2018年6月17日日曜日

栗本薫「ナイトアンドデイ」(「ライク・ア・ローリングストーン」所収)(1)


 栗本薫(くりもとかおる)の小説「ナイトアンドデイ」(1982)が衆目を集めたのは、これまでに都合三度である。「別冊 文藝春秋」に載ったときが最初で、その後しばらくして単行本「ライク・ア・ローリングストーン」の一編として収まったとき、最後はこれが文庫本となり陳列されたときだ。(*1)  当時の世評を知りたくて何かないかしらと探してみたのだが、実のところ反応も何も今のところさっぱり見当たらない。鈴木いづみが表題作「ライク・ア・ローリングストーン」と別のもう一編にさらりと触れているくらいで、見事に忘れられた作品と言えそうだ。 (*2)

 私の場合、初見は文庫版であった。蒼空(コバルト)色のよれよれになった帯がかろうじてへばり付いている。「今月の新刊 70年代の匂い、雰囲気、思い ああ、ぼくらの青春よ!」なんて書かれていて鼻白んでしまうけれど、奥付を見ると1986年8月25日とあるところを見ると多分その頃に購入したのだろう。

 あれから三十年以上が経過している。引き足しして当時の年齢を数えれば、列島を北へ北へと移動していた頃だ。六畳かそこらの風呂もなければトイレもない下宿部屋が懐かしく思い出される。書棚代わりにしていたダンボール箱に石井の劇画と共に「ライク・ア・ローリングストーン」は居座りつづけ、ともに寝起きしては流し目を送って寄こした。

 1986年といえば、創樹社から石井が自身の名を冠した「自選劇画集」を出したちょっと後ぐらいになる。その頃のインタビュウかあとがきを読み、慌てて買いに走ったのだったかそれともまったくの偶然だったか。人生には運命的な出逢いというやつがあるけれど、この本に限っては石井から教わった口じゃなかったかな。まあ、その辺はさして重要ではないから、保留してさっさと本題に進もう。

 著者の栗本薫とは世代にずれがあって、彼女が過ごした七十年代と私のそれは時間軸こそ同一ながら色彩は大きく異なる。三編にひしめく喫茶店や同棲、ギターや長髪は、淡い憧憬を覚えはしてもよくは知らないからコメントしづらい。「安保、内灘海岸、安田落城、マンガブーム、ロックバンド、新宿」(*3)のいずれもが背の届かない先に在って、正直実感するものがない。「匂い、雰囲気、思い」を共有していない以上、口を挿む資格がそなわっていないと言われたら黙るより仕方ない。これまでそんな風に考えてきたし、いまも幾分かはそう感じている。

 そもそも栗本薫を読んで来なかった。続きものを数巻買って読んだ時期があるけれど、なんだか肌に合わなかった。人が人と向き合い喋ったり動いたりするほんの刹那にきらめく感興や不快を立ち止まって掘り起こさず、話の筋の勢いだけを重視して見えた。ピント送りがなく照明も不十分な雑駁な映画みたいで落ち着かず、間もなく新刊購入を控えるようになってしまった。そんな読者とも呼べない自分が栗本の何を語れるものだろう。対象物と飽くなき同衾を重ね、汗だくの抱擁を経ずに唇を開けば、言葉はたいがい表情乏しく、たちまち体温を失って虚しい時間に陥りがちだ。

 無資格者を自認しつつもこの四十年前の忘れられた著述を蒸し返す理由はどこにあるかかといえば、ひとえにこの小説が石井隆と深く関わるからだ。石井劇画の積年の読者としてならば、また、往時の掲載誌の一読者としてならば、その時分の生身の読後感を振り返り、確固たる調子で意見を投げ返すぐらいは許されるのではあるまいか。乗り遅れの感はあるけれど、それでもなお私は石井劇画が盛んに掲載されていた雑誌の購読者だったし、入手可能な単行本のほとんどを買い揃えていた。その一点を頼みの綱にして、これから少し囁いてみたいと思う。

 「ナイトアンドデイ」が初めて掲載された雑誌とその後出た単行本も気になり、あらためて入手している。ざっと三冊を見比べて見たのだが、「ナイトアンドデイ」に限って言えば改訂の跡は見当たらない。栗本にとって迷いのない仕上がりだったのだ。いくつか為す引用は、すべて最終形である文春文庫版からで注釈の頁数もこれに拠る。

(*1):「別冊文藝春秋 161特別号」 文藝春秋 1982年10月1日発行
単行本 文藝春秋  1983年5月1日発行
文春文庫 文藝春秋  1986年8月25日発行
(*2):「退屈で憂鬱な10年―栗本薫『ライク・ア・ローリングストーン』」鈴木いづみ 「鈴木いづみコレクション〈8〉 対談集 男のヒットパレード」文遊社 1998 頁 
(*3):単行本の帯に記載。ちなみに惹句は「レクイエム・私の青春」

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