2014年6月14日土曜日

“ここへ辿り着く”~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[11]~


 明け方に見た夢に引きずられている。お前は旗(はた)みたいだな、ばたばたうるさいが薄っぺらな大名旗だ。『天使のはらわた 赤い教室』(1979)をめぐってこの場に綴ってきた感懐に直接触れてはいなかったけれど、夢の男は硬い表情でわたしに告げるのだった。朝の冷気に寝具を引き寄せながら、そろそろ切り上げの時期かと思う。

 重箱の隅を突いて台本との違いをあげつらい、ひとり悦に入っているつもりは毛頭ない。映画を悪く言うのではなく、形で示されたものをすり合わせて石井隆の世界をより深く知りたい、その一心で言葉を接(つ)いできたのだけれど、想いの丈は人に話さず仕舞っておくべきだったか。さすがに放言が過ぎた気持ちでいる。  

 終わりに書きたいのは名美(水原ゆう紀)が言う“ここ”の色彩についてだ。『赤い教室』は石井の短篇劇画のいくつかを取り込み、それがおんなの内部に堆積なった層の厚みをうまく表現していることは以前書いた。(*1) 実は石井の台本にはないのだけれど、完成品には別の短篇イメージが挿入されている。熱心な書き手がウェブで指摘もしているが、それは名美が行き着いた酒場の場景であり、マー坊と呼ばれる男(草薙良一)と名美の関係を短篇【街の底で】(1976)から借りて補ったものだ。

 終幕での名美の台詞、「そちらに行こう行こうと思ったら、ここへ辿り着いちゃったのよ」(*2)の“ここ”とは、この小さな店のことだろう。内部で展開される猥雑な見世物と、それにともない名美の胸中で湧き起こる不純物だらけの対流も含めての“ここ”ではあるだろうが、台本にはなく突如銀幕で現れた店内の補足的な景色は曽根中生版の『赤い教室』を考える上でとても大事だ。

 マー坊は正人という本名を与えられ、昔は歌手でレコードまで出したのに芽が伸びずに“ここ”に漂着したことが明かされる。名美という化け蜘蛛に捕まったバッタといった体で、溜まりに溜まった憤懣を科白にしてぶつけて来るのだった。「畜生、死にぞこないが」、「こんなところでくたばっている男じゃないんだよ、分かってるのかよ」、「こんな生活してちゃいけないんだろ」と涙しつつ絶叫するのを映画は丹念に捉えており、どうやら演出家は“ここ”を苦界と見定めて、その混迷ぶりを強調したかったようだ。

 観客の多くは聞き流すだろうが、腰強(こしづよ)を自認する読み手は、これが石井の手で挿入された劇のパーツでないらしい点に気を留め、さらなる想念の飛翔を行わねば嘘であろう。おんなから逃げられずに住まう“ここ”が社会のどん底であり、死者のたむろする牢獄であると男は語り、集う者同士は意思の疎通が上手く行かず、「骨の髄まで」しゃぶり尽くす共食いの日々だと映画は説明するのだが、元々の石井の思い描く『赤い教室』には【街の底で】は連結なっておらなかった訳である。上の言は一切当てはまらない可能性だってあろう。

 石井隆の劇画や映画のなかで私たちは、道端で膝を屈して雨に濡れる苦労人に対しそのまま通り過ぎる事が出来ず、声を掛け、手を差し伸べていく人物を数多く目撃している。また、“意思の共有”なり“境涯への理解”といったものを激しく希求する石井の劇において、酒場とは大概の場合は人間(ひと)の寄り集う場処として描かれ、魔窟であるとか地獄といった単調な突き放し方は通常しない。

 【天使のはらわた】(1978)の第三部で出現したバー「梢」での、仲間をかばい必死にいたわる名美の様子がまず目に浮かぶ。内装は『赤い教室』のそれに似ているが、温さや照度がまるで違っているのだった。『ヌードの夜』(1993)で豪奢な装いのバーを巣窟とする悪党ども、根津甚八や椎名結平らが人間味あふれる細やかな所作を連ねることで憎悪の対象以上の存在として描かれることや、【黒の天使】(1981)にて酔客に微笑むカウンター内の魔世と絵夢の様子をこれに重ねると、石井がどれだけの愛着なり神経を傾けて酒場を舞台に選んできたか解かる。

 一見どん底のごとき店が映されてそこで主人公が忍従を強いられたとしても、たとえば『夜がまた来る』(1994)の余貴美子と竹中直人のように、獄卒の役回りには主役級の俳優を据えて角(かど)を丸くするのが石井の劇の常である訳だし、容赦ない暴力行為の果てに生来の温かいまなざしをそっと点灯させて、観る者を和ませる『ヌードの夜』の酒場のオカマ(田口トモロヲ)もそうなのだが、善悪の立ち位置を二極化することを石井は望まぬし、上とか下といった階層で人間の幸福を決して量らない。映画『赤い教室』での酒場はこれに反して古典調であり、一面的な仕様に陥ってしまっている。

 もしかしたら名美の言う“ここ”は社会のどん底ではなかったのじゃないか。死者のたむろする地獄でもなく、集う者同士で意思の疎通はなって親和性を維持し、語り尽し慰撫し合う共生の場であった方が流れ的には自然だろう。だいたい「ブルー」という店名は【カーニバル・イン・ブルー】(1975)から来ていたのじゃなかろうか。二階の畳部屋で性を切り売りしながら“おんな”を演じ続ける名美と、同じく男を演じ続けていくマー坊とが、プライベートな空間ではお茶を飲みながら“ひと”として向き合い、柔らかく会話し、身を寄せ合っていくという流れの方が石井の想う劇に多分近しい。【街の底で】ではなく【カーニバル】を挿入すべきであったのだが、後の祭りである。

 なんだよ、ハッピーエンドかよ、つまんねえ。わたしの妄想にまみれたそんな結末を皆は鼻で笑うかもしれないが、個人の感覚としてはこちらの方がずっと辛い。名美の世界がいよいよ堅牢なものとなって、村木は手も足も出なくなるからだ。東と西に散り散りとなり、その結果おんなが自暴自棄を繰り返して荒れた生活のまま今に至っていれば、かえって男は嬉しいに違いないのだ。水溜りに映った名美の唇は少し歪み、涙するようではなかったか。そのような救われないおんなが居る限り、男は大した度量も無い癖に舞台への登壇を続けてしまう。誰も頼んでいないのに自身の不甲斐なさを責め、直りかけた傷のかさぶたを剥がし、憐憫に身悶えしつつ浮き出る血の玉を舐めていれば延々と夢は続いていくばかりだ。余計な枝葉を加えて茂った映画『赤い教室』には救えなかったおんなが佇むままに終わるから、可哀相、可哀相でいつまでも続いていき、見守る男の内部では真の別れには至らない。

 石井隆の台本での終幕での名美は雨に濡れた長い髪をなびかせて、村木より先に去っていく。驚くべき跳躍を果たして世界を駆け抜け、表皮と内臓をひっくり返すような豪胆な意識の変革を成し、さらには似たような相手を見つけて“意思の共有”なり“境涯への理解”を完成させたおんなである。苦界にではなく、同じ境遇の友の元に帰っていくのだ。こうなってしまえば、村木は手も足も出ない。恋情の埋め火に当たって濡れたコートを乾かす暇(いとま)も与えられない。己がやり遂げられなかったサルベージを誰かほかの者にやられ、巣篭もりの様子を目の当たりにして、もはや沈黙するしかないのだ。この三年を仰ぎ見ながら息を細く吐いて、思考を凍らせるしかない。

 死線を越えて恐るべき強靭さを手にしたおんなを前に、今こそ永別の一瞬がめぐり来る。救いと呼べる結末では当然ない。しかし、所詮、人間の生活とは大なり小なり塹壕での持久戦ではないか。そこで繰り返される束の間の食事と睡眠、体温の交換を救いと信じる泥だらけの日常ではないか。なかなか呑み込める展開ではないから、おそらく男は長く時間をかけてこれを受け入れ、周回遅れで走り続けることになる。人生はこれからも続くのである。いま、この2014年に自分なりに捉える石井隆の脚本『赤い教室』は、そんな厳しい顔を見せて村木哲郎と、そして読む者を鼓舞するところがある。

 公開前後の映画誌に記事を探すと、評者のひとりが「最近の日本映画には稀な密度を有した純愛映画の傑作」(*3)と述べているが、総じて違和感を訴える不評が目につく。私もそう思う。人によって定義は異なるだろうが、安易に傑作と唱える訳にはいかぬ、いくつもの疑問符を抱えた作品に映画『赤い教室』はなっている。

(*1):http://grotta-birds.blogspot.jp/2013/05/blog-post_26.html
(*2): 「別冊新評 石井隆の世界」 新評社 1979 218頁 
(*3): キネマ旬報 1979年3月上旬号 №755 今月の問題作批評2「空転している旧・純愛映画」亀和田武 157頁




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