2012年12月25日火曜日

“見舞う”~大石圭「甘い鞭」~



石井隆が新作に撮入したのは耳に入っていたが、その一本が「甘い鞭(むち)」といい、大石圭の同名小説(*1)を土台にしていると知ったのは確か十月の半ばであった。遠方へと列車を乗り継いでの出張が重なったものだから、道中一気呵成に読み進められるものと思い立ち、駅の書店で求めた文庫本をポケットに忍ばせた。 読了したのは外房線の土気(とけ)駅のホームで、顔をあげて眺めた町は妙にまぶしく目に沁みた。面白い読書だったと思う。


 あくまで一個人の気ままな感想に過ぎないが、備忘録を兼ねてすこし綴っておきたい。(物語の概要や顛末に触れる箇所があるから、気にする人は閉じてもらっても構わない。)石井隆が原作ものに手を染めるとき、両者の相関を見きわめていくことはとても刺激的で、石井世界に惹かれる者には最高の愉楽じゃないかとわたしは思っている。「甘い鞭」のいくつかの描写には石井作品との相似を観たし、高揚や哀憐といった烈しい感情の渦が理性を壊し、四肢をあやつり、思いがけない“しぐさ”を現実空間に生み落とす様子を丹念に筆先で追っていくのだけれど、この辺りはおんなに向けられたマクロレンズ的な石井のまなざしなり洞察に無理なく重なるように思った。

 また、少女を襲ったおぞましき“過去”と、からくも生還して今に至ったおんなの“現在”をカットバックさせた構造を小説はとっているが、“過去”の主だった舞台に“地下室”を選んでいる。男の内部に巣食う原初的なものがそう命じるのかどうか知らないが、略奪されたおんなというものは地下に幽閉されがちであって、たとえば『コレクター』(*2)とか『羊たちの沈黙』(*3)、『盲獣』(*4)なんかが直ぐに浮かぶのだし、石井の【魔奴】(1978)、【魔樂】(1986)にもそんな描写があった。奈緒子という名の少女が突然誘拐されて押し込まれられた地下室は、だから古今東西の物語に満ちているありふれた夢の猟域に過ぎないから、どうしてもその限りにおいては坑道をのたのたと走るトロッコのような、やや冗漫な印象をぬぐえない。だが、その過去と鏡面を成す現在の奈緒子の息づく舞台となるのが“高層”マンションだったり“高層”ホテルの一室であったり、突飛な場処であることに面白味をおぼえた。

 劇中の人物の渇望や積怨、意識の覚醒や消沈といったさまざまな魂の波濤を、かねてから石井は階段や階層を使って補強するところが多かった。小説「甘い鞭」が読み手を道づれにするこの下降と上昇のめまぐるしい往復は石井世界とだから符合するところが大きいから、既にして両者は妖しき融合を始めて見えるのだったし、それをひどく喜悦してぷるぷると震顫(しんせん)する気配すら感じ取れる。同作のプロデューサーは石井世界に造詣が深いのだけれど、「甘い鞭」が彼の手になる選定だとすれば、なるほど判っているな、怖ろしく目が利く男だなと感嘆する他ない。


 両者の衣香(いこう)なり嗜癖がそこまで似かようのならば、大石の「甘い鞭」はかつての原作起点で綾織られた『魔性の香り』(1985)、『沙耶のいる透視図』(1986)、『死んでもいい』(1992)、『花と蛇』(2004)等と同じようにして石井世界に摂り込まれるものだろうか。名美と村木の面貌をマンドラゴラの根のごとくそなえ、雨滴にしとどなった葉先で空を切り、紅い花弁をてらてらと闇夜に咲かせるものだろうか。私はこの点に強く引きずられて、思案を断つ機会を失ったままもがいている。

 たとえば奈緒子というおんなは秘密倶楽部に属しており、男たちの玩弄物となって身を預けていく性描写が幾度も挿入される。なるほど傾斜角のある粗暴この上ない景色なのだが、どこか刹那的で静謐な面持ちを併行して宿しており、ある意味私たち市井(しせい)の者の“ずれた”心をリアルに体現したものと感じられた。おんなは思い出に乗っ取られ、現実を見失っているのだが、そのような事は多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。他人の目にはいかに偏奇で淋しげに映ったにせよ、記憶の渦中にたゆたう身は救いを拒絶して孤高を甘受していく。救われてしまうことは忘れること、今はそれを望まないと思い定め、夜具の下で傷口をまさぐり、夢のなかで生乾きのかさぶたを剥がしていく。そんな誠実すぎて不器用なおんなが「甘い鞭」には描かれている。

 大石のそれはしかし、映画空間ではあまり見映えのしないかたくなな表情と外界を締め出した態度であって、特に石井の好む“救済劇”とは馴染まないのではなかろうか。何らかの脚色の元で思い切った手を打たなければ、奈緒子はさながら『天使のはらわた 赤い教室』(1979)終幕の名美に似た寂寞たる末路を歩むしかなく、ここをどう解決して私たち観客に示すのか、石井はどうやって奈緒子に(そして惑う私たちに)道を示すのか、固唾を呑んで見守っているところだ。


 また、地下空間と高層ホテルの一室とを結ぶ上昇下降の振幅とは別に横方向に貫く動線が原作にはあって、それは女医の奈緒子が勤務する産院と家族の入所するホスピスへの行き来であった。高級車やタクシーを駆って向かうその生と死の汀(みぎわ)は、「甘い鞭」を扇情小説の域からもう少し深度のある方角へと引き寄せているのであるが、振り返れば石井隆という作家は病院や病室を真っ当に描くことを避ける傾向がありはしないか。

 『天使のはらわた 名美』(1979)であれ、『同 赤い眩暈』(1988)であれ、消毒液の重たく匂うこの場処は悪鬼や狂人の夜な夜な出没する異空間ではなかったか。『黒の天使 vol.1』(1998)や『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)のそれは風雪に曝(さら)されペンキが剥がれ、酷く廃壊なっており、迷い人を昏い廊下の奥へと誘い込んでは獣(けだもの)が襲い掛かりはしなかったか。【真夜中へのドア】(1980)では死出の旅路の一里塚として明確に在って、おんなたちの身体とこころをことごとく破壊しなかったか。診療行為や人を見舞ったりすることは、石井の創る劇空間ではどうも鬼門であり続けたように思う。

 どうなるのだろう。どうするつもりだろう。石井は病室を描くものだろうか。


 実は年長の知人が深刻な病気にかかり、当て所のない療養生活に入ったことを聞かされたばかりだ。伝えてくれた縁戚にあたる人の口からは、続けざまに信じられない話もとび出しても来た。まさかといぶかり、偶然に違いないと思う。けれど、やはりとも感じ、必然かもしれぬと疑念は増して胸のどよめきが収まらない。彼女(知人)とわたしとが住まうこの町は母なる懐(ふところ)の温(ぬく)さを奪われ、今ではおぞましい魔女となって横たわっている、そう信じて疑わないからだ。知人の体調と精神を深く案ずると共に、微かな震えと怯えとがすっかり全身を包みこむようだ。

 病床見舞いを得意とする者はいないだろう。私なども上唇に余分な緊張が走って、妙な具合にまくれてしまうし、口角をあげても目元までは笑えない。瞼のふちが熱を帯び、虹彩(こうさい)の上には暗い思いが束なるようで、どうにも怖くて瞳をそらしてしまう。励ましに来たはずなのに両の手のひらで相手の肩を小突いて押し倒してしまいそうで、内心びくびくして仕方がない。

  いざという時に仮面をかぶり切れない私みたいのが、この先一体全体どれだけの病室見舞いを余儀なくされるのだろう、また、されてしまうのだろう。想像すると暗澹たる気分に囚われてしまうのだけど、差し当たりのこととして何時(いつ)どうやって知人を訪れたら良いか思案する必要があり、もうそれだけで咽喉(のど)元がひりひりと痛み出して途方に暮れる始末だ。身近にそんなこともあるものだから、余計『甘い鞭』の展開が気になっている。

 おんなに向けられたマクロレンズ的な石井のまなざしなり洞察は、自然この上ない道筋として“生と死をめぐる現実の光景”にも焦点を結んでいくはずである。生きとし生ける者たちが内なる感情や欲望をひた隠しにし、仮面をかぶって相手と真向かう。───そんな避けがたい情景を、もしかしたら石井は『甘い鞭』で点描するのじゃないか、と勝手な夢想を連ねながら、長い冬の夜を狂おしく彷徨(さまよ)っている。(*5)


(*1):角川ホラー文庫
(*2):The Collector 監督ウイリアム・ワイラー 1965
(*3):The Silence of the Lambs 監督ジョナサン・デミ 1991
(*4):監督増村保造 1969

(*5):石井隆がしかと軸足を移して唯一描いたのは精神科の病棟だけである。魂を病んだ者は隔絶した世界で過去とだけ向き合い、“見舞う者のまるでない”状態か“その存在を解せぬ”まま、永劫の回遊を続けていくしかない。『人が人を愛することのどうしようもなさ』が代表格だが、『ちぎれた愛の殺人』(1993)や【20世紀伝説】(1995)の名美の孤影も尋常ならざる濃さであった。 「甘い鞭」にあるような身体の疾患と対峙していく、いわゆる“病院”をまさに“病院”として機能させ、舞台に用いたことは石井の作劇上これまでにはなく、病をかかえる男は薬を懐中し、公園のベンチで悄然として過ごす内なる時間に潜っていくのだったし、はたまた、限られた日数で愛する者の未来を別の誰かに託せないか、どうにかこうにかリフトアップ出来ないかと深謀をめぐらすのが常であって、聞き分けよく入院などしないのである。細かしいことで笑われそうだけど、映画『甘い鞭』は石井世界の地平線が伸びる可能性を秘めていて、目が離せないでいる。

2012年8月6日月曜日

“石井隆の青”



 真綿のごとき熱風にくるまれて座っていると素肌と大気の境がぼんやりとなって、己を見失いかねない危うさである。外を行き交う鳥たち、虫たちも心なしか憔悴して見える。つがいで訪れていた鳩も今は一羽きりでいて、疲れた風情でベランダの柵を行き来する。いつもは一尺足らずしか伸びぬ雑草が群れなし腰高にまで育って、亡霊のようにたたずむ。なかなかの手ごわい夏になっている。

 何を書こうとしたのだったか。そうだ、石井隆の光や色、特に“青色”について少し触れてみたかった。炎熱の砂漠で水をもとめるように、あの青い光がひどく恋しい。

 解像度と明度を増した最近の日本映画は高熱にうなされるように赤だの緑だの、その他雑多な色ガラスを照明に咬ませたり、おどろおどろした壁紙に人物を抱かせてみたりして、さながら色彩の絨毯爆撃となっている。ひとの半身に鬱勃(うつぼつ)として煮え狂う妄執や劣情、残懐(ざんかい)なりをどぎつい配色で代弁し得ると考える作り手は多いのだが、年齢を経て感度が鈍ったせいなのか、そんなにぎにぎしい演出をどうも受け付けなくなってから久しい。戸惑いばかりが先に立って、そのうち役者の出演料や広告費、版権といった些事ばかりがもやもやと気になっていき、やがて座席の硬さに閉口するのが最近の流れである。

 一方、石井の劇といえば、これにしたって日常の安息を題材としない破壊と再生をともなう徹底した情念の物語であって、昨今の作品よりも遥かに執拗なるまなざしと熱帯びる吐息に充ち充ちた世界である訳なのに、その描写には以前からひどく抑制されたものがあるように思う。あれだけ過剰で突出した映像を脳裡に叩き込む石井作品であるのに、構成する色数は驚くほど限られている。むしろモノトーンの慎ましさすら視止められるのだが、これってよくよく振り返れば不思議な話ではなかろうか。

 天井より放たれる青白き光芒や青色の小道具、たとえばビニール傘などが時折り登場しては目を引くけれど、そこに際立った気負いは読み取れない。登場人物の想いをこっそりと孕(はら)ませてみたり、また、怨憎の念がまぎれて息とめ、出番をうかがいながら舌なめずりするような短調さ、押し出し(*1)は見られない。

 日常ではなかなか御目に掛からぬ光彩であって、これは舞台上にてピアニストを照らし出すライト、もしくはアトリエに置かれてモデルを染めていく灯りに余程近しいように思う。観客の視線は背後にぶれることがなく、だからおんなたち、男たちから興味が乖離しないのだ。匂い立つ官能や哀愁、痛みともなう諦観や滅私にもろとも圧倒され、心はいよいよ漂着して取り込まれていく。

 この“石井の青”が放つ凄味を実感するのは連続体(映画)の上ではなく、だから録り抜いた静止画とあらためて対峙した時である。ここも実に面白いところと思う。ぱらぱらと連なっては新たなコマに座を譲るしかないフィルムの特性ゆえ、劇場なりモニターを面前とした私たちは何が起っているのか思案するゆとりを与えられないでいるが、動きを休めた一コマをぽつんと置かれた時、そこでようやく絵画然とした息吹に触れ、思わず声失い、長々と見惚れるということが常となる。『花と蛇2 パリ/静子』(2005)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、そして『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の近作三篇の公開に合わせ試みられている“写真集(という名目の画集)”に如実に現われているし、此処で紹介させてもらっているキャプチャでも一端はうかがえよう。

 映画としてあるときは役者を立て、物語を際立たせる。静止画としてあるときは一幅の絵画となって心を射抜く。挿絵家、劇画家を経て映画の道に入った石井ならではの、卓抜した構図と色彩に目がくらむ。私たちは一体全体何を目撃しているのだろう、映画なのか、絵画なのか、とんでもない物を見せられている気持ちになって来る。前面に置かれた人物が“青の力”を借りて強烈に放ち始める“神話性”についても、もっともっと盛んに語られ研究されて良いと思う───


 わたしの住まう町は列島を俯瞰して塗り絵様に色分けするいわゆる“汚染地図”によれば、無色透明ではなく薄っすらと色づけされた区域に取り込まれている。塗られたあの色は当然実感されない。今は夏の白い光に照らされるばかりだ。灼灼(しゃくしゃく)として変わらぬ景色を見渡せば、私たちの喉元や心筋を狙う凶悪な粒子が一体全体どこに潜むものか想像力がまるで働かない。健康やいのちに関わる話と重々知っているけれど、人間とはあくまで五感にしたがうものであって、予兆やざわめきといった第六感や知識だけでは軸足を移す訳にはなかなかいかないようだ。実際に可視できない“色”を相手に闘いを挑むことはどうしたって難しく出来ている。

 人間の知覚ほどあやふやなものはない。世界は見えるもの、匂うものが全てではなく、見えぬ色、香らぬ塵(ちり)に満ち満ちているのだ、懸命にそれと向き合っていかねばならぬのだ、と最近つくづく考えさせられている訳なのだが、そんな得体の知れぬカタカナのものでなく、どうせなら“石井隆の青”のような人間のこころや存在を引き立たせるものに埋もれたかったものだ、と、網戸越しに白昼夢のような緑の庭木を眺めながら、今更考えてもすっかり手遅れのことを汗みずくで反芻している。

(*1):インタビュウなど読むと、石井は色に託された寓意や狙いを多く語らない。設計家やエンジニアではなく、どこまでも画家の趣きがある。






2012年7月24日火曜日

“たまゆら”


  硬さや湿度を保って永らえる物も稀にあるけれど、人のこころの大概は環境や流行に左右されて変幻する。私みたいないい加減な男はなおさらのこと、振り返ればあのときの心模様はどうしたものか、なぜあそこまで斜度を深めたかと首をかしげることも多い。

  先日綴っためそめそした感傷は当時の偽らざる内実であり、渦巻く川面を鼻先にした思いは確かなのだが、あれから時間もずいぶんと経ってさすがにふっ切れたところはある。大切なものを守らんと発奮する人に触れ、本を読み、映画に学んで平衡を取り戻した。五線譜を音符で埋める手わざは限られた人への贈り物だろうが、そんな天賦の才は与えられずとも誰もが唯一無二の旋律を奏でながら暮らしており、それは我が身からも絶えず放たれていると今は信じられる。大事にしなきゃと思う。

  第一、私のようなひどい弱虫で痛がりが自分から命を絶つことなど土台無理というか、まるで似合わぬ話でしかない。いざ境界またぐ列車に飛び乗ってみれば“痛み”は臆面なく相席を欲してくるもので、旅中ずっと“死ぬ思い”をさせられるに決まっている。この“死ぬ思い”に耐え切れぬから人は機能を停止する訳なのだが、軟弱な我が身をかえりみれば耐え得る、耐え切れぬの前段階でさっさと白旗を掲げて下車を願い出るに違いないのだ。刹那の地獄を想うとそれだけで身体のあちらこちらは萎縮し、呼吸が乱れる。

  実際、からきし意気地がない。先月に入って左の足裏に違和感があり、しげしげと見やれば土踏まずに1センチ大の円形の盛り上がりがある。風雪にさらされ変形し、サイズの合わなくなった古い靴を捨て惜しんだ報いであろうか。靴ずれの進んだものと思い、いたわって様子をしばらく見たものの一向に痛みは去らない、どころかいよいよ触れると画鋲を踏み抜くような鋭さとなる。これは厄介な“できもの”の類(たぐい)と判断して薬局におもむき、説明書にしたがって薬を塗りこんだりしたけれど、それでも完治なる気配がないからそこでようやく匙を投げ出し、足を引きずり引きずりしながら皮膚科の門を潜ったのが今月の初めだった。

  壁にかかった博士号の免状から私よりひとつ下と知れるS医師は、女形のようなかん高い声で喋る中肉中背の眼鏡の男であった。一瞥(いちべつ)しただけで“ウイルス性のいぼ”と断じて、初老の看護婦に小さな金属容器を用意させる。綿棒を中に突っ込み、透明の液体を含ませるやいなや患部にペタペタと押し付けはじめた。最初は何とも感じなかったが、数秒して錐(きり)で突くような痛みがやって来た。液体窒素により人為的に凍傷を起こし細胞を壊死(えし)させ、下に新しい皮膚が出来た頃を見計らって死んだ部分を小刀でざくざくと切り剥がす、そんな野蛮この上ない治療法である。それ自体はよく知られた話だから耳にしてはいたけれど、何も間髪いれずマイナス196度の液体を押し付けることはなかろう、と思わず目を剥く。

  痛くて声が出る。寝屋(ねや)でついつい漏らした淫声を相手に聞かれたおんなの心境とはこんなものかと思う、というか、いい大人が悲鳴をあげて滅茶苦茶に恥しいのだけど。誤魔化そうとひり出した冗談をものともせず、S医師は執拗に冷水を押しつけるばかりで余計泣けてくる。ソビエト製のSF映画(*1)のなかで絶望したおんなが液体窒素を呷(あお)って自死する件(くだり)があったのを思い出し、あのおんなの痛みはこの数十倍か数百倍であったかと思うと、急にそのおんなの哀しみや煩悶の深い淵を覗いたように感じられてちょっと嬉しかったのだけど、痛いものはどうしたって痛いから、オウ、オウ、と水族館のアシカみたく鳴くしかない。生死を分かつ河を渡るに際しての痛みの、数千分の一ぐらいは透けて見えたような気がした。そんな恐ろしい河、近づかずに済むのであればそれに越したことはないだろう。そんな風なことを最近しきりに思っている。

  さて、映画のなかで液体窒素を呑み干したハリーという名のおんなは、黄泉の国からさ迷い出たような不安定で常軌を逸した造形であるから、やがて横たわる床面の上ではげしい痙攣を繰り返しながら蘇生を果たすのだったが、その様はフィルムを逆回転させた巧みな演出も加わって人間の身体表現の域を遥かに超えた凄絶なものだった。弛緩と緊張がおんなの四肢を交互に支配していく様子は(死から生へと逆行する流れであっても)渡河のはげしさ、酷さ、神々しさを見事に現わして何度見ても言葉を失うものがある。

  このような“渡河の光景”に険しさや厚みをふんだんに盛り込んでは独特の間合いや気合を劇中に籠(こ)めていく作り手の一人として、ここで石井隆の名を上げることにきっと誰もが抵抗を覚えないのではなかろうか。石井は人間の皮膚なり骨の質感、厚みや重みであるとか、体温、弾力といったものを実に丁寧に活写していくのだけれど、その一環として劇中挿入される臨終の場も丁寧に紡いでいくところがある。グロテスクな特殊造形の登用は極力控え、それが準備万端整ってセットに置かれていてもカメラはゆるやかに針路をそれて凝視することはない。その慎ましさの奥に居座る生々しい“肉体”は鮮血にまみれていてもどこか元気に自己主張するようであり、実際その役目を割り振られた役者たちはおのれの精力や技法を残さず投じて渡河の顕現に努めるのである。

  たとえば『死んでもいい』(1992)の終幕、ホテルの浴室でひっくり返り炭火の徐々に消え去るごとく体温の奪われて見える室田日出男の、そのぼってりとした肉付きの良い背中や臀部であるとか、『フリーズ・ミー』(2000)で湯船に沈むにあたり、主人公のちひろ(井上晴美)にのしかかって存分に体重を実感させていく北村一輝の頑強な骨と筋肉であるとか、目、鼻、口など有りとあらゆる体孔を極限まで広げてみせ、世界の虚空と精神の洞穴を連結して見せる同作および『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)における竹中直人の断末魔の形相であるとか、呼吸はおろか血流すら止めたかと観ているこちらを慌てさせる、やはり『愛は惜しみなく─』の津田寛治とか、馬鹿が付くほど丹念に“渡河の光景”を演じ、また描いている。逝く者にここまで雄弁に語らしむ演出家は洋の東西を問わず、そうそうはいないように思う。

  特に『フリーズ・ミー』で頭頂部をおんなに撲られ、間欠的にはげしい痙攣を重ねて河を越えていく鶴見辰吾の姿は恐怖をこえて笑いを誘い、笑い転じて憐憫へと変容するだけの長い時間を観る者にずるずると与えていて、先のハリーという名のおんなと同様に一度見たら最後、消え去らぬ昏(くら)い面影となって脳裡に巣食うのだったが、独特の低位置に据えられたカメラはこの時、横臥しふるえる男に添い寝してその内側に逆巻く当惑や哀しみを代弁しつつ惚れたおんなを見上げることをなかなか止めないのであって、そこには主役にではなく、今まさに退場を迫られつつある側に注がれた強いまなざしが香っている。

  捨て駒として劇内に点々と置かれ、おはじきを操るようにして唐突に退場を強いられがちな助演者や脇役に対して石井の姿勢は首尾一貫しており(*2)、 主役だろうとチンピラであろうと恋路の障壁であろうと最期は同列に扱われていく。たまゆらであれその背中に気持ちを傾けて、生い立ちなりささやかな(もしくは誇大な)希望に敬意を払い、けれど粛粛と看取っていくのである。全方位へ向かうこのなよやかな親身なり目配りの徹底が石井の劇を“救い”の息吹で満たしていくのであり、無明感や焦燥を日々抱きながら生きていかざるをえない私たち市井の徒からすれば、スクリーンを越えて我が身にまでその慈しみは及ぶように感ぜられる時だってある。阿鼻叫喚の地獄絵に放り込まれても石井の物語にどこか安心して居られるのは、きっとその為なのだろうと思う。

(*1): Солярис 監督アンドレイ・タルコフスキー 1972 
(*2):たとえば『花と蛇2 パリ/静子』(2005)は画家の妄執を扱うのではなく、絵画を愛していながら自らは筆を握らぬ画商の話である。影の立役者、脇役として生きようと決めていた男が死を目前にして“人生の主役”の座に拘泥して暴走していく物語であって、実に石井らしい吐息と采配に染まった作品と思う。



2012年7月7日土曜日

“オラトリオ”


 石井隆の物語空間における死とエロスとは、皮膜を隔てて寄り添う間柄にある。皮膜は雨やシャワー、水たまりに触れるとすぐに曖昧になり、両者はいよいよ混然となって渦巻き、目撃者を圧倒するのだけれど、その哀しみと悦びのメイルストロムをつぶさに見返していくと一つの特徴に行き当たるように思う。あれだけの死を累々と築きながら、自死へと至る顛末が少ない。

 もちろん“タナトス四部作”と呼称される劇画作品が1980年に展開され、そのひとつの【赤い暴行】は睡眠薬を大量にあおって死んでいくおんなの話だったわけだし、直前には石井ドラマの輪郭を決定付けて見える、あの【雨のエトランゼ】(1979)が横たわってもいる。屋上からの名美の投身をもって断絶する【雨のエトランゼ】は、『魔性の香り』(監督池田敏春 1985)、『沙耶のいる透視図』(監督和泉聖治 1986)、『ヌードの夜』(1993)、『フレーズ・ミー』(2000)といった具合に幾度となく趣きを変えながら石井の物語を彩っているから、その航跡を見る限りにおいては“自死”はたしかに連鎖して止まらない。

 オレンヂ色の灯がともる寝屋(ねや)に白刃がきらめき流れ、無防備な手首をすうっと真一文字に切り裂いていく。たとえば【蒼い閃光】(1976)であり【緋の奈落】(1976)であったりするのだが、紅蓮地獄が突如目前に浮上したような血の大噴出をともなう場面さえあって、読者をどんと突き放すそんな酷烈な幕引きが印象に残る石井の物語群に対し“自死が少ない”と書くのはなるほど可笑しな言い草かもしれぬ。惨死の群れなす陰鬱なお話ばかりじゃないか、でたらめを書くなよ、と首を傾げる御仁も居よう。

 人それぞれの世界観の読み解きがあって良いのだが、私にとっての石井の劇とはむしろ死に抗(あらが)う行為の連続であって、“生還と延命の絵巻”と捉えて来たところだ。ゆらめく影に恐怖して跳びすさり、幽かな足音に怯え疲れて地面をいざりながら、もう無理だ、死んでしまおうと思案のまな板に“死”を載せる局面はなるほど頻発するのだけど、いよいよとなって実行に移せぬまま煩悶の足踏みに入るのが石井の劇を支えるもう一方の“みめかたち”ではなかったか。端的には『ラブホテル』(監督相米慎二 1985)の村木(寺田農)であったり、『夜がまた来る』(1994)の名美(夏川結衣)だったり、『GONIN』(1995)の三屋(本木雅弘)の系譜である。

 夜通し海原を奔る連絡船の客となり、デッキから目を凝らして遠ざかる波の飛沫をにたどれば、海蛍(うみほたる)の青くざわめき筋をなして漆黒の闇に伸びていくのが視とめられるという。虚無と思えた黒い空間に無数の小さき生き物がそうやって群れ集い、懸命におのれの存在を主張するように、死の誘惑に手向かい、苦悶の色濃い面貌にさらに皺を刻んで生き延びようと足掻き続けた男たち、おんなたちがいくつも石井の劇には見つかるのであって、たとえば死線を一度はまたぎかけるが寸でのところで回避していく初期の劇画作品【天使のはらわた】(1978-1979)の川島哲郎もそうなのだけど、私の記憶の淵には彼ら石井隆の“抗う者”がいまも居座り続けて、ときどき思い出したようにして声を送ってくる。

 年齢を重ねるということはそういう事で驚くには値しないだろうが、わたしは知り合いを三人、自死というかたちで見送っている。身内や親族ではない。匿名とは言え、このような公の場でその事実を綴れる程の知人、友人としての距離のある間柄である。それでも折に触れ、彼らの事を考える時間がある。ひとりは望んでそうなったか、それとも無理強いされたのか判然としないのだけれど、この震災の混沌とした状況で絶望し魂の手綱を放して流浪を始めた男と一緒に寝起きしてしまい、最後は淋しく暗い場所を選んで逝ってしまった。死をわざわざ手招いて天寿に背いた幕引きに違いはなく、思い返す度に酸っぱいものが喉を逆流する。

 私にしたって様々な方向から大小違った弓矢が射ち込まれる毎日であって、撃たれどころが悪ければたちまち致命傷にもなるのだし、薙ぎ払うのに一杯いっぱいの余裕のない時だってある。甘えて白状すれば、我が家の玄関からほど近い場所に十坪ばかりの空き地があり、この時代に珍しく黒土が露出したところに樹齢どのぐらいか分からぬが胴回りが1メートルほどにも育った梅が数本最近まで並んで立っていた。(庭師に尋ねたところ百年は経過した老木とのこと)──自責の念に酷くさいなまれる出来事が数年前にあって、連夜日付が変わる頃まで二時間、三時間と上がり口に腰を沈めて、向かいにそびえる木々の中ほどでおのれの足先がさかんに空を蹴る場面を想った。物置から自動車の牽引用ロープを引き出したり、椅子を持ち出すことを幾度も繰り返して想像した。

 からくも窮地を脱して以来、梅の木たちは内奥をよく知る者として身近な存在となってしまい、朝な夕なに無言の挨拶を交わして来たのだった。けれど、先日、強風が列島に吹き荒れて各地に甚大な被害をもたらしたことを契機にして、我が家を含む周辺へ迷惑を及ぼすことをおもんばかった心配性の持ち主により職人が手配されてしまった。今はすべて伐(か)り払らわれて、白く平らな断面をさらした切り株を点々と残すばかりとなっている。

 伐採(ばっさい)の前夜、上等の地酒を幹や根に惜しみなく注いで別れを告げながら、内心“助かった”という気持ちがないでもなかったのだ。このまま行けばいつか苦しい日々が再度巡って来たときに、この木の枝にぶら下がって息絶えていた自分自身の可能性は否定出来なくって、そんな危うい場処を綺麗さっぱりと奪われることに実は安堵したところがあった。

 “生の終わり”を想う時間はこのように日常茶飯で他人事ではない。先に逝った知人の位牌や死場処に花を手向け瞑目して浮かぶのは、彼らが特異でおかしな人では決してなかったという感慨であり、さわやかに微笑んでいる表情と穏やかな声である。そこに至った事は決して特別とは思えない。人間はかくも弱く、崩れるときは一気に崩れていくものと思う。条件がある程度整ってしまえば、粉砕なり決壊はたやすい。

 あの真夜中、蛍光灯に寒々と照らされた戸口で座り込む私を救ったのが石井の“抗う者”の発した“こだま”であったとまではここで書かないけれど、石井の作品群を性欲と暴力、おんなの裸と拳銃ばかりの物語とつまらぬ括り方をした上で軽んじている文章などを見ると、それを書いた人間もつまらぬ者に見えてならない。(幸せな人とも思うが、うらやましいとは感じない。)

 誰もが似たり寄ったりで生と死の汀(みぎわ)にたたずんでいるのであって、逝くも残るも成り行き次第という受け止め方を最近ではしている私は、石井隆の世界を荒唐無稽の“異界”とは到底思えないでいる。魂に届くオラトリオと信じて耳をそばだて、水際までの間合を見定めるきっかけにしている。洗練されているとは総じて言い難い石井の“抗う者たち”の悪戦苦闘ぶりを見つめながら、ほんの少しの勇気を譲られ、今日に明日を繋いでいるところが確かにある。



2012年6月17日日曜日

“水と対峙する者”



  近作『花と蛇』(2004)には、石井隆が劇中“水たまり”を登用する際に託す特性や面立ちを、逆方向から際立たせている箇所がある。豪邸でひとり酒をあおって酩酊した遠山隆義(野村宏伸)が、テラスに穿たれた人口池のへりによろよろと踏み出し、両膝を折って水を覗く場面である。礼拝するかのようにして“水”と対峙していく姿が印象深い。

  遠山は建築会社の若き総帥であり、生得の豪胆さで組織を束ねることに成功している。時には灰色の札束も山と積み上げて闘っているのだったが、側近である若者がいつの間にか裏社会に取り込まれており、秘匿すべき賄賂提供の顛末の一部始終を隠し撮りされてしまう。遠山の妻静子(杉本彩)はダンサーとして名の知られた存在で、その艶容に裏社会の重鎮田代(石橋蓮司)は心を奪われていて、隠し撮り画像のウェブへの流出をほのめかせて静子の一時的な提供を遠山に迫るのだった。

  最愛のおんなを手放してしまった男は、なかなか帰らぬその身を案じながら酒に溺れていく。足もとよろめいて壁や電柱にもたれていく酔った醜態は不況下で減ってはいるものの、終電間際の道筋にいくらでも転がっている光景であるから、外の新鮮な空気を吸おうとしたものか、窓辺に寄り、四つん這いになってしまった『花と蛇』の遠山という男の様子とて決して珍しい形ではない。されど、石井隆という作家を見続けた視線には、この物腰の“不自然さ”が陰影を含んで佇立して来るのである。水面(みなも)に向かい我が身を大いに恥じ、ようやく事態の雲行きのひどく怪しげなことに気付いて慟哭していくのだけれど、あたかもその池に住まう河童か妖精か、人智のおよばぬ何か判然としない魔性におんなが引きずり込まれ、視界の通じぬ深い水底に幽閉されたと考えているような実に気負った姿勢と叫びで酔態の域を越えている。

  手にしたグラスを滑らせ、グラスは浅い池の底にぽちゃりと落ちてしまうのだが、男はそれを拾うことすら出来ないのだ。数センチメートルの深さでなく、何千キロメートルもの大海を隔てた見知らぬ街に酒盃が運ばれてしまったかのような身も世もない慌てぶりである。これまで石井が世に送り出した映画なり劇画の諸相と連結させて捉え直せば、ここで浮き彫りにされるのは“水に身を投じられない”男の哀れさ、小心さという事であろう。

  仮に先に待つものが破滅であろうとも石井の描く男なりおんなは総じて水を見る、水音を聞く、触れる、濡れる”行為を通じて次の階層に歩み出すものであるが、『花と蛇』の遠山隆義という男はこれが出来ない。“ひとを想う”行為に洗われ、総身呑まれて恋死(こいじ)にしていく道を自ら回避してしまった石井の作暦上新しい性質の男としてフィルムに刻まれている。これは団鬼六の原作の骨格を生かしたための、この時限りの奇異な枝葉であったのだろうが、石井の作劇の特徴を逆照射してみせていて興味深い。(*1)

  やや乱雑になってしまったけれど石井隆の劇をめぐる“水”とはかくも雄弁であって、登場人物の心理が増幅しては劇空間を渦巻く情感のさらなる堆積を助ける存在なのだし、わたしたち観客へは次の幕が開けるのを高らかに告げる呼び鈴でもある。(曾根版『天使のはらわた 赤い教室』(1979)のようにして)安易に背を向けて去っていける対象ではないのである。

(*1): 当時の石井がいったいどのような心境にあったか、自身がインタビュウで語った言葉からわたしたちは薄っすらと読み取ってもいる。これに則せば、石井らしい韜晦と吐露が一体となった複雑なキャラクターとして遠山隆義はあるのかもしれず、頼りなくメリハリのない造形だからと言ってそうそう軽んじてはいけない気がしている。

また、“水に呑まれなかった”遠山について想うとき、当時劇場で観て持ち帰った感慨とは別のものが今は浮かび来る。保身や臆病に負けてしまい、この遠山のように“取り残される時”は誰の身にも巡って来る。それを学んだせいだ。

身を捨てることなく、足踏みする時がある。背中を押す手をほどいてやんわりとなだめる時間もある。ある程度の年齢を経れば、水辺は決して珍しいものではない。


2012年6月14日木曜日

“水につらなる者”



 『GONIN』(1995)の冒頭を飾ったのは、佐藤浩市演ずる青年実業家、万代樹彦(ばんだいみきひこ)の夢の描写である。ここにも印象的な“水たまり”を見ることができる。万代の経営するディスコは借入金が膨らみ、返済に追われる苦しい毎日だ。建屋の一角、奥まったところに寝床が敷かれており、疲れて眠るその顔が真っ先にクローズアップされるのだったが、まぶたの薄皮の向こうでは右へ左へとせわしなく眼球が動いているのが見て取れ、今まさに男がレム睡眠と呼ばれる夢見の時間を漂っていることが強調される。

──さまよい入るのは湿った路地裏だ。長年のひとの往来により削られたものか、足元には浅いへこみが延々と連なっている。脇の壁から円柱型の樋(とい)が陰茎のように垂れ下っており、先端からとろり“雨水”が噴きこぼれて、なだらかな溝をゆるゆると伝っていく。細く切り取られた空を妖しげに反射させながら奥へ奥へと伸びる銀色の“水路”は、さながら巨きなナメクジが這った痕であり、先では黒い人影がふたつ、何か盛んに言い争っている──そんな夢に男は取り込まれている。
 
 屋根板の塗装が剥げて亀裂が生じたか、それとも、天井裏を走る配管が目詰まりでも起こしたせいか、現実空間に“雨漏れ”が生じていて、寝台のすぐ脇の床にぴちゃり、ぴちゃり、と滴(しずく)を垂らしている。反復するその響きが男を一定の悪夢にいざなっているのだったが、目覚めた男がまるで意に介さない事から“雨漏れ”が突発的なものでなく、馴染みの現象であることが読み取れる。資金繰りの無間地獄に放り置かれ、舞台袖の修繕までは到底手が回らない状況なのだ、と小声で耳打ちしてみせる巧みな演出なのだけれど、そういう話術の域を越えてつよく訴えて来るものを誰もが感じる場面である。丸い張りをもって床面に膨らみ、気持ちをざわつかせる、妙に色っぽい“水たまり”が形成されて、私たちの瞳を射抜くのだった。

 似たような悪夢(=淫夢)は『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)にも出現していたが、人間の内奥を仕切る壁や境界がいずれも“水たまり”を起点として融け落ちていく感じである。明らかに石井の劇空間での“水(たまり)”は魂の変容を誘う触媒となって働くのである。跋扈する夢の主(あるじ)の凶暴な影なり、その艶姿(えんし)に脚をすくわれ、じたばたと足掻いては指先を伸ばしていく、はたまた、昏い山中に迷ったような具合に途方に暮れて瞳を泳がすきっかけが“水”である。現実と妄執、生と死の関所をいつまでも行き戻りして落ち着くところがない。

 日常と己をつなぐ頸木(くびき)は溶け落ち、今や完全に外されてしまった。両腕をたかく振り上げ、叫び声をあげて闇雲に駆け出したくなる気分だ。それぐらい怖く、それぐらい嬉しい──いや、夢のなかに限らない。石井の創る人物は実際にそうなってしまうのだった。『GONIN』の“水路をさまよった男”は金融機関や弁護士事務所へと参内して血路を拓(ひら)こうとするのでなくって、美しい男娼(本木雅弘)に向かって心身共にしなだれ掛かっていき、一緒になって無謀な犯罪を推し進めてしまうのだったし、『赤い眩暈』の“水に呑まれた”村木(竹中直人)は偶然出会い、怪我を負わせてしまった娘(桂木麻也子)を世間から隠して介抱するうち、そんな滑稽きわまる行為に生きる意味と目的をそっくり移行させてしまう。

 とめどなく視線の交叉し吐息が綾織られる、身にしみて愛しい昼夜が描かれるのだけれど、その裏側で、いや、その表側と言うべきか、冷徹な金利計算が瞬時も止まることなく、かちかちと数字を堆(うずたか)く積み上げている訳だし、組織の論理は免疫機能を起動させて、軌道を外れた心優しき異分子を追い落としにかかるのは明らかなのだけど、水に侵(おか)された石井の男たち、おんなたちは忘却の淵にそんな現実を押しやり、束の間訪れた(どこか無理のある)安息に向けて悲しげで固い微笑みを返しては、危うい夢見を続けようと試みる。

 『死んでもいい』(1992)のローマ風呂での逢瀬、『ヌードの夜』(1993)、『夜がまた来る』(1994)での入水(じゅすい)といったものも含め、石井隆の劇における“水を見る、水音を聞く、触れる、濡れる”行為は日ごろ私たちが体感するものとは段差を含んでいて、物語中の人間に劇的に作用し、思いもしなかった暴挙へと背中を押していく。時にその生命を奪い、時には覚醒を誘って、生涯忘れがたき道標(どうひょう)を打ち込んでいく。
 

2012年6月9日土曜日

“水と魂との親和性”



  石井隆の劇空間にて際立つ“水と魂との親和性”について、輪郭をより鮮明にするために二、三の例を振り返る。とは言え、石井世界の虜(とりこ)となった読み手ならばかねて周知の場景ばかりであるので、いまさら何を喚(わめ)いているかと冷笑、叱声を矢弾のように浴びかねない。

  何故去らぬ、いまさら何だ、という思いは正直わたし自身も幾度となく抱くのだけれど、ここ“GROTTA // Birds // Rouge”は「日記」を兼ねる。本来「日記」とは重大で秘匿すべき事項には露ほども触れず、(万一なにがしかの言葉を添えるにしても大概は記号化され、さりげない体で埋め込まれるものであって、)ほとんどの頁はありきたりの情景で占められるのが常だろう。海底(うなぞこ)より舞い上がり、さわさわ、くぷくぷとささやき群れなす気泡たちの全部を海神とて黙らせ得ぬように、沸き立つ記憶の残滓がわたしに書け書けとしきりにうながすのであって、これはもう抵抗しても勝ち目は無いのだ。“周知の場景”であるにしても、淡々と、されど奔放に想いをつなぐうちに考えが整理なる、そんな一瞬が無性に嬉しくって、それを頼りに離群索居(りぐんさっきょ)を耐えている次第である。

  さて、一言に“水”といっても姿かたちは様ざまな訳だが、ここでは先日取り上げた『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)の終幕に掘られた“水たまり”にこだわってみたい。天空より降りそそぐ馴染みの雨ではなく、また、素肌を撫ぜる浴室のシャワーでもない。地面に横たわって光を捕り込み、ぶわり反射させては存在を強く主張する“まとまった水”についてである。棒切れを刺し入れ、ずるずると引きずりながらその流路を究めていく。

  映画『赤い教室』の公開に前後して「別冊新評」(*1)は青年劇画誌の旗手で時のひと、石井隆を全力で取り上げており、その特集号のうしろの方に挿まれた同作の脚本第一稿を読むと完成なった映画とは彩りを違えていることに気付かされるのは先に書いた通りだ。正確を記すために奥付を写せば、「別冊新評」は1979年1月10日に発行されていて、映画の方はと言えば同年1月16日公開(*2)である。劇場公開よりわずかに早い。掲載にあたって「決定稿ではありませんが、もっともオリジナルなものであり、石井隆氏の希望によります」と但し書きが添えられているのだが、そこにこもる想いは、だから決して静穏でなかったことが汲み取れる。当惑なのか悄然としたのか、それとも憤激だったのかはうかがい知れぬけれど、劇作家石井隆の気概と誇りがまばゆく照射されて無視できない迫力がある。

  そんな『赤い教室』に描かれた“水たまり”とよく似た形と大きさのものが、かつての劇画に視とめることが出来る。【おんなの街】と題された連作の初回を飾った【赤い蜉蝣(かげろう)】という短編である。苦界からの足抜けをはかったおんなが追っ手につかまり、人通りのないさびれた空き地に連行される。制裁をさんざんに加えられたあげく「水責めだ そこらに水溜まりがあったな」ということになり、その顔をさばりと水面に沈められるのだった。おんなの意識は冥府を駆けめぐって、現世に還ることなくそのまま天に召されてしまう。

  劇画【赤い蜉蝣(かげろう)】は「増刊ヤングコミック」の1979年2月13日号に掲載されているから、『赤い教室』をめぐる石井と曾根、才人ふたりの確執のそれこそ渦中に置かれた作品と言える。断りなしの改変に対する意趣返しではないとしても、“水溜りを使う”とすればこうしたい、こうありたいという、当事の石井が膨大な思索の震幅を経て手中にした描画、構築(*3)であったと捉えて良くって、なるほど曾根が地べたにあっさりと穿ったものと比してみれば、石井らしい想いを滲ます底無しの深さと魔力を具えた怖い役どころを担っている。目の隅で流れ去ってしまう背景ではなくって、こころをからめ取り、こころを変えていく風景となって在る。

  水原ゆう紀の名美が女性らしい逞しさを露呈させて“水たまり”から去ったのに対し、【赤い蜉蝣(かげろう)】のおんなはその逆で“水”に取り込まれている。前者が(よく評されるように)男女間に横たわる溝を暗示し後ろ髪ひく恋慕へ毅然として決着を告げる形なのだとしたら、後者の、まっ逆さまになって氷海に消えゆく豪華旅客船さながら、伏した頭部を黒い水溜まりにごぼごぼと突っ込まれるおんなのかたちが指し示すのは何であろう。恋慕のさらに高まり、おのれの制動をいよいよ失いひどく傾いでしまった心模様であろうし、されど、ここに至り来たれば、もはやこの世との決別すら厭(いと)わないという(曾根版『赤い教室』とはまさに対極の)捨身往生(しゃしんおうじょう)の面差しであろうか。“ひとを想う”行為の寄せては返す波に洗われ弄(あそ)ばれて、総身呑まれて恋死(こいじ)にしていく、溝にはまってどうにもならぬ魂の末路が浮かび上がる。

(*1):「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」 新評社 1979
(*2):「官能のプログラム・ピクチャア」 フィルムアート社 1983 218頁
(*3):この【赤い蜉蝣】の溺死の風景は今井正『越後つついし親不知』(1964)での佐久間良子と重なってみえるし、前述の通りベルイマン作品とも通じるようにわたしは想像している。映画を起点として旺盛に細胞分裂していく、それが石井の創造世界のまぎれもない一面であるだろう。映画を愛する人の胸に印象を刻むのは、だから当然かもしれない。



※追記
何か引っ掛かるところがあってワイズ出版の「おんなの街 Ⅰ」を見返していたところ、初出一覧に誤植があったようです。【赤い蜉蝣】が連作「おんなの街」の初回を飾ったというのは間違いで、1980年の2月13日号が正しいらしく、『天使のはらわた 赤い教室』公開から1年以上を経て世に出ています。上に書いたのはどうやら私の完全な妄想でありました。お詫びいたします。

実際の掲載順序は次のようであった模様です。



【雨のエトランゼ】 1979  6月27日~8月22号
【果てるまで】  1979 9月12号
【停滞前線】  1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】  1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980  1月9日号
【赤い暴行】★ 1980  1月23日号
【赤い蜉蝣】★ 1980  2月13日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)


また馬鹿をやっちゃいました。ごめんなさい。 2012.06.23

2012年5月26日土曜日

“水たまり”


 町内会での花壇と神社の清掃を終え、さて、どう過ごそうかとそわそわする。まだ7時を回ったばかりで、寝不足の頭が重い。帰って布団にくるまれば寝入ってしまうに違いなく、せっかくの休日が終わったも同然だから、だったら町外れにある温泉に寄ってやろう、と思う。こんな時間なら客も少なく、悠々と湯を楽しめるに違いない。

 窓を開けて風を入れ、さえずりを聞きつつ車を駆る。これから活気溢れる田植えの場景があちらこちらと見られるだろうが、いまの隙間じみた、ポケットの奥にくるまれたような瞬間が好きだ。水が張られ漫漫と広がるのを眺めながら走るのは、なかなかに爽快、かつ贅沢な気分である。巨大な水鏡が空や雲の流れる様を映し出しており、世界が倍になる。陶然として見やるうちに車は左に流れて農道からあわや外れそうになり、慌ててハンドルを握り直す。

 予想通り浴場の客入りはあっさりして、それも年輩者ばかり。耳に障るお喋りもなく、子供の騒ぐ声もない。手桶から落ちる湯の、ざぶりざぶりという音だけが響いている。丹念に身を清めてから二十畳ほどの露天へと出でて、しばし独占してお湯をむさぼった。ミレー描く薄幸の少女よろしく、身体を半ば浮かせるようにして横たわりコバルトの天蓋にひとり真向っていると、目の奥の脳軸は回転力をゆるゆると失って、浮世のもどかしさや苦味、塩味といったものを(刹那といえども)追い払ってくれるのがつくづく有り難い。

 代わって胸の奥の洞窟で風がゆらめき、閉じ込めていたものが逆巻きだす。耳朶を震わす声の終(つい)ぞ寄せ来ることのない、寂然とした日々が続いている。語るべき言葉と甘え交じりの吐息は行き場をなくし、ひたすら呑み込むばかりとなって久しいけれど、所詮、闇や空隙と浅く交合(まぐわ)いながら坦々と生きていくのが“暮らし”ってやつじゃないか、九割九分の虚しさに一分の歓喜が雑じるがせいぜいで、それで十分じゃないか、むしろ自分は恵まれ過ぎている、と裸の身を捨て投げるようにしながら、熱を帯びた脳味噌が自問を繰り返している。そうは言っても、儚(はかな)む時間にやや馴染んで、皮膚に貼り付き始めた気配はあるのだ。時間はどんどん過ぎていく。薄みどり色の熱い湯に浸(ひた)りながら、淋しくはあっても、だからもう哀しくはない。

 何をぐだぐだと青臭い、湯に中(あた)ったわけでもあるまいに馬鹿丸出しじゃなかろうか──気狂いめいた感情ばかり渦巻いて止まらないのは、水鏡のせいであり、立ち昇る湯気のせいであり、四肢をくるむ鉱泉のせいであろう。ようするに“水”というものは魂の缶詰をこじ開ける缶切の役目を持っていて、それを見ること、濡れること、浸ることで解放なるところが確かにある。シャワーを浴び湯船に隠れ、汗や涙をまとい、雨にたたずみ、池や湖と対峙するとき、大概ひとは素裸になるものである。
 
 都会ではにっかつの航跡をたどる特集上映が催されていて、先日はいよいよ『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)の回となったらしい。催されたトークショーに触れて、twitterとブログがこのところ元気である。承知の通り、この映画のラストシークエンスでは印象的な“水たまり”が銀幕に映るのだが、その描写の前後や成り立ちに関して、登壇して往時を振り返った曾根監督の予想外の発言に皆うろたえているのだった。田舎住まいでイヴェントにすっかり無縁の部外者が、面識のまったくない人様の書いたものに触発されて言葉を接ぐのは危険この上ないことだし、誰に対しても失礼で無責任と思わなくもないけれど、わたしに巣食う粘着気質がこれを書き写して記憶に植樹し、しばらくそっと眺めてみたくて仕方がない。熱心な書き込みは複数の手になるものであるから、文体や呼称など統一した上で並べ替えてみるならばざっとこんな内容であったらしい。(注:結末に触れる)

 「当初石井隆の脚本では、村木(蟹江敬三)にほだされ(説得され)名美(水原ゆう紀)が付いて行く結末だった。しかし、曾根がつまらないと勝手に書き換え、名美は村木に背を向けたのであり、対する村木はひとり立ち去るしかなかった。とり残されたおんなの影が空き地の水溜りに映っている。足を水面(みなも)に差し入れ、自身の鏡像をかき消しておんなは一人夜陰に消えていく、そんな哀愁漂うラストとなった。断りなしの改変に石井は怒ったのであるが、中盤の公園で雨に打たれてずぶ濡れになっている名美の姿を捉えたシーンこそが、石井隆的リリシズムであるから、そこをしっかり撮っておけば残りは変更しても構わないと思った──」(*1)

 書き手の一人は文面から察するに、おそらく「別冊新評」(*2)所載の“第一稿”に触れたうえで解読に努めていて感動を覚えた。こういう探究者が“石井世界”の周縁にはやはり潜んでいるのである。誰に頼まれた訳でもないのに歳月を越えた立哨に臨んで、流れ星の尾っぽのような一瞬の発言なり記述に色めき、そこで得た新たな視座から作品を観返して再度咀嚼し、おのれの血肉と為していく。こころ寄せる対象を一生かけて見つめ続ける、その真摯な姿勢は目に嬉しい。深度のある文書が立ち並んで壮観この上なく、ひさしぶりに胸躍らされたところだ。

 多くは脚本改変を好意的に捉えていて、私にしたって反論する気持ちは起こらない。映画『天使のはらわた 赤い教室』といわゆる“石井世界”は峰を連ねて影響し合っており、両者はそうひどくは断裂していないと感じられ結果オーライでないかと思い、三十年前の出来事の仔細を突き詰めるのは難しい上にあまり意味ないことだろう。
 
 ただ、この場にて縷々(るる)書き綴ってきたように、石井が脚本執筆を担いはしたものの自らメガホンを握らなかった作品ほど“石井世界”の何たるかを私たちに示唆してくれる最適なサンプルはないのであって、今回のハプニングはこの点で貴重なきっかけとなっている。書棚より「別冊新評」を取り出し、掲載された石井の脚本を読み返していく。想いの凝縮されたト書きを追いながら、その意を強くしたところだ。(*3)

 曾根は、ここでの男とおんなを“断絶”という酷寒へまで押しやっていて、心象的には硝子板や立ち木がばりばりと破砕されていくような、結果、ありありと壊滅の痕を晒す容赦ない演出に終始した。おそらく村木と名美のその後は二度と交差することはなく、陸と海ほども隔たった世界で別個に暮らしていくのだろう。感情の修復も当然復縁も望み得ない、ことによれば回顧する時間すらない“一巻の終わり”が鋭い切り口で刻まれていたのであるが、対する石井の脚本(第一稿)から滲み出るものは“惜別”のうねりと悔恨の色濃い陰(かげ)りであって、そこでの男とおんなはお互いに背を向けこそすれ、その後頭部からは未だ“まなざし”の淡々(あわあわ)しく照射されているのが読み取れる。

 鬼火は上へ上へゆらゆらと炎をのばして宙に浮くが、人魂(ひとだま)は白き尾を引いて横に飛ぶ。石井の劇における人がひとを愛する際の想いというものは、こういったよくある人魂の描画に似て、長い光跡を残して周回する悄然とした風情をたえず帯びるのである。毅然として破れた恋に背を向けるのか、残像にすがって目を細めるのか、どちらを現実的な恋情の末期(まつご)と見るか、それは受け手の性格なり、それまでの人生で克ち得た知恵なり訓戒なりに左右されるだろうから何とも言えない。どちらが破壊的でどちらが建設的か、これも一概には決めつけ得ない。

 確かに言えることは、“石井世界”におけるラブストーリーとは、忘却という次元を含まぬ劇空間であるということだ。(エンドマークが穿(うが)たれ、ゆるゆると緞帳が下されたその裏で)二巻目、三巻目をふわり開いて“告解”を延延と書き連ねるほども余情あふれて、いつまでも鎮まらない。裏切りやこころ離れ、冷徹な天の采配に対して、どれほど涙し憤怒に駆られようとも、残懐(ざんかい)から放たれる幽かな光芒(こうぼう)を石井の男たち、おんなたちは裁ち切れない訳なのだが、曾根の演出はこれをあっさり粉砕したのだった。ここに『天使のはらわた 赤い教室』をめぐる演出と脚本の決定的な相違がある。

 少し強引な読み解きかもしれぬがもう一点だけ書き添えるならば、水たまりに歪み映った己の姿を踏み壊し消えていく名美(水原ゆう紀)の凄絶さは、これはこれで石井隆の劇が孕む人間という存在の、孤峰にして峻厳(しゅんげん)なまでの精神風土を顕現して余りあるから見事と思いはするけれど、石井の脚本内にそのような(水面の鏡像を踏みにじる)イメージがまるで見当たらないし、類似した行為を“石井世界”に見つけることは出来ない。登用する物象のいちいちに効果を探る石井にとって、たとえそれが小さな窪地に生じた雨水の成れ果てたものであっても安易に使えないところがあるのだろう。

 シャワーを浴び湯船に隠れ、汗や涙をまとい、雨にたたずみ、池や湖と対峙するとき、大概ひとは素裸になる。“水”と魂のこの親和性を二の次として鏡像のみを取り込んだ曾根の演出には、その後石井がスクリーンで成し得ていったものと若干乖離した手触りがある。石井が首をひねったのは以上二点ではなかったかと、身勝手に想像をめぐらしてはたった独りでたゆたっている。

(*1):メモ代わりに参照頁ふたつ
http://jovanni34.blog.so-net.ne.jp/2012-05-19
http://d.hatena.ne.jp/tatsuya-akazawa/20120517/1337235747
(*2):「別冊新評 石井隆の世界」 新評社 1979
(*3):石井は“見えないもの”を見せようとし、“聞えないこと”で語ろうとする。見えること、聞えることのみをもって“石井世界”を見定めた気になってはいけない。

2012年5月5日土曜日

“消去し切れぬ人の匂い”



 このところ毎日何本ものマッチを擦(す)り、火をおこしている。正確には“分封(ぶんぽう)”と呼ぶらしい巣別れの季節に突入し、黒く大きな熊蜂が家の周りのあちらこちらで盛んに飛び回っているからだ。軒下など厄介な場処に営巣されて大騒ぎしないで済むよう、蚊取り線香を数箇所でいっせいに焚きつける。おまえと俺とは共棲出来ぬぞ、どうかほかの地を当たってくれ、と牽制する目的である。

 何故マッチかと言えば煙草を嗜(たしな)まないからで、本式のライターをこれまで一度も買ったことがない。至極美味しいと思うし煙たいとも思わないけれど、綺麗に格好よく吸う自信がない。『死んでもいい』(1992)の室田日出男の台詞に強く感化され、宴席に臨む際には百円ライターをポケットに忍ばせることが長く続いたものだったが、近頃は禁煙がすっかり浸透してしまい着火音はついぞ聞かれないから、これを引き潮と携帯しなくなって久しい。十年程前、つき合いのある銀行から(おそらくは似たような事情から役目を終えたらしい)行名入りの広告マッチ(三角形の箱に入った)を山ほどもらい、それが台所の棚の上に溜まっている。こういう時でないと使えないから半ば無理矢理、馬鹿みたいに必死こいて擦るはめになる。

 夕暮れて蜂はどこかに隠れてしまっても、まだ線香がいくらか残っている。屋外であるからどこかに風で飛ばされても怖いので、舗装された地面や敷石にこすったり、短くへし折ったりして始末しなければならぬ。そんな折に薄闇の奥でぼうっと息づいている赤い塊(かたまり)を見て、実にうつくしいと思う。日本的な情緒がこもった壮絶な、けれどささやかな妖しさに見惚れてしばし時を忘れてしまう。白く筋を作って天へ昇る煙の、粉っぽい香りもまた仄かな寂しさを誘って嬉しいし、何よりも点火の際に鼻を衝(つ)いて来る二酸化硫黄が妙にこころに刺さって消えない。生きていることの実感をもたらしてくれる刺激臭で、かけがえのない一瞬、と言えば言い過ぎだろうか。

 いくつもの香りを鼻腔に感じ取りながら、思い出す映画がある。先日、古いフランスの作品(*1)を観ていて、臭覚にまつわる印象的な描写があり、これは敵わないなと感心させられたのだった。ひとりの若者が子供の専属教師として裕福な家庭に雇われる。19世紀の厳格な階級社会を背景とした世に知られた物語であり、いかめしい顔付きの主人はおずおずとして突っ立ち分不相応の場処に顔を突っ込んだ感のある田舎者の全身を、舐め回すようにまず見やるのだった。

 このジュリアンという青年をさらりとした美丈夫の、当時の伊達役者ジェラール・フィリップが演じている。知らず心を浮き立たせる陽性の風情を具(そな)え、同性の目から見ても涼やかで思わず破顔を禁じ得ない。物語中においても若者は主人の信頼をまたたく間に勝ち取ってしまうのだった。隣に置いてもまったく恥ずかしくないし、むしろ雇い主としても鼻が高く、自分の評判もきっと上がるに違いない、そう思ったらしい主人はこの青年の胸の奥に巣食っている野心や肉欲の萌芽を透かし見ることなく、美しい妻ルイーズにその処遇を託してしまう。物語は無遠慮かつ自信に満ち溢れた若者のまなざしと声にほだされ、やがて情念の虜となって常軌を逸していく人妻のそんな物狂おしい日々を主軸に進んでいくのだけど、私がひどく感心してしまったのは愛憎渦巻く本筋の方ではなくって、上の導入部に連なるちょっとした主役の演技であった。

 粗末な使用人部屋へと案内した主人は夕食の席ではしっかり正装するよう堅く若者に言い添えながら、彼が持参したほんの僅かの手荷物の量からすばやく状況を汲み取り、自分の使い古した上着を放るとこれを着るように命じている。ひとり室内に残されたジェラールはそのコートをつまみ上げると匂いを嗅ぐのだった。それもわざわざ袖口を持ち上げ、腋のへこんだ部位をぺろんと露わにしてから鼻を寄せ、中年男の残臭を確認する周到さである。原作には同様の描写は見当たらないので、これは演出家か役者の発案だろう。わたし自身、汗腺の発達なのか名残りなのか分からぬが腋窩(えきわ)に薄っすらと香るものを持っている。人様に迷惑を及ぼす程のものでない幽かなものだけれど、礼儀として湯浴みの際には意識して洗い、剃毛(ていもう)を心掛け、効果てきめんの薬用クリームを擦りこむ日々であったりするから、ジェラール・フィリップの余りにも露骨な演技にひどく仰天して本能的に慄(おのの)いたというのが実情である。しかし、それをさて置いても凄い場面、力強い描写と思う。

 暮らしを営む上で繰り返し来訪する“匂い”には数限りない種類が有って、その不意の挨拶に驚き、そのたびに喜んでみたり困惑したりで大なり小なりの感動を覚えるものだ。冬の襲来時に雑じってくる枯れ野の香ばしさ、氷柱(つらら)や新雪を口に含んだときの埃(ほこり)っぽい微香、春の幕開けを飾る甘く重たい土の臭い。夏草を踏みしだく際に湧き立ち鼻腔を撫ぜる青臭さと腐葉土の混然となった香り。つるべ落としの赤い夕陽をまたいで漂着するどこかの焚き火のつんとした焦げ臭。古い本の薫り、インクの匂い、それに様々な料理の匂い──。排気ガスの臭い、塗ったばかりのペンキの匂い、垣根越しに伝わる庭木の花の香り──。膨大な匂いが群れ飛び、駆け巡るその中で、何より強く印象を刻み、忘却の淵に追い落とすことが出来ないのが“ひとの匂い”であるように思う。例えば赤ん坊の頭皮の甘酸っぱい香りや、一段と体調を崩して見える病人のその口から吹き寄せる息の臭いというものは、その時どきの生命力の増減や魂の弾み具合を如実に示していて、私たちを深い思索や感情の波濤へと誘うことになる。赤ん坊の吐いたもの、病人の吐いたものがもたらす臭いも同様に鋭い切り口を記憶に刻んでいき、私たちをひどく翻弄するし消耗もさせる。

 映像なり絵を駆って観客や読み手のこころの奥底に突入を図る娯楽芸術にあっては、なかなかこの“ひとの匂い”までを取り上げることはしない。受け手それぞれが懐に置く記憶と嗜好が邪魔をするためで、(放屁、糞便、げっぷといった)悪臭ならば割合と可能だが、“好ましいもの、馴染むもの”を効果的に挿入するのは難しい。ひと口に好い匂いと言ったところで万人の脳裡に同じ印象なり感慨を組み立てるのは困難であり、ドラマの継ぎ穂としては起動させにくい。読み手のこころをせっかく上手く束ねたのに、“好い匂い”ってどんなだろう、あんな匂いか、こんな香りかと自問自答させて、劇に集中していた意識を緩ませてはまずいのだろう。

 しかし、人間と人間が出逢い、四つに組んで激情の化学反応を起こす様々な現場にあって、向き合う対象にぎりぎりまで肉薄する際の要(かなめ)となることのひとつが“匂い”であることは間違いなかろう。言葉なき古(いにしえ)の時代、まなざしや表情と同等に“嗅覚に訴える情報”がコミュニケートに欠かせなかったわけだが、まなざしや表情が現代の人間のこころを揺らす手段、役回りとして十分に有効であるならば、対する“ひとの匂い”もまた人間を描く現場にて取り上げるに値するはず。

 そんな風なことを日頃からつらつら考えている私は、先に書いたフランス映画の狐臭(わきが)をめぐる描写に心底たまげた訳なのだった。嗅ぐ方の若者も嗅がれる側の成熟した男も、これを起点としてにわかに人間味を増して見える。名誉や財産、異性に餓え狂う生々しい内実を一気に立ち上げ、悩める私たちと併行する存在になっていく。その起爆剤が、古いコートに定着した“ひとの匂い”であったように思う。

 六十年近く前に作られていながら人間を劇中に引き入れる手管に長じていて、これは敵わないなと心底思う。映画『赤と黒 Le Rouge et le Noir』に恐れ入るのではなく、海の向うに堆積なった文化とそこに育った洞察力、観察力に唸らざるを得ない。人という存在が各々抱える胸の奥の洞窟とそこに吹き渡る風に肉迫するには、ここまで五感を駆使し、四方八方から刺激してやらねばならないのであって、美粧や麗句といった表層の綺麗ごとに甘んじてはおられないのだ、人間を描くことは化けの皮を剥ぐことじゃないか、と真顔で告げられているように感じる。

 さて、石井隆もまた、嗅覚も動員して物語をつむぐことに長けた作家である。【白い染み】(1976)、【初めての夜】(1976)、【白い反撥】(1977)、【オナニーのいる部屋】(1983)といった先行する劇画作品があり、その後『ヌードの夜』(1993)へと行き着く。罠にかけられた紅次郎(竹中直人)がホテルルームに漂う名美(余貴美子)の幽かな残り香を嗅いだ途端、恐慌から立ち直って後始末の代行をそそくさと始めるといった愛嬌のあるくだりが中盤あって、いまだ我らの記憶に鮮やかである。その随分と唐突に感じられるおんなの残り香の出現というのは、さりげない描写で誰からも見逃されてしまいそうなのだけど、その実、劇の展開にとっても紅次郎こと村木哲郎の“生”の転回にとっても極めて大事な素因であった。(*2)

 人間というものが“ひとの匂い”に追いすがって歩む存在であり、そのような始原的とも言える、嗅ぐ、嗅がれるといった諸相を無視しては感情なり魂の真っ芯に触れることは出来ないのではあるまいか、少なくとも“匂い”とは作劇の上で埋めるべき外堀のひとつではないか──と石井から囁かれているように思う。

 ヨーロッパや最近のアメリカ映画には、この手の五感を駆使した(つまりは官能的な)描写を通じて人間に肉薄する描写が目立つ。突出したものではないが、あえかでやるせない風情が訥々(とつとつ)と粘り強く語られていくところがあって、やがて観客の胸のなかは共感なり理解で隙間なく満満としてしまい、不覚にも泣かせられてしまう仕組みである。本当に怖ろしく綿密なレベルに欧米の映画は至りつつある。

 石井の映画が日本以上に欧州で認められるのは、だから、何も性描写が過激とかガンアクションに長じているからというのではなく、この繊細で手を抜かない五感の描写に観る人間が正直に、自然に反応しているからなのだろう。全体的に表層や台詞に頼りがちですっかり水をあけられた感のある日本の映画界にとって、石井隆はまだまだ貴重な描き手と思う。そろそろ再始動してくれないかと、じれったい思いが増す毎日だ。

(*1):Le Rouge et le Noir   監督 クロード・オータン=ララ  1954
(*2): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1029137620&owner_id=3993869
上の画像は【オナニーのいる部屋】から。煽情目的の誇張された“記号”ではない、生きた人間が描かれている。このような穏やかな目線に包み込まれたリアルこの上ない人物造形が何十何百も石井世界の土台にあればこそ、それに連なる映画は大いに血流をたぎらせ、脈打ち、時代を越えて観客を魅了するのだ。

2012年4月15日日曜日

“その夜は忘れない”

 


 私の住まう町は列島の東に位置しており、大したものもない代わり恥じ入らねばならぬものもない。むしろ都市化が遅れて未開拓となった自然なり、灌漑用に斜面を駆け下りていく水の流れを内心誇らしく思うところがあった。都会暮らしの友人が訪ね来た際には、点々と残る茅葺(かやぶき)民家を野趣あふれる掛け軸のように見せて歩き、目前に迫る樹林を金屏風に見立てて楽しんでもらい、相応に相手も喜んでくれたものだった。

 昨年のあの事故以来、こうはいかない。悔しいかな航空機による測定図でも、また、火山学の専門家の作成した資料においてもそうなのだが、薄っすらと色付けされた区域に町は含まれてしまった。風景はたちまち精彩を失って感ぜられ、どうかすると山の木立が獄舎の黒い鉄格子にさえ見え始める。自由をとことん奪って蛇の生殺しを決め込む鬼のような典獄(てんごく)が四方八方から見下ろすようにも感じて、やり場のない怨憎(おんぞう)が湧いて仕方がない。もはや豊潤とも呼べず、清澄かどうかもなにやら疑わしい山河である。事態の真の顔はきっとこの先、目に見える悲劇や苦難となって波状的に現われ、身近な社会と生活を脅かし続けると臆病な私は考えていて、心底怯えて暮らしている。

 そのような沈鬱な日常にあるのだけれど、反面、新たな境地に手が届いたような、ひとり頷いてしまう瞬間もあるのが有り難く感じてもいる。仕事柄世界を駆け回ることもなく狭隘(きょうあい)なこの土地とそこで成り立つ閉鎖的な社会で淡々と生きてきた自分にとって、事故がもたらした心境の変化は大きく、まったく自分でも驚かされる毎日だ。私に限らず多くの人にあったはずの変化(覚醒と呼んでもいい)のひとつは、“距離感の組み換え”であろう。普段は隣町の出来事すら見当が付かず、また気にもせず、2キロメートルも歩けば随分遠くまで来たものだと汗をぬぐったものだけど、津波を筆頭とする震災の諸相は私たちの距離感をまるで変えてしまった。

 被災した現場に足を運んでみると、海辺とは到底呼べぬ内陸部にレジャーボートや漁具が転がっていたりして、私たちの内部にあった尺度がまるで役立たないことを思い知らされる。黒く巨大な波は疲労を知らぬ飢えた群狼のごとく、車の数倍も速く駆け廻って家屋を押し流し、人を容赦なく喰らい続けたし、忌まわしき雲は楽々と河川と山稜を乗り越え、外来語だらけの猛毒の粉塵で大地を侵したのだった。一方、子を思う母親は鞄ひとつの軽装で小さな掌を懸命に引っ張り、鉄路や空路を接(つ)いで雲の襲来から逃れた。したがう子供たちも唇を噛み、小さな胸を痛めながらもそれによく耐えて、これまでになかった大跳躍を成し遂げた。押し寄せる物、逃げる者の双方がこれまで積み上げてきた距離感を完全に覆して、東日本の人のこころを作る常識の網に裂け目を入れた。

 距離以外にも意識の変化があって、これまでは回避していた場所や事柄について自然と歩み寄るところがあるから、ほんとうに人のこころは不思議と思うのだった。これから一本の映画に触れようと思うが、題名は『その夜(よ)は忘れない』といい、監督は吉村公三郎(よしむらこうざぶろう)で1962年9月に公開された作品である。最近DVDを入手して観たばかりなのだが、実は震災前には気乗りしないところがあって長らく宙ぶらりんとなっていた。

 主役は若尾文子である。何年も前になるが、最初にそのスチール写真を見つけて強く惹かれたのだった。直ぐに石井の劇画【赤い眩暈】(1980)の冒頭のおんなの顔が目に浮かび、両者は確かに繋がっているように感じた。石井の劇画には映画のスチール写真をそっと忍び込ませて、劇画空間に映画のダイナミズムと俳優たちの感情のうねりを移植しようとする試み(*1)が観止められ、間違いなくそれの一つに思えたし、若尾文子は石井の口から幾度も語られる銀幕のミューズのひとりでもある。確率的には高い話と思えた。

 けれど、検索して調べれば『その夜は忘れない』とは、広島の過去を題材とした話である。米軍による原子爆弾投下の事実はどうにも重く、また、映画を生業(なりわい)としない私の作品観賞の姿勢はどこまでも甘いのであって、私はこれを意識的に避け続けた。実際に探し出して観ることに腰が引けてしまったのだった。惨禍を目撃した年輩の知人から話を聞いたこともある。その時は胸痛め、身を乗り出して聞いたのだったが、今にして見れば他人事の域を越えはしなかった。若尾のスチールが本当に石井の描く名美の下地になっていたかの検証も、だから何となく向うに追いやってしまい、気にはしつつも遠巻きにして過ごしたのだった。

 そんな時にあの地震であり爆発である。あれから一年を経て潜在する脅威をすこしだけ冷静に意識し身構えるだけの余裕と、我が事と観念する気持ちのようよう固まったこともあり、距離の尺度は縮まって列島の西に位置し、海に面したふたつの街が今ではとても近い。本当に、そこに生きる人たちの日常の姿にどれだけ勇気付けられるかわからない。もっと近寄りたいとも願うし、教わりたいと思い、知りたいとも感じる。この五十年程前の映画を入手して観るための環境がようやく整ったのを実感する。買い求めて、その訴えを聞き漏らすまい、見逃すまいと真摯に観賞したのだった。

 随分と遠回りしたが、結論は添付画像を見ての通りだ。若尾文子の顔と石井の描くおんなの顔は写し絵となっていない。顎の線、髪の毛の流れ、唇などに明確な相似は認められない。私の思い違いであった。雑誌編集記者(田宮二郎)の面立ちと女性たちの“その後”を探して歩く展開は石井の『天使のはらわた 名美』(監督田中登 1979)と通底するものがあるし、團伊玖磨の書くタイトル曲に『GONIN』(1995)の劇伴とよく似た旋律を聞くようにも思うが、いずれも幻視幻聴の類いだろう。話はこれでおしまいである。

 何だよ、勘違いかよ。妄想にずるずる付き合わされて迷惑千万な話だよ、とのお怒りはごもっともだ。私にとって石井隆とは、新たなる地平を得るための斜面のような存在になっている。あらゆる事象と石井隆の作品群とを結びながら思案を深める長い旅となっていて、本日打ち明けたように空振りに終わることも実は多々ある。結果はどうあれ、そのようにして登った傾斜の果てに深い知識と物の捉え方がだんだんと育っていき、ほんの僅かながらも成長に繋がっている。

 これは大袈裟でなく実際そうだ。今回の映画にしてもそうで、石井隆がいなければ連想と連結もなく、わたしはこの映画を終ぞ観なかったかもしれない。私の奥に新たな、まばゆい灯火となって揺らめいているのは嬉しいことだ。これからも、元気を出して急斜面を登って行こうと思っている。

(*1):石井作品には絵画の移植も多く見られる。




2012年4月10日火曜日

“見ないこと、見せないこと”




石井の劇に向けてウェブ上で繰り返される寸評に、かならずと言って良いほど現われる括り方がある。曰く、石井隆の作品の主人公は決まって名美と村木という名前(*1)で、最後どちらかが死んでしまう、どうにも救いようのない話ばかり、という表現である。そう言われれば『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)や『ヌードの夜』(1993)といったタイトルが即座に、それも幾つも思い浮かんでしまうから、この括りはややもすれば石井作品の心象を固定化しかねない勢いを持つ。嘘ではないけれど、言葉はひどく足りない。だいたい“救いようのない”と言うところの“救い”とは何だろう。何をもって“救われた”と言うのだろう。

散華する恋人たちの姿は石井作品の花であり、月であり、美酒であろうけれど、その裏側には濡れた土くれがあるのだし、天空には幽かな光を放つ昏い星が潜み、涙のみが希釈し得る濁り酒とて準備されている。“見ること、見られること”の至福の陰で、“見ない、見せない”ことを自らに強いた孤影が輪郭をまざまざと刻んでいくのであって、そこでは誰も最後まで死ななかったりする。死んでしまわないからこそ、どうにも救いようのない様相を呈していて、私のような天邪鬼はどちらかと言えばこの方に惹かれるところがある。石井隆の真価というものは、この暗い局面にこそ宿っているように感じてもいる。

 『天使のはらわた 赤い教室』(監督曾根中生 1979)や『ラブホテル』(監督相米慎二 1985)の流れであり、なるほど映画でいえば数はまばらである。されど、当初石井が青年誌で描いて来た劇画というのはどちらかと言えばこの手の寂然とした作品が多いのであって、全体を通じての水量として見劣りするものでは決してないのだ。傍流というのではなく、むしろ底流というか、無尽蔵の地下水脈とでも呼べるだろうか。前に取り上げたロマンティークな作品群は石井世界という大河にとっては、もしかしたら限られた“上澄み”と呼べる部分かもしれぬ。

劇画の話が通じるひとは限られようから、仔細を縷縷(るる)並べるつもりはない。題名のみを列記するならば【おんなの顔】(1976)や【夜にアイ・ラブ・ユー】(1979)などがその代表格となる。粘つく体液に濡れ浸り、肌をこすって紅々と染めながら真っしぐらに重なり合う身体と身体であるのに、ここでの名美たち、村木たちは真正面から向き合うことを巧妙に避けており、まなざしの交差はご丁寧にも鏡やカメラのファインダー、ブラウン管越しと決めている。まるでゴルゴーンに立ち向かうペルセウスさながらに、とことん“見ない”よう努めているのであって、そこには石井らしい“不自然さ”が際立っている。まぐわう相手が開放されていく様を冷淡に眺めてみたり、はたまた深慮が過ぎて己の真意なり期待を相手に“見せる”機会を逸してしまう。自然と会話はぶつ切れとなるし、相互介入を拒絶してしまうから、煩悶は発熱したまま男なりおんなの内部に湯気立てて幽閉されたままとなる。安らぎもなく穏やかさも生れず、当然ながら救われる瞬間も終ぞめぐり来ない。

私たちの日常にありがちな薄暗がりに、これら作品群はぽつねんと置かれている。閉塞感、手詰まり感が充満し、沈鬱としか言いようがない。恋情なり性愛なりを扱っていながら、夢や希望という言葉とは程遠い膠着ばかりが目に止まり、時折風が吹き荒れては鎌鼬(かまいたち)並のざっくりした切り口を穿っていく。その酷薄さというか、奈落めいた闇穴こそが石井世界という井泉(せいせん)の湧き出す場処になっているように思う。『GONIN』(1995)や『黒の天使 Vol.1』(1998)といった絢爛豪華な美粧にほだされ、もっと活劇を、もっと絵物語をと待ち望んで地上から覗く私たちが目にするのは、水鏡(みずかがみ)に映じた私たち自身の惑い乱れる姿である。黒々としてそら恐ろしく、触れれば身を切るように冷たい。けれど、慣れてくれば肌に馴染んで、むしろ和むものがある。娯楽活劇の演出術も石井は一級の腕前なれど、この等身大で描かれた心理劇は不思議と年を追うごとに水嵩(みずかさ)を増えて見えて、読めども尽きぬ無限の感を抱く。

“見る、見られる”そして“見ない、見せない”という動作のひとつひとつに思い入れるものがどれ程大きく、その為に石井の作劇上の“かたち”がどれ程左右され変形していくかを例示しようとするならば、傑作として世に知られる【水銀灯】(1976)のラストショットを引くのが適当だろう。恋着の終焉に派生してしまう男女の愁嘆場を克明に描いた短編で、舞台は団地に付随した夜の児童公園である。ブランコを揺らす男はおんなの悲壮な“まなざし”に知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるから、“両者の視線は最初から噛み合わない”。

おんなは準備してきた包丁を取り出すと、矢庭にその光る刃先を自らの腹に突き立てていくのだった。痛みと失血に蒼白な面持ちとなりながら恋醒めを嘆き、男の不人情を責めるのだったが、やがて膝折れ前に傾いで、半身は地面へ向かって一気に崩れる。片手は下着をむずと摑んで引き下ろし、もう一方は包丁の柄の部分を強く握ったままであるから、おんなの体重は右脚の膝小僧とかろうじて大地を踏んだままの左足裏と、今や完全に逆立ちとなった頭頂部の三点のみで支えられている。一見すれば石井フリーズが起きているようにも窺えるコマであるけれど、対する男は恐怖に歪んだ口元を顔に貼り付かせたままブランコを漕ぎ続けているのであるから、この奇怪な三点倒立はしばらく続いたと読み解くのが妥当だろう。

頭を疑われそうだが、この一連の動作を実際に(屋内で普段着による)再現してみた。名美と呼ばれるおんなの体躯と私のそれとはまるで違っているし、体重だって倍も違うように思えるから言い切って良いか分からないけれど、この姿勢を維持することは相当に難しい。リゾートホテルの部屋に据えられバネのよく利くキングサイズのベッドでならまだしも、小石散らばる未舗装面で長々と続けられる恰好ではない。数秒で頭頂部は痛み出し、膝は笑い始める。つまり、このとき瀕死の体にある土屋名美は石井の劇空間らしい“不自然さ”の只中に在るのであって、「ああっ」と表面上はうめくばかりでありながら、実際は私たち読者に向けて盛んに何事かを囁く“多弁な段階”に踏み入っている。

肝をつぶした男はこれまでと打って変わり、惑いや嫌悪の“視線”をおんなに向けて大量に注いでいくのであるが、これに対しておんなは背を丸めて頭を地に付けてしまい、顔面は男のいる側とはすっかり反対向きに転じている。噴いて溢れる鮮血の、長々と糸引き落ちるその量は刻一刻と増えて止まる気配なく、おんなの意識が程なく溶暗するのはもはや避けがたい。眉根から力の抜け落ち、薄っすらと夜陰に染まって見える面に、まぶた二つが逆さまになって並んでいる。この後、おんなは霞んだ半眼となり、白い目を剥き出しにして醜い断末魔の形相を世界に向けたものだったか。

穏やかさをより増して、むしろ美しい顔立ちへと作者によって粧飾されたおんなの顔がそこにはあり、目はしっかりと意識的に閉じられている。男の目線とすれ違うように反対を向き、堅く目を瞑る──。明らかに“見ること、見られること”を拒絶せんとする覚悟や諦観が示されている。

ハイパーリアリズムの騎手と言われた石井隆の劇画は、現実にありそうな背景に現実にいそうな人物を置いていると見られがちだけれど、この【水銀灯】のラストシーケンスが語っているように、あり得ない姿勢や起こし得ない動作、内実を極端に増幅させた表情やまなざし、その逆に隠蔽された面貌なり目線に画面は溢れ返っていて、実は絵画や彫刻にこそ通底している。多重多層の視座が準備されており、見つめれば見つめるだけ爛々(らんらん)と反射して返されるものが多く有るのであって、まったく油断ならない相手と思う。

【水銀灯】の解釈は最終的に読み手それぞれに任せられる。うねって苦しい道程に時折訪れてしまう分岐点、そこでの大人としての心得を石井の【水銀灯】は指南しているように私には見える。未来を憂い、孤絶なることに怯えて人はついつい夢にすがり、優しさに餓(かつ)えて“見る、見られる”相手を探し求めるのだけれど、その恋情なり友愛の終着においては誰もが依存や隷属を立ち切ってひたすら内観を深め、“見ない、見せない”者としておごそかに自立していく──。

驚かされるのは、このような達観した作品を三十そこそこで石井は描いていたという事実であり、それより遥かに高い年齢となってしまった私みたいな輩が再読のたびにしみじみと頷いたりするのは、こちらが相当の晩熟(おくて)であるせいなのか、石井がずば抜けて老成していたのか。よく分からないが、多分そのどちらも当たっている。石井の劇が放つ光は時代を楽々と跨いで、その時代、その時々の迷い人のこころに沁み入り、慰撫する力を発揮しているのは間違いない。

人であれ物(小説や映画、漫画といったもの)であれ、出逢いというものが担う意味なり役割は本当に死ぬ寸前まで分からないということに、ようやく気付いたところだ。これを機会にもう一度、石井の劇画作品を丹念に読み返したいと思う。


(*1):実際は違うように思うのだけど、石井のインタビュウには「スター・システム」を肯定するような発言もあって何とも複雑である。

“見ること、見られること”



 時満ちて三叉路へと至った恋情なり友愛にあって大概の者は、別涙に暮れ、慙悔(ざんかい)にまみれて濡れそぼち、また、足元はすっかり揺らいで膝折ることとなる。

 同じ陽射しに肌を焼き、夜ともなれば月の光を湯浴みするように受け止める。肩並べて銀幕を眺めては微笑み、頁を繰って意見を交わす──そんなささやかな安らぎがことごとく失われ、茫洋とした空隙にすり替わっていく。おのれを軸心にして放射状に広がっていく真空のごとき喪失感は気持ちの不燃を招き、いら立ちばかりが陽炎のように立ち踊る。鈍痛が胃の腑なり胸底なり、さらには四肢にも襲いかかる。時にひどく疼きもして、想いの暴走するさまにたじろぐ。それはやはり物淋しい、遣る瀬ない環境の段差である。当たり前と言えば当たり前の事だけど、幾つになっても岐路に佇むことは骨身に堪える。大なり小なり私たちは消耗する。凡庸な人生を歩んでしまい、それほど経験値の高くない者なら尚更にきついものが訪れる。

 生きるということは、聴く、嗅ぐ、触れる、食べるといった五感を総動員して「記憶」という題名のフィルムをリールに巻く行為に等しい。豊潤なるピアノの音色、体臭や化粧品の脳幹を鞭打つ香り、手のひらを経ておごそかに交感していく体温、繊細さと大胆さを重ねて口腔を圧倒する料理の数々や甘露と砕氷入り乱れて馥郁たるカクテルといったものは克明に記憶され、私たちを延延と捕縛していく。なかでも“見る”という行為が占める割合はとてつもなく巨大であって、隣接する他の官能たちが秘儀や禁じ手を尽くしてもなかなか勝負にならない。“見る、見られる”ことの勢いが減じ、ことによっては断絶に至ることは目を持つ誰しもが避けようのない宿命であろうにしても、そこには幻肢痛に似た腹立たしさ、悔しさが渦巻くものだし、いくら理詰めで事態を捉えようとしてみても、大抵気持ちは治まらない。

 “見る、見られる”ことの愉悦が置き土産とする残像は網膜にいよいよ根張ってしまい、日々の暮らしを浸食していく。面影は狂人の視る白昼夢さながら周囲を浮遊し、そうそう消え去ってはくれない。

 作劇上、“見る、見られる”ことが別離の段で大いに誇張されるのはだから道理であって、わたしたちを取り巻く古今東西の物語空間で組み込まれ、星の数ほども提示されている。石井隆の創造するドラマ群、いわゆる「石井世界」においても例外ではない。ただ、人がひとに想いを馳せる心の旅路の、その終幕を飾る“見る、見られる”は、石井世界においては“不自然さ”を匂わすほどの硬度や純度をもって突出して来るのであって、この事は作品の相観や神髄を語る上で無視できないテーマと思う。

 劇画【天使のはらわた】(1978-79)および【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979)の登場以来、細部の変相はあれ“馴染んだ形”が石井世界には有って、多くの作品の終盤を盛り立てている。すなわち、寄る辺なき二つの魂が縁あって出逢ってしまい悶着を重ねて蛇行する。幕引き寸前になってようやく間近から、真正面から互いを“見ること、見られること”を成し遂げ、刹那はげしい昂揚と生の実感を手中にする、という形である。『天使のはらわた 赤い淫画』(監督池田敏春 1981)、【雨の慕情】(1988)、『ガッデム!!』(監督神野太 1991)、『死んでもいい』(1992)、『ヌードの夜』(1993)、『夜がまた来る』(1994)、最近では『花と蛇 パリ/静子』(2005)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)等がその流れに組みしよう。

 私見ではあるけれど、たとえ数ミリメートルの至近距離にあったにしても、また、瞬きもせずいくら時間をかけて両の瞳を熱心に覗き込んだとて、相手の全てを見取ることなど本当のところ出来はしない。虹彩の妖しさ、美しさのその奥にある望みや歓び、苦渋や哀憐をくまなく読み取ったつもりでいても大概は自己満足に過ぎないし、夢想の域を出ないことが多い。籠にくるまれた鳥のように、造作なく、されど至極大切に抱きかかえることが可能な親密な間柄であっても、向こうもこちらも懐に育むのは広大無辺の内宇宙である。か細く、儚い生き物とその触感に導かれるまま判断するのは早計であって、秘めたる力は存外強く、風を読み、大海を渡る膂力(りょりょく)とて具えるかもしれない。そうそう簡単にひとが人という存在の総体を受け止め切れるものではない。視線をからめただけで理解し得たと感じるのは、慢心というものだ。

 会話の堆積と精神面に喰い込む(制限時間のない拳闘にも似た、一種血みどろの)同居しか真に融合するための方策はないのであって、それの迂回なり敬遠をもって万一恋路(こうじ)に臨めば、束の間の共振なり舞踏は可能であっても“番(つが)うこと”は永劫に困難と思う。もちろんそんな事は石井とて充分に体得しているはずなのだが、生来のサービス精神の発露なのか、ロマンティークな北国生れの血によるのか、それともしたたかなサバイバーとしての戦術の一端なのか判らぬが、先にあげたような全能たる瞬間、“見る、見られる”ことを通じての甘酸っぱい至福の一瞬がわたしたちに向けて絶えず示される。

 さながら“壮大な思い違い”、“絶望的な迂闊さ”とでも呼べるかもしれない(*1)曖昧で不思議なものに導かれ、“見ること、見られること”に酩酊し、互いをもはや分かち難い相手と信じ込んでいく名美たち、村木たちがいる。承知の通り、その時、一方の肉体は銃弾か刃物といった類いでひどく傷付けられており、祈りは届かず事切れて視界は暗転(=フリーズ)、両者の幸福な時間はたちまち霧散していくのだった───恋の焔に束の間の暖を取る者に対し、背後から石井はそっと忍び寄るのである。脳天めがけて弾丸を撃ち込んだり、刃物を振り下ろして暗転(=フリーズ)に至らしめる訳なのだが、この唐突な結末の意味するものは一体全体何だろうと思う。

 紅涙を絞らせ、読み手内部のカタルシスを完遂へと追い込むプロフェッショナルの手管かもしれず、はたまた世間に伝えて憚らぬ生粋のペシミストとしての矜持の顕われかもしれず、想うところは色々である。

 『花と蛇』(2004)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の劇中で起動し、性差別と暴力にさいなまれた主人公を“緊急避難”させた狂気に倣って考えるのが、今の私にはいちばんと身に添うて心地好いところがある。どうしようもない延焼というものが人生には時折起こる。“石井フリーズ”とは、そんな荒ぶる力に主導権を握られ、まず足をやられ、次に目を曇らせ、闇雲に歩を進めて世間との絆を断ち切り、孤立を深め自壊し溺れ果てていく運命の汀に至った恋人たちに作者から贈られた、もしかしたら“安楽死”に他ならないのではないか。

 これ以上高空へとリフトするのが難しいと判断し、幸せの只中において暗転(=フリーズ)した方がよい、それも神より託された“生きるということ”の貫徹なった姿であろうとの“救いの意志”が働いた、一種の「無理心中」が延々と繰り広げられている可能性を幽かに想う。

 そうあればどれほど良いか、どれほど嬉しかったかと春風に鈍った頭で我が若き日を振り返って考えもする。あの時その時の名美たち、村木たちにすれば作者に討たれて本望であったかもしれぬ、ようやっと救われた、そんな心地だったかもしれぬ。煌々たる満月の夜空に翼広げるものを目で追いながら、そんな埒もない夢想に耽っている。

(*1):そうとばかりも言い切れない出逢いもある。

2012年3月18日日曜日

“Scintillating scotoma”



 視界(ここでは知識の範囲、奥行きといったことでなく、実際この瞬間に瞳に映るもの)をひどく歪ませ、向き合う同僚の顔をどろどろに溶かして一ツ目入道に変えてしまう、そんな異常が起きたことを以前書いた。

 医者からは十分な説明をもらえなかったものだから、不安を拭えないままでずっといたのだけれど、ウェブというのはつくづく有り難い、別件で検索を重ねるうちに偶然にもその正体に行き着いた。いやいや、発症の原因がよく分かってはおらないというから、“正体を見た”というのは当らない。名前のあるもの、つまり珍しくないものであって、さしあたり慌てるまでもないと判っただけだ。それでも随分と気持ちは軽くなって、こんな風に皆に告白なぞしてしまっている。

 あのとき私を襲ったのは、どうやら“閃輝暗点(せんきあんてん)”Scintillating scotomaと呼ばれる現象らしい。虹色の結晶風のものが宵の明星よろしく最初はぽつんと点になって現われ、やがて厳冬期の車のフロントガラスがじわりじわりと氷結していくように、大きく育って視界を侵食していく。最後はエルンスト・ハースErnst Haasの撮ったオイル染みのような影が立ち塞がるのだが、眼球面のカーブと関わるものか、直線でなく蛇がのたうつように、はたまた渦を巻くように当初連なっていく。それは人によっては(作家の芥川龍之介なのだけど)歯車の次々と浮かんでは繋がっていく奇怪な姿を連想させるようだ。薄べったい雲母の、日光に照らされて七色に映えるがごとき“鮮明な幻(まぼろし)”の背後には、現実の光と影が控えている。湾曲してみたり白く霞んでしまうものだから、仕事や家事に当然ながら支障が出る。歩行しにくい、運転出来ないというのが第一に困った話だし、やはり怖いし心細い。視界が狂うと頭が半分眠ったようになり、他愛もない会話すら儘(まま)ならなくなる。

 課題の山積なって忙殺されることが引き金になるという指摘もある。つまり厄介な時期を選んでわざわざ出現するのが、この“閃輝暗点(せんきあんてん)”という訳だ。そうでなくとも疲労困憊(こんぱい)気味であるのになぜこんな時に、こんな状況でとひどく当惑する。何もかも放り投げて逃げ出したくなる。子供のように床に転がり、もう好きにしたら良いさ、と駄々をこねたくなる。

 けれど、今になって冷静に振り返れば、ひどい怖れと焦燥のある反面、昔なつかしい万華鏡を覗いているような、どこか愉快な気持ちも味わったように思う。破砕なったプリズムが目の前にぱらぱら散って乱反射するような、表現しにくい独特の妖しさが(まさしく眼前にて)広がっていて、喜びなり楽しさに直結する部分も確かにあるのだった。実際“Scintillating scotoma”で画像検索してもらえば分かるのだが、絵心のある人は画布やモニター上に嬉々として再現し、多くのひとにその景色を共有してもらいたいと強く願うのである。うつくしく、興味深い風景がたくさん並んでいる。墨汁を塗りたくるようにして視界が徐々に狭まり、光が失われていくのではなくって、何か奇妙なものを“見た”感覚が残ってしまうから、それが熱烈な“目撃談義”や絵画での再現に繋がっているのだろう。著名な作家と同じものを“見れた”、あれは儲け物だったかもしれぬと内心喜んでいるところが私にだってある。終わってみればそんな呑気なことも言えてしまう、病気とは到底呼べぬ代物である。

 さて、この一件を通して学んだのは、“見る”という行為の怪しさと愉悦である。“見たこと”は瞬く間に肉体の奥深い場処に収納され、扉は堅く閉ざしてしまうから、他人の“見たこと”と己の体験とは正確な意味において比較の仕様がない。映画や絵画はある程度は再現性を具えているけれどが、同じ場所に並び佇んで同じものを眺めていても、角度も光も、眼球に据えられた水晶体の濁りもまちまちだから微妙に違ってしまう。現実世界で“見る”ということは、だから唯一無二のもの、宇宙にひとつだけの煌(きら)めきなのであって、そう意識すればいつもの風景が急に愛しいものと感じられるし、明度をぱっと上げるようである。

 この世に存在しないと言われるもの(例えば一ツ目入道)だって、ありありと“見える”ことが現にある訳だから、世にリアルと呼ばれるものにしてもどこか段差なり変調があって当然、どころか相当に怪しげなところが混在しているのじゃないか、という疑念をいまは抱く。

 個々の隙間に忍び込む、この“見るという行為のずれ”について石井隆という作家は、かなり意識して作品のなかに取り入れて来たように思う。たとえば、『ヌードの夜 人が人を愛することのどうしようもなさ』(2010)の終盤、れん(佐藤寛子)という名のおんなが目撃してしまう“なんか”が直ぐに思い浮かぶ。すれすれの河岸で生きてきた哀れな魂の、終(つい)に渡河に至った道程を幻視なり幻聴の不意打ちで表しているのか、それとも、あの荘厳な地下神殿に“なんか”が飛翔する影が確かにあったのかもしれず、その両方かもしれないし、いや、どちらでもないかもしれず、もはや誰にも分からない形で終わっているのだけれど、横に並んだ竹中直人演じる村木という男の目にはいささかもそれが映じていないというのがひどく寒々しい。

 強く抱き寄せるからだの、薄衣(うすきぬ)の向こうにしっかりした体温を感じ、我が頬を柔らかな相手の腹に密着させていく。電流が肩から腕先を通じて相手へと駆け抜け、引き波となって寄せ返し、さながら性愛の頂きに登ったかのような激しい痙攣と嗚咽をもたらす。かくも一体化なった、苦労してようやっと誂(あつら)えた形にもかかわらず、刹那“見るという行為のずれ”が起動して両者の間を無惨にも割(さ)いていくのだった。お前たちはひとつ身には決してなれぬ、それが宿命なのだと告げ諭し、人という生きものが根源的に背負っている孤影を黒々と落としていく。

 幾つかのインタビュウで語られているから支障ないと思うが、石井は幼少時の病床にあって薬の作用か熱によるものか分からぬが、この世に存在しないと言われるもの(例えば幽霊)を目撃している。確かに目撃しているにもかかわらず“見たこと”にならぬ、嬉々として語るわけにいかぬ、孤塁を守るような日常を石井は過ごしたのであり、これを繰り返し公言してはばからぬ石井の真意はどこにあるかを私たちはもう少しだけ考えて良いように思う。

 病弱であったことに同情を求めるではなく、また、人並み外れて繊細だったことの自慢でも当然なくって、“見ること”“見れぬこと”が劇空間「石井世界」において重要な役割を果たしている、というサインが込められている。

 本来描かれてあるべきことが描かれず、在ってはおかしなものが画面を占める。焦点が微妙にずれていることが、かえって我々の心眼の働きを誘発する。そんな“見る”という行為の怪しさと愉悦に充ちているのが、石井隆の作品と思う。

2012年3月11日日曜日

“物質的な雑用”


 ボーヴォワールSimone de Beauvoirは台所に立つのを避けた。料理が出来なかったわけでなく、その行為の固定なることが女性を男性社会に隷属させる第一歩と捉えたからである(*1)。懐に余裕があるときにはホテル住まいをして、家事と名の付くことから距離を置いた。

 当然彼女とは視点が異なるだろうが、石井隆の“台所”というのも特殊な場処である。その創造世界における“台所”は私たちの身近なそれとどこか違って、隔絶されたような、なにか遠い処にあってぼんやりした印象を抱かせるものとなっている。性愛の景色や愁嘆場(しゅうたんば)が差し挟まれるとは言え、広義の区分けに従えばラブストーリーに相違ない石井の劇であるから、家庭臭、生活臭が希薄となるのは当然といえば当然だろう。

 されど、つぶさに作品を見つめ返していくならば、忌避(きひ)されている、とまで言うと極端かもしれないけれど、不穏な気配を漂わせる場処となって時折牙を剥くのが石井世界にとっての“台所”であると解かってくるのであって、これは到底無視できないかたちと思う。石井は名美に代表されるおんなたちを台所に立たせるのを避けている。料理が出来ないわけでなく、その行為の果てに待つのが情念の噴出や、憤怒の臨界と爆発だからだ。

 『GONIN2』(1996)に終盤描かれた“台所”については先に書いた。スクリーンを染めるのはほんの一瞬であり、加えて淡々として抑制の利いた筆致ゆえに多くの観客は刹那に見送り、直ぐにも忘れ去られる場面であるのだけれど、流れに棹差して内実を透かし見ればとても穏当とは言い難い、むしろ不吉な描写と言えるものだった。もっとも公開当時からその凶兆に気付いた訳ではなくって、後年私たちの心胆を寒からしめた『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)より逆照射されて、ようやくこの箇所がほかの石井作品の“台所”と根茎を繋ぐ可能性に思い至ったのだった。

 『人が人を──』は人間の魂の多層性、不可逆性を浮き彫りにした傑作で、喜多嶋舞が名美という存在を体現すべく全身全霊を捧げていく様子がもはや崇高とさえ評して過言でなかったのだけれど、その物語の軸心には『GONIN2』の志保(西山由海)の件(くだり)とよく似た面貌が埋め込まれていた。まず結婚生活の破綻があり、“台所”があって“包丁”があり、隣接した寝室で凄絶な凶行があり、という展開が見止められる。石井ファンには承知の通り、『人が人を──』は1991年9月より石井が発表した短篇連作【カンタレッラの匣(はこ)】中の【主婦の一日】のイメージを踏襲しているから、この三作品は尾根(おね)を結ぶ連山と称して問題ないだろう。石井らしい反復がここにはある。

 手土産のあわびを調理しようと“台所”に立って“包丁”を振るっている最中に、居間兼寝室に招いた恋人に開かずの間(ここではビデオテープ)を覗かれてしまい、急旋回(恐らくは鮮血飛び散る)の予兆を湛えた肉汁ぬめつく刃先のクローズアップで幕を閉ざす【降水確率】(1987)や、過去の暴行事件に関わる男たちの再訪にほとほと困惑し、その中の一人(鶴見辰吾)を“台所”で撲殺してしまう『フリーズ・ミー』(2000)、それに、衝動に駆られて自制が利かなくなった名美が、“台所”のガス台にかかっていた薬缶をだしぬけに掴んでその中身を肉親に浴びせ掛けてしまう【真夜中へのドア】(1980)なども思い出される。

 最近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の冒頭でも“台所”は描かれていた。男との乱闘でしびれを切らして“台所”に走り、“果物ナイフ”をその手に持ち帰ったのは姉役の井上晴美であった。我が国の住宅事情が“台所”と寝室をごく近い場処に定めてしまい、愛憎の現場に“包丁”なり“果物ナイフ”なりを即座に調達可能にしている事は現実の刃傷沙汰(にんじょうさた)の顛末を見ればよくありがちであって、なにも石井隆の発案による特別な舞台装置ではないのだけれど、調理行為や料理を囲む団欒をこどこどく回避し(*2)、“台所”を武器庫としてだけ使っていく傾向はやはり独特であるように思う。

 その背景には女性という存在を男性社会に隷属された者として強く意識し、その解放を望む気持ちが働いているものと推察しているが、正直言ってよく分からない。ただ、頑(かたく)なまでに繰り返される一連の描写は常に直情的、直線的で、打算を帯びたものはあまりない。思惑が働いても計画は大概稚拙で、憐憫を誘うものばかりだ。おんなたちの側に視座が置かれ、その不可逆の、永劫の罪をまばたきなく静かに見守るばかりである。途切れることなく注がれるまなざしは誌面とスクリーンを貫き、どこまでもおんなの後ろ姿を追っているように思う。しなやかで且つ強靭であり、ボーヴォワールの意志に決して負けていない。

 さて、あの揺れ、あの混沌から一年が過ぎましたね。今もこうして好きな事に想いをめぐらせ、好きなことに勤(いそ)しむことが出来るだけ幸せなことと思います。これを読まれる人のこれからの時間の穏やかで哀しみの少ないことを祈ります。

(*1): ボーヴォワール「私たちの選んだ生きかたのおかげで、私がいつも女性の役割を演じなければならなかったことはありません。でも、ひとつだけ思い出があります。戦争中、だれかが食料を補給したり配給券を確保したり、ちょっとした料理をしなければなりませんでした。もちろん私がしました。サルトルにはまるで不可能でした。男性ですから。(中略)こうした物質的な雑用を私がひきうけたのは、私とサルトルとの関係のせいではなく、彼に能力がなかったからです。サルトルがこうしたことに無能なのは男性優位主義的教育が家事全般から彼を遠ざけた結果なのです。彼にできることといったら目玉焼くらいかしら。」
サルトル「そんなところかな。」
「ボーヴォワールは語る 『第二の性』その後」 Simone de Beauvoir aujourd’hui アリス・シュヴァルツァー 福井美津子訳 手元にあるのは平凡社ライブラリー51 1994 引用はその85-86頁で1973年ローマでのインタビュウ   
(*2): 『ヌードの夜 愛は─』の終幕のシーケンスはこれまでの流れと真っ向から対峙する。ちひろ(東風万智子)は調理行為を通じて村木(竹下直人)のこころに敢然と挑んでおり、料理を囲む団欒を遂に実現させている。石井世界が大きく変貌した証しと思う。ただ、村木の住まいの“台所”は機能しておらないし、カメラは最後まで引きっぱなしで作られた料理に肩入れしていない。どことなく変則的で、この辺りの微妙さ、繊細さも石井らしくて興味を覚える。


2012年3月10日土曜日

“夕餉(ゆうげ)の仕度”


 映画『GONIN2』(1996)は、まがう方ない活劇である。白刃(はくじん)が闇を裂き、銃火を映じて赤赤とぬめつく。滑空自在のカメラと畳み掛ける編集、叫び疾走して疲れを見せぬ役者たち、余裕で色香を滲ますおんなたち、そこに絡まり混ざる始原的なドラムの雄たけび──

 当然ながら血で血を洗う暴力描写と肉体の躍動する様に、観客の多くの視線は束ねられていく。銃身支える指先を目で追えば、その果てには我らを吸い尽くさんと待ち構えるかのごときおんなの肌がある。瞳なり脳髄がことごとく捕縛されていくのは致し方なく、観劇の後に口を開けば、喜多嶋舞や余貴美子、夏川結衣の暴れぶりとすらりと伸びた肢体を誰もが話題にするのは必然だろう。送り手の石井隆にしてもご満悦、して遣ったりの気分に相違ない。

 観客を恍惚の境地へと橋渡しする力技(アクション)以外の、導入部やどちらかと言えば穏やかな箇所は、それでは物語の“尾ひれ”に過ぎないのだろうか。

 石井には大衆の抱く曖昧模糊とした夢まぼろしを透かし見て、くっきり生々しく塑造して提供する商業監督の一面がまず在り、これに併行して自身の編み出す世界観(いわゆる“石井世界”)をどこまでも堅守する(気付く人は気付いてしまい、次第に虜(とりこ)になる)突出した作家性がある。明滅を繰り返すこの二種の色相はウロボロスのように互いを侵食してみたり、遺伝子の螺旋を描くように寄り添い舞って、銀色の映写幕をどこまでも覆って見える。

 我々の日常とてハレとケとが交互に寄せ来るまだら模様、縞模様の風体であるのだし、人の生きる上で表と裏はつきまとう。どちらが本当とか嘘とか、どちらが上等とか言うのでは決してなく、石井隆とは実に多層で一筋縄にいかぬ作家であることを告げたいだけである。一瞥(いちべつ)をもって見送る訳にはいかぬ、澄んでいながらも光さえ届かぬ深淵を抱えた沼なのだ、底なしなのだ、と虚空に向けて囁きたいだけだ。

 そんな目線で『GONIN2』を再度俯瞰すれば、これは食べる前のキャンディにかたちが似るように思う。男の浅慮、暴走しがちな夢想という粘っこい糖質と血しぶき由来の酸味、それにおんなの肝に巣食うさらさらの結晶を絡ませた上で、銃弾と日本刀との衝突がもたらす摩擦熱でどろり成型してみせた宝石大のキャンディ。これを赤いセルロイド紙で包み、両端をねじって金魚の“尾びれ”のように仕上げている。誰もが見惚れる殺陣(たて)は真ん中の飴玉の部分であるのだが、細心の注意を払って折り込まれた両端のひだひだとて、見落とす訳にいかぬ大事な意匠だろう。

 たとえば、次のシーンは終幕近くになって挿入されたものだ。貴金属店を急襲した賊の手から宝石の山をまんまと横取りしたおんなたちの内(なか)に、愛を見失って途方に暮れる主婦“志保”(西山由海)がいた。追っ手の包囲網が狭まってもろとも捕獲されんとする寸前、この志保というおんなだけはからくも劇の流れから離脱して日常世界への復帰を果たしている。ところが、その逃げたおんながわざわざ終盤も終盤の押し迫った段階で、忽然と(場処は違えども)戻ってくるのだった。



志保の住む家・台所(同じ頃)
    志保が夕餉(ゆうげ)の仕度をしている。流しで、トントントン、野菜を切っている。
    後ろのテーブルには、夫の茂行と志保の茶碗類。しかし茂行の姿、気配は、無い。
志 保「……」
    志保、黙々と野菜を切り刻み続ける。指にリングは無い。(*1)
 

 (注:この先結末に触れる)──“同じ頃”というのは、後に残してきた他のおんなたちが廃墟然とした建物奥で追っ手に完全に包囲されてしまい、死出を覚悟で敵中突破を図っていくその時日(じじつ)を指す。雨あられと弾が降り注ぎ、銃煙の霧となってたなびく中でおんなたちは次々に“フリーズ”していくのだったが、通常石井世界にあってそれは現世に“死”を穿(うが)つ刻印であるから、ここに一瞬、夕食の支度にいそしむ安全圏のおんなの立ち姿がよぎることに虚を突かれ、思わず呻いてしまった。

 やはり“同じ頃”に一陣の風が吹き渡り、先に逝った娼婦サユリ(大竹しのぶ)の身体を巻いていた一枚の毛布をまくり上げている。降りたはずの幕が再度開いた恰好で、つまりは石井なりのカーテンコールであって、逃げおおせた志保の顔も儀礼的に点描したに過ぎない、そう受け止めることはここで可能だろう。

 また、余、喜多嶋、夏川の三人の前後に死者と生者を配置して、今まさに潜らんとする死線を明確にする、そんな意図も少しはあるに違いない。どう受け止めてもらっても構わないとする石井のスタンスは常に変わらないから、どれもこれも正解といったところだろうが、私なりにもう半歩だけ踏み込んで得る感触は、この雷光の突如射し入るようにして出現した独りのおんなの情景が街角でもなく旅先でもなく、寝室でもなければ喫茶店でもなくって、“台所”を舞台に選んでいることの幽かな“不自然さ”である。

 銃弾に肉と骨とが貫かれ、粉々に砕かれようとも、男たちの横暴に対して覚醒した我が内なる力をもって立ち向かうことを決意した、その“同じ頃”、そうして、傍らに横臥した死者の肉体がそろそろ自己崩壊を始める、その“同じ頃”に対置された“台所”というのは一体全体何だろう。

 古今東西“台所の光景”とは母性と寛容とを顕現し、まばゆき光背(こうはい)に縁取られかのような神聖さを付帯されがちであるが、ここで石井もその白さと温かさを強調して、洞窟のような場処で朽ちていくしかなかったおんなたちをより黒々と塗りこめるための補色として対極的に置いたものだろうか。

 それとも、魂を粉々に砕かれようとも、男たちの横暴に対して覚醒した我が内なる力をもって立ち向かうことを“決意した者”として、そうして、その傍らに横臥した死者の肉体がそろそろ“自己崩壊を始めるといった状況”の、つまりは“同じ側に立つもの”として、この“台所”を描いたものだろうか。どちらとも取れるが、より石井らしく思えるのは明らかに後者だろう。安全圏にない“台所”が挿されていたように思う。

 劇の中盤に描かれた厨房での銃撃線は、活劇映画史に刻まれる凄絶で悪夢的なものだった。ステンレスの大型機器が妖しく反射し、お手頃なシャワーもちゃんと付属している。それゆえに選ばれたに違いないけれど、思えばあの場面とて上記に等しく、そろそろ自己崩壊を始める気配の生肉のでんと転がる“台所”であったのだし、ちひろ(喜多嶋舞)というおんなの転機となる場処であった訳だから、符合するものは確かにあるのだ。


(*1):準備稿 シーン113

2012年1月15日日曜日

“混沌とコントロール”



 先日台本(決定稿)を目にする機会があったものだから、それに合わせて『GONIN2』(1996)を観直している。公開からすでに15年以上経た作品にいまだに執着する様子は、よほど狂って見えるかもしれないけれど、新たに感じたことを中心に書き留めておきたい。

 ざっと端折(はしょ)れば『GONIN2』とは、だいたい次のような話の流れであった。ジュエリーショップに数名の賊が押し入り、大量の貴金属類を奪おうとする。“個人的な問題を抱える5人の女たちがたまたま居合わせて(*1)”おり、強盗団の虚を衝いてまんまとそれを横取りしてしまう。奪還を目指す男たちがその後を追い、さらには一個の宝石に魅入られた中年男も騒動に加わって、組んずほぐれつの死闘が開始される──

 公開当時の第一印象はと言えば、ずいぶんと“混沌”したものを感じ、また、上昇と下降を執拗に重ねる顛末には船酔いに似た眩暈と痺(しび)れを覚えたものだった。いや、正直言って“滅茶苦茶”とも思った。呉越同舟のおんなたちは経営に行き詰った者、それを慕って追いすがる者、家庭を破綻させた者、組織を裏切る者であるから、これは前作『GONIN』(1995)の枝葉(しよう)を接ぎ木して見えるし、冷酷なヤクザの金銭をあえて盗むという点(これは狙い通りであろうけれど)も同じであって、特段の目新しさはない。揚力をぼんやりと減じつつある飛行船をおんなたちのあでやかさ、小粋さで奮い立たせて、上手に高度を保たせているように見て取った。

 幻滅したとか、つまらぬという意味合いではもとよりない。想いを遺託される衣服、上層に待ち受ける地獄、自著(短編劇画)のシーケンスをそっと引いて綾織られる特殊な群像劇、互いを鏡像と成すおんなたち──作家石井隆を語る上で外せない事象が目白押しの作品であるから、一瞬たりとも気が抜けない。花と咲き婉美(えんび)を競う女優の取り合わせはこれもまた眼福であって、何度目かの観賞となった今回においても存分に堪能したし、ふんわり酩酊させてももらった。ゆらめく煙雨が闇を覆い、アスファルトを黒く濡らしてネオンの光を滲ませる。石井らしい透徹した空気がくまなく画面を満たして、肺腑に沁み入って涼しかった。

 やがて私みたいな純粋な受け手なんかにも、業界の特殊な事情が地響きのように伝わって来た。撮入直前だか直後に想像だにしなかった事件が制作社内に勃発し、そのあおりを喰って潤沢だったはずの予算が半分に削られたという話だ。時間も小道具も何もかもが次々にしぼり込まれてしまい、もう打つ手はほかになく、本番当日の台本にすら現場で直しを入れざるを得ない、そんな緊迫した事態だったと聞く。いかに勇猛秀逸な石井組であろうとも、それじゃ“滅茶苦茶”にもなろう、墜落気味ともなろうと納得するものがあった。

 最初に書いた通りDVDを観返すきっかけは“台本”を目にしたことであり、そこに予想外の印象を抱いたせいである。手つかずの“原形”がそこかしこに在って、面白く読んだのには違いないのだけれど、思いのほか完成なった映画との間に段差が見つからない。こんなはずでない、もっと違った風景が読めると思っていた。

 つまり『GONIN2』とは構想の段階からして相当に入り組んだお話であり、暴れまくる話なのであって、不意を襲った予算の枯渇が一瞬のエンストなり急旋回を余儀なくされたにせよ、それは瑣末な変更にしか過ぎず、だから錐(きり)もみ状態がもたらす歪みや亀裂で満身創痍のへろへろの体になっている訳では決してないのである。観る側でもしも混沌や無茶苦茶を覚えるとすれば、それは石井が当初から描こうとした曲線なり渦、色彩に私たちの生理が単に驚いてしまっているだけであり、もしかしたら、それこそが石井の狙いであったかもしれないのだ。

 台本と映画の双方を見比べて合点が行った箇所を列記すれば、それは自ずと石井が『GONIN2』という物語に託すものを浮き彫りにする。たとえば、最初に夏川結衣演じる“早紀”というむすめに視線を注いでみよう。少女時分に学校の構内で巻き込まれた悪しき体験にずるずると呪縛されているこの若いむすめは、夜ごと悪夢の底に堕ちてはおぞましい幻影に襲われ続ける。のしかかられ、着物を裂かれて悲鳴をあげるなか、枕の下に忍ばせていた護身用の警棒を引き出すと怪しい影に向けて振り下ろすのであった。

 連夜の夢で舞台となるのがアパートの自室であり、いつも身を横たえるベッドであるから始末が悪い。頭骨が砕ける鈍い音がして、血をぼたぼたと垂れ流しながら男がどっと倒れるところで毎回目を覚ます。蒼白な顔で寝間着を点検する様子がこれに続き、そこでようやく夢から覚め切ったと安堵するのだった。

 このとき“夢の相手”に向けて振りかざす金属製の警棒は、ジュエリーショップでも再登場している。ねっとりと濡れたような重い反射光を湛えた細くて硬そうな面持ちであって、夏川のきゃしゃな体躯と不思議に似合って私たちを蠱惑するのだけど、この携帯型の警棒ははてさてどこから現われたものだろう。考えるまでもなく早紀の抱えるバッグの奥に潜んでいたのだが、ならばこの警棒は、これまで昼となく夜となくこの不幸なむすめに寄り添っていたものだろうか。二度と我が主(あるじ)を恥辱にまみれさせてなるものかと、時には風を切り、ぶんと音を立てて夜道や公園で彼女を守り続けていたものだろうか。夜には枕の下に眠っていたものだろうか。

 畳みかける描写の凄まじさと速さから(それにこだわる観客もいないから)話題に上らないけれど、ジュエリーショップで賊のひとりに振り下ろされた瞬間こそが“使い初め”というのがどうやら本当らしい。つまり夢の中で“夢の警棒”を振るって逆襲を遂げる自身の奮戦ぶりに触発され、仕事帰りに防犯グッズ店にふらり立ち寄り、そこで猛禽類のごとき尖(とが)った色香を発散させるサングラスのおんな(蘭=余貴美子)が物怖じせずにスタンガンを買い求める姿にうっとりし、自らもそれにならって警棒をいそぎ買い求め、そのまま追尾して半地下のジュエリーショップに降り立ったのである。

 大声で店員と客を威嚇する賊に怯(おび)えて陳列ケースの後ろに猫の子のように隠れながら、再度忌まわしい記憶に苛(さいな)まれるむすめであったのだが、店内で展開されるある場景をきっかけとして豹変する。汗ばむ指先でバッグを探り、握り締めるやいなや駆け出し、満身の力をこめて警棒を打ち下ろしたのだった。ある場景とはなにかと言えば、先刻より気になり追いすがって来た蘭というおんなが、銃を突きつけ脅す賊(中山俊)をスタンガンの一撃で打ち倒した様子を指している。

 そもそもこのスタンガンを購入したおんなの当初の狙いや目的が何であったのか、物語をつぶさに追尾することで推理はおおよそ可能だろう。地下採石場のような半地下の店舗はがらんとして広く、客もそれに応対する店員もあちらこちらと散っている。“女性”店員を呼び止め、間近で見たいからと陳列ケースから高額の宝石を取り出させ、その直後に手首を電撃して失神に至らしめる。膝おり崩れ落ちる店員に(内心詫びを入れつつ)驚き介抱する振りをしながら、騒動にまぎれて宝石をポケットにそっと仕舞って店を後にしようと目論んだのだった。経営するスポーツジムが行き詰まり、日毎夜毎に返済に追われる身である。もしも拝借した宝石一個を例え半額になろうと現金化出来れば、その場しのぎにしかならぬけれど矢の催促をかわすだけの時間稼ぎにはなるだろう。

 売り子である若い娘を(万引きのため仕方なく)襲うつもりだったおんなが、銃を片手に咆哮する賊に対して爪を突き立てた理由は何だったか。単純な自己防衛のためではなかった。(結果的に獲物の横取りに発展したが、それは二次的な事であって実際は)自身の外貌に向けられたふざけた嘲弄(ちょうろう)に心底怒ったからである。おんなであることだけで強いられる理不尽この上ない侮蔑に、完全にキレたためである。これまでは天井からブラ下がったサンドバックに憤懣をぶつけるだけだったおんなが、“生身の男”に向かって高圧電流を叩き込んだ瞬間であり、それが引き金となって夢の中だけで逆襲を果たしてきたむすめが、初めて“生身の男”に向かって鉄槌を下(くだ)している。

 大竹しのぶが演ずる娼婦サユリの面立ちと付随する挿話は、石井の劇画【爛(ただ)れ】(1976)に沿っている。客の男に年齢詐称がばれてずいぶんと酷い言葉を浴びせられるのだったが、映画でのサユリは夜空を仰ぎ嘆息するにとどまっている。石井を見守る息の長いファンならば、原形である【爛れ】における終幕を今でも鮮烈に思い出せるのではなかろうか。酷い言葉に完全にキレたおんなは恨み言をつぶやくだけでは済まさなかった。客室の備品を高々とかかげ、男の頭頂部に向かって真一文字に打ち下ろしてその命を奪っている。映画『GONIN2』(および台本)にそんな陰惨な情景は描かれてはおらなかったが、かえってこれが示唆することは何かと言えば、サユリというおんなはかろうじて“殺意”を寸止めにした状態にあり、茫漠たる思いに沈みながら一段二段とふらふらの体で宝石店の階段を降り至ったという見えざる内奥だろう。

 志保(西山由海)というおんなの来店目的は抜けずに血だらけになった結婚指輪に困り果ててのことだったが、開口一番“切る”ことを願い出ている。事情を慮(おもんばか)った店員がベビーオイルを使ってたくみに滑らせ抜き取ると、今度はすかさず売却を願い出ており、こちらも“男”に対する憎悪と結婚に対する破壊願望に満ち満ちた風情であった。

 つまり、『GONIN2』のおんなたちは“たまたま居合わせて”いたのではなかった。ケースに陳列され、やがて眼前にぶちまけられる貴金属にも大して興味を抱いていない。沸沸とたぎる男への憎悪を抱えて、靴裏にその醜悪な顔なり声を思い返し、のっそりと踏みしだいているのである。可燃性のガスを吐く剣呑この上ない淀みの中に、何も知らぬのんきな賊がそれこそ逆に“たまたま”来てしまい、一服する構図である。これまで一度として男に手を上げたことのないおんながあれよあれよという間に誘爆していく。覚醒して、宝石ではなく生々しい“暴力”をこそ、嬉々として手中にしていく話であった。

 前作『GONIN』の男たちがやや捨て鉢な行為に没入しながらも、概しておのれへの愛着なり憐憫に染まっている分“建設的、創造的”な会話なり筋が展開されていたのに対し、投打と殺傷、破壊だけを純粋に目指そうとしたおんなたちの『GONIN2』が“滅茶苦茶”となるのは、だから道理に適っているのであって、観客が、特に男が“当惑”を覚えるのは正しい受け止め方と言えるのである。

 昨晩、カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドGlenn Herbert Gouldのドキュメンタリーを観た。印象に刻まれた描写や言葉は多いのだが、納得のいくまで録音テープの編集作業に明け暮れる鬼気迫る姿が途中紹介されていて、これと共に“コントロールのひとだった”と往時の彼の気質や作風を偲んで語られる箇所がある。かたちは違えども石井隆もまた、コントロールのひとであろう。“当惑”や“滅茶苦茶”を描くのが正しければ、怖れず逃げずにそれを描けるひとである。

 これからも、常識の遙か先を行く描線と色調が私たちに示されるに違いない。慄然とさせられる瞬間をこころ待ちにしている。


(*1): http://movie.goo.ne.jp/movies/p28069/story.html