2018年3月8日木曜日

“重力にあらがうこと”(1)


 篠田正浩の『夜叉ヶ池』(1979)を観て以来、五代目 坂東玉三郎は引力を有する存在になった。テレビジョンに出ると知れば、ハードディスクプレイヤーの録画予約をいそいそと行ない、夜遅い時間に淡い愉悦を抱きつつ眺めたりする。

 彼が映画に客演する際は、市井の人ではなく、小説家や画家といった偉才の役を当てられるのだけど(*1)、容貌から動きまで全くもって妖しく、けれど無理に作り込まれたものでない透明感もあって、何ともいえぬ面白みがある。最近では越路吹雪をステージで歌ったりしているが、演じたり歌ってみせる対象はいずれも練達の士であり、独自の世界を築いた才人揃いである。そこに厭味が生じないのは、彼自身がその域に到達しているからだろう。

 しかし、時流からしたらどうであろうか。当時いかに耳目を驚かせた天才たちとはいえ、今では注目の渦からそれた、どちらかと言えば傍流なり孤高にたたずむ人を演じて見える。それでいいのだ、独り舞台で一向にかまわない、寂しくはないと坂東は信じているようだ。ひたすら対象に真向かう気配が濃厚で、そこに迷いや足踏みをすくい取れない。川の中央は勢いこそあるけれど、余裕なくひたすらざわめいて移ろうばかりだ。川面が鏡となって天空を映し出すおだやかな傍流の方にこそ、味わい深い時間が集う。潅木が茂り、水鳥が憩う岸辺の方が彩りに満ちて感じられる、そんな心境ではなかろうか。彼は辺境に王座を築いている。

 客演にしてもホームグラウンドの歌舞伎にしても、孤影ばかりが強調される先人や舞台にまっしぐらに融合を果たさんとする気迫がゆらゆら立ち昇り、おごそかで蒼い発光が認められる。稀代の、と冠され、また、女方(おんながた)の最高峰と称されることが多いが至極当然だろう。そんな天才と同時代に生きられたのは、ほんとうに幸せなことだ。

 さて、先日、彼が出演していた教養番組を例によって眺めていたところ、突如その口から「引力」だの「重力」だのという単語が飛び出して大いに慌てた。女方の舞踊を素人向けに解説する内容であったのだけれど、ひとつひとつの所作に引力を意識しているといった言葉であって、舞踊とは重力からの解放だと続ける。床を蹴り、高々と宙を跳ねるバレエやコンテンポラリー・ダンスの踊り手ではなく、重たい和装を基本とする歌舞伎役者が熱心にそれを語ることに新鮮さ以上に畏怖を覚える。

 四年程前の雑誌の対談を探し読めば、その時点で既に「踊るってことは、引力の束縛から解放されたい以外の何物でもない」と語っており、付け焼刃の発言とは完全に違うのだった。対談相手となった旧知の間柄の文化人類学者は、「引力からの解放は玉三郎さんのコアの感覚」、「引力からの解放という話は、ここで人魚姫につながる。玉三郎さんはダイビングをやってらっしゃるでしょう。あれは単なる趣味とは思えないんですね。海という無重力の宇宙で、まさに単独」と合いの手を入れている。

 彼の舞いは重力との抗いであり、同時にその活用でもある。番組で準備された小舞台で、ある演目の一部を再現してみせ、くねくねと白手ぬぐいが揺れていく。いつしか目に見えるはずのない重力の糸が無数にからみつくようであり、それらを彼の指先が自在に操るようにも思えて来るのがめっぽう面白かった。
 
(*1):『帝都物語』 監督 実相寺昭雄 1988 泉鏡花役
   『夢二』 監督 鈴木清順 1991 稲村御舟役
(*2):「にっぽんの芸能」NHKEテレ1 2018年1月12日放映 「伝心~玉三郎かぶき女方考~“京鹿子娘道成寺”」
(*3):「芸術新潮 2014年 06月号」特集 襲名50周年 新たなる美を求めて 坂東玉三郎
「対談 玉三郎の昨日・今日・明日 坂東玉三郎×船曳建夫」 75頁

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