2011年4月29日金曜日

“ふたりの風景画家”


 昨年十二月、暮れも押し迫った頃に映画監督の池田敏春(いけだとしはる)が世を去った。遺された作品のうち、白都真理(しらとまり)主演の『人魚伝説』(1984)がこのところウェブ上で話題となっている。“原子力発電所建設工事”をめぐる暗躍や対立が物語の背景にあり、ささやかな漁民の生業(なりわい)と家庭が無残に押し潰されていく様子が描かれていた。巷でささやかれる声は、今この瞬間のわたしたちを脅かし続けているさまざまな事柄と映画世界が隙間なくリンクした結果である訳なんだけど、それと共に、池田が舞台(ロケ地)となった港町を再訪し、海に身を投じて自ら生命を絶ったという因縁の深さ、多層さに誰もがこころを惹かれるからに違いない。

 もちろん、事の詳細は部外者である私にはまるで解からない。いかなるプロセスを経てそこに佇んだのか、眼下に臨んだ冬の海が彼の魂にどのように機能したものか。独りぽつねんと対峙してどんな風が吹き巻き、どんな波がそのとき砕けたものか。もはや語る思いも残っていなかったのだろうか。答えの返らぬ質問がおぼろに明滅するばかりなれど、感覚として拒絶は起きない。どころか、むしろ私には馴染む部分さえ、実はある。

 三十代の血気盛んな時期に撮った映画の舞台に、なにかしら追慕するものがあったと想像するのはたやすい。それに、ある程度の年輪を重ねた者であれば、思い当たる節が誰にでもあるのじゃなかろうか。内奥の深いところに癒着してなかなかに醒めやらない、不安定でどうしようもない“場処”のひとつやふたつを抱えながら、どうにかこうにか生き長らえていくのが人間というものだ。迂回して通る時もあれば、ふらり立ち寄って気持ちの整頓をしたりする、そんな場処が確かに在る。

 彼の地が池田にとってそんな場処であったのならば、遺族の皆さんには聞かせられないが、“かたち”としてそれはありがちな、諦観をたたえて見つめることが可能な、おごそかで静謐な場景となって脳裏に投影されるように思う。

 自ら選んだ場処で自ら選んだ区切りを求めた「強靭な執着」は彼らしいな、という感慨もある。盛夏、厳冬の時期ともなれば思考をすっかり滞らせる猛烈な寒暖に襲われてしまう、四方を緑濃い山々に囲まれた狭隘(きょうあい)な盆地に生まれ育った池田敏春という男が、“風景”に過剰な思い入れ抱いた挙句に“風景”に溶け込もうと図るかのような幕引きを演出したのは、同じ北国に育った私の中に、らしいな、という感慨を湧かせて止まないところだ。

 自然を制覇し切ったとうそぶいて見える都会とは違い、葉山信仰や草木塔、山岳修行といった習俗にべったりと染まった東北の地では、町や村は自然から恐る恐る借り受けた特例の区画、自ずと謙虚にならざるを得ない間借り状態となっている。今の世にそれはあるまい、大袈裟なことを喋るものだと笑うかもしれないが、本当にそうなのだから仕方がない。人間もまた自然から猶予を与えられ、猫の額みたいな平地に生かされており、やがて時が満ちれば、鬱蒼たる山々の奥へと帰還して樹や蔦(つた)、花とか草藪(やぶ)に入り交じって一体化するのは感覚として至極当たり前である。

 そのような地で展開される“風景”は精神や思索といったもろもろをはるかに凌駕していて、(“生活”ではなく)“人生”の根底を強く牽引するところがある。終幕に訪れた“海”という風景に池田がどのような眼差しを向けていたか、だから、その一割程度は解かるような気がわたしにはあるのだ。良いとか悪いとか、哀しいとか辛いでなく、きっとそうだったのだろうと想って、今はこころ静かに冥福を祈っている。

 彼の死は新聞に多く取り上げられることはなかったが、追悼する写真付きの小文(*1)が大きく一紙に載せられており、嬉しくそれを読んだ。故人の内実を探り切れずに、やや途方に暮れた感じで断絶してしまう文章であったが、かつて映画青年だったらしい書き手の池田作品への敬意と憧憬を含んだ記述はためらい無く地平線を広げてみせ、石井隆が脚本を書いた『天使のはらわた 赤い淫画』(1981)もすらりと紹介してあって、とても綺麗な筆致だった。

 根岸吉太郎と並んで、石井もほんの少し言葉を寄せている。書き写すとこんな具合だ。

──織田作之助の短編小説の映画化で、大阪を舞台にした男女の純愛物語。「天使のはらわた」などの脚本を書いた石井隆さん(64)は、「秋深き」を見て、主人公の2人が手をつないで歩く姿に目が留まった。以前、池田さんに「こんな風に書いて」と言われ、示されたアメリカ映画「コールガール」(*2)の1シーンに似ていたからだ。それは、「体を売る相手でしかなかった、“男性”という存在を初めて愛した女性の気持ちがよく出ている」印象深い場面だった。

 石井の指す場面とは一体どんなものであったか、そして、池田の遺作との連関は本当にあるのかが気になって、続けざまに観て先の休日を過ごした。

 失踪した中年男の行方を追って田舎町からニューヨークにやって来た私立探偵が、ジェーン・フォンダ演ずる事件の鍵を握っていそうな若い娼婦に接近し、おんなの住まうアパートの一階にある半地下の小部屋に調査の拠点を構える。騒動を嫌って、最初はつっけんどんな態度で探偵をあしらっていたおんなだったが、最上階に位置する自分の部屋の頭上で怪しい影がちらつき、ごとごとと徘徊する物音が天井に響き始める。遂に耐え切れなくなって階下の探偵に助けを求めてしまい、それを機縁にして両者は急接近していくのだった。

 調査と護衛、幾ばくかの恋慕とがない交ぜになった昼夜が重なっていき、なかなか緊張は解けないまま膠着した状態だけが連なっていくのだけれど、ところが、街角で買い物をして過ごす生活臭溢れた場面が不意に挿入されて流れが一変する。紙袋を抱えて先を歩く男の大きな背中を見やる、おんなの瞳の、奥が一瞬ぐらりと揺らいで、次の瞬間にはすっと細い指先が、前に伸び、男の上着の裾をきゅっと摑んで、何事もなかったようにして後を追うのだった。

 男は背中を引かれて違和を覚え、瞬時にそれが何かを理解し、驚くでも破顔するでもなく、片手をおんなの背にさっと回すと、何事もなかったようにして並ばせ、一歩を踏み出していく。おんなの手を掴みふたりが腕組んで歩き始めるまでのその間、台詞は一切ないのが秀抜であった。雄弁な風景に触れた想いがある。石井が盟友たる池田を偲び、『コールガール』のこの場面を引き合いに出したことは記憶に価する言及だろう。

 『秋深き』が池田版『コールガール』であったかどうかは分からないけれど、あいかわらず光と影で掘り込まれた場面が鮮烈であって、最後の最後まで池田は彼らしい“絵作り”を徹した事が読み取れ感服した。さえない中学教師が惚れたおんなに夜道で追いすがり、街灯の下で唐突に求婚するくだりで、ふたりの輪郭をちろちろと真白く発光させるように配された照明の、それに付随して天空より舞い下りて寄り添うカメラの、活き活きとして堂々たる演出に息を呑んだ。

 『秋深き』と『コールガール』の両者と、加えて池田敏春と石井隆という映像作家の間で共振する箇所に想いを馳せれば、台詞以上に絵でもって語る、光と影で世界を波動させる、そんな技法に行き着くように思う。池田の追悼上映で招かれていた根岸が口にした言葉をここで借りれば「ワンカットに過剰に執着する」ことにより「視ている者のこころを揺れ動かす」、そんな徹底した絵作りを共有しているのは誰の目にも明らかだ。“黙して語る”とでも言うのか、“能弁なる風景”とでも呼ぶべきか、奥があって密度の高い絵画世界が峰を連ねていたように思う。

 性愛や暴力を軸とする物語を池田も石井も紡いできたが、その多くは思えば“風景”と総称されるものだった。恋情や欲望を題材にした作品を眼前にすると、カッと頭に血をたぎらせ、杓子定規にやれ陰部だの尻だの陰毛だの、性的だの、わいせつだのと騒ぎ立てては封殺を目論むひとがいるけれど、彼らは風景に畏怖や敬虔を抱けないこころ貧しい都会人に見える。

 わたしたち人間もまた自然の一部であり、風景の一部となって活かされていることを本質的に悟った者でなければ読み切れない映画、絵画、写真というのはあって、まさしく池田と石井はその贈り手であった。大切な画家をひとり失ったと感じている。

(*1):讀賣新聞 追悼抄「悲劇のヒロイン映す」 東京本社文化部 近藤孝 2011年3月7日(新聞の場合、掲載日は地域によって異なることがある)
(*2): KLUTE 監督 アラン・J・パクラ 1971