2018年6月17日日曜日

栗本薫「ナイトアンドデイ」(「ライク・ア・ローリングストーン」所収)(6)


 栗本は自分のことを「生きたマンガ史」(*1)であると豪語した。そんな兵(つわもの)がどうして斯(か)くも無惨な見立て違いに陥ったのか。中島梓(なかじまあずさ)の名前で出ていたクイズ番組を毎週眺め、闘病記にして最期の作品、波状となって遅いかかる痛みと薬で朦朧となりつつ綴った「転移」(*2)を息苦しく読んだ身にとって、異論を唱える度に腹立たしさと悔しさが湧き立つ。恩人という程は慕っていなかったが、その面影や声はわたしの成長過程にゆったりと浮遊している。彼女の残像を懐かしく感じる。

 故人への冒涜になるのか、またいつものように他人を傷付ける行ないを繰り返していないか、と、うな垂れて自問を繰り返す。中島さん、怒っていますか、ごめんなさい。でも、やはり書いておかないと貴女のためにもならないと思うんだ。「ナイトアンドデイ」が混乱の種になるのは貴女だって厭ですよね。やだねえ、石井隆の読者って妙に生真面目でしつこいったらありゃしない、もう勝手にしたらいいんじゃない、さっさと書き終えて解放してちょうだいな。そんな風にきっと笑って許してくれますよね。

 孤独な少女期を過ごした栗本薫は御多分に洩れず漫画雑誌の虜になり、自室にこもって作画にのめり込んでいく。そのうち雑誌「COM」への投稿を繰り返したのだった。漫画という創作物に対して強い愛着があったのであり、そうであればこそ、七十年代の象徴のひとつとして石井隆ブームを取り上げたのは確かだろう。

 ただ、石井隆の「ブーム」に大いに着目はしたが、「作家」としての石井に関心がなかったのだ。漫画というメディアに憧れ、その総体をひたすら崇拝し続けた彼女にとって、小説を書くことは絵のない漫画を描く行為であったに等しいから、自らを石井と同等の立場と捉えており、また、競争相手以上の興味を覚えなかった。漫画の絵や台詞が一般読者に衝撃を与えて翻弄し、彼らの人生を大きく変えかねないことを十分に理解している身であればこそ、時おり訪れては世間を熱くする「ブーム」をひどく面白がったが、石井隆の劇画自体は彼女にとって一切の影響力を持たなかったのだ。

 それは石井隆に限った話でなく、栗本薫は漫画家全般に対して常に冷淡な目線を維持していた。中島梓名義の自伝的エッセイのなかにはこうある。

 「そのころ大評判であったつげ義春も、「別冊ガロ・つげ義春集」などを買ってねっしんに「勉強」しはしたが、ついに(中略)ひきつけられることはなかった。「紅い花」は生ぐさく、「沼」はわけがわからず、「ねじ式」に困惑し、「その後の李さん一家」も貧乏くさく思った。」(*3)

 つげ作品がまるで分からないこと、困惑したことを照れなく平然と綴っている。なんて純心で気負いのない感想だろう。少女そのままのこんな目線が、石井隆の作品を気狂いじみたものとして拒絶するのはある意味自然であって、小説中の彼女の分身である「沢井」という若者の意見がああなるのも宜(うべ)なるかなだ。

 「とにかく絵が好きだった。」「憧れたあまり私は(中略)大切に切りぬいて保存した。」(*4) そのように往時の読後感を綴って見せた宮谷一彦(みややかずひこ)という作家に対しては、栗本はその後にあっさりと視線を断ち切ったと白状している。「どうも前のよりよくなかった。そのせいか、サンデーはこれぎりになり、かわりに少しして、青年誌で政治がかったのが連載がはじまったが、私はもうフォローしなかった。」(*5) フォローしなくなった事を悪びれず、しかも宮谷作品について決して口を閉ざすことがない。どこからその自信が湧いて来るのか。

 熱心な読書家であった彼女は生きたマンガ史」を自認する程であったが、それは裏返せば人気漫画に着目し、その年ごとの流行作を読むという慣習に染まっていたことを証し立てる。厖大な作品をひたすら取捨選択することに追われ、肌合いが悪いと感じれば惜しげもなく排除しておのれの視野の外側へと追いやった。集中して特定の作家と向き合う道を選ばなかったのだ。それが栗本の漫画との旅路であった。

 漫画」については果てなく喋れただろうが、特定の「漫画家」をとことん語る土壌は彼女にない。それなのに無理矢理「石井隆ブーム」を紙面に定着させようと試みたのだ。脱線転覆するのは当然の帰結だ。森ばかりを見て木の成長にいっさい寄り添わない気構えで、どうして石井隆を語れよう。

 以上が「ナイトアンドデイ」に対する私なりの感想だ。否定的なことばかりを書き連ねていると全然楽しくないし、いい加減に疲れてくる。でも、最も疲弊し、ぺちゃんこに叩き潰されたのは石井でありその家族であったろう。ここでは触れなかった部分も含めてほぼすべて余すところなく「モデル」である石井の実像と乖離している。それが大出版社の手で国のすみずみまで配られた訳だから、並みの精神であれば立ち直れなかったのじゃあるまいか。

 その後の絢爛な劇画執筆と映画監督としての躍進を見ると、世辞でなく勇気付けられるところがある。私たち誰もが彼を見つめ続ける理由のひとつだ。彼の倫理観は信じられるし、作品から愛の何たるかを学び、勇気をもらえる。そして、生きていることがどんなに虚しくても、悔しいことだらけでも、先に待つのが死と決まっていても、それでもなお歩むことを続ける姿に共鳴して止まない、だから私たちは石井隆を見つめ続けるのだ。

 急を告げるメールなり声が届き、次々に新しい障壁が立ち上がる。うんざりして何もかも投げ出してしまいたくなる。そんなときに石井隆の世界と石井隆本人の苦闘を想う。秘かに奥歯を噛み締め、明日も闘おう、生きてみようと考える。

(*1):「ナイトアンドデイ」 栗本薫 文春文庫「ライク・ア・ローリングストーン」所収  文藝春秋 225頁 「あとがき」
(*2):「転移」 中島梓 朝日新聞出版  2009
(*3):「マンガ青春記」 中島梓  集英社 1986 104頁
(*4):  同 112頁
(*5):  同 113頁

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