2019年7月6日土曜日

“何を見ているのか”~萩原健一、内田裕也追悼扉絵(7)~


 原則絵画には顕幽の境はない。描かれていないものは“無い”のだ。そんなお化けみたいなものは作品に属さない。妄想を膨らませ、あたかも存在すると言い張るのは実に愚かしい行為である。描き手の胸中を勝手に慮って無軌道に他の作品を引き合いに出す文章はもはや評論ではなく、価値のない戯言に過ぎない。

 であるから、萩原健一、内田裕也追悼扉絵と【赤い暴行】(1980)を連結して語っている私のこの文は評論の域を逸脱していて、解釈の横すべりというか、一種の淡い憧憬に過ぎない。この点を念押しした上で、今回の扉絵をめぐる時間を閉じたい。

 【赤い暴行】については過去何度も綴ってきたが、石井隆という作家を語る上で欠かせない作品と捉えている。死出の旅路の一里塚が描かれる。大量の睡眠薬を呷ったおんなの意識はひどい混濁と跳躍を繰り返し、目に映る風景はどんどん支離滅裂になっていく。“景色”が鏡に映るように複製されて行く手に立ちはだかり、登場人物とわたしたち読者の目をとことん幻惑する極めて特殊な時空が出現するのだが、そのような精神の崩壊を出鱈目に刻んでいるかに見せて石井はかなり厳密に劇をコントロールしている。

 石井の郷里の景色が写し描かれてもいて、崖と見えるものが実は川辺である点も確認済である。相当に思い入れのある作品のひとつに違いないそんな【赤い暴行】と、この度の追悼扉絵が三十九年という歳月を跨いで近接する間柄にあるとすれば、両者は共振を開始し、扉絵は似顔絵の域を易々と越えて反射光を強く返してくるように思う。

 なぜ絵のなかにドラム缶がそっと忍ばせて在り、それがなぜあちらの縁(へり)に置かれているのか、私たちはこの点を見逃してはなるまい。過去どのような宗教的体験を経たかは個人ごとばらばらであり、それは自由であって良い次元の話なのだけど、どうだろう、誰でもいいのだが、「ドラム缶の在る」天国なり地獄を見知っていれば教えてもらいたい。あの縁(へり)が死線に臨んで亡者が渡る川を仮に表わすとし、向こう岸がもはや冥界の一部と想像した時、そこにドラム缶がぽつねんと置かれるのはすこぶる不自然ではなかろうか。

 新聞や週刊誌では連日のように殺人事件が紙面を飾る。「地獄」さながらの状況が克明に伝えられると共に、人体がすっぽりと収まってしまうそのサイズ上の特性から、空のドラム缶が現場に佇立して読者を脅かす。たとえば1988年暮れから翌年に渡って起きた通称「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の陰惨な監禁と暴行傷害、これにつづく死体遺棄の終幕部分において、ドラム缶はのっそりと不穏な面持ちで現われ、若い被害者の骸(むくろ)を丸呑みした。いまから三十年も前の事件だが、そのあらましを生で聴いた者の脳裡に終生癒すことの出来ぬ創(きず)を残している。

 だから、「現世の地獄的状況」にはドラム缶は確実に在って、身近な被害者を飽くことなく食らい尽くすのだが、通常私たちが夢想するあの世にそんな金属製の缶は見当たらないように思う。地獄の鬼が腰掛けるのはごつごつした巨石か白骨の山、もしくは泣き叫ぶ亡者の身体であって、錆びついてペンキの汚らしく剥げた円柱の器ではない。アクション映画の一場面に見立てた死出の景色を模して石井隆は追悼絵を描いたのだったが、三途の川と目される縁(へり)の向こう側にドラム缶をわざわざ配置し、私たちの宗教観(此岸と彼岸)に背いた構図を取っていることをどう捉えるべきであろうか。

 映写幕に続続と投げかけられる光の矢に乗るようにして、私たちの視線は手前の方から奥へ奥へと進んでいく。中央部に描かれたおんなの頭部には消失点が穿たれている。いつしか私たちの視線は誘導され、すべてが引き込まれるブラックホールのごとき虚無の洞窟をおずおずと覗く心持ちで、おんなの小さな背中を追い、それにすがっていく役者ふたりの宿命的な追従を夢想する。どんどん遠くなっていく男ふたりの姿が予感され、差し迫る永別を想ってこころから彼らの寂滅を惜しむ。それが一般読者の内部に湧き立つ感想に違いない。生から死へのベクトルは、一直線に手前から奥へと延びている。こちらが生、あちらが死である。

 されど縁(へり)の向こう側に、視線の先に、ブービートラップさながらの目立たぬ偽装を施されたドラム缶が一本唐突に置かれてあるのである。いったいドラム缶が在るのは何処か。つまり私たち読者の思い込みとは逆で、この絵の真意は、男たちが渡河を果たした直後を描いたとも読み取れる訳である。縁の向こうが実は現世であり、こちら側があの世となる。めまぐるしく視座が転換して、視神経が熱を帯び始める。男たちは今まさに縁を飛び越え、こちら側にやって来たところなのだ。

 ふたりは涙を流し、汗をたらして視線の彼方に目を凝らしているのだが、その瞳の先には何があるのか。劇場なのか試写室なのか席が並んでおり、私たちが座っている図式である。では、私たちは何者なのか、何処に座っているのか。実話雑誌で人間世界の魔の刻(とき)を知り尽し、人間とは何か、映画とは何かを常に考えてきた石井隆が、死者の国、地獄に集うがごとき我々に向けて静かに囁いている。死とは何か、地獄とは何か、そもそも境界などあるのか、どう捉えどう生きるべきか。君の役目は何かね、奪衣婆かね、それとも牙を剥いた鬼かね、それとも右往左往する煩悩まみれの亡者かい。地蔵菩薩だなんて自惚れたこと、よもや考えているんじゃあるまいな。

 崖やコート姿といった類似点を並べて【赤い暴行】の連作だろ、トリビアだろ、と言いたいのではなくって、【赤い暴行】の構造を踏まえて漸(ようよ)う見えてくる浄玻璃鏡(じょうはりきょう)のごとき反射板が在るという点、そして、そこから照射される硬軟、寒暖の織り交ざった石井からのまなざしの強さこそ共有してもらいたいのだ。石井隆の劇を縦断する往還の目線を意識してもらいたいのだ。

 年齢相応にこのところ見知った人、同級生たちがぽとりぽとりと花弁の落ちるようにして唐突に逝くようになった。故人の写り込んでいる集合写真など見ると、なんだか死んだ者もまだ生きているはずの者も誰もかも全員が黄泉の国の住人のように見えてしまう。終戦の翌年に生まれた石井の年齢ならば、尚更そんな不意討ちと茫然たる日常ではなかろうか。過去の作品たち、映画や劇画もそんな風に見える刻があるに違いない。追悼の絵を映画に模したのは、単に映画雑誌からの依頼に応えるばかりではあるまい。

 ひとりの作家の内部の堆積が産み出した地獄極楽絵となっている。こんな際どくも切ない宗教画を描けるのは、おそらくは世界中で石井隆以外にはいないだろう。