2017年7月23日日曜日

“もっとも美しい”~【魔奴】と【魔樂】への途(みち)~(2)


 主線(おもせん)(*1)をアシスタントの手に委ねず、己で描き切った手塚治虫の漫画は見応えがある。時折ページをめくる手を休めて、顔をぐっと本に近づける。香ばしい紙とインクの匂いを味わいながら至近距離でコマを凝視し、キャラクターを形づくる輪郭や手足の線を味わうのは私の性癖だ。静止画にもかかわらず強い躍動感がほとばしって感じられる。腰の位置が前後左右に微妙にずれて、人物の内面に宿る気力や好奇心、おごりや怒りを上手に表わしている。そこに四肢が連動して上に下にと優雅に舞って、吹き出しを目で追うまでもなく、極めて能弁に感情や意志を示してみせる。

 手塚の魂入れの執念は指先の反り具合にまで注がれ、見事というほか言葉がない。神技とはこういう描線を指すのではないかと本気で思う。他の作家ではなかなか出来ないと思われるこの滑らかな動作表現は、ウォルト・ディズニーのアニメーションに傾倒した手塚が苦労して体得した至芸だろう。

 手塚とディズニー映画を比較して語っても誰も怒らないと思うのだけど、それは生前の手塚がディズニーへの心酔を口にしていた事が理由として大きい。切り離せない、密着したものとして両者はこの世に在る。それは特別な事例ではないのであって、絵描きの世界とその表現法を考える際には、一個人の枠、一個の肉体に思索を閉じ込めることは出来ない。作家を取り巻いた世相や先達の栄光や挫折を懸命に見定め、それ等との連結なり化学反応にまで思案の指先を伸ばさなければきっと解し得ない、そんな洞窟めいた場処がいくつも隠されているものだ。

 誰に惹かれて、何を目指したのか。他者の影響の有無をひもとく道程は、作品の玩読に不可欠であり、たとえば、上村一夫(かみむらかずお)に対して小村雪岱(こむらせったい)の画面構成、原稿用紙の地色を思い切り生かす手法、墨ベタに込められた美意識を連結させることは極めて重要なプロセスだろう。真似た、真似されたという狭い了見で絵画世界を判断してはいけないのであって、私たち読者は四方八方に目を配り、とことん貪欲に吸収を続けるべきと思う。

 他者の影響を語るなんて漫画家に失礼な話だ、手塚と上村は物故者であるから、それでおまえは甘えて勝手な推論をめぐらせる事が可能なのだ、卑怯者め、と人によっては思うかもしれない。それでは仮に両者が存命だったとしてインタビュウでディズニーと小村の名を出したら、この天才たちはそろって顔をそむけて話の転換を図るものだろうか。むしろ逆ではないか。的を得た指摘は本人を喜ばせ、会話の潤滑油になるように思う。

 わたしの石井隆を語る日々は当の本人がまだ元気で闘っている訳だから、考えてみれば相当に乱暴な言説の連なりなのだけど、意図するのは石井世界の的確な読み解きであって、劇画史や映画史を歪曲させるつもりはない。これでも慎重に岩を切り出し、ゆっくりと掘り進めている。落盤をいちばん怖れているのはわたし自身でもあるし、石井と関係者を傷つけることが無いように随分と気を遣っているつもりだ。

 絵の道筋には常に「手本」があり、憧憬や私淑が画家の腕を成長させていく。石井の視線の先に誰がいるかは秘密でもなんでもなく、知ることは存外たやすい。彼のインタビュウ中に幾人もの名が上がっているので、それを探して読めば良いのだ。上の手塚治虫、上村一夫の名も実はそこに並ぶのだけど、ここでは月岡芳年(よしとし)についてピントを絞込み、石井の作品に垣間見られる共振を取り上げて行きたいと思う。

 石井が女優、余貴美子を土屋名美役として迎えて『ヌードの夜』(1993)を完成させた際に、劇中で息絶えた不幸なおんなを題材として一枚の「幽霊画」を描いた。ポスターやチラシといった宣材に多用された一枚であるのだが、私はここで一縷の可能性を頼りに石井が敬慕の念を持って名を口にする芳年の作品を横に並べ、両者の連環を展開しようと思う。推測の域にも及ばない朦朧とした性質のものだから、先に書いておくけれど断定はもちろん出来ないし、石井が知ったら事実と違うから訂正して侘びを入れるように叱責の便りが届くかもしれない。

 「幽霊画」でなければ、私もここまでは執着しない。普通のおんなの肖像画であれば、このような構図の作品は山とあって世間を愉しませている。たとえば書店の美術コーナーに立ち寄って画集の一冊でもめくれば良い。先日「美人画」という文字をタイトルに含んだ本を私も眺めてみたのだけど、若い作家たちが女体美の創造に取り組み、技巧を尽くしてこれでもかとばかり色香を際立たせ、まったく大したものだと感心した。その上で思ったのだが、どうしても構図は似てきてしまうのがこの手の絵画の宿命らしい。

 おんなの身体を描くのに、頭頂部のつむじや足裏の荒れた角質を画布の中央にどんと置いたりはしない。そんな事に挑む画狂人はもしかしたら石井隆ぐらいであって、普通はしない。美人画の構図というのはそれ程のバリエーションを持たないから、『ヌードの夜』の一枚絵に似た左向きの横顔、背中をこちらに見せる形というのは探せば簡単に見つかる。

 しかし、「幽霊」を描くとなれば随分と話は違ってくるのではないか。怨念を抱き、それとも現世に未練を持ち、私たちに向けて何かを訴える様子で出現する「幽霊」を描くとき、その多くの姿勢にはパターン化したものが見受けられる。こちらに顔を向け、上半身を前方に、私たちに傾けて描かれるのが普通であるのだし、仮に背中を向けていても頭部や顔、瞳はぐにゃり捻じれて振り返り、お前さま、見ましたね、見ちゃいましたね、怨めしや、呪い殺して進ぜよう、と、ばかりに形相いよいよ怖ろしく前へ前へと迫ってくるものである。

 月岡芳年は魑魅魍魎を描くことを得意とするところがあり、幽霊も数多く描いているのだが、そのうち二枚に石井の『ヌードの夜』と趣きが似たものが見つかる。一枚は肉筆絹本で、おんなは後ろ向きでやや左に身体を傾げて立っており、もう一枚は連作「月百姿」にある「源氏夕顔巻」(1886)であって、題名の通り「源氏物語」の一場面を材にしている。こちらも左向きであって、その思念のベクトルは私たちの側に向かわずに何処か遠くに行っているところが『ヌードの夜』と極めて似ている、と言うか、石井の『ヌードの夜』と似た幽霊画はこの二枚以外に私は探せないでいる。一時血まなこになって幽霊画の本をめくってみたのだが、この三枚の独自性はなかなか崩れない。

 国文学者、文芸評論家の松田修(まつだおさむ)は、芳年の「夕顔」について以下のような言葉を残している。「日本の幽霊のなかでもっとも美しい」「このように美しい、寂しい、静かな霊が、顕(た)ちうるのか。それは芳年の能力の一面であり、本質的な一面なのである。」(*2)

 石井隆はこの松田の文を読んだものだろうか。『ヌードの夜』を描くに当たって、どれだけ芳年を意識したものだろう。まったくの私の妄想の可能性もあるけれど、日本でもっとも美しい師の幽霊画を越えるべくライバル心を静かに燃え上がらせ、息を止めて筆を走らせた石井を想像するのは愉しい。百年という歳月を越えた師弟愛を夢想することはなかなか味わい深く、人が人に影響を受け、愛し繋がっていくことの不思議さ、素晴らしさが滲んで、もうそれだけで十分に目頭が熱くなっていく。

(*1):絵やイラストで、輪郭を構成する主要な線。「しゅせん」と普通は読むが、漫画製作の現場では「おもせん」と呼び合う事が多いため、ここではそのように書いた。 
(*2):「美術手帖」 1974年11月号「特集 芳年 狂気の構造」 松田修「〈悲劇〉の傍観者 『月百姿』の背景」 97頁 美術出版社 



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