2019年6月15日土曜日

“消失点”~萩原健一、内田裕也追悼扉絵(3)~


 【図3】は銀幕の位置をそのままにして、それ以外の人物を残らず左へ幾らか移動した結果である。銀幕を斜めに切り裂く対角線および縦の中心軸と横の中心軸とが交差するところに仮に「中心点」と呼ぶものを置いてみれば、それはおんなの頭部と重なっているのが分かる。その「中心点」から放射状に線を引けば、おんなの髪や肩、コートの裾の膨らみと線の流れが一致すると共に、銀幕に投影された男たちの瞳の位置までもが見事に線上に配置されていると解かってきて、手前に佇む男たちと銀幕のバランスもすこぶる綺麗で申し分ないから、この一枚絵が当初はこのような明確な構図ありきであったと推測され、たぶんその想像は間違っていないという確信も湧くのである。

 皆さんのなかには美術学校を出られた人もいれば、現在も日々の魂の糧として画布に向かう人も交じると思うから、釈迦に説法と笑われるかもしれないけれど、私はこの「中心点」と放射線を見た瞬間にレオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinciの「最後の晩餐 Ultima Cena」(1495-98)を連想している。言わずと知れた傑作であるのだけど、あの壁画が中央に座る聖人の「こめかみあたりに打った釘に紐をつけて、その「点」からあちこちに引いた線に沿って、画面のあれこれを配置していった」(*1)ことはあまり知られていないように思う。「その制作の光景を想像してみると、絵を描いているというより、ほとんど機械を設計しているようにすら思えます。とにかくダ・ヴィンチは、そのようにして天井や壁や、壁に掛かった四角いタピスリー(?)などを遠近法の法則に基づいて描きました。」(*2)

 上に引いたのは遠近法をテーマにした布施英利(ふせひでと)の書籍であり、図版もこの本から借りている。リアリズムを重視した天才画家は「最後の晩餐」を「一点遠近法」もしくは「一点透視図法」と呼ばれる技法を駆使して丹念に描いたのだが、単に画家は建屋含めた背景の迫真性を増す目的だけで一点透視図法を採用したものだったか。布施の言葉に誘われるようにして古(いにしえ)の製作現場に想像の翼をはばたかせ、画家の背後に降り立って壁に張られた放射状に広がる糸を眺めていると、そこに単なる技法をこえた祈りや聖性を誰もが嗅ぎ取ってしまうのじゃないか。

 家族であれ組織であれ、人が人をそっと見守る行為において、視線(まなざし)は可視化されることなく、空虚だけが間を隔てるばかりであるのだが、もしも人の視線を実線にして表わすことが叶ったならば私たちの住まう世界は一体全体どうなるだろう。おびただしく熱い実線がつぎつぎに空間を横断し、想いの豊かさと烈しさに胸が締め付けられるのではあるまいか。また、光背(こうはい)、後光、頭光(ずこう)、ヘイローと名付けられた人智を超越した放射光を私たちは古今東西の宗教画に目撃するが、その存在を「最後の晩餐」の画家はまったく意識しなかっただろうか。構図と技法という最終的にはあまり目に触れにくい「不可視の形」にてそれ等を刷り込む意図はなかったろうか。

 そんな「最後の晩餐」と石井のこの度の扉絵を結びつけ、祈りと聖性の付随することを共に了解することはあながち見当違いではないように思われる。 

 「最後の晩餐」において、「聖者のこめかみに置かれた点」は技法上の呼び方では「消失点」と言う。手向けの絵として描かれた石井隆のこの不思議な絵の当初の構想において、石井は「消失点」をど真ん中に設定し、そこにおんなの頭部を置き、そのおんなを一直線に見つめる位置に男の両の瞳を並べている。雑誌の挿絵、たかがイラスト、たかが芸能人の似顔絵で終わることなく、真情をこめた宗教画を石井は贈ったのである。ここに聖人はいないが、人が人を愛することにともない直線的に相手へと放たれ空間を貫かれていく情愛の強さと、消失点にむけて真っ直ぐに歩むより他に道がない私たち人間という生命体ひとりひとりの宿命が説かれている。

 本来そのように設計された聖画が、右へ右へとずれてしまった事情は何であったのか。題字を組み込む編集者の意図を汲んだ結果なのか、中心軸に立つおんなの後ろ姿が雑誌の「のど」にすっかり呑まれて見えなくなるのを回避するためであったのか、その辺はまるで分からない。石井隆という繊細過ぎる作家のおそるべき深慮が最後の最後になって働き、鈍重な構図の安定を嫌い、消失点への道行きに抗い、もしかしたら型にはまらぬふたりの役者の昇天なのか消滅なのか、その行く末を製図上許さない事で、一種の「永遠」を刻印した可能性だってある。石井隆なら本気でそういう事をやりかねない。彼もまた天才であり、往々にして「不可視の形」で想いを刷り込むからだ。

(*1):「遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる」 布施英利 光文社 2016 183頁
(*2):  同


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