2019年6月19日水曜日

“地獄絵”~萩原健一、内田裕也追悼扉絵(4)~


 「消失点」は遠近法で用いられる技巧に過ぎない。聖性とか後光とも距離を置く。しかし、やはりこの石井隆の扉絵は想いをこめて中央に点を穿ち、人を愛することのまなざしと、消えていくより他ない宿命(さだめ)を描いて見えるのだし、“あの世”の入口を表しているのは間違いない。

 さて、そこで考えるのだが、私たちは“あの世”とその関所についてどの程度知っているだろう。肝胆相照らす相手と話していると、若い時分の過酷な体験を聞かされ仰天するときがある。登校中に大型貨物車の下敷きになってみたり、高所から落ちて身体を傷めて何ヶ月間も病床に伏した話を聞かされると、こちらは青ざめて声を失い、ひたすら目を丸くして拝聴するばかりだ。多くの人が既に何度も生死の汀(みぎわ)に足を踏み入れている。

 対する私にはまるで実感がないのだ。救急車の世話にならず、長期入院も全身麻酔の手術も、痛み止めの座薬すら経験がなく、せいぜい高熱を出して奇妙な夢に悩まされた程度の記憶しかない。“あの世”についてわずかな触感も持たずに来れたのは幸いとは思う反面、どうしても気後れを感じる。作家が全霊かけて紡いだ創作に対して、目線が定まらず、脇が自然とゆるくなる。何をどのように綴っても言葉が足らない、未熟を恥じる心持ちになる。

 そんな次第であるから、映画専門誌「キネマ旬報」の追悼特集を飾ったこの扉絵をさらに読み解く上では、どこか他から冥土の知識を補ってくるしかないと考えた。“あの世”関連の本を幾冊か手元に引き寄せ、週末に黙々と読んで過ごした。どれもが興味深かったが、中でもあざやかにイメージを移植されたのは「HELL 地獄」というやや大ぶりの美術書であり、寺院や博物館に保管されている地獄絵を舐めるが如く撮影し、一部は極大化して収めたものだった。(*1) 

 仏教の伝播と庶民への定着を狙って、この国の津々浦々で極彩色の地獄絵が繰り返し描かれてきた。黄泉の国に墜ちた亡者の群れを、醜悪な面構えの極卒が責めまくる。阿鼻叫喚の様相をこの本は異様な熱意で蒐集して展開しているのだけど、こちらとしては上の目的もあって頁をめくる手も自然と遅くなるものだから、その分ひたひたと体内への浸潤を許すものがあって、正直悪寒を覚えて何度か頁を閉じている。

 宗教画を観ることは嫌いな性質(たち)ではないから、機会を探ってこの手の絵を面前にすることはあるのだけど、ここまで延延と責め苦を見せられるとさすがに気分が悪くなる。潰し尽くす、斬り尽くす、食い尽くす光景の連続で、亡者たちの悲鳴や苦痛がじくじくと伝染してしまい、脳髄の奥の血管が腫れ上がる感じだ。事態が呑み込めないでいる嬰子(えいじ)さえも図版の片隅にぽんと捨て置かれていて、その徹底ぶりが何とも怖ろしい。信じたらもう終わりだな、と思う。

 真宗系の菩提寺に季節ごと詣でても、廊下や本堂の隅に地獄や幽霊の絵が掲げてあるのを終ぞ見たことがない。面と向かって説かれはしないが、信心さえ深ければ地獄には行かずに済む、念仏を唱えれば浄土にお迎えいただけます、地獄なぞ無いに等しいのだからどうか安心してください、という事だろう。弱虫の自分にはぴったりの感じながらも、こころの奥のどこかで地獄を信じ、その上で必死になって否定したがっている。

 信心がわずかでも揺らげば、肉親や縁者の御霊(みたま)はたちまち惨たらしい地の底にどしんと着地し、物音に気付いて目を剥く鬼たちの咆哮に心底怯えて右往左往しかねない。駄目だ駄目だ、信じちゃダメだ、想像の産物なのだ、これは寺院の策略だ、宣伝なのだと懸命に綱引きしながら黙々と頁を繰り続ける羽目になった。

 そんなこんなで眺めた地獄絵図の主たる色彩は、圧倒的に業火の放つ赤色であるのが印象深かった。地獄は巨大な炎が束となってうねり狂う、ひどく赤赤とした場処なのだ。石井隆は映画作りを「地獄めぐり」によく喩えるし、実際の性犯罪や暴力事件の被害者に触れて男性社会のなかで女性がどれ程の地獄を負っているかを切々と語り、その実態をフィルムに定着すべく骨を折っている。地獄は他界ではなくいくらでも現世に潜んでいて、淀んだその存在を無視して現代劇は作れないのだと考える。そんな石井の「境界上の生き地獄」を振り返ると、巨大な炎を焚きあげる展開の実に少ないことに驚く。

 乗用車が大型貨物車両や停泊中のタンカーに激突したり、栓がひねられてシューシューと可燃ガスが充満する部屋で電燈のスイッチが入れられて火花が瞬時に拡大したり、はたまた爆弾を着装した男がそれへ電気を自ら走らせて威勢よく砕け散っていく。過去の石井劇画にそんな炎に染まる場面を探し出すことは出来るのだし、『死霊の罠』(1988)や『黒の天使 vol.1』(1998)には激しい炎上が盛り込まれてあるにはあるのだけど、いずれも派手な跳躍をともない、どこか娯楽活劇の風貌があった。焼かれるのは自分側ではなく、手前勝手で非人情などこまでも粗野な男たちであって、彼らを焼く行為と風景にはどちらかと言えば「浄火」の趣きさえあった。

 石井が本気で描こうとする「生き地獄」には炎はそそり立たず、湿度の高い陰鬱な背景にこそ酷薄な行為が集中する。たとえば『GONIN』(1995)や『夜がまた来る』(1994)での湿度と暴力の融和していく場景がすぐに思い出される。近作『GONINサーガ』(2015)においては土壇場での爆発炎上の回避であり、あれはどんな意図が在ったのだろうかとしばしば考えるのだが、一種の「地獄づくり」が為されたのではないかと今は捉える。家族を喪った病身の男(竹中直人)が、劇終間際になって吸引用の酸素ボンベに向けて銃弾を撃ちまくり、その場の主たる登場人物と自分自身をすべて灰燼に帰すべく、まさに決死の覚悟で爆発炎上を目論んだのに対して、石井は何故か一発も被弾させずに無傷のままでボンベを温存し、その代わりに天井のスプリンクラーを起動させて室内を土砂降りにしている。

 日本の映画づくりの現場を絶えず脅かす予算の制約があったものかしらと当初は勘ぐったのだけど、どうもそれだけではないようだ。夢と慚悔の藻屑となり果てつつある「バーズ」をめぐる長い道程の終幕に、悪魔の哄笑めいた爆発音と炎の祝祭をあっさりと回避して雨をざぶざぶと降らせる背景には、あれは石井のなかで辿りついた一種の宣言だったのじゃないか。「地獄」というものと炎の明るさがどうしても馴染まないと結論づけたのだ。執念の作者たる石井の、いわば土台石が露出した瞬間でなかったろうか。

 煩悩の業火の勢いをせめて弱めようとする慈雨なのか、それとも滝のごとく降り止むことなくやがて窒息に至らしめる拷問か。ざんざん降りの雨のなか、男がおんなを、おんなが男を極卒の魔物と化して盛んに追い立て、互いを刀葉林へと誘い込む。血が雨と混じってまだらの渦を作って流れていく。生きているのか死んでいるのか判然としない濡れ鼠となった人間の胴体が、あちらにもこちらにも累々と転がるばかりだ。それが石井の中のぶれることのない地獄の実景なのだ。

 嗜虐愛好誌で当初連載され、後年加筆されて青年誌「漫画タッチ」に再登場した【魔奴】(*2)という劇画作品は、改訂の際に『GONINサーガ』同様の火焔の回避運動が起きている。郊外の森の奥に位置する、空に向けて尖塔を突き上げた装飾屋根が特徴的なモーテルを舞台に選び、大量殺戮に取り憑かれた管理人とそのモーテルにさ迷い入ってしまった娘との奇妙な共棲の時間を描いていくのだったが、劇の終幕で次々と室内に火が燃え移り、轟々と赤い光に建屋全体が染まっていったオリジナルの最期に対し、再構成された「漫画タッチ」版では大団円の舞台を暗く湿った地下空間に求め、火を起こさず、「生き地獄」の温存を図っている。

 簡単に地獄が消えるはずがないじゃないか、燃え尽きるわけがないじゃないか、周りを見てみろよ、この世の中をこの毎日をご覧よ、人間の住まう場処総て地獄じゃないか。その地獄を苦いつばを呑み込むようにして認め、その中でどう生き尽くすか、そういう事じゃないのかな。そんな声が聞こえるようだ。

 萩原健一と内田裕也両名の彼岸への出立を石井は彼なりに演出し、映画の一場面に模して描いてみせたのだが、この絵に取り込まれている死出の情景は萩原のものでも内田のものではない、まぎれもなく石井隆のそれである。追悼特集の扉絵という役割を超えて、石井世界の広大な裾野に連なっている点をこそ読み手は理解し、新作映画の予告を目撃したつもりで玩読せねば勿体なく、どうにもこうにも淋しい。

 消失点の先には雨が煙るばかりであり、地獄極楽絵にありがちな赤い炎の瞬きも金色の雲もたなびくことなく、妙にうら悲しい街灯(まちあかり)風の儚いものがぼんやり遠くに浮ぶだけである。手向けの場であるのに甘ったるい弔辞を口にせず、最期の最期まで役者を追いつめている。映画作りは「地獄めぐり」であり、映画で見送るということはこういう事だろうと容赦なく雨をざんざんと降らして、そんな酷い環境にだけ奇蹟的に花ひらく生涯忘れ得ない表情を渾身の力で切り取っていく。求めても詮無いことだが、こういう映画と表情、石井にほんとうに撮ってもらいたかったと切実に思う。

(*1):「HELL 地獄-地獄をみる-」 梶谷亮治、西田直樹、アートディレクター 高岡一弥 パイインターナショナル 2017
(*2):【魔奴】 「SMセレクト」 東京三世社 1978、「漫画タッチ」 白夜書房 再連載 1979



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