2017年7月2日日曜日

“絵師の振幅”(2)


 月岡芳年(よしとし)の画集を眺め、雑誌の特集を舐め回し、時には博物館まで足を運んで浮世絵の実物と対面して唖然とするのは、この絵師のレパートリーの途轍もない広さだ。分厚い全集に収まらないぐらいに描きまくっている。どんな画題でも揺るがなくって、ほとんど線に迷いがない。

 春画だけ極端に数が少ないのは不思議で、よく知られたものだけれど顔が巨大な女陰となった幽霊画が残されているきりだ。なにかを証し立てる具合にぽんと放られた唐突な風情があるのだが、では、芳年に女性を忌避する性質があったかと言えばどうもそうではないようであり、馴染みの遊郭の宣伝を頼まれると惜しみなく腕を振るい、其処の遊女たちを活写する。

 「全盛四季夏 根津庄やしき大松楼」(1883)という三枚組の絵では、身体の線を軟らかく曲げ伸ばした四人が湯浴みの直後であろうか、浴衣をちょっと着崩したりしてやたらと色っぽいのだけれど、同時に清涼感ただよう気品を従えていてなかなか筆が冴えている。モデルとなったおんなたちが歓声を上げ、芳年センセ、ありがとう、と、大いにはしゃいでまとわり着く様子が目に浮ぶようだ。

 「風俗三十二相」(1888)、「月百姿」(1885─92)といった連作に息づくほかのおんなたちの面影にしても、いくらか芝居がかった所作なれど形骸化に至らず、むしろそれぞれの個性が強調されており魂が宿って感じられる。体温とほのかな甘い体臭もゆらゆらと放射されてきて、自ずと幸せな気分になっていく。時をさかのぼって芳年の肉声を聴くことは出来ない以上は勝手な妄想に留まるが、おんなという存在の実体や裏側もすべて分かった上で、その総体を愛おしく思い、慰撫するが如き視線で包みこんでいる気配が読み取れる。

 あれ程の酸鼻極まる無惨絵を描きながら、一方で子供が喜びそうな妖怪を表情豊かに送り出し、歴史絵巻をパノラマ風に仕上げ、往時のおんなたちの肢体も美しくなぞってみせる。あまりに多彩で見れば見るほど驚いてしまう訳なのだが、娯楽の少なかった江戸から明治にかけての浮世絵師という存在は、現代でいえば映画監督、漫画家、写真家の役割全てを求められ、八面六臂の仕事をこなさざるを得なかったのだろう。それに応えられる者しか生き残れない過酷な世界であり、芳年という男は果敢にその戦場を生き切った。

 人には持って生まれた役割があり、相応の能力が与えられているという話も聞くが、芳年に与えられた才覚というものは厚みがあり、密度もあり、まるで特別なものだ。絵師という存在の無尽蔵の力を見せつけられた気持ちになる。加えて絵画というやつはつくづく魔術とも思う。時代を跨いで真向かう今の世の私たちにも、少なからず影響を与え続ける。考えてみれば神秘的だし心底怖ろしい。作り手の絵師という存在は一種の妖術師だろう。


 さて、ひと通り芳年について触れたところで、次回から本題に入ろう。石井隆の【魔奴】(1978)と【魔楽】(1986)を読み解く上で、ずるずると前置きをさせてもらった訳である。“ひとつ家”と“食人”、それに“無惨絵”といったこれ等は、どれもが欠かせないパーツとなっていて、石井のなかで鉛でじゅうじゅう溶着されたバッテリー導線みたいに固く結び付いているのではないか、と想像している。


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