2011年12月18日日曜日

“Phaedra”


 石井の『死んでもいい』(1992)はジュールス・ダッシン Jules Dassinの同名監督作品(原題“Phaedra”1962)と地下茎を結んでいる。動画サイトにその断片があり、最近充実してきたので載せておこう。アンソニー・パーキンスがバッハのトッカータとフーガ ヘ長調BWV.540を歌いながらアストンマーチンを無茶苦茶に飛ばし、大型車両と正面衝突しかける終幕の描写は壮絶で目を瞠らされる。石井の作品でも似たような構図で(やや唐突な印象、不自然さを匂わせて。もちろん車も違うけれど)再現されていた。

 大竹しのぶ演ずる“名美”が映画のなかでその後どうなるかを、石井は私たちに示すことなく、静止画でもって断ち切ってしてしまうのだが、ここでのメリナ・メルクーリの姿を見れば(そして両者の連環を信ずれば)何となく予想がつくというものだ。石井の映画とは自作他作を問わず、かつてのスクリーンの記憶や残像にふちどられた“こだま”の群舞、輪唱の側面を具えているからだ。


2011年12月15日木曜日

2011年11月16日水曜日

“寒地獄”



 堂々めぐりと笑われそうだけど、小泉八雲(こいずみやくも)の著作に気持ちを引きずられている。出入りの庭師“金十郎”に誘われ、町のお祭りに足を運んだ際の印象を綴った次のくだりでこころ騒ぐものがあった。 

────私が地獄の雰囲気のうちに所どころ不釣合な点のあることを考えている間に、地獄に関する普通の仏教の絵本のうちには寒さの苛責(かしゃく)の絵を一つも見ない事を思いついた。

実際インドの仏教は氷の地獄の存在を教えている。たとえば人の唇が凍るので「あゝたた」としか言えない──それで“あたた”と呼ばれる地獄がある。それから舌が凍るので「あゝばば」としか言えないから“あばば”と呼ばれる地獄がある。それから“大白蓮地獄”がある。そこでは寒気にさらされた骨は『白蓮の花の咲くよう』である。金十郎は日本の仏教に氷の地獄があるはずだと思うが、たしかには覚えないと言う。

私は寒気の考えは日本人に非常に恐ろしい物になれるとは思わない。日本人は一般に、寒い事が好きであることを告白している。それから氷や雪の愛すべきことを漢詩などに作る。(*1)


 八雲は“擦りあわせ”の名人だ。来日するまでの四十年間で培(つちか)った知識と日本で実際に目撃なり耳にしたことを寄せ木して、異質なるもの、別個なるものを浮き彫りにする。さらに念入りに咀嚼して想いを馳せていく。季節は酷寒の頃、神社やら墓所に面した町の広場に出店が立ち並ぶ。一角にはお化け屋敷や地獄めぐりといった妖しげな見世物小屋が軒を連ねており、ふたりはその一つで小銭を払って冥途のジオラマ─炎に包まれた光景─を観て歩くのだったが、折からの冷え込みも手伝って奇妙な違和感を覚えるのだった。思考の歯車が勢いづいて“擦りあわせ”が始まる。日本の地獄は炎のうねり狂う光景ばかりではないか。なぜだろう、そういえば西洋とも違う、インドとも違う──

 百年以上も前に発せられたこの問い掛けは、ゆるゆると波紋を拡げて我が身におよぶ。なるほど“地獄”を脳裡に思い描くとき、そこに白い雪片はついぞ舞うことがない。ダンテの「地獄篇」では至るところ氷河や氷結した洞穴ではなかったか、どうして日本の地獄には固い凍土や雪に閉ざされた池が存在しないのか。紅蓮の炎やぐつぐつと煮える溶岩の川ばかりが思い浮かんで来るのは、考えてみれば可笑しなことだ。

 三途の川を自ら渡って確認する訳にもいかぬから、答えは書物に求めるしかない。石田瑞麿(いしだみずまろ)という人の本に回答を見出した。まとめると次のような具合だ。

────地獄は寒地獄が観念として始めに考え出されたものである

『長阿含経』中の『世記経』には最後の第十六番目に、それまでとは全く違った寒氷地獄があり、その内容は「ただ寒風に罪人がさらされ、全身凍結して皮肉が脱落する激しい苦痛に悲しみ叫喚する」と説いている。

『雑阿含経』一二七八経へのように、八寒地獄と整理されて存続する。(中略)これら八寒地獄は、八熱地獄とどうかかわって、どのような位置を保っていったか(中略)。この一々の名が示すように、ここに堕ちた罪人の身体の変化、または寒気によって生ずる叫び、といった単純な発想を出ていない点が、この地獄を八熱地獄に対して従属的なものとしたり、(中略)軽く扱われる結果を招く要因であろう。寒地獄での寿命にしても、語るものは少ないし、その業因にしても同様である。

一般的には熱地獄の方が印象の上では強い(*2)


 素裸の人体に氷点下幾十度といった烈風が吹き寄せ、さながら蓮の花弁の開くように肉と骨をぱっくりと割り裂いていく。壊死した皮膚は次々に醜い“あばた”となって顔面を覆ってしまう。熱地獄に劣らぬ凄惨な光景が“寒地獄”では展開するのであるけれど、それがいつ終わるものかまるで想像出来ない点が“恐怖する感情”と直結しないようである。

 わたしたちは物が焼かれて徐々に変質し黒く炭化していくさまや、魚や動物、時には人体が骨灰(こっかい)へと変化し至るのを日常的に見守っている。よくよく知っていればこそ、わが肉を焼き焦がす“過程”が果てなく永劫に続くと言われれば、そりゃ酷いよ、勘弁してくれと呻いてしまうのだったが、凍結状態がいつまでも続くと言われても、まるで科学小説の冷凍睡眠じゃなかろうか、その間に夢は見るのかしらん、などと呑気な事を確かに考える。

 北国の住人ともなれば積雪の処理に追われる日もあろう。身を切るような冷たい水で収穫したものや道具を洗うこともあろう。かじかんだ指先はいつしか感覚をうしない、自身の肉体の端々である気がしなくなる。これら酷寒下での感覚の麻痺、四肢の消失(幻覚であるにせよ)を多少なりと経験する日本人にとって、激しい苦痛と悲しみが続くことの実感(=想像の原資)がどうにも乏しく、意識を集中させて暗黒世界の構築を推し進めることが出来ない。

 また、ひとくちに“冬”といっても様々な段階があって、水道管の破裂するような凍てつく夜もあれば、羽毛のような雪片が音もなく舞い下りる夜もある。そんな雪夜は実感として至極あたたかい。容赦なく髪や肉を焼いてしまう炎と違い、雪は目にやさしく“情”を感じさせる存在である。私自身は八雲の指す一般的な日本人とは違い、“寒い事は嫌い”であることをここで告白しても良いのだが、それでも冬と地獄とはいつまでも結び目を作ろうとしない。

 もしかしたら埋葬の手段も影響するかもしれぬ。冷え冷えした地底に葬られる西洋と荼毘に付される(ようになった)日本では、罪を負ったままの死者に対する“苛責(かしゃく)”の方向は当然違ってくるだろう。──かくして“寒地獄”は我々の思念の中から姿を消したのである。

 さて、“白い地獄”の朧(おぼろ)になっていくのを見送るうち、私のなかで今度は石井隆の『フリーズ・ミー』(2000)について若干の修正が加わるところがある。『フリーズ・ミー』は場景のほとんどをマンションの一室に限定しており、ヒッチコック作品(*3)にも通じる野心や乾いた笑いに満ちた佳作だ。

 ちひろ(井上晴美)というOLの住まう部屋に次々と男がやって来る。彼らは五年前に彼女を強姦した悪党仲間であり、当時の様子を撮影したビデオテープを大量に複製して裏社会で売りさばいた過去を持つ。どうやら別な事件で捕まって入牢していたらしいのだが、出所した男たちはおんな(事件について口をつぐんでいたらしい)に再接近することをもくろむ。ところが、ささやかな幸せを守ろうとする必死の反逆に遭ってしまい、油断した男たちはひとり残らずおんなに撲殺されてしまうのだった。

 後始末に悩んだおんなは業務用の大型冷蔵庫を電話注文し、運送業者の手で届けられたそれに男たちの屍骸を押し込んで凍らせてしまう。狭いワンルームマンションに三つの大きな箱がひしめき、生者と死者との奇妙この上ない同棲生活が始まるのだったが、事情をまるで知らない恋人の訪問と(異臭を発端としての)事の発覚からひとときの均衡はあえなく崩れ、若者とおんなの関係は終わりを告げると共に両者の命も途絶える、という幕引きであった。

 正直言えば観賞直後の印象は、精密画の絵師たる石井にしては乱暴な仕上がりと思われた。しかし、読書経験で培った知識と石井世界の諸相とが線を結び、孤絶して見えた景色がほかの石井作品と峰を連ねていく感覚が生まれるに従い、この『フリーズ・ミー』はわたしの奥で成長している。初見の印象が後日、大きく転換していくのが石井作品の特徴でもあり、色彩を変え、味わいを倍化させて今に至っているのだ。例えば、劇の冒頭はこんな場面で始まっている。

────1、東北のとある町・冬の夜の水銀灯(五年前)

(F・I)見上げれば、ポツンと立つ水銀灯の辺りだけが闇空
から湧いて出るように降りしきる雪を白く浮び上がらせている。
それを見上げる短大生のちひろがいる。
(辺りの実景は不要)雪、ますます吹雪いて来る。闇空にポツンと立つ

水銀灯と見上げるちひろのカットバック。
ちひろの見た目の吹雪の水銀灯に。

T「5年前・東北のとある町」

見上げるちひろの悲しげな顔が徐々に白く掻き消されて行って

(吹雪の白の上に)、メインタイトルが入る。

「フリーズ・ミー」(*4)


 抒情を煽り、観客を現実の季節から引き剥がして劇空間に取り込むことを目的とした意味薄いカットに見えなくもない。けれど、少女の“顔”が“悲しげ”であるということは、この少女が修羅を負って後(のち)の放心状態にあって、石井の劇の通例に従えば“自死”という選択も含めた重大な局面に置かれていると解釈して構わない。また、開幕の “こちら向きに上空を仰ぎ見る” この少女の姿と、終幕の“後ろ向きで階下を見下ろす”おんなの姿は100分近い物語を挟んで対(つい)になっており、石井らしい鏡像を見事に形成している。

 私たちは『花と蛇』(2004)と『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)を目撃してしまい、スクリーンを朱に染める石井の劇が時に徹頭徹尾ひとりのおんなの内奥に巣食う妄念、哀切な調べを帯びた夢や願望を“仮設”したものに過ぎない事を今では学んでいる。(二作の構造と同様に)五年前の少女の傷心がもたらした“白昼夢”とする想定はさすがに荒唐無稽でありえないにしても、観賞する者のこころに“堂々めぐり”を強いる構造が『フリーズ・ミー』にはあり、そこに石井らしい気迫が充溢しているのを感じる。冒頭のカットからしてこうなのである。

 また、引越しにともなうだらだらと間延びした横移動を経て、(“高層”と言えるほどの急激な上昇はないにしても)投身を可能とする上階を強調してみせた石井の演出は『死んでもいい』(1992)、『夜がまた来る』(1994)、『GONIN2』(1996)、『黒の天使 Vol.1』(1998)の各々のラストシーンと尾根を連ねてもいる。深甚なる想い、恐るべき多層を各カットに託さんとしており、石井世界を語る上で『フリーズ・ミー』は無視できない仕上がりとなっている。表層雪崩のごとき性急な展開、捨て鉢で捉えどころなく見える人物造形──そのように侮(あなど)った経緯がいまは恥ずかしい。

 ここで小泉八雲にようやくにして立ち返る。少女の見上げた“降りしきる雪”と男たちを凍結する“冷気”といったものが結びつき、タイトルの由来になっているのは当然として、劇中点在するそれら冷気には酷薄さ、攻撃性がどこか寄り添わないため“非常に恐ろしい物にならず”、“寒い事が好きであること、愛すべきこと”を告白して見える。

 凍った男たちの横面(つら)を美しいと喜び、日々狭い空間で添い寝していくことに嫌悪感や恐怖を一切滲ませない“ちひろ”というキャラクターには複雑にたくし込まれたものがあって、これは石井の創る女性像の一面をはっきりと浮き彫りにしているように思うのだが、それを補強するものとして石井独特の、そして私たち日本人の共振をあえかに誘う“冷凍”の様相とその解釈がここでは盛り込まれているように思う。埋める、刻む、沈める、投げ捨てる──そんな始末とは違う階層に“凍結”はあって、何事か語っているのではないか。

 霜這わせ凍結していく男たちは、『ヌードの夜』(1993)で白い煙をなびかせドライアイスを身に纏った根津甚八と思えばそっくりであって、彼らが“体現”してみせるのは共に男の多くが抱えがちな恋情への執心、愛着、未練がましさだ。現状に惑い足踏みを続けてしまう男の思考はおんなから見れば随分と“凍って”見えることだろう。井上晴美の側からは過去に捨て去ったはずの性愛の執拗なる追尾が(旅行用バッグから冷蔵庫に替われども)重たい容れものという“かたち”となって出現しており、やはり『ヌードの夜』の名美(余貴美子)を取り巻く状況と面影を交えている。


 竹中直人、鶴見辰吾、北村一輝という“村木級”の役者を揃えたことだって理由があろう。獣欲だけをもって女性を玩(もてあそ)ぶ、深度のない単層な悪党であるならば、何もここまで芸達者な役者を集合させる理由はない。『ヌードの夜』に付随する情念や騒動を三乗する、そんなもくろみが石井にあったと想像するのは難しいことではない。

 ここで今度は(上記に紹介した)石田瑞麿の言葉も借りるならば、『ヌードの夜』と『フリーズ・ミー』を貫くおんなから男へのまなざしが如何なるものか、それも薄っすらと伝導してようやく手のひらに馴染むのである。
 
寒さの苛責(かしゃく)の絵を一つも見ない──
寒地獄での寿命にしても、語るものは少ない──


 男の罪業に対する容赦(ゆるし)、そして、記憶の永久(とわ)なる延命が“凍結”を通じて示されている。名美とちひろが男たちに抱く感情は劇中に台詞も少なく、また常識からいって真逆に思われるかもしれないが、まさにこの二つに集束なっているように思う。これは『ヌードの夜』と『フリーズ・ミー』の二作品に限ったことではなく、基本色となって石井世界を蒼く染め抜いている。

 本日、各地に初雪、こころ癒す雪でありますように──


(*1): Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)「第25章 幽霊と化け物について」 小泉八雲 1894 落合貞三郎 大谷正信 田部隆次訳 全集(1926-1927)第3巻 821-822頁
(*2):「日本人と地獄」 石田瑞麿 1998 春秋社
(*3): Rope アルフレッド・ヒッチコック 1948
(*4):台本(決定稿)より抜粋

2011年11月4日金曜日

“蝿のはなし”



 軟らかな面紗(めんしゃ)のような霧が早朝の街路を覆うようになった。風のなかに枯れ草の甘重い匂いを感じ、夜毎奏でられた虫の音もいつしか絶えた。庭木に張られた女郎蜘蛛の巣には艶が失われ、寄り添っていた小さな雄の姿も見当たらない。季節の端境を越えてしまったことを知る。

 先刻から一匹の黒い蝿が纏わり付くように飛んでまわって、とっても煩わしい。この小さな蝿にしても早晩寒さにこごえ、寿命を閉じるにちがいないのだ。そう思うといささか哀れを感じる。ちょうど石井隆の物語にこつ然と現われる“怪異”について、と、言うよりも『GONIN』(1995)の中の“蝿たち”について考えていたところだった。

 事業が立ち行かなくなる、はたまた、リストラの対象となり職を失う。ロック歌手に憧れ上京してみたはいいが寄る辺なく、その日の糧にも事欠いて恐喝まがいの悪事に手を染めねばならぬ。そんな行き詰まった男たちが、何の導きによるものか偶然に出会ってしまうのだった。苦境を脱け出す算段をさっそく始めたはいいが、誰の顔にも焦燥や疲労の色がうすく滲み、肺腑の奥ではぼんやりした諦観が渦巻いている。もう疲れちゃったよ、この辺でひと暴れしたら俺の人生、幕を引いちゃってもいいのじゃないか、みたいな心棒の変質を吐息や紫煙とともに吐き出して見える。

 奇想というべきか捨て鉢と呼ぶべきか、あろうことか暴力団の事務所にある金庫に目をつけ、目出し帽被って男たちは急襲する。まんまと現金強奪に成功してしまうのだったが、怒った組織は凶暴この上ない二人組の追っ手を雇い、やがて死体の山が累々と築かれていく。血と反吐のすえた臭いに惹かれたか、羽音をぶんぶんと唸らせ蝿が寄りたかる。石井隆の映画『GONIN』は豪華キャストに彩られ、色香あふれた外貌が魅力この上ないけれど、正直言えばお話はそんな下降線をたどる陰惨な内容である。

 荻原(竹中直人)と三屋(本木雅弘)の鼻先に蝿は飛翔を繰り返し、観客の嫌悪感をぱんぱんに膨張させていく。遺体から発せられる腐臭やどろり濁った運河のヘドロ臭がつんつんと幻嗅されて、逆撫でされた神経が危険や不安を訴える。緊迫を煽る常套手段として時計の秒針のカチカチと刻まれる音がよくあるように、男たちの惨めな逃避行を醸し出す小道具として“蝿の羽音”がここでは登用されたと誰もが思う。の、であるが、石井はかつての対談(*1)のなかで、この蝿が死者の転生した姿であると言い切っている。

 何ら思わせぶりなカットなり台詞を劇中に挟むことなく、映画雑誌の対談でそっと秘めた思いを吐露してみせた石井の言葉に心底から驚愕し、以来頭の隅からその事が消えずにいる。手塚治虫の【火の鳥】や南米の未開人の死生観を引いて、自分なりに咀嚼した想いを以前mixiにも書いているがいまだにすっきりしない。(*2)

 この春の震災とそれに続く原子力災害が落とす影の色は黒々として、生きることや死ぬことについて考えさせられる瞬間が幾度となく巡って来る。死して後、誰であれ輪廻転生の定めに則(のっと)り“何ものか”に生まれ変わらざるを得ないにしても、『GONIN』のような“蝿”になるという選択は在り得ないように感じられて身悶えしてしまう。どうにも落ち着かぬ。

 自分の内部でなぜかくも頑固な抵抗を感じるかといえば、一匹の蝿ごときに変身するのが万物の霊長たる人間さまとして耐えられない、という驕りでは決してなく、だいたいが自分に託された役割や使命など人類史の悠久たる流れの中ではささやかなもので、“芥(あくた)もくた”の存在に過ぎない。蝿になるならそれでも仕方ない。

 つまり感じるのはこういうことだ。一向に色褪せることなく逆巻きつづく思慕──、悔恨や慙愧と呼び表される重石の大きさと冷たさ──、果てなくさえずる欲心、欲念──、暗き土中からむくり芽を起こし蔦をのばし、我が身を縛っていく飢えと渇き──そういった手に余って仕方ない煩悩たちの堆(うずたか)く積まれて多層となったものが、あんなコンパクトな羽虫の頭なり身体に収まるとは到底思えない、その疑念が転生のイメージを撥ねつける。

 総じて石井隆の劇は観客に消化不良を残すというか、胃液で溶かしきれぬ塊(かたまり──これが魅力なんだけど)を含んでいるものであるが、石井の『GONIN』は私のなかで解決せず、残光がずっと尾を引いてしまい記憶にとどまった。

 ところが先日、往時の食文化を調べるつもりで購入した小泉八雲(こいずみやくも)の作品集のなかに『GONIN』の現象に通じるくだりを見つけてしまった。京都の商人、飾屋久兵衛(かざりやきゅうべえ)の屋敷に雇われていた若狭の国生れの下女“たま”が急に病気で亡くなり、それから十日後に大きな蝿となって再訪するくだりがある。(*3) 仰天するというよりもただただ不勉強を恥じ入るばかりであるが、我が国の先人にとって死者の“蝿”への転生は面妖不思議なことなれど、拒絶したくなるほど不自然とは思わなかったようである。

 石井の戦歴を振り返って見ると『ヌードの夜』(1993)の同年にテレビドラマ用の脚本を書いており、それは『怪談 KWAIDAN Ⅱ』と銘打ったオムニバスであって、石井は『ろくろ首』を担当した。原作はもちろん八雲である。(*4)

 処女作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)でも、また、この二年ほど前に発表された『月下の蘭』(1991)においても魂の飛翔する様が描かれているわけだし、画集「死場処」(1973)においても現世と幽冥との壁が剥がれた昏い情景が目白押しであった訳だから、元々石井のなかにある体質として霊魂なり転生は活きている。
 
 活きているけれども、こうして八雲を読み終えてみれば『ヌードの夜』のあの名美(余貴美子)も、あの行方(なめかた 根津甚八)も、『GONIN』のあの蝿も地続きになって峰を連ねるように思える。真摯に仕事をこなし、その都度に貪欲に吸収して綾を増しながら成長を重ねていく石井世界。その硬軟自在の体質に舌を巻くしかない。八雲を呑み、あやかしを懐中に入れて“日本人の情念”の創出に挑む石井の姿が夢想され、さらに奥行きが増して今は感じられる。恐るべき多層が石井には巣食うように思う。

 盛んに飛んでいた蝿が見当たらない。感化されやすい性質(たち)だから、何者かの化身、自分の見知った先人の生まれ変わりであったらどうしようと心配になり、誰なの、どうしたのよ、と声出して尋ねたりもしたのだった。傍から見たらもう立派な狂人である。励ましに来たか、叱りに来たかと見下ろしてみたが、当然ながら返答などなかった。どこか部屋の隅で凍えているものか、それとも黄泉の国帰ったものか。

 連絡の絶えてひさしい友人を想う。元気でいてもらいたい、そう願うばかりでいる。

(*1): 「映画芸術 通巻377号」編集プロダクション映芸(映画芸術新社) 平成8年 (1996)1月発行 石井隆vs山根貞男「GONIN」  本木雅弘演ずる若者が恋慕っていた佐藤浩市を喪い、途方に暮れ、哀しみに沈んで運河の浮桟橋に係留なった廃船に独り隠れ潜んでいる。自死を試みるものの踏み越えられずに蒼白い夜を悶々と明かしていく抒情あふれる名場面なのだけど、若者の傾斜していく思いを遮るように飛翔する蠅の羽音がそこでは幾度かインサートされ、それはてっきり運河なり廃船の汚れ具合を強調しているものと普通の観客ならそのように読み取る、そんな描写だったのだけど、石井はこの蠅こそが竹中直人の転生した姿なのだと山根の前でさも当たり前のように話している。

──例えば、本木君が自殺しようとしたところで、ブーンと殺された竹中さんから生れた蠅が飛んで来て思い止まらせる、とか(笑)

(*2): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1554536726&owner_id=3993869
(*3):「蝿のはなし」 小泉八雲 「骨董」(1902)所載 手元にあるのは上田和夫訳の「小泉八雲集」 新潮社 55刷
(*4): 『怪談 KWAIDAN』(1992)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E8%AB%87_KWAIDAN
『怪談 KWAIDAN Ⅱ』(1993)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E8%AB%87_KWAIDAN_II

2011年10月29日土曜日

“背景”



 少し前のことになるが、土屋能風(つちやよしかぜ)(*1)の個展会場に足を向けた。端正な顔立ちの男がひとり受付に座っていて、来場者へ穏やかに挨拶しながら手元で何かせっせと描いていた。もしかしたらと思って声を掛けたところ、やはり土屋当人であった。

 不粋な質問に対しても笑顔で応えてくれる。また、創作におけるこだわりや作品の狙いなども気さくに話してくれた。欲張り過ぎかも知れぬが、こういう“作り手を知る時間”が無性に嬉しい。充実した休日になった。

 ぱっと目にはちんまりと小さい作品が並んで見える。いずれは大作にも挑みたいけれど、いまのところはA4かA3程度の紙を素地に選んでいるとのこと。されど、侮(あなど)ってはいけない。ぐぐっ、と目を寄せてみてようやく分かるのだけど、鳥肌立つほど緻密な描き込みが為されており、どれもこれもが独特の厚みを維持している。

 描写の対象は圧倒的に若い女性であって、髪、爪、瞳、唇といった身体の重要な部位が心血を注いで再現されて視覚をいたく刺激する。皮膚の皺、骨格の歪みがそれに加わり、衣服や寝具の縫い糸や布地の風体が重奏なって迫り来るものだから、見応えは十分だ。時におんなたちはギターを掲げてポーズをとるが、その楽器もまた異様な執着をもって画面に組み込まれており、存分に存在感を主張する。

 モノクロームの世界に陶然と佇み、また這いつくばるおんなたち。多くが伏し目がちであるし、口元も硬い。一歩間違えれば醜悪な悪夢におちいるところが、妙に爽やかな晴れ晴れとした、さらさらと乾いた気配を放出して気持ちがいいのが不思議である。作者の気性が刷り込まれているのかもしれない。世界を肯定し、生命(いのち)を祝福しているように感じられる。

 同じ鉛筆画で著名な木下晋(きのしたすすむ)は確か二十もの種類を準備して、硬軟、濃淡を使い分けていると聞く。対して土屋はHBの鉛筆しか使わず、線描への突出した執心だけを武器に果敢に斬りこんでいて、よくここまで拮抗し得るなと感嘆する、というか、固定観念が砂山の崩れ去るように消えていく、その感じが心地好い。

 さて、受付の小さな机で土屋が描いていたのは歴(れっき)とした“作品”なのだった。はからずも貴重な工程を覗き見たわけだったのだけど、素人目にもずいぶんと変わった描き方をするのが分かる。一本の鉛筆しか使わないことも含め、おそるおそる感想と疑問を口にすると、土屋は特別の秘密はないからと打ち明けてくれた。

 絵は独学であること、建築を学んでいた時期があったこと、その技法を少し踏襲していること、だから使う紙も鉛筆も建築用図面を起こす際の専用のものであること───。建築の手法でおんなを描いている、まるでベルニーニみたい。かっこいい。

 土屋の絵のなかに住まうおんなの髪は、石井隆の名美のそれと似て一本一本に血と神経が通っているように見える。うねってさわさわと流れていく様子は凄まじく、そこだけ見つめれば両者は引き合うものがある。だけど、決定的な段差があると囁く声があり、さて、それは何だろう、両者の間を繋げ、逆に穿(うが)つものがあるとすれば何なのかを探(し)りたくて、再度画廊をゆっくりと廻ってみた。

 石井隆も独学のひとである。幼少時より油絵をたしなみ、画集と手塚治虫に代表される漫画に囲まれる環境に育ったものの、専門の教育を受けた経緯はない。引き出しやパレットを十分に画材や道具で満たした上で小出しにするのでなく、とりあえず手近なものを使い、試行錯誤しながら戦っている“がむしゃら”の風情がだからあって、それが宿命とか欲望とかいった化け物に翻弄される人間の焦燥や躍動、それこそ“がむしゃら”とうまく噛み合ってドラマを増幅していると感じられる。土屋の物腰は柔らかく“がむしゃら”という形容は当てはまらないのだけど、先が読めなくてわくわくさせるところは重なるように思う。

 「増刊ヤングコミック」に載った一話完結形式の小編が衝撃をもって読者に受け止められ、圧倒的な支持のもと連載へと跳躍を果たし、そこでようやく落ち着きを見せていく石井であったが、それまでの石井はといえば仕事を選ばず、寄せられる求めに応じて実にさまざまな画材とタッチで絵を描いては雑誌に載せる時期が長かった。なかに印象深い“鉛筆画”の一群があって、これなども土屋との共振を誘うものがある。

 では、両者の相違や段差はどこかといえば、あくまで私見に過ぎないのだけど、次のような箇所ではなかろうか。

 ひとつは対象に関して働く“深慮の行方”が異なっている。土屋は写実をきわめる己の画風を強く意識してか、被写体の胸部や腰部に対する筆入れを回避していく。対象に肉薄していないという事では決してなく、モデルと作者とが互いににじり寄ろうとする距離感を意識させて、かえって視る者をどぎまぎさせるのだけど、“守ろうとする一心”が視線を捻じ曲げているのはどうやら間違いない。“おんな”というものがその奥に潜ませる荒肝(あらぎも)や矛盾、途方のなさ、極端さといったものを手際よく封印しているように感じられて、結果的に画面から滲み出すものを抑えている。

 石井は自らを“奪う者、探るもの”の役回りに任じ、対象が隠そうとする部位(ただし無理に暴くことはしない)の気配を通じて、内部に根差してのたうちまわる“清算し切れぬもの”や“胎動し続ける衝動”なり“おそるべき多層”をあまねく捉えようと試みる。而して体液や血液、吐息、紫煙がとめどなく滲み出す。もうそうなると手に余り、抑えられず、到底守れ切れずに途方に暮れる、そんな流れである。

 たとえば石井の画集を手にして一枚一枚の絵に視線を注いでいったとき、石井らしいと感じるものと何か物足りなさを覚えるものが混然とする訳だけど、乱暴を承知で仕分けてみれば前者は圧倒的に黒く、後者は白い絵が多い。(土屋の絵も白い)

 闇であれ、雨であれ、樹海であれ、みっしりと背景が埋まった石井の絵にはようするに“守り”がない。無防備と感ずるときもあれば、世界に犯されている、揉みしだかれているような絵もあって、どんなに泰然として振る舞ったところで“おんなたち”は独立を保てず劣勢の戦いを強いられて見える。守護する騎士はおらず、大きな後ろ盾もなく、彼女たちは世界に染まり交わっていくしかないのだ。

 “守りえぬもの、寄り添い切れぬもの、互いに消耗しながらも併走するより仕方ないもの、こころ配るしか道はないもの、生き別れるもの”──包囲された世界といのち尽きるまで相互干渉し続ける、それが石井のおんなの宿命であるし、石井のおんなをみつめる男たちの運命である。

 石井が世に現われた際の衝撃なり“ひっかかり”を私は世代的に体験できなかったのであるが、こうして観る土屋能風(よしかぜ)の絵のような“ひっかかり”を当時の誰もが受けたものだろうか。そんなことを考えると、ちょっと嬉しい。

 変転しながらも独自の地平を石井が連ねたように、土屋もまた想像し得ぬ変幻を繰り返すことになるのだろう。目を凝らさねば見えぬ細密な刻印、ほつれる縫い糸、ゆらめく虹彩、白く照りかえす爪、きらやかな髪の流れを目で追いながら可能性の拡がりと今後の波乱を想い、あえかな羨望も実は覚える。素敵な人生と思う。変わっていく土屋を追いかけ見切る時間は私にはないかもしれぬが、期待もし、ひそかに応援もしている。

(*1):土屋能風 オフィシャルページTRUESENSE
http://wind.fool.jp/index.htm

2011年10月22日土曜日

“視覚異常”



 これまでは漫然と眺めるだけで気付かなかったが、放送局で働くひとと話をしているとテレビの本編なりコマーシャルの表現には煩雑な縛りが数多くあり、人知れず苦労を重ねているのが分かってくる。以前、ミステリードラマをめぐってこんなやり取りがあったそうだ。銀行だか宝飾店だかを襲った直後、路上に停めておいた車に凶悪犯が飛び乗り逃走をはかる。獣のように息せき切った男たちがドアを閉じる間もなく急発進させたところ、シートベルトを締めないまま走り出すのは交通法規に反するとすかさずクレームが寄せられた。

 上の例は卑俗すぎて笑うしかないけれど、とんでもなく窮屈な現場なのだ。視聴者が“故障”と騒ぎ立てないように音声が途切れて良いのは何秒以内と決められ、画像を逆さまや横置きにしてもいけない。もちろん言葉使いはチェックがきびしい。大変だな、と思うと同時に正直つまらない世界とも思う。

 男とおんなの大喧嘩なり恋情の末路において、大概の男は言葉をうしなう。非を責められ、甲斐性のなさを問われ、言葉尻を疑われ、人間性を全否定されていく。大雨に決壊して濁流にひと呑みにされる堤(つつみ)を呆然と見守るしかない消防団員さながら、ただただ相手の声を全身に礫(つぶて)のように浴びつつ身を硬直させ、ひたすら黙るしかない。

 情けない喩(たと)えではあるにしても、そんな沈黙を答えとするしかない時間というのは確かにあって、むしろ声なり言葉が消え去った静謐な事のなりゆきこそが、描くべき“人間の風景”のハイライトとも思う。何秒ルールとか言われ、それを堅守しているテレビジョンとは偏頗(へんぱ)で病んだ表現媒体と思えてならない。

 ここではテレビジョンを弾劾するつもりもなければ、自分にそんな資格は元よりない。人間の抱える“か細さ”、“不器用さ”、“壊れやすさ”というのは往々にして長い沈黙と共にあるのだから、無音の状態をもって“異常とか故障”と称するのは短絡であるし、人間心理の“異常状態”をも含めて描き切るのがドラマの本懐ではなかろうか、という疑問が湧いてくる、それだけである。

 極度の緊張や悲哀、動転といった精神のこもごもが、身体に影響を及ぼして思いがけぬ症状が立ち現われることがある。たいせつな面談を前にして急に腹痛を覚えたり、手の平にべっとりと汗をかいたりする。こころと肉体は平行して走っていて、われ関せずと傍観をきめ込むことは難しい。そのような不調の一環として人間には“視覚異常”というのがあるように思う。

 実をいえば先月と今月と、まるで趣きの違う“視覚異常”が起こった。ひとつは凄まじい“眩暈(めまい)”であり、左へ左へと天地が傾(かし)ぎ、道路も電信柱も机もひとも、地面も空も何もかもが倒立していく激烈なものだった。頭部の出血か腫瘍を疑い、総合病院を紹介されて精密検査を幾つもこなした結果、異常はどこにも見当たらず、どうやら疲労の蓄積がもたらした悪戯だったらしい。

 震災とそれに付随する混乱の収拾に追われ、いつしか人並みに重荷というか、張り詰めたものを負っていたらしい。丁度半年が経過して糸がぶち切れ、ゆるゆるぐらぐらと凧が落下していく、そんな風だったろうと思う。

 もうひとつは視覚の“歪み”であって、先日夕刻にパソコンのモニターを眺めながら異常に気が付いたのだった。視野のやや左端の下のところに小さな虹色の亀甲型の結晶がぽつんと生まれ、にぶく発光しながら大きさを増していく。レンズに映り込んでしまうゴーストのような幽(かす)かな、けれど執拗な張り付き方であったのだけど、やがてそれが焦点を結んだ目線の先に居座る感じとなっていき、風景をひどく歪めてしまった。

 すわ眩暈の再来かと恐れおののき、早めに帰宅し、ぐっすり休眠したところすっかり症状は落ち着いたのだったけれど、あのとき、虹色の膜が襲撃する最中(さなか)に会話を交わしていた若い同僚の、顔の向かって左の半分が肉色にぐっちゃりどろりと溶け落ちたようになり、残った半分、片側に貼り付いた目だけが異様に大きく見開かれて一つ目入道のように見えてならなかった。特殊なゴムで作られた化け物でなく、人間の顔がそのままに崩れ落ちている。醜いべろべろの肉塊なりに、けれど血が通い息をし、懸命にこちらの言葉に頷き返す様子はなんとも不気味であったが、絵画の世界に迷い込んだような楽しさも正直言えばあった。(不思議に恐怖や嫌悪感は抱かなかった)

 ウェブにて調べてみれば加齢にともなう眼底出血の可能性もあり、放置しておくと失明もするらしい。大事をとって昨日大きな病院の眼科を訪ねて診察してもらったところ、最新の機器での検査結果では異常は一切見当たらない。担当は聡明な若い女医であり、すっかり復調しているところを見れば疲れかストレスで血管に穴が開き、体液がわずかながら急に沁み出し、一時的に視界を曇らせたのではないかと言う。

 自分なりに思い当たることがないではない。いや、その際に受けた鉄槌の烈しさが出血を招(よ)んだに違いなく、人間の、と書けば語弊があるか、自分自身の脆弱なこころが露わになったというか、それ程にもダメージを受けたかコイツめ、情けないヤツとあきれ返りもし、また、そっと頷きながら想いを馳せるものがある。

 石井隆の劇画作品に【おんなの街 赤い眩暈】(1980)というのがあり、これは大きな地震で亀裂が生じた路面に足をすくわれ、転んだ拍子に頭を強く打って昏睡状態に陥ったおんなの話なのだけど、幕引き寸前に黄泉を彷徨うおんなの立ち姿がぐるりぐるりと回転しながら遠ざかっていき、それに従い、不意に現世に立ち戻る、そんな眠りからの覚醒が描かれていた。いまはあの“眩暈”の倒立感、渦巻く感じがよく分かる。

 また、『花と蛇』(2004)から顕著になったクレーンを多用した浮遊感、天空から地上に向けておんなを見定め、放物線を描くようにしながらじっと見下ろし続ける粘液質のショットがあるけれど、こうして我が身に生じた不思議に照らしてみれば、あれも単に非日常的な視点をスクリーンに放り込み祝祭的な興奮を呼び込む目的にとどまらず、【赤い眩暈】に連なる一種の“視覚異常”の再現に思えてならない。

 スタントマンの運転する車よろしく完全に転がって横滑りしていくような、はたまた、溶解する人間が喋りながらひょこひょこ歩き回る光景に夢でなく現実として対峙してしまった自分は、どこか壊れた存在ながらも黄泉の汀(みぎわ)にて暮らす人間の端くれにはまだまだ違いなく、目にし得た光景も、そのときの胸を覆う心細さと切なさも、どれもこれもが人生を渡河する上での真実であったように思う。

 『花と蛇』以来、石井の映画で再発し続ける「眩暈」のショットというのは、もちろん私たちが各人各様に解釈するしかないのだけど、作り手がそれに託して来るものは仮想現実の提供という平坦な次元ではなく、むしろ人間の抱える“か細さ”、“不器用さ”、“壊れやすさ”に根茎を結ぶ“異常とか故障”であって、ドラマの本懐に迫る、というより“人間”そのものに既になっていると感じ取れる。

2011年10月11日火曜日

“ノイズを描きこむ”



 細い指のさきで“されこうべ”を支え、自らの額あたりに掲げ持っている若い娘。その視線をたどれば、鼻先に浮かぶ異形を貫きどこか遠くを目指すようであり、それとも、内奥へと潜って深層に達し、もはや何も捉えていないようでもある。

 どこまでも乾いて白い“されこうべ”は生命の痕跡をとどめないのに対し、娘はと言えば一糸まとわぬ裸であって、髪の毛、睫毛、唇、乳暈などがいい知れぬ執拗さによってつぶさに再現され、そのいちいちが湿度を含んでてろてろと照りかえるようであって、否応なく生命を宿して見える。与えられた色彩やかたちが瞳を強く射って、本源的な揺れを誘う。

 英語にて綴られたタイトル文字は描かれている死者と生者の中間ぐらいのごく薄い黄色で配置され、一部は娘の肌と溶け込んで読めなくなっている。そんな表紙に吸い寄せられてしまい、薄い画集(*1)を手に取ってみたのだった。

 その諏訪敦(すわあつし)という新進の画家と、石井隆の間に接点は認められない。およそ無関係の作家なり作品を並べ引くことは乱暴この上ないことであって、両者からすれば迷惑千万なことだろう、と思う。先日だって上村一夫を寄せ置いて、往時の編集者のほんのわずかな発言を針小棒大に取り上げてしまった。いい加減にしないとクレームが寄せられそうだけど、一方で思うままに感じたことを書き留めていくのもブログという仕組みの可能性だと信じ、もちろん言葉は大事に選び練っていくにしても、生きる証しとして果敢に書き留めておきたい気持ちが湧く。

 似てるかどうか、という話ではない。いや、彼らはまったく違う。諏訪の世界観と石井のそれとは実際段差を感じるし、ふたりの航跡が過去においても将来においても交差することは想像しにくい。ならば、何を思ってわざわざこの場に諏訪の名を刻み、時間をかけて言葉を編むのか。──“ノイズ”の存在である。ちょっとこれを書き残したくなった。

 この諏訪の画集の妙は作者の絵の艶めかしさ、妖しさもさることながら、美術批評家(*2)により付されたテキストに依るところが大きい。画家に訊ね、返答を咀嚼し、よく寄り添って見える。加えて古今東西の絵をひもとき、画集にもかかわらず大胆に並べ置き、諏訪の各作品に内在する木霊(こだま)を増幅させていく。
 
 月岡芳年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フォンテーヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」、岸田劉生、小村雪岱といった先達の名前や作品が諏訪の絵画のあいだあいだに紹介され、大きなうねりを編み上げていくのだけれど、そんな思慮に満ちたテキストのなかに次のようなくだりがあった。

───諏訪はしばしば画面上にノイズを描きこむが、ここでそれが塵の舞うような描写であるのは、製作の最中にWSPEEDI予測値(広域汚染状況)が漏れ伝わってきたことと関係している。目に見えないものの恐怖、自国の政府が信頼に値しないことをしているにもかかわらずそれに対して明確な反応を示すことができない日々の緩慢、その葛藤が、諏訪のようにことさらにメッセージ性を示したがらない作家の場合でもあらわれているということである。(*3)

 なるほど諏訪の絵画のところどころにノイズが置かれ、独特の風合いを醸し出している。皮膚の表面に刻まれる無数の皺、その逆に風を孕んで丸くはち切れそうなヨットの帆さながらに張られ伸ばされ、明かりを反射し甘く光っていく肌の様子──。写実を極めた諏訪の筆は静謐な面持ちの人体を表層に築くのだが、さらのその上に配置されて、じゅくじゅくと浸潤し、ときにはふわり浮き上がるノイズの群群(むらむら)がきっかけとなって、世界を存分に揺れ動かしていく。写実を超えたドラマを派生させ噴出していく。

 石井の絵や映像には元々澄んだところがあって、透明感が顕著であるから、ノイズらしきものは初期の習作以外には見当たらない。諏訪のノイズに相当するものがあるとしたら、長く尾を引く雨の軌跡、路面や肩ではじける滴(しずく)、たなびく紫煙、落下する汗や体液といったものかもしれない。地下空間に降り注ぐ雨(のはずがないけれど、雨としか見えぬもの)や雪のように舞い散る雲母もそれに当たるだろう。それ等はあくまで「具象化されたもの」が画面に侵入して人物を取り巻き、抒情を補完していくものであって、訳の分からぬノイズではない。石井の絵作りのそれが鉄則のように思われる。

 自分のなかでそのように整理するところがあった訳なのに、諏訪の“ノイズ”に意外にも反応している。傷、滲み、汚れ、剥がれ、跳ねといった「異分子」は石井世界にはないはずなのに、どうしたことか気持ちが揺れる。

 それは近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のせいだ。劇の終盤、主要な登場人物は手をたずさえるようにして樹海奥に眠る巨大な石切り場“ドゥオーモ”に向かう。路面はなだらかに傾斜しており、樹木の陰となってじくじくに濡れている。以前は車両も行き来したのであろうが、廃坑となって久しいらしく、道らしきものは既に消滅してしまった。そこを延延と苦労して彼らは歩いていかねばならない。

 震える手に握られた懐中電灯が幾つかと、へろへろになった紅次郎(竹中直人)の額にあるヘッドランプが光源のすべてという劇の設定である。蒼白く細い光の筋が闇夜を泳ぎ、樹木の一部を撫でるように照らし、かろうじて道を探っていく。疲れと恐怖からさんざん悪態をつきながらながら前進するのだけれど、そこはまさに地の果て、異界のただ中であった。

 女陰にも似た縦長の亀裂に至り、歓声を上げながら“ドゥオーモ”へと飛び込んでいくおんなたち、男たちだったのだけど、その刹那私たちは不思議なものを目にしてしまう。たったワンカットに過ぎないのだけど、よくよく考えれば奇妙なものだ。

 “ドゥオーモ”側から見た森の光景であるのか、それとも“ドゥオーモ”の巣食う山を遠景で捉えたものか、何がなんだか分からないし、何がなんだか分からなくとも物語を左右しない風景だ。緑色に染まる地獄のような密林が茫々と広がっており、上には青黒い空もいくらか含んでいたのではなかったか。

 足元の方にどうやら強力な光源があるようで、スミアと言うのかフレアと呼ぶのか分からぬが、“赤い光”が滲むように刻印されている。車を置いた場処からはずいぶんと離れている設定であるから尾灯(テールライト)の類いではない。これは一体全体何なのだろうと思う。

 ここまで具象化されていない無遠慮であからさまなノイズは、これまでの石井の絵作りでは観なかった。同様の、色こそ山吹色ではあるが、こちらも全くリアルでない光源を真正面から捉えたカットが映画公開にあわせて発売された佐藤寛子写真集にもあることは以前書いた通りであり、この一対のノイズは石井の手により確信的に置かれたものと言い切って良いのだろう。あたかも観客に挑んでくるように鈍くゆらめいている。

 映画『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』によって石井隆が“復活”したと単純に言うことに私は抵抗を覚えるのだが、これまで多くの画家たちが何年か毎にスタイルを変えて躍進したように、石井隆という“画家”が新しい色使いを模索していることは違いなく、それを以って“復活”と称するのであれば確かにその通りだと思う。

 先の批評家の表現を借りれば、「石井のようにことさらにメッセージ性を示したがらない作家の場合でも」、抑えがたく湧出し「あらわれるものは在る」のであって、それが私たちの見知っている石井であるとは限らない。いや、これまでと同じ石井がモニターを睨(ね)め付け、似た風情の作品を綾織ると期待する方がおかしい。

 変わっていくことが画家の宿命ではないかと信じ、石井らしい妖美この上ないふたつのノイズを受け止めている。

(*1):「諏訪敦絵画作品集 どうせなにもみえない」 求龍堂 2011
(*2):小金沢智
(*3):17頁

2011年10月8日土曜日

“女性を描ける系譜”



 さわやかな薄青の空の下、微かな肌寒さをもう覚えながら、いまごろになって扇風機を片付けている。タオルでふき清め、ビニールに包んでから物置に仕舞った。今年の夏ほど活躍した年はないだろう。「お疲れさま」と思う。

 先月下旬、青緑(あおみどり)の布表紙が目に鮮やかな一冊の本(*1)が上梓された。四十五歳という若さでこの世を去った劇画家上村一夫(かみむらかずお)の航跡をたどる内容であり、卓抜な色使いや洒落た構図の彼の絵があますことなく紹介されている。広告代理店に籍をおいていた頃の手堅いポスター画にはじまり、晩年の円熟した筆致までを網羅していて壮観この上ない。上村の真骨頂である“表紙画”“一枚絵”が紙面にひしめく様子は“絢爛”という表現が実にふさわしい。

 正直言えば──その程度の声ではこの本の真価は揺るがないと信ずればこそ、なのだけれど──頁から切り取られ並べられた上村の絵は当然ながら物語性を喪い、満水から決壊へ至るまでの“溜め”がない分、本来の劇画作品が秘めている衝撃や波動の振幅が隠されている。初めて触れる若い読み手には、上村のコマ割りの妙(みょう)は読みきれないかもしれぬ。漫画であれ映画であれ、その美しさ、その面白さを“止め絵”でもって説明するのはなかなか難しいことだ。

 されど、修正の痕や鉛筆による指示書きなどが描きこまれた(ある意味ノイズにまみれた)原画を発掘し、臆せず大量にスキャニングして収録してみせたこの「リリシズム」と一晩二晩と添い寝してみるならば、創作者上村のまなじりや吐息に直接触れたような心もちとなり、返ってくる弾力は相当なものなのだった。素晴らしい本と思う。巻末には上村を共に支えた編集者と原作者、それに家族の三者が膝をまじえた鼎談(ていだん)が収まっており、これもまた読ませる中身であった。

 大事に想う相手に贈りたくなる、そんな昂揚感がうずまく一冊、劇画史に足跡をきっと残すだろう握力ある仕上がりだと私は思う。元より無理な相談だろうけど、このまま増刷せずに幻の書籍にしてもらいたい、そうしてこの本を手に出来たことの幸福をずっと死ぬまで引きずっていきたい、そんな妄想も抱かせてしまう。

 成立に欠かせなかったのは上村を愛しぬく人間たちの熱情にほかならず、なかでも研究家森田敏也の想いの強さがうかがい知れる。人間が人間に惚れぬくことの愉楽、夢をかたちにすることの快感、人生に思いがけず打ち寄せる出逢いと光明が偲ばれ、まばゆい充足と同時に昏い嫉妬も覚えた。上村作品に惹かれるひとだけでなく、あの時代とあの頃の息吹に愛着を覚えるひとにも至福の時間が約束されている。少なくとも上村ファン、劇画ファンを自任する者はすぐにも走らねばならぬだろう。

 さて、本題というか、こうしてキーを叩く目的は当然ながら上村礼賛ではない。上に紹介した座談会に登場する編集者は石井の劇画作品の成立にも深く関わった人物であり、彼の口から当時の“石井隆の出現”がどのような位置付けにあったかがうかがい知れる、極めて印象深い言葉が湧いている。是非ともこれは書き留めておきたいと思った。

───いや、漫画家は描けなくちゃ困るんです。それでその後に石井隆に行っちゃうんです。極端なんです。女性を描ける系譜が上村さん石井さんというふうになっちゃうわけで。(*2)

 上村と石井ふたりの作品を並べてみると絵の趣きはまったく違い、一瞥するだけでは水と油ほどもかけ離れて見える。髪や肌の質感、裏通りの匂い、寝具の置かれた部屋に巣食う湿度と体臭。同等の感覚をそこから共有することは、なかなか困難だ。如何ともしがたい段差は編集者も認めるところなのだが、彼は形や色彩は違えども、そんな石井隆を上村の唯一無二の後進と位置づけているのだった。

 “おんなの魂の、深い部分”を書ける作家として、先頭をひた走る上村の背に追いすがれるのは石井しかいなかったと述懐するのである。担当編集者という狭い枠組みからの意見でなく、現在に至る漫画や劇画を総覧し尽くしたプロ中のプロの言葉として、また、上村没後25年を経た平成の、既に二十年も過ぎた現代から冷静に振り返って解析してみせた言葉として、これはすこぶる重く、骨のあるものと思う。

 青年誌や成人映画を舞台に闘っていかざるを得なかった石井隆の作品は、男側の抱く先入観や蔑視、欲望に上塗りされた“男のもの”と見る向きもあって、その誤解は近作に対する感想や評価にも影響をおよぼしているようだが、そろそろ“上村一夫に連なるおんなのもの”と捉えなおして評価されていい、そんな風に感じている。

 季節は移ろい、風の向きや香りは確実に変わっていく。上村が逝ってから25年以上も“おんな”を描き続け、それでもまだ走り続けている石井隆にも「お疲れさま」と思う。孤高の長距離ランナーに、心地よい追い風がどんどん吹くことを祈っている。


(*1):「リリシズム 上村一夫の世界」 まんだらけ 2011 
(*2): 同322頁

2011年9月14日水曜日

“矢車草”




 石井隆が描くところの“おんな”たちが生やす体毛、中でも“腋毛(わきげ)”がずいぶんと気になり、ひどく凝視した時期がある。2006年の7月から8月にかけてのことだ。

 様々な雑誌に寄せられた初期のイラスト群(血気迫る筆使い)に始まって、世を騒然とさせた連載劇画(【天使のはらわた】、【おんなの街】、【黒の天使】──)まで、コマ送りするようにして一枚一枚頁をひもときながらおんなの腋下(えきか)ばかりを執拗に追った。結論から言えば、石井隆という作家の抱えるとてつもない繊細さ、底なしの執念が浮き彫りになるばかりであって、何度も感嘆の声を上げ、唖然もし、個人的には愉しく充足した時間となった。

 その折に得た自分なりの感触をミクシィ(今はすっかり足が遠のいてしまった)に記したのだった。書き写せばこんな具合である。

──先に書いたとおり、石井の腋毛は精神世界の扉、胸の奥に秘められたこころに直結したトンネルのようでもあり、はたまた内奥に潜むおんなごころの、外世界への黒い浸潤と捉えるのが妥当だ。

──石井は、ずぼらな、だらしないおんなを描いてきたのか。そんなことはない。石井の描くのはおんなたちの深層に波打って軋む鳴動そのものである。人妻のこころに芽生える欲望の大渦巻き、弛緩した日常に切り込んでくる魔の存在である。平穏な生活に身を置きながら、胸の奥に徐々に膨らんでいく空洞の暗さと冷たさである。石井の不自然な腋毛は魂が魂を求めて叫んでいるコールサインなのだ。

──最初、石井の劇画の中で腋下のみがアンリアルであると書いた。石井はリアルな日常のなかには収まらない、こころに秘めた情念の激しさを本当は描きたいのだ。生きている実感を描きたいのだ。我々に石井は腋毛を通して、おんなのこころへの跳躍を迫っているのである。(*1)

 雨に煙る裏通りや赤いビニール傘、無言で手招きする階段や唇染めていく紅(べに)の光沢、冷蔵庫内にそっと蓄えられたアイスクリームカップ、暗いどぶ川の脇に狐火めいてゆらめき咲く一輪の花、突如天空より舞い降(くだ)る光の束──。石井隆の世界を彩る事象のいちいちには、単なる“背景”にとどまらぬ雄弁さが具わっているのだけれど、同様の差配は人物の所作や身体にも当然及んでいる。

 端的には皮膚を伝う汗や体液であったりもするし、風になびく毛髪や片頬だけを歪めて見せる淋しげな微笑みであったり、空(くう)を掻く足裏であったり男女の情交するかたちだったりするのだけど、埋もれた記憶が呼び覚まされ、つたなき恋慕の航跡を振り返りさせもして、観ていてどうにもせわしい気分に陥ってしまう。到るところに情感揺さぶる“呼び声”が在って、耳にしたら最後、傍観は許されないのだ。身体はあれよあれよと言う間に前傾していき、物語の渦に呑み込まれてしまう。

 体毛にしたってそうだ。汗ばんでつんと香る腋下に突如これまで無かった黒い影が宿り、読者の視線をきつく縛り上げていく。受け手それぞれが内懐にかかえる本源的なものがいたく刺激され、「非日常」の侵犯に手を貸してしまうのだった。石井はほとんどの作り手は気にもかけぬ“毛”にさえ役をきっちり割り振り配置してみせて、ひとコマごとに総力戦を挑んでくるのである。人間の深層をしっかりと見据えた、巧みで、質実な技量と思う。

 今更になって遥か昔、五年も前の個人的な感慨をここで蒸し返す理由は何かといえば、極めて印象的な“腋毛”をある絵画のなかに観止めたせいだ。パブロ・ピカソの「ゲルニカ」である。正確に言えば、竹田征三という画家がたったひとりで三ヶ月もの時間を費やし完成させた「ゲルニカ」の精巧なる“模写”である。

 情操面の育成、集団活動での忍従、協調を経て訪れる達成感の体得等を目的として「ゲルニカ」の模写は美術の授業や文化祭で盛んではあるが、画家が、周囲との会話を拒絶するほど注力して再現してみせたこの“模写”にはオリジナルとの境界を跨ぐものがあって、何というかコピーの域を超えている、もっと濃密な思念の堆積となっている。

 絵画史に残る傑作を“実物大”で味わったのはこれが始めてだった。モノクロ(に近しい)と勝手に思い込んでいた世界が実は透明感ある青や濡れた感じの茶色、厚みのある肌色を配したものであって、むしろ豊穣感に満ち溢れたもの、生き生きとさんざめく空間であったのだとようやく知るに至り、とても驚き、正直飛び上がらんばかりだった。

 車通りも少ない村外れでもあり、まったくの無音にくるまれて一対一の空間にひたっていく。すこぶる幸せだった。しばし独占するかたちで向き合い、これまで目にし得なかった微細な情報を読み込んでいく。幾つもの発見があった訳だが、その中にきわめて“不自然”な身体描写を見つけて思わず色めき立った。炸裂する焼夷弾の炎に追われて両手を高々と天空に差し出し、絶叫し、逃げ惑っている“おんな”がひとり、画面右手の隅に配されている。その両わきにはありありと体毛が、立派な腋毛が植え付けられていた。

 胸もまた不自然にくっきりとたれ下がっており、特に乳暈(にゅううん)はことさら強調され、乳房と丸い乳首との間に座金(ワッシャー)さながらに挟み込まれて観る者を圧倒する。同じ作者の「アヴィニョンの娘たち」と並べ比べれば一目瞭然なのだが、身体のパーツのいちいちが存在をはげしく主張している。

 乳房なり腋毛がここでは、まだ生きていることの証しとして出現しているのであって、己の存在を抹殺せんとする邪悪な力に抗っているように見える。天を仰ぎ身悶えする一個の肉体はだから“死せるもの”の代表として置かれたものでなくって、“生命あるもの”の刻印を強く押されているのだった。

 あたかも風車(かざぐるま)か可憐な花を連想させる「ゲルニカ」の腋毛なのだったが、わたしはこれと同じ形状のものをかつて石井の劇画に視止めていて、当時ずいぶんと不思議を覚えたのだった。【濡れた八月】(*2)と題された初期の短篇の中だった。

 三人の男が海水浴場で甲羅干ししている。隣りに腰を下ろした若いおんなが気になって仕方なく、やがて銘々に良からぬ妄想を巡らしていく訳なのだけど、相手となるタンクトップのおんなの腋には薄っすらと毛が生えていて、それがまるで矢車草の花弁のようにひっそりと在って、時計回りにやさしく渦を巻くのだった。

 リアリズムを標榜する石井の技法において腋毛の表現はより現実に即したものに徐々に変わっていったから、【濡れた八月】のようなロマンティックな表現は他には見当たらず、これ一度切りである。後年描かれたものは波に弄ばれて右に左に傾ぐ海草か、田園地帯に降下したヘリコプターの風圧で四方八方に押しそよぐ稲穂の海のような具合となって、それ等はごく稀に(本当に稀に)私たちが目にする実態に酷似している。

 あの矢車草の花に似た特異な体毛は、だから、タッチの統一がなる前の石井なりの習作と捉えて良いのであろうが、こうしてピカソ「ゲルニカ」を知ってしまった目には両者が通底し合うものに映じられて仕方ない。

 無慈悲且つ圧倒的な暴力に晒され、膝折れ咆哮するおんなが共に描かれ、それが“死せるもの”でなく“生命あるもの”、運命に抗う者として表現されている。生から死への端境(はざかい)にあって、なにくそ、そうそう都合よくはいかぬぞ、負けてなどやるものか、思い上がるな、くそったれと歯を剥いて男たちを睨(ね)め付けるそんな“生き続けるもの”が見えてくる。

 腋毛ひとつに全身全霊を注入するのが画業という狂気なのだ。石井の口からピカソの名を聞くことはない以上、いつも通りのこれは妄想でしかないのだけれど、偶然であれ二人の画家は確かに連結している。遠路はるばる走った甲斐はあったじゃないか、どうしてどうして素敵な出逢いだったじゃないか、と、自分なりの満足を感じつつ休日の幕を閉じた。

(*1): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=181753403&owner_id=3993869
(*2):【濡れた八月】 別冊ヤングコミック「石井隆特選集 女地獄」1976所載 初出「ヤングコミック」1975

2011年6月30日木曜日

“一筆書き”



 繰り返しとなるが、石井世界には“たおやかな結束”が存在する。単体でしっかり完結しながらも、あちらの劇画こちらの映画とつながって面影を共有していく。雨や浴室、悪夢、階段、ビニール傘──潜航艇のエコーよろしく闇の奥から返されるものは多種多様であり、石井世界と向き合った歳月の幅や執着の度合により、人それぞれに見え方は異なる。

 同一の作り手である以上、癖や好みが立ち現われるのは当たり前と捉える声もあるだろうが、諸物の再来を越えて、微妙に相似した“筋運び”があったりしてこれは一体全体何だろうと思う。既視感(デジャ・ヴュ)が消え去らず鼻先に居座るような、妙に高揚した心持ちになったりもする。

 社会(または組織)の底辺に被写体を絞りこみ、目線を思い切り下げている結果であろうか。知己の俳優と信頼する技術者で周りを固め、完成度の高い絵作りを貫徹するためでもあろう。恋情の焔(ほむら)が衣にめらりめらりと燃え移って心身をことごとく焼き苛(さいな)む、そんな激しい話を綾織っている最中(さなか)に於いても決して酔いどれない、守備範囲を逸脱しない、そんなプロの矜持が読み取れる。辣腕の外野手、それとも手堅い勝負師と言ったところか。どこまでも“負け”がないのが、石井隆だ。

 同時に積年の鑑賞を経て興味深く想うのは、石井隆という人間の生身(なまみ)、同時代を生きる精神と肉体のあえかな照射である。妖しく魅惑的な作品世界の“連結”には、作者の内部に生じた揺らぎや堆積に由来するものが宿っている。最近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(以下『愛は─』2010)が好例だ。例によって『愛は─』の放つ振動は他の石井作品へと波及し、記憶の淵へ私たちを誘(いざな)っていくのだが、微妙な変幻が視とめられる。たとえば、“バー「あゆみ」”の奇妙な構造とそこで為される獣染みた交合について思い出してみよう。

 主人公“れん”(佐藤寛子)が幽閉されている店の最奥部には、客の求めに応じて特殊なサービスを施す小部屋が設けられている。花街の其処此処に息づくからくり細工の小箱みたいなもので珍しくはない。けれど、ステージやカウンターの据えられた主要部分と同じ一階に位置しており両者間に壁がなく、印ばかりのプラスチック製の簾(すだれ)がぶら下がって曖昧に仕切っているのは、見ていて“不自然”でざらついた手触りがある。

 第三者の息や視線が察知されてようやく発奮する御仁もおられるだろうし、接客の様子を内からも外からも眺めて愉しめるようにした店側の創意工夫と感じられなくもない。消防法の適用を回避する目的で壁を排除したのかもしれず、考えればいくらでも言い訳は立つ──

 ああ、もう辛気臭いなあ、そういう店なんだからさ、楽しめばいいじゃん、ね、こっち来て飲みなよ、壁なんかさ無い方がすっきりするのよ、人間だって会社だって、男女の間だって何だって!そうだろ?それにご覧よ、こっちは女だけだろ、いざとなったら可愛い妹を助けに飛んでかなきゃなンないじゃん、それぐらい察しろよ、バァカ!と井上晴美に蹴散らされそうな気配だけど、ごめんね、やはり私はこんな風にしか楽しめない。

 客へ身体を提供して何がしかの報酬を受け取る小部屋は、取締りの急襲を避けるために板戸の奥に設けるのが常識であるから、「あゆみ」では階段を登った二階(風呂もあり好都合)に作るのが常道だろう。そうしなかったのは薄々面倒な事態に感づきながら扉を叩いた代行屋(竹内直人)の眼前に、“れん”と客との交接、自壊的で果てなき淫事を否応なく提示するためであるのだろう。内心衝撃に膝折れ嗚咽しながらも二枚目を気取って背を向ける“村木哲郎”と、男に組み敷かれ貫かれながら横目で様子を窺うおんなの構図は、そうだ、まぎれもなく『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の村木と名美の再現ではなかったか。(*1)

 酔客にまぎれて忍び込むのではなく探偵として大見得を切る流れのなかで、心寄せるおんなのあられもない姿態を眼前に展開させるには、こんな奇妙な間取りを準備するより手立てはなかった。それ程の無理をしてまで石井は『赤い教室』と『愛は─』を結束させて、『赤い教室』の“その後”を描こうと試みて見える。

 石井隆の劇にさ迷う男女をざっと総覧するならば、その多くは互いを血族、分身、鏡像と見定めたうえで霊肉一致の暮らしを実現するに至らず、“死別”して離れ離れとなっていく。“生き別れ”も例外的にはあるけれど、指折り数える程しかない。そのひとつが『天使のはらわた 赤い教室』であった。

 男の生理ではおよそ成し得ない地獄の表出に声もなく、“曖昧に空間を仕切る”襖の奥からただただ両手を合わせて跪拝するしかなかった村木(蟹江敬三)であったけれど、あれから三十二年、今どこで何をしているものか。震災で紙の供給が滞り、頁の割愛を討議する編集会議に明け暮れているだろうか。あのときの名美(水原ゆう紀)はどうしているだろう。土地開発で辺りはすっかり様相を変えている。苦界“バー「ブルー」”は跡形もなく消滅したが、あの後、きれいに脱出できたろうか。放射線量の調査結果の公表に一喜一憂しながら、何処かで生きているのだろうか。

 魂の輪郭や模様は変われども、相応にたくましく元気にやっているに違いないと思っていた。歳月が痛手を徐々に癒し、もしかしたら名美も似合いの男を見つけて家庭に入り、母親となって笑顔で暮らしているのではないか。そんな“生き別れ”の夢想を甘ちゃんの私は『赤い教室』に抱いていた。

 前作『ヌードの夜』(1993)の終盤、波間に沈む名美のドイツ車を追って村木(竹中直人)が為した埠頭からの跳躍は、【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979)で身を投じて以来、累々と築いてきた名美単独の墜落に追いすがり救済せんと踏み出した男の“屋上からの一歩”であったと解釈しているが、十八年という時空を経て再登場した村木哲郎(竹中)が、今度は、雨で生じた小さな水たまりを跨いでおんなの元に駆け寄っている。

 結果はどうだ。後追いさせて、“生き別れ”という乳白色の甘い未来を石井は粉砕して見せたのだった。物語の顛末を“死に別れ”へと導き、男の退路をことごとく断っていく。近作に見られた永久軌道、つまり“狂気”への埋没も銃弾の一撃であっけなく葬り、おんなの最後の拠りどころさえも消散させていく。『愛は惜しみなく奪う』とは、とことん厳しい物語であるのだが、石井の内部に堆積したものがあのままの、三十二年前の雨降る夜の“生き別れ”の情緒をもはや看過出来なくなったのではあるまいか。

 裏社会、演歌、銃火と鮮血、恋焦がれる夜、霖雨に煙るネオンサイン、霊魂の招来、おんなの吐きだす紫煙、男の昏いまなざし、潮の匂いと白々と明けていく空──石井世界はむごたらしくも華麗なファンタジーであって、どこをどう切っても石井隆の実生活とは切り結ばない。

 まどろこしい政治や浮き世から隔絶した娯楽活劇ながら、しかし、だがしかし、最後まで追い出せないのが作り手石井隆の奥底である。それは一点集注して明け暮れる“映画”への自問自答に光を送り、内容を微かに転進させていく。私生活とは最も遠く離れた世界を構築していながら、石井は最も近しい内奥までを映画に捧げている。

 『愛は─』をもって石井隆の華々しい“復活”と称する意見があるが、わたしはそうは単純に思えない。墨の尽きれば新たに筆先を塗らすにしても、人間の内実は“一筆書き”のようにして次へ次へと進むしかないのだ。外観をこれまでの作品に連ねながらも、解釈や結末は変えていくしかないのであって、決して単純に“元に戻る”という訳にはいかない。回帰でもなく復元でもなく、螺旋を描いて空の高みに昇って行く、そんな風に独特の世界観を脳裡に想い描いている。

(*1): 『天使のはらわた 赤い教室』 監督 曾根中生 1979 


2011年6月26日日曜日

“たましいの内視鏡”


 2004年公開『花と蛇』以降の映画作品の特徴として、おんなたち(杉本彩の静子、喜多嶋舞の名美、佐藤寛子のれん)を襲う艱難辛苦が上げられる。元々石井世界にたなびく墨色の濃淡ながら、酷薄さはいよいよ増して来た。内奥に抱える緑土がたちまちにしてひび割れ荒廃していく様子を、石井は“真正面”から臆することなく捉えていく。(*1) いやいや、言葉が足らない、そんな生やさしいものじゃなかろう。最近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(以下『愛は─』2010)を振り返って、石井がこのところ執拗に押し進めている過酷な企てを再確認してみる。

 “れん”という逆境にまみれた少女がいる。長ずるにつれ逞しさを増し、群がる男たちをいい様にあしらっていく。されど、守銭奴や肉欲に支配された男たちの追尾は執拗であって、どうにも振り切れずにひたすらもがく日々だ。自宅は文字通りの修羅場と化して久しく、実母(大竹しのぶ)や義姉(井上晴美)ですら味方とは言い難い。四面楚歌となった“れん”は偶然知り合った代行業の男(竹中直人)をたぶらかして、暗いしがらみを一気呵成に清算する秘策を練り始める。かい摘まんで話せば、そんなお話である。

 大団円は採石場跡の巨大な地下空間に設定されていた。乾いているのか湿っているのか、暑いのか寒いのか、夜中なのか、陽はとうに昇ったのかまるで判然としない不可思議な景色が続き、それだけで映画的な高揚が凄いのだけれど、あえて時系列的に整理してみればこの採石場跡地、劇中“ドゥオーモ”と呼ばれる場処が眼前に広がったのはふたつの局面であり、ひとつは主要な人物がこぞって集結するラストシークエンスがあり、それとは別に“れん”が単身訪れ、一糸纏わぬ姿となって自らを鞭(むち)ではげしく打ちすえて、痛々しい赤痣(あざ)を白い背中や太腿に刻む場面である。

 ここで繰り広げられるおんなの自傷行為は代行屋竹中の憐憫をまず誘い、何とかしてあげたいと焦心させ、挙句の果てはべろべろに惚れさせ、自らの忠実な僕(しもべ)に為さんと目論んでの拙(つたな)くも懸命な自己演出なのだけど、時間軸からしてみればおおよそ劇の真ん中あたりの光景となる。被さる独白によれば「折れそうになると一人でここに来るんだ」(*2)とあるから、孤立したおんなにとっての唯一の避難所としてこの“ドゥオーモ”が度々機能していたことが読み取れる。

 この隠匿された“ドゥオーモ”詣(もうで)に絡み、劇場公開直後から疑問や苦言がウェブ上に見られた。おんなは運転免許を持っていないのである。すがり付く影が複数あるが、いずれも辟易して距離を置こうと願う男ばかり。タクシーを雇って往復したとも思えない。鬱蒼とした樹海の奥に位置するという“ドゥオーモ”自体の特殊性がある。

 演ずる佐藤寛子は目鼻立ちの整い四肢のすらりと伸びた娘であって、清楚で瑞々しい空気を素肌に湛えた、見た目には良いところのお嬢さんである。いざともなればヒッチハイクは雑作なかろう。しかし、自殺の名所としてつとに知られたこんな場所で、道は途切れ車も辿り着けぬそんな山中で、さよなら、元気でね、と手を振り笑顔で別れる乗せ手はそうそういない。じっと帰りを待ち続けるか、そこまでしなくても心配のあまり携帯電話で連絡し、警察に保護を要請してしまうのが関の山だろう。どうやって洞窟に辿り着き、どうやって帰還したのだろう────

 探偵ごっこの末に修羅場たる自宅兼店舗にようよう到達した代行屋に、折悪しく(それとも絶妙のタイミングか)酔客との交合する様を目撃されるのが夜中の一時を回る頃であり、夜が明けての同日夕刻、雨に濡れそぼった姿で代行屋の住まう倉庫まで行き着き、扉を重苦しく叩くまでにはたっぷりと時間がある訳だから物語は成立しなくもない。行きはタクシー帰路はヒッチハイク等、どうとでもなる。都心から樹海まで順調に車を飛ばせば2時間程度。空がすっかり明るくなってから行動に移しても帰還はかなうだろう。こんなところで大丈夫なの、ええ、この先に父のコテージがあって皆が待っているから、心配してくれて有り難うとか何とか運転手に言い繕えば誤魔化せもするだろう。

 元々からして石井作品の絵画的特質を見慣れてもいたので多少の噛み合せの悪さはものともしない私であるから、そんな風に自分なりに納得し、ウェブ上の瑣末な指摘を鼻で笑い受け流していたのだった。
   
 それは間違いである。石井隆の世界を読み解く鍵は“不自然さ”にあり、受け流しては決していけないのだった。自動車を駆らねば決して行きつけぬ場処に、免許を持たぬおんながたった一人で度々訪れているという“不自然さ”を感知し、根気よく掘り進めていくことが『愛は─』という作品の真の認識へ結束するのだ。

 オフィシャルファンサイト『石井隆の世界』http://fun.femmefatale.jp/ を手探る。この度の『愛は─』に関して撮影現場の奥の奥まで足を踏み入れ、その詳細を「フォトギャラリー」という形で開陳しているのだが、仔細に見たのは『愛は─』の鑑賞を終えてかなり経ってからだった。目から鱗の画像が交じっていた。「バーあゆみ」のプライベートエリアを撮ったなかに見慣れたものが写っている。店のおんなたちが客の要望に応える一画なのだけど、壁にかけられた様々なフェティッシュな性具のなかにおんなを傷つけた黒い鞭が認められる。(*3)

 十六の時分より暗闘を重ねた“れん”にとって性具の入手などコンビニエンスストアで飲みものを買うほどの手間かもしれず、鞭一本をもって断定するのは早急かもしれないが「折れそうになると一人でここに来るんだ」の“ここ”とはどうやら“ドゥオーモ”ではない、いや、確かに“ドゥオーモ”ではあるのだけれど“そう見える”という次元じゃないか。

 “不自然さ”を修整するために想像を廻らせば、おんなは母姉が買い物か何かで出掛けたのを機に階段を駆け下り、店の奥のつんと生酸っぱい臭いの立ちこめた場処に入って鞭を手に取ったのだ。ざーざーと雨音だけが響くなかで立ちすくみ、思案をし、万一の急な家族の帰宅に備えて二階へと階段を登っていく。(*4) 自作自演がばれぬようにするには背中や臀部を打たねばならぬ、その為には衣服をすべて脱がねばならぬ、そのような場所は、そのような行為を行なえるのは唯一「風呂場」だけではないか。こうして“ドゥオーモ”と「風呂場」が隙間なく結束なっていく。

 幼いころに実父によって交接を無理強いされ続けた「風呂場」に始まる“れん”の受難は「風呂場」と直結した“ドゥオーモ”に父を葬ることで起点へと舞い戻る、そのように“れん”は願った。願いながら「風呂場」で自らを傷つけた。それが“本当の光景”であった。

 ならば終盤に為されて私たちを陶然とさせ、延延と(ディレクターズカット完全版では長さをより増して)果てることもなく行なわれて恐怖すら覚えさせる“ドゥオーモ”での鞭打ちは“夢想”に過ぎないのかと言えば、これもまたおんなにとってまがう事なき現実である。

 私たちはいわゆる“狂気”に魂を乗っ取られることはない。いや、これを読む中にはそんな荷物を負ったひとも交じるかもしれないが、ごく稀なことだ。けれど、情熱や興奮、没入というのは大いにあるし、たとえば恋情の烈風に巻き込まれ自分をつい見失う程度のことは誰でも過去一度か二度はあった。当人は至って冷静なつもりでいるが、程度は違え折々の言動を思い返せば、さぞ傍から見て奇妙で痛々しいものだったに違いない。気持ちのありかた一つで世界は如実に変貌を来たし、押し止めることは困難ということだ。現実とは極端な話、69億個の違った世界の寄せ集め、継ぎ足しでしかない。

 『愛は─』で至極当然の風景となって展開していた“ドゥオーモ”はおんな内側に廻って世界を見渡した瞬間であり、おんなを深く愛した男にとってもまさに現実であった。つたない形容ではあるが、感覚は胃カメラ、腸カメラに近い。やつやつしい風情を晒すおんなに抑制利かずに肉迫するあまり鼓動や嗜好がやがて同調し、正面からでなく“内側”から捉える次元に突入してしまう。大丈夫なの、どうしたの、苦しいの、と、背中をさすりにじり寄る内に、素肌ぎりぎりのところを接写していたカメラがずぶずぶと相手の身体の中に沈んでいき、ぐるり百八十度転回して目線を共有する。

 愛しき者の内実にあたかも内視鏡と化して分け入って行く、それは“天使”と想い定めた相手の“はらわた”に入ることなのだが、そんな声を失う転換点をこのところの石井映画は確かに内在させている。ドラマを客観視する男の主観と狂ったおんなの主観がない交ぜとなっていき、(霊肉一致の得がたい交情と似て)観客の恍惚はそのときピークに達していく訳だけれど、混沌として矛盾を孕む状況をどうしても呑みこめず、あれはおかしい、ここはどう考えたら良いかと懸命に整頓を始めてしまう几帳面な観客も中にはいる訳で、そうともなってしまえば物語の破綻と当然目に映り、齟齬だらけのお粗末な仕上がり、引いては怪作という批評を招き寄せる結果と相成る。

 若い世代にこのところ人気の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は裏面からも絵具を添えて世界のリアルを追求しているが、裏側の見えざるもの、“傷ついた魂”“狂わされた魂”を描きながら、それを表側の動向にぴたり重ねていく石井の離れ業(わざ)は若冲以上の細密な領域に踏み込んでいる。いずれ世間はこれに気付き、こぞって褒め称えることになるにしても、はたしてそれで良いのかとも思う。誰もが優れた読み手ではないし、時代が追いつくのを茫洋と待ち望むのは悔しい。難しいところだ。

(*1): 2005年の『花と蛇2 パリ/静子』では波立つものは控えられ、人生にすべからく訪れる老境について至極淡々と語られている。2004年以降の石井作品群を“壊れている”と総称する向きがあるけれど、『パリ/静子』の頑健で目に優しい構築が示す通りで、石井はそうするのが物語の上で正しいと見定めた場合にのみ意図的に“壊している”、と私個人は捉えている。
(*2):劇場パンフレット所載シナリオより
(*3): http://fun.femmefatale.jp/photo/06.html
(*4):この通りに“れん”が動いたのだとすれば、前作『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)でも顕著だった精神の瓦解を顕現する石井らしい階段が復元されることになる。(二階に風呂場があるという設定は存外ここから来ているのではなかろうか)

2011年5月9日月曜日

“足の裏のアップとか”


 近作映画に連動して上梓なった写真集「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」(2010)の評価が、例によって二分した。落胆し不満を露わにする声の数々をウェブ上で拾い集め、その幾つかを並べてみると、かえって石井隆の世界とはどのような空間であるか見えてくるように思われる。

暗い基調の写真が多く、その写真も顔や体の部分を写したものが多い、
つまり全身のヘア・ヌード写真が無いということ。足の裏のアップとか───

また顔の表情がよく見えない写真もある。全体的に暗く不鮮明。
せっかくヌードになっているのに顔がはっきりしない写真が多くて、
佐藤寛子かどうか分からない感じ───

 四ツ足で這いずり回った動物の時分から変わらない、根っ子みたいなものを私たちは抱えている。どうしても異性の身体から生え茂る体毛や毛髪、腰つきや乳房などに目線を奪われがちであって、その本源的なメカニズムを利用して芸術や芸能といった娯楽や文化、恋や仕事の駆け引きが盛んに行なわれているのは承知の通りだ。例えば古くは陶磁や土壁に、昨今ではグラビアやDVDやウェブ上に裸の男女の、入れ代わり立ち代わりして乱舞する様子が止む気配がない。

 その手の情報や導きなくして人類の繁栄と継続はおぼつかないとする岸田秀の論なんかに深く頷くところもある私は、猥褻とか不道徳の語句をかざして否定したり拒絶する気がさらさら起こらない。夜空の星々と数もまばゆさも双璧となって、まるで地上を埋め尽くす勢いであるのが実に壮観に思える。

 ただ、ステレオタイプにしなしなと曲線を作り、強烈な性的記号(サイン)を際立たせながら受け手を導くものを(愛着ある物言いにて)ここで「破廉恥」という形容で仮に括った場合、石井隆の私たちに提示するものは、幾らかその流れから逸脱したものとなって見える。上の意見はそのことを端的に言い表しているように思う。

 なるほど『花と蛇』(2004)以降、白い裸身に妖しく彩られ続けた祭事空間に世間は大いにざわめき立ち、公開間近ともなれば宣伝役を担った週刊誌、写真誌がにぎにぎしくカラー頁を割いてきた。言葉巧みにこちらを煽りまくり、ちりちり、さわさわと内奥を刺激する題字と文面で飾り付けられた女優のあられもない姿にこころ奪われ、烈しく揺さぶられた私たちは石井の作品を色情にひどく囚われ、幽閉された世界と捉えがちだ。

 『死んでもいい』(1992)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が典型だけれど、性愛や恋情に筋を乗っ取られ、抑制をまるで失ってしまって破滅の淵へとひた走っていく傾向が石井の劇には強い。これを破廉恥と呼ばずに何をそう呼ぶか、と思わなくもない。けれど、世間一般の枠組みで次々と提供されている目線とは隔絶した、妙に重苦しいものが寄り添っているのは違いなく、どう異なっているかはなんとも微妙なところで一言、二言では表わしにくいのだけど、肉体を“風景”として見守っているかのようなやや奥まった気配を私はずっと石井の手元に感じてきたのだった。

 例えば硬く閉ざされ続ける唇、それに、閨房で半眼のまま観察を解かずに終始して決して閉じられないおんなの目蓋といったものは、ずいぶん以前からファンの間で石井らしい描写として囁かれるところだ。身体の芯をくすぐり発熱させる“記号”としては石井の描く(演出する)女性像は不適格なところがある。

 男たちの欲望を完遂にいざなう“記号”を演じることを拒絶して、石井のおんなたちは別な何ものかになろうと蠢き続けていく。それは同時に私たち男をも別な次元に連れ去ろうとするのであって、この石井の差し出す別回路をしかと見定め、流れに乗れるかどうかが、詰まるところ石井作品の評価の分かれ目になっているように思う。

 人間の内奥に潜む陰翳をひたすら凝視し、どうにか印画紙やフィルムに定着させようと図る石井隆の世界は“暗い基調の写真が多く”、被写体の精神の多層に迫って“自分が見知っていたおんなかどうか分からない感じ”になっていき、“表情がよく見えない”分だけ緊迫を孕んで、所作や息づきといった全てから目が離せなくなる。

 “足の裏のアップとか”から、おんなのこころを読まざるを得ない、そんな追いつめられ方をされていく。森に入って耳を澄まし、風を読み、これから雨になるのか雷が来るのかを予測するように、指先にこもった力や膝頭と肩の微かな揺れ、化粧や装飾の度合、唇のわずかな歪みを懸命に見詰めていかねばならぬ。石井のおんなは記号ではなく、だから風景として佇む。生き残りを賭けた真摯なまなざしが霖雨(りんう)のように果てしなく注がれ続けて、視界をまぶしく覆っていく。


2011年5月8日日曜日

「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」 佐藤寛子写真集


 自ら監修して世に送り出した「写真集」は、これが石井隆にとって(劇画家時代のものは含まなければ)三冊目となる。喜多嶋舞と組んだ前作“映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」写真集”にも圧倒されたのだけど、佐藤寛子を主演に招いた今作は世辞抜きに物凄いことになっている。心胆凍らしむ壮絶な仕上がりで、重たく密度のある“寒気”に幾度も襲われた。孤高の創造者がなりふり構わず“地獄図”を構築している。この“突き抜け方”こそが人の言う「石井ワールド」の醍醐味だ。

 映画「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」のフィルムブックという体裁をも遥かに超えている。突き抜けている─、越境している─、破壊している──。頁をめくる度に剣先でざくざく喉元を突かれているような、尖(とが)った想いが明滅する。艶色(えんしょく)誇るタレントが若々しい裸身を捧げる「ヌード写真集」の枠組みを軽々と超えてしまった。

 “超える”という言葉で、ふと思い返す。とあるドラッグクイーンがインタビュウを受けて、自分たちは“女性化”している訳でなく“超男性”なのだと答えているのに以前出くわした。ひたすらポジティブな面持ちであって、“生”のエネルギーに満ち溢れて見えた。

 なるほどと感じ入ったのだったが、思えば彼らに限ったことではなかろう。人は時に“超えること”を狂おしく希求するものだ。表層的にでなく内面的なレベルであれば尚のこと、自らを囲う殻を破りたいと身悶える。気持ちだけは何がなんでも折れるもんか、負けるものかと歯を喰いしばって新生を試みるいたいけな存在が人間ってやつだろう。“生きる”という流れはそういう「破壊と再生」の繰り返しに在る。エロス的な超越の在り方を手探りしながら、大なり小なり人は変わっていく。

 そのような正方向への変容の仕方、建設的な化け方ではまるで無い、尋常ならざる不気味な跳躍がこの写真集には植え込まれている。叩きのめされた。質が、覚悟がまるで違う。いや、善し悪しの次元ではなくって、戦局を開く場処が世間の常識とは真逆である。

 写真という領域から先例をたぐれば、似た味わいのものが記憶の淵から浮上もする。八十年代中頃からのシンディー・シャーマンを連想する人が少なからずいるのではなかろうか。ラバーやかつらを多用して撮られた彼女のセルフポートレートはどれもこれもが異様な風体であり、目撃者の動揺を激しく誘った。女性が美しさや可愛らしさという仮面を捨て置いておどろおどろした“死者”なり“無機物”へと変貌していく。一枚の写真がさまざまな想いを喚起させて、ひとしきり無我の境地に浮遊されられたものだった。

 あのときの戸惑いや衝撃が震度4か5とすれば、石井隆と佐藤寛子が与えたものは震度8以上の激震である。

 女優が自らの名前を冠した「写真集」を発刊する際には、どの写真を載せるべきであるか、彼女なり所属事務所なりの許諾が必要となるは当然のなりゆきだろう。拡大ルーペを通して熱心にポジフィルムなり手札判に焼かれた己の姿を凝視し、胸にざわつくカットにはマジックペンで赤々とバツ印を残したりするものだ。佐藤寛子は掲載候補に選ばれた写真に目を通し、じっくり思案する機会を得たはずなのだ。

 それなのに、どうだ──、
 時折挿し込まれる形相は、これは一体全体どういうことか──。

 数えてみれば七十ほどの画像がこの本には収まっているのだけれど、全身の毛が逆立つような佐藤寛子の表情が待ち構える。4葉目、5葉目の、浴室のシャワーの滴に濡れた面影の、半眼のままわたしたちを睥睨(へいげい)してみせる佐藤がまずもって怖い。魂が遊離しかけて夢とうつつを行き来しているような、曖昧で、何かしら黒い印象を与える眼差しにぞっとさせられる。29葉目、30葉目では天井をぐいっと仰ぐ横顔があり、見開かれた瞼から丸く覗いた水晶玉のような眼球はこちらの感情を一切合切なにもかも拒絶するようなヌメッとした輝きを放っていて、命(いのち)宿るものとは到底思えない。

 バランスのとれた体躯に豊かな胸部を具えて、現代女性を代表するがごとき満満とした外観を誇るタレントであるが、同時に奥ゆかしさと知性を湛(たた)えた愛らしい瞳が強い印象を残す“目力(めぢから)のある娘である。美貌に恵まれた存在、美しい女(ひと)と言い切って良いだろう。このみずがめ座生れのおんなは内面から輝いて美しい。それが彼女の本質だと私は思っているのであるが、

 はたして上に掲げた彼女の表情は、彼女の瞳は、“美しい”だろうか。鼻筋はすっと通り眉も整い、唇だけを見れば吸い込まれるような肉感があって虜(とりこ)になってしまいそうなのに、全体として言いようの無い不安を誘発するところがある。どこかに欠損を抱えている者のような、裏返ったものが紙面に巣食っている。

 編集スタッフの不手際なのだろうか、それとも、締め切りに追われた挙げ句のやっつけ仕事の成れの果てで、滅茶苦茶な選定と構成が為されたものなのか。どうして佐藤はこれを止めなかったのか──。疑念を抱きつつ、さらに頁をめくっていって遂に合点がいくのだった。佐藤寛子という憑代(よりしろ)を得て、石井は極北の情景、タナトス的な突き抜けかたを真っ向から狙い定めている。重大な決意をもって禁じ手であるはずの“歪み”や“狂い”が捕らえられている。

 42葉目にて佐藤の裸身は輪郭を失い、あたかもゴムの人形か軟体生物のようになって暗がりで息づいていくのだったし、さらに60葉目、62葉目において変容(メタモルフォーゼ)は極まって此の世のものとは到底思えぬ妖しさを刻んでいく。

 伊藤晴雨の絵に「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)図」があり、あれは男の怨霊を描いた傑作だったけれど、犬歯覗かす佐藤の歪んだ唇、あらぬ方向を凝視する鳥のような瞳はこれを想起させるに十分なものがある。ヌードグラビアとしての定石とは完全に剥離した、豪胆な試みが為されていると捉えていい。

石井隆と佐藤寛子はこれまでの“ヌード写真集”の常識を破壊し、また、佐藤が地道に獲得してきた健全な常世(とこよ)のイメージを脇に押しやってまでして、幽冥の地平を拓(ひら)かんと突き進んでいる。傍目には無謀とも思えるとんでもない闘いを二人して挑んでいる。

 古来より伝承される説話にはおんなの変容(メタモルフォーゼ)を顕わしたものが多くあるが、石井と佐藤が表現しようとしているのはまさにその潮流であるのだろう。奥州安達ヶ原の鬼女、蛇身へと変じて恋しい僧を追い立てる姫君──かれら異形の者たちはひとを想う気持ちがあまりにも高じた末に、人を殺めずにはおけなくなった“超えた存在”だった。佐藤はこれを捨て身で演じ切り、石井は全世界を敵に回しても良いという必死の覚悟で形に為した。人が人を愛する臨界に訪れるだろう“化身”や“霊界”が黒々と描かれている。

 65葉目で大きく目を見開いて驚愕する佐藤の、その視線の先にそっと置かれた64葉目の画像。“ドゥォ-モ”の巨大で湿った岩肌の、ずんと縦に穿(うが)たれた裂け目に不自然な山吹色の鈍い光が宿っており、よくよく目を凝らせばその奥に何か得体の知れぬものが潜んで此方を窺(うかが)っているようにも見える。ああ、何だろうこれは──勘弁してくれ、妖し過ぎる、恐ろしい。

 あの表情、あの光をしばらく振り切れそうにない。とてつもない「奇書」がぽつねんと此の世に産み落とされてしまったことに心底仰天し、ただただ唸りまくるばかりでいる。死線をさ迷った者にしか知り得ない、生き果てた先の先に在る“業(ごう)”に触れた想いがある。





2011年4月29日金曜日

“ふたりの風景画家”


 昨年十二月、暮れも押し迫った頃に映画監督の池田敏春(いけだとしはる)が世を去った。遺された作品のうち、白都真理(しらとまり)主演の『人魚伝説』(1984)がこのところウェブ上で話題となっている。“原子力発電所建設工事”をめぐる暗躍や対立が物語の背景にあり、ささやかな漁民の生業(なりわい)と家庭が無残に押し潰されていく様子が描かれていた。巷でささやかれる声は、今この瞬間のわたしたちを脅かし続けているさまざまな事柄と映画世界が隙間なくリンクした結果である訳なんだけど、それと共に、池田が舞台(ロケ地)となった港町を再訪し、海に身を投じて自ら生命を絶ったという因縁の深さ、多層さに誰もがこころを惹かれるからに違いない。

 もちろん、事の詳細は部外者である私にはまるで解からない。いかなるプロセスを経てそこに佇んだのか、眼下に臨んだ冬の海が彼の魂にどのように機能したものか。独りぽつねんと対峙してどんな風が吹き巻き、どんな波がそのとき砕けたものか。もはや語る思いも残っていなかったのだろうか。答えの返らぬ質問がおぼろに明滅するばかりなれど、感覚として拒絶は起きない。どころか、むしろ私には馴染む部分さえ、実はある。

 三十代の血気盛んな時期に撮った映画の舞台に、なにかしら追慕するものがあったと想像するのはたやすい。それに、ある程度の年輪を重ねた者であれば、思い当たる節が誰にでもあるのじゃなかろうか。内奥の深いところに癒着してなかなかに醒めやらない、不安定でどうしようもない“場処”のひとつやふたつを抱えながら、どうにかこうにか生き長らえていくのが人間というものだ。迂回して通る時もあれば、ふらり立ち寄って気持ちの整頓をしたりする、そんな場処が確かに在る。

 彼の地が池田にとってそんな場処であったのならば、遺族の皆さんには聞かせられないが、“かたち”としてそれはありがちな、諦観をたたえて見つめることが可能な、おごそかで静謐な場景となって脳裏に投影されるように思う。

 自ら選んだ場処で自ら選んだ区切りを求めた「強靭な執着」は彼らしいな、という感慨もある。盛夏、厳冬の時期ともなれば思考をすっかり滞らせる猛烈な寒暖に襲われてしまう、四方を緑濃い山々に囲まれた狭隘(きょうあい)な盆地に生まれ育った池田敏春という男が、“風景”に過剰な思い入れ抱いた挙句に“風景”に溶け込もうと図るかのような幕引きを演出したのは、同じ北国に育った私の中に、らしいな、という感慨を湧かせて止まないところだ。

 自然を制覇し切ったとうそぶいて見える都会とは違い、葉山信仰や草木塔、山岳修行といった習俗にべったりと染まった東北の地では、町や村は自然から恐る恐る借り受けた特例の区画、自ずと謙虚にならざるを得ない間借り状態となっている。今の世にそれはあるまい、大袈裟なことを喋るものだと笑うかもしれないが、本当にそうなのだから仕方がない。人間もまた自然から猶予を与えられ、猫の額みたいな平地に生かされており、やがて時が満ちれば、鬱蒼たる山々の奥へと帰還して樹や蔦(つた)、花とか草藪(やぶ)に入り交じって一体化するのは感覚として至極当たり前である。

 そのような地で展開される“風景”は精神や思索といったもろもろをはるかに凌駕していて、(“生活”ではなく)“人生”の根底を強く牽引するところがある。終幕に訪れた“海”という風景に池田がどのような眼差しを向けていたか、だから、その一割程度は解かるような気がわたしにはあるのだ。良いとか悪いとか、哀しいとか辛いでなく、きっとそうだったのだろうと想って、今はこころ静かに冥福を祈っている。

 彼の死は新聞に多く取り上げられることはなかったが、追悼する写真付きの小文(*1)が大きく一紙に載せられており、嬉しくそれを読んだ。故人の内実を探り切れずに、やや途方に暮れた感じで断絶してしまう文章であったが、かつて映画青年だったらしい書き手の池田作品への敬意と憧憬を含んだ記述はためらい無く地平線を広げてみせ、石井隆が脚本を書いた『天使のはらわた 赤い淫画』(1981)もすらりと紹介してあって、とても綺麗な筆致だった。

 根岸吉太郎と並んで、石井もほんの少し言葉を寄せている。書き写すとこんな具合だ。

──織田作之助の短編小説の映画化で、大阪を舞台にした男女の純愛物語。「天使のはらわた」などの脚本を書いた石井隆さん(64)は、「秋深き」を見て、主人公の2人が手をつないで歩く姿に目が留まった。以前、池田さんに「こんな風に書いて」と言われ、示されたアメリカ映画「コールガール」(*2)の1シーンに似ていたからだ。それは、「体を売る相手でしかなかった、“男性”という存在を初めて愛した女性の気持ちがよく出ている」印象深い場面だった。

 石井の指す場面とは一体どんなものであったか、そして、池田の遺作との連関は本当にあるのかが気になって、続けざまに観て先の休日を過ごした。

 失踪した中年男の行方を追って田舎町からニューヨークにやって来た私立探偵が、ジェーン・フォンダ演ずる事件の鍵を握っていそうな若い娼婦に接近し、おんなの住まうアパートの一階にある半地下の小部屋に調査の拠点を構える。騒動を嫌って、最初はつっけんどんな態度で探偵をあしらっていたおんなだったが、最上階に位置する自分の部屋の頭上で怪しい影がちらつき、ごとごとと徘徊する物音が天井に響き始める。遂に耐え切れなくなって階下の探偵に助けを求めてしまい、それを機縁にして両者は急接近していくのだった。

 調査と護衛、幾ばくかの恋慕とがない交ぜになった昼夜が重なっていき、なかなか緊張は解けないまま膠着した状態だけが連なっていくのだけれど、ところが、街角で買い物をして過ごす生活臭溢れた場面が不意に挿入されて流れが一変する。紙袋を抱えて先を歩く男の大きな背中を見やる、おんなの瞳の、奥が一瞬ぐらりと揺らいで、次の瞬間にはすっと細い指先が、前に伸び、男の上着の裾をきゅっと摑んで、何事もなかったようにして後を追うのだった。

 男は背中を引かれて違和を覚え、瞬時にそれが何かを理解し、驚くでも破顔するでもなく、片手をおんなの背にさっと回すと、何事もなかったようにして並ばせ、一歩を踏み出していく。おんなの手を掴みふたりが腕組んで歩き始めるまでのその間、台詞は一切ないのが秀抜であった。雄弁な風景に触れた想いがある。石井が盟友たる池田を偲び、『コールガール』のこの場面を引き合いに出したことは記憶に価する言及だろう。

 『秋深き』が池田版『コールガール』であったかどうかは分からないけれど、あいかわらず光と影で掘り込まれた場面が鮮烈であって、最後の最後まで池田は彼らしい“絵作り”を徹した事が読み取れ感服した。さえない中学教師が惚れたおんなに夜道で追いすがり、街灯の下で唐突に求婚するくだりで、ふたりの輪郭をちろちろと真白く発光させるように配された照明の、それに付随して天空より舞い下りて寄り添うカメラの、活き活きとして堂々たる演出に息を呑んだ。

 『秋深き』と『コールガール』の両者と、加えて池田敏春と石井隆という映像作家の間で共振する箇所に想いを馳せれば、台詞以上に絵でもって語る、光と影で世界を波動させる、そんな技法に行き着くように思う。池田の追悼上映で招かれていた根岸が口にした言葉をここで借りれば「ワンカットに過剰に執着する」ことにより「視ている者のこころを揺れ動かす」、そんな徹底した絵作りを共有しているのは誰の目にも明らかだ。“黙して語る”とでも言うのか、“能弁なる風景”とでも呼ぶべきか、奥があって密度の高い絵画世界が峰を連ねていたように思う。

 性愛や暴力を軸とする物語を池田も石井も紡いできたが、その多くは思えば“風景”と総称されるものだった。恋情や欲望を題材にした作品を眼前にすると、カッと頭に血をたぎらせ、杓子定規にやれ陰部だの尻だの陰毛だの、性的だの、わいせつだのと騒ぎ立てては封殺を目論むひとがいるけれど、彼らは風景に畏怖や敬虔を抱けないこころ貧しい都会人に見える。

 わたしたち人間もまた自然の一部であり、風景の一部となって活かされていることを本質的に悟った者でなければ読み切れない映画、絵画、写真というのはあって、まさしく池田と石井はその贈り手であった。大切な画家をひとり失ったと感じている。

(*1):讀賣新聞 追悼抄「悲劇のヒロイン映す」 東京本社文化部 近藤孝 2011年3月7日(新聞の場合、掲載日は地域によって異なることがある)
(*2): KLUTE 監督 アラン・J・パクラ 1971



2011年3月21日月曜日

“先に舞台がある”~石井隆の劇画手法③~


 【天使のはらわた】(1978-79)の後半に鮮烈なひとコマがある。ぐっと遠近感がある草むらの描写でアングルはかなり低い。名美が逃げて、梶間とその仲間が追いかけている。彼女を暴行し、その写真を撮って恐喝して今後の自由を奪おうと目論んでいるのだった。これはもう登場人物全員が走っているせいもあって地面が大きく斜めに揺らいでいるのだけれど、隅々まで筆が入った徹底した写実性が観る者に強い生理的衝撃を与えている。手前を大きく遮る草の葉も効果をあげていて、こちらの息まで苦しくなる具合だ。

 このコマの前後がどのような手順で作成されたかを教わったのだったが、これも又呻くような内容であった。承知の通り、漫画作りの最初の段階に“ネーム”と呼ばれる台本と絵コンテの中間のようなものがある。多くの作家の場合はサササッとコマを割ってそこに台詞が並ぶだけが大概であるのだが、石井の場合は映画の絵コンテそのままなのだそうだ。どのような表情があり、どのような舞台に立っているのか。光の具合、影の具合はどうなのか。そこまで丁寧に描きこまれていたらしい。頭の中のイメージが完成されていて、それをどうしたら最終的に定着させられるか、それが全てであった。

 この特殊なネームに合わせてどんな写真資料が必要でそれは何処にロケに行けばいいのか判断し、実際に足を運んで風景を撮ってくる。映画と同じロケーションの感覚である。このコマにはこれ、あのコマにはあれと言うように想い通りの光景を撮りに行く。何十枚、何百枚と撮り溜めて、現像して丹念に取捨選択し、それを拡大縮小して微調整した後に貼り付けて、ようやく下描きの段階に入っていく。つまり、人物の含まれない背景ばかりが並んだ図面が最初に作られていた、ということだ。

 名美と男たちは完成なった舞台にいよいよ立ち現れて、駆け出し、転がり、声をあげてドラマを作っていくわけであり、その辺りもステージが完璧に作り込まれた後に役者が呼ばれるような手順となっている。よくもまあ、ここまで人物が背景に溶け込むような絵に仕上げられるな、と感心する他ないが、石井の劇画作りはすこぶる映画作りに似ているのがよく解かる話だ。助監督の経験も活きているのかもしれぬが、劇画時代のこの取材の流れが「写真集ダークフィルム 名美をさがして」(1980)に繋がり、遂には映画演出に連なっていった訳であるから、石井の仕事振りというのは本当に首尾一貫して映画を目指して歩んできた道のりだったと頷かされる訳なのだ。

 このようなロケーション重視の作劇法に絡み、もうひとつ興味深い話を聞いた。とあるアパートを舞台に選んで取材に行き、上記のような手順を踏んでようやくスタッフに回された図面(写真をコマ状に配置したもの)を基(もと)にアシスタントが絵に起こしていったのだが、その際にタンスか食器棚の上に押し込んであった中途半端な箱のようなものを省略してしまったらしい。石井は即座に注意して訂正を命じたとのこと。そういう用途不明なものがそこにあってこそ生活感が充溢して来るのであるから手を抜いてはいけない、との理由であった。

 箱は前日押し込まれて本来はそこに無かったものかもしれず、その逆に冬物のセーターが入っていたりして今日にもそこから下ろされて中身が取り出され、そのままグシャグシャに折り曲げられて捨てられたかもしれない。そう思えば箱のひとつやふたつは有っても無くても同じ理屈なのだが、石井は頑として譲らなかったそうである。省略するな、全部が必要であると。

 『ヌードの夜』(1993)の名美の部屋や『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の主人公夫婦の寝室を染めていた小道具の数々を思い起こすまでもなく、石井映画においてはインテリアや装飾品がきらめくような生命を宿して自己主張し、画面の隅からこちら側にそっと囁いて来るのだが、その力の源流というのは背景徹底重視の石井の劇画作法に起因していたのではなかったか。
 
 石井は“背景が省略可能な漫画を考えていた”のじゃなくって、常に“背景、舞台を背負い続ける宿命を負った映画を考えていた”ということである。長い習練を経て劇画と映画、両者の地平は連なるだけでなく、邦画界では稀有とも言える深慮に満ちた創作活動が陸続と展開されるに至ったことに対しても、それは当然のことであるな、突き進むべき道を匍匐前進した結果であったのだと頷き、ただただ感服するのみだ。

 話を伺った往時の担当者は一度石井のモノクローム映画を観てみたい、と呟いた。同感である。想像するだけで胸躍るものがある。この度の天変地異がわが国に残す爪痕は深くえぐれて、確かに容易に快復は望めそうにない。祈りと黙祷の日々が続き、私たちは混乱した日常をなかなか取り戻すことは出来ないかもしれない。娯楽文化は肩身を狭くして、しばらくは精彩を放つことを世間は許されないかもしれない。

 でも、わたしはまたいつか再び石井隆の映画を見たいと願っている。夢を追い求め、人生を賭して映画と向き合ってきた石井隆の真摯な姿とその作品は、それだけでどれだけ勇気付けられるかわからない。どれだけ救われるかわからないからだ。



“三次元で捉えられた背景”~石井隆の劇画手法②~


 石井のインタビュウには手塚治虫、楳図かずお、つげ義春、さいとう・たかをといった同業者の名前が上がるのだけど、一瞥して判るようにタッチはいずれとも段差がある。不勉強でそう詳しくはないが石井と同時期に青年誌で人気を得た他の作家、たとえばつつみ進と比べてみると執拗に描かれたおんなの毛髪や茫漠とした空き地や鬱蒼とした草むらの表現に似たものはあるにはあるが、読後の印象はこちらも随分違ったものになっている。託されたメッセージやテーマはそれぞれ作品ごとに違うのは当然であるけれど、臨場感と言うべきか迫真性と言うべきか、石井の劇画には読み手の腕を取って紙面に引きずり込み、劇空間の只中に内包してしまうような磁力がある。

 よく知られたように石井は自らカメラを操って“背景”となる街角や路地裏を取材していて、それが作品に力を与えているのは違いない。例えば運尽きて降下し続ける人生をようやくそこで支え、からくも繋ぎ停めているかの如き退避所めいた場末の酒場が石井の作品には頻繁に登場するのだが、【黒の天使】(1981-82)や【赤い微光線】(1984)などを再読するたびに驚かされる構図があり、コマ一杯に呆れるほども小道具で埋め尽くされていて目が離せなくなる。劇の展開とともにカウンターの裏側に無遠慮に回りこみ、そこで掃除をし始めたり酔いつぶれては低く屈み込んでいく人物動作が起こっていくのだが、その不意の動きに背景はしっかり追いすがって分離していかない。紫煙とアルコールの入り混じった夕闇の気配をそのまま維持して、ドラマの命脈を生き生きと保つのである。

 教わった話によれば、石井の取材はどうやら半端ではない。もしも、自分が漫画作家だとして特定の車なり家屋なり店舗を背景に選択し、作画のために写真を撮るとしよう。さて一体どれだけのフィルムを費やせるものだろう。こうやってああやって、前から後ろから撮ったらお終いといったところだろう。せいぜい50枚も撮ればもう撮るところないと思うに違いない。ところが石井は黙って200枚ぐらいは平気で撮るのだそうだ。どんな使い方するか分からないからと、車であれば上から撮ったり中から撮ったり、内部もブレーキのペダルから、運転している視点から撮りたいとかその徹底ぶりは凄いらしい。酒場など主要な舞台ともなれば数百枚にもなるらしい。

 数撃てば当るというのでなく、撮ったどの写真も構図が決まっていて絵になっているということがさらに驚嘆させられたそうである。何十枚撮ってその中で数枚しか使えないというのではなくって、どれもこれも格好がよい。最初から構図の切り取り方が抜群だそうで舌を巻いたとのこと。そのような徹底振りが石井劇画の舞台を三次元的にしており、縦横無尽な活用を実現に導いたのだ。人物と背景が隙間なく一体となって連なり、決して乖離することはない。石井の頭のなかでの劇画構想はつまり動画を作成する観点から立ち上がっていて、それも今風のコンピューターグラフィックによく見受けられる3Dに似た捉え方なのだろう。背景の考え方が写真館でよく目にする狭苦しくささやかなホリゾントとは仕組みも大きさも違っているということだ。

 石井の映画作品を観ていてもこれと似た感慨、著しい3D感が押し寄せる瞬間が幾度も巡って来る。前後左右に加えて上昇と下降も目まぐるしい。動きの種類によっては宗教的なメッセージが込められていると思ってもいるけれど、劇画制作でつちかった奔放な視座転換がこの石井らしい躍動へと導いた可能性は大いにあると推察している。



“劇画と映画の地平”~石井隆の劇画手法①~



 石井監督作品の各々はすっきりと独立しているような、その逆にみっちり列を連ねるような曖昧な距離を具えて並んでいる。『花と蛇』(2004)と『花と蛇2 パリ/静子』(2005)、『黒の天使』のvol.1とvol.2(1998、1999)、最近では『フリーズ・ミー』(2000)と『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の“冷蔵庫”繋がりといったものを観れば頷くところがあるだろう。絵画に例えるなら一人の画家から産み落とされた連作、はたまた一巻の長大な絵巻物の面影を宿している。静謐なアトリエでキャンバスに向かい、手にしっくり馴染んだ絵具や筆を器用に使う画人の幻影を脳裏に抱いてしまう。

 劇画と挿絵作家時代に氏の創り出したドラマの数々に魅了され、やがて転じてシナリオ作家から監督業へと猛進していく様子に目を瞠(みは)り熱い喝采を送ったファンは数多くいるのだけれど、そんな近しい過去を持つ愛好者同士で寄り集い声を交わすうちに面白いことが起きる。映画同士が面立ちを連鎖していくにとどまらず、氏の劇画、イラスト、シナリオへと無理なく地平が拡がって話がどうにも止まらなくなることだ。おんなの肢体、闇に浮かぶ景色、雨にたたずむ男──、二重写しとなるカットを互いに秘めており、個々に切り分けて語ることが表層的にも深層的にもえらく難しくなっていく。

 具体例をあげれば『黒の天使vol.1』におけるエスカレーター襲撃シーンなど分かりやすい。エスカレーターで昇って来る親の仇(かたき)を上階でそっと待ち構え、慌てふためく相手を不敵な面貌にてじっと見据えた後に容赦なく銃撃する一光(葉月里緒菜)が描かれていたけれど、あれと相似する描写が石井の劇画【赤いアンブレラ】(1988)の中にはあった。いや、相似というよりもそのものである。両者のこのカットは一卵性双生児と例えても一向に構うまい。ふたつの作品はあえかに共振して、複雑な波紋を綾織っては読者と観客の内側で木霊(こだま)していく。  

 石井スパイラルとでも呼ぶべき飽くなきイメージの反復こそが、物語の深淵に潜む情念や真実を印刻する上で重要な鍵になっているのは違いないのだけれど、そこでふと思い至って唖然とするものがある。近接したジャンル同士、つまりは映画と映画とで橋渡しするダブルイメージ、はたまた映画とシナリオとが緩やかに融合するのは至極当然なことな訳だけれど、“劇画”と“映画”がここまで自然に寄り添うことはどうであろう。当たり前の事象だろうか。

 なるほど昨今のコンピューターグラフィックスの飛躍ぶりは凄まじいのひと言で、ニューヨークに本拠地を置くマーベルコミック社の漫画を忠実に映画化することは興業界の一大潮流となっている。「バットマン」や「アイアンマン」、「X-メン」といった実写化作品は世界を席捲するのもうべなるかな、屈折した主人公や敵役の人格が繊細に描き分けられていて、大人の鑑賞眼にも耐え得る仕上がりとなっている。巧妙に造られたスーツもすこぶる蠱惑的で光と影の演出も心憎いばかり。よく原作の面差しを再現しており、唸らされることしきりだ。現実のものであれ妄念であれ、およそニ次元に描かれた世界をスクリーンに再現出来ぬものはないぐらいに進化を窮めてしまい、年々手の込みようはエスカレートして見える。

 そんなハリウッドの大作と並べ評することは無理なきにしもあらずだが、“石井隆が劇画で描いた世界観”と“「同じ石井隆」がメガホンを取って像を定着させた映画”とが実にきっちりと糸を結んで一体となっていることに、わたしはそれらヒーロー物の隆盛に対する以上の感嘆を抱き、熱い吐息を吐きながら唸らざるをえない。

 たった一人の男が別々な媒体で生み出したものが、物理的な制約を越えて寸分の隙間なく連なって見えてしまう、それは冷静に考えれば驚嘆すべき話ではなかろうか。まるで奇蹟か呪術を目の当たりにしているような得体の知れない気持ちにすら襲われてしまう。ここまで地平線をなよやかに繋いでいくクリエーターは、どこを探したっておよそ見つかりはすまい。世界的にも稀有な現象を私たちは目撃しているのではないか。

 一体全体、石井劇画とは何であったのか、なぜ映画とここまで一体になれるのか、わたしは随分とその事に不思議に感じて延々と引きずってこれまで生きてきたのだった。2009年の秋、幸いにして往時の出版関係者より直に話を聞く機会に恵まれた。たくさんの刺激的な事実を知り得たのだったが、これによって石井劇画と石井映画の結合する理由のみならず石井世界の原動力とは何かも得心することが出来たのだった。

 読めば随分と大袈裟だと笑う御仁もおられようが、私が思わず声上げる具合となった幾つかの逸話をここで紹介したいと思う。なお、石井と関係者に迷惑が及ばぬよう開陳するのは知り得た話の十分の一にも満たないし、勝手ながら手を加えてまとめている。








2011年3月19日土曜日

“愛しきものたち”による結晶~石井劇画を構成するもの~



 この一週間の出来事の仔細と今も目の前で繰り広げられている悪い夢にも似た光景の数々を書き留めて記憶に刻み、次の世代に伝えようかと余程思わないでもないのだけれど、エアポケットに落ち込んだような週末の静かなこの午後に記しておきたい内容はやはり石井隆と彼の作品に関する思索のあれこれだ。

 真黒い大波に洗われることなく、家族や知人も皆が無事であったことの幸福に浮かれ騒いでいるつもりは決してなく、こういう表現がこの時機ふさわしいかどうか判らないけれど“土壇場”、“瀬戸際”という感じに絶えず圧迫されているせいだ。三十年という歳月を跨いで観て、読んで、考えてきたものを早く形にしておきたい、こうしてモニターに向かっていられるような時間は一切合切無くなってしまうのではないかと背中を銃口で小突かれている気分でひどく焦っている。

 深呼吸をして、ふたたび石井の“冥府”に気持ちを戻そう、と、したのだけれど今度は“不謹慎”という言葉が頭の隅の方でちらちら明滅する。思えばここ一週間、映画、小説、テレビドラマといったフィクションに気持ちが一切傾かない。生物としての原始的な部分で何かしらの回路が遮断されたみたいで、飲酒その他の身体的欲求がいずれも大きく減じてしまった。戦時下の日本で娯楽、音楽を徹底して禁じ、美粧を控えたことを思い返して、なるほど、そういう厳しい局面では無理強いなどしなくても自然に誰もがそうなったのかもしれないな、なんて想像を巡らしてみたりする。こんな時に映画や漫画のことを書き連ねることは他人からはずいぶん“不謹慎”に見えることだろう。

 けれど、わたしの目に石井隆の世界はひとりの個性的な絵師による「宗教画」に準じたものに見えているから、語ること、紹介することを卑俗で無価値とは毛頭思っていない。わたしの“私らしい人生”には大事なことと考えているのだけれど、沿岸部の惨状や受話器越しに聞く知人、友人からの切な過ぎる話と衝突して逡巡するものがある。もう一度、深呼吸してみよう。

 石井は『死んでもいい』(1992)公開時に行なわれた対談(*1)でフランスの監督ロジェ・バディムRoger Vadimについて突然に相手から振られた際、即座に『血とバラEt mourir de plaisir』(1960)のタイトルを上げて、劇場に「何度も通った」作品と返している。この『血とバラ』の中には幻想的な夢のまとまりが在って、その中のひとつは後年石井が描いた【真夜中へのドア】(1980 タナトス四部作に含まれる)の一場面と繋がって見える。

 身の丈もある大きな窓を境にして現世と冥界とが隔てられており、向こう側は水槽か海のような具合になっている。石井の作品においてはひどい火傷を負って死線をさまよっている名美の母親がゆらゆらそこを漂い、徐々に光の届かぬ暗い方へと遠ざかって行く。慌てふためいた名美は窓を必死に叩いて母親を引き止めようとするのだったが、黄泉の死者はもはや手遅れと取り合わないのだった。

 上の対談において石井は『血とバラ』には確かに何度も通ったけれど「他にもそういうのはあります」と言い添えて、バディムに拘泥したのではない事を強調している。なるほど石井は“バディム派”と括られる程には同監督作品に酔ってはおらず、『血とバラ』という作品についてだけ極端に酩酊して見えるのだ。

 石井の劇画には多くの映画、絵画の面影が投入されているのだけれど、どれもが閃光のように断片的なのが特徴となっている。雨滴が車のサイドミラーの下辺にへばり付き、丁度差し込んだ朝日を屈折させてしばし凄まじい真っ赤な光を投げかけてきて、程なく力尽きて地上に落ちていくことがあるけれども感じはあれに似ている。つまり人気作品に便乗して筋運びや人物像をそっくり真似るとか、丸々まとまった場面をそのまま盗用するという性格のものとはまるで違っている。一瞬だけを組み込むのである。

 本当は石井劇画に散りばめられた多くの事象をひとつひとつ取り上げ、比較検証しながら石井世界とは何かを究めて行こうと思っていたのだけれど、世間の事情があまりにも騒然として先が見えない状況であるから私なりの結論を急げば、石井世界は呑まれることなく、相手をどんどん呑む。絵画、映画スチール、グラビアといった一瞬の情景を幾つも呑み込んで花ひらいた結晶体の面影がある。ロマンティークな男女のドラマの其処此処に別な物語の息づきが挿入されて、せわしく懸命に、健気に肩寄せ合って活動しているように見える。

 そして大事なことは、それら挿し込まれた細片のどれもが石井隆にとって愛すべき記憶の断片に等しく、劇の骨格と同等に想いがひとつひとつ込められているという事だ。コマを埋めるためにルール無用にあたり構わず切り貼りされたのでなく、愛着ある光景なり恋している女優の容姿といったものに充たされてあるが為にコマのひとつひとつが生命を得て語り始めるのである。

 この細分化されながら全体を皆で担っているという石井劇画独特の構造が後年の映画演出にも影響し、日本映画には類を見ない“群像劇”へと発展していった。少し急いでしまったけれど、そのように自分なりに読み取っているところだ。

(*1):「月刊シナリオ」 1992年10月号 桂千穂〈作家訪問インタビュー〉クローズアップ・トーク



2011年3月18日金曜日

“森”に彷徨う~タナトス四部作の源泉~



 『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(以下『愛は惜しみなく奪う』)(2010)の白眉は、後半の舞台となった石切り場であることは言を俟(ま)たない。内部に階段やトンネルを具えるだけでなく、暗緑色に淀む地底湖まで穿たれて在る大洞窟だ。部位それぞれが大切な役回りを担って物語を支えているようにも見えるが、何より本体とでも言うべきか、劇中呼称“ドゥオーモDuomo”になぞらえれば“祭壇”と名付けられそうな虚無空間にただただ圧倒される。石の床に石の壁、そして同質の天井で構成されたその偉容に目を瞠り、凄い凄いと呻くばかりだ。

 もっとも石井が世に送り続けた作品をつぶさに見守って来た身には初めて目にしたこの場処が奇想天外なものとは感じられず、むしろ石井らしい選択であったとしっくり馴染むところがある。幾筋もの支流を抱えて蛇行する大河の趣きが石井世界にはあるのだけれど、中の一本を確実に占めている“黄泉路、冥府”といったものが顕現されており感心することしきりだった。

 先にも書いたように石井劇画には“タナトス四部作”(*1)と呼ぶべきまとまりがある。各々【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣】と題され、1979年から1980年にかけて発表されたものだ。海原、岩壁、森、横穴、トンネル、半ば崩れ落ちたレンガ壁、水槽、人間にあらざる者、突如飛翔して面前を横切る鳩といった事象で占められた道行きのあれこれは、深い眠りの奥で断続する悪夢のように展開されていく。

 紙面に築いてきた冥府の情景をフィルムに定着させることに慎重であり、これまで巧妙に避けて来た石井であった訳だが、今作『愛は惜しみなく奪う』には一気呵成に渡河してその聖域に踏み込んだかのような勢いがある。前作『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が名美というおんなの抱えた情炎をすべて燃焼尽くす風であった流れを受けての英断であろう。17年前の『ヌードの夜』(1993)で名美(余貴美子)は森の入口にて遺体埋葬を諦めて泣く泣く自宅に舞い戻った経緯があるが、『愛は惜しみなく奪う』では冒頭から迷うことなく樹木生い茂る奥のそのまた奥へと、なにかに憑かれたように踏み込んで見せており、越境観と言うか、到達観とでも呼ぶべきか、そんな“突き抜け”があるのは絶対に見逃してはならない点だろう。

 “ドゥオーモ”とは、だから、おそらくは創作活動の決算期に入ったと認めているらしい石井隆が自らに課していた“不可侵区域”に歩を進めたその果てに待ち受けていたコアな情景であって、タナトス四部作と明らかに通底する部分を担っており、その意味できわめて繊細で重大なものを抱えている段階と思って良いのだ。相当に深い内奥を秘めた描写なのである。

 逆引き辞典の頁を繰るようにして、まずタナトス四部作を考察することは今作の解読(石井の冥府とは何か)や石井世界を探る上で有効と信じているのだが、以前からずっと疑問に思っていたのは四作もの“冥府もの”がある程度まとまって出現した理由なのだった。初期の画集「死場処」(1973)や雑誌に寄せた一枚絵の中には、命の焔(ほむら)が尽きて間もない様子のおんなの遺骸や男と組み合うあられもない姿態が山野を背景に描かれていたのだったし、夢とも現とも判別つかぬ幻影に弄ばれていく展開は初期の石井劇画の得難いモティーフとなっていた訳だから、それ等を鋭意発展させたものであることにもちろん間違いはない。

 されど、大都会の一隅にて地方出身の若い男女が物狂おしい出逢いと別れを繰り返していくセンチメンタルな「活劇」を描くことの多かった石井が、突如として前のめりの執念をもって一個のおんなの肉体に巣食う精神世界の末路である「死劇」を驚嘆すべき筆致をもって描いていった背景は一体全体何なのだろう、何が起こったのだろうと当惑を覚えてしまう訳なのだ。単行本にまとまったものをやや遅れて手にとった私にはその辺りの事情が呑み込めず、いずれ権藤晋や山根貞男といった石井の良き併走者が正確なところを解き明かしてくれるだろうと願っているものの、待っている間に震災や事故か病気で生命尽きたときにはそれこそ我が魂は劇画の名美のように黄泉路に迷って到底浮かばれそうにない。

 実際のところ生まれて此の方、これ程まで死の影を身近に感じ怖れおののいたことはない。遠方よりはるばると酷い悪路を今まさに走ってくれているだろうトラックの到着を、冷えた部屋でひとり待ちながら焦るような、自分で自分を慰めるような気持ちでこの文章をまとめているのが嘘のないところであって、私の内側に宿ったもの、人や風景、絵画や映画や小説、漫画といったものたちへの愛する余りの思索や敬慕といったものが形に残ることなく霧のごとく消えてしまうのではないかと、ほんとうに焦り苦しく感じながら書き留めている。 人が抱き続けている“想い”というのは実に儚いものだと分かる。

 自分なりに答えを探してもがくしかない。ワイズ出版よりかつて上梓され手元にある「おんなの街Ⅰ、Ⅱ」(2000)は「ヤングコミック」に掲載された同名連作を収めたのみならず、往時の代表作やさらには反故原稿まで加えた労作であって石井世界の魅力と支える石井本人の情熱を存分に伝える内容となって素晴らしいのだが、タナトス四部作が総覧出来るのは有り難い。幸い初出一覧が巻末にあったので一部これを書き写し、連載順(恐らく製作順)に並べ替えてみるとこんな具合となる。

【赤い蜉蝣】★ 1979  2月13日号
【雨のエトランゼ】 1979  6月27日~8月22号
【果てるまで】  1979 9月12号
【停滞前線】  1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】  1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980  1月9日号
【赤い暴行】★ 1980  1月23日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)

 つまりタナトス四部作(★印)はロマンティークな【雨のエトランゼ】や【夜に頬寄せ】を挟みながら約一年の間に出現したことが分かる。【赤い眩暈】を筆頭に置いて編纂されることが多い四作だが、実際に口火を切ったのは1979年の【赤い蜉蝣】だった訳だ。

 苦界からの足抜けに失敗したおんなが追っ手に捕まりリンチを受けて気を失う。気付けば海に面した断崖に佇んでいるところであって、やがて冥界の使者にいざなわれて海に飛び込んでいくおんななのだったが、そんな精神世界の淋しくも愛おしい情景の裏で進行していた現実世界の風景は実は凄絶なものであって、終幕はおんなの後頭部がぼこんと水溜りに浮いて彼女の生命が今まさに燃え尽きたことが提示される。【赤い蜉蝣】とはそんな現実と精神風景を行きつ戻りつする内容なのだけれど、まあ文字に起こしても伝えきれない作品であるから、未見の人には本を探して読んでもらうしかない

 身勝手な推量であり、また断章取義と一笑されるに違いないけれど、私なりに思っていることはまたしてもベルイマン作品との連環である。特に『狼の時刻Vargtimmen』(1968)との繋がりだ。個人的にベルイマン作品を観ることは元々からして歓びであったから先日DVDを求めた訳だったけれど、途中になって石井作品と二重写しに見える箇所があって大いに胸騒ぎを覚えることとなった。

 都会を逃れて孤島に移住した画家である夫とその妻の物語だ。暮らしは当初穏やかに推移していくのだったが、島の住人と交流を続けるに従い内向的な夫の面相は険しさを増していき、言動が妙に怪しいものになっていく。妻は男の様子に翻弄されつつ必死のまなざしで見守っていくのだった。幕引き間際を襲う数々のショッキングな情景には石井のタナトス四部作を想起させる箇所が目白押しであって、見ていて息苦しかった。特に夫婦の永別の舞台にすえられた“森”の在り様、位置付けは同一の血筋と言えるだろう。

 上に取り上げた【赤い蜉蝣】のラストカットと通底する描写もあって、その仔細は同好の士のいつか訪れるだろう楽しみの為に伏せておくけれど、たぶん石井は『狼の時刻』を観て触発されたことは間違いないと信じている。先にも引いた三木宮彦著「ベルイマンを読む」(フィルムアート社)によれば、当時日本未公開であったベルイマンの二つの作品がテレビで相次いで放映されたと書かれている。『狼の時刻』が1977年8月22日に、『恥 Skammen』(同)が8月23日に流されたらしい。流れに無理は感じられない。

 崩壊していく人格を外から観察するのみでなく、内奥に深々と潜水していく。錯綜したまま、軋んでいくまま、魂の大揺れする様を曖昧でなく具体的に構築してみせたベルイマンの不敵な手法が石井の劇空間にそのまま引き継がれていき、複数の視座をもたらしている。結果的に石井世界の多層性をさらに高めたのだ。

 “ドゥオーモ”はあのような巨石空間となったものの、森に抱え込まれた広場のような場処として当初構想されていたというのも、だから頷ける話なのだ。長年の疑問も含めて穏やかに、芳醇なる結実の想いをもって終息する訳である。


(*1):この“タナトス四部作”はmickmacさんの命名。素敵です。ありがとう。







※追記
何か引っ掛かるところがあってワイズ出版の「おんなの街 Ⅰ」を見返していたところ、初出一覧に誤植があったようです。【赤い蜉蝣】★ 1979  2月13日号と上に書いたのはどうやら間違いであって、実際は1980年の2月13日号に掲載なったようです。ベルイマン作品と連環するイメージを託したのは、無理が出てきました。まさに妄想でありました。お詫びいたします。

実際の掲載順序は次のようであった模様です。

【雨のエトランゼ】 1979  6月27日~8月22号
【果てるまで】  1979 9月12号
【停滞前線】  1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】  1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980  1月9日号
【赤い暴行】★ 1980  1月23日号
【赤い蜉蝣】★ 1980  2月13日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)


また馬鹿をやっちゃいました。ごめんなさい。 2012.06.23

2011年3月8日火曜日

消えない“木霊(こだま)”~石井作品の反復について~


 石井隆を読み進むに当たっていつ頃からイングマール・ベルイマンIngmar Bergmanを意識したかを振り返れば、『叫びとささやき Viskningar Och Rop』(1973)のスチールが口火だったと記憶している。雑誌掲載の鉛筆画に始まり、やがて単行本「名美」所載の【緋のあえぎ】(1975)扉絵へと加筆され再録なった石井の一枚絵と構図がとても似ていた。いずれも寝具に音もなく横たわるおんなと一体の人形とが並び描かれていた。

 痛々しいとか哀れというのではない。卑猥という括りも当てはまらない。誰しもが懐中し、時折向き合わねばならぬ独りきりの時間が描かれていた。もちろんスチールと絵とでは趣きが違うのだし、横たわる顔の向きも左右別々で異なっている。しかし、なぜかしら両者は妙に引き合うものがあって、奥まったところで囁き続けて止まないのだった。

 こうして深く凝視めるに至ったベルイマンの作品には、心理描写や夢魔の扱い方に石井と共通する“生理”が認められて唸ってばかりだった。例えば『沈黙Tystnaden』(1963)や『叫びとささやきViskningar Och Rop』(1972)等を見ると、質感がやたら似た場面に突き当たる。ワイングラスの割れた破片で自らの股間を傷付け、鮮血に染まるのを横暴な夫に見せつける。さらに血に染まる手の甲で唇と頬を拭っていく『叫びとささやき』での壮絶な血化粧なんかはその典型だ。口元を紅くして艶然と微笑むおんなの顔は、石井の描き続けた面影にしっとり像を重ねていく。【蒼い狂炎】(1976「別冊ヤングコミック女地獄」第2集所載)や【水銀灯】(1976「イルミネーション」所載)で自傷し崩れ落ちていく名美の姿がたちどころに思い返された。

 もとより石井は石井、ベルイマンはベルイマンであって、各作品のいちいちの描写を取り上げ例証しても詮無いように思われ、何より両監督に失礼だろうと臆するものが湧いて来る。されど映像以外にも共通する面があることを知ってしまい、困ったことに諦めがいよいよ付かなくなってしまうのだ。三木宮彦著「人間の精神の冬を視つめる人 ベルイマンを読む」(フィルムアート社1986)を読み返し、次の文章に行き当たってしまった。「登場人物の名にはアルマやヴォーグレル(*1)という、以前の作品のものが使われており、ミスティフィケーション効果を出している」。ここで言うミスティフィケーションmystificationは児童心理学用語でなく、単純に「神秘化」という程度の意味合いだろう。

 石井の劇でも“村木”や“名美”といった人物名が幾度も復活してはスクリーンを賑わせるのだし、似たような状況や小道具が彼らを取り巻いて“宿命”へと追い込んでいくところがある。例えば『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)では竹中直人が演じる“編集者”葛城が需要な役回りを演じていたけれど、容姿こそ違え【赤い教室】(1976)、『天使のはらわた 名美』(1979監督田中登)、【その後のあなた】(1980-81)、『ルージュ』(1984監督那須博之)の各編集者と共振するものが確かにあって、その都度に読者や観客は手の平に大量の汗をかきながら息を押し殺して見守ることと相成る。程なく顔を覗かせるだろう狂気と惨劇、鮮血や分裂といった大混乱を予感してひどく慄(おのの)いたものだった。これなどは石井らしいミスティフィケーションと呼べるのではなかろうか。

 映画監督である前に熱烈な映画ファンを自認する石井であるから、過去に於いてもしもベルイマン作品に触発されたのであるならば、その旨をどこかで必ず喋ってしまうはずだ。残念ながら直接名指しで言及した箇所はなかったように記憶しているから、両者の関連は単なる思い込みなのかもしれぬ。しかし、だからと言って両者の“類縁性”といったものまで容易に掃き捨てて良いとは思えない。

 過去の作品群を忘却の深いぬかるみに埋没させず、むしろ表層に雨を叩きつけるようにして反響をわんわんと誘い、新たな作品に活きた弾みを付けようとする。決まった人格と名前を継承して言霊(ことだま)の力を極限まで高めようとする。そんな策謀を石井隆は駆使しているのは違いなく、その強靭な作家性を海の向こうの巨人ベルイマンを引いて語るにいささかも無理や誇張は感じられない。石井隆とは実のところ、そんな国際性を背負った面白い監督なのじゃないかと考えている。(2007年08月15日03:15、2007年08月27日01:56)

(*1):同著によれば“ヴォーグレル”は“鳥”の意。





2011年3月6日日曜日

越境する魂~『フィギュアなあなた』に宿る想い~



 石井隆の監督作品のなかに『フィギュアなあなた』(2006)と題された小品がある。「週間アサヒ芸能」(徳間書店)の販売促進企画で応募者全員に頒布されたDVD作品であり、後にムック本「杉本彩DVD付写真集 妖舞裸身」(2006)として販売もされている。映画や劇画作品とは趣きを異としており、構成もシンプルで収録時間もおよそ25分間と長くない。そのような出生であれば世間で知る者も少なく、また、軽んじられる傾向にあるのはやむを得ない。しかし、二重三重の視座を許容する多層構造、またはパラレル世界を透かし込んだ石井隆の“劇”を読み解く者には、石井の映像作暦上新たな試みが為されていることに気付くだろう。

 物語は実質男女二人だけで成り立っている。その骨格は「アサヒ芸能」の12.29-1.5新年合併特大号に紹介されている200字足らずの「ストーリー」により語り尽くされてしまう。「プロモーションビデオ撮影のため、フィギュアの特殊造形衣装を着けてポーズを取る女優・マヤ(杉本彩)。撮影終了後、造形師の内山(山口祥介)は隙をついてマヤをクロロホルムで眠らせ、全裸に剥いたうえに、フィギュアの衣装を着せる。よこしまな欲望を抱いた内山は、マヤの足を大きく淫らに開き、自分だけの世界に埋没していく…。」

 顛末を語る必要から先の先まで続ければ、「警備員の巡回に慌てた内山の手の平がマヤの口を強くふさぎ、マヤは窒息寸前となる。目覚めたマヤは内山の仕事場で円柱型のプラスチックケースに身長わずか二尺足らずのフィギュアとなって収められている自身を認め、あらん限りに絶叫しようとするのだがその声は誰にも届かない。恐怖に引きつるマヤの顔は突如破顔し、カメラに向かって大きくウインクして静止する」

 唐突過ぎる終幕と短い収録時間からは劇画【カンタレッラの匣】短編連作(ロッキング・オンより2000年単行本上梓)がまず連想なるのだけれど、最も透かし見えてくる過去の劇画作品をあえて選ぶならそれは【真夜中へのドア】(単行本「少女名美」他に収録)になるのではないか。1980年に「増刊漫画アクション」に掲載されたこの作品では、帰宅途中の高校生名美が暴漢に襲われ、抵抗のあげく喉を圧迫されて絶命する。その刹那、作者は名美を冥界にて覚醒させて短い死出の旅を行なわせている。

 『フィギュアなあなた』でマヤに強いられる執拗な口塞ぎは明らかに窒息死を演出していて、以降のシーンは【真夜中へのドア】同様に“死線を越えた”と捉えるべきだろう。して見れば、霊体となって“むくろ”に残留したマヤの叫びが空気を振動させることなく、空しく真空に吸い込まれていくような口パクの描写も得心がいく。直後の不自然なウインクというのはマヤの思考がいよいよフィギュア体内へと埋没してしまい停止した、いわば“魂の消失する一瞬”として描かれていたのではなかろうか。

 昔のホラー映画『肉の蝋人形House of Wax』(1953)では、若い女たちが殺された挙句マリー・アントワネットやジャンヌ・ダルクの人形へと加工されていったが、あれはまだ実在した女性であり人間であった。マヤが加工されたのはプラスチック製のフィギュアである。人間ではない。女性性を強調されたオブジェではあっても、それを生きた女性とは言いがたい。極めて稀で冷徹な展開が訪れている。


 石井の映像作品で女性が殺められる陰惨な瞬間は確かに多いのだけれど、石井の意図する基底に在るのは、過去のインタビューで首尾一貫語られている通りであり、腕力の差から毎夜毎夜どこかで殺されていく女性という“儚い存在への想い”に他ならない。屍体の描写についても愛惜の念を投射して一線を守っている。

 時として筆が走り、より破壊的な辺境へと浸入する場合もなくはなく(それゆえに随分と印象に刻まれたものだったが)、たとえば連載劇画【魔樂】(1986‐87)においては月岡芳年を越えるぞ、とばかりに辛酸陰鬱な殺害場面を連綿と描き、ふと嗅覚に鮮血の匂いを錯覚するような鬼哭啾々たる異作に仕上げていた。大きく振り下ろされた斧により生身の肉体が“物体”へと変質する刹那を描いた【魔樂】の極北の光景と、『フィギュアなあなた』での終幕の針の振れ方は相通じるように思える。別人格どころか生物であることすら全否定された“プラスチックのむくろ”へと“物質化”した己の哀れな姿を、最期に透明な器の内壁を鏡のようにして垣間見たマヤというおんなの心中の混濁と悲愴さは想像して余りある。

 こうして見ていけば『フィギュアなあなた』とは、お気楽な空気を大衆に振り撒きながら、その実は慈愛の目線で女を描き続けている石井のドラマの根幹に少しもたがわず、近作『花と蛇』と似た構造を内包した“精神の格闘”の顛末でもあったのだ。

 石井は劇画作品として上記の【真夜中へのドア】のほかに、同じ1980年、似た展開で名美というおんなが迷い込んだ冥界をつぶさに描く試みを重ねている。いずれも単行本「おんなの街」他に収録なった【赤い眩暈】【赤い暴行】【赤い蜉蝣】がそれである。これらに描かれた冥府幽界は石井が過去感銘を受けた映像イメージの連結が基底となって創造されたと推定される。つげ義春【ねじ式】【夜が掴む】【外のふくらみ】、ロジェ・バディム『血とバラ Et mourir de plaisir』(1960)、ポール・デルヴォーやモンス・デジデリオの絵画、アンドレ・ブルトン著、稲田三吉訳 『シュールレアリスム宣言』の挿絵といったところが点火地点なのではないかと想像を巡らしているが、大胆なカットバックと当時の技法では最高峰と思われる緻密極まる線描にて創造されたそこでの石井の冥府は、実は石井の監督する映画に再現されたことは一度としてなかった。(*1)

 過度の飲酒や事故、睡眠不足から陥る悪夢世界、昇天できないで死後そのまま“現世”を飛翔する霊魂と彼らの漂流する想いは描いても、現世から冥界へと越境してカメラの三脚を移し立てることはなかった。執念の作家として自らに内在するイメージを三次元化し、フィルムに定着させてきた石井には貴重な処女地、それが冥界であった。
 
 映画鑑賞を愉しみとする者には、彼岸を描いた作品名を列記するのはたやすいことだろう。中川信夫『地獄』(1960)、神代辰巳の『地獄』(1979)、ダグラス・トランブル『ブレインストーム BRAINSTORM』(1983)、ジョエル・シューマッカー『フラット・ライナーズ FLATLINERS』(1990)、エイドリアン・ライン『ジェイコブズ・ラダー Jacob's Ladder』(1990)と枚挙に暇がない。人にもよるのだろうが、こういった“冥府もの”を観たとき、妙に冷めた自分を感じることがある。宗教観や文化、年代によって人が思い描く冥府の姿は大きく異なり、万人を納得させ得る霊界のイメージを創出することはなかなか大変なことだ。

 “映画作家”石井が読者には馴染みの廃墟、断崖、森、水槽をランドマークとする冥府を再現しないで迂回し続けたのはその意味で正解であったし、此岸に神話世界を創出することに徹したのは商業監督の選択として申し分なかった。しかし、『フィギュアなあなた』においては、ついに杉本彩は僅かながらも明確に死線を越えている。死後、場所を違えて覚醒した瞬間、なんとフランス人形並の背丈となった自身を知る。“地獄”へのランディング以外の何物でもない。

 見えざるプラスチックの薄い皮膜が蝋のように顔面を覆い、救いを求める意思は瞬時にして氷結した。杉本彩の愛らしい笑顔とウインクとは、好色な読者へのおべっかでも『ヒッチコックのファミリー・プロットFamily Plot』(1976)へのヒッチコキアン石井によるオマージュでもなくって、マヤという人間の息の根を再び仕留める大斧の一撃であり、これからの石井作劇を見守る上で記憶に値する衝撃的な刻印なのだ。


           ◆           ◆           ◆          

 さて、過去の石井劇画において、上記の作品たちとは別方向から『フィギュアなあなた』に向けて急浮上してくる作品群がある。レンズ越しの視線に憑依された男たちの物語だ。【陰画の戯れ】(1975)、【甘い暴力】(1977)、【黒の天使 黒のⅡ 血を吸うカメラ】(1981)、【夜が冷たい】(1985)、といった作品には、カメラレンズやブラウン管モニターを女性との間に介在させないと関係を立ち上げられない、かなり傾斜した熱情に捕りこまれてしまった男たちが登場する。特に【甘い暴力】に登場する青年は『フィギュアなあなた』の特殊造形師とキャラクターを近似させている。

 冷静に考えてみれば山口祥介演じるこの内山の行動は不可解だ。自らの手になる特殊なコスチュームをマヤが着装し、まばゆいライトに照射され、プロのグラビアカメラマンに連写される劇前半にて造形師としてもフィギュア愛好家としても本懐は遂げているはずであろう。

 官能小説家であり女優でもあるマヤが杉本彩(アヤ)の分身であるのは名前が物語る通りで、我ら視聴者の助平な期待に応えてマヤは自信満々として丸く張った乳房や臀部はおろか、豊かな恥毛も開幕当初から全開であるのだから、見せられなかったことへの不満が内山の内部で膨張しているのでもないはず。ならば、コレクターとしての所有欲の暴走圧壊なのか、といえば、どうもそれも馴染まない。さっさと誘拐監禁するでもなく、ラストシーンでは肝心のマヤのボディに背を向けてさえいる。 

 巡回する警備員の目を盗んで無謀な“ビデオ撮影”を始めてしまう、その狂った熱情。意識なく横たわるマヤの裸身を前にしても性交へと至らないどころか、ご丁寧にも下着を履かせてしまうのである。この偏り具合は【甘い暴力】の青年と同様で、“撮影という行為”に淫し切っているのは間違いない。仕事部屋に戻って、もはやするべきことは全て為し得たといったスタンスで安息の時を過ごしている内山のけだるさは、女性を緊縛しては撮り溜めたポラロイド写真に埋もれて寝息をたてる【甘い暴力】の青年と重なっていき、どちらも草食獣のような穏やかさだ。

 フィギュアに萌える者を何と呼べばよいか分からないが、この内山という男の本性はそれではないということだろう。コレクターでも、レイパーでもなく、石井の創造してきた「写真に淫した男」というのが正解らしい。また、仕事場に置かれたマヤはコレクションに加えられたのではなく、巧妙に「隠された」ということが内山から見たストーリーなのではなかったろうか。

 このようにして読み解いて来た後に、三週続けて掲載されたグラビアを見直してみれば、杉本彩の豊満で円熟した肉体とジャパニメーションの色彩が組み合わさった奇怪なエロティシズムが、当初目にしたとき以上に視線を捉えて離さない。DVDの宣伝材料であるのでなく、「写真」が主役なのではないか。むしろ動画は予告編の印象となって大きく脳裏に後退し、グラビアの杉本彩の「完全に静止した=死んだ」姿態が未体験の妖艶な乾いた色香を放ち始める。

 即ち『フィギュアなあなた』という作品はマヤという女がどのようにして死んでいったかを描いたドキュメント“動画”と、逝く間際、処刑前の土壇場の女が生命の焔を瞬かせ、強い閃光を発した瞬間を「写真に淫した男」(それはつまりは内山という男と、もう一人、グラビア用の写真撮りを兼任した「石井隆という写真家」を指す)が、掬い取って定着させた“静止画”の双方によってコラージュされた全身を指し示すもので、それら全てを俯瞰して眺めることで見えてくる構図は、撮る者と撮られてしまった者との訣別、残された者と去り逝く者とのドラマであって、つまりは【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979) にも静かに通底していくのである。

 石井監督はインタビューにおいて過去二度フィギュアについて言及していて、その時は明解にフィギュアとは何かを分析してはいなかった印象が残る。『フィギュアなあなた』という作品は、日本人のリビドーと格闘してきた石井隆がフィギュアの本質を遠回しに語っている調査報告書なのだろう。そこに石井隆という作家の挑戦を見る。自作の複製に止まらず、日本列島に湧出する新たなエロスについても貪欲に吸収していくクリエイターの凄みを烈しく感じている。 (2006年04月16日22:19)


(*1):これを書いたのは5年近くも前になる。その後石井隆は“精神の格闘”を主軸とする『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)と『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)を撮り終えている。いずれも死線ぎりぎりの描写であって、特に後者は石井の冥府とかなり近しいものとなっている。舞台挨拶での「命を削って撮った」と言う本人の弁はもちろん体力的なことを指すのだけれど、ドラマ自体が限りなく死線と接していた、ということも一面では含んでいたように思う。