2019年12月8日日曜日

“他生の縁”『月下の蘭』~生死に触れる言葉(4)~


 石井隆の初期監督作品『月下の蘭』(1991)を思いきって縮約すると以下のような筋書きとなる。会計事務所を細々と営む男(根津甚八)が主人公で、その顧客には闇社会の住民もちらほら含まれる。仕事場に顔を出す彼らに対して愚痴を聞いてやったり、節税の相談に乗ってやる地味な毎日だ。どちらかと言えば平穏な日常と言って良いのだろう。男には妻(余貴美子)と娘がいる。ある日いつも通りに客のひとりが来訪し、また、いつも通りに妻と娘もやって来て、のんべんだらりとした刻がこのまま過ぎていくかと思えたのだが、突然そこに暗殺者が現れ、客の男を銃で滅多撃ちにしてしまう。この襲撃で妻と娘が巻き添えとなり、目前で為すすべもなくいのちを奪われる。

 慙愧の念に苛まれながら男は十年の歳月を生き、無頼の真似事じみた自堕落な日々を過ごしている。ある日、蘭という名の娘と知り合いになるが、この娘は売り出し中のアイドルであった。この蘭が闇社会に獲り込まれてしまった事を知った男は煩悶を重ねた末に救出を企て、単身娘が匿された屋敷に飛び込んで行く。

 当時旺盛に制作されていたオリジナルビデオ映画の一本であり、最初から銀幕での観賞という形は取られなかった。VHSテープで頒布され、受け手の多くは家庭に置かれたテレビジョン受像機でこれを観ている。成人向けに作られていないから裸体の乱舞する場面は挿し込まれていないのだけど、狭苦しいモニターにあっても石井の美学が随所にまたたき、忘れえぬ小編となっている。針のような雨が降りしきり、傘を片手にコート姿の余がたたずみ、傷を負った根津を心配げに見下ろす様子など、独特の芳香を放って観る者の酩酊をさそい、今も記憶の淵にありありと住まい続けている。

 ある日の昼下がり、テープを再生して何度目かの鑑賞にひたっていた。石井作品に限らず映画というメディアは孤別に愉しむもの、各人の魂に直結させるべきギフトと捉えているので、普段ならあえて誰もいない時間を狙って視聴するところなのだけど、皮膚露出の少ない一般向け作品ということもあり、ちょっと弛緩するような感じで漫然と観ていた次第である。その折に背後を歩いていた年長の家族が突然に声を掛けてきた。違うよね、と言うのである。何が違うのか、と顔を向けると、今の台詞に出て来た諺(ことわざ)の解釈が間違っている、そんな意味じゃないと言うのである。

 「袖振り合うも他生の縁」という諺をめぐる会話が盛り込まれていて、確かになんだか妙に落ち着かない感じを自分も抱いてはいた。だけど、それは文脈のなかでは瑣末な事柄であり、気に止めるまでも無いと考えた当時の私は、釈然としない面持ちでいつまでも立ち続ける家族を蝿のように追い払った。あれから三十年弱の歳月を経て相応の雑学を身に着けた目で振り返ってみれば、あの時の家族の言い分は至極もっともであるし、むしろその“不自然さ”を石井は強調していた、と分かってくる。

橋川「じゃあな。早くお家に帰るんだよ」
   と、ヘルメットを返して貰おうと手を出すが、
蘭 「こういう時に使う諺(ことわざ)知ってる?」
   と、ヘルメットのまま雑居ビルの階段を上って行く。
蘭 「袖摺り合うも多少の縁。縁があんのよ、私達」
   橋川、呆気に取られて、
橋川「オイ!」
   慌てスタンドを立てて蘭を追う。(*1)

 娘の口から突然に発せられた諺に対し、しばらくして男は以下のように返している。

   グデングデンに酔った橋川が、これまたグデングデンの蘭を
   背負ってタクシーを拾っている。
橋川「袖摺りじゃなくて、袖振り合うも他生の縁って言うんだよ。
   他生ってね、その多少じゃなくて、他人の人生って意味なんだ」
   まるで我が娘(こ)に諭しているようだ。(*2)

 確かに「他人の人生」という解釈はおかしい、聞いたことがない。年長の家族が口をとがらせるのは当然で、実に不自然な台詞と言えるだろう。何よりもこの唐突な諺の応酬自体が奇妙である。人にもよるだろうが、私たちは日常会話のなかにこの手の諺をしきりに発声させることはない。けれど、まあ、それは良しとしよう。映画やドラマの台詞に金言名句が交じることは幾らでもある。

 されど、こんな違和感をもよおす登用はそうそう無いのじゃないか。「多少」と「他生」、共に発声は「たしょう」でありながらぜんぜん意味合いの異なる語句を、小説ならいざ知らず、映像作品で無理矢理に強行していく姿勢もかなりの不自然さを招き寄せる。「たしょうってね、そのたしょうじゃなくて、たしょうって書くのだ」と画面から告げられても、ほとんどの観客は首をひねるだろう。私たちはこれをどう捉えるべきであろうか。石井隆は不用意な脚本家であって、さらに全くの常識知らずで、それゆえにこんな不自然な台詞を紙面に刻んだものだろうか。

「見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるのも前世からの縁。そう考えてお互いに譲り合い思いやれば、穏やかに、気持ちよく暮らせるはずなのです。」(*3)

 本来はこの程度の軽い意味合いで使われる諺だから、『月下の蘭』の劇中に浮遊する一連の台詞の応酬についてもさらりと聞き流すのが一般的な視聴態度だろう。大都会の岩礁に取り付いてささやかに暮らす中年男と若い娘の偶然の出逢い、これを彩るさわやかな香辛料みたいなものだ。気の利いた男女の会話をひねり出すに当たって、気安く登用された装飾ぐらいに思ってもまったく構うまい。

 それにしても、やはりどこか変である。割合とよく知られた諺であるのに、まだ十代と思われる娘が誤って解釈していた事はまあ普通であるけれど、これに対し中年男がさらに誤った説明で応じるその脱線に次ぐ脱線ぶりはすこぶる珍妙であって、これはどうしたって意図的に為された表現と推定せざるを得ない。つまり石井隆は「勘違いしている男」をわざと役者に演じさせていて、その上で「袖振り合うも他生の縁」という諺を物語の軸芯と定めているのだ。これに登場人物および観客が気付くよう、過ちに過ちで返すという裂け目状の“不自然”を脚本上で故意に起こし、意識の滞流(よどみ)と集中を目論んだのである。

 失踪した蘭を心配し、単独で捜索した挙句に返り討ちにあって絶命する若者(山口祥行(やまぐちよしゆき))を茫然と見送り、自身もまた袋叩きに遭って傷だらけとなって逃げ出し、飲み屋街の裏道でぼろ雑巾のごとく這いつくばる男であるのだが、そのような生死の汀(みぎわ)を疾走する道程を経て、徐々に蘭という娘の救出行為の根っ子が変質していく。

 雨に凍える捨て犬さながらに重たく路上に横たわる男を見かねた街のおんな(余貴美子 二役)が、傘下から救いの手を差し出し、その容貌が亡き妻にそっくりであることに男が愕然とする場面があり、さらに怪我で高熱を発してうなされる男の枕元に死んだ若者と死んだ娘が佇む幻想的なカットが重なっていく。彼岸と此岸の境界が男の頭のなかで熔け落ち、「他人の生」への興味から、「他生の縁」への祈念へと強い調子で男の想いが変換していく。明確におのれの立ち位置を改めた末に、蘭という名のタレントではなく「我が娘(こ)」の救出を試みるべく決意を固めていくのである。「袖振り合うも他生の縁」という諺が上っ面のものではなく、ようやく内実を具えたものに男のなかで、物語のなかで入れ替わる。

 『月下の蘭』という映画の淵源がこの諺に有るとは想像もしていなかった。賭けマージャン、怪しげな芸能界、オフロードバイク、ヘルメット、フィクサー、銃撃戦と華やいだ小道具に囲まれていて目線はついつい乱れるが、根幹にあるのは作者石井隆の、人の生死(しょうじ)に対する真摯なまなざしである。私自身が未熟でしっかりと受け止め切れなかったのだ。石井隆という作家のもの恐ろしい手技を理解できず、今更ながら輪郭がちょっと見えてきた、そんな実感を持つ。

「道を歩いていて見知らぬ人と袖を触れ合う。そんなちょっとした接触も、決して偶然に起きたものではない。すべてが前世からの因縁によるものだ、といった意味のことわざが、「袖振り合うも他生の縁」である。あるいは、「袖振り合うも多生の縁」ともいう。“他生”と“多生”はどう違うか?“他生”であれば、前世で結ばれた縁。“多生”のほうは、輪廻転生(りんねてんしょう)をつづけてきた過去世の長いあいだに結ばれた縁である。それほどの違いはない。」(ひろさちや)(*4)

「考えてみればこれは凄い言葉で、たった今袖を擦りあった「今生(こんじょう)」とは別な生が前提にされているのだ。しかも「他生」は本来は「多生」だというのだから、連綿と続いてきた幾つもの生のどこかに、今日袖を擦りあうことになるべき因があったと考えるのである。」(玄侑宗久)(*5)

「花の陰で独り飯喰う旅の僧も、本当は孤独ではないのである。換言すれば、「多生の縁」は袖擦りあったときだけ意識されるが、いつだって私の存在そのものを支えてくれているということだ。」玄侑宗久)(*6)

 私は宗教に関して赤子並みの知識しか持たぬから、ついつい識者の書籍にすがるしかないのだけれど、こうして諺のていねいな解説を噛み締めながら味わううちに石井隆の世界を貫く清浄でたおやかな、時に酷薄な人生観が立ち現われて感じられ、唸るような、またその逆にほっとするような心持ちになっていく。『月下の蘭』とは実は徹底して法話的な、一個の人間が「生死(しょうじ)の稠林(ちょうりん)」に入り込み、自己の存在意義を問い直す姿を描いた極めて堅い堅い話なのだった。(*7)

 石井隆の描く劇画であれ映画であれ、そこに展開される絵柄はハイパーリアルやグロテスクなタッチであるし、題材も男女の性愛や暴力が多いものだから、受け手はどうしても表層に関する感想に終始してしまうのだが、私たちは表を覆うベールにそっと手を掛け、静かに驚かせないようにめくり、作家の内実に触れる努力を惜しんではならないように思う。

 誤解を生まないことを深く祈りつつ書くのだが、私は石井隆の書くもの、描くものを簡単には信じない。いや、信じないように努めている。疑うというのではなく、どう表現したら良いだろう、ひと呼吸を置いてみたり目を凝らしてみたり、紙面や銀幕の裏側に回って再度見返すような、幾らか滞空時間が必要な作家と捉えている。石井の劇が分かりにくいというのではない。分かり易いと思った瞬間に何か大切な物を取り逃がしてしまう、そんな油断のならない作り手という意味である。

(*1):『月下の蘭』決定稿 シーンナンバー12 バー街・雑居ビル前(時間経過)
(*2):同 シーンナンバー14 同外(時間経過・早朝)
(*3):「「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは」 越川禮子 林田明大 三五館 2006 22頁
(*4):「仏教とっておきの話366 秋の巻」 ひろさちや 1995 新潮社 14頁
(*5):「多生の縁 玄侑宗久対談集」 文藝春秋 2004 2頁 玄侑宗久「多生の縁」
(*6):同「あとがき」 241頁
(*7):曇鸞(どんらん) 「往生論註」「生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり」 ここで言う生死の稠林は煩悩多き人間の一生を指すのであるが、私には石井が好んで描く冥府への境界、暗く深い森の姿が思い浮かばれてならない。石井という作家の立ち位置は常に「生死の稠林」にあって、それも自己以上に他者を慮って歩んで見える。

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