2020年12月31日木曜日

“コード化”~石井隆劇画の深間(ふかま)(6)~



 石井隆が【天使のはらわた】第三部(1979)と【少女名美】(1979)の両篇で描いたふたりのおんな。彼女たちが脱衣する後ろ姿を通じて秘められた心情を裏打ちしたことは、石井作品の繊細さを物語る一例であるが、ある程度の読書なり観賞を続けていれば誰でも腑に落ちる話だ。

 元より総ての物象を動員して登場人物の気魂(きこん)とも云うべきものを定着させんと石井は努めており、脱衣の所作にそれは限ったことではない。たとえば抱擁や性愛の体位といった全身を駆使した表現、髪の毛から指先といった部位ですら切々と歌い上げて止まないのだったし、衣類や装飾品に至る細々したものが「付喪神(つくもがみ)」よろしく訥々(とつとつ)と物(もの)語っていく。石井の劇画なり映画を注視しつづける身からすれば、驚天動地の事件ではない。

 ここで【天使のはらわた】と【少女名美】の各3コマを並べた理由は別にある。「おんなの所作と捉え方、切り取り方は完全に一致している」のだが、このような現象は他の漫画作品内ではあまり見ないと考えるからだ。私のなかで「ちょっと立ち止まって、いったいそれは何だったのだろう」と考えてみたくなる、石井作品に付きものの例の不自然さが感じ取れる。石井のハイパーリアリズムのコマ割りは映画的な時間潮流を生んでおり、読者の視線を先へとうながして時には激しく追いたて、なかなか「立ち止まり」を許さないところがある。作者だって頁をめくる読者の指先を停止させ、悪戯に瞳を遊泳されたいとは願っていないはずだから、私の粘度を帯びた読解を心底嫌がる可能性が高い。最初にしきりと謝った理由はそこにある。

 「それは何だったか」、ゆっくりとこれからを整理しながら書いてみようと思うのだが、漫画を読まない人、その存在を暇つぶしとか子供だましとしか認めない人には妄言にしか聞こえないだろう。私は薄っすらと石井隆の創作世界の核心のひとつに指先が届き掛けている予感を抱くし、そこに近づけば近づく程、石井隆という創り手は世界でも稀有な存在という想いを強くするのだけれど、いつもの誇大妄想だろうか。

 漫画は基本、「コマ」と呼ばれる枠線に囲まれた独立した絵が紙面に並んで配置されるという不思議なスタイルを取っている。冷静に見やれば実にへんちくりんの媒体である。作者の思惑と読者の読み解きが一致したとき、隣り合うコマ内の絵と絵がぬるぬるつるつると連係し始めて、さながら編集された映画を見ているような感慨を我々に与える。

 この作者と読者に共通認識が産み落とされる状況を、四方田犬彦(よもたいぬひこ)は先に取り上げた「漫画原論」(*1)で「コード化」という言葉で上手く表わしている。こちらのコマとあちらのコマの中に違う形、たとえば一方は座り一方は立っている、そんな違った線描で落としこまれた人物画があるとき、衣装や表情から同一人物を描いていると瞬時に認識する「人物のコード化」、また、連続した物語空間であるのか、それとも大きな時間の跳躍が起きたのかを読み説く「時間のコード化」、といった様ざまな連係なり断裂が花火のぱちぱちと爆(は)ぜてきらめくのよりもずっと速く読者の(それは作者も同様に)脳内で起きているからこそ、漫画という本来無機物の媒体がまるで呼吸をし、歩行し、愛を知って歓喜し、悩んで泣き喚いたりして見える訳である。

 コード化の手法は映画やテレビジョンの普及にともない複雑化し、それに読者も食いついて付かず離れずに学び続けたことで漫画表現をより多彩で刺激に満ちたものへと育てていった。映画フィルムの編集にも似たコマの配置はいたるところで見つけることが出来る。私たちはもはや普通に見慣れたものとして大した驚きもなく漫画本をめくっているが、発明に次ぐ発明の末に今のスタイルが成り立っている。

 そんな映画手法を融合させた生い立ちだから、「所作とその捉え方、切り取り方が完全に一致している」、さながら同一に見えるコマの再配置という現象は確かに漫画世界においていくらでも散見出来る訳である。

 ひとつはカットバックの手法である。見る者と見られる対象を交互に並べることで、登場人物の胸中に心的な変化が生じ、それが読者にも感応していく劇的な技法である。その際、対峙する者と者、者と物のコマがぱたぱたと入れ替わるのだけど、先行するコマと後続するコマの構図やタッチが近似する事がたびたびだ。

 たとえばここで引用したのは粟津潔(あわづきよし)の【因果説話 すてたろう】(1972)であるが、取り出した二つのコマは、人物の所作とその捉え方、切り取り方がほぼ完全に一致している。産んではみたものの育てることが出来ないと観念した母親が嬰子(えいし)を脚で押さえつけ窒息させて殺し、その身体を橋の上から雨で増水した河に投げ捨てる哀しい場面を描いたものだ。おんなの眼下を見つめる顔を大きく描いたコマふたつの間に、我が子の小さな身体や眼下の河などが挟みこんである。(*2)

 耐え切れずにおんなははらはらと泣き、頬を涙がつつつと這っていくに従い、2コマ目では唇の端にまで到達しているのだったが、意図しておんなの顔は同一の大きさと角度で描かれている。水のなかに半身を沈めながら下流へと去っていく我が子の姿を息も出来ず、瞬きも出来ずに凝視し続けるおんなの狂気にも似た懊悩と諦観が上手く表現されている。

 【天使のはらわた】と【少女名美】の各3コマはこの【因果説話 すてたろう】のようなカットバックを目的で配置されたものでは当然ない。両作は物語の時間流が異なっているのだし、相手となる男の設定も前者は無頼、後者は大学生であり、おんなの方も女給と高校生であって、別々の空間で暮らす男女なのである。脱衣するおんなも当然ながら「違わなければならない」、本当なら「コード」は違っていなければならない。

(*1):「漫画原論」 四方田犬彦 筑摩書房 1994  
(*2):「悪の愉しみ 現代マンガ選集」 筑摩書房 2020 所載

2020年12月26日土曜日

“レリーフされたふたりの巫女”~石井隆劇画の深間(ふかま)(5)~

 人がつっつと脱衣するのは湯浴みの前ぐらいで、それ以外では幾通りもの組み合わせが生じる。何の組み合わせかと言えば、どの衣服を、どの手順で、どのような姿勢で脱ぐかという連結である。

 情交の際の脱衣となればなおさらで、相手にまとわりつかれて加勢されればどんどんバリエーションは増していく。どの程度まで剥ぐつもりか、何処から先に排除するか、順番や速度といったものは親密度、昂ぶりの多寡によって違ってくるし、互いの姿勢はめまぐるしく移行してじっとしない。部屋の何処で行なうかで景色が無限に枝分かれする。仮に人生で千回の行為を為し得た場合、厳密にはひとつとして同じ様相を呈しない。

 良不良、歓喜の度合いは抜きにして、極端な話、服をほとんど脱がずに情を交わすことさえ可能である。冬の寝室で深々(しんしん)と冷え込む夜気を避け、半身を温(ぬく)い布団のなかへ逃げるように包みつつ下穿きだけをもぞもぞと脱いでいく、はたまた脱ぐに至らずにわずかに下にずらして重なっていく体験は誰の身にも起こることだ。

 石井隆は数多くの劇画作品において、情交における脱衣がいかに多彩な顔付きとなるかを示して来た。たとえばある作品での房事において、おんなの乳房バンドは最後まで外されることがない。ハイパーリアルな世界を護持するには、そこまで念入りに演技指導を施すことが必要だったのである。石井の劇とは分枝(ぶんし)していく時間を徹底して追い求め、微細に描き分けることを是とするのであって、想像力と再現力の並々ならぬ持続を自らに強いて表現されている。筆先に宿る執念は、まったく畏しいほどの厚みとなっている。

 さて、「情交における脱衣」ではなく「情交を前提に、相手の手を借りることなく自主的に脱衣する」と行為を絞ってみれば、かなり似通った風景になる。人それぞれの手癖が出るというか、湯浴み前の脱衣場での動きとそっくりになり、半ば自動化されていく。あっさりと流れるような進み具合で衣服は剥ぎ取られていく。

 先述の通り【天使のはらわた】第三部(1979)と【少女名美】(1979)の間には、物語の上で大きな隔たりがあるのだけれど、そこに描かれた脱衣するおんなの描写は極めて近似していて驚かされる。ここでおんなはスカートのチャックを下げ、ストッキングを丁寧に下ろしていく。三つのコマが右から左に時間を追って並び、それぞれの構図はほぼ等しい。その配列のみを抜き出してみれば、背景の浴室扉のノブの有無やスクリーントーン選択の違いから来る布地の風合いなどで区別は付くが、おんなの所作と捉え方、切り取り方は完全に一致している。

 石井によって全然違う人生をあてがわれた【天使のはらわた】と【少女名美】のおんなふたりだが、黙々と服を脱いでいく後ろ姿をもって両者は共振し、互いの胸中を補って見える。男性に無理強いされるのではなく、寛恕の強い思念でもって相手を積極的に抱き止めようとしている。古代文明の遺跡にレリーフされた巫女のおもかげにも似て、物言わぬけれど能弁におんなの自由意志は提示されている。

 石井はメッセージをささやかな脱衣の所作にさえ託そうとしており、それは見事に成功していると思うし、こういった凄まじき芸の細やかさこそが石井世界の醍醐味であって、読む者、観る者のこころを無自覚のまま充足へと導くのである。

2020年12月20日日曜日

“似たり寄ったりの”~石井隆劇画の深間(ふかま)(4)~


  映画という触媒によって観客がどんな心境を被ったのか、つまり、人が人にどう揺さぶられたかを知るのは妙に愉しい。その辺の感慨を上手に言い表せる人と談話していると、綱でぐいぐい牽引された具合となって観賞したい欲求が一気に膨らんでいく。あらすじを教わっただけでは大して惹かれない。ある程度の年齢になれば尚更のこと、触手はそよとも動かない。

 だから、他人に向けて自分が見知った物語の筋を紹介するのも抵抗を覚える。特に石井隆の作品について顛末を記すのは興趣が湧かず、あまり意味を感じない。そこに力点を置いても仕方ないと正直思う。画の添わない状態でいくら言葉を尽くしても、石井世界は再現出来ないし読み手の思考を弾ませることは出来ない。

 だが、論考の必要に迫られ、今は二篇の劇画作品のあらすじに触れねばならない。【天使のはらわた】(1978-79)と【少女名美】(1979)について少しまとまって述べたいのだが、石井は2020年12月現在単行本のほとんどを絶版にして久しいから、連載当時の熱烈な読者、今は五十代か六十代になっているかつての少年たちか、古書を買いそろえる余程の好事家でなければ何を言いたいのか伝わるまい。かなり縮訳するが、頁の隅々からゆらゆらと薫り立つ空気だけでも解ってもらえたら有り難い。

 【天使のはらわた】は社会の下層で息喘ぐ若者の青春群像劇だ。諸事情から脱落を余儀なくされた若者(川島哲郎)が、似たような境遇の仲間ふたりと共に夜毎オートバイを駆って街をうろつき、同年代のアベックを襲っては窃盗と輪姦を重ねていく。ある日、下校途中の女子高校生(土屋名美)が仲間のひとりの餌食に成りかけている場面に出くわし、若者はその娘をつい庇ってしまうのだった。いつもと態度が違うじゃないか、何を恰好つけているのだと仲間から責められ、彼らの面前で娘を襲うことを強いられる若者であったが、結果的にその行為は未遂に終わってしまう。紆余曲折あって若者は三年間の刑に服し、出所後はずっと脳裏に焼き付いて離れなかった娘の姿を追い求めるのだった。娘は親を亡くし、場末の酒場で女給として働きながら口を糊する日々を送っている。ある雨の日、若者と娘は再会する。若者はかつての凶行が祟って裏社会の一員となっており、抗争に巻き込まれて捨て駒の役割を押し付けられ、追われる身となっていた。ふたりは追っ手を逃れて安宿に逃げ込み、そこで初めて結ばれる。運命の導きに愕然とし、緊張のあまり言葉少なく、指はぷるぷると震え、寒気を避けるように薄い布団に横たわる。灰色の厚い雲が街を覆い、まもなく雪が降りしきって通りを白く染めようとしている。

 一方の【少女名美】は同じく若い世代を描きながら、上に書いたような禍々しい装飾や小道具を施さない実直な青春劇となっており、ひとりの若者(佐川大輔)と下級生のおんな友達(土屋名美)の初夜の顛末を瑞々しい調子で描いた小編である。童貞喪失にこだわる若者の平身低頭ぶりに半ば呆れ、半ば本気で怒りつつもこれを甘受し、高層ホテルの一室を娘は予約する。人目をはばかり時間差をもうけて別々にエレベーターで階上に昇り、室内に入ってからはおどけてみたり、おどおどしながら、また、ときめきながら互いに身体を預けていく。冷や汗かいて体臭が強まったと告げてシャワーを独り浴びる娘の表情は硬く、やがて横たわるベッドの白いシーツが肌を柔らかく撫で上げる。若者の脳裡にふたりして訪れた季節外れの海水浴場の記憶が蘇えり、波の音が耳朶に低く響く。猛々しい気持ちは次第に治まっていき、やがて静寂がふたつの肉体を優しく包んでいく。

 上の要約の通り、【天使のはらわた】は歳月をまたいだ劇的な再会の果ての物狂おしい抱擁を、【少女名美】は当時の大学生にありがちだった普遍的な初夜の景色を描いている。両者は全く違う波長の物語空間を築いていて、石井の好んで使う土屋名美という名前と男女それぞれの容姿の近似する点を除けば、本当に同時代かと疑われるぐらい発散する匂いが違っている。

 あらすじで割いた部分に偏りがあるから勘が鋭い人は分かったと思うが、これから虫眼鏡を用いてじっくり観察したい箇所は男女ふたりの同衾(どうきん)の場面である。その部分だけ抜き出してみればどうだろう、いくらか共通項も見て取れ、両者はどこか似た面貌となってくる。

 そもそも私たちを縛る性愛の時間は、多少の振幅はあるにせよ似たような面持ちを呈する。いや、ほとんどの人は堅く閉ざされた扉の向こうで自分たちの行為を密かに営むから、実際どこまで似ているかどうかを検証し得た訳ではないけれど、まあ似たり寄ったりではなかろうか。

 褥(しとね)の作家たる石井隆によって無数に描かれた性交描写の中から、どうして【天使のはらわた】と【少女名美】のそれを意味ありげに選ぶのか。だって同じだろう、男女が衣服を脱ぎ捨て寝具にて絡まり、交接する景色をもったいぶって取り上げても何も生み出さないのではないか。両者とも普遍的な体位を選んでいるし、奇抜な性具がアクセントとして活用されるでもなく、身体的にもある意味凡庸な裸身が上下に重なるだけである。

 時折、石井の寝室には鋭利な刃物が持ちこまれ、荒縄が蜘蛛の巣のように伸縮して皮膚を攻め、第三者が闖入して関係を掻き乱すけれど、両作にそんな展開は用意されていない。男女は平穏な刻を重ねていくばかりだ。似たり寄ったりになるべくしてなるより道はないのである。

 実はそこが肝心なのだ。多くの読者は見過ごして終わりになるであろうが、非常に特異な近似を両作は抱えている。石井隆という作家を考える上で極めて興味深い現象が、我々の前にそれとなく提示されている。

2020年12月17日木曜日

“結果ではなく”~石井隆劇画の深間(ふかま)(3)~

 石井隆の作品を「因縁(いんねん)劇」と称するとやや語弊がある。与えるイメージを極端に狭めてしまう。血染めの戦国絵巻、あな恐ろしや妖猫奇譚、それとも数世代をまたがる遺産相続ミステリーか。いやいや、そんな大袈裟なものではない、一種素朴な作劇の風土として因縁は幾度も掘り起こされ、随処に活かされていく

 人間がほかの人間に向き合う際に、肺腑の奥まった辺りから湧き上がる興味や親しみ、これに続く台詞の往還と血肉の交流が石井の劇では至極大切に扱われる。ひどく困っているようだな、神仏の加護には遠く及ばないが何か手伝えることはないか、こんな自分でも役立てないものだろうか、と、ふと仕事の手を休めて遠くを見やり、人知れず気を回していく。過去を聞こうとする意思とこれに絆(ほだ)されて昔語りを試みようとする二つの魂の螺旋を成す舞踏が劇の軸芯としてあり、物語全体の歩調なり方角を左右する。

 代表例が『天使のはらわた 名美』(1979 監督田中登)や『ヌードの夜』(1993)と続編『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のいずれも村木という名の男だ。肉欲というより人情が先走り、青息吐息の者に寄り添おうと努めていく。体温を帯びた共振が託されて、きゅっと硬くなったまなざしが物語の地平を貫く。つまり「因縁劇」というよりも、「因縁(過去)を手探る劇」とここは表現するのが適切だろう。

 結末はどうであろう。蜜がつぅっと糸引き垂れる恋情へと結実させるかといえば、ご承知の通りの苦い顛末である。今更にして過去の「因縁」を語ったところで、また、聞かされたところで大方は役に立たないし、下手に動けば状況をますます悪化させるばかりだ。普段わたしたちが実世界で目の当たりにする如く、主人公の多くは奮闘努力するものの大概は報われないままに終わってしまう。

 石井の劇を前にした受け手の視線は、だから往々にして引き裂かれる。過去へ過去へと潜行して因縁を探ろうとする動きと、黒闇(こくあん)の未来へと背中を押されながら突き進む熾烈な展開に振り回される羽目となる。それゆえに鑑賞行為はかなり手強い体験となるのだが、さらにとどめとなるのが紙面や銀幕の最後に石井がめりめりと押し刻んでいく花押(かおう)である。其処に書かれた文字に目を凝らしてみれば、「人間は他人の境遇を救えない」と彫られて見える。なんてこった。

 場内に灯が点ったとき、視聴を終えてモニターを消すとき、私たちは唇を一文字に閉じ奥歯を噛みしめて席を立たねばならない。寂寂として比重がいや増したおのれの心臓や肺を感じ止めながら、さてさて、よいしょ、と誰にも聞こえぬ程に小さい掛け声などして立ち上がる。

 料金を払う観客の権利として穏やかな大団円を求める風潮が昨今あって、ウェブ等で映画作品の感想をつらつら眺めていると、終幕に訪れるほの酸っぱい悲劇描写を由とせず、声高に憤懣を綴るものが目立って多い。こんな結末、酷(ひど)過ぎる、どうかと思うよ、客のことを考えろよ、疲れたよ。そういう感想が在っても良いし全否定はしないけれど、やや短絡に過ぎるとは思う。彼らは多分石井の映画を観劇した後に、さてさて、よいしょ、という小声ではなく、鬼の首を取ったごとく異議を唱えて拳(こぶし)を振り回すのだろう。「因縁を手探る劇」は確かに成就しなかった、骨折り損のくたびれ儲けだったのだから、彼ら一般客がどよめくのは予期し得る反応だ。

 過去のインタビュウが証左するように、石井隆という作家は雑誌の記事や観客の反応を真摯に受け止め、これを飽くことなく反芻する。上のような一般客の反応も当然耳にしているだろうに、そんな石井がどうして「因縁を手探る劇」を、それも失敗に終わる悲劇的結末を繰り返して撮るのか。読者や観客が当惑するのも構わず、次の作品においても空回りする救出劇を描いてしまう。人間は他人の境遇を救えない、無理なんだよ、無駄なんだよ、とつぶやき続けるのは何故か。

 もしかしたら、我々は石井隆の劇を根本から捉え直す時期に来ているのではないか。「結末」ではなく「道程」をこそ、石井が描きたいのだったらどうだろう。未完となる宿命(さだめ)の逢瀬を何度も何度もめげることなく重ねていく人間(ひと)という存在の健気さ、哀しさを謳(うた)いたいならどうであろう。前作の絶望からの復活こそが、つまり「因縁を手探ること」をまた始めてしまう、その「立ち直り」こそ信じたいし最も描きたい訴えではないか。

 作家性という単語に縮約させる前に、ここまで人生を賭して同質の物を描こうとする行為に対して数歩離れてより俯瞰的に、もう少しだけ息をとめて凝視した方が良い。つまり、「連作」という見方を固め、「長大な世界」を黙々と彫り続けている一個の人間として意識すべき段階に来ている。陰惨な絶望を描く者ではなく、実は諦めずに劇に立ち向かっている「希望の作家」として石井を捉えた方が理に適うのである。

 手を伸ばさずにいられぬ男女の内面を連綿と描く作家の行為は、物語上の人物の特性を突き破って作家のそれと直結する。人間の内奥は闇にまみれており、透視することなど他人には出来ない芸当であるが、私たち石井世界を愛する者はその秘密に想いを凝らし、腕の痺れるまで洋燈(ランプ)をかざして良いだろうし、そうする値打ちがある。

 手段として、一般人の目からは奇異に映るだろう瑣末な事象も拡大鏡を操るようにして時に眺めねばならぬ。それが創作者にとってこころ乱される微妙な領域だとしても避けて通ることは出来ない。作品を愛する以外の他意はないのだ。逆鱗に触れたとしても、南無三(なむさん)、寛恕(かんじょ)を請うばかりだ。祈るような詫びるような訳のわからぬ言葉を経文(きょうもん)よろしく綴ったところで、そろそろ腹を決めて本題に移りたいと考える。


2020年12月12日土曜日

“因縁尽(いんねんず)く”~石井隆劇画の深間(ふかま)(2)~


 歳末で諸事に追われてもいるが、それ以上に石井隆が拙文に立腹するのではないかと怯え、初端(しょっぱな)からつまづいている。僕に言い掛かりをつける気か、どうしたらそんな読み方になるのだ、と嘆息させはしないか。

 不確かな事をべらべらと書いて、まったく前科者の困った体たらくだ。勘違いと早合点がぞろぞろと列を成している、その点はどうしたって否めない。たとえば【白い反撥】(1977)の終幕でコンクリート製の護岸に投げた小石が弾けて鳴らす衝突音の高らかな残響は、他の漫画家作品の影響ではないかと以前書いた。(*1) その後、フランス映画のラストシーンが反映されていると耳にして震え上がった。また、最近映画専門誌に石井が寄せた俳優の追悼イラストのなかに朽ちたドラム缶が転がっている描写があって、これは世間に衝撃をあたえた傷害殺人と死体遺棄事件報道のまがまがしい記憶が時空を超えて固着したと想像した。(*2) しかし、ある人に亡き俳優が主演を務めたテレビジョンドラマの終幕を想起させる目的で登用したらしいと諭されている。そちらが正解だろう。始末に負えない馬鹿野郎め、と目をそらし、思考がふたたび立ちすくむ。

 気持ちをなだめるため、逃げるようにしてモニターに向かい、意味ないことを検索して無闇に時間を埋めてしまう。「僕に言い掛かりをつける気か」の「言い掛かり」とは、はて、一体どんな語源から来ているのか。自家中毒じみた問い掛けに没入しているうち、「言い掛かりをつける」の類語として「因縁(いんねん)をつける」という言い回しがぼんやりと浮んだ。

 長く生きてきてどちらも実践的に使用したことがないから、両者は直ぐに結線しなかった。どうも軟弱な自分とは生涯無縁の台詞らしい。そうか「言い掛かりをつける」とは「因縁をつける」という事なのか。いかにも剣呑で喧嘩越しに聞こえる。お互いの関係を破壊する覚悟の棘々しさ、痛々しさが潜んでいる。荒ぶる者たちが汚れた路地裏で何かの拍子に揉み合い、やがて乱闘を始める昔の映画の一場面が思い出される。

 「因縁をつける」とはヤクザ言葉であり、「因縁」という単語それ自体も世間では大概の場合は負性を帯びて使用される。先祖の悪行が別の一族を苦しめ、その祟(たた)りが今のあなたの苦境を作っている、是非とも除霊して一刻も早く楽になりなさいといった類いの話に決まって顔を出す。

 でも、宗教家によってはそれを誤りという者がいる。「因縁」という一語は本来極めて平坦な面持ちと響きで、物静かな仏教観に立脚している。現世を彩るさまざまな物象は過去のおのれの言動、さらには先祖のそれに起因するという考え方だ。だから、悪しきものと同様に、善きこともまた因縁にもとづくと捉える。周囲の人たちに対する日々の言葉づかい、対応にしっかり注意しなさいよ、やがて未来に総て返ってくるのだからと我々を諭すのである。

 古臭いと笑われそうだが「因縁」を信じて暮らしている、いや、本当にそう考えている。螺旋を成して時おり訪れる摩訶不思議な出来事がこの世のなかには在るのであって、その度に何者かに手を引かれ導かれているような面白い感覚を知る。錯覚とばかりは言い切れない、救いの如き一瞬は誰にでもあるのではないか。


 さて、「因縁(いんねん)」とは自ずと「過去」と結びつくが、石井隆の劇ほど「過去」を凝視めるものは無い。たとえば映画『GONIN』(1995)ではヤクザの金庫を襲撃するために俄(にわか)仕込みの強奪班が編成されるのだったが、大金を強奪してから後は各人の過去を掘り起こす作業に終始していく。続編の『GONINサーガ』(2015)では過去探しを唯一されなかった青年実業家のあの時以前がどうであったかを手探ることが劇の輪郭となる。過去と現在が鎖状につながって提示されていて、ひと言で表現すれば濃厚な「因縁劇」となっている。

 『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)においても、劇は未来へと前進することなく、破壊されたおんなの魂のこれまでの軌跡を追い求め続けてどこまでも執拗に後進して行くのである。「過去」が登場人物を呪縛し、いま現在の言動をひたすら導いている。幾つか例外はあるものの、作品の基調に「因縁」の厚い霧が波打っている。

 いったい石井隆の劇とは何だったのだろうと常に考えているものだから、ソーシャルネットワークサービス等で「石井隆を想起させる」とか「石井隆の映画そっくり」と感想が寄せられた作品の題名を見つけると、むらむらと欲情の焔にも蠢くものが内部に熾(おこ)り、あまり環境が良くないウェブ環境で、はたまた劇場まで足を運んで観賞するのだったが、多くが期待を外れて似ても似つかぬ作りである。

 なるほど其処に雨が降り、傘を差したおんなの孤影があり、髪やブラウスがしとど肌に貼り付き、ネオン管が官能的に路面を滑(ぬ)め照らしている。拳銃が鋼鉄の弾を射出し、身体を深く貫いて赤黒い血がたらたらと雨だまりに広がっていく。石井映画のエッセンスと共通する描写が点在するのだけれど、「過去」への粘着と「因縁」の度合いは比してみればいずれも希薄である。

 何も石井に捧げるつもりで彼らが自分たちの映画を創っている訳ではないから、似ていないことに対して手前勝手に悄然とされても困る話だろう。それこそ、何だこいつ、言い掛かりをつける気かと声を荒らげるに違いない。

 作品の評価とは別次元の話で、劣っているとかつまらないとか言っている訳では決してない。いつまでもどこまでも過去に執着する部分の層の厚みと堅さも、雨や鮮血と同等に「石井隆」を語る上で外せないと考えている。

 仮に一滴の雨も降らぬ砂丘を舞台にした灼熱の物語を描いたとしても、もちろん蓄電池もなくネオン管が闇夜に浮かばなくても、おそらく私たちはいつも通りに彼だけのまなざしと景色を面前とすることになり、軽々と魂を持っていかれるはずである。石井の劇はとことん因縁尽(いんねんず)くの様相を呈しており、その拘泥を貫く創作姿勢にこそ我々は妙にこころ惹かれるのだ。

(*1): 面影の連結~つげ義春と石井隆~(2)

http://grotta-birds.blogspot.com/2017/11/blog-post_18.html

(*2):“何を見ているのか”~萩原健一、内田裕也追悼扉絵(7)~

http://grotta-birds.blogspot.com/2019/07/blog-post.html


2020年11月15日日曜日

“いったいそれは何だったのだろう”~石井隆劇画の深間(ふかま)(1)~


  新型コロナウィルスが地域経済に影を落とし、日を追うごとに暗暗として気持ちを萎縮させている。何か目立って巨きい出来事があった瞬間、住民の間に張り切った糸はぷつりと途切れ、一気にドミノ倒しが始まるのではないかと不安を覚える。

 ヨーロッパで猛威をふるうウィルスは型が変異した新たな面相であり、私たちが対峙している旧来のものとはかなり性質を違えている、そんな研究発表が先日為された。なあんだ、新旧ウィルスの感染力の段差が、今の日本経済をかろうじて支えているに過ぎないのか。アジア人だから、日本人だからといった遺伝的な優位性や、幼年時の予防接種由来の交差免疫で大丈夫な訳では全然なかった訳である。慌ててもどうしようもない話だが、イタリアやアメリカみたいな大きな混乱に陥るかどうかは時間との闘いで、駄目なときは逆立ちしたって駄目になる。

 晩酌をしない習慣のためか、ついつい余計な調べものや特集番組の視聴を繰り返してしまい、いつしか耳元で時限爆弾のカチカチいう針の音が聞こえるような感じになっている。あくせくしても結果はたぶん変わらないのに、小心者の脳みそは難問山積の状態でオーバーヒートを起こし掛けている。

 石井隆についての考察ももちろん止めた訳ではないのだが、腰を据えて文字に起こそうとしても何かが邪魔して上手く進まない。以前、知人から面と向かって言われた言葉が記憶の底からもわもわと蘇えって来たりもする。貴方の書き散らしている事に目新しいことは何ひとつない、解かり切った内容をもったいぶって綴っているに過ぎない。告げられた際には反発さえ覚えなかったのだけど、最近妙にそれが鳩尾(みぞおち)あたりに響いてしまい、指先をじわじわと冷やして泥土の纏いつくみたいに固めてしまう。

 冷静に考えれば、正にその通りである。私は石井の劇画や映画、そしてインタビュウを目で追い、それら断片を繋いでは論文調に見せて悦に入っているに過ぎず、特段の努力も費やさず、能力も求められず、責任も負わずに放言を重ねているだけだ。石井隆に対しても世間に対しても全く失礼な話ではないか。誰にも苦言を呈されないのを良いことに、闇雲に続けるのは罪深い行為ではなかろうか。そんな風に逡巡してここしばらく過ごしていた。

 さて、先日、硬直する指先で不器用に頁をめくっていて、気持ちに飛び込む数行があった。持つべきものは直言を返してくれる友人と手元に集う書物である。四方田犬彦(よもたいぬひこ)の「漫画原論」をひさしぶりに読んでいたら、あとがきに今の自分のもやもやを言い当て、そして導く言葉が踊っていた。

「本書はこれまでわたしが執筆してきたもののなかで、もっとも独創性に欠ける書物である。理由は他でもない。漫画を日常的に読みつけている人であれば、誰でもその読み方の順序から風船(引用者註:漫画のコマに現われる登場人物の台詞を囲む枠線)の意味まで知っており、人に求められれば、おそらくはここでわたしが試みたのとほぼ似たようなことを(多少の用語こそ違え)説明するだろうからである。机に向かいながらわたしはいつも、かの有名なサミュエル・ベケットの警句を口誦(くちずさ)んできた。すなわち、誰が書いても同じことだ。誰かが書きさえすればいいのだ。」(中略)「これまでの人生の大方を、夜となく昼となく漫画を読むことに費やしてきたので、ここらでちょっと立ち止まって、いったいそれは何だったのだろうと考えてみたくなっただけなのである。」(*1)

 ああ、まさにこの感じだ、その通りなのだ。「誰かが書きさえすればいい」のであって、石井当人でも評論家でもよいから、何処ぞの誰かが教えてくれて腑に落ちればそれで十分という気持ちだ。石井隆論が盛んに世に出されて読書の愉悦にひたる日が来たら、キーボードから離れてのんびりと過ごしたい気持ちでいる。しかし、なかなかそうなってくれないものだから、今宵もまた私は石井隆について「いったいそれは何だったのだろうと考えてみたくな」る訳なのだ。

(*1):「漫画原論」 四方田犬彦 筑摩書房 1994  295頁

2020年10月10日土曜日

“昏いままに続いていく想い”

 納戸に山積みなったものを順次選別し、処分を始めてからずいぶんと時間が経った。林道を覆い尽くす枯れ葉のように隙間なく置かれた古道具やら書籍やら、大小のダンボール箱や得体の知れない昔の道具をえっちらおっちら掘り起こし、さて、思い切ってこの際捨てるべき物はどれとどれかを判断する作業だ。厄介でなかなか前に進まない。薄っすらと、物によってはべったりと、ほこりが表面に舞い降りて白く付着しており、たちまち上着もズボンも汚れていく。充分な照明もない部屋なので、海底(うなぞこ)の堆積物にも見えてくる。

 それらの間に、番(つが)いの鳥の剥製(はくせい)が窮屈そうに挟まっていた。稀にではあるが、何かの用事があって此処に立ち入ることがあった。その折ごとにガラス製のまん丸い目玉がこちらを窺っているみたいで、どうにも気になって仕方なかったのだけど、いよいよ彼らとも別れるときが巡り来たわけである。

 かなり年数も経て見えるし、剥製はただただ気味悪いだけで、どうしても気持ちが惹かれない。明るい部屋に引き出して飾る趣味はない。どんな経緯で我が家にやって来たのか、知る術はもはや無く、この際捨てるより他に道はないように思われた。

 真情としては彼ら夫婦に対して哀れを感じるし、乱暴に扱われるのは気の毒とも思う。子どもの頃に読んだ松本零士(まつもとれいじ)の漫画のなかに、機械生命体に狩られる母と子の姿があり、親の方が捕まり無惨にも剥製にされて飾られる場面があったけれど、あの怖いコマがちらちらと脳裏に浮んでは消えたりする。

 彼らは誰も訪れない漆黒の闇のなかでひたすら寄り添い、永遠の妻夫(めおと)として無言のまま佇んできたのだが、果たしてそれは歓びであったろうか、苦しみであったろうか。いずれにしても人間という輩はよくよく考えもせず、実に酷(むご)いことをするものだ。

 さて、この番いは人間の腕ほどの裸木(はだかぎ)に留まっていて、土台を含めた総体が大き過ぎるものだから一旦彼らを取り外してやらねばならない。脚先から延び、木の幹を貫いている固定用の太い針金をペンチで切断してやると、何十年ぶりに解放された鳥たちは(当然ながら錯覚でしかないが)とても嬉しそうにして感じられた。二羽して板間にころんと寝転がり、ああ、せいせいした、と伸びをするように見えた。

 そうして初めて裸木の裏側をしげしげと眺めてみれば、そこに二枚の小さなシールラベルが貼られてあって、剥製の出自が固い男文字で書かれてあるのだった。記載内容はほとんど変わらず、同じ人物が同じ時期に記している。「動物剥製標本 和名 ヤマドリ 学名 日本ヤマドリ オス(もう一方はメス)」とある。下の方に「剥製者名」が漢字4文字)で書かれ、続いて「住所」と「TEL」、そして最後に「狩猟者」としてハンターの所属するグループ名が書かれている。誰が作ったのかが分かり、それ程は古くはないことも分かった。

 認識を改めさせられたのは二羽の「採集地」と「剥製年月日」に違いがあったことで、オスの方が「昭和53年1月10日」に「O町」で、メスはそれより8年も前の「昭和45年12月2日」に「M」という地でそれぞれ捕まっているのだった。「O町」と「M」とは特選距離で4キロメートル程離れており、鳥たちにとっては大した距離ではないかもしれないが、さて、8年の歳月の隔たりというのはどうしたことか。単純な話である。両者は妻夫(めおと)ではなく、ただただ妻夫に似せるべく巧妙に演出された他人(他鳥)同士であった、という事である。

 私は三十年程も前から勝手に彼らを番いであると信じていたが、それは思い込みでしかなかったのだ。あいかわらず馬鹿だなあ、当たり前じゃないか、いっぺんに二羽が捕れるはずがないじゃないか。別々に仕留めたものを寄り添わせただけだよ、剥製の世界じゃ常識だろうよ、と笑われそうだけれど、気の小さい私にとってこの発見は笑いとは無縁の、暗い悲哀に延延と追いやるに十分な出来事だった。

 剥製職人は長い歳月オスの入手を待ち望み、それが叶った後にめまぐるしく構想を深め、保存していたメスの身体を解凍し、二羽の死骸をあたかも仲の良い妻夫(めおと)のように並べて自信作を創り上げたのである。夫婦円満、家運隆昌、商売繁盛といった縁起物と信じた行為だったし、単にヤマドリの美しい羽模様の二重奏に酩酊したのかもしれないが、どちらにしても私には到底真似のできない熱狂が潜んで感じられる。どこからそのような荒々しい欲望が湧いて出て、それを実行し得るのだろう。物を作るという作業は時に人間をとんでもない領域に導いていく、本当に畏(おそろ)しい行ないである。

 せめてもの気持ちで二羽を綺麗な紙袋に包んでやり、けれど、次にそれを市の回収に託す「燃やせるゴミ」と表記された情緒とはまるで無縁のビニール袋に押し込める訳だから自己欺瞞も甚だしい点を恥ずかしく思いつつ、なるたけ傷つけぬようにゆっくりと扱いながら、そのときメスの目と真正面に向き合ってしまい、どうしてなの、なんでこんなことをするの、と責める声が聞こえたように思われて、年甲斐もなく涙ぐんだ。

2020年9月13日日曜日

“果てしなき流れの果て” ~石井隆の時空構成(15)~

 


 石井隆の作品群は、互いに共振し合いながら繋がっている。視界から外れて忘却しかけている過去の単行本を手に取り、コマを注視し読み進め、そこでようやく見えてくる物がある。人間とはなにか、私たちのこころとは何かを「探索」し続ける道程であることを、数篇の劇画と映画を例に上げて説明した。

 石井は今なお調査と分析を続行している。近年の映画作品においても手を休めていないのである。「待ちわびる」という行為に際しての拘束時間が伸長されて、「実験機」に選ばれた劇中の登場人物はその都度凄惨きわまるドラマに身を捧げてのたうち回り、魂の変容する様子を生々しく提示する。

 たとえば映画『花と蛇』(2004)で原作の設定を遥かに越えた年齢で周囲から「まれびと」と称される老人などは、あれは半世紀に渡って待ちわびた人間の末路を体現してみせたものだ。ダンテ・アリギエーリの「神曲」に着想を得た『フィギュアなあなた』(2013)で、主人公の男を廃墟ビルディングで待ち構えて支えるおんなは古代詩人ウェルギリウスの役割だから、そのダンテの原典に従えば千年といった長い歳月を冥界で過ごした者になる。劇中にて点描(フラッシュバック)される現実描写から読み解けば千年という設定はさすがに無いにしても、石井による「待ち時間の伸縮」が遂にそこまで至った、つまり、生死(しょうじ)の境界さえ破ってしまったという解釈は我々の胸を熱く湿らせるのに十分だ。

 絵筆を持って画布に向き合うに当たり、モデルとなる人物に後退するように命じる。背後には底無しの暗渠が広がっているにも関わらず、もう少し向こう、あと数メートル奥に行ってくれと小声で命じながら構図を練っていく。モデルは健気にこれに応じていくのだけれど、いつしか命じる方も命じられる方も懊悩を極め、これは地獄巡りに他ならないと考えてしまう。

 観客のこころに沁み入る物語とはそうあるべきではないか、と石井は信じている。物語を書くとは、映画を作るとはそこまで過酷なものであり、安易に受け止めては罰が当たる。人生を賭して「魂のこと」に取り組んでいる作り手に対し、私たちも真摯に見つめていくことが肝要だし、愉悦もより増すかと思われる。

“延びていく時間” ~石井隆の時空構成(14)~

 


 「隔離された一角」でひたすら作品に向かい続け、「物の描写や空間の変形」が常に起き続ける石井隆の世界。劇画【天使のはらわた】(1978-79)の最終話で特筆すべきはそこで生じた「時間の伸縮」についてだ。

 『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の極めて知られたおんなの台詞「私があなたを待っていたのは、たったの三時間よ、たった……の……」(*1)が物語るように、ドシャ降りの中央公園におんなは午後七時前後に到着し、十時を回ったことを確認してその場から立ち去っている。【天使のはらわた】の最終話において石井はそれを大幅に上回る時間をおんなに与えている。

 その日、昼過ぎに目覚めた男に遅い朝食をおんなが勧めてまもなく友人が訪ね来て、そこで三人は衝突する。男ふたりが転がるように部屋を出て行き、その背中を茫然と見送った後におんなは旅支度に入るのだった。男が深く傷ついた身体でようやくアパートに戻ったときには既におんなの姿はなく、素人なりの応急処理をして休息する男のそばの目覚まし時計の針は午後4時30分過ぎを指している。

 アパートの窓から新宿の高層ビルの林立する様子が墓石のように眺められることから、おんなが上野駅に到着したのはどう考えても同時刻帯かそれより少し遅れた辺りであろう。話は午前零時直前の最終列車の出発場面で幕を下ろすから、指折って数えれば実に5時間以上に渡っておんなは待たせられた事になりはしないか。

 明確におんなの足取りが分かるコマを探せば、駅のホームでおんなの見上げる時計は午後9時を過ぎていて、そこから最終列車の出発時刻まで数えれば「たったの三時間」とほぼ同じになる点も実に面妖である。はたしておんなの待ち時間は3時間であったのか、それとも5時間以上であったのか。

 そもそも人間が人待ちをすることの耐久限度はどの程度であろう。レストランで会うと約束し予定の時刻から三十分もしたら弱気な私は溜め息が漏れる。相手の身に何かあったかと心配し、それとも機嫌を損ねる事でも何か言ってしまったかと怖くて堪らない。【天使のはらわた】第三巻の頁をめくりながら冷静に我が身に照らして考えれば、堪え性がない自分ならどちらに転んでも相当にしんどく到底耐えられそうにない待ち時間だ。

 石井隆はおんなを「北行き」の列車の出発ごとにホーム移動を繰り返させる念の入りようで、その忍耐する様子を克明に描き続ける。劇中に登場する時刻表は冊子形式であり、その表紙から弘済出版社の「小型全国版の総合時刻表 1978年9月号」と分かる。同じ物は手元にないが、日本交通公社版があるから当時の上野駅午後7時以降発の「青森方面行き」列車とホームを目で追えば以下のようになる。最終話の舞台が翌年1979年1月と仮定すれば前年10月の改正ダイヤで出発時刻は変わっているから正確にはこの通りではなかったかもしれないが、本数はそれほど変わるまい。おんなは点々とホームを移動して過ごしたのだ。それはどれだけの心的負担をもたらしただろう。

東北本線<下り>(上野─福島─仙台)(1978年9月のダイヤ)

(青森行き)

19時10分発 14番ホーム

19時27分発 13番ホーム

21時08分発 15番ホーム

22時00分発 15番ホーム

22時20分発 14番ホーム

22時41分発 14番ホーム

22時49分発 17番ホーム

(以下は青森方面行き)

23時15分発 17番ホーム 仙台行き

23時32分発 15番ホーム 盛岡行き

23時41分発 17番ホーム 仙台行き

23時55分発 16番ホーム 仙台行き

 視線は黒光りするレールと赤黒くなった敷き石辺りをさ迷っている。ベルがけたたましく鳴り響き、おんなは次の列車の出発ホームへとうつむいて歩き始める。十本以上の列車を見送り、乗客たちの好奇の視線に耐えながらホームを転々としたおんなの心情を思うと悲しみを越えて恐れに近いものを抱く。

 『天使のはらわた 赤い教室』でのおんなは「三時間」で崩壊を来たし、二度と男の手の届かぬ処へ行ってしまった前例をここで振り返らねばならない。あの時よりも過酷な時間の延長を強いられた「探索する実験機」であるおんなの魂は一体どうなったのか。【天使のはらわた】の最終頁に至る何枚かを流し見すれば、ありがちな恋人の邂逅場面と捉える読者が多いのだが、もしかしたらそこに「見えないもの」が「自然なかたち」で載っていないだろうか。あれは本当に幸せな結末であったのか。

 時間を伸縮させ、場処を移動して、愛するとは何かを突き詰めていく石井隆の探索は残酷で極めて険しい軌跡を描いて見える。

(*1): 「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じ

“時計の前で待ち続ける” ~石井隆の時空構成(13)~


 これから劇画【天使のはらわた】の最終話について触れようと思う。事前知識を持たずに物語の起承転結を味わうことが観賞の必須条件と考える人は頁を閉じてもらいたい。私自身はその辺りに関して若い時分から無頓着で、結末を先に知ることに今でも抵抗を持たない。そのぐらいで作品の魅力が薄れるのなら、最初からその程度の代物と考える。もしかしたら映画館の仕組みが今のようになる前、途中から観始めて巻末を先に知り、その上で冒頭から眺めて初見の地点に戻ったところで席を立つことも割合と普通だった時代に暮らしたせいかもしれない。面白いものは一部分を切り出しても不思議な力を帯びて人を魅了するものだ。

 さて、石井隆が日活の求めに応じて『天使のはらわた 赤い教室』の脚本を執筆し、それが曽根中生監督作品として公開されたのが1979年の1月であった。石井はその第一稿と第二稿を三ヶ月程前の1978年10月に仕上げている。(*1)

 既によく知られるように脚本への無断加筆と「共同脚本」名義の並列表記から曽根と石井は衝突し、仲介者と作品を気遣った石井が矛(ほこ)を収めて乗り切った形だが、石井は完成なった映画を何処で観て何を思ったものだろう。先の電光掲示板の描写ひとつを取っても、曽根と石井では物象の捉え方に段差がある。試写室の可能性は高いが、映画館にも足を運んだかもしれない。群衆の反応を覗(うかが)いながらどんな感慨を抱いたものか。

 脚本執筆とその後の綱引きの丁度同じ時期に、石井は【天使のはらわた 第三部】を執筆中であった。(*1) 話は終盤に差し掛かっており、最終話の少し前の回では雪の描写がある。主人公の男が友人を追って白い町を走っている。やがて男は数センチの雪で地面が染まってみえる淋しい墓地へと至り、並んだ石の天面はいずれも雪が笠をつくって白く膨れているのだった。男はそこで凶刃に倒れる。この墓地のカットは石井自身が野外で撮った取材写真を加工したものである。

 便利になったものでインターネットのNTTレゾナントの検索プラウザ「goo」を使用すれば、特定地域の過去の天気を直ぐに調べることが出来る。当時都心に雪が降ったのは1979年1月13日土曜日の一日限りであるから、石井がもしも墓所の撮影をリアルタイムに行なっていたとすれば、1月13日か14日の早い時分ではなかったろうか。墓所の場面を含めた回はこの天候をひとつの材料とし、半月程度かけて綾織られた計算になる。

 最終話が「ヤングコミック」に掲載なったのは「(1979年)3月14日号」である。この手の号名は発売日を表してはおらず、一週間または二週間前に店頭に並ぶのが慣例であったから、3月初旬には印刷なって読者の手に渡っている。隔週発行の体制であったから、石井が脱稿したのは2月の下旬頃であったろう。

 何が言いたいかといえば、石井が【天使のはらわた】の最終話を描くための構想、ネーム制作、編集者との打ち合わせ、取材、下書きといった一連の作業はまさに『天使のはらわた 赤い教室』の公開から約1ヶ月経過した頃に当たり、つまり、石井の内部に『天使のはらわた 赤い教室』をしきりに反芻し、「探索する」時間の只中であったという点である。

 劇画家としての石井の思考は脳内での映像の浮上と言葉への置き換えで成り立つから、脚本執筆において過剰で鮮烈なイメージが溢れ出し、それが呼吸し鼓動を打ったに違いないのだが、曽根の演出を目の当たりにした石井が発奮し、「隔離された一角」である己の領域たる「劇画」のなかで、「映画」を撮り切ろうと模索するうちに【天使のはらわた】の最終幕はより『天使のはらわた 赤い教室』と共振していったのではないかと推察する。

 友を追って男が部屋を飛び出したアパートの小部屋にひとり残されたおんなは、忌まわしい過去を男に知られてしまった絶望感に顔を硬直させながら、けれど、もう一度だけ「待ってみよう」と考えるのである。もう男は自分を見限り、この背中を追っては来ないのではないか、そうやってこのまま生き別れる事しか道は無いのではないか。いや、男はいつだって突然に自分の前に現われ、沈鬱な記憶の海に溺れかける自分を救おうとしたではないか。

 反発するふたつの心を抱えたおんなはトランクに最低限の生活道具を押し込むと、上野駅へと出立する。戻って来た男へのメッセージ代わりに、最初に出会った頃の学生証を栞(しおり)代わりに数ヶ月遅れの古い鉄道時刻表に挟んで部屋に残す。死んだ友人の故郷青森へ行きたいと言っていたじゃないの、まだ気持ちがあるなら駅で待つから来てもらいたい、一緒に北行きの列車に飛び乗ろう。気持ちの重圧に押しひしがれる寸前のおんなはもはや具体的な言葉もメモせず、黙って部屋を出て行くのである。

 私たちはここで「腕時計を持たないおんな」が「仰がなければ見られない高い位置にある」「大きな時計」が一分ごとに時を刻む様子に時折目を凝らしながら、「必死の思いで相手を待ち続ける立ち姿」を目撃する。

 暗澹たる過去に悶え苦しむ一個の人間が、その手首を、指を握ってもらいたいと念じつつただただ待ちわびる様子が20頁を越えて展開されており、読者の胸を熱く揺さぶっていくのである。『天使のはらわた 赤い教室』の脚本では十行程ほどの状況説明の場面だったものが、石井の精神作用で大きく拡張され延延と続いていく「ひと待ち」の様子は圧巻というやや古風な形容を用いても大袈裟ではなく、演出家としての石井の器を見せつける物となっている。

 性愛を主軸に据えた都会の恋情劇という「隔離された一角」で作品を描きつづける石井を前にして、同じ(ように見える)ものを黙々と掘って店頭に並べていく工芸家、たとえば鮭を咥えた木彫りの熊だったり将棋の駒であったりを背中を丸めて作っている職人の姿をついつい連想してしまいがちだが、実際は「物の描写や空間の変形」が絶え間なく起きている。

 物作りとは人間づくりであり、また、血肉の提供である。よく言われる言葉だが、石井隆には本当にそれが合致するように思われる。

(*1):「石井隆作品目録」 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」 1979 所載

2020年9月12日土曜日

“隔離された一角で” ~石井隆の時空構成(12)~


  ここまで読んで半数の人は呆れかえっているだろうが、残りは否定せず、然(さ)もありなんと捉える事だろう。石井隆の創る世界は奇妙で何だか粘度を感じる。職人芸というよりも作家性が前面に出て思われる。全作品を透徹した視線が貫き、また、柔らかく包みこむ。体温を帯びた吐息が付いてまわり、個別でありながらも連結して見える。漫画を熱心に愛し、映画を一定量以上楽しむひとなら容易に了解し得る事柄である。そんな風に思って頷いてくれる人は沢山いるのじゃないか。

 おまえ様は思い込みが酷いね、危ない妄想狂で実社会では関係を持ちたくはないけれど、確かに石井隆の作品には他より抜きん出たところがあるような気が自分でもする。可哀相だからもう少しだけ付き合ってやろうか。そんな心優しき幾たりかの愛すべき存在を信じ、さらに先に進もうと思う。

 石井の劇に登場する「時計」に纏わりつく特別な彩りにつき語ってきたが、これは時計に限らず様ざまな物象において同様に例示し得るところだ。貴方は「ライター」について何枚も原稿用紙を埋められるだろう。貴女は「コート」について触れることで石井隆論を展開出来るかもしれない。そこの君は「ネオン管」や照明で石井世界を誉め讃えることが可能だろう。

 私がここで言いたい事はそういった「物(モノ)語る」側面についてではなくて、石井が劇を描き続ける流れのなかで生じていく「物の描写や空間の微妙に変形していくこと」についてだ。過去作で試みたことが基礎となり、新たな作品では改良の手が加わる。画家の作風が徐々に変わっていきながら、総ての絵画がひとりの作家を浮き彫りにするにも似た性格が石井の劇にはそなわっている。

 石井隆はかつて美術誌のインタビュウにおいて、自作のヒロインに据える「名美」というおんなの名前やキャラクターへのこだわりを尋ねられ、以下のように答えている。

「女性って何なんだろう」と突き詰めていこうと居直ったんです。その時に、ひとりの女性も描き切れないのにどうして色々な女性を描けるのか、だったら名前もひとつでいいやと。(中略)探索する実験機というんですか、一緒につき合ってくれるアンドロイドみたいなもんですよね(*1)

 この「探索する実験機」という喩えは、ひとの口からそう容易く飛び出すまい。石井の実感がありありと伝わる言葉だ。深宇宙を突き進む黄金色の小型宇宙船や、地中掘削機を連想するが、石井の劇づくりはまさにそのような発見と接近、精密撮影、採掘と分析の繰り返しではなかったろうか。一歩進んでは岩盤に突き当たり、後退や迂回に迫られ、時にトンネルを掘りながら手探っていく。

 おんなとは何か、人生とか何か、そしてドラマとは何かの自問自答を重ねながら「隔離された一角」(*1)で突き詰めていった。セルフパロディなんて言って脱力する暇などまるで無い、その作歴は苦行と地道な研究の連続であった。

(*1):「映画へ 揺籃期としての八〇年代 石井隆」 インタヴューアー 斎藤正勝、栗山洋   「武蔵野芸術 №100」 武蔵野美術大学 所載

2020年9月11日金曜日

“雨に煙る時計” ~石井隆の時空構成(11)~

 


 劇画と映画は視覚に訴える表現媒体であるから、取りも直さず作り手は描いて描いて描きまくり、そうやって空隙を埋めることで期待に応えている。もちろん数ある美術作品の中には例外もあり、たとえばルネ・マグリット René Magritteの人物や鳩の絵のように、輪郭だけを残した「空白」として画布に描かれる場合も間々あるが、あれにしても人間と鳥の存在は誰の目にも明らかだ。自ずと鑑賞者のこころに飛び込み、静かな波紋をもたらす。

 また、彫刻を展示する一角に立ち入り首や腕を失ったトルソと対面すれば、私たちは胴体から延長として想像をめぐらし、かつて在った、もしくは、本来在るはずなのに作られなかった首や腕を幻視する。つまり作品自体が「空白」につき最初から雄弁なのだし、添えられた題や説明文を通じて「空白」はやんわりと埋められていくものだ。「空白」は「空白」なりにある種の押し出しをもって受け手に迫り来て、これを愉しく咀嚼して味わうのが大概の鑑賞の道筋であろう。

 ところが石井の場合はやや肌合いが異なる。とにかく説明を尽くすことをしない。「描かれていないもの」はどこまでも「自然な形で描かれない」ので、最後まで気付かない受け手が多い。ややこしい表現の連続で本当に申し訳ないのだが、石井は果敢にも「不在=見えないもの」ですらコマの中、銀幕といった「場処にそっと置こうとする」。それが石井隆という作り手の全く目立たない(当然そうならざるを得ない訳なのだが)、けれど、創作の軸芯に近接する特徴のひとつと言えるだろう。

 先述の通り、石井のまなざしはおんなの腕時計といった実に細かしい小道具にまで浸透していく。読者や観客にくどくど説明することもなく、唐突に消失と出現を重ねていくのだ。私の思い過ごしであろうか。敬愛の強さが裏目に出て、虹彩をどろんと曇らせ実体とかけ離れた連想を誘っているのか、いよいよ狂人の戯言へと陥っているのか。

 時間を遡り、石井隆が劇画家として世間を圧倒していた時期に舞い戻ろう。数々の傑作短篇と長篇【天使のはらわた】(1978)のハイパーリアルな世界で日本中の読者を陶然とさせていたあの頃、映画製作の各社が盛んにアプローチを行っていた。日活は【天使のはらわた】第一部を忠実に再現して見せた後、名美と呼ばれるおんなを主役に据えた物語空間を銀幕に映すべく、石井本人に脚本の執筆を依頼する。そうして仕上げられた石井の処女脚本『天使のはらわた 赤い教室』(1979)は曽根中生によって監督され、主演の水原ゆう紀と蟹江敬三の実直な演技も相まって観客の胸をえぐり、涙を絞って、今なお世間の評価が高いことは周知の通りである。

 その『天使のはらわた 赤い教室』脚本のなかで石井は次のような場面を書いているのだが、私にはこれが安易に読み流すに足りる単なる状況説明のト書きとはどうしても思えない。

33 ドシャ降りの中央公園(同日夜)

     立ち尽くしている名美、目には虚空を。

村木の声「信じてくれ……信じて」

     遠くのビルの電光掲示板の時計が、『九時』を差す。

     立って待ちつづける名美、微笑……

村木の声「もう一度だけ、俺という男に賭けてみてくれ……

     七時だよ、七時……」

    『十時』の電光掲示板。

     天を仰ぐ名美、その顔に雨。

     手の中に握りしめられた村木の名刺。立ち去る名美。

     足元にグシャグシャになった村木の名刺。(*1)

 男の声の裏側に自分への気遣い、暗澹たる我が逆境に手を差し出そうとする真摯な想いを感じ取ったおんなは、約束の公園で三時間に渡って待ち続ける。おんなは腕時計を装着せず、鞄の内やコートのポケットにそれを持たず、ひたすら遠くの電光掲示板に目を凝らしているのである。

 それが何だよ、別におかしくないさ、時計を持っていないんだから掲示板の近くに突っ立ってるしかなかろう。大部分の人はそう考えて笑うだろうけれど、石井隆の劇画群に、さらに彼の映画群に、「持続するもの、連結するもの」を感知する読み手ならば、このト書きにどれほど切実な心情が託されているかを納得するのではないか。

 この場面では「腕時計」の消失が語られると同時に、荒海越しの遙かな陸地で明滅する灯台のごとき電光掲示板が不意に出現している。時計を捨て、過去を封じ込め、息をころして隠棲し続けたおんななのである。雨に煙るビルに設置された電光掲示板を必死のまなざしで見つめて、今にも転がり落ちそうになる気持ちをどうにか鼓舞しながら、もう一度だけ「時計」を見ようとして、「時間」を信じようとして、少しだけ顎を上げ、はげしい雨に抗いながら未来を仰いでひとり佇んでいるおんななのである。

 ほんの目と鼻の先ではなく、わざわざ「遠くのビル」に設定しているところも実に「石井隆の劇」ではないか。現在時刻を確認すべく時計をちら見する単純な日常行為に対し、石井はここまで心情を託そうとする。

 曽根の演出は石井の脚本通りではなかった。前段の警察署内の場面は脚本に忠実に撮影されている。突如拘束されて泡を喰っている男の描写はそのままだが、時間の経過は取り調べ官が自分の腕から外して書類の上に無雑作に置いた腕時計のアップで告げていて、公園で待つおんなの周囲は闇に包まれ、視線の先に電光掲示板はなく、ただただ悄然として雨に濡れる姿である。

 もちろん、ロケーションの制約が影響した可能性は高い。時間経過を刑事の時計に喋らせることで脚本上の狙いは果たせるとスタッフの意見がまとまったのだろう。実際それで何か問題はあるだろうか。三時間も公園で待ちぼうけを食らったという状況さえ観客に伝われば、もう十分と考えるのが大人の反応である。映画づくりは工夫と妥協の連続ではないか。

 誤解されたくないのだが、傑作と言われる『天使のはらわた 赤い教室』に難癖を付けたいのではない。あの映画がここまで世間に支持されているのは、多くの観客が展開に呻り、彼らのこころに映画が居着いた証しであり、素晴らしいことと思う。ただ石井隆という作家の凄味を再確認したいのだ。

 あの場面でのおんなは、筋書きの必然ではなく、石井世界の必然として「遠くの電光掲示板」を仰ぐべきであったと今も自分は考える。背景や小道具までも動員して人間の真情を形成しようと奮闘する、それが石井隆の現場だからだ。背景が書き割りとなっておらず、有機的に人物と融合して切々と歌い出す。常に総力戦で画面を構成していて、漫然と手前の人物だけを眺めていても読み切れない空間が確かに存在し、しっかりと息づいている、それが石井隆の描く風景画だからだ。

(*1):「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じである。


2020年9月1日火曜日

“腕時計が消える日” ~石井隆の時空構成(10)~

 


 石井隆の「劇画」がどれほど細かい彫飾をほどこした伽藍か、時計の描写を通じて説こうとしている。ここで思い切り飛躍して一本の「映画」、石井の監督作のなかでも人気が高い『ヌードの夜』(1993)に触れたい。美しいフィックスが目白押しで、また、俳優ひとりひとりが見事に演技をこなし、照明とカメラの支えもあって鮮やかな血流を得ている。確かな体温を帯びて観る者にひたひたと迫って来る作品だ。

 登場する名美というおんな(余貴美子)は、始終その手首に腕時計をはめている。血を浴びることを想定しての仮装や、飛び込む覚悟で海原を臨んで外すことはあっても、基本は腕時計を愛用するおんなである。例によってその現象にたいがいの観客は興味を覚えない。自然だからだ。おんなが腕時計を操作したところぱっくりと蓋がまくれ、中に妖しげな白い粉が入っていた訳ではないし、未知の科学で作られた通信機へとたちまち変形し、地球外生命体とぴゅるぴゅると妙は発声で会話する訳でもない。普通の腕時計を手首にはめ、普通に時刻を確認する姿でしかないから気に留めないのは当然の話だ。

 このおんなが日中は地味な制服に身を包み、地味な会社の地味な事務員として働き、地下鉄で毎日通勤している事も徐々に分かってくると、余計に腕時計の着装は目に馴染むところがある。また、制服を脱ぎ捨てたおんなは男好みの衣装に着替えて危うい逢瀬を重ねていくが、その手首にも腕時計は巻かれ続ける。いずれにせよ全くの自然体とある。都会に暮らす身寄りのない社会人として常に時間に追われる身であり、真面目な性分ゆえに時計を手放せないのだと誰もが考えるはずである。これがおんなの生活スタイルであり、望んでそのように装っているようにしか見えない。

 石井の脚本中には二度腕時計を確認する様子がト書きに綴られ、完成した映画でもこれを踏襲して時刻を気にする姿が描かれている。


   女、聞くでもなく腕時計の時間を気にしながら、

女 「六本木って凄いんでしょ?よくテレビでやるじゃない。なんてったかしら」(*1)


       女、また時計を気にしている。

次郎「あ、日帰りなんですか?」

女 「ハイ?」(*2)


 おんなは腐れ縁の男(根津甚八)の殺害を目論んでおり、それを今夜実行に移すと決めている。男をホテルに誘い込み、そこで区切りを付けようと考えているから、どうしても時計が気になって気になって仕方がない。これまた自然な振る舞いである。

 しかし、この「自然さ」自体が石井の劇では異例な展開であると気付き、どこか「不自然である」と捉え直せば、単なる腕時計がおんなの内実を光の粒として差し出す一種のマイクロスコープとして機能するのではないか。つまり、『ヌードの夜』のおんなは忌まわしい記憶と対峙し「時間」を丸ごと封殺したおんなではなく、また、そ知らぬ顔を装いつつ対男性社会へのレジスタンスの一員ともなっていないその証しとして、時計を着装し続けているという解釈に至る訳である。

 彼らの過去は決して忌まわしい物ではなかったが故に「時間と共にいる」そんな造形がされている。不運ではあったが不幸せではない、そういう男とおんなが描かれているからこその腕時計と捉えるべきではないか。

 遺体の処分を押し付けられた代行屋(竹中直人)にとっては傍迷惑な展開であったが、エンドロールと共に岸辺に引き上げられる海水まみれの男女の死体というのは変則的な入水心中の幕切れであり、観る角度を変えれば激しくも幸福な生の完遂となっている。

 では、『ヌードの夜』の名美は先述の劇画群の「腕時計を外した」おんなと異なり、石井世界にあっては徹底して異質の者であったろうか。石井の劇につき纏いがちな「屈託」のまるでない一面的なキャラクターであったろうか。

 最終局面で代行屋の面前に現われたおんなの霊体が腕時計を何故かしていない点をやはり見逃してはなるまい。石井は手首をことさら強調して撮らないので、例によって気付く人は少ないのだが深読みすれば実にもの悲しい現象が起きている。

 終幕間際におんなと代行屋は生死(しょうじ)の境界をまたぎ、精神錯乱の只中が描かれている。迷走する光景それぞれを理詰めできっちりと意味付けることは野暮だろうし、意地悪な見方しか出来ない観客ならば、徹夜続きの現場で監督もスクリプターも俳優も疲れ果てていたのだ、着装忘れに最後まで気付かずそのまま撮影を終えてしまったに違いないと考えるだろう。そして、観客の目など節穴で気付くはずがないから、と強引に編集を押し進めた結果と邪推するはずである。

 それは違う、と私は思う。石井隆の劇とはこういう「さりげない異変」に満ちたものだ。石井は意識して腕時計の着脱をおんなに命じているのだが、ほとんどの人はそこまで観ない。「不在の描写」が頻発することを理解しなければ、そのまま気付かないのも無理はない。

 不自然こそが石井の劇画や映画の醍醐味であり、凝視してようやく見える景色がある。冥境より代行屋を訪れたおんなが腕時計をしていないことは、時間の消失した世界へ既に軸足を移し切ったという悲痛な宣言であると同時に、殺してしまった運命の男の呪縛から束の間だけ離れ来て、魂を心ゆくまで解放させた状態なのだと告げている。時間の残されていないぎりぎりの局面で、ようやく時間から(=伴侶から)解放されてたゆたう人間の最期の瞬きが描かれており、人生の自由ならざる哀しさ、苦しさ、中途半端に断裂するより術が無い非情なるその本質が切々と詠われている。石井世界の小道具、背景とはそういうものだ。細部に作家の想いが宿っている。それが活きた人物を作り上げる。

(*1)(*2):共に準備稿より引用

2020年8月29日土曜日

“腕時計を外す日” ~石井隆の時空構成(9)~

 


 劇画であれ映画であれ、石井隆の作品のよく知られる特徴として物狂おしい「反復」がある。セルフパロディと揶揄する声も出てくるが、もちろん的を射た読解ではない。人物造形、場面設定、雨と血潮、肌の露出といった骨格をもってまるで同じ内容と捉えるのは早計過ぎるし、あまつさえ石井の創作力の枯渇を疑うのは愚の骨頂だろう。世間に対して己の観察眼のはなはだ凡庸たる面を宣言するに等しい。

 一見同じ物語と見せてどこかが違っていること、そして、読み手に容易に悟られないように「さりげなさ」を装うこと。石井劇の反復はそういう繊細な作業だ。むしろ、そんな目立たないディテール作りにこそ石井は心血を注いで見える。先行作品と遅れて発表された別の作品について、両者が正続の立ち位置になること、パラレルワールドにあることを明言せず、本人と担当編集者の胸にこの深い企みを仕舞い込んで、さらりと何事もないように誌面に載せていく。

 たとえば【紫陽花の咲く頃】(1976)と【花の下にて】(1989)という二篇の発表年は離れていて、実に13年の段差がある。細部はあえて並べないが、両者は幾つもの要素を筋交(すじか)いと為して強く接合する。掲載雑誌を初めてめくって【花の下にて】に対峙した時の愛読者の衝撃は大きく、大袈裟な言い方ではなく私などは腰を抜かさんばかりであった。

 肝要とすべきは、先行作品について石井が完黙のまま突き進んでいる点だ。【紫陽花の咲く頃】の既読者が何人いようといまいと、そして、二篇の連結に気付く者がいようといまいと関係ない。十三年の歳月を付かず離れずに追走する評論家やファンといった分かる者が幾たりかいれば良いし、仮に誰もが分からぬままでも一向に差し支えないというスタンスである。

 個別の劇として完結しているので誰も違和感を覚えることなく、ああ面白かった、ああ色っぽかった、ああ石井隆のドラマだったな、とパタンと頁を閉じてほとんどがお終いとなる。それで結構だよ、喜んでもらえただろうか、と、微笑みつつ世間のざわめきを遠目で窺うだけなのだ。

 石井作品によって読み手は選別され、作品から発せられる反射光の強弱なり物語の色彩が違えるよう設計されている。もしも貴方が石井隆という作家を本気で読み込む覚悟ならば、好奇心の焔を消さないように絶えず己のこころに風を送り続け、地道に粘り強く作品群を凝視めていく必要がある。

 このような人知れず為される「跳躍」と「連結」を繰り返し目の当たりにすれば、それが偶然の産物でもセルフパロディでもなくって、石井の創作の軸心となっている事が自然と了解されるのである。蓮の浮かぶ池を来る日も来る日も描き続け、歳月や千変万化する光をあまねく画布へと刻み付けたひとりの画家の行為とどこか通底するもの、畏怖すべき創作者の姿勢を垣間見せる。

 さて、時計をめぐる軌道へと舞い戻れば、私たちは初期の劇画【緋のあえぎ】(1975)と【紫陽花の咲く頃】(1976)をここで念入りに比較せねばなるまい。上述の言葉を繰り返せば、人物の造形、場面設定、肌の露出といった骨格を同じくし、「まるで同じ内容」と捉える者が出て来て当然の非常に似た面立ちになっている。

 勤め帰りのおんなが登場する。小さな駅に降り立って自宅へ急ぐおんなは、おどろおどろしい路地や造成地を果敢に横断しようと試みる。草むらには見ず知らずの男が野獣のごとく潜んでおり、何も知らずに通過した直後、おんなは襲われて性的暴行に遭うという話である。

 例によって両者が束になることで読者に問い掛ける言葉がより増すのだが、今は焦点をしぼり、腕時計の描写に関してのみ瞳を凝らそう。【緋のあえぎ】の発表は雑誌の11月11日号、そして【紫陽花の咲く頃】は5月12日号であるからほぼ同時期、半年程度の短い間に描かれている。それなのにどうだろう、前者のおんなは腕時計をはめており、後者の手首からは跡形もなく消滅しているではないか。石井が腕時計という衣装・小道具を意図して控えるようになったまさに転換点が明示されている。劇的に消失している、言い換えれば腕時計の「不在」を描くように変わったのだ。

 腕時計を肌身離さずにいて暴行を受ける【緋のあえぎ】のおんなは、傷心を抱えて自宅に戻り、わが身に降りかかった忌まわしい記憶と対峙するうちに事件の細部を幾度も頭のなかで再生しては己の身体を傷め付ける行為へと捕縛されてしまう。劇の当初は無垢で陽気な、出来たての陶磁器のようなすべすべした印象の面相に、やがて烈しいもの、強(こわ)いものが徐々に注入されていき、明け方を過ぎた頃には目の下に暗い隈(くま)を作り、凄絶な光を瞳に宿すようになる。休日の昼間となってボーイフレンドがのこのこ訪れるのだったが、何も知らない呑気なその背中を重くぬめ光る目でおんなが見やっている場面で【緋のあえぎ】は幕を下ろす。

 体躯の小ぶりなところに付け込まれ、一方的に弱者と決め付けられて理不尽に餌食となり、性的玩具へおとしめられた一個の人間が描かれている。そして、暗穴に一旦は放り込まれながら、裏階段を登ってようよう這い上がり、ざらざらとして荒ぶる意識を獲得して男という生き物に対等に抗い得るに至った魂の道程が描かれている。

 印象深いのが腕時計の行方である。おんなは自室で腕時計を外してかたわらに置いているのだったが、独り悶々と先の性暴力を再現し、自身をしつこく傷め付けながらいつしか鮮血がにじみ、赤い飛沫は周囲に勢いよく飛んで、腕時計にびちゃりと着滴している。

 石井隆の劇における鮮血をどのように捉えるべきか、いまの私はまだ分からない。そんな簡単に語れるモティーフではあるまい。石井の血に触れるのはまだ先の、きっと生を終える間際ではなかろうか。しかし、「腕時計」についてはまだどうにか言葉を続けられそうだ。

 哺乳動物が自身の尿で領地を宣言するように、また、「唾を付ける」という言葉が言い表すように、私たちは体内のさまざまな液体を分身と位置づけ、これを他者へと注いでアピールする。性愛に限らず育児の時間においても体液の交換をごくごく自然なこととして実行し、理詰めでなく本能の領域で素直に受け止める。【緋のあえぎ】の血液は愛情表現ではないにしても、一種の到達・占領表現、峠に置かれた道標として描かれたと思われる。

 その上で、なぜ【緋のあえぎ】以降の石井劇画でおんなの腕時計の不在が常態化していくのか。この事実を反芻するとき、そこには漠然とした気分ではなく、決然とした何かしら硬いものが石井から読者に提示されたと解釈して構うまい。

 忌まわしい記憶に呑まれるのではなく、逆に呑み込むに至ったおんなである。血で腕時計を洗い、その瞬間に「時間」を丸ごと封殺したとも読み取れる。個別でありながら「連続性」を持つ石井隆の劇において、一度外した腕時計が次からの作品に見当たらなくなるのは不思議ではない。おんなは「時間」を封じ込めながら生き続けたのだ。

 また、男社会の象徴にして性暴力場面の尖兵たる腕時計という小道具をおのれの腕から剥ぎ取り、そ知らぬ顔を装いながらも心は鎧装 ( がいそう ) 陣羽織 ( じんばおり )の勇ましさ、さながら戦旗を隠したレジスタンスの一員となって男社会に再突入したと言えなくもない。

 実際、【緋のあえぎ】の終幕でおんなのアパートを訪れるボーイフレンド再登場のコマのひとつ目は、ご丁寧にも腕時計をにやけた顔で覗くバストショットであるのだし、次のコマは手土産のケーキか何かが入った小箱を下げた左手のクローズアップとなるのだが、ここにも腕時計が明確に描かれる。腕時計を外したおんなの元に、腕時計をちゃらちゃら巻いた呑気な「敵」がやって来る図式はきわめて対照的であり、作為に満ちた展開となっている。

 読者は誤解する権利を持つ、と著名な評論家は述べる。【緋のあえぎ】を最終的にどのように読み解くかはそれぞれの自由だ。確かなのは石井劇画のおんなたちが戦場に降り立つとき、腕時計を衣装・小道具から外すことが倣(なら)いとなり、それは単なる見映えの問題ではないという事である。「不在さえ描いていく」石井隆という恐るべき作家は、腕時計の無い手首を創出しているのであって、「その不在を介して劇を見つめること」が(一部の熱心な)読者には求められる。

 一見難解な局面を過去何度も通過して来た石井劇画。その航跡をこうして再読していくことは、作家石井隆を解明する上で有益と考えている。

2020年8月14日金曜日

“腕時計に関する意識” ~石井隆の時空構成(8)~

 


 腕時計が【黒の天使】(1981)に在るのを思い出せたのは、記憶力のたまものというよりも、魚の小骨がのどに刺さるがごとく嚥下を阻んで私の内部に居ついたせいだ。石井隆の劇画作品においておんなの腕に時計を見ることは極めて稀なので、違和感をずっと抱いたまま過ごして来た。

 先述のように男の手首にそれを視とめる瞬間はすこぶる多くて、たとえば【赤い教室】(1976)の回想場面において、乱暴されるおんな教師の肢体を複数の不良男子の腕が押さえ付ける描写では、男側の腕に揃いも揃って腕時計がきっちり締められていてざらついた印象を読み手に残していく。

 そこには男性を描く上でのシンボリックな役割が託されているのは疑いようがない。【赤い教室】では運動具置き場、他の作品ではホテルの小部屋だったり草むらといった場処で大した考えもなく偶然に腕にはめられていたのではなく、演出家である石井が作為的に着装させたと見るべきだ。

 そもそも腕時計という道具は「地位」や「社会的優位性」を周囲に示すディスプレイとして機能しており、それゆえに過剰な装飾性や稀少性が喜ばれ、これにともない示される高額な値札に少なからず人は魅入られて行動を束縛される。実用性を越えた役割を担ってうまく付け入り、この瞬間も大型の蝶々のように面前を行き交っている。一方、「地位」や「社会的優位性」を相手に叩き込もうと意図し、且つ、周辺に明示する最も原始的で安直な、それゆえ根絶されることなく世に溢れ続ける蛮行が強制的な性交であり、本人の同意を待たない婚姻である。

 【赤い教室】のコマに代表される性暴力と男の腕時計の共棲は単なる偶然ではなく、男性が女性を貶めて優位に立とうとする社会的構図を意図的に増幅して、相当な筆圧で誌面に刻んだ結果なのだ。

 仮に男の腕時計が劇中に多発する様子を石井が作為をもって描いたのならば、では、その逆におんなの手首にネックレスや手錠があっても腕時計がほとんど見当たらない現象も意図的な描写であろうか。

 調査会社が2018年に行なったアンケートの結果を読むと、女性は男性と比べて腕時計の着装率はかなり下回っているのが分かる。女性の22.4%が「腕時計は持っていない」と回答し、24.8%が「腕時計は持っているが、つけない」と回答している。腕時計の所有者に、では一体どのような場面で着けるかを複数回答で問いたところ、「外出するときはいつでも」が33.9%、「仕事のとき」が23.7%で、男性と比してかなり低い数字となっている。(*1)

 このように女性は、男性と比べて腕時計を重宝することなく、「地位」や「社会的優位性」を周囲に示すディスプレイを別な事象(鞄や衣装)へ託している様子である。【赤い教室】に代表される石井劇画が次々に発表された時期と、上のアンケートの実施年には段差があるにしても、この男女差はかつても今もそう変わらないように思われる。では、石井隆のおんなが腕時計を着装しないことは全く無理からぬ成り行きであって、どこにも「不自然な箇所」は見当たぬと捉えてよいか。男とくらべて女性全般が腕時計をしない、だから、石井劇画の作品中にも特段の意図なく、「至極自然な流れで描かれなかった」と言えるだろうか。

 石井劇画においてそのおんなたちが纏う腕時計の出現率はいちいちカウントするまでもなく、上のアンケート数値と著しく乖離して異常に少ない。かなり頑固、潔癖症かと思えるぐらいに彼女たちは腕時計の拘束を嫌い、劇中で使用しない。ハイパーリアリズムを誇る劇画でありながら「不自然」といっても差し支えないぐらい、石井のおんなは腕時計を拒絶している。

 手首の細さ、しなやかな腕を誇張する目的で、視線の邪魔をする腕時計を外させているものだろうか。臀部や長い髪、化粧といった類いの強烈さはそなえないにしても、女性のひじから指先への流れるラインは「性別信号」として男の目には優しく映る。これを台無しにする腕時計を絵師独自の美学が見咎め、強引に外させている可能性はゼロではない。いやいや、そんな表層的な話ではなかろう。石井内部の何かしらの論理か働いてコントラスト鮮やかに描き分けているのは間違いないように思われる。石井が「不在さえ描く」、そんな底知れぬ創り手であることを忘れてはならない。

(*1):株式会社プラネット「Vol.87 腕時計に関する意識調査 2018.06.08」調査期間 2018年4月20日~5月11日 女性1428名を対象に実施
https://www.planet-van.co.jp/shiru/from_planet/vol87.html

2020年8月10日月曜日

“ありふれた小道具” ~石井隆の時空構成(7)~

 

 漫画で時計の描写に突き当たるたびにいちいち歩みを止め、そのコマに作為なり深甚なる思念を嗅ぎ取ろうとする行為というのは、妄想狂の馬鹿げた奇癖以外の何物でもない。到底つき合っておれぬと匙投げる御仁もおられるだろう。

 たとえば自宅の書棚、同居する家族がおれば彼等のそれでも良いのだが、その前にしばし立って数冊なんでも良いからマンガ書籍を抜き出し、頁をぺらぺらとめくってみれば良い。諸星大二郎の【マッドメン】(1975-82)のような特殊な設定、未開の原生林なり古代中国の黄土を舞台にした作品でもない限り、数冊に一箇所の割合で時計は目に飛び込み、主人公の意識に楔(くさび)を打ち込んでその行動を駆り立てている。アナログ、デジタルと形状は様ざまであるが、現実の写し絵たるマンガの日常に時計たちはくまなく浸透してドラマの普遍的なスパイスとなっている。

 我が家で直ぐに見つかった二作をここで例示すれば、ひとつはつのだじろう、もうひとつは東村アキコの作品内に時計の描写がある。つのだの短篇【あるムシリ物語】(*1)は金に困ったフーテンの娘が主人公の軽妙な作品だ。男に売春を持ちかけ、その実、相手の隙をついて財布を盗もうと目論む娘だったが、ホテルの部屋で男は性的な行為を求めるのではなく、睡眠薬入りのビールを娘に呑ませて眠らせるのだった。その間にホテルの窓から外に忍び出て、目指す家屋へ急ぐのである。男の方こそが本格的な窃盗犯であり、アリバイづくりに娘との一夜を利用したのだ。

 布団を掛けられ独りぼっちで寝かされていた娘がふと飛び起き、部屋に据えられていた時計を見ると明け方近く4時を過ぎたところである。はて自分はどうしたのか戸惑うのだったが、物音がしたので再び寝たふりをしていると窓が開いて男がのっそりと室内に戻ってくるのが見える。ここでは時計の描写に焦点を絞るのでその後の展開は割愛するが、このように時計は私たちの住居環境の古くからの住人であり、さも当然という顔付きで居座っている。

 東村の【かくかくしかじか】(2012-15 *2)は彼女が漫画家としてデビューするに至るまでの歳月を回想形式で描いた自伝的作品で、絵画教室の日高という恩師との交差する時間を喜劇として、時に切々たる調子で丁寧に彫り上げていく。紆余曲折のなかで東村は、一旦親の決めた就職先に席を置くことになるのだったが、カタギの商売の常として早朝枕元の目覚まし時計に叩き起こされている。

 時計の出没する現代劇というのはありふれた存在であり、ある意味合いにおいて凡庸な描写とさえ感じられる。大概の場合、読者の視線は時計のディテールを楽しむ方向には行かず、登場人物の内部に湧き起こる感情の起伏を自らの経験に沿って推察し、さらに共振を深めていくことに夢中なのであって、正直時計はどうでも良いのである。必要な描写とは思っても格別引きずるものはない。

 石井隆の劇画のなかにも当然ながら時計はあって、【黒の天使】(1981)の冒頭では腕時計をめぐる描写が見つかる。闇組織の新入りである若いおんなが腕時計を眺めて、敵地に潜入しているリーダー格のおんなの身を案じ、遅いなぁ…大丈夫かなぁとつぶやいている。このひとコマを描いている石井に特別な想いがあるとは考えにくいし、我々読者も流し読みして構わないだろう。すこぶる「自然な」描写だからだ。

 このように小道具としての時計は、時限爆弾に結線されていれば別物だが、通常の状態、つまり本来の使役にあるならマンガの劇空間に特別の興趣(きょうしゅ)を添えるものではない。そう、本来ならば。

(*1):「あるムシリ物語」 つのだじろう 「女たちの詩SERIES③ 造花の枯れる時」 秋田書店 所載 1989 227頁 目次下に1972年から1975年に「プレイコミック」に掲載された作品とあるが発表年の詳細不明                        

(*2):「かくかくしかじか」 第3巻 東村アキコ 集英社 2014 66頁



2020年7月24日金曜日

“個人の時間”~石井隆の時空構成(6)~


 2011年3月の東日本大震災により、多くの町が壊滅的被害を受けた。わたしが住まう町は直接の打撃はまぬがれたものの、停電と見えない放射能汚染、物資不足によって喘ぐような毎日を送らざるをえなかった。きっと誰もが大なり小なり思い出す景色があって、今でもふと真向かう瞬間があるに違いない。二度とほどけぬ紐でもって各人の足首に縛り付けられている。

 思い出されるひとつが時計だ。もはや笑いの種でしかないが、あの日の夕刻、壁掛けの時計の針がぐるぐると回り出し、見つめる誰もが唖然として息を呑んだ。地震と停電と関係があることは直ぐに了解したので混乱はなかったが、オカルト映画や大林宣彦のジュブナイルじゃあるまいし、めまぐるしく針を移動し続ける時計の出現は冗談の域を越えて不快以外の何ものでもなかった。いつまでも止まらず、見ていて気が滅入って仕方ないから、手を伸ばして壁から外すと裏側の電池をはずして寝かしつけた。

 近畿から東北に至る広範囲にむけて標準電波を送信する「おおたかどや山(やま)標準電波送信所」(福島県)が機能しなくなったので、手持ちの電波時計が正確な時刻を見失った為だと後で知った。他に確認すべきこと、思案すべき点は山積みでいつまでも時計ひとつに拘(かかずら)ってはいられないから、吹っ切るようにして次の作業に移ったのだけど、暗澹たる気分は刺青となって脳裏に刻まれている。

 時計が当てにならなくなった、正確な時刻を示さなくなったことに強烈な拳(こぶし)を喰らった形となり、立ちくらみに似た症状が出た。少しばかり吐き気のともなう、地面が傾ぐような気分を味わったのだが、それは裏を返せば自分の中で時計が狂わないもの、遅れないものと信じ切っていた証拠である。実際は送電が止まれば、または、操作場のひとびとの避難が始まればたちまち混迷におちいる脆弱な基盤であって、薄氷に乗った如きが電波時計という物の正体なのだ。

 それにしても、時計が正確だなんていつから信じ込んだのか。幼い時分の家の時計は少しずつずれて当たり前で、5分や10分の狂いは許容範囲でしかなかった。ネジの巻き忘れ、突然の故障など生活者にとっては至極一般的な出来事に過ぎない。目覚ましの役目など不信感を抱かせる最たるもので、枕もとに二個並べて寝る夜も普通にあった。

 先日、ヴィットリオ・デ・シーカの『ひまわり I Girasoli』(1970)を観ていたら、ハネムーン旅行を愉しむ若い夫婦をめぐる歓喜や刹那感をあぶり出す仕掛けとして、宿泊した部屋の小型時計がいつの間にか止まっていたという軽妙な場面が挿み込まれていた。今は朝の6時か夕方の6時か分からない、いや、それでも構うまい。昼夜の感覚を失いながらもふたりは歯を見せ笑って済ませ、時計が針を刻まない空間へと没入していく。時代背景は1944年頃で古いのだけれど、似たようなハプニングは以前なら幾つも転がっていたように振り返る。(*1)

 腕時計にしても信用し過ぎると墓穴を掘るところがあり、実用性からやや離れた存在だった。人によっては高額で精巧無比のものを携え、それで学業なり仕事に邁進しておられたかもしれないが、私の場合はそうではなかった。社会に出てからは擦り傷作りながら狭いところに腕をつっこみ、袖口まで濡らす仕事を与えられていたし、時間についていちいち意識したら苦痛を感じてしまう劣悪な環境でもあった。時計の存在を気にしないことが最初にまず求められる職場だった。大体にして往時は時計をする学生の割合は少なかったようにも思うし、今でも就く仕事によっては縁遠い道具でしかない。

 ポケットベルや携帯電話がいつしか世に現われ、それで時刻を知ることは済ませられるから、自然と腕時計への憧憬は育たず、審美眼も養えぬまま今日に至っている。さすがに最近は国産の安時計をはめる日が増えたけれど、高温多湿のこの国土では外せるなら外した方がよい妙ちきりんな道具にしか思えない。そんな無粋な天邪鬼に育った自分なのに、三月の「正確な時計」の喪失にひどく慄(おのの)いたのが不思議といえば不思議だ。人は知らないうちに変質する。道具に使役させているつもりが、立場は逆転して彼らの奴隷になっていく。どんどん裸の王様にさせられていくのだけれど、知らぬは本人ばかりなのだ。

 一般社団法人 日本時計協会のホームページに記載されている「日本の時計産業概史」という特集ページの下の方に、「1970年代のわが国のウオッチ生産(電子化への推移)」というグラフがある。これを見るとデジタル(電子式)の腕時計の生産量は1978年で約5分の1、1979年でようやく3分の1程度に過ぎない。生産量にしてこれであるから巷に溢れる腕時計のほとんどはまだねじ式か自動巻きであり、いつの間にか正確な時刻を忘れ、さらに油断すればひとの腕を枕にして寝息を立てるのが常だった。(*2)

 劇画【夜がまた来る】(1975)を皮切りに「ヤングコミック」誌に続々と傑作を送り出し、出版業会の話題を席巻し、数多くの読者の耳目を集めた石井の劇画群というものの「時計をめぐる社会の現況」がまさにそうであった。これを踏まえた上で石井世界の時間の二極性を考える必要がある。公の時間と個人の時間がまったく別のものであり、性質がまるで違っていた点をきっちりと視野に入れた上で、作品を細かく丁寧に読み解くことが大切ではないか。

 石井劇画が熱狂的に受け止められた1979年、石井は映画会社から依頼を受けて始めて脚本に手を染めた。『天使のはらわた 赤い教室』(監督 曾根中生)がそれであるが、承知の通り、あの映画は物狂おしく時間と歳月につき言及していく。それこそが主要な登場人物を激しく疲弊させるのである。時間という濁流をまともに喰らって壊滅する恋人の劇であった。

(*1): I Girasoli 監督 ヴィットリオ・デ・シーカ 主演 ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ 1970
(*2): 一般社団法人 日本時計協会 https://www.jcwa.or.jp/etc/history01.html


2020年7月19日日曜日

“腕時計に執着はあるか” ~石井隆の時空構成(5)~


 大時計のアップで始まり、同じくその針を凝視して閉じられる【三十分の街】(1977)。読むと石井が時計に関して強い愛着を持ち、劇中に好んで配すると早合点されそうだが、実際はそうではない。むしろ石井の中には時計全般へのこだわりは無い。

 石井が一度これと決めた物へのまなざしは、特有の厚みと粘度を帯びていく。ライター、ハンカチ、櫛(くし)、コート、拳銃、鯨の置き物といったさまざまな物がこれまでスポットライトを浴びてきた。それら選ばれた小道具には、死別した者への切実な祈りが託され、また、親切心やほのかな愛情といったどちらかといえば報われない想いがそっと宿っている。言葉にできない思念を現世に保留する工夫として、彼らは石井作品を彩ってきた。その中に「時計」は含まれていただろうか。

 【三十分の街】を読み進める読者の目には、男の手首にはまった腕時計が繰り返し飛び込んでくる。おんなの身体に回した腕がコマの前景をガバッと横断して、意図的に腕時計を見せつけると解釈出来なくもないけれど、石井隆の劇画を舐めるようにして読めば、性愛の只中での腕時計の着装率はきわめて高くて【三十分の街】に限った演出ではないのだ。

 【緋の奈落】、【水銀灯】、【やめないで】、【蒼い閃光】(いずれも1976年発表)といった作品内の男たちは、服を脱ぎ捨てても腕時計は外さない。下着を脱ぎ捨てても時計のベルトを弛めないままの姿も散見される。使用時間ごと料金の変わるホテルを利用する身として便宜上どうしても外せないでいるのではなく、男性の身体をめりはりを持たせて描く手段として腕時計が登用されて見える。それとも、都会に暮らす勤め人と分かるように襟章代わりなのか。

 いずれにしても彼らは腕時計の文字盤を一度も覗くことなく、面前に波打つおんなの乳房やくねる首すじに視線は釘付けとなる。ざわめく事態のはざまにあって、腕時計は時刻を知らせる役割を放棄する。

 後年石井が撮った映画『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では、腕時計は死肉をこびり付かせた忌まわしき遺品でしかない。かつて着装していただろう故人に対して、登場人物および観客の想像力は最後まで起動しない。今はどこにもいなくなった人間の物腰や言動を推理し、懐かしむための引き金とならず、どこまでも金銭的な価値を探られ、完全犯罪を瓦解させ得る証拠物件といった全く人情味を喪失した小道具へと貶められる。石井世界の腕時計の本質をそれとなく示唆する場面ではないか。

 タイトルに具体的な時間を挿し入れた【三十分の街】という作品は、ともすれば単純な時計や時間を主軸にする作品と思われてしまうが、実態はそうではないのだ。あくまでも駅という公共の構築物に設置された「大時計」の描写こそが重要なのである。腕にはまった「個人の時間」ではなく、誰ひとり持ち出すことが出来ず、粛々と時を刻み続ける「公の時間」がクローズアップされており、為すすべなく従うしかない、絶対に勝てない相手として「大時計」が君臨している。

 その面影は私たちの胸にひたひたと染み込んでいく。容易に洗い流せるものでなく、すぐに揮発するものでもない。深く浸透したその面貌(かお)は沈降する香りをじわじわっと蓄えて、登場人物と私たちの胸を知らず知らず圧迫する。



2020年7月18日土曜日

“運行図表(ダイヤグラム)”~石井隆の時空構成(4)~


 過日海外から客人を迎え、駆け足で町のあちこちを案内する機会を持った。その際の会話で印象に刻まれたのは、彼らが日本の鉄道に向ける驚嘆のまなざしであり、それを通じて拡大解釈された私たち日本に住まう者への礼賛の念の強さであった。

 緻密な運行図表(ダイヤグラム)に一分と違わず発着を繰り返す電車にひどく驚き、これを成し遂げる鉄道会社の社員たちを讃えるとともに、日本国民の繊細さ、生真面目さの発露ととらえては言葉を尽くし、目をきらきらと輝かせる。

 はたしてそうだろうか。彼ら鉄道員を私たちの代表と考えられると迷惑ではないにしろ、何だか妙な気持ちになる。ダイヤグラムを是が非でも守らせようとする威圧的な社風が醸成された結果、無理な速度調整をした運転士が現われて、遂には多くの死傷者を出した脱線事故に至ったことを私たちは記憶に深く刻んでいる。素晴らしい、世界に誇れるとべた誉めされても正直あまり嬉しいとは思わない。

 国民性や民族性といった言葉で何百万、何千万もいる孤別で多彩な人たちを一括りにして形容することの愚かしさ、危うさについて、歴史は雄弁に物語って絶えず警鐘を鳴らしている。私などは歴史なんかに無縁の存在で、名を残す働きなど何もせずに黙って墓に納まる役回りだけれど、先人たちが無念の涙を流しつつ足を踏み外した陥没穴に目を凝らし、上手にそれを避けて歩む義務のようなものは託されて在ると思っている。軽口はたたかないように自重し、また、相手の言葉も鵜呑みにはしない。

 珍客の話題はこれぐらいにして、今は何を言いたいかといえば、日本の鉄道と駅ぐらい時間に支配された存在はないという点だ。先述した臼井の「駅と街の造形」という本のなかに次のような文章がある。駅をめぐる森羅万象に骨の髄まで浸らせる、そんな鉄道マン人生を過ごした臼井ならではの言述だ。

「列車は時刻表に基づいて運行され、乗客は駅に装置された時計や運行案内板にしたがって行動する。駅を支配するものは誰でもなく実に時間であり、駅は時間の表徴(ひょうちょう)に満たされた空間といえる」(*1 111頁)

 駅を利用する私たちは大きな車輪付きの台に乗り込み、長距離移動にともなう肉体疲労を回避しようとしている。中には純粋に電車そのものを愛で、がたごと揺られることの愉悦を味わいたいが為にしげしげと通う趣味人もいるだろうが、大概は運賃を払って移動する目的である。気持ちを縛るのは距離や速さ、混み具合、目的地での過ごし方であって、駅と電車がどれほど正確に動いているかなんて意識しない。

 石井の初期の劇画【夜がまた来る】(1975)を振り返るとき、ついつい我々の目はおんなの肢体に行き、その暗い瞳を覗きつつ正体のまるでつかみ切れないことに苛立ち、ついでにその横で立ちすくんで狼狽しまくる哀れな若者の横顔を笑って、いやはやおんなは怖ろしいものでござるな、男など蜘蛛の巣にかかった蜉蝣(かげろう)みたいだな、と自嘲しつつ頁を閉じる次第なのだが、実はこの劇の肝になっている点は鉄路という完璧なダイヤグラムに劇が丸ごと乗っかっている点である。

 始発の電車に乗り込んだ男女を描いただけでなく、途中下車した男女が離れ離れになることなくプラットホームに居続け、まもなくやって来るはずの次の電車を待ってホームに無言でたたずむ風景は、時間というものに男女が支配されていて、その呪縛からは到底逃れられないという事を裏打ちしている。

 “日本の駅空間”に流れる時間は人の生理に特におかまいなく刻み続ける面からいって、まったく冷徹で容赦がなく、その分、人間なり恋情という物象が無常で儚いことを暗に伝えてくる。石井隆がそれに気付いて劇に盛り込んだのか、それとも往事の誰もがそう思い共振したものか。たぶん前者ではなかろうか。石井ほど訥々と、けれど徹底してドラマを思考する者はいない。

 石井はその後も“日本の駅空間”を支配している「時間」を劇中に採用し、読者の気持ちを揺さぶり続けた。石井にとって都会に生きる男女を描くことは、駅空間にまみれるという事でもあった。

 ここでさらに例として石井の劇画作品を上げれば、【三十分の街】(1977)が分かりやすい。街娼との束の間の交感を描いたこの小編は、駅の入口に掲げられた大時計のアップで始まり、同じくその針のツンと動いた瞬間を写実的に描いて幕を閉じている。肉体を丸ごと一定時間、ゆきずりの相手に差し出す娼婦とそれを買う男を描いたこの寸劇を、単なるひそやかな情事の擬似ドキュメントと読んで思考をあっさり止めてしまう読者がほとんどだろうが、込められた石井の思念はずっと深く、湿度も予想外に高い。

(*1):「駅と街の造形」臼井幸彦 交通新聞社 1998

2020年7月1日水曜日

“駅を呑み込む”~石井隆の時空構成(3)~


 平穏な景色が程なく変異して、回復不能な乖離へと至り往く石井隆の劇。日常と非日常、伝統的なモラルと情愛、その境界をあっさりと跨いでいき、時には生命の輪郭さえも曖昧になる。石井隆の劇における特殊な生死(しょうじ)すれすれの舞台につき、いまは「電車」や「駅」に絞って考えている。

 たとえば『ヌードの夜』(1993)を観ている最中、私たちは物語の展開に無我夢中となり、また演出の巧みさに乗せられて見逃しがちなのだが、中盤の電車の使い方などはよくよく考えるとかなり異様な、つまり、石井の劇でありがちな“不自然”な展開が認められる。まんまとだまされて殺人の濡れ衣を着せられた男(竹中直人)が、高層ホテルの客室から逃亡したおんな(余貴美子)を探し当てる。勤め先帰りのおんなを待ち受け、電車のなかで再会を果たすのだった。その手には死人を無理やり詰め込んだスーツケースを携えている。

 放り込まれたドライアイスがかろうじて腐敗を引き延ばしているにしても、同じ車両に居合わせたほかの乗客はその重たく忌まわしい遺体が直ぐそばに居合わせているのを露とも知らない。前代未聞の生と死の混在する空間を石井は笑いを誘うような役者の物腰と台詞でフィルムに定着させながら、その実は画集【死場処】(1973)と同列の危急の光景を淡淡と描写するのである。

 同じく道具立てに電車が選ばれた作品を引き合いに出せば、石井の初期の劇画【夜がまた来る】(1975)が適当と思われる。【死場処】とも製作年が近しい。石井は自作単行本を絶版とするのをこれまで常としたから、この【夜がまた来る】を実際に読んだ人は残念ながら限られるだろう。簡単な説明が必要と思われる。

 まず題名に関して言えば、後年撮られた夏川結衣主演の映画『夜がまた来る』(1994)と同じ字面であるのだが、両者を構成する要素にあからさまな共通項は見当たらない。石井はこれぞというタイトルを懐中で温め、歳月を経てから別の作品に冠することが度々ある。たとえば『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)の台本が「ヌードの夜」と当初呼ばれていたという話はよく知られるところだ。石井隆という特異な作家が、ゆったりと思考し堅実に前進を遂げる性格と窺い知れよう。

 個別の物語として観客は認識するものが、存外石井の中には題名を“くびき”と為して何がしかの切実な祈念なり共振するサイドストーリーを底流させることは往々として有ることだから、劇画【夜がまた来る】と映画『夜がまた来る』の間にはそんなひそやかな連結の意図が含まれるかもしれない。いや、実は大いにあり得ることで全く油断ならないのが石井隆という作り手の怖さなのだが、いったんこの題名の件は風呂敷を畳んでいずれの機会に譲ろう。

 劇画【夜がまた来る】にだけに焦点を合わせ直し、その内容を縮訳すれば次のようになる。高校の同窓会帰りの男ふたりが始発電車に乗り込む。夜通し乱痴気騒ぎをした訳でもなさそうで、強烈な睡魔に襲われ正体を無くす程ではないのだ。他愛もない会話がいつしか始まる。朝の冷気を裂いて走り出す電車の車両には、彼ら以外に乗客の姿はまるで無い。

 背広を着込んでいる男は既に社会で出たらしいが、もう一方は普段着のジャンバー姿でいささか童顔である。背広の男は相手の今の暮らしぶりを探ろうとするのだが、若者は世間慣れしておらず会話はいよいよ弾まない。非日常から日常に向けて電車はがたがたと進むなかで、それぞれを虚ろな喪失感、淡い屈託のようなものが包み始める。

 そんな列車が駅に停まるとひとりのコート姿のおんなが乗り込んでくる。あいかわらず他に乗客は見当たらず、密室に三人の男女が閉じ込められた形となる。悲鳴がして若者が見やれば、男がおんなに無理強いをしようと暴れている。加勢を求められた若者は成り行きで手伝ってしまう。

 背広の男は次の駅で降りてしまい、おんなと若者だけが残される。ここから劇は変調する。おんなはロングブーツの脚を巧みに使い、トラバサミさながら若者の下半身を捕獲して性交のつづきを強要するのである。若者はすっかり心身のコントロールを奪われ、おんなの肉体に埋没していく。事が済んで、視線を交わさぬままに無言の時間を手探っていくうち、いたたまれなくなった若者は逃亡を図ろうとする。次の駅に到着して発車のベルが鳴り響くのを聞きながら、このおんなとは金輪際会うまいと決めるのだった。無言のまま、のっそりとホームに降り立っていく。

 しばし意味もなく高架下なんかをうろついた後で、帰宅のために駅舎へと舞い戻る若者である。そもそも降車予定の駅はとっくに過ぎていたし、今日は日曜で仕事が休みだ。気を取り直して家路へと急ぐのだった。閑散としたプラットフォームに着いたところで目に飛び込んで来たのは、あのコート姿のおんなが何故か列車から下車しており、うつむきがちに佇立する姿なのである。足元の小石なんかを蹴っているが、男を待ち構える気配が濃厚に漂う。今やおんなの方が狩りをして男を玩ぶ時間なのである。若者の顔から血の気がさっと失せ、頬に冷や汗が流れ落ちるところで物語は幕を閉じる。

 石井隆の電車がいささか突飛な位置にあることが、この【夜がまた来る】からも読み取れる訳である。特に若者が駅構内に再度足を踏み入れ、そこにおんなを発見するところなどは極めて奇抜で印象に刻まれる。

 【夜がまた来る】に起きた男女間での立場の反転は、石井隆の世界と長く親しむ読者や観客には馴染み深いものだ。理不尽な男性優位社会にあって当初女性が性的に虐げられていくがその様相が突如反転していき、今度は女性側が底無しの生理機能と強靭な精神を存分に用いて男を完膚なきまでに組み伏せていく。この図式は承知の通り、石井作劇の心柱(しんばしら)となっている。

 虚勢を張るだけの空疎で弱い生き物に男は過ぎず、最終的におんなの敵ではないという【夜がまた来る】に穿たれたピリオドは、石井の他の劇画作品【埋葬の海】(1974)、【紫陽花の咲く頃】(1976)、【街の底で】(1976)、【おんなの顔】(1976)、【やめないで】(1976)、【墜ちていく】(1977)等と明らかに通底し、それぞれと深く共振していく。劇画と映画の境界を破って、『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)にも当然ながら繋がっていく。

 その意味で【夜がまた来る】を真摯に語るつもりならば、石井隆の劇を縦断するこの性差をめぐる不動の構図、飽くことなく反復される声明(しょうみょう)にも似た石井の一途な想いに手を伸ばして、これを覚悟持って飲み干し、その上で“人間”なり“社会”を語ることが正しい役回りと機会なのだと感じる。いずれ優れた評論家や研究者により石井が徹底して論じられる機会は訪れると信じているし、その際に性差をめぐるこの手のテーマは盛んに取り上げられるはずだ。

 この主題の前では電車という大道具は存在感を減じ、はっきり言って瑣末な事柄となる。どこまでも粘着してやれ電車だ、やれ駅だと騒いで言葉を継ぐのは石井が望む方角とはまるで違って野暮の極みかもしれない。少なくとも真っ当な作品論とは呼べないだろう。この世界で役立たない無駄な道程であると私だってそう思わなくはないのだが、まあ、一種の隙間産業である。外野席から声を枯らして応援するだけのベンチを温める順位にも入らぬ自分は、他人からは滑稽で阿呆な奴と言われてもこのまま可笑しな列車談義を続けよう。

 航空機、車両、列車といった公共の交通手段のなかでの扇情的な場面というのは古今東西の物語中に数限りなくあり、それ自体は珍しくない。何がひとをそのように駆り立て、どうしてそれが私たちの娯楽へと直結するのか、心理学の専門家でない自分には答えが出せない。吊り橋理論やタブーを侵犯することで人間の軸芯にある性がめらめらと発火する、そういう事は有りそうな気がするが確かな事は言えない。

 同じ時代に人生を歩みながら、それぞれに与えられる機会の数も物象も段差があって一律ではない。これを読むどこかの誰ぞは動く車両の旅客となる内に、それとも埃まみれのプラットフォームに降り立って、幸いにしてか不幸にしてか愛憎渦巻く局面に遭遇してしまい、今も魂にあざやかな痕跡を残しているかもしれないけれど、私にはそういう浮いた出来事は多く起こらなかったし、おそらくこのまま平凡な生を全うするに違いない。

 こんな年齢となっても情念の荒野が未開拓なままの自分が【夜がまた来る】に描かれた列車について、では一体なにをどう語れるかと言えば、ただただ石井が日本の鉄道車両を丹念に取材し、当時の表現に従えばゼロックスで運転席をのぞむ先頭車両の姿、客車内の誰もおらない座席群、ドアの外に広がる茫洋とした小さな駅の様相、高架下や階段といったものを熱心に転写しては紙面に組み込み、劇を編成してきたことへの言及となる。

 ロケを重視した映画的手順を導入し、「映画そのもの」を誌面に産み落とそうと石井は夢描いて孤軍奮闘した。そのなかで写真の多用が起きたことは周知の通りである。それがどうしたのよ、石井の劇画はそういうモノだろ、モノクロのざらざらした街路や木立やビルがひしめく世界だろ、何も特別なことはあるまいよ、いい加減にしろと憤懣覚える人もいるだろう。

 此処はきわめて大切なポイントであった。本来自由闊達にペンを走らせ、深宇宙での苛烈な王位争奪戦でも地中の恐竜王国でもケーキで出来た城での魔女からの脱出だって何だって描ける漫画の表現空間にあって、ひたすら現実風景を淡淡と取り入れていった行為は、石井隆という作家の針路を自ずと決めたところがある訳だし、そのほとんど変えることが無かった描法が物語の色度(しきど)の振れ幅を調整し、強固な「作風」を彼にもたらした点は特筆すべき出来事だろう。

 そうして、そのこだわりが遂に「電車」や「駅」を呑み込んで何が起きたかと言えば、石井隆の劇に「時間」の概念ががっちりと刻まれ、隅々にまで「時刻」が根を張って行ったのであり、この展開は石井世界を縦覧する上でも絶対に見逃せない関所ではないかと考えている。

2020年6月17日水曜日

“電車という背景”~石井隆の時空構成(2)~


 天空から不如帰(ほととぎす)が舞い降りて、けたたましく鳴きはじめた。車の往来もなく森閑とした住宅街に鳥の声のみ響き渡る。時計を手元に引き寄せてみれば、それも真夜中の午前3時24分である。

 まんじりともせず様子をうかがうが、なかなか鳴きやみそうにない。勘弁してくれと身悶えしつつ、その一方で憧れに似た気持ちが湧いてくる。夜気につつまれながらさぞ当人は気持ち良かろう。本能おもむくままにさえずり、遠慮のかけらもない朗朗たる雄叫びである。それに引き換え、我らの萎縮した日常はどうであろう。人の口元を調べ、紙や布の遮蔽物の奥で言葉を呑み込みながら、ひどく声量を抑えて暮らしている。

 鳥は東に移り、やがて南へと羽ばたき、さらにこれを忙しく繰り返しながらキョッキョッキョキョキョキョと豪快に鳴いている。さすがに物狂おしい気分に襲われる。うるさい奴、あたりは死んだように静かじゃないか。そんなに鳴いても同胞が返事をかえす気配もないのに何を独りいきんで叫ぶのか。

 それが先日の明け方だった。考えてみれば私とて彼奴の同類かもしれぬ。ウェブ空間に時折ひきこもって、好きな作家のことだけ思考して溜飲をさげている。深夜の孤鳥の忍音(しのびね)とそう変わらない。誰もこんな穿鑿(せんさく)など顧みるものはなくなった。新型ウイルスが無差別に街を呑み込んでいる時、映画や劇画内で詩情を誘う駅も鉄道もあったものではない。人々は明日の命がわからないのだ。

 愚痴を言っても詮無いから、先日のつづきを狂ったようにさえずってみる。「鉄路とプラットフォームをめぐって石井の内部に持続する一定の想いがある」と書いたが、これまで石井のインタビュウや単行本のあとがき等に鉄道に淫している旨を打ち明けるくだりはいっさい見当たらないから、これはあくまでも主観に基づくふわふわした思い込みでしかないし、そもそも石井隆を鉄道愛好の士であるとは最初から考えていない。操車場、プラットフォーム、改札口などが過去の劇画や映画作品に点描されるのだが、いずれもその描写は他の物象、たとえば商店街のさびれた店頭風景、たとえば冬枯れのすさんだ野原、たとえば水滴を蛇口からこぼす台所の流しなんかと同じ目線でしか捉えられていない。ここで言う持続する一定の想いとは、鉄道という物体そのものへの過熱した執着を指すものではない。

 ならば具体的に何を言うかと自問してみるが、どうも上手い言葉が導かれずに足踏み状態になってしまう。一向に筆が進まないから降参し、映画や小説と鉄道がどう関わってきたか、ふたりの識者の書籍を読み耽って頭の整理を始めた。選んだのは川本三郎(かわもとさぶろう)の「小説を、映画を、鉄道が走る」(*1)であり、臼井幸彦(うすいゆきひこ)の「駅と街の造形」、「シネマの名匠と旅する「駅」 映画の中の駅と鉄道を見る」、「シネマと鉄道」の計4冊である。(*2,*3,*4)

 一読して最初に感じたのは、同じ事象を目の前にして見方がここまで違っていくか、というシンプルな驚きであった。評論家、翻訳家の川本は1944年7月生まれであり、一方、大学卒業後は一貫して鉄道業界で生きてきた臼井もやはり1944年に生まれている。世代的にぴたり並んでいる両者が同じ映画を観てこうも違った反応を示すのが実に面白く、人間とは実に多彩な生き物だと改めて感心する。

 石井隆は彼らから少し遅れて1946年に生まれている。石井のなかにどんな色彩の鉄路が広がっているか、同世代のふたりの感想を読み込めば何かつかめる気が当初はしていたのだけれど、そんな単純な話ではないなと早々に諦める。ではまるで無駄足だったかと言えば読書自体は十分に面白く、また、さすが何冊も上梓している文筆家だけあって示唆に富む箇所がいくつも飛び出して楽しかった。いささか脱線気味であるが川本、臼井の記述で印象深い箇所をここで抜き出してみる。

 川本は野村芳太郎の『張込み』(1958)を引いて「夜行列車の旅は楽ではない」(*1 10頁)、「格差を身体で感じている人間には、夜行列車の旅情など思うゆとりはない。むしろ満員の車内に嫌悪感を覚える」(*1 30頁)と続けていく。また幾つかの日本映画を並べながら、「汽車には、近代日本を支えてきた交通機関でなければ表現出来ない日本の庶民の悲しさ、切なさが確かにある。それは高度経済成長以後の豊かな社会の乗り物といっていい飛行機や新幹線ではあらわせない」(*1 311頁)、「あの時代、多くの出征兵士が汽車に乗って戦地へと送られていったのだから、汽車は兵士たちの悲しみも運んでいる。戦争の記憶を刻みつけている。戦争の記憶を持たない飛行機や新幹線とそこが大きく違う。汽車が去る場面がいま見ても悲しいのは、戦争の記憶のためといってもいい」(*1 313頁)と綴っている。

 つらい現実からの一時の退避を庶民に約束する役回りの映画や小説に対し、川本は真っ向からその責務を拒絶する勢いで歴史に刻まれた切実な実景へと立ち戻る。「煤煙(ばいえん)の苦しみ」、「奉公」、「集団就職」といった単語が数珠つなぎとなって押し寄せ、映画のフィルムのコマごとに現実世界の哀しみを透かし見るべく読者にも強いてくる。実際それだけの重い風景を川本は間近にしながら育っていて、生々しい記憶の数々が苛烈な刺青となって彼を丸呑みして離さないのだ。肉体の痛苦と離別の愛惜が瞬く間に体内から浮上し、銀幕にハレーションをにじませるのである。

 私見となるが石井の劇を鳥瞰しつづけて得たひとつの感懐として、ここまで物語と現実の記憶が過酷に癒着する二重構造を石井世界は持たない。どちらかといえば次に並べる臼井の文調と石井の劇は線を結ぶように思われた。

 臼井は川本と同じく野村芳太郎の複数の作品を引いた上で、「駅の映像から始まる主人公の列車による移動を、単に移動の行為とするだけでなく、主人公が移動している「場」を感情としてとらえようとしている」(*3 188頁)と書いている。ここには長距離移動につき纏う肉体と精神の忍苦は影もかたちも消え失せ、替わってドラマに渦巻く感情がより大きく育って客車内部に充満している。石井隆の作劇上の「物」の捉え方の一端には、これに似た感情の寄り添いや思念の膨張が見受けられる。

 臼井が成瀬巳喜男の『乱れる』(1964)を引けば、「列車の座席という不思議な孤立空間に演出された無言のシーンは、二人が伝統的なモラルを越えて、互いの情愛を求める男と女に変容したことを暗示している」(*3 174頁)と書くのだったし、リーンの『旅情』(1955 )等の恋愛映画に触れれば、まず、「駅の空間は街の中の「ケ」の部分を濃密に引きずっている」(*2 5頁)、「駅に集散する人々の希望と失意、喜びと悲しみ、出会いと別れといった相対立し矛盾する思いが同時に交錯し、込められている」(*2 5頁)、だからこそ「駅では観客の心の襞に触れる憂いを帯びた表情を持つ人物が似合う」(*2 5頁)と解析してみせる。駅という空間が境界線上にゆらめく幻影城だと捉え、そこに人びとの屈託がとぐろを巻いてうねっていると捉えている。

 その上でつまりは「日常と非日常を繋ぐインターフェイスとして」(*3 131頁) 駅という特殊な場処があると畳み掛け、「これらの映画は、非日常の情事に溺れかけるが、結局は日常の生活にかろうじて戻っていく女性心理を巧みに描いている」(*3 131頁)と還して、駅や鉄道と情動が左右の車輪となって物語を前進させていると説くのである。この辺の文脈は石井隆の劇と通底するものが感じられる。

 石井の創作空間において鉄道が描かれるとき、それは初期の画集「死場処」(1973)からして既にそうなのだが、電車の内装も乗り合わせた乗客も普通の面立ちでありながら妙に不安を煽るところがある。おんなはバッグ片手にのっそりと立っていて、絵のなかで軸心となっているがゆえに密度ある存在感が与えられているのだけれど、そのたたずまいが最初からさりげなく不穏、剣呑であって、微妙に非日常を香らせている。

 「死場処」に収められた数葉の絵についてこれまで詳しく解題してみせた評論家はおらず、発行部数も少ないこともあって、ここで言葉を尽くして語ってみたところで大多数はさっぱり腑に落ちないはずである。いまはその書籍の輪郭についてさらっと語るにとどめなくてはなるまい。上の臼井の表現を借りれば、「日常と非日常を繋ぐ境界面」としての「場処」が描かれている。「日常と非日常」に加えて綱引きされるのが「伝統的なモラルと情愛」であろう。

 けれど承知の通り、石井の恋情劇は「結局は日常の生活にかろうじて戻っていく」という曖昧な収束で幕をおろさずに突き破ってしまう。そこでは「生と死を繋ぐ境界面」が執拗に描かれ、息をする者と息絶えた者が往還したり混在する段階にまで容易に達してしまう。ここでの背景画は人物を際立たせる添え物ではない。どこもかしこも「死場処」となり得るよね、貴方が今立ったり座ったりする場処だって随分と怪しいところだよ、そういう見えない渦に巻かれているのが人間だよね、実際そうだろ、そういうもんだろ、と囁きつづけるのである。

 石井の画集「死場処」に含まれる電車の場景や草むらにたたずむおんなというのは、人によっては帰還可能な日常が点描され、前後して挿まれた死者の絵とは水と油のように分離して見えるかもしれないが、あれ等は総て後戻り出来ない局面ばかりが描かれている。その切迫感を受け止めることが石井作品と真向かう上での要(かなめ)となる。 

(*1):「小説を、映画を、鉄道が走る」 川本三郎 集英社文庫 2014
(*2):「駅と街の造形」臼井幸彦 交通新聞社 1998
(*3):「シネマの名匠と旅する「駅」 映画の中の駅と鉄道を見る」  臼井幸彦 交通新聞社 2009
(*4):「シネマと鉄道」 臼井幸彦 近代映画社 2012

2020年5月10日日曜日

“鉄路から想うこと”~石井隆の時空構成(1)~


 このところ嫌な夢を立て続けに見るのは、たぶんテレビジョンや新聞で険しい話ばかりを押しつけられるせいだ。厄介な重石を抱かされた上に密閉容器にぎゅうぎゅうに押し込まれる、かくも長くこんな毎日を続けては誰だって大なり小なり変になろう。少し前までは連日仕事の夢が続いて、さすがに頭も身体も妙な塩梅となった。

 それでも自分はまだ眠れているだけ幸せと思う。鳩尾(みぞおち)付近で鎮まっていたものが立ち上がり、夜な夜な手を引かれて見知らぬ城下町へといざなわれる、そんな程度の内容であって、ずいぶんと呑気坊主で恵まれている。現在の騒動の渦中にあっては、まんじりともせずに夜を過ごす人がたくさんいるはず。大変な世の中になったものだ。

 夢は未編集の映画みたいで、慣れ親しんだ日常へと帰還していく事をいっこうに妨げない。どんなに酷い内容で目覚めがつらくても、やがて首のうらあたりで悲壮も恍惚もとろとろに溶けていく。私とすれば眉をしかめつつ洗面台の鏡と向き合い、あかんべえして舌を磨いたり髪を撫でつけたりの身支度をしながら、未練たらたら、もぐもぐと反芻をするぐらいの至って気楽な毎朝だ。

 石畳の細道に面した古い門を潜って玄関に至る、日本料亭の湿った質感をそなえた構え。その奥、狭く急な階段やうねうねとした廊下をさまよい、障子戸越しに見え隠れする布張りの椅子や沈重な顔付きの黒漆(こくしつ)の机をただ黙って眺めている、そんな場景が目玉の裏側に点々と粘りついて来る。あんなに歩きながら誰とも行き当たらないのは妙なことだ、不思議な柄と色の壁紙だった、あれはいったい何処かしらなんて他愛なく考える。今朝はそんな静かな景色に連なり、珍しく駅のプラットフォームを歩む様子が繋がっていた。

 山田洋次の喜劇か山田太一のホームドラマに触発された気配がどうやら濃厚であるけれど、それ程大きな駅ではないようだった。身体と心がそろって気軽な外出や小旅行を欲しているのだな、そりゃそうであろう。やはり本編前に流れた映画予告編みたいに受け止めて了解し、そこで振り返るのはもうお終いとした。

 芸術家ならまだしも、凡人である市井のわたしが涯ての見えない夢と四つに組んで格闘したところで得るものはたぶん何もない。気持ちを切り換えて、それからはひとしきり石井隆の劇中に現われる鉄路やプラットフォームについて考えた。精神衛生上、その方がはるかに健全と思われる。

 今どきの若い男女はどう捉えるものか知らないが、ある程度の年齢以上の人にとって鉄道とプラットフォームは恋愛における王道であり聖域であり、出逢いと別れを象徴する装置となってそれぞれの人生観において君臨しつづける。もちろん人によっては駅ではなく、もしかしたら空港の待合室で何度か涙にむせんだかもしれないし、もしかしたら幹線道路脇のドライヴインや燃料スタンドに鮮明な記憶を刻んだ人がいるのだろうが、多くの人にとって魂の拠り所は何と言っても鉄路ではなかろうか。

 それ程の堅牢かつ寛容な器であるところの駅や列車という仕組みは、だから映画と相性が良いのは当然である。これまで『旅情』(1955)や『男と女』(1966)、『逢いびき』(1974)といった無数の人情劇で涙を誘い、圧倒する名場面を裏から支えてきた。まとまった直線移動を可能としフィルムにとてつもない躍動感をもたらし、茫洋としてゴールの見えぬ消失点へとまなざしを導き、見る者の情動をいくども後押しする。

 石井の劇画や映画でも鉄道車両や駅が登用されており、たとえば『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)の幾つかの場面はいまだに生き生きと胸に刺さる。レール酸っぱい粉塵と機械油の粗い粒子がプラットフォームでのたうつ中、そこに混じって薄っすらしたおんなの香水が艶やかに明滅する。官能の芳香が鼻腔のとば口に幻嗅されて、観る者の胸をひとしきり騒がせるのだが、駅の構造物や列車の登用それ自体は決して珍しいものではなく至極一般的な道具立てに過ぎない。

 自動車ではなく鉄道に依存した日常を送る人物なのだ、そういう一生なのだ。造形にこだわり、彼らの暮らしと人格に肉薄する目的から、そして物語を前へ前へと回す必要から、また絵的にも好ましく思われて、プラットフォームを踏みしめるおんなの姿態がたまたま両作で登用されたに過ぎない。そう解釈するのが自然だし、それで一向に構わないだろう。

 ただ、石井隆の世界を拡大鏡で覗き、加えて鳥瞰して眺めることを長く重ねるうちに、事はそう単純ではないと感じられるようになった。鉄路とプラットフォームをめぐって石井の内部に持続する一定の想いがあり、その発展と収縮を飽くことなく行なって来た実験的な創作の経緯を実感する。駅や鉄道車両といった場景ひとつひとつの裏側に、石井のまなざしが確かに息づいている。

 作り手がそっと注ぎ込んだ真意を探り出し、よく汲まなければ十分に消化し切れない箇所が石井の劇世界には点々と横たわる。人知れず行なわれたその試行がやがて更なる時空の発展を呼び寄せて、「石井世界」の軸芯へと太くたくましく育っていった過程を夢想している。

(*1):『旅情』 Summertime 1955 監督デヴィッド・リーン 
(*2):『男と女』 Un homme et une femme 1966 監督クロード・ルルーシュ
(*3):『逢いびき』 Brief Encounter 1974 監督アラン・ブリッジス