2021年4月11日日曜日

“凶事の全貌《3》”~ドラクロワ「サルダナパールの死 La Mort de Sardanapale」~

 


 一方、ドラクロワが「サルダナパールの死」(1827)を描いたとき、実際のところどの程度の影響をバイロンの劇詩が与えられたのか、むしろ大して左右されなかったのではないかと懐疑的に捉える意見がある。長らく細部が「(劇詩)から取られたと信じられてきた」ことに異議をとなえ、バイロンの作品は単なる「ヒント」に過ぎなかったと突き放す文章にも容易に突き当たってしまう。(*1) 

 「バイロンの劇詩だけが彼の霊感源のすべてであったとは思われない。ドラクロワの画面は多くの点でバイロンの詩と喰い違っている」と強い調子で述べて、画家独自の突出した想像力の逞しさに想いを馳せる美術史学者もいるのだ。(*2) そう主張する彼らは共に当時のサロンのカタログ内にバイロン自らが準備して世間に掲げてみせた補遺(ほい)に着目し、この絵画の異端たる所以を浮き彫りにする。

 いつものように長い枕をずるずると綴ってしまったが、実はここからがいよいよ本題である。バイロンの劇詩要約を読まずして、次に書き写す補遺に示された場景はすんなり消化し得ないだろう。それで、ついつい回り道をした次第である。画家は起承転結の末尾、断末魔の叫びをあげる王国のまさに瀬戸際の景色を題材に選んだ。

 「反乱者たちはすでに彼の王宮を取り囲んでいる。巨大な薪の山の上に据えられた豪奢なベッドの上に横になったサルダナパールは、宦官や宮廷の隊長たちに命じて、彼の女たち、小姓たち──さらには馬や寵愛した犬たちまでも、殺させる。それまで彼の楽しみに奉仕したものは何ものも彼より後まで生きながらえてはならないからである……。バクトリアの女アイシェは、奴隷の手にかかることを望まず、穹窿(きゅうりゅう)天井を支える柱に自ら首をくくった……。サルダナパール小姓バレアは、最後に薪の山に火をつけ、その上に自分の身を投げかけた。」(*3)

 絵画中に配された事象のすべてではないにしても、ドラクロワはかなり細かく自ら描いた王宮の最期を解題している。どうだ、バイロンの夢見た光景の数倍怖いだろう、凄絶だろう、血なま臭いだろう、これこそが争いの終局に訪れる悪夢のごとき実相だ、人は愛した物を容赦なく破壊していくのだ。淡淡と落城のさまを述べつつ、我々の呑気さ、災厄を楽観しがちな甘い性格に挑んでくる。

 この補遺と照らし合わせ、あらためて絵を眺めていくと震えが来るような衝撃がある。特に首吊りを遂げようとして身をよじる半裸の女の上半身が今度こそは明瞭に瞳に飛び込んできて、はなはだ哀れであり、自分の顎の辺りと両手の平にごつごつした太縄の擦れる刺激を幻覚し、遣る瀬ないどん底の気分に転がり落ちていく。

 この騒然として妖しい殺戮の絵を、石井隆が自作『黒の天使 vol.1』(1998)に象嵌(ぞうがん)細工のようにしてはめ込んでいるのを知って、私は心底からおののき総毛脱立ってしまった。

(*1):「リッツォーリ版世界美術全集 12 ドラクロワ」 集英社 1975  98頁

(*2): 「ドラクロワ「サルダナパールの死」」 「想像力と幻想―西欧十九世紀の文学・芸術」高階秀爾(たかしなしゅうじ)青土社 1986 202頁

(*3): 同193頁


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