2018年5月4日金曜日

“重力にあらがうこと”(14)~雨のエトランゼ~


 石井隆の【雨のエトランゼ】(1979)の終幕部分について延々と書いて来たが、推測に頼ってばかりだし、自分でもさすがに脱線気味と分かる。いい加減そろそろ締めなければいけない。

 前に紹介したように【雨のエトランゼ】の完全版を収めた単行本の末尾には、墨入れ前の下書きであったり、厖大な数の反古原稿が付録として載せられている。そのこだわり方は単なる修正の域を越えていて、よく漫画家にありがちな、たとえば手塚治虫なんかがホワイトを使ったり小さな紙を上に貼り足しておこなう手直しとは様相が違う。

 天邪鬼の私は最初のうち瑣末なところばかりが目に付いてしまい、邪推をくり返していた。たとえば反古原稿には落下する名美の足首に靴のひもが巻き付いてみえる事から、誠実な石井は後になって屋上の光景に思いをめぐらし、高い金網を越えるときに靴は脱がなければいけない、名美は素足でなければならない、と思い至ったに違いない、うひひひ、きっと慌てたろうなあ、なんて考える。短絡過ぎるよね。それが本当なら、単行本化にあたり石井は白線一本を加えるだけで済んだのだ。あそこまで石井を駆り立て、足踏みをさせたものは一体全体何だったのだろう。

 過日、宮城県の塩竃(しおがま)という町を訪ね、改築されて間もない公共施設を見学した。昭和25年建造の公民館に手を入れたもので、肌に馴染むうつくしい建築だった。二階の一角が当地ゆかりの杉村惇(すぎむらじゅん)という画家の美術館になっており、時間もあったので少しだけ回遊した。その画家のことは知らずにいたが、歳月をかけて何層にも重ね塗られた油絵具には色彩の優しさと同時に幽鬼めいた執着も感じられ、予想外の凄みがあった。

 額と額の隙間に貼られた複数の説明パネルのなかに画家のエッセイの一部が刷られており、読んでいるうちに低く呻いた。例によって病気が起きた訳である。石井隆を直ぐに想起した。

「具象の仕事では、モデルを使えば、描きたい時に向こうが都合が悪かったり、風景も亦、天候に左右されてイライラしたりするが、その点、静物は朝でも夜中でもジックリと腰を据えて、対象の核心と対決し得る強味がある。」(*1)

 「静物」という言葉が目にまぶしかった。杉村は静物画をライフワークとし、古いランプや雛人形、和箪笥や漁具を好んで題材にしていた。ひと言ごとに芯がある。彼の別の言葉が欲しくなって小冊子を買い求めて読んだ。以下の箇所に引力を覚えたが、なんだか石井に言われているような感じになっていく。

「物の中から押し出してくる自然の力、生命力、強い存在感を追求せよということです。表面を緻密(ちみつ)に描いただけでは本当の美は分からない。セザンヌにせよシャルダンにせよ、大家の作品には、単なる写実を超えた、底光りするものがありますね。私はそういう力を描き留めたいんです。そうして追求していくと、作品に画家が表れる。文も人なりというが、絵にも作者の人格や精神が出てくる。」(*2)

 石井隆という存在は劇画家、脚本家、映画監督として知られているが、もしかしたら本質は画家に近しいのではないかとふと思う。劇画製作の手法の具体的なところを口にすることはないが、台本に近しいものを書いた後に綿密な取材撮影を行ない、それを基にした紙面レイアウトを組み立て、いよいよ線描に入ることは誰にでも想像が付く。その工程で石井の魂に起きるものがどんなものであるかを想像すると、これは「静物」に向き合う画家そのものではなかったろうか。写真という媒体を挟んで、人間含めた静物としての景色を手に入れ、押し出してくる力、生命力、強い存在感を追求していく。

 「静物学者」の異名をとる杉村の描いては消し、塗っては消しを重ねて、物によっては5㎝以上も堆積した魂の軌跡を目のふちに蘇えらせ、あわせて【雨のエトランゼ】で描き直しを決めた大量の反古原稿を置くと、両者の間に共通の暗香がある。静止画の奥に事物の核心を描くことをほんとうに石井が本分とするのであれば、【雨のエトランゼ】のラストシークエンスに込められた願いはより密度を増すように思う。おのれの生命を削って筆を尽くせば死線を跨ぐ架橋となり、生命の絶たれようとする者を支配する重力と時間を堰き止め、逆に歳月を越えて永く生かすことも可能となるのではないか。まさに死に行く姿でありながら、実は生き続けるおんなを描いていたというのは、救済を劇の基本とする石井隆にしっくり来てきれいに胸におさまる話だ。

 石井劇画のコマのひとつひとつは完成度があり、その単体を取り出しても味わい深い。映画撮影時に入念に準備され、モニターに定着されていく光量と色彩のあれ程の豊かさがあるのも、そのように考えれば自然であるし、歓びや愉しみがかえって増すところがある。

(*1):塩竈市公民館本町分室・塩竈市杉村惇美術館 展示パネルより 
(*2):「黒への収束」 杉村惇 河北新報総合サービス 1994 16頁

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