2015年1月12日月曜日

“魂の追尾”~「根津甚八」 根津仁香 著~


 市井のひとの評価は、内奥が透かし見える航跡の周知と思慕あふれる声掛けとで構成された“弔辞”に良くも悪くも集約される。その点において先日の会は清清しいものがあった。七十歳を目前にして病いに散った人の葬送で、生前の面影をあざやかに照射する一文が奉読された。壇上の遺影の微笑みが強まって感じられ、生き生きと血が通って見えてくるから不思議だったのだけど、多分会場のどこかで故人もこの手紙を聞いて喜んでおり、それが現われたのじゃなかったか。

 こころのこもったひとつでも聞けばそれだけで随分と救われた気持ちになるものだが、高齢化と核家族化が影響して赤十字社からの名ばかりの感謝状、それも代読という味気ない文面で幕をひく弔いがここのところ多い。そんな席に交ざるとつくづく生とは何かを考えさせられ、帰路に着く頃にはどんよりと重たいものに包まれる。痕跡を持たない泡(あぶく)のような終わり方、それが私たちの向う先かと嘆息せざるをえない場面が周りに増えていて、仕方ないと思う反面、やはり、どこかもどかしくも思う。

 交歓の日々の、せめて断片だけでも後世に残せれば素敵なのだけど、思い出は“かたち”に変換されずに朧(おぼろ)となるは避けがたい。弔辞はそれに抗するわずかな機会となるが、考えればその大半だって箪笥や机の引き出しの奥に程なく埋もれてしまう理屈だから、有るような無いような至極ぼんやりしたものであって、“かたち”あるものとは到底言えない。
 
 一部の著名人、芸術家たちの場合、かれらの半生なり思想、肉声といったものは良くも悪くも伝記やインタビュウという“かたち”となって複製され、時代をまたいで伝えられていく。天邪鬼なわたしは彼ら特別な存在の名声や富に対して左程の嫉妬を覚えないのだが、こういった航跡の在り在りと世に残せることには強い眩しさを感じてしまう。

 この流れで引き合いに出すのは失礼に当たるかもしれないが、たとえば「根津甚八(ねづじんぱち)」という、その名もずばりの一冊(*1)を先日読みながら、私はそこに書かれた俳優の足跡とこれを“かたち”にしてみせた執筆と編集の道程に深く嫉妬した。俗世とは表も裏も異なる芸能世界に暮らすことは想像を絶する苦難をともなうはずで、どれ程の緊張や衝撃を日毎夜毎に抱えるものか。加えて根津甚八という役者の半生の凄絶な様相はページを繰る指を震わせ、呼吸を乱すほども酷い顛末の連(つる)べ打ちだから、それを羨ましいと評するのは全くの間違いなのだけど、それでもやはりこの本は心底まぶしい。

 石井隆の絢爛たる映像世界の中軸に座り、疾走し、牽引したその姿は脳裏に刻まれて今も忘れられない。『月下の蘭』(1991)、『ヌードの夜』(1993)、『天使のはらわた 赤い閃光』(1994)、『夜がまた来る』(1994)、『GONIN』(1995)、そして『黒の天使 Vol.1』(1998)に相次いで出演し、石井がかつて描いた端正な顔立ちの川島や村木といった男の、胸元に立ちゆれる色香や遠いまなざしを見事に遺伝継承し、劇画世界の裾野を映画の山稜へと繋ぐ森の役目を果たした。ときに風を受けて鳴動し、ときに紅蓮に染まってつよく酔わせた。冬枯れした木立となって手招きし、肌恋しさにざわつく観客の孤弱を慰めた

 本書にはそのような石井各作品に関わったその時どきの根津の身体の調子や裏話も含まれてあるから、石井世界に耽溺する人は一読の価値がある本とは思うのだが、タレント本以上の重さと密度をもって胸に迫るところが正直言えばあるのだった。評論家や記者、はたまたゴーストライターの手になるのでなく、これが根津の細君によって編まれたものであり、夫の病症と事故の詳細、置かれた苦境が迂回されることなく実物大のディテールをともなって開示されていることが理由として大きい。

 加えて、ほとんどの男がそうだと思うのだけど、自宅では黙して語ることの少ない仕事場での軋轢や衝突、追悔につき、この妻は正確な記述を目指して当事者をひとりひとり訪ねて回り、そこで根津甚八という役者はいったい何だったのかを彼らに問い掛けるのだった。答えを手繰りあわせて、己と読者の視線を徐々に束ねていくその道程に宿る切実さ、清廉なるところがじんわりと甘く胸に堪えるのだ。

 第三者ではなく、共に暮らす妻に師弟や関係者を取材させる構図に対して、根津が、それとなく抵抗を示していく様子も文中に幾度も見てとれる。その辺りの生理も男同士としてよく伝わるものがあり、取材から編集、出版へと無事に到達出来るのか、読んでいてはらはらさせられる局面が雑(ま)じっていく。回顧録や資料本とはまるで違った感懐に捕らわれるのは、そんな心の綱引きが行間に常に垣間見れるからだ。

 石井が好んで描く題材に、おんなの過去を探すうちに身もこころも一体化していく記者や探偵の話があるが、あれとちょっと似た面持ちがある。根津の航跡と同時に筆者のそれも読者は発見してしまい、二本の筋が撚(よ)り合わされていくのを目で追う仕掛けであって、読み進むごとに胸のあたりが手のひらでゆっくりと押された具合に温まる。つまりは血が通ったルポルタージュであり、それも目的の粋をはるかに越えてしまっている。根津仁香(ねづじんか)というおんなが頼まれて根津甚八という男を調査し、そのうち彼の胸の奥の洞窟の深いところまで次第次第に下りて行く訳なのだが、過去を探りながら実際は“今”へと手を差し出しているのだった。内奥までを透かし見せる経歴の明示と思慕の言葉の数々が、現に生きている相手に向って愛する者の口から発せられていることに感動し、これは何だろうと、こんな本は読んだことがないと気付いて目の奥がぐんと明るさを増していく。

 プロローグを彩るのは自宅の居間で撮られた根津の孤影であったものが、終章での見開きには、ソファに座るその背中に寄り添う形で筆者もまた印画紙に取り込まれている。編集担当者の透徹したまなざしに助けられながら、一幅の絵巻が完成されているように思う。鈴木成一デザイン室の装丁も好い。照柿をより深くした趣きのカバーは、粗めの触感の地紙の選択と相まって光を吸い込み、根津という引力を具えた役者を巧く表現した。そこに幾らかにじむ感じで置かれたゴシック体の大きな題字「根津甚八」に従う、妻である筆者の名前がすっきりと胸張った感じの明朝体で控えめに置かれてあるのも、魂がもうひとつの魂に健気に追走していく、そんな崇高な両者の在りようを示して可憐過ぎる。

 奥付を見ると発行日は2010年の9月27日とあって、かなり前に出ていた本なのだけど、書店で見て手に取った記憶が一切ない。おそらく、その後しばらくして起きた震災でわたしの精神状態がひどく変調し、書棚の間をゆったりと回遊する余力を失っていたのだろう。人に出逢うタイミングがあるように、映画や本との出逢いもまた時期を選ぶ。今こうして遅れて手にする事は、きっと歳月がわたしの神経を慰撫して視界を拡げた結果なのだろう、と漠然とあれやこれやを想い描いている。

(*1):「根津甚八」 根津仁香  講談社  2010

2015年1月5日月曜日

“気狂い水”


 新年会の会場を辞し、ほろ酔い気分で外に出た。よくは覚えてはいないが、時刻は零時を回っていたのでなかったか。凍った路面が靴底で砕けて、ばりばりいう耳障りな音が響いた。足を滑らせて頭でも打ったら大変だから、うつむいてゆっくりゆっくり歩く。人影はいっさい見当たらない。正月で気持ちのゆるんだ酔客はほぼ全員がタクシーで移動するから、道行く車はほんのわずかであるのだし、自宅まで大した距離ではなかった私だからこうして歩くのであって、普通は足元の怪しいこんな深夜に誰も出歩かない。

 LEDの街灯に青く照らされた足元が、遠近感を失った目に砂漠となって映る。ある映画で茫洋とした砂丘を複葉機で越えていく冒頭場面があるが、それを不意に思い出し、束の間のトリップ感を楽しんだ。明後日からは懸命に手探る日常に戻らなければならない。ああ、こんな事だったらどこかに貧乏旅行でもすれば良かった、また、無駄に過ごしたと悔やみながら、瞳だけは砂漠を悠々と飛び続けた。

 声がして振り返ると、若い男が立っていた。短髪を金色に染め、赤い毛糸の帽子を被っている。黒いジャンパーに黒いジーンズで随分と寒そうだ。吐く息が白く、顔面は蒼白であった。あれ、K君じゃないか、こんなところで会うなんて。

 まさかそんなはずはない。K君とは昔勤めていた会社で出逢ったわけで、元気で暮らしているなら四十近くの中年男のはず。バンドを組んで夢を追い、その勢いのまま会社を飛び出して目の前から消えてそれきりだ。それにしても似ている。優しい男で、よくお喋りをさせてもらった。懐かしさに目を細めながら、半身をねじって耳を傾ける。K君とよく似た男(以下K君)は同じ言葉を繰り返した。今度は理解できた。「五千円出せ」と言っている。

 鈍感なわたしはそれでも何度か聞き質して、ようやく状況を呑み込んだのだった。K君は私を脅しているのだ。誰も通らない夜道にふたりきり。このまま無視して背中を向ければ、たちまち足蹴にされて凍った地べたに転がる予感がする。もしかしたらナイフの一本もK君は懐に隠している可能性だってあった。財布持ってるだろう、出せよ、寄こせよ。K君は執拗にまとわりついて、私を睨んでくる。仕方ないから言葉を返して、諦めてもらうより道はない。(それにしてもK君、君は若いなあ、こういうのは相手をもっと選ばないと難しいのじゃないか。)

 「俺を何歳(いくつ)だと思ってんだよ」と問うので、分からないよと応えると、K君は十六歳だと言うのだ。「小遣いもらえないんだよ、財布寄こせよ」と凄む、そんなK君に対して、年齢は関係ないこと、誰もが不況下で内実は苦しい思いを抱いて暮らしていること、わたしも色々と振り回されて頭もこころもいっぱいであること、五千円を稼ぐために大変な労苦を強いられる仕事も世の中にはあることを話した。

 K君はそれでも態度を変えないのだ。かえって私の言動から酔っているらしい事に気付き、少し自信を深めたのかもしれない。なにを訳の分からないコト言ってんだよ、さっさと財布出せよっ、金寄こせッ。そろそろ私も限界に来つつあった。あのなあ、酔っ払いに気安く声をかけるのじゃないよ、どういう事になるか分からないのか。血を見ても良いと思った。どちらかが歩道に頭を叩きつけられて重症になるかもしれないが、これはもう仕方ないと思った。携帯電話のバッテリーは会場で切れていた。腱を切って指が一生動かなくなる、そういう事も避けられないかもしれない。それにしてもK君、これだけの上背の、暗い目をした男によく喧嘩を売る気になるなあ、君は勇気があるよ。

 むしゃくしゃしているのはお互いさまだよ、大人の世界だって見渡せば死屍累々のとんでもない不況地獄だよ。係累が、友人が、血反吐を喉からしたたらせているのに、俺はなにもしてやれない。誰でも叫んで暴れたい気持ちだよ。酩酊してタガが外れた酔っ払いは限度をしらないんだ、危ないんだ、K君、そういう迂闊な声掛けはやっちゃいけないんだ。このうちいくつかは口にし、いくつかは呑み込んだ。

 会場で配られたおみやげが入った紙袋を振り回し、K君のその横っ面を叩こうとした矢先に、ふと横に目をやると黒と白に塗り分けられた警察の車両が止まっているのが分かった。信号のある十字路だったから偶然に赤信号で止まっていたのか、それとも大声を上げる酔っ払いの喧嘩にうんざりしながら、様子をうかがっていたものか。駆け寄って窓を叩くと、若い警官がげんなりした調子で顔を出した。恐喝されていると伝えると、ようやくドアを開けて出て来てくれた。もしもあの車両の存在に気付かずにK君に手を振り上げていたら、私こそが暴行の現行犯で逮捕されていたろうと思う。色んな側面で救われたと思った。何かが見守ってくれている、そう信じられる一瞬だった。

 恐喝というのは暴力を振るわれたとか、何か脅す材料があって金銭を要求された場合を言うのだが、と善良そうな小太りの警官はわたしに尋ねるのだった。そんなあ、怪我しないと助けてもらえませんか、ナイフだって持っているかもしれないし、怖かったですよ。警官はわたしの目を覗きながら続ける。大声出されて、両方とも酔っておられるようだし。相手の人から事情を聴いておきますから、お父さんはここから先に離れてもらえますか。どうも私の話は徹頭徹尾が信じられていない様子だった。

 五メートル程も離れたところに立つ若い警官の背中越しに、K君が割合としっかりした調子で答えているのが聞こえた。あの人が急に声を掛けてきて、何だか訳の分からない事を話してきて、お金をくれるとか言い出して。ああ、これは駄目だ、早晩彼も解放されると思い、泥酔気味のお父さんにされてしまった私は早足に横断歩道を渡った。

 急に警官が現われて、K君もかなり慌てたに違いない、良い薬になったのではないか。そういう解放感と同時に、K君が車両に乗せられずにそのまま解放されそうで良かった、という矛盾する気持ちが渦巻いた。言葉が正しければ十六歳である。このような無謀な試みをせねばならないK君の内情を気の毒に感じた。けれど、それならば懸命にその真情をまずは他人に訴えて、相手を共振させるよう努めるのが筋道ではないか。K君、君は確かに私を“脅した”んだ。本当に恐かったし、当惑したよ。

 二百メートル程も離れたT字路に少し入って、暗がりの中、後方に目を凝らした。車両は結局のところ赤い警告灯を一度も点すこともなく、音もなく現われて音もなく消えたのだった。幻を見たような曖昧な気分だ。あいかわらず通行する車はなく、もちろん人通りも途絶えたまま。そのうち、ゆらゆら人影が動いて横断歩道を渡ってくるのが小さく見えた。K君がわたしの来た道を歩いてくる。帰り道が一緒なのだろうか、それとも私の後を追い、途中で電信柱かポストに寄り掛かっているか立小便でもしている丸い背中を探そうとしているのか。もしも後ろの方であったら、これは厄介だと思った。

 正々堂々と闘うことなく警官に助けを求めた卑怯者に対し、K君が憤怒を感じて今度こそ足蹴りしたいと思っているかもしれない。時おり小雪が舞っている。目を凝らせば、わたしの足跡を新雪の上に辿ることは難しくない。ここから家まで普通に歩けば一時間程度だが、酔った足でもあるし、その間に追いつかれない保証はない。路地裏の、しんと寝静まった町をこれから抜けて行かねばならない。さらには氷温に近い水を湛えた堰が道脇をざぶ、さぶりと音たてて流れる場処を通り、暗い霊園の直ぐ横だって通る予定だ。そんなところで乱闘になったら、それこそどちらかの命に関わるだろう。

 K君が復讐心を煮えたぎらせ、怒髪、天を衝く思いで実際いたかどうか、あの時の私も今こうして振り返っている私も知る術がない。警官の説得がどういう内容のもので、それで馬鹿な考えを振り払う局面に至ったものかどうか、それもまるで分からない。確実に分かっているのは私の歩いた道をそのままにK君が近付いて来ている、その事実だけだった。本来の慎重過ぎる性格の私と、アルコールと緊張でひどく凶暴化した私とが綱引きを続けた。K君に馬乗りになり、その首に手をかけ、硬い路面に頭を叩きつけている自分を思い描いた。そうしないといけない、という淀んだ感覚がどこかにあった。

 T字路でわたしの姿を認めたK君は驚いた素振りをまったく見せなかった。そのまま私に近寄ってきた。私も寄って行った。ズボンのポケットから折り畳みの財布を出して、五千円札を引き出すと黙って差し出した。恐喝に屈したつもりはなかった。正直言えば、勝てると思ったからだ。これはK君にやろうと思った。これで馬鹿な考えを捨てて、優しい元通りのK君に帰ってもらいたかった。

 彼はするりと受け取り、黒いジャンパーのポケットに仕舞った。悪かったな、と私は言った。警察に頼り、彼らを君に押し付けて悪かった、という意味合いだった。K君は私の肩を小突いてきた。それも執拗に何度も繰り返し、終いには私の膝あたりを蹴って来たのだった。帰れよ、さっさと家に帰れよ、そう言ってK君は私を小突きまわした。だんだん強く、激しくなった。──やろうと思った。路面で彼が気絶してしまっても、そのまま打ち捨てて行こうと思った。いや、そうなるのは自分の方とも感じた。そういう夜なんだと思った。もう壊して良いのだと感じた。私は構えた。正月から喧嘩したくないんだ、そう言い放った辺りで、私がまるで気狂いの状態にあるのを彼は薄っすらと分かってくれたようだった。

 あのときK君が後ずさりして来た道を戻ってくれなかったら、そういう夜に間違いなくなっていた。帰れ、家に帰れ、さらにそう叫んだ彼は携帯電話を出すとどうやら仲間と話を始めたのだった。金をもらった、と話している。何故だか分からないけれど、酔っ払いがくれたんだ。繁華街を目指して歩き出したことが、全身の浮ついた雰囲気から読み取れた。そうか、それで早速飲むのかと少し残念に感じながら、だんだん小さくなっていく黒い影を見守った。がんばれよ、とその背に告げた。

 今夜のことは彼の記憶に残像を結ぶものだろうか、それとも、雪のようにあっさりと融けて消え失せるのだろうか。これから彼が使うだろうあの金は、綺麗な金だろうか、それとも汚い金だろうか。断固とした態度を貫き、一切渡すべきではなかったようにも思えて来て、私は自分自身を薄汚い偽善者と感じてならなかった。金を摑ませたのは、その事で彼を生涯縛りつける狡猾で薄情な罠ではないのか。結局のところ手を汚せないどころか、汚れた記憶を忍び込ませる醜悪な卑怯者でしか私はないのだ、と、堂々巡りが始まって自分を責め立てた。だから酒は飲みたくないのだ、気狂い水としか思われない。

 十字路まで待てずに車道を斜めに渡り始めた赤い帽子姿のK君の小さな影は、凍結してきらきら光るちょうど真ん中あたりで大きく足を滑らせ、ばったりと横倒しになった。あのぐらい派手に転倒したら、肘かどこかを痛めたかもしれない。大丈夫だろうか。しばらくそのまま動かなかったが、やがて、よろよろと立ち上がるとそのまま街の方へと消えていった。暗闇のなかにすっかり溶けてなくなるまで見送った私は、それでも恐くて後ろをときどき振り返りながら、墓場や陸橋や警察署の前をぐるぐる迂回して、普段の倍の時間と距離をかけて家路をたどった。

 モラルというのは押し付けられるものではなく、自分の中で組み立てるものだ。私の場合、K君ほどの年齢ではなくもう少し薹(とう)が立っていたが、職場の環境につぶされないようにする目的から自分の内部のモラルを崩しまくった時期がある。あまりに壊し過ぎたせいで、元に戻すまで十年くらいかかった。その時のがさがさした獣のような私を思い出すと、K君をとてもじゃないが非難出来ない。

 この前の夜を帳消しにはもはや出来ないのだけれど、もしもK君にこの想いが伝わるのであれば言っておきたいことがある。人間はやった事をそうそう忘れることは出来ない。善行も悪行も、やさしい声掛けも暴言も、いずれも頭の奥のレコーダーに了解なしに刻まれ、フラッシュバックとなってその人を苛む。その映像や声の再生を、人間が自由自在にコントロールすることは到底出来ない。私だけじゃなく、多くの大人がそうなんだ、そうして苦しんでいるんだ。石井隆の『黒の天使 vol.1』(1998)なんか観てごらんよ。記憶に押しつぶされていく魔世という名のおんなの末路をご覧よ。フィクションは絵空事という意味じゃないよ、人が人に見せないでいる“本当”が存外描かれていたりするんだ。

 どうかもっと大事に自分の手足を使って欲しい。酒や薬で記憶を掻き消そうと試み、なかなか思うようにならずに気狂いのように吼えずに済むように、絶えず胸の奥の洞窟に据え付けられたレコーダーを意識し、そうして慎重に言葉を選んで、その今の姿を刻んでいってもらいたい。人生はほんとうに一枚のディスク、それも上書き出来ないタイプのそれだ。ひとりひとりが歌手なんじゃないかと感じるんだ、最近になって特にそう感じるんだ。大変だと思うけれど、どうか頑張ってね。

2015年1月2日金曜日

“恍惚(トランス)”~石井隆の風呂場~


 急用をこなして後、自分への褒美に川べりの高台にある温泉寄り道をした。露天もたっぷりと取って贅沢な造りだ。眼下には雪化粧なった林野と、これに挟まれて蛇行する川筋が墨絵となって広がる。連休に突入したにもかかわらず予想外に客はまばらで、お湯と眺望を悠々と独占して充足するものがあった。

 湯気の奥にかつお節のような、錆びついた感じの薫りの重奏があって鼻腔をくすぐった。試しにそっと手ですくって舐めてみると、太古の昔には海だった名残なのだろう、微量ながら塩気を感じる。こんな山奥にありながら、うねり逆巻く海原を間近で見たような気分になる。膨大な時間をかけて大地の変幻する様子と比べれば、人間の営みや生きる時間など、なんとも儚いものだ
 
 岩風呂からかけ流しが溢れてこぼれ落ちる際の、ぴちゃ、ぴちゃりと時おり跳ねる音以外なにも聞こえない。そのなかで思い切り手足を伸ばし、灰色にぼうっと光る大空を眺めているのがすこぶる嬉しい。いつしか頭の中が空っぽになっていた。
 
 わたしに限らず多くの人にとって風呂は、一時の幸福をもたらす大発明であって、その場所に身を置けば悩みや諍いも一時停止のモードになるのが普通だろう。そんな休戦ライン上にあるべき風呂場が、石井隆の手にかかると魔窟に変わったり、殺戮の舞台に選ばれたりするのが不思議というか面白いというか、ずっと気になっていた。気にしたところで答えなど見つからないのだけど、表裏(おもてうら)のある描写を石井隆という作家は意識して、それも常に、それも至るところで行なっている節が視止められ、たとえば風呂の描写もそのひとつである事は違いないように思う。
 
 女優の衣服を剥ぎ、その艶かしい身体のラインを露わにして受け手に提供するという名分の裏側で、こっそりと幸福の一大発明たる風呂に対して小石を投じて波紋を起こしている、そういう尖(とが)った蝕感が少しある。天邪鬼というのでは決してなく、石井の生理として入浴する行為なり、水に包まれる状況を単なる愉楽として描いてみたり、ささいな日常の点描として劇の流れから弾き出すことが難しいのだろう。
 
 もちろん私たちは風呂場を洗髪や入浴以外の目的に使うことがあり、そこでは家族の身体にへばり付く不浄のものを洗い清めもするし、時には愛する誰かを誘って性愛にふけることがある。ひとつの場処に複数の肉体と精神が集えば、そこに魂のゆらぎが生じるのは当然だし、こころの針は喜怒哀楽のさまざまな方向へはげしく振れていくのが普通であるから、ひと言に風呂場といっても様々な色彩を孕んでいくのだけれど、それにしても石井隆の風呂の使い方は私たちが体感する幸福や日常生活からかけ離れていて、あまりにも極端すぎるように思う。
 
 『死んでもいい』(1992)、『GONIN』(1995)、『フリーズ・ミー』(2000)では殺人が、『夜がまた来る』(1994)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では非情な暴行が繰り広げられる。『花と蛇2 パリ/静子』(2005)では兄と妹がバスタブに漬かり、その危うい空気の漂うさまは、観客はもとより当の兄妹にとっても必ずしも居心地の良いものになっていない。どちらかと言えば快楽よりも苦痛、苦渋、逡巡にまみれた場処となっていて、この負の方向への徹底ぶりは一体全体何だろう。

 
 石井隆という作家の年齢に由来する点が、ひとつ考えられるだろう。1946年生まれの石井にとって風呂場は、家屋にあって辺境に位置し、異界の者が夜毎侵入を重ねて思えるそら恐ろしい場処であったに違いない。高度成長期とバブル期を経て、住宅や商業施設、公的建造物の人目にふれない部分にも手が加わるようになり、便所はトイレに変わり、風呂場はユニットバスもしくは洗練された石組みのシャワールームへと変わっていった。このめざましい変化を目の当たりにした末尾の世代にわたしはかろうじて属しているから、石井が風呂場を陰鬱なもの、怖いところ、暗闇に支配された空間と捉えることに対し、生理的に頷くところがある。
 
 洗い場の湿った簀子(すのこ)に下には、なめくじ、かまどうま、げじげじといった虫が徘徊し、人の垢(あか)や毛髪を栄養源とする微生物がベタベタと壁や天井に巣食った。かび臭さと常に同居するのが一般的であったし、水を抜いた風呂桶というのは古井戸にも似た奈落感が宿っていて、子供心に河童や幽霊がにゅるり這い出てきても、それほどおかしな風には思わない。そういう負の領域で風呂場はあった訳であり、私より年長の石井にとっては、同様の印象がさらに強く刻まれていることだろう。
 
 それと、これは例によって本をひもといての自分勝手な内部連結であるのだが、石井作品の風呂場には私たちの先祖が風呂に対して抱いただろう原初的な畏敬の念と、ひそかに、けれど硬く結ばれた感がある。つつましく、薄暗かった戦後のそれよりも古い、さらにもっともっと時代を遡ったところにある風呂のルーツとそれを取り巻く人間の思念とに重なって見える。本人はそれを意識しているかどうか解からないし、そんな事を本人の前で話したとしても笑って聞いているだけに違いないのだが、石井の描く風呂場というのは極めて呪術的と思う。
 
 吉田集而(よしだしゅうじ)という人と、山内昶(やまうちひさし)、彰(あきら)の親子で著した二冊の本(*1)を読むと、石井隆の風呂について思案を進める上で手を差し出して来る語句にたくさん出逢う。風呂の起源とそれをめぐる精神的な背骨の部分を根気よく探っていく内容となっており、刺激的な読書体験となったのだけど、なかでも呻らせられたのは、いつしか娯楽の域に貶められてしまった風呂ではあるが本来の目的は狩猟の成果を占ったり、成人儀礼としての非日常の仕組みであり、“シャーマニズム”と色濃くつながっていたのではないか、という吉田の仮説だった。
 
 水を完璧に溜めおく技術が確立する前から風呂の原型は立ち上がっており、最初は密閉した空間で焼けた石と液体を接触させて蒸気を浴びる、今でいうサウナに近い原理と形であったものらしい。肝心なのはそれが神聖と考えられていた火と水を接触させる行為であり、シャーマンを取り囲んでの聖なる儀式であったという点だ。快楽を得る装置どころか、酸欠や煙をともない、ときに身体を傷つけ合って忍耐を強いる苦行、宗教的な荒行そのものであったのだし、幻覚剤をくべたり服用する祭事空間でもあった。身体の充足ではなく、魂や霊的なものとの邂逅こそが目標であった。
 
 吉田は風呂の起源、いや、入浴という行為の根幹にあるものを“恍惚(トランス)”の一語に集約して見せてこれには感服したのだけど、振り返って石井の劇を覗いてみれば、なるほどあの時間や行為は原初的な息吹に包まれた“風呂場”であったと気付き、ようやくして腹におさまるところがある。
 
 石井世界の混沌とした愛憎劇にはどこかギリシャ神話に似た面立ちが読み取れるし、同時に日本に伝承されるアニミズム的な色彩もゆらゆらと薫ってくるのだが、これに加えてシャーマニズムが這いくねって、快楽ではなく、“恍惚(トランス)”こそが数多く刻まれているらしい事を、私たちは意識のすみに置いても邪魔にならぬように思われる。

 
(*1):「風呂とエクスタシー 入浴の文化人類学」 吉田集而 平凡社選書 平凡社 1995
「風呂の文化誌」 山内 昶、山内 彰共著  文化科学高等研究院出版局 2011