2020年7月18日土曜日

“運行図表(ダイヤグラム)”~石井隆の時空構成(4)~


 過日海外から客人を迎え、駆け足で町のあちこちを案内する機会を持った。その際の会話で印象に刻まれたのは、彼らが日本の鉄道に向ける驚嘆のまなざしであり、それを通じて拡大解釈された私たち日本に住まう者への礼賛の念の強さであった。

 緻密な運行図表(ダイヤグラム)に一分と違わず発着を繰り返す電車にひどく驚き、これを成し遂げる鉄道会社の社員たちを讃えるとともに、日本国民の繊細さ、生真面目さの発露ととらえては言葉を尽くし、目をきらきらと輝かせる。

 はたしてそうだろうか。彼ら鉄道員を私たちの代表と考えられると迷惑ではないにしろ、何だか妙な気持ちになる。ダイヤグラムを是が非でも守らせようとする威圧的な社風が醸成された結果、無理な速度調整をした運転士が現われて、遂には多くの死傷者を出した脱線事故に至ったことを私たちは記憶に深く刻んでいる。素晴らしい、世界に誇れるとべた誉めされても正直あまり嬉しいとは思わない。

 国民性や民族性といった言葉で何百万、何千万もいる孤別で多彩な人たちを一括りにして形容することの愚かしさ、危うさについて、歴史は雄弁に物語って絶えず警鐘を鳴らしている。私などは歴史なんかに無縁の存在で、名を残す働きなど何もせずに黙って墓に納まる役回りだけれど、先人たちが無念の涙を流しつつ足を踏み外した陥没穴に目を凝らし、上手にそれを避けて歩む義務のようなものは託されて在ると思っている。軽口はたたかないように自重し、また、相手の言葉も鵜呑みにはしない。

 珍客の話題はこれぐらいにして、今は何を言いたいかといえば、日本の鉄道と駅ぐらい時間に支配された存在はないという点だ。先述した臼井の「駅と街の造形」という本のなかに次のような文章がある。駅をめぐる森羅万象に骨の髄まで浸らせる、そんな鉄道マン人生を過ごした臼井ならではの言述だ。

「列車は時刻表に基づいて運行され、乗客は駅に装置された時計や運行案内板にしたがって行動する。駅を支配するものは誰でもなく実に時間であり、駅は時間の表徴(ひょうちょう)に満たされた空間といえる」(*1 111頁)

 駅を利用する私たちは大きな車輪付きの台に乗り込み、長距離移動にともなう肉体疲労を回避しようとしている。中には純粋に電車そのものを愛で、がたごと揺られることの愉悦を味わいたいが為にしげしげと通う趣味人もいるだろうが、大概は運賃を払って移動する目的である。気持ちを縛るのは距離や速さ、混み具合、目的地での過ごし方であって、駅と電車がどれほど正確に動いているかなんて意識しない。

 石井の初期の劇画【夜がまた来る】(1975)を振り返るとき、ついつい我々の目はおんなの肢体に行き、その暗い瞳を覗きつつ正体のまるでつかみ切れないことに苛立ち、ついでにその横で立ちすくんで狼狽しまくる哀れな若者の横顔を笑って、いやはやおんなは怖ろしいものでござるな、男など蜘蛛の巣にかかった蜉蝣(かげろう)みたいだな、と自嘲しつつ頁を閉じる次第なのだが、実はこの劇の肝になっている点は鉄路という完璧なダイヤグラムに劇が丸ごと乗っかっている点である。

 始発の電車に乗り込んだ男女を描いただけでなく、途中下車した男女が離れ離れになることなくプラットホームに居続け、まもなくやって来るはずの次の電車を待ってホームに無言でたたずむ風景は、時間というものに男女が支配されていて、その呪縛からは到底逃れられないという事を裏打ちしている。

 “日本の駅空間”に流れる時間は人の生理に特におかまいなく刻み続ける面からいって、まったく冷徹で容赦がなく、その分、人間なり恋情という物象が無常で儚いことを暗に伝えてくる。石井隆がそれに気付いて劇に盛り込んだのか、それとも往事の誰もがそう思い共振したものか。たぶん前者ではなかろうか。石井ほど訥々と、けれど徹底してドラマを思考する者はいない。

 石井はその後も“日本の駅空間”を支配している「時間」を劇中に採用し、読者の気持ちを揺さぶり続けた。石井にとって都会に生きる男女を描くことは、駅空間にまみれるという事でもあった。

 ここでさらに例として石井の劇画作品を上げれば、【三十分の街】(1977)が分かりやすい。街娼との束の間の交感を描いたこの小編は、駅の入口に掲げられた大時計のアップで始まり、同じくその針のツンと動いた瞬間を写実的に描いて幕を閉じている。肉体を丸ごと一定時間、ゆきずりの相手に差し出す娼婦とそれを買う男を描いたこの寸劇を、単なるひそやかな情事の擬似ドキュメントと読んで思考をあっさり止めてしまう読者がほとんどだろうが、込められた石井の思念はずっと深く、湿度も予想外に高い。

(*1):「駅と街の造形」臼井幸彦 交通新聞社 1998

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