2015年1月2日金曜日

“恍惚(トランス)”~石井隆の風呂場~


 急用をこなして後、自分への褒美に川べりの高台にある温泉寄り道をした。露天もたっぷりと取って贅沢な造りだ。眼下には雪化粧なった林野と、これに挟まれて蛇行する川筋が墨絵となって広がる。連休に突入したにもかかわらず予想外に客はまばらで、お湯と眺望を悠々と独占して充足するものがあった。

 湯気の奥にかつお節のような、錆びついた感じの薫りの重奏があって鼻腔をくすぐった。試しにそっと手ですくって舐めてみると、太古の昔には海だった名残なのだろう、微量ながら塩気を感じる。こんな山奥にありながら、うねり逆巻く海原を間近で見たような気分になる。膨大な時間をかけて大地の変幻する様子と比べれば、人間の営みや生きる時間など、なんとも儚いものだ
 
 岩風呂からかけ流しが溢れてこぼれ落ちる際の、ぴちゃ、ぴちゃりと時おり跳ねる音以外なにも聞こえない。そのなかで思い切り手足を伸ばし、灰色にぼうっと光る大空を眺めているのがすこぶる嬉しい。いつしか頭の中が空っぽになっていた。
 
 わたしに限らず多くの人にとって風呂は、一時の幸福をもたらす大発明であって、その場所に身を置けば悩みや諍いも一時停止のモードになるのが普通だろう。そんな休戦ライン上にあるべき風呂場が、石井隆の手にかかると魔窟に変わったり、殺戮の舞台に選ばれたりするのが不思議というか面白いというか、ずっと気になっていた。気にしたところで答えなど見つからないのだけど、表裏(おもてうら)のある描写を石井隆という作家は意識して、それも常に、それも至るところで行なっている節が視止められ、たとえば風呂の描写もそのひとつである事は違いないように思う。
 
 女優の衣服を剥ぎ、その艶かしい身体のラインを露わにして受け手に提供するという名分の裏側で、こっそりと幸福の一大発明たる風呂に対して小石を投じて波紋を起こしている、そういう尖(とが)った蝕感が少しある。天邪鬼というのでは決してなく、石井の生理として入浴する行為なり、水に包まれる状況を単なる愉楽として描いてみたり、ささいな日常の点描として劇の流れから弾き出すことが難しいのだろう。
 
 もちろん私たちは風呂場を洗髪や入浴以外の目的に使うことがあり、そこでは家族の身体にへばり付く不浄のものを洗い清めもするし、時には愛する誰かを誘って性愛にふけることがある。ひとつの場処に複数の肉体と精神が集えば、そこに魂のゆらぎが生じるのは当然だし、こころの針は喜怒哀楽のさまざまな方向へはげしく振れていくのが普通であるから、ひと言に風呂場といっても様々な色彩を孕んでいくのだけれど、それにしても石井隆の風呂の使い方は私たちが体感する幸福や日常生活からかけ離れていて、あまりにも極端すぎるように思う。
 
 『死んでもいい』(1992)、『GONIN』(1995)、『フリーズ・ミー』(2000)では殺人が、『夜がまた来る』(1994)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では非情な暴行が繰り広げられる。『花と蛇2 パリ/静子』(2005)では兄と妹がバスタブに漬かり、その危うい空気の漂うさまは、観客はもとより当の兄妹にとっても必ずしも居心地の良いものになっていない。どちらかと言えば快楽よりも苦痛、苦渋、逡巡にまみれた場処となっていて、この負の方向への徹底ぶりは一体全体何だろう。

 
 石井隆という作家の年齢に由来する点が、ひとつ考えられるだろう。1946年生まれの石井にとって風呂場は、家屋にあって辺境に位置し、異界の者が夜毎侵入を重ねて思えるそら恐ろしい場処であったに違いない。高度成長期とバブル期を経て、住宅や商業施設、公的建造物の人目にふれない部分にも手が加わるようになり、便所はトイレに変わり、風呂場はユニットバスもしくは洗練された石組みのシャワールームへと変わっていった。このめざましい変化を目の当たりにした末尾の世代にわたしはかろうじて属しているから、石井が風呂場を陰鬱なもの、怖いところ、暗闇に支配された空間と捉えることに対し、生理的に頷くところがある。
 
 洗い場の湿った簀子(すのこ)に下には、なめくじ、かまどうま、げじげじといった虫が徘徊し、人の垢(あか)や毛髪を栄養源とする微生物がベタベタと壁や天井に巣食った。かび臭さと常に同居するのが一般的であったし、水を抜いた風呂桶というのは古井戸にも似た奈落感が宿っていて、子供心に河童や幽霊がにゅるり這い出てきても、それほどおかしな風には思わない。そういう負の領域で風呂場はあった訳であり、私より年長の石井にとっては、同様の印象がさらに強く刻まれていることだろう。
 
 それと、これは例によって本をひもといての自分勝手な内部連結であるのだが、石井作品の風呂場には私たちの先祖が風呂に対して抱いただろう原初的な畏敬の念と、ひそかに、けれど硬く結ばれた感がある。つつましく、薄暗かった戦後のそれよりも古い、さらにもっともっと時代を遡ったところにある風呂のルーツとそれを取り巻く人間の思念とに重なって見える。本人はそれを意識しているかどうか解からないし、そんな事を本人の前で話したとしても笑って聞いているだけに違いないのだが、石井の描く風呂場というのは極めて呪術的と思う。
 
 吉田集而(よしだしゅうじ)という人と、山内昶(やまうちひさし)、彰(あきら)の親子で著した二冊の本(*1)を読むと、石井隆の風呂について思案を進める上で手を差し出して来る語句にたくさん出逢う。風呂の起源とそれをめぐる精神的な背骨の部分を根気よく探っていく内容となっており、刺激的な読書体験となったのだけど、なかでも呻らせられたのは、いつしか娯楽の域に貶められてしまった風呂ではあるが本来の目的は狩猟の成果を占ったり、成人儀礼としての非日常の仕組みであり、“シャーマニズム”と色濃くつながっていたのではないか、という吉田の仮説だった。
 
 水を完璧に溜めおく技術が確立する前から風呂の原型は立ち上がっており、最初は密閉した空間で焼けた石と液体を接触させて蒸気を浴びる、今でいうサウナに近い原理と形であったものらしい。肝心なのはそれが神聖と考えられていた火と水を接触させる行為であり、シャーマンを取り囲んでの聖なる儀式であったという点だ。快楽を得る装置どころか、酸欠や煙をともない、ときに身体を傷つけ合って忍耐を強いる苦行、宗教的な荒行そのものであったのだし、幻覚剤をくべたり服用する祭事空間でもあった。身体の充足ではなく、魂や霊的なものとの邂逅こそが目標であった。
 
 吉田は風呂の起源、いや、入浴という行為の根幹にあるものを“恍惚(トランス)”の一語に集約して見せてこれには感服したのだけど、振り返って石井の劇を覗いてみれば、なるほどあの時間や行為は原初的な息吹に包まれた“風呂場”であったと気付き、ようやくして腹におさまるところがある。
 
 石井世界の混沌とした愛憎劇にはどこかギリシャ神話に似た面立ちが読み取れるし、同時に日本に伝承されるアニミズム的な色彩もゆらゆらと薫ってくるのだが、これに加えてシャーマニズムが這いくねって、快楽ではなく、“恍惚(トランス)”こそが数多く刻まれているらしい事を、私たちは意識のすみに置いても邪魔にならぬように思われる。

 
(*1):「風呂とエクスタシー 入浴の文化人類学」 吉田集而 平凡社選書 平凡社 1995
「風呂の文化誌」 山内 昶、山内 彰共著  文化科学高等研究院出版局 2011 



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