2018年3月21日水曜日

“重力にあらがうこと”(4)


 宙空をつかんで足をばたつかしても、何事も変わりはしない。赤子同然に無力だ。人工の翼で飛ぶ訓練を重ねていれば話は別で、旋回や上昇下降も少しは可能となる。金属製のカゴを背負い、そこにプロペラや燃焼器を抱いていれば飛翔力はさらに高まるに違いないけれど、今は身ひとつの「投身」に限って思案している。

 その事を如実に語っているのが、都築直子(つづきなおこ)の体験記の一節だ。スカイダイビングの魅力について熱く語る合間に、都築は次のように綴っている。

「宙を落ちる訓練をしたジャンパーは、ビルの屋上から飛び降りても、木の葉のようにクルクルとまわりながら落ちることはない。屋上の縁(ふち)を蹴った瞬間から、自分の意思で飛んでいく方向をコントロールすることができる。最初の一、二秒はカラダが宙に静止したようなスローモーションの世界だろう。やがて落下速度が増してきたら、姿勢をコントロールしてビルの壁面から逃げる。垂直に墜ちながら同時に水平方向移動(トラッキング)するのだ。」(*1)

 大事なのは「木の葉のようにクルクルとまわりながら落ちる」という部分。姿勢の制御がいかに困難であるかを彼らジャンパーは体感している。その上で高ささえ十分にあれば、自分たちはこれをコントロールしてみせると胸を張っている訳である。普通の人には無理だよね、手も足も出ずにクルクルまわっちゃうよね、と言っている。

 先の臨床報告とぶつかる発言でよく分からなくなる。「人体の落下」とは一体全体どういう現象なのか、木の葉のように回るのか、それとも同じ姿勢で落ち続けるのか。その辺りの解説に代わる文章が同じ本に見つかったので、こちらも書き写しておこう。

「高いところからモノ、たとえばリンゴを落とすとしよう。リンゴは加速しながら落下をつづける。ニュートンの法則というヤツだ。落ち始めて十二秒たつと、リンゴは等速運動にはいる。それ以上落下スピードは増加せす、一定のスピードで落ちて行く。リンゴの代わりに人間を落としても原理はまったく同じ。ヒコーキから飛び出して十二秒が過ぎると、カラダに受ける風のスピードが一艇になる。落下していく側からみれば、自分のカラダが“浮いて”いるように感じるのだ。時速二百キロの空気抵抗を利用し、空中姿勢をさまざまに変化させてやれば、カラダ自体がひとつの小さなヒコーキになって、空中を自分の意志で飛びまわることができる。それも翼もなにもない素手で、だ。だからジャンパーは“ボディ・パイロット”と呼ばれたりする。この空中遊泳をフリーフォールという。」(*2)

 ここで読み取れる点は、素手で飛び姿勢を変える、クルクル回る木の葉状態から理想の腹ばいスタイルに回復するには「時間」が必要ということだ。私がかつてタンデム方式ながらダイビングした際に、飛行機は高度3千メートルまで上昇したのだったが、そこは北アルプスや南アルプスを形成する山稜とほぼ変わらない場処だった。そんな高みにまで登らなければ「カラダひとつの小さなヒコーキ」を実感し得る「時間」を作れない。あれこれ試し得る高度がようやく天地の隙間に捻出され、黒豹のようなジャンパーが飛び出していく。彼らは「時間」目掛けてダイブしていたのだった。

 飛行機の床を蹴って飛び降りる際に、わざわざぐるぐると前転しながら飛び降りる男もいて、その瞬間の目をがっと見開き、顎あたりがびりびりと緊張したような特異な表情が今もって忘れられない。玄人は凄いというか、怖いな、危ないな、既にして頭がどうかなっているのじゃないかと正直その熱狂ぶりには呆れてしまったのだが、今にして思えば、彼らは空中でいくら仰向けになろうが回転しようが、いずれ体勢を立て直すことが可能な技術、空気抵抗を理解して活用する能力を体得していた、要するにそれだけの事である。自信満々にこれでもか、どうだこん畜生、と、妙ちくりんな姿勢を取って余裕で遊んでいた訳だ。

 肝心なのは、繰り返しになるが何より「時間」であり、それを生む「高さ」なのだ。それが無ければ人間はただただ落ちていくより仕方ない。インド、ジャイプルでの回転運動を付けたまま落下を開始してしまった人体であれ、自ら墜ちるという気持ちを抱いて宙に踏み出した杜(もり)の都の自殺志願者であれ、落下が開始されてしまった時点においては徹底して無力であった。自らの意思をはたらかせて幾ばくかの作用を世界に及ぼす余裕なく、大概のひとは何ひとつ為す術がないまま回り続けるか、凍りついたようになってひたすら墜ちた。

 最初の都築の文に書かれたビルというのは、相当の高さの建築物、たとえばエッフェル塔クラスの物を指しているのだろう。パラシュートを開くゆとりもなく、また十分に機能しない低層からの降下はいかに熟練のスカイダイバーでも工夫のしようがない。街中でよく目にする数階建て雑居ビル程度の高さからの転落においては、スカイダイビングのどんな猛者であれ、私たちと同様に徹底して無力と捉えてよい。

(*1):「わたし、ピーター・パン! 大好きスカイダイビング」 都築直子 立風書房 1985 132-134頁
(*2): 同 40頁

“重力にあらがうこと”(3)


 インド11番目の中核都市ジャイプル。人口が300万人といえば大阪府に相当する大きさだが、そこの学校で起きた転落事故の被害者はゆっくりと身体を回転させながら地上へと墜ちている。屋上の欄干に腰を下ろし、座った姿勢のまま後ろ向きに落下を開始したからだ。臀部を支点として上半身と下半身を時計のふたつの針さながらぐるりと回して倒れ込んでいる。当初から回転運動が付随しており、空中においても被害者の身体の動きを支配している。

 では、そのような口火を切らなければ自然落下する人体は独楽のごとき回転はなく、そのままの姿勢で風を切り地上へと向かうものであろうか。上の事故とは性格が異なるが、参考になりそうな資料がある。自死をもくろんで身投げした挙句に病院に担ぎ込まれた複数の患者を治療し、そこで得た知見をまとめた臨床医の論文である。仙台市立病院医誌の記事のひとつで、これは現在、当病院がウェブ上にて広く公開している。読むと「人体の落下」というものがどのような性質か、薄っすらながら理解される。(*1)

 次のように始まっている。「近年,社会構造の複雑化に伴い,自殺未遂者の増加が社会的問題となり,われわれの仙台市立病院救命救急センターでも自殺未遂者の搬送が年々増加している現状である。その中でも自殺企図飛び降り外傷は全身管理・精神的管理のほか,高エネルギー性多発性粉砕型骨折への対処が必要で治療に難渋する。われわれはこの外傷の特徴を知る目的で,過去六年間に当院救命救急センターで扱った患者についての後見的調査を行ったので報告する」という前段だ。

 そこから先は生々しい記述に溢れていくが、一読するとさまざまな想いを抱く。生き残った身に起きただろう激痛と後遺症も想像されてくるし、また、全力を尽くして手当を行う医療スタッフの献身と心的ストレスもうかがわれる。現実に真っ向から臨んだ内容で、意味深い報告と思う。

 1995年1月から2000年12月までに救命救急センターに搬送された総数28名のうち、これを性別、年齢、飛び降りた場所と高さ,外傷骨折部位とその数などについて調査している。高層化は進み、発生場所は多岐に渡るのだろう、飛び降りた高さは2階から9階までとばらつきがある。最も多いのは2から3階のあたりという。

 負傷部位を調べると一人当たりの骨折数は平均3.5個であり、上肢では肘頭骨骨折と前腕骨骨折が多く,胸・腰椎骨折も半数を占める。また、骨盤骨折も多く,下腿骨、足関節周囲もひどく痛めている。低層階からの落下では胸や腰椎骨折が最も多く見受けられる。

 整形外科医師たちは統計的に見て、飛び降り外傷に定型的な受傷パターンの存在を感じ取っている。着地する際の姿勢を思い描き、大小の骨が次々に衝撃を受けて折れていく様子を冷静に幻視する。「すなわち、下肢から地面に着地した形で落ちることが多いのではないかと考え、足から着地することで、足部を砕き、ついで下腿、大腿に、さらに骨盤に加わり、それぞれの骨を破損した後、脊椎(胸・腰椎)に強い垂直圧縮力、過屈曲力が加わって破裂骨折などを生じ、最後に手をつくことで肘頭、前腕などに骨折を生じる」と推測してみせる。(*2)

 思わず悲鳴を上げたくなる文面だ。この年齢まで骨折したことが一度もないのだし、痛みというものにからきし弱い身であるから、字を追うだけでもう怖くて怖くてたまらない。どれだけの苦痛が押し寄せるのだろう。内臓だって筋肉だって同時に引き裂かれていくのであって、猛獣の群れにいっせいに噛み砕かれるか、大型車両にもろに轢かれるに等しい酷さと思える。

 菊池寛(きくちかん)に「身投げ救助業」という短編がある。書かれたのは大正の初めだけど、住まいの脇を流れる川に身投げする者が後を絶たず、彼らを救おうと夜な夜な奮戦する老女の日常が軽い調子で綴られていた。京都が舞台であり、清水寺など一部を除いて高層建築など見当たらないという時代背景がある。清水の舞台にしたって眼下は岩肌を露わにする箇所もあり、「下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む」ことが多く、自然と自殺者は川辺へと向かい、橋なり岩場から川面に飛び込んだと書かれている。大した高さではないのだろうが、それでも投身する者は身震いし、落下に際して大きな悲鳴を上げる。その声を聞きつけて、この小編の主人公はさおを片手に川端へと走ったのである。(*3)

 現代人がアスファルト路面へ自身の肉体が激突するだろう事を物ともせず、無言で階段を登り切り、宙に舞うようになったのは一体どうしてなのか。死に臨むことの苦痛なり無念を伝える“死教育”の機会が学校に、世間に、圧倒的に足らないからではないのか。「砕けている死体やその噂」が隠蔽されてしまったからじゃないか。上の医学論文など若い人に早いうちに読ませ、どんなに苦しい目に遭っても飛び降りてはいけません、そんな痛いことは絶対に止めておきなさい、そう伝えたい気持ちが湧いて出る。

 余談はさておき、高い手すりをどうにかこうにか越え、さらにその先の空中に一歩足を踏み出すか、それとも両足でぴょんと跳ぶものかは知らないが、投身者は足先を下に向けて運動を開始して、大概はそのまま地上に衝突するのだと識者は考える。高層地点での身体の向きと着地のときのそれは、あまり違わないことが分かる。重力に捕らえられた人間はもの凄い力で地球の核に向かって引き寄せられ、地面に至ってあっという間に砕けていくのであって、その間に自力で何かを変えることはほぼ不可能だ。

(*1): https://hospital.city.sendai.jp/pdf/p135-136%2023.pdf
(*2):「自殺企図飛び降り外傷の検討」 渡辺 茂、安倍吉則、高橋 新 仙台市立病院医誌 23,135-136,2003   
(*3):「身投げ救助業」 菊池寛 1916  日本現代文学全集 57 1967 所収。私が手にしたのは1980年の改訂版。

2018年3月14日水曜日

“重力にあらがうこと”(2)

 「重力」や「引力」という言葉から、しきりに思い出される一片の映像がある。インドで起きた転落事故の模様で、建物の屋上から若い女性が墜ちる瞬間を捉えたものだ。いつまでその残影がウェブに留まるかは分からないけれど、2018年3月の時点では誰でも容易に事故の顛末を見ることが出来る。

 だったらそのアドレスを貼ったらいいのじゃないの、ごちゃごちゃ書かなくても一目瞭然でしょうに。確かにその通りなんだけど、あれこれ逡巡してしまいどうしても割り切れない。生命を奪われた当人と遺族を包みこむ非情な成り行きにつき、これを軽々しく扱う気持ちになれない。はた目には道楽にしか見えない戯文の連なりではあるが、存外真剣に事象を見つめ、言葉を選んでつむいでいるところがある。今回だって相当に厳粛な気持ちになっているし、より謙虚にならざるをえない。じくじくした痛覚がぬぐえない。

 「死」は誰にとっても日ごと夜ごとに忍び寄るエーテルの霧であって、わたしには間(あいだ)を隔てる距離はさほど残されていない気がする。いつ窒息させられるのか、いつ引火して黒こげになるかも知れない。まったく他人事ではないのだ。また、同じ年頃の家累(かるい)を持ち、その成長を見守るのが日課となっている。遥か遠き外国の出来事ながら自身の日常と一本に糾(あざな)えて考えるところが自ずとあって、到底冷静でいられない。胸板をきつくきつく縛ってくる。

 そのような訳で映像をそのまま貼り出す気持ちにはなれないから、下手な文章になるけれど事故の経緯を書き出してみる。ムンバイにあるニュースサイトDNAの報道(*1)とウェブ上で散見する書き込みを総合すれば、昨年の7月25日の朝、地上へと墜落し、その後、病院で死亡が確認されたこの娘は、名前を古代の女神から譲り受けてアディティ Aditiといい、まだ十六歳という若さであった。コンピュータ応用学を専攻する女子学生で、学校で催されたロッククライミングの演習に参加していての事故という。幸福な一生を家族に祈られ、自由や無限をも意味する名前の響きと共にこれまでずっと歩んできた訳だが、一瞬の油断から手を滑らせて地上へと真っ逆さまに落ちてしまった。

 屋上から地上方向にワイヤー線を斜めに走らせ、滑車を使って伝い降りていくジップラインZIP-LINEと呼ばれるアトラクション、その順番を待っていて事故に遭ったのだ。ロッククライミングを生活の軸に据えているアウトドア派の友人に尋ねてみたのだが、クライミングとジップラインは自然に対する哲学が根本のところで異なるから、両者をひとつにした演習というのは奇妙な感じがする、きっと学生を喜ばせるために半ば遊び用として設営されたものではなかったか、という意見だった。歓声にあふれた冒険の日が真っ暗な刻(とき)へと転じ、居合わせた全員の心胆を寒からしめ、これからの人生に暗い影を落とすことだろう。

 まったくやり切れない、ざわざわする景色が映し出されるのだけど、カメラアングルの急変もあって、悲劇をとらえたカットは数秒のみと極めて短い。スマート端末で様子を捉えていた者は、黒い影が落下していく様子に気付いて途中から撮影を続行できなくなってしまったのだ。人間の生理は他者を襲う死の影を間近にして耐え切れず、無意識に目をそらすように出来ている。映像の性格はまるで違うが、自死のための投身をとらえた映像の多くに共通する“うつむき”がここでも起動している。

 画面上の為すすべなく墜ちていく娘の姿に衝撃を受け、大概の人はただただ悲哀の念に圧し潰されるが、短いそれを繰り返し再生して眺めるうちに、人間の情報認識の力というのは凄いもので、遠方にたたずむ灰色のシルエットのただ中に明確な表情が読めるように思えてくる。屋上に集った若者たちと、彼らの勇気を絞り出す役目だったインストラクターの一挙手一投足も鮮やかに瞳に映じて、刻一刻と明滅する彼らの感情までもが手に取るように解かってくるのが不思議だ。決して高画質ではないのに。

 デジタル端末の普及と動画投稿サイトの定着は、これまで覗くことが出来なかった他人の家の内側から路地裏の詳細までをくまなく提供するに至ったが、同じ映像を繰り返し再生して視ることが容易となった点もまた、人の知覚にとって巨大な跳躍ではなかろうか。映像に含まれる膨大な情報を漏れなく読み切るだけの時間と機会を与えられたのであって、その意味でこれまでの映像媒体にはない密度のある波力を生んでいる。しんどい作業にはなるのだけれど、視聴に次ぐ視聴は決して無駄な行為ではない。

 列の先頭に立つ娘の目と鼻の先で、ジップラインを使ってゆるゆると降下を始めた学生がおり、その勇姿を眺めやってインストラクターと同級生たちが盛んに拍手を送っているのが分かる。歯を見せて破顔する様子さえ窺える。いよいよ自分の番が来たと娘は数歩前に進み出て、屋上の縁をぐるりと欄干状に囲む、専門用語ではパラペットと言うらしいコンクリートの段差に背を向けると、すとんとその上に腰をおろした。期待に胸膨らませ、弾む気持ちを抑えられないような切れのある動作が今となっては痛々しい。

 手を伸ばしてロープなのかワイヤーなのか、張られた紐状のものへと指先を真っ直ぐ進めていくのだったが、やがて虚しく空をつかんで、体勢を大きく崩した娘はそのままゆっくりと建屋の外側へと身体を傾けていく。慌ててロープをたぐろうとするのだが、願いは叶うことなく重力の網にぐるぐる巻きに捕えられていき、下へ下へと強力な力で引き込まれていく。

 横にいたインストラクターが異変に気付いて娘に手を差し出すが、無惨にも指先からすり抜けるような具合にして若い命は地上に吸い込まれていき、仰天した男はその場に凍結している。屋上の学生たちのなかには事態の急変が一瞬で伝播し、緊張と動揺が爆発的に広がる様子も見て取れる。

 デジタルの細かい粒子となって定着した娘の生前最後の影を、わたしは何度も何度も繰り返し見つめて過ごす時間を持ったのだけれど、いつしか娘の表情や筋肉のこわばりが頭のなかで整理されて、網膜にすっきりと投光されるようになった。いよいよ感情の綾が伝わってくるのだった。驚愕、必死、当惑、悲哀が次々に点灯するのが分かってしまい、そうなればなるだけ、ひたすら嘆息するばかりで声もなく夜を過ごした。天国という場処があるのだとしたら、あの娘を迎え入れてもらいたいと思う。淋しかったろうな、本当に気の毒と思う

 そうして、これはよく世間で言われるところだけれど、生きることとは結局のところ「重力への抗い」である、という視点がのっそりと立ち上がり、わたしをあらたな連想へと手招いていく。「重力」を前提に私たちは文明を築いて来たのだし、これなくしては食の生産も商流も成り立たないのだが、本質的にこの「重力」という奴は猛々しい獣であろう。容赦なく牙を剥き、隙あらば喉笛を咬み裂こうとする。いつも死と密着して私たちの隣りにいる。

(*1):http://www.dnaindia.com/jaipur/report-girl-falls-to-death-from-6th-storey-in-front-of-father-2512907

2018年3月8日木曜日

“重力にあらがうこと”(1)


 篠田正浩の『夜叉ヶ池』(1979)を観て以来、五代目 坂東玉三郎は引力を有する存在になった。テレビジョンに出ると知れば、ハードディスクプレイヤーの録画予約をいそいそと行ない、夜遅い時間に淡い愉悦を抱きつつ眺めたりする。

 彼が映画に客演する際は、市井の人ではなく、小説家や画家といった偉才の役を当てられるのだけど(*1)、容貌から動きまで全くもって妖しく、けれど無理に作り込まれたものでない透明感もあって、何ともいえぬ面白みがある。最近では越路吹雪をステージで歌ったりしているが、演じたり歌ってみせる対象はいずれも練達の士であり、独自の世界を築いた才人揃いである。そこに厭味が生じないのは、彼自身がその域に到達しているからだろう。

 しかし、時流からしたらどうであろうか。当時いかに耳目を驚かせた天才たちとはいえ、今では注目の渦からそれた、どちらかと言えば傍流なり孤高にたたずむ人を演じて見える。それでいいのだ、独り舞台で一向にかまわない、寂しくはないと坂東は信じているようだ。ひたすら対象に真向かう気配が濃厚で、そこに迷いや足踏みをすくい取れない。川の中央は勢いこそあるけれど、余裕なくひたすらざわめいて移ろうばかりだ。川面が鏡となって天空を映し出すおだやかな傍流の方にこそ、味わい深い時間が集う。潅木が茂り、水鳥が憩う岸辺の方が彩りに満ちて感じられる、そんな心境ではなかろうか。彼は辺境に王座を築いている。

 客演にしてもホームグラウンドの歌舞伎にしても、孤影ばかりが強調される先人や舞台にまっしぐらに融合を果たさんとする気迫がゆらゆら立ち昇り、おごそかで蒼い発光が認められる。稀代の、と冠され、また、女方(おんながた)の最高峰と称されることが多いが至極当然だろう。そんな天才と同時代に生きられたのは、ほんとうに幸せなことだ。

 さて、先日、彼が出演していた教養番組を例によって眺めていたところ、突如その口から「引力」だの「重力」だのという単語が飛び出して大いに慌てた。女方の舞踊を素人向けに解説する内容であったのだけれど、ひとつひとつの所作に引力を意識しているといった言葉であって、舞踊とは重力からの解放だと続ける。床を蹴り、高々と宙を跳ねるバレエやコンテンポラリー・ダンスの踊り手ではなく、重たい和装を基本とする歌舞伎役者が熱心にそれを語ることに新鮮さ以上に畏怖を覚える。

 四年程前の雑誌の対談を探し読めば、その時点で既に「踊るってことは、引力の束縛から解放されたい以外の何物でもない」と語っており、付け焼刃の発言とは完全に違うのだった。対談相手となった旧知の間柄の文化人類学者は、「引力からの解放は玉三郎さんのコアの感覚」、「引力からの解放という話は、ここで人魚姫につながる。玉三郎さんはダイビングをやってらっしゃるでしょう。あれは単なる趣味とは思えないんですね。海という無重力の宇宙で、まさに単独」と合いの手を入れている。

 彼の舞いは重力との抗いであり、同時にその活用でもある。番組で準備された小舞台で、ある演目の一部を再現してみせ、くねくねと白手ぬぐいが揺れていく。いつしか目に見えるはずのない重力の糸が無数にからみつくようであり、それらを彼の指先が自在に操るようにも思えて来るのがめっぽう面白かった。
 
(*1):『帝都物語』 監督 実相寺昭雄 1988 泉鏡花役
   『夢二』 監督 鈴木清順 1991 稲村御舟役
(*2):「にっぽんの芸能」NHKEテレ1 2018年1月12日放映 「伝心~玉三郎かぶき女方考~“京鹿子娘道成寺”」
(*3):「芸術新潮 2014年 06月号」特集 襲名50周年 新たなる美を求めて 坂東玉三郎
「対談 玉三郎の昨日・今日・明日 坂東玉三郎×船曳建夫」 75頁