2018年3月21日水曜日

“重力にあらがうこと”(3)


 インド11番目の中核都市ジャイプル。人口が300万人といえば大阪府に相当する大きさだが、そこの学校で起きた転落事故の被害者はゆっくりと身体を回転させながら地上へと墜ちている。屋上の欄干に腰を下ろし、座った姿勢のまま後ろ向きに落下を開始したからだ。臀部を支点として上半身と下半身を時計のふたつの針さながらぐるりと回して倒れ込んでいる。当初から回転運動が付随しており、空中においても被害者の身体の動きを支配している。

 では、そのような口火を切らなければ自然落下する人体は独楽のごとき回転はなく、そのままの姿勢で風を切り地上へと向かうものであろうか。上の事故とは性格が異なるが、参考になりそうな資料がある。自死をもくろんで身投げした挙句に病院に担ぎ込まれた複数の患者を治療し、そこで得た知見をまとめた臨床医の論文である。仙台市立病院医誌の記事のひとつで、これは現在、当病院がウェブ上にて広く公開している。読むと「人体の落下」というものがどのような性質か、薄っすらながら理解される。(*1)

 次のように始まっている。「近年,社会構造の複雑化に伴い,自殺未遂者の増加が社会的問題となり,われわれの仙台市立病院救命救急センターでも自殺未遂者の搬送が年々増加している現状である。その中でも自殺企図飛び降り外傷は全身管理・精神的管理のほか,高エネルギー性多発性粉砕型骨折への対処が必要で治療に難渋する。われわれはこの外傷の特徴を知る目的で,過去六年間に当院救命救急センターで扱った患者についての後見的調査を行ったので報告する」という前段だ。

 そこから先は生々しい記述に溢れていくが、一読するとさまざまな想いを抱く。生き残った身に起きただろう激痛と後遺症も想像されてくるし、また、全力を尽くして手当を行う医療スタッフの献身と心的ストレスもうかがわれる。現実に真っ向から臨んだ内容で、意味深い報告と思う。

 1995年1月から2000年12月までに救命救急センターに搬送された総数28名のうち、これを性別、年齢、飛び降りた場所と高さ,外傷骨折部位とその数などについて調査している。高層化は進み、発生場所は多岐に渡るのだろう、飛び降りた高さは2階から9階までとばらつきがある。最も多いのは2から3階のあたりという。

 負傷部位を調べると一人当たりの骨折数は平均3.5個であり、上肢では肘頭骨骨折と前腕骨骨折が多く,胸・腰椎骨折も半数を占める。また、骨盤骨折も多く,下腿骨、足関節周囲もひどく痛めている。低層階からの落下では胸や腰椎骨折が最も多く見受けられる。

 整形外科医師たちは統計的に見て、飛び降り外傷に定型的な受傷パターンの存在を感じ取っている。着地する際の姿勢を思い描き、大小の骨が次々に衝撃を受けて折れていく様子を冷静に幻視する。「すなわち、下肢から地面に着地した形で落ちることが多いのではないかと考え、足から着地することで、足部を砕き、ついで下腿、大腿に、さらに骨盤に加わり、それぞれの骨を破損した後、脊椎(胸・腰椎)に強い垂直圧縮力、過屈曲力が加わって破裂骨折などを生じ、最後に手をつくことで肘頭、前腕などに骨折を生じる」と推測してみせる。(*2)

 思わず悲鳴を上げたくなる文面だ。この年齢まで骨折したことが一度もないのだし、痛みというものにからきし弱い身であるから、字を追うだけでもう怖くて怖くてたまらない。どれだけの苦痛が押し寄せるのだろう。内臓だって筋肉だって同時に引き裂かれていくのであって、猛獣の群れにいっせいに噛み砕かれるか、大型車両にもろに轢かれるに等しい酷さと思える。

 菊池寛(きくちかん)に「身投げ救助業」という短編がある。書かれたのは大正の初めだけど、住まいの脇を流れる川に身投げする者が後を絶たず、彼らを救おうと夜な夜な奮戦する老女の日常が軽い調子で綴られていた。京都が舞台であり、清水寺など一部を除いて高層建築など見当たらないという時代背景がある。清水の舞台にしたって眼下は岩肌を露わにする箇所もあり、「下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む」ことが多く、自然と自殺者は川辺へと向かい、橋なり岩場から川面に飛び込んだと書かれている。大した高さではないのだろうが、それでも投身する者は身震いし、落下に際して大きな悲鳴を上げる。その声を聞きつけて、この小編の主人公はさおを片手に川端へと走ったのである。(*3)

 現代人がアスファルト路面へ自身の肉体が激突するだろう事を物ともせず、無言で階段を登り切り、宙に舞うようになったのは一体どうしてなのか。死に臨むことの苦痛なり無念を伝える“死教育”の機会が学校に、世間に、圧倒的に足らないからではないのか。「砕けている死体やその噂」が隠蔽されてしまったからじゃないか。上の医学論文など若い人に早いうちに読ませ、どんなに苦しい目に遭っても飛び降りてはいけません、そんな痛いことは絶対に止めておきなさい、そう伝えたい気持ちが湧いて出る。

 余談はさておき、高い手すりをどうにかこうにか越え、さらにその先の空中に一歩足を踏み出すか、それとも両足でぴょんと跳ぶものかは知らないが、投身者は足先を下に向けて運動を開始して、大概はそのまま地上に衝突するのだと識者は考える。高層地点での身体の向きと着地のときのそれは、あまり違わないことが分かる。重力に捕らえられた人間はもの凄い力で地球の核に向かって引き寄せられ、地面に至ってあっという間に砕けていくのであって、その間に自力で何かを変えることはほぼ不可能だ。

(*1): https://hospital.city.sendai.jp/pdf/p135-136%2023.pdf
(*2):「自殺企図飛び降り外傷の検討」 渡辺 茂、安倍吉則、高橋 新 仙台市立病院医誌 23,135-136,2003   
(*3):「身投げ救助業」 菊池寛 1916  日本現代文学全集 57 1967 所収。私が手にしたのは1980年の改訂版。

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