2018年5月21日月曜日

“兵(つはもの)”


 愛していれば何を言っても、何を書いても許される、ということではない。妄想ぐらいならよいだろうが暴想になってはいただけない。そのように友人に諭されて、穴があったら入りたい気持ちでいる。

 自戒の念を刻むつもりで再度記せば、この場に書いた内容には石井隆の作品と石井自身を大きく傷付けかねない「暴言」が含まれる。先述の振り向く、身体をひねるというありがちな動作を写し取った赤木圭一郎ほか日活無国籍アクションのスチルと漫画家つげ義春の作品とを各々石井の創作に結びつけたのは乱暴が過ぎたと反省するし、振り返れば『死んでもいい』(1992)と同名タイトルの映画でアンソニー・パーキンスが出ていた『死んでもいい Phaedra』(1962)とを安易にヒモ付けしたのも醜悪な放言だった。ベルイマンの『狼の時刻 Vargtimmen』(1968)と石井劇画の森を癒着させたのも安直だったように思う。石井が読んだらさぞかし哀しみ、怒りに震えることの連続じゃあるまいか。それを想像すると胸が苦しい感じになっていく。

 割合と石井の劇画や映画を観てきた方だと思っているが、それなのにこんなに沢山の失敗を犯してしまう。恋は盲目という喩えがここで正しいかどうか分からないけど、いつになっても本当のところを見切れない、まともな事が書けない。石井世界の美しさ、儚さ、烈しさを讃えるつもりが、かえって足を引っ張っているところがある。

 情報が削られると人は想像をめぐらせ無理矢理に物語を補完しようとする傾向がある。妄想はぐんぐんと膨らみ、あっという間に脳裏に映像と音声が次から次ぎと立ちあがって満杯になってしまう。時にひとを厄介な袋小路へと追い詰める。

 出版という桧舞台で作品論、作家論を闘わせていた往年の評論家にしたって人間である以上、時に筆禍に叩きのめされ、暗澹たる思いで机に俯(うつぶ)す夜もあったろう。強靭な劇画愛、映画愛がなければ多分立ち直れなかった。言われる作家も言う論者も兵(つはもの)でなければ到底務まらなかった。頑丈な弾機(ばね)が無ければ、たちまち胃に穴が開き、頭の血管は破れただろう。評論とか感想というのは本来そのぐらいも厳しいものだった。

 それと比べたらどうしようもない甘ちゃんだと思う。この場の即時的な機能に助けられ、こうして弁解や訂正の頁を与えられているだけ救われるところがあるけれど、粗忽で無遠慮な自分がつくづく情けない、創り手に申し訳ない。

2018年5月13日日曜日

“絵馬を探して”



 所用で遠出する際は、近在の寺社や遺跡の場処を下調べしておいて時間調整に利用する。靴を汚さぬよう、転んで尻餅をつかぬように気は遣うけれど、緑深い参道を歩くと精気を分けてもらえて緊張がほぐれる。霊験あらたかな古刹(こさつ)じゃなく、人がほとんど立ち寄らないところの方が好い。なるたけ保存の手が加わっておらず、古びる一方の物だとなお嬉しい。

 過日訪れた丘の上の社(やしろ)も、だから人気がなく、へびやハチもまだ活動しておらず、まったくの独り占め状態だった。辺りには白い野生の辛夷(こぶし)が群生していて、肉厚のたっぷりした花びらがいかにも爛熟した装いとなっている。こんなに大振りの花だったろうか。そうか、急斜面を登っていく途中に点々と生えているから、枝先や花が思いがけず目の前に迫るのだ。抑えきれない淫靡さをにじませ、開花の際にぱっこりぱこりという乾いた音でも出すのじゃなかろうかなんて余計な想像をさせる大きさだった。

 建屋の内壁には江戸から明治に掲げられた絵馬が並んでおり、素朴な筆致や構図に見惚れた。半畳ぐらいの裁縫図絵馬が二枚並んでいて、華やいだ空気を放っている。裁縫図絵馬はこの辺りの寺社ではよく見かける物だ。ささやかな願いの成就を求めて古来よりひとは絵馬を掲げてきたけれど、昔はどの家庭も地味な暮らしをしていたから自ずと祈りの質にも量にも上限があったように思う。今なら趣味や習い事が星のごとくあるが、往時の女性は裁縫教室に通うぐらいしか選択肢はなかったし、ほかに知的好奇心や欲望を充足させる場処や職業が見当たらなかった。裁縫の上達を神仏に祈るという現在ではとても考えられぬ慎ましい願いが、漁り火みたいにちらちらと寄り添って描かれていた。

 プリント倶楽部も自撮りして世間に知らしめるソーシャルネットワークサービスも無い時代である。それどころか人生のうちに写真に撮られる機会が何度もはめぐって来ない、そんな人生が大概だった。目鼻立ちを詳細に写し取られたものでない、どちらかといえば型にはめられ単純化された描線ではあっても、自分が極彩色で大画面の板絵のなかに取り込まれることは眩(まばゆ)い快感があって身体の芯を明々と貫いたことだろう。衆人の視線を集めて、どうにも火照って仕方なかったのじゃあるまいか。

 それにしても実在した人物をモデルとした絵馬を面前にすると、淋しいというか、湿った土くれを触っている瞬間にも似た丸みのある諦観に胸を満たされる。かれらは一人残らずこの世から消えてしまい、絵馬のなかの微笑みだけが残響のように在りつづける。肉体的苦痛や慙愧にさいなまれた顔ではなく、一所懸命に、しかし端然として、わずかに微笑んだだけの穏やかな顔貌がこの世に焼付けられている。ある意味で生の理想像かもしれないな、こんな風に生き切ることが出来たならどんなに素敵だろうな、と彼女らにならってちょっとだけ口角を上げてみたりする。

 午後の陽射しが飛び込み、反射して明るくなった堂内の壁に裁縫図のおんなたちが浮き上がるのとちょうど向き合うようにして、薄墨の影のなかに一枚の小ぶりの絵馬が視止められ、今度はそちらの顔立ちに好奇心がからめ取られる。黒い額の中に一組の人物が向き合うように描かれているのだが、その顔がどちらも白く染まっている、と言うより溶けている。白絵具だけが経年により変質し、じんわりと流れ落ちて表情を奪うということがあるものだろうか。ドリアングレイじゃあるまいし、一体これはどうした現象だろう。

 醜いといえば醜い様相ながら不思議と清らかなものを感じる。フォーヴィスムの画家の作品に磔刑されたキリストを描いたものがあって、それが思い出された。宗教画のモティーフとしてはありきたりであるし、この画家も似た構図のものを大量生産しているのだけれど、私が目にした磔刑図は中央の聖者だけでなく、両側に控えて見上げたり深くうなだれる者たちも顔の部分が絵具でべったり覆われていて表情が読み取れない。未完成品という話もあるが三人揃って表情が失われた分、なにか理性の枠を越えた凄みというか奥行き、陰影がそなわって瞳を捕らえて離さない。あの西洋画とこの絵馬には同等の妖しさと聖域を主張する力がそなわっている。(*1)

 背伸びして再度絵馬に目を凝らせば、左側に立つのは若い婦人であり、着物の胸をはだけて乳房をむき出しにし、さらに手を添えて相手の顔に尖った乳首を差し出しているではないか。先にある人物の顔がやはり白く溶けているのだけど、なんだかおびただしい射乳によって顔面がすっかり濡れたように見えてきて、いけない物を垣間見てしまったような、後ろめたさと昂揚が同居する妙な気持ちの具合に今度はなった。

 出産して間もない女性と交わり、とろとろと生温かい乳にまみれた時間を過ごした体験もなければ願望も私のなかにはなく、想像するだけで頭が混乱して整理がつかなくなるのだけど、世の中には性交渉で重ね合わせる胸板をだらだらに濡らしながら相手と溶け合いたいと恋うる人もいるだろう。そんな奴はこの世にいない、いたら異常者だと貴方は笑うだろうか。
 
 酒宴に招かれて末席に座ることが誰でもあると思うが、酒量が増すとともにいつしか人はそろって陽気になり、他人の性的嗜好を酒の肴にするようになる。異端とか変態とかの言葉で断罪する人が出てくるが、あれは聞いていてちょっと苦しい気分になる。視野狭窄もよいところであって、自身の嗜好だけを正常と捉えているところがやや偏頗(けんぱ)と感じる。人間の性愛には一定の形はなく、無限の嗜好がある。互いのそれが合致したカップルには至高の時間が、不一致の彼らには苦悩が待ち受けるというだけの事だろう。乳を浴びるなり口に含むことで束の間の充実を得る恋人たちが世にいても、それは一向に構わないし、かえって人間らしい姿のようで微笑ましいと私は思う。そもそもが性愛とは一種の融合現象だから、お湯や汗と親和性がある。不思議なことではないだろう。

 つまり私は社に佇んでこの絵馬に聖的な雰囲気と性的なイメージを同時に連想し、脳裏にさまざまな妄想を描いて過ごしたのだった。もしかしたら絵馬内の射乳は快楽図でなんでもなくって、目にごみが入って難渋している旅人の救済を描いたのかもしれない。けれど、いずれにしても身体の一部を提供する女性の健気さと奇蹟を覗き見したような感覚があって面白く、小さなこの神社に足を運んで本当に良かったと思う。

 さて、謎を謎のままにしておくのも気持ちが悪いので今頃になって入念に調べてみれば、この絵馬は著名な中国の説話集「二十四孝(にじゅうしこう)」のひとつ、「唐夫人(とうふじん)」を描いたものと分かった。年老いて歯を失い十分に栄養を摂ることが出来なくなった姑のため、嫁が自分の乳を与えてその存命を図ったという故事である。なるほど言われてみれば乳房を与えられている側は細い肩で女性の骨格であり、また、背後には無邪気に笑う幼児も描かれている。

 偉そうに何が性的嗜好、何が親和性か。若い母親と老女をめぐる自宅介護の話なのだった。私の完全な勘違いであり、無茶苦茶恥ずかしい。まったくおまえは救いようがないね、軽率なところを丸出しにして末代まで恥を晒すことになるんじゃないのと笑われそうだけど、そんな自分の幼稚な早とちりを開陳してもなんでも記憶を書き留めておこうと考えた次第である。

 誰かに話してみたくもなったのだ。あの絵馬は聖なるものと卑俗なるものが同居して見え、あえかだけど忘れられない発光があった。

(*1):ジョルジュ・ルオー Georges Rouault 「十字架上のキリスト」 1935年頃
パナソニック汐留ミュージアム 所蔵



2018年5月4日金曜日

“重力にあらがうこと”(14)~雨のエトランゼ~


 石井隆の【雨のエトランゼ】(1979)の終幕部分について延々と書いて来たが、推測に頼ってばかりだし、自分でもさすがに脱線気味と分かる。いい加減そろそろ締めなければいけない。

 前に紹介したように【雨のエトランゼ】の完全版を収めた単行本の末尾には、墨入れ前の下書きであったり、厖大な数の反古原稿が付録として載せられている。そのこだわり方は単なる修正の域を越えていて、よく漫画家にありがちな、たとえば手塚治虫なんかがホワイトを使ったり小さな紙を上に貼り足しておこなう手直しとは様相が違う。

 天邪鬼の私は最初のうち瑣末なところばかりが目に付いてしまい、邪推をくり返していた。たとえば反古原稿には落下する名美の足首に靴のひもが巻き付いてみえる事から、誠実な石井は後になって屋上の光景に思いをめぐらし、高い金網を越えるときに靴は脱がなければいけない、名美は素足でなければならない、と思い至ったに違いない、うひひひ、きっと慌てたろうなあ、なんて考える。短絡過ぎるよね。それが本当なら、単行本化にあたり石井は白線一本を加えるだけで済んだのだ。あそこまで石井を駆り立て、足踏みをさせたものは一体全体何だったのだろう。

 過日、宮城県の塩竃(しおがま)という町を訪ね、改築されて間もない公共施設を見学した。昭和25年建造の公民館に手を入れたもので、肌に馴染むうつくしい建築だった。二階の一角が当地ゆかりの杉村惇(すぎむらじゅん)という画家の美術館になっており、時間もあったので少しだけ回遊した。その画家のことは知らずにいたが、歳月をかけて何層にも重ね塗られた油絵具には色彩の優しさと同時に幽鬼めいた執着も感じられ、予想外の凄みがあった。

 額と額の隙間に貼られた複数の説明パネルのなかに画家のエッセイの一部が刷られており、読んでいるうちに低く呻いた。例によって病気が起きた訳である。石井隆を直ぐに想起した。

「具象の仕事では、モデルを使えば、描きたい時に向こうが都合が悪かったり、風景も亦、天候に左右されてイライラしたりするが、その点、静物は朝でも夜中でもジックリと腰を据えて、対象の核心と対決し得る強味がある。」(*1)

 「静物」という言葉が目にまぶしかった。杉村は静物画をライフワークとし、古いランプや雛人形、和箪笥や漁具を好んで題材にしていた。ひと言ごとに芯がある。彼の別の言葉が欲しくなって小冊子を買い求めて読んだ。以下の箇所に引力を覚えたが、なんだか石井に言われているような感じになっていく。

「物の中から押し出してくる自然の力、生命力、強い存在感を追求せよということです。表面を緻密(ちみつ)に描いただけでは本当の美は分からない。セザンヌにせよシャルダンにせよ、大家の作品には、単なる写実を超えた、底光りするものがありますね。私はそういう力を描き留めたいんです。そうして追求していくと、作品に画家が表れる。文も人なりというが、絵にも作者の人格や精神が出てくる。」(*2)

 石井隆という存在は劇画家、脚本家、映画監督として知られているが、もしかしたら本質は画家に近しいのではないかとふと思う。劇画製作の手法の具体的なところを口にすることはないが、台本に近しいものを書いた後に綿密な取材撮影を行ない、それを基にした紙面レイアウトを組み立て、いよいよ線描に入ることは誰にでも想像が付く。その工程で石井の魂に起きるものがどんなものであるかを想像すると、これは「静物」に向き合う画家そのものではなかったろうか。写真という媒体を挟んで、人間含めた静物としての景色を手に入れ、押し出してくる力、生命力、強い存在感を追求していく。

 「静物学者」の異名をとる杉村の描いては消し、塗っては消しを重ねて、物によっては5㎝以上も堆積した魂の軌跡を目のふちに蘇えらせ、あわせて【雨のエトランゼ】で描き直しを決めた大量の反古原稿を置くと、両者の間に共通の暗香がある。静止画の奥に事物の核心を描くことをほんとうに石井が本分とするのであれば、【雨のエトランゼ】のラストシークエンスに込められた願いはより密度を増すように思う。おのれの生命を削って筆を尽くせば死線を跨ぐ架橋となり、生命の絶たれようとする者を支配する重力と時間を堰き止め、逆に歳月を越えて永く生かすことも可能となるのではないか。まさに死に行く姿でありながら、実は生き続けるおんなを描いていたというのは、救済を劇の基本とする石井隆にしっくり来てきれいに胸におさまる話だ。

 石井劇画のコマのひとつひとつは完成度があり、その単体を取り出しても味わい深い。映画撮影時に入念に準備され、モニターに定着されていく光量と色彩のあれ程の豊かさがあるのも、そのように考えれば自然であるし、歓びや愉しみがかえって増すところがある。

(*1):塩竈市公民館本町分室・塩竈市杉村惇美術館 展示パネルより 
(*2):「黒への収束」 杉村惇 河北新報総合サービス 1994 16頁

“重力にあらがうこと”(13)~雨のエトランゼ~


 漫画を読むという体験において、読み手のそれぞれに固有の時間流が発生していると説いた三輪健太朗の「マンガと映画 コマと時間の理論」。この論文の起爆剤になったのが加藤幹郎(かとうみきろう)の「愛の時間 いかにして漫画は一般的討議を拒絶するか」という一文だった。正確に言えばその中の「島村ジョーの墜落」と題された一節である。

 島村ジョーとは少年漫画【サイボーグ009】(1964-1992未完)の主人公であるが、物語の冒頭から間もない第5部「009誕生」内の描写に加藤は目を瞠(みは)り、恋文めいた柔らかな口調で漫画という表現手段の秘密に迫っている。黒い幽霊と称する結社に拉致され半人半機械に改造されたジョーは、深い眠りから覚醒した途端に荒々しい性能試験にさらされる。巨大ロボットによる鉄拳と銃撃、戦車による砲撃が続き、その後、急襲したジェット機に激突されそうになるのだったが、すんでのところで機体に取り付くことが出来たのだった。ジェット機は上昇と下降をめまぐるしく重ねた後に、海原にむけて一直線に落ちていく。

 作者の石森章太郎(いしもりしょうたろう 後に石ノ森に改名)はここで一頁をまるまる使って墜落していく飛行機を描いたのだが、一切の擬音を添えずに静謐な空間を演出してみせた。直前までジェット機はグワーァッ、ゴォーッ、グイーン、キーン、ギュアーッと轟音を発し続け、急転回におののいたジョーも「わああ」と大声で絶叫していたから、それら騒音の密集から一瞬後に示されたこの無音空間は劇的効果が充溢して、当時の若い読者のこころを多いに揺さぶったものと思われる。

 加藤はこの「もっとも美しい場面のひとつ」について、次のように綴っている。少し長くなるが書き写してみよう。既に勘付いた人もいるだろうが、わたしはこの加藤の言葉を読み進めながら石井の【雨のエトランゼ】(1979)をあざやかに想起し、同様の「愛の時間」が作動していることに気付いた。

「さながら蜃気楼のように、ジェット機は不動のまま落下をつづける。その落下をささえる白い大気と真下にひろがる海の広大さが、このコマに叙情的緊張感と構造的客観性をあたえている。」「このひとコマを満たす無時間性あるいは超時間性にわたしは愕然とする。そのジェット機はわたしが次の頁をめくるまで永遠に落下しつづける。この画面は静止している(ここには運動をあらわす線も、墜落にともなう効果音も描きこまれていない)。そして凛とした静寂があたりをつつみこんでいる。」(*1)

「しかし、これは映画のストップモーションとはまったく異質である。おそるべき速度で墜落するジェット機をとらえた画面ではあるが、これは切断された時間の一片をしめすものではない。ここで運動は静止しているわけではない。つまりこのジェット機は(わたしがこのコマを凝視しつづけるかぎりにおいて)無限に永遠に落下しつづけるのだ。が、この下降運動に終わりがないわけではない。わたしがこのコマを見つめることをやめて次の頁をひらけばそれは終わる。このジェット機は、背景にひろがる蒼空=余白のなかで一瞬、宙吊りになっているのでは断じてない。矛盾をおしていえば、それは落下しつづける静止状態なのである。」(*2)

「この墜落・落下はわたしの視線とともに持続する。島村ジョーをのせたジェット機はわたしの視線によってわたしの視線とともに落下をつづける。ここに充実した時間の経験がある。」「そもそも時間とは、そしてとりわけ愛の時間とは、いつもなにか他のものを介して、そしてそれとともに語られるしかない。時間をただそれだけでそれ自体として語ろうとすることはなにかしらおろかしいことのようにおもえる。時間について考えることは、そのまま時間と同義であるような漫画について語ることである。漫画を語ることが時間の愛と愛の時間を語ることなのである。」「ジョーの墜落は漫画史にあってまったく画期的なものだった。石森章太郎はこのひとコマによって、漫画がいかに時間のために、時間とともに存在するかをしめしたのである。」(*3)

 数多くの漫画のコマを目で追いながら作者と読み手の間に張られた糸状のものを漠然と感じていたが、何と言葉で表現してよいか分からずにいた。「愛の時間」とはかなり豪胆な表現ではあるが、聞かされて数分後にはもう過剰とは全然思わない。しきりに頷かされてならなかった。私たちはさながら愛するひとのように漫画を見つめ、追いかけ、熱いまなざしを注いで撫で回してきたのだ。「愛の時間」の生成は漫画を論じた文章なかで屈指の指摘となっている。

 さて、ジョーがしがみついたまま海原に落下した飛行機はどうなったかと言えば、波しぶきを上げて海底まで突き進み、機首をブスと砂利に突き刺したあとで横転する。ジョーは水中でも生存可能であり、暗視能力をそなえた目で前後を見渡した後で海上へと浮上するのだった。永遠に続くかと思われた落下は終息して、ジョーはそれから死ねない身体として生き続けることになる。

 対して石井の【雨のエトランゼ】はどうかといえば、まさしく「愛の時間」を読者は得ているが、それは興奮とも安息とも無縁の性格だった。石井隆が同郷の石森章太郎を意識してインタビュウ中で言及したことはなかったように思うから、その意味でふたつの「愛の時間」は無関係であるけれど、稀に見る美しさを文中に宿して漫画批評の至論とも言うべき加藤の上の記述をそのまま無作法に借用してしまえば、【雨のエトランゼ】のラストシークエンスの壮絶さと、石井隆の編み続ける物語の輪郭と色彩がより明瞭になるのではなかろうか。

 私たちは暗然として愛人の落下する様子を見守ることになる。しかし彼女の身体は血しぶきを上げて路面まで突き進むことはなく、頭をボコとマンホールに突き当てて横転することもなかった。ト書きは「窓の外でコンクリートに弾ける鈍い雨音」を報せるが、わたしたちの視線は行き場を失った形である。これにより「愛の時間」は終息の機会を奪われた。

 すなわち、【雨のエトランゼ】のおんなは永遠に落下しつづけるのである。おそるべき速度で墜落するおんなをとらえた画面ではあるが、これは切断された時間の一片をしめすものではない。ここで運動は静止しているわけではない。つまり矛盾をおしていえば、それは落下しつづける静止状態なのである。このおんなは無限に永遠に落下しつづけるのだ。ここでは時間と共に重力も支配されていて、それより高度を下げることなく、それでいてどこまでも墜ち続ける。(*4)

 【雨のエトランゼ】を徹底再現していながら違和感を抱かざるを得なかった『魔性の香り』(1985)であったが、この重力と時間の支配が為されておらなかった点が原因として大きい。おんなの姿は地上目線ではどんどん大きく、屋上目線ではどんどん小さくなっていくが、それが示唆するのはいつまでも何処までも落下し続ける存在ではなく、上層階から下層階に限った墜落であり、物理的限界が自ずと連想されて観客の気持ちに決着が付くのだ。ドラマの終焉を十分に予測させる絵柄となっていた事が両者を結果的に引き裂いた、と言えるだろう。

 若々しい容姿を保って世界平和の実現のために奮闘するサイボーグ戦士とは違い、生と死の境界面で痙攣するか茫洋と佇むか、そんなすれすれの物語を行き来するのが石井世界の十八番であるから、事はさらに深刻である。つまり【雨のエトランゼ】のおんなは落下し続けるだけではなく、無限に永遠に死に続けている、そのように言い換えることが可能となる。

 この点は石井の創作する多くのキャラクターに該当する。脈を取ったり新聞記事に載って臨終が確認されたのは『GONIN』(1995)の荒くれ達であったり、【女高生ナイトティーチャー】(1983)のような若いおんなだったり、実は指追って数えるぐらいしかいない。慈愛ゆえか、より残忍な顛末を手探る劇作家の業なのかは分からないが、石井は死線へと彼の分身を追いやりながらも浄土へ導くことなく話を断絶し、宙ぶらりんの死に体にしていく傾向がある。彼らは無限に死に続けている。

 石井隆は何を言いたいのだろう。直接そのような言葉を聞いたことは無いのだが、石井は生きることは死に続けること、墜ち続けながらも盛んに息をし、互いの目を覗きこみ、愛の時間を紡ぐことだ、と作品を通じて必死に語っているように思う。絶望というより透徹したまなざしで世界を創造し続け、私たちに向け彼なりの受容の尺度を発信している。

 社会や環境との軋轢、心身の不調と対峙したとき、私たちは悄然とし時に気息奄奄(えんえん)となるけれど、誰でも同じだよ、実相は皆がいっしょだよ、それでも気持ちを入れ替えて生きていくんだよ、名美や村木をご覧よ、と静かに語ってくれている。

(*1):「マンガ批評宣言」 編纂 米沢嘉博 亜紀書房 1987 所収
「愛の時間 いかにして漫画は一般的討議を拒絶するか」 加藤幹郎 27頁
(*2): 同 27‐28頁
(*3): 同 28頁
(*4):ダンテの「神曲」で死者たちは劫罰に身悶えして苦しむのだったが、その第二圏の場景が目に浮かぶ。愛欲の罪を負い、罰として暴風により空中に巻き上げられ、そのまま気の遠くなる年数を翻弄され続ける永遠の墜落者の姿だ。あの哀しい人間の群れと【雨のエトランゼ】は通底する。






2018年5月3日木曜日

“重力にあらがうこと”(12)~雨のエトランゼ~


 紙面に並んだコマを順序よくフィルムに焼き付けただけでは、その劇画と向き合った際に懐胎する時間を正しく再現出来ない。血まなこになって編集作業にいそしんでも万人を納得させる時間配分にはならず、せいぜいがフィルムでの再現を目論んだ者の呼吸や鼓動、生理といったものに基づく個別の拍動しか紡(つむ)げない。『魔性の香り』(1985)と『忍者武芸帳』(1967)を例に引き、そんな事を先に書いた。

 個人的な話で迷惑だろうが、上と似た体験をかつて味わったことがある。学生の折りに小型のフィルム用カメラを使って何本か実験的な作品を作ろうと試みた。その時の記憶があればこそ、割合と自信を持ってこんな事を書きなぐっていられる。

 今のひとは各自専用の撮影用端末を持ち歩いており、恵まれているとしみじみと思う。その分まとまった金が毎月むしり取られている訳だから手放しで喜べないが、劇場映画に引けを取らない画質で、工夫すれば制限なく景色を撮り置ける状況というのは少し前までは想像すら出来なかった。身近にある数台の小型カメラと映写機を仲間うちで奪い合うようにして私たちはフィルムを回し、現像に出し、戻ってきた物を懸命に繋いで、夕暮れて暗くなった講堂に集まった。学生運動の埋め火が焦げ臭を漂わせており、警戒を弛めない学校側は騒動の拠点となる部室を取り上げたままにして若者に与えなかったのだ。なんだか妙に寂しい講堂の壁に、今にして思えばざらざらした砂絵みたいなものを映写しては愉しんだ。

 私はあまり人気のなかった映画監督(石井隆ではない)の特徴的なアングルや光を再現したものや、連続的なコマ割りが印象深い劇画作品(石井隆ではなかった)を『忍者武芸帳』と結果的によく似た手法で撮影して遊んでいたのだったが、無惨この上ない仕上がりとなってひどく消沈した。特に劇画のコマを繋いで映画にしようと試みたものは自身が感動したリズムの再生がまるで成されず、一向に胸に響いて来なかった。ようやくそれで映画製作の難しさが了解されて子どもっぽい憧憬は萎んでいったのだけど、今にして思えば、あの安手の黄白色の塗料でのっぺりと染まったコンクリート壁に映し出されていたものはまぎれもなく私の時間、いや、私にさえなっていない薄っぺらで未成熟の混迷した時間だったように思う。

 原作劇画を映画に落としこみ、観る者総てが納得する時間を編んでいくことのどれだけ困難であるかは、そんな訳で自然と分かるのだ。また、敬愛する劇画や漫画を自らの手で再現し、永久不滅を期待し得る媒体に定着させることの期待と昂揚が、大島や池田に満ち溢れていた事もだいたい想像がつく。映像を志す者が一度は通る関所ではなかろうか。

 さて、ここで私たちが追尾し続ける石井隆という作家の「劇画」と「映画」に思いを馳せてみると、両者が完全に地続きであることに驚かされる。ふん、おまえは何を言ってんだ、先程、映画には各人の素が定着しやすいって君は白状したばかりじゃないか。同じ人間が筆をカメラに持ち替えただけなら裾野をつないでも当然だろうよ。

 私が書き留めておきたいのはこういう事だ。石井の「劇画」に真向かって得られる時間(拍子と書いた方がしっくり来るか)は、作者石井隆が目論んだ頁構成とコマ割り、台詞の割り付け、擬音(オノマトペ)の選択によって石井に巧みに誘導されていることは間違いないのだが、あくまでも最終的には受け手である読者それぞれの時間(拍子)が生起しているのであって作者のそれではない、という事だ。そして、私とあなたは決定的に違う。同じこの言語を操り、似たような報道を見聞きする身であるかもしれないが、生活環境が異なり、これまでの人生の過ごし方が異なり、年齢にともなう恋情の堆積量に差がある。その辺は齢に関係ないか、きっと私よりあなたの方がずっとずっと豊富かもしれない。もしかしたらあなたは女性で私との間に性差も在るかもしれない。わたしが石井隆の劇画を読むときの受け止め方、速度やコマとの間合いは、あなたのそれとは違っているから、わたしの石井劇画の時間とあなたの石井劇画の時間は違って当然なのだ。

 だから、石井隆が自ら監督を担った「映画」作品を前にしたとき、石井隆の素の部分が反映され、私たちのではない特有の彼の時間(拍子)が突出していき、私たちの内部に蓄積された劇画空間を継承しなくなっても不思議はないのだし、わたしとあなたのどちらかが、または両方が、妙な違和感を覚えてもおかしくはないのである。ところが、確かにぶれがゼロではないけれど、石井劇画の愛読者の多くが石井映画を同じ地平であると認識し、堪能し、ごくんと呑み切って、石井隆だ、やっぱり石井隆だと悦んでしまう。当たり前に見えて、実はそこにとんでもない強靭な作家性が貫かれているのである。そんな作り手はどうだろう、世界を見渡しても他には見当たらないように思われる。

 本来自由奔放であるはずの読書体験において、石井劇画は時間を作者が支配している。圧倒的な描画と展開で固定し、読み手の自由にさせない。さらに作者のその時間が映画に持ち越される形で私たちを束縛するのだが、それが為されている事に多くの読み手が意識せず、驚かない。あまりにも自然だからだ。見えざる縄が世界を縛り、私たちの思考も身体も甘く柔らかく縛っている石井の演出力の特異な側面というのは、感嘆符をしたがえた畏怖や驚愕に十分に価する。

 ビデオキャプチャーという手法で切り取られた映画の一場面は、その多くが動きを停めて力を急速に失っていくのだけれど、石井作品においては例外である。切り取られた一場面は劇画の記憶と直ぐに連結し、かつて劇画で養われた時間(拍子)が程無く附帯されていくから、鮮度と動きを落とすことがない。時には急速に力を盛り返して私たちを圧倒することさえある。この特質もまた唯一石井隆のものだ。



“重力にあらがうこと”(11)~雨のエトランゼ~


 映画『魔性の香り』(1985)と劇画【雨のエトランゼ】(1979)のラストシークエンスを比較して、主人公の男女の顔立ちが違うとか、高圧ナトリウムランプに擬したまばゆいオレンジ色の照明が原作の寂寂たる気配を損ねているとか、さらに言えば男とおんなの位置関係(平行か垂直か)といった表層の隆起なり陥没をいまは取り上げたいのではなく、ちょっと見えづらい奥まった箇所について書き留めようとしている。

 そもそも「劇画」を原作とした「映画」は数多くあるけれど、その総てに大なり小なりの異変が生れている。至極当然のことだ。表立って俳優を起用しないアニメーションであっても、紙面と同じ地平にとどまっては居られない。構図や筆致をどれだけ似せても、“得られるもの”と“喪われるもの”とは湯釜の泡のように湧き続けて止みはしない。

 間違い探しのようにして指差して囃(はや)したてるつもりは全然ないのであって、両者をテキストとして石井隆とは何であるか、ほんの少しだけ近づきたい一心だ。池田の『魔性の香り』は石井の原作劇画を敬って、絶対に世界観を壊すまいと心を砕いている。その上でふたつを並べたときに生じて見える違和感というのは、石井隆という作家を考える上で極めて重要な現象であり、私たちは貴重な対象群を幸運にも得たと言って差し支えない。

 正直言えば何がどう違うのか、不定形の靄(もや)のようなものが頭には浮んだが言葉に出来ずに過ごしてきた。『魔性の香り』よりも後年石井自らがメガホンを取った『ヌードの夜』(1993)の方が【雨のエトランゼ】に近似して感じられる不思議。構図も顛末も『魔性の香り』の方がそっくりなのに、何故か空隙を感じてしまう。365日を学究に捧げる専門家ならあっという間にたどり着けるのかもしれないし、思考能力の段差が問題であって単に自分が愚図なせいかもしれない。なんだろう、変だよな、あれで良かったのかな、と『魔性の香り』を観終わって俯いて歩いた日から三十年以上が経過したここ最近になって、ようやく自分の奥で整理されてきたという手応えがある。

 自分の思考と言葉で状況突破ができないならば、誰か識者に頼るより仕方がない。まず大島渚(おおしまなぎさ)の『忍者武芸帳』(1967)に関わる論争をひも解くことが先決と気付き、美術学校の図書館に忍びこんで研究本を手にしてから匍匐前進の速さが倍になった。承知の通り『忍者武芸帳』は白土三平(しらどさんぺい)の同名漫画【忍者武芸帳 影丸伝】(1959-62)を原作に大島が映画化したのだったが、通常の実写時代劇とは異なり、白土の描いた漫画のコマそのものを接写し、これを苦労して編集した後に俳優たちの声や効果音を加えて仕上げている。東北地方を襲った大飢饉を発端とした忍術ものであり、庶民の貧窮と領主への反撥、やがて起きる抗争と掃討、政争にどこまでも明け暮れる武士階層を交互に取り上げて物語の両輪としながら、その裏側で暗闘を強いられた忍者集団の生と死を鮮烈に描いている。

 原作である「漫画」を読んだ上で「映画」である『忍者武芸帳』を観ると、何とも言いようがないもどかしい気持ちが体内で巣食い始める。これは何だろうと思案に暮れる受け手は多いようであり、同様の居心地の悪さを私も覚えている。ああ、そうか、と今さらながら了解する。『魔性の香り』観賞後の消化不良感とこれはまったくよく似ている。

 この『忍者武芸帳』がもたらした違和感に関しては、これまで幾人もの識者が手をあげて一石を投じて来たらしいのだが、それら複数の論考を丁寧に収集し、連結し、強く展開させていったのが、三輪健太朗(みわけんたろう)の「マンガと映画 コマと時間の理論」(*1)であった。三輪はここで漫画とは時空の創造ではなく時間の創造が主軸であると喝破していて、まったく目から鱗というか、感激して目から涙になりかけた。

 白土が世間に提示したコマにどの程度の秒数を与えるかは読み手次第であり、ひとりひとりが異なる読書時間を歩んでいる。大島渚は大島なりの【忍者武芸帳 影丸伝】の時間があり、私たちには私たちなりのそれがある。時間の流れを固定し観客にそれを強制する映画という媒体に移し替えられた時、送り手大島と私たち観客の体内リズムのずれは乱流を生んで、目には見えないざらざらとした皮膜が銀幕全体を覆うようになる。読み終えてすぐに書棚に戻してしまったので正確な文章は覚えておらないのだけど、読後感を自分なりにまとめるとこんな内容であった。

 ここには漫画【忍者武芸帳 影丸伝】から映画『忍者武芸帳』という単体作品の変換がもたらした心理的影響にとどまらず、石井劇画の丹念な模写を試みた池田の『魔性の香り』が私たちへもたらした奇妙な当惑に対する答えがある。映画業界に原作者、脚本家として踏み出した石井を支え、共に世界を拓こうと腕を組んで歩んだ池田敏春が刻んだ映像はあくまでも池田の拍子であり、全観客とは言わないけれど、少なくとも私の拍子では無かった訳である。

 石井世界を劇中で再現し尽くしたそのときの池田の立場というのは、商業監督の域を越えたひとりの熱心な愛読者としてあったように思う。彼が刻んだのは拍子というより、自身の生理に直結した「鼓動」と書き表わす方が正解かもしれない。才人の彼と凡人の私を並べ書くことに池田はきっと何処かで笑っているに違いないが、彼が抱いた夢や想い、そして石井隆の創造世界への敬愛は同好の士として胸によく伝わるものがある。

(*1): 「マンガと映画 コマと時間の理論」 三輪健太朗 エヌティティ出版 2014