2023年8月24日木曜日

“三人(みたり)の天才”~『ろくろ首』考(10)~


 ドラマ『ろくろ首』の冒頭で小泉八雲Patrick Lafcadio Hearnの執筆する様子が再現される。彼の「怪談 Kwaidan」(1904年出版)を原作としているのだから当たり前だ。その原作の方の「ろくろ首 Rokuro-kubi」が世間にあまり知られていないのは「耳無芳一の話 The Story of Mimi-Nashi-Hoichi」と「雪女 Yuki-Onna」の二作品の陰にひっそり埋もれてしまっているからだ。小林正樹(こばやしまさき)監督作の『怪談』(1965)の印象が鮮烈過ぎたのか、それともふたつに最初から人びとを捕縛する要素をそなえているせいか。

 「ろくろ首 Rokuro-kubi」は日陰の身でやや気の毒な短篇であるのだけれど、現在も文庫に収まり書店に並んでいるから読もうと思えば誰でもそれは可能である。(*1) 実は私がこれを読んだのはつい最近である。いまさら枝葉末節に目を凝らしても発見はなく、出がらしの茶みたいな空しい感慨しか浮ばない、そんな予感があって正直気が乗らなかったのだ。

 上述の通りテレビジョンドラマ『ろくろ首』は石井の諸作品と重層的な結合を為している。決然と自身のビジュアルを小泉の世界に盛り込んでいる点に圧倒され、ここまで換骨奪胎で変幻を遂げてしまった以上、原作をあえて見るまでもない気がした。ところが読み進めるうちに、そして、小泉原作の成り立ちを詳しく調べるうちに、思いがけず石井隆という作家の大切な一面に触れた気が今はしている。

 原作で驚かされたのはろくろ首の扱いだ。僧の回竜は森の奥に歩み入り、木樵(きこり)に招かれて一夜の宿を借るのだし、主(あるじ)ほか同居する四、五名の正体はやはりろくろ首である点は同じである。しかし、あろうことか彼らは回竜を食べようと舌なめずりするのだった。言葉を解する身なれど、深夜になると抜け首となって林を浮遊し、這いずる虫をぱくりぱくりと口にしていく。旅人はもう寝入った頃であろう、そろそろ襲って食べようよ、さぞかし腹も満たされようと策略をめぐらすおぞましき化け物たちなのである。

 ろくろ首は子ども漫画や少年少女向けのアニメーションに登用される機会が多いので、誰もが直ぐにその全身像を連想できる。どちらかといえば愛嬌のあるお化けである。伝承的にも目立ったエピソードを残しておらず、就寝中に首が伸びる芸妓(げいぎ)であるとか、夢遊病のごとくおんなの首が夜道を徘徊し、それを見止めた男に追いかけられた末に胴体の眠る自宅に逃げ込んだ、といった他愛のない内容が多い。極めて地味で大人しい、どこか惚(とぼ)けた存在でしかない。(*2)

 たとえば河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が明治14年(1881)の『暁斎漫画』 に発表したろくろ首の絵など、まことに愛らしい姿である。彼女は首をにょろにょろと伸ばし、だいだい色に熟した柿の実をひとつ啄(ついば)んでいる。そこには嫌悪や蔑視はなく、小鳥や夕顔、童(わらべ)を見つめるにも似た寛容と愛着が感じられる。 

 そのような悪意に欠ける、どちらかと言えば脱力系の妖怪のはずが、小泉原作では人喰い鬼になって襲い掛かるのが実に不思議である。

 その上、この異形の集団に対して回竜は、すなわち小泉原作は、仮借なく腕を振り上げている。襲いかかる首から首を剛力で払い落とし、挙げ句、衣の左袖に喰らいついた主(あるじ)の生首を引き剥がそうとぐいと髪をつかんでは血がぶつぶつと噴いていくまで続けざまに叩いていく凄惨きわまる鉄拳制裁である。終に主(あるじ)の首は絶命する。ひゅーどろどろ、ぎゃあ、では済まない死闘が描かれる。

 血と泡と泥にまみれて、かじり付いて離れない生首をそのままぶら下げて、この僧服の豪傑は忌まわしき森を陽気に出立し、次に訪れた宿場町の人たちを恐怖のどん底に追いやるのである。醜い首をたずさえた異装を見咎めた役人からおまえは人殺しか、その首は何かと説明を求められると、「なんの罪も犯してはおりませぬ。これは化け物の首だ」と哄笑している。妖怪に対して微塵の同情を彼は持たない。成敗されて当然と考えるのである。

 あまりにも薄情で冷酷、いや、表層的、単調に過ぎるではないか。驚いて声を失った。これが芳一や雪女を世に知らしめた八雲の作品であろうか。容赦ない暴力と躊躇いのなさに、僧こそが本物の怪物ではないかと思わずにいられない。

 既にご存知の方もあるだろうが、調べてみるとこの小泉原作には「怪物輿論(かいぶつよろん)」という元本があるのだった。1803年(享和三年)に出された元本の作者は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)であり、承知のとおり代表作は「東海道中膝栗毛」(1802-1814)である。文才あり絵も達者な江戸の著名な創作者だ。

 つまり、もともとは妖怪退治の滑稽本なのである。弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)の旅行記と重なる時期に書かれた作品であるならば、軽妙、奇天烈な描写も納得できるじゃないか。ドラマを演出した久世光彦(くぜてるひこ)はこのような原作の起源を承知した上で、あえてコント的な演出に徹した可能性が高い。

 推論をめぐらして愉しみつつ、同時に目がくらむような想いをここで抱かざるを得ない。1803年の十返舎一九の戯作(げさく)が民俗学の視線を抱く小泉八雲に1904年に再話され、今度は石井隆が1993年に翻案(ほんあん)してテレビジョン向けに再生している。江戸の下町で大衆が苦役の合間に読み耽ったように、米国で東洋文化に関心を抱く知識層を刺激したように、今度は私たちがテレビジョンという奇妙な機械の前で摩訶不思議な物語を味わっていく。我々受け手のことはさておき、およそ百年ずつの間隔で天才たちがリレーをしている様子が実にまばゆい。

 こうして三人(みたり)の天才の名を連ねてみれば、実に違和感なく融けこんで見えてくるのが嬉しくもあり、哀しくもある。私たちは確かに歴史を目撃しているのだろう。石井隆は私たちと同時代を一緒に走ってくれたが、今ゆっくりと歴史のマントルのなかに熔け込もうとしている。言葉をどれだけ尽くしても過去形になってしまうことが無性に寂しいし、心底遣り切れない。石井自身の口からもっと色々と語ってもらいたかった。

 さて、気を取り直して続けよう。『ろくろ首』を通して見る石井隆という作家の大切な一面とは何であろうか。


(*1):「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975

(*2):「全国妖怪事典」千葉幹夫 編集 小学館ライブラリー 1995 「近世怪異小説における「ろくろ首」の登場−−『曾呂利物語』と『諸国百物語』の比較を通して−−」 三浦達尋 「ナラティヴ・メディア研究 第3号 2011年11月30日発行」所収





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