2011年3月19日土曜日

“愛しきものたち”による結晶~石井劇画を構成するもの~



 この一週間の出来事の仔細と今も目の前で繰り広げられている悪い夢にも似た光景の数々を書き留めて記憶に刻み、次の世代に伝えようかと余程思わないでもないのだけれど、エアポケットに落ち込んだような週末の静かなこの午後に記しておきたい内容はやはり石井隆と彼の作品に関する思索のあれこれだ。

 真黒い大波に洗われることなく、家族や知人も皆が無事であったことの幸福に浮かれ騒いでいるつもりは決してなく、こういう表現がこの時機ふさわしいかどうか判らないけれど“土壇場”、“瀬戸際”という感じに絶えず圧迫されているせいだ。三十年という歳月を跨いで観て、読んで、考えてきたものを早く形にしておきたい、こうしてモニターに向かっていられるような時間は一切合切無くなってしまうのではないかと背中を銃口で小突かれている気分でひどく焦っている。

 深呼吸をして、ふたたび石井の“冥府”に気持ちを戻そう、と、したのだけれど今度は“不謹慎”という言葉が頭の隅の方でちらちら明滅する。思えばここ一週間、映画、小説、テレビドラマといったフィクションに気持ちが一切傾かない。生物としての原始的な部分で何かしらの回路が遮断されたみたいで、飲酒その他の身体的欲求がいずれも大きく減じてしまった。戦時下の日本で娯楽、音楽を徹底して禁じ、美粧を控えたことを思い返して、なるほど、そういう厳しい局面では無理強いなどしなくても自然に誰もがそうなったのかもしれないな、なんて想像を巡らしてみたりする。こんな時に映画や漫画のことを書き連ねることは他人からはずいぶん“不謹慎”に見えることだろう。

 けれど、わたしの目に石井隆の世界はひとりの個性的な絵師による「宗教画」に準じたものに見えているから、語ること、紹介することを卑俗で無価値とは毛頭思っていない。わたしの“私らしい人生”には大事なことと考えているのだけれど、沿岸部の惨状や受話器越しに聞く知人、友人からの切な過ぎる話と衝突して逡巡するものがある。もう一度、深呼吸してみよう。

 石井は『死んでもいい』(1992)公開時に行なわれた対談(*1)でフランスの監督ロジェ・バディムRoger Vadimについて突然に相手から振られた際、即座に『血とバラEt mourir de plaisir』(1960)のタイトルを上げて、劇場に「何度も通った」作品と返している。この『血とバラ』の中には幻想的な夢のまとまりが在って、その中のひとつは後年石井が描いた【真夜中へのドア】(1980 タナトス四部作に含まれる)の一場面と繋がって見える。

 身の丈もある大きな窓を境にして現世と冥界とが隔てられており、向こう側は水槽か海のような具合になっている。石井の作品においてはひどい火傷を負って死線をさまよっている名美の母親がゆらゆらそこを漂い、徐々に光の届かぬ暗い方へと遠ざかって行く。慌てふためいた名美は窓を必死に叩いて母親を引き止めようとするのだったが、黄泉の死者はもはや手遅れと取り合わないのだった。

 上の対談において石井は『血とバラ』には確かに何度も通ったけれど「他にもそういうのはあります」と言い添えて、バディムに拘泥したのではない事を強調している。なるほど石井は“バディム派”と括られる程には同監督作品に酔ってはおらず、『血とバラ』という作品についてだけ極端に酩酊して見えるのだ。

 石井の劇画には多くの映画、絵画の面影が投入されているのだけれど、どれもが閃光のように断片的なのが特徴となっている。雨滴が車のサイドミラーの下辺にへばり付き、丁度差し込んだ朝日を屈折させてしばし凄まじい真っ赤な光を投げかけてきて、程なく力尽きて地上に落ちていくことがあるけれども感じはあれに似ている。つまり人気作品に便乗して筋運びや人物像をそっくり真似るとか、丸々まとまった場面をそのまま盗用するという性格のものとはまるで違っている。一瞬だけを組み込むのである。

 本当は石井劇画に散りばめられた多くの事象をひとつひとつ取り上げ、比較検証しながら石井世界とは何かを究めて行こうと思っていたのだけれど、世間の事情があまりにも騒然として先が見えない状況であるから私なりの結論を急げば、石井世界は呑まれることなく、相手をどんどん呑む。絵画、映画スチール、グラビアといった一瞬の情景を幾つも呑み込んで花ひらいた結晶体の面影がある。ロマンティークな男女のドラマの其処此処に別な物語の息づきが挿入されて、せわしく懸命に、健気に肩寄せ合って活動しているように見える。

 そして大事なことは、それら挿し込まれた細片のどれもが石井隆にとって愛すべき記憶の断片に等しく、劇の骨格と同等に想いがひとつひとつ込められているという事だ。コマを埋めるためにルール無用にあたり構わず切り貼りされたのでなく、愛着ある光景なり恋している女優の容姿といったものに充たされてあるが為にコマのひとつひとつが生命を得て語り始めるのである。

 この細分化されながら全体を皆で担っているという石井劇画独特の構造が後年の映画演出にも影響し、日本映画には類を見ない“群像劇”へと発展していった。少し急いでしまったけれど、そのように自分なりに読み取っているところだ。

(*1):「月刊シナリオ」 1992年10月号 桂千穂〈作家訪問インタビュー〉クローズアップ・トーク



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