2013年8月14日水曜日

山口椿「甘い鞭 アルゴスとラグネイア」



 いま書店に並ぶ「映画芸術」最新号(*1)には、石井隆の最新作に関わる文章がふたつ載っている。ひとつはヴィヴィアン佐藤が『フィギュアなあなた』に(2013)ついて語る「永遠の子供部屋の王国」(*2)であり、視角の広い読解が愉しく、粘り腰と瞬発力の混然としたところがここちよかった。確かに映画を楽しむ際の姿勢なり心もちには決まり事など一切無いのだけれど、石井世界に遊ぶ、石井の創作に踊るという事はどうあるべきか、その良いお手本が示されていると感じる。

  『フィギュアなあなた』ではいちいちの事象に主人公の青年(柄本祐)が反応し、おのれの意見を喋り散らす。物語の歯車が「主人公の独り言の“言葉”だけによって描写され」、刻まれていくことの妙を佐藤は指摘するのだった。「本来映像作品はその特徴として、言葉を超えた視覚によって訴えることが容易な媒体である」はずなのに、これは一体全体どういう訳なのか。

  さらには、天空を染めていく明け方の光の強弱に目を凝らし、先ほどの場面よりも暗くなっているではないか、太陽が地平方向に戻って夜の闇が勝ってしまっているではないか、と銀幕を指差していく。時間の錯綜する様子をおざなりな編集のためと単純に捉えるのではなくって、観客に対して「時間がいつの間にか引き戻されてしまう」世界を石井はあからさまな形で提示したがっていると推察をめぐらす。“閉じられた”しかし“完全に満たされた関係”を、計算づくで構築していると受け止めるのだった。

  この佐藤の指摘は、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007 )以降に石井作品で目立っている不自然で膨大な数の独白、その奇妙さ、くどさに通じるものであって、石井の新たな“文体”の出現と用法を言い得ており、幾度も頷かされるところがあった。モノローグという絵具をパレットに大量にしぼり出し、筆先に載せては波打つように画布に塗りつけていく際の“画家”石井隆の狙いが、明瞭に表わされているように思う。石井が世界をどのように変えたいと希求しているか、私たちは佐藤の文をよく咀嚼した上で頭の片隅に覚えておいて損はないだろう。

   「映画芸術」に載ったもう一篇は何と言えばよいのか、なかなか適当な言葉が浮かんで来ないのだけど確実に気持ちが捕えられてしまっている。山口椿が『甘い鞭』(2003)に触れた「アルゴスとラグネイア」という文章(*3)であり、大変にうつくしく、読んでいて激しい揺れが内部に生じたのだった。世間に溢れる批評の定型に染まらずに、独り毅然としてたたずむ気配があって面白く感じた。

   浅学を恥じるばかりだが、“アルゴス”も“ラグネイア”もよく知らなかったものだから、一読した切りでは言わんとするところが皆目分からなかった。これは石井の映画『甘い鞭』とは全く無関係の山口個人の妄念じゃなかろうか。それとも、間近に迫った締め切りに慌ててマス目を埋まるだけ埋め、お茶を濁したのじゃあるまいか。そのように当初は勝手な推測をめぐらし、掲載誌の懐の深さに感心したり呆れたりしたのだった。薄馬鹿で呆れるのは手前の方である。ギリシャ語で前者が苦痛を、後者が快楽を指しており、サディズム、マゾヒズムよりもずっと根源的で厚みの在る語句と知って読み返していけば、この文章はなるほど石井の『甘い鞭』を目撃した者が石井世界に言及している内容であった。

  確かに文中にあるような「瘤だらけの女の頭」、「泥だらけの会陰」は映画では見えない(ように思う)。確かに「浅黒く鼻の平たい男は寝台のそばに蹲(うすくま)って切り裂かれた腹腔から膀胱をつかみ出していじり回した」りはしない(と思う)し、「隣の男は発狂してしまい」、「女の振りかざした杭に打たれ、血だらけなふたつの孔から跳び出した眼球(めだま)をもとに戻そうと、虚しい手つきで試みては失敗し、焦(じ)れた揚句そのぬるぬるを口に押し込んで噛もうとした」りはしない(と思う)。石井隆の美学から言って、そのような露骨な内臓描写を取り入れることは考えられないのであるが、山口の文章が『甘い鞭』の鑑賞に因ってほとばしったものであるのは間違いないし、その勢い、飛距離というものは確かに石井の『甘い鞭』に宿った強さ、烈しさと十分に似通っている。

  山口が綴る男とおんなの心理描写のなかには、『甘い鞭』という砂時計構造に閉じられた二重の世界で息づく複数の登場人物の、悲鳴や独白の裏側でとぐろを巻く鋼鉄の意識、氷結した感情といったものがすくい取られた箇所がある。それらは石井の書く台詞ではもちろんないから、山口の綴ったものが『甘い鞭』と連結する保証はないのだけれど、綾織られた文中に目を凝らして探し求め、歩みをしばし止めて玩読(がんどく)することで、闇に集うおんなの、そして男たちの像は輪郭をより明確にするだろうし、瞳の明度を一段上げることだろう。そうすることで映画『甘い鞭』は、強靭さと艶をきっと増して読み手の心髄を射るに違いない。石井の美学に甘苦しい陶酔を覚え、再度の酩酊を期する人には機会を作っての一読をお薦めしたい。

(*1):「映画芸術」2013年夏号 第444号 編集プロダクション映芸
(*2):同44─45頁 ヴィヴィアン佐藤「フィギュアなあなた 永遠の子供部屋の王国」
(*3):同42─43頁 山口椿「甘い鞭 アルゴスとラグネイア」