2016年2月11日木曜日

“ほうらない”


 先述の横穴墓(よこあなぼ)は、傾斜のきつい石段を辿ってようやっと行き着く山の頂きにあった。今でこそ遊歩道となっているその坂は、かつては未整備で草が生い茂り、足元もぬるぬるに滑ったはずである。遺骸を運んだ一行はさぞや苦労した事だろう。どんな思いを抱いて岩を削り、ここまで這い上がって来たのか。いかなる常世(とこよ)を彼らは脳裏に描いたものか。

 帰宅後、古墳墓関連の幾冊かを借りてきて夜毎めくってみたが、埋葬品(舟型の木棺や壁の装飾)の詳細なり羨道(えんどう)や玄室(げんしつ)の土木工学的な計測が多くて、さすがに往時のひとの心まで筆は及ばない。千五百年も前ともなると研究者の手が届かぬ領域がぐんと増し、当然ながら学術色が増せば増すほど文章は寡黙となる。その中で斎藤忠という人の本だけは、やや踏み込んだ内容であって面白かった。二箇所ほど書き写してみよう。(*1)

「「遺骸を葬る」「埋葬」「葬式」「葬礼」のように「葬」の文字が用いられ「ほうむる」という言葉でいわれている。「葬」は、本来サと一と死との合字で、死者は台にのせて草の下におくことにもとづくといわれている。では「ほうむる」という言葉はどんな意味によったものだろうか。(中略)いくつかの解釈を紹介しよう。1 ほうる、すなわち放棄という考え。(中略)2 祝(はふ)るとする考え。(中略)3 「火埋る」または「火蒙る」とする考え。(中略)これらの中で、3にいうように火葬との関係を求めることは無理である。2も、必ずしも首肯できない。そうすると、1がもっとも穏当のようであるが、しかし、この言葉は、古くから遺骸をみな放棄したとする証明にはならない。」(*2)

「古代人の死または死者に対する思考には、複雑なものが重層していた。まず、考えられることは、霊魂というものの存在は、案外早くからみとめていたのではないかということである。霊魂は「たましい」であり「たま」である。そして、これは肉体の中に常住し、死後になっても、肉体が腐朽しても、その肉体から離れて消滅するということはないという考え方があった。原始・古代社会の葬礼、ことに「もがり」の儀礼などは、このような「たま」に対する知って了解されるものであり、喪屋における日を重ねての行事も供膳も歌舞も哀悼傷身も、死というものを確認し、そこにはじめて「たま」の肉体から遊離を信じ、その鎮まることを念じたことにもとづくものと考えられる。(中略)この「たま」の落ちつくところについても錯雑した観念があった。その一つは「よもつ国」であり、暗黒な幽冥な世界であった。その一つは「底つ国」であり、「根の国」であった。その一つは、天上であり、あるいは遠く海の彼岸であった。このような思想の混融性に、古代日本人の精神生活の特色も指摘されなければならない。一方、死者に対する考え方にも、これを汚穢なものと考え、恐怖し畏怖し、死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯した二面が、つねに彼らの精神生活の中に錯綜していた。」(*3)

 前文で斎藤は、古代人が手のかかる横穴墓や墳墓を作って死者を丁重に埋葬する行為が、到底「ほうる、すなわち放棄」には当たらず、どうして「ほうる」という響きが我が国に定着してしまったのかを訝しんでいる。確かに言われてみれば奇妙だ。“野辺送り”という言い方もある訳だから、風葬に近しい形で故人を弔った時代は少しはあったことだろう。けれど、「ほうる」という乱暴な物言いが儀式全般を指差すのは変な気分だ。後の文では「思想の混融」に触れていて、それは古代人に限らず私たちの心にも根を張って感じるくだりだ。「死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯」があるという斎藤の解析は、実際その通りと思われる。「ほうらない」、いや、「ほうれない」私たちの心の輪郭が露わとなって、目のふちに涼しい風が吹いて当たったような快感があった。

 天頂への安置を先祖は切望し、それを成し遂げた人たちの生まじめで「ほうらない」その想い。忘却すること、追い払うこと、遠ざけること、焼き払うこと、埋めること。別離に際して私たちは得てしてそんなイメージや義務感を抱きがちだけど、本来は逆の目的があったのであって、それは積極的な追慕の次元ではなかったか。とことん想い、まなざしを注ぐ長い長い時間ではなかったか。もともと汚れた気配は無かったが、墓所の印象がわずかに修正なった気がする。穏やかさが増して清澄な場処と思えてくる。
  
 石井隆のこのところの作品を観て感じる固い手触りと連結し、ゆるゆると伝導を果たすものがある。先にわたしは「葬らない生き方」と題した『GONINサーガ』(2015)の感想(*4)を書いてしまったが、どこか言葉足らずに思われて腹の座りが悪かった。考え方が逆さまだったかもしれない。そうなのだ、石井隆ほど人の死を「ほうらない、ほうれない」作家もいないし、その作品は常に心魂をささげる「葬送」の道程にあって、「供膳、歌舞、哀悼傷身」にさえ近しい。『月下の蘭』(1991)然り、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)然り、『甘い鞭』(2013)もまた然り。

 死を十把一絡げにして追い払うのではなく、最後まで個別の終焉として見つめつづける。そんな決着を軸芯に選んで、石井の劇は在りはしないか。近代に根付いてしまった弔いの自動化をそっと手のひらで押し返して、石井は本来ひとにそなわっているはずの生と死の間合いを劇中に手探って見える。真摯に「葬る生き方」をつづけている。


(*1): 「墳墓の考古学  斎藤忠著作選集4」 斎藤忠 雄山閣出版 1996
(*2) :同 14-15頁
(*3): 同 205頁
(*4):「キネマ旬報 2015年10月上旬号 №1699」 34-35頁

2016年2月9日火曜日

黄泉路(3)~『GONIN サーガ』の床下~


 石井隆の劇には、決まって“黄泉路捜し”がある。たとえば、『赤い縄 果てるまで』(1987 監督すずきじゅんいち)の終幕を飾った雨煙る樹林には、おんなの肌から立ち昇る生の充実と共に、甘く粘っこい死出の手向けがむせ返るほど薫ったし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)で主要登場人物の一行が揃ってたどり着いた巨大な石切り場は、石井渾身の造形にして典型的な冥界だった。

 そこに金銀財宝は眠っていない。どころか、鮮血の生臭さや肉片がもたらす腐臭が風に乗って襲い来る始末だ。しかし石井はその先にこそ、純度ある魂が横臥する静謐な場処が準備されると囁く。己の運命やこれまで向き合った親しい人を思い返す転回点と位置付けられる、そんな死場処が連なって在る。私たち受け手は“墓盗人”となる覚悟でこれに踏み込み、彼ら死人と共に黒い結露を吸わねばならない。

 『GONIN サーガ』(2015)に触れて石井は、「墓」という表現を使って劇中の舞台を語っていて、その事が指差すのは当作品の真髄の在り処だ。「『GONIN サーガ』ではさらに床下が出てきて、“地下墓所”の底で物語が展開する。言ってみれば、あの世にもこの世にも属さない場所ですが。なぜか冥府に惹かれるんです。」(*1)  クラブ「バーズ」のダンスフロアの真下こそが黄泉路であった。

 秘かに息づき、立つこともままならぬ窮屈な床裏。観客を大いに戸惑わせた、いつ果てるとも知れない潜伏シーンであった訳だけれど、私たちは石井がそこに横穴墓(よこあなぼ)の役割を投射していた点を改めて意識し直し、再度目を凝らして良いように思われるし、その作業を経ずして『GONIN サーガ』の鑑賞は完了しないだろう。

 石井の近作を振り返れば『花と蛇』(2004)には“天使”を模した呼び鈴があり、“ゴルゴダ”が再現され、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では“ドゥオーモ Duomo”という響きが全篇を彩り、『フィギュアなあなた』(2013)には重力のくびきを解かれた死者が“ウェルギリウス”並に舞い踊った。『甘い鞭』(2013)で横棒に縛られ鞭打たれる少女の姿は、見るもの全員に“磔刑”を想起させるべく企てられたのは明らかだ。拝跪にも近しい切実さを湛えて、このところの石井は血まなこになって聖画をフィルムに編み込んでいる節がある。これ等に続くかたちで発表された『GONIN サーガ』に、宗教的な題材が一切刷りこまれていないと考える方がよほど変な話だ。

 「墓」での横臥が三日間に渡って行なわれ、その後、フタをこじ開けて地上に這い登る子供たちの姿には“復活”が重なって見えはしないか。柄本祐演じる重傷を負った警官に蛆たかる描写(映画では直接写さずに音と気配で示している)を執拗にくり返す石井の筆先には、黄泉国(よもつくに)で “宇士多加礼許呂呂岐弖(うじたかれころろきて)”と描写されるイザナミ(伊邪那美)の当惑と哀しみが宿ってはいなかったか。(*2)  

 前者は死者の帰還であり、後者は生者との永別が描かれる。劇のクライマックスで私たちは死と生が烈しく牙剥き、共食いし、雨の中でのたうちまわる様子を目の当たりにして、訳もなく涙を流していたのだけど、考えてみれば強靭な神話を、もしかしたら二つも裏縫いした物語が『GONIN サーガ』であった可能性もあるわけで、そうであれば胸つぶされ喘ぐのは自明であってまったく不思議はない。

 例によって勝手な妄想と笑われるかもしれないが、イザナミの方はともなく、「四日後」と定められた結婚披露宴に向けて走り出す後半の“不自然さ”はどうだ。警官が虫の吐息で「二日と5時間……」と答える辺りの耳朶に残る日数の強調は、物語上ではなく、物語に潜在するものとして強固な必然が宿っていたように思われる。

(*1):「『GONIN サーガ』劇場用プログラム」 KADOKAWA  2015 「監督 石井隆」 取材・文 轟夕起夫
(*2):「GONIN サーガ」(石井隆 角川文庫 2015)の中には、傷にたかる蝿の幼虫の凄惨な場面が幾度も描かれている。まず、「蝿がブンブン唸っている」のに対して「申し訳ないです。腐り具合はどうですか?」(328頁)と答え、やがて「腹と脚はもう腐り掛けていて、(中略)床が液体で濡れ光り、異臭を発し、ブンブンと銀蝿が飛び回っている」(336-337頁)状態になり、死期を悟った警官は「蛆が這う大腿部を見下ろしながら」(347頁)もはやそれを追い払おうとする気持ちもなく、淡々と喋り続ける。「蒼白な顔でジッと脚を這う蛆を見ているだけ」(349頁)となり、遂に蛆は「腐りかけている慶一の死肉を食らいに集っている蝿」へと羽化して殺し屋へと飛び立ち、暴力組織「全滅」への仕上げにかかる。



2016年2月7日日曜日

黄泉路(2)~【その後のあなた】の縦抗、【赤い暴行】の横抗~


 石井隆がかつて【その後のあなた】(1980)で描いた黄泉路は、暗闇にそこだけ光った地階への出入口であった。必死に手をのばす村木の呼び掛けに応じぬまま、傷心の名美はそこを一歩、また一歩と下っていく。『フィギュアなあなた』(2013)の幕開きを飾ったドレPaul Gustave Doré の「神曲」挿画とよく似た趣きの扉と光源をそなえており、開口部の大きさもほぼ同じであった。

 また、【おんなの街 赤い暴行】(1980)は「タナトス四部作」の一篇であり、【赤い眩暈】(1980)同様、陰鬱でありながらどこか安らぎも覚える冥府めぐりの話なのだが、おんなが踏み入った森の最果てには崖が待ち構えており、反対側の急斜面には横穴墓(よこあなぼ)に似た洞窟が設けられていた。おんなはその穴に、自身の骸(むくろ)が横たわる姿を幻視する。上の【その後のあなた】での地階への降下イコール冥府めぐりというのは、(ドレとの連環はさておき)世にあふれた図案であるのだけれど、こちらの崖の中腹に掘られた死場処というのは極めて突飛であり、石井独自の秀抜な景色となっていた。

 【赤い暴行】のおんなは酒で大量の睡眠薬を胃の奥に流し込んでいて、まともな思考ができない状態と設定されているのだけれど、現世への未練が残って、脳裏に浮かぶのは過去の思い出ばかりだ。そんな宙に浮いて整理のつかない心模様と、深い昏睡に陥り、心拍停止を目前にした身体機能の危うさがここでは断崖中の横穴という不自然な形で表現されており、石井世界の舞台背景というのがいかに精神と密接なものであるか、そして、人物の言動といかに同等の立ち位置にあるかを示唆していた。

 それにしても思うのだが、石井の描く心霊描写、特に黄泉路の舞台設定が多岐に渡っている点、つまり、様式がばらばらで一環していない点は着目すべきではなかろうか。そこには石井という作家が死の実相や冥府の景色につき信じ切れていない、いや、信じつつも手探りは止められず、常に揺れ続けていることが透過する。石井という作り手のなかにこそ(私たち受け手以上に)霊的世界への斜め目線があるのであって、作家という仕事上の、加えて私人として、一生を費やすべき保留案件となって「あの世」は立ちはだかっていると感じられる。

 インタビュウにおいて石井は繰り返し幼少時の霊体験を語っているのだけど、それと同時に彼ら幽体の襲来が喘息の発作で臥せっていた最中に起きたことを打ち明ける。病に起因する呼吸困難、高熱の発症、服用した薬の影響もどうやら背後にあるらしいことを自分なりに解析して見せている訳だ。もしも石井が霊媒としての特性をそなえ、発熱や服薬で朦朧とすることもなく、日毎夜毎に彼ら異人たちと対面していたなら、幼少時の枕元を脅かす存在ばかりをインタビュウで開陳することはないであろうし、劇画や映画製作における霊性に関わる描写に自ずと「定型」が編み出されても可笑しくあるまい。あんなにも死に際に執着していながら、実は石井にとっても死は未知の領域なのだ。

 毎日欠かさず亡き妻、恩人に対して一杯の水を供える信心深さと共に、なかなか訪れてくれない奇蹟への渇望が作者の内に同居して押し合いへし合いしており、それが多角的なまなざしとなって作品全般を彩っている。短絡過ぎるかもしれないが、そういうところが少しは有るのではないか。

 石井の劇画製作が“映画”の踏襲を徹底して目指し、主要な酒場や住居に留まらず、ちょっとした移動のための車両や裏通り、草むら、線路ばたの野草といった簡単な道具ひとつおざなりに出来なくなり、これと決めた場処にカメラを持ち込んで膨大な写真撮影を行なって、まずコマの背景から埋め尽くしていた事は既に書いた訳だが、その延長で現世とは異なる黄泉路なり冥府を描く際にも、現実風景の写し絵でこれを構築せざるを得なくなったという技術上の特殊な事情もここには加わっているだろう。ハイパーリアリズムを画風として定着させてしまった結果、絶えず野辺や書物を渉猟し、毎回違った顔立ちの異界を採用しなければならなかったのではあるまいか。油断して使い廻すと紙面はマンネリ化する怖さがあるだけでなく、背景が心理描写と直結して饒舌であるがゆえに、物語が変われば人の心も当然変わり、合わせて現実の舞台も、黄泉路も全て変わらなければならない。

 映画にしても地獄は大概ロケーションが基本となり、森や廃墟、時には閉鎖された病院がこれに当てられて来た。特殊メイクアップで造形された鬼や怪物は跋扈しないし、コンピューターグラフィックで描かれた火を噴く山もない。現実風景の上にどこまでも重層的に築かれていく。

 黄泉路なりあの世の劇空間への突然の闖入が、石井の劇に独特の肌合いを育てたのは違いないのだが、常に「現実」が冥界として採用され、唸り声を上げながら起動していくという繰り返しの果てに訪れる境涯というものは、実は相当に神妙な領域に軸足が移動することになる。薄薄は観客も気付いているし、石井も承知で突き進んでいる気配があるけれど、石井世界において此岸と彼岸の境界はとことん曖昧となる理だし、既にしてこの現実のどこもかしこも地獄なのだ、という拡大解釈さえ産まれ落ちる。

 紙とインクではなく、また、樹海の奥でもなく、今日の東京の街だけで冥府めぐりをすべて撮り切ってしまった近作『フィギュアなあなた』の混沌ぶりというのは、劇画製作の折から今に至る地獄探し、ロケハンのたびに足運ぶ冥府にすっかり染まってしまった石井の生々しい感懐が前面に出たものではなかったか。この世自体が生きた心地のしない、息のできない空間であって、もはや死んだも同然という諦観というのか、それとも逆説的な希望の光とでも言うべきものが具現化した作品と捉えている。




2016年2月6日土曜日

黄泉路(1)~【おんなの街 赤い眩暈】のトンネル~


 お役御免となったがらんどうの倉庫や坑道を覗いたり入ってみるのは、恐いし勇気がいる。過日訪ねた鉄道操車場跡にも湿ったほこりが充満して、さわさわと首筋を撫でられるようだった。そういえば石井隆「タナトス四部作」の一篇、【おんなの街 赤い眩暈】(1980)の中にも、造作は異なるけれど荒涼としたトンネルが描かれていた。地震に遭って転倒し、しこたま頭を打ったおんなが死出の路を歩む。冥府めぐりの入口は人気のないトンネルであり、おんなの痩せた背中を包み込んで闇が渦巻いていた。

 穴蔵やトンネルを生死の境界と設定する劇や小説は他にもあって、【赤い眩暈】の描写は特別なものではない。古くから人は冥府や幽霊の出現を暗がりに疑い、かずかずの作品に書き残している。映画の舞台に選ばれることも多い。(*1) もしかしたら闇の一段と深いへりには霊体か何かが巣食う可能性はゼロではないけれど、一方、どうしてこんな現実の淋しく、辺鄙な場所に彼らが住まい続けると言えるのか、考えてみれば理屈に合わない。

 時を越え、場所を問わず、特定の人にいつまでも憑きまとうと言われる人魂が、山奥の廃屋やトンネルに集うというのは無理な話だ。うら若い女性ならともかく、私みたいな変人の来訪をひたすら待つというのも妙だ。凡庸な風采の中年男がのそのそ近寄って来ては、きっと彼らだって不安だし迷惑だろう。さっさと引っ越すはずじゃないか。

 被験者に何十日も寄り添い、幻影の出没するタイミングをこまめに調べた研究から導かれた結論なのだが、暗闇に閉ざされた場処に長時間拘束され、はたまたギブス等で自由を奪われ続けると神経が極端に鋭敏になっていき、見えないものを懸命に探し、聞こえない声に耳をそばたてるものらしい。ついには幻覚や幻聴、幻嗅が発生する。(*2) どうやら遮断された知覚を再開させようと大騒ぎしてしまう復旧回路が私たちの脳内にはありそうだ。トンネルなり廃屋の光と音を奪われた閉鎖環境と心霊の目撃には、たしかな連環がある。私が古い操車場で感じた怖さというのも、実はそういう類いのものだったらしい。

 霊体や魂の存在を完全に否定できないのが本音だけど、だからと言って不可解な現象すべてを霊体験と決めつける気にはならない。怪談好きの人には申し訳ないが、地縛霊だ、祟りだと断じる声や報告には気持ちが一歩退いてしまう。人生には保留すべき事柄が山のように在り、中には死ぬまで解答を控えねばならない問いも交じる。簡単に話を括ってはいけない。

 石井隆の劇画や映画にも霊性を強調する場面がいくつも挿し込まれており、それを興味深く観ている日々だけど、やはり没入型ではなく、技巧や作為を紐解く斜め目線に終始している。マニアックで作者には困った楽しみ方だろうか。いやいや、そのように距離を置くことで初めて見えて来る地平だって世のなかにはきっと在るはずである。

(*1): 鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(1980)の釈迦堂切通し、黒澤明『夢』(1990)などが印象深い。
(*2): 「見てしまう人びと 幻覚の脳科学」 オリヴァー・サックス、大田直子 翻訳 早川書房 2014 58-59頁 



2016年2月1日月曜日

“奥津城”


 ひとに薦められて読んだ本の末尾で、馴染みのない言葉と出逢う。無知を晒すようで怖いけれど、神式で死者を埋葬する場合、碑に刻むのは“墓”ではなく乾いた風合の別の三文字と知った。狭隘で単色な町に生まれ、親戚縁者は似たような宗派の檀家ばかり。これまであまり意識せずに育った結果だろう、何処かで目にしていたかもしれないがまるで記憶にない。こんな齢になってから、いや、こんな齢になればこそか、胸の奥にようやく着水している。

 話の筋はざっとこんな具合だ。二人の大学生が主人公。共に音楽家を目指して学んでいたところ雨で自動車事故を起こし、ひとりが半身不随になってしまう。資産家一族に生まれたこの若者は、共産圏からの亡命科学者グループの誘いに乗って傷ついた身体と資金を差し出し、自身の神経細胞と電算機との融合を目論む。手術は成功して彼は超人化する。演奏家として現役復帰を図るのだけど、ゆるゆると暴走を始めた神経細胞がやがて爆発的に癌化してしまい、かえって瀕死の状態に追い込まれていく。青年は脳内パルスを懸命に発して、“音楽”と一体となりたいと皆に訴える。森に囲まれた教会の奥に頭部のみの異形となって納められ、パイプオルガンの電気回路と一体となっていくのだった。かつて人間だった物体とその納棺を見守った親友は、絶対音感を持つ者同士として、音曲でもって惜別の対話を成し遂げる。

《僕も連れていけ 連れていってくれ 僕も音楽になりたい 音楽に
 僕だって音楽の道をめざしてきたんだ 君のように
 連れていってくれ 一緒に
 そこへ 音楽の冷たい奥津城(おくつき)へ
 いきたい いいいききききたたたたいいい》(*1)

 肉体のうち九割九分が病魔に破壊され医療器具にひどく損ねられても、なお一層苛烈に音楽という海原に心魂を投じて楽聖の神技に近付かんと欲する演奏家の、清澄にして狂った昂揚を際立たせる場面だ。《墓》ではなく《奥津城》という面妖な響き(ほとんどの日本人にとってそうではないか)を挿入することで、一瞬だけ思考の停滞が生まれ、続いて想念のはばたき浮上する様を作者はもくろんで見える。葬式仏教と揶揄される日本のとむらいの列から分岐して、物語中の魂と私たち読者に対して未開の黄泉路を準備し、先へと導いていく。不可視な未来にわずかな救いを託し、おごそかに、ゆるやかに緞帳を下ろしてみせる表現者の手わざは巧みと思う。

 枝先がうつむき加減の老いた自分はもちろんだけど、私たちの多くは国際結婚でもしない限り、また、勇猛果敢に海を渡らぬ限り、似た様式の葬儀を仕切り、立会わされる羽目になる。定まった軌道にのっとり淡淡と進められる無数の儀式に拘束される末には、死者なり冥界に対する想像力は鈍磨するのは避け難い。往々にして自らの手で物故者の“その先”を消し去っているのではなかろうか。それ以外に、消し去る以外に、忘れるよりほかに何処にどんな道があるだろうと道理を噛み締めない訳ではないのだけれど、慣れ過ぎてあらゆる儀礼が鮮烈さを欠いて感じられ、茫洋としてただ見守り、思考遮断のままでどちらが死者か分からぬように座るしかない参列に日々埋もれていると、はたして生きる身にとって、また、死にゆく者にとって正しい形なのかどうか、かなり微妙なものと思われる。

 “奥津城”という文字と響きは、このように現実の私を揺らし続ける。土中に埋葬する以上は実質的に何も変わらぬはずなのに、土の重みから死者を解き放ち、まばゆい大気へと手招く鮮烈な“違和感”がある。書物が現実の視線を変えていく瞬間は意義ある体験のひとつであり、紹介してくれた友にはこころから感謝するところだ。

 さて、同様の“違和感”を別な場処でも先日持ち帰った。用事で訪ねた先からほど遠くないところに遺跡があると知って足を伸ばした。“横穴墓(よこあなぼ)”と呼称されるそれについては、数年前にずっと規模の大きなものを埼玉県比企郡で観ている。吉見百穴(よしみひゃくあな)の醜貌に肝を潰し、総毛立つ思いをした記憶があるのだけれど、あれと比べればまるで象と蟻ほども違う、実にささやかなものだ。されど、このような北の地に、それも急傾斜の石段をずいぶんと登った山の頂きに穿たれたそれ等に、寂しさと怖れ、加えて切実なものを感じて気持ちに残った。

 崖面に墓室を掘削する特殊な構造の埋葬施設である横穴墓は、六、七世紀に盛行した(*2)、と専門書に書かれてあるから、なんと千五百年も前に穿たれた暗い穴ぼこなのだ。歳月を楽々とこえて、強靭な人の祈りが伝わってくる。冬の大気に抱きしめられ、苔むした穴たちは無言ではあったけれど、日常の自動化された葬列に加わるばかりの鈍った身と心にいろいろと囁くところがあった。

 どのような思いを抱いて人はこれを掘ったものか、そこに葬られる事を覚悟したひとは、どのような常世の国を脳裏に描いたのか。どうしようもない離別の襲来に対して、それでも懸命に抗い、死者の“その後”を導こうとする視線の烈しさと優しさを想い、湿った山肌の香ばしい薫りを肺腑に深く吸い込みながらひとり佇んだ。

(*1):「オルガニスト」 山之口洋 新潮社 1998 276頁
(*2):「日本の横穴墓 (考古学選書)」 池上 悟  2000 雄山閣出版 248頁