2014年1月9日木曜日

“死角”~『甘い鞭』の背景(6)~


  映画『甘い鞭』は大石圭(おおいしけい)の原作小説を九割方なぞらえたものであり、大胆な脚色は終幕間際に集中する。それまでは抑制された演出が為され、構図なり音響、色彩に特有なものは有っても、石井の真骨頂たる“感傷(メロドラマ)”の刻印はほとんど観止めることが出来ない。袋小路に追い込まれていく淫虐の宴(うたげ)を見やりながら、観客はかつて読んだ“大石”の小説か、もしくは以前に本や報道で見知った伝承や事件といった“現実”の地獄を連想したことだろう。

  銀幕の前の私も同様であったが、加えて石井の過去の劇画作品から何篇か、たとえば【白い汚点(しみ)】(1976)を、たとえば【紫陽花の咲く頃】(1976)を薄っすらと脳内に再生し始めてもいた。(*1) 映画の中で劇画の細部が寸分たがわず再現されていたという訳ではなく、共通の題材が気持ちを縛ったのだった。また、それら著名な自作に対して石井が単行本のあとがきやインタビュウで重ねてきた“補足説明”の真摯さ、硬さを合わせて追想した。姿勢はやがて前傾してしまい、“書かれていない事”へとこころ曳(ひ)かれ、目を凝らした訳なのだ。

  石井が折りにつけて口にする補足説明とは一体どのようなものかと言えば、例えば近作『フィギュアなあなた』での述懐が分かりやすい。脇役のひとり、宏美(桜木梨奈)に対して「彼女のそこに至る何百時間という時間を想像して撮っていた」(*2)と映画専門誌のインタビュウで語っている。自己弁護や後付けではもちろんない。以前から石井は似た調子の打ち明け話をするのだったが、これ等は作劇上の制約に従い、泣く泣く余白もしくは舞台袖に追いやった登場人物の“背景”であるとか“終章(エピローグ)”がほとんどなのである。

  もちろん、創作活動において上映時間や紙数の都合で削(そ)ぎ落とされていく挿話や背景は無数にあって、それにいちいち躓(つまづ)いて思案に暮れるのは滑稽なことだ。頭から振り払い、闇の彼方に捨てやって良い事柄だろう。けれど、石井の劇空間における“見えざる挿話”は、一般的なそれとは存在感がまるで違うのだった。“見えないものが在り続ける”という感覚が強く付きまとう。

  先に書いた『甘い鞭』の幽閉者、藤田(中野剛)であるとか、【白い汚点】の持病を耐え忍ぶ若い男などは、石井より与えられたわずかな手がかりでもって全然違った顔つきになっていく。余白に控えた過去が薫って、熟爛した面持ちが具わっていくのだった。舞台袖でむらむらと花弁を広げ、蜜は発酵すら始めて、逆に好い香りを放ってくる。いつしか根を大きく張り、中央に茂る主木(しゅぼく)と地下でつながって樹液の交換を始める。

  この不可思議であまり類を見ない“見えざるもの”の気配は、石井が技法を確立した劇画時代にまで遡らねば理解しにくい。70年代の後半、超写実的な描法を会得して世間を驚愕させて以来、劇画家石井隆に対して頼む側も読む側もとことん実際的なコマ絵を要求するようになった。もっと芳醇な女性の肢体を、さらに彼女らに交合を迫る男の勢いある肉叢(ししむら)を、そして千変万化する表情を待ち望んだ。石井はこれに応えようとしたのだったが、言葉で書けば至極簡単なれど、実際は相当に複雑な作業となるのだった。

  たとえば性愛の刻(とき)が訪れて人がこれに臨むとき、相手の全身と全霊を揃って愛(いと)おしみ、狂おしく抱擁することになる。頭頂部から指先、爪先までは結構な長さであるから、一枚絵ならまだしも劇画の場合、交接の全容を描いていくことはそれだけでもなかなかの困難がともなう。自分勝手な瞳は接写レンズと広角レンズを頻繁に取り替えて、唇や虹彩、陰部を穴の開くほど熱視(みつ)めるのだったし、別の瞬間には背中や足が大きく反り返っていく様子も目撃していく。映画に近似した臨場感を希求してとことん写実に努めるならば、描くべきカットは膨大になる道理だ。その頃の石井に与えられたフィールドは16頁から30頁と少なかったから、期待通りにコマを割ればたちまち余白が尽きたのである。

  ここでほかの青年漫画、何でも良いのだけれど例えば手塚治虫の【きりひと讃歌】(1970-71)を横に置いてみれば、放埓に見える石井作品がその実、どれぐらい制約だらけの闘いを強いられたか了解出来るだろう。共に強姦を描いた箇所を切り出してみる。おんなを我が物にしようと狙う男の目に硬い光が宿ったところを起点とし、情交を果たし終えどちらかが背を向けて立ち上がり下着を付けた瞬間を終点と捉えたとき、手塚の【きりひと讃歌】の性愛描写は全部で19コマ、4頁であるのに対し、石井の【白い汚点】では33コマに渡って描かれ、倍の9頁を費やしている。(*3) (*4)

  インターネットはもちろんのこと、レンタルビデオショップもない時代であった。連続して見える、劣情を烈しく誘う絵づくりを求められたことは否めない。手塚マンガとは根本的にニーズが違うと言われればそれまでだが、石井の場合、この連続して見える絵の調子は雨に煙った波止場で展開される銃撃戦であれ、夜の新宿の裏通りでの刃(やいば)きらめかせる死闘であっても一切変らないのである。

  一般的な漫画の倍の密度をひとコマごとに求め抜いてしまう石井のスタイルは、裸体か着衣かを問わず、肉体描写に大量の時間を割かれてしまい、その分物語は粘性を増していくのだし、登場人物の来歴や思想的背景を説明する間を次々に奪っていく。その果てに何が起きたかと言えば、石井の作品には“死角”が増したのである。

  人物造形に際して石井は“背景”を意識して隠さなければならなかった、つまり、見透しの利かない人物像と先の読めない景色を陸続と生み落とす羽目になった。“見せられぬこと、語られないこと”を内に抱える相手と向き合い、目を凝らし、耳を澄まそうと試みるおんなや男を山のように描くことになったのだ。

  思えば幼なじみや係累でもない限り、いや、たとえ近しい友や親兄弟であったとしても、人と人とは“死角”を抱え込んだままで出逢い、会話し、そして離れていくしかない。何が起きたのか、どんなものを見て何を聞いたのか、それに対してどう感じたか十分には解らぬまま、人と人とは今日も膝を交える。挨拶を無理にも交わして、“死角”と向き合わねばならない。そんな現実と大変よく似た性状の、“書かれていない事”が日常化した世界を石井は描き続けている。それが読み手のこころを共振させ、物語との同化を推し進めているように思う。

  【雨のエトランゼ】(1979)の村木のように、あるいは『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の津田寛治のように、はたまた『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の竹中直人のように、目を細め、前かがみになり、親身になって相手の“背景”を探るという姿勢を石井の劇中人物はごくごく自然に行なっていくのだが、考えてみれば人と人が向き合うときには、そういう“裏読みのまなざし”なり“丸まった背中”がまず先に有るものだし、そうあるべきだろう。“見えないもの”を気遣いながら日常を歩む者にとって石井の劇は、フィクションの域を軽々と越えた地続きの暁闇(ぎょうあん)をもたらしている。


(*1):実は『甘い鞭』と最も似た面持ちの劇画作品は、「漫画タッチ」連載の【魔奴】改稿版(1979─80)である。世間から孤絶した森の奥のモーテルを舞台にしており、地下空間の壁の奥には母親の亡骸がひっそりと隠されているのだった。エドガー・アラン・ポーや化け猫映画によくあった壁への埋め込みをイメージの源流とするようだが、ヒッチコック『サイコ PSYCHO』(1960)の系譜でもある。軸足を広げると、『甘い鞭』はまた異なる光を放つように思う。
(*2):石井隆INTERVIEW 映画という「死に至る病」 「キネマ旬報」2013年6月下旬号 No.1639 40頁
(*3): 手塚治虫マンガ全集「きりひと讃歌」④ 講談社 36-39頁  
(*4):「石井隆自選劇画集」 創樹社 1985 101-112頁