2014年5月22日木曜日

“縮約”~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[8]~


 映画『天使のはらわた 赤い教室』(1979)には、石井隆の脚本第二稿と異なる箇所がいくつかある。読解の糸口とするため挙げていくが、先ずもって村木(蟹江敬三)の恋人でやがて妻となる川名裕子(水島美奈子)の造形が突飛であり、これが足懸りとして適当と思う。

 先に紹介した「映画芸術」によれば、石井をひどく当惑させ、撮入を危うくした曽根の加筆とはこの裕子というおんなの台詞であった。往時の関係者は具体的にどの箇所が問題視されたか明言していないのだけど、なるほど目を凝らし耳をすませば、言動やそれに対峙する村木の物腰は石井の書くものとは全くもって異質である。

 裕子は村木の仕事場兼住居である雑誌社に押しかけ、仮眠用の寝台に自ら服を脱いでもぐり込んでは情交を迫るのだった。気持ちが乗らない村木は「今日は帰ってくれよ、ひとりでいたいんだよ」と叫んで、裕子をはね退ける。ブルーフィルムに刻まれた名美の表情に囚われ、また偶然にも彼女を街なかに発見して言葉を交わした村木である。「あっちもこっちも、そんなに器用な人間じゃないんだ」と思わず口を滑らせてしまうのだった。裕子に内奥を見透かされると慌てた村木は、仕事に行き詰って頭がいっぱいなのだと話題のすりかえに懸命となる。

 石井作品に深く潜水するに至らぬ人にとっては、特段おかしな点は感じられない“ごくありふれた男女の会話”かもしれないが、これと近似する場面なり台詞をわたしは石井の作品に見とめたことがない。立ち姿から言葉から、何から何まで馴染まない。明らかに曽根の世界が侵入して異なる拍子で明滅している。石井の劇は能やパントマイムにどこか通じる静謐さ、寡黙さが身上であって、単純に現実をトレースするものではない。このような底の浅い“ごくありふれた会話”の場を石井は通常用意しない。

 承知の通り『赤い教室』の村木は“映像に淫する者”であり、『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督池田敏春)の青年や、『死霊の罠』(1988 同)の怪人、『フィギュアなあなた』(2006)の造型師、それに『花と蛇』(2004)の老人といった者たちの源流に立っている。写真やモニターに映されたおんなの一瞬の表情にこころを鷲摑みにされ、命を賭して接近を図るのが石井世界の“映像に淫する者”の定めであり、私たちはエウロペやペルセポネの誘拐にも通じる物狂おしい執心や集中、そして暴走の軌跡を目撃することになる。

 一心不乱に熱視(みつ)め続ける、その集光の凄まじさこそが石井の劇の肝であるから、裕子と名美というふたつの人格に挟まれ、焦点が絞りきれない曽根版『赤い教室』にて減速感が生まれるのは当然だろう。浮気がばれそうになって詭弁を弄する村木というのは、これは石井世界では類を見ない風変わりな造形と言わねばならないし、石井の劇の底流にある無骨さや生真面目さ、並外れた一途さといったものの踏襲や再現から逸脱してひどく矮小化されている。

 そうなった理由は簡単で、曽根が物語の順序を大幅に入れ替えたからだ。オリジナル脚本においてシーンナンバーは全部で77あるのだけれど、村木が名美の写ったブルーフィルムと邂逅するのは12と付された場面であって、映画にあるような端緒ではない。石井の発案では冒頭からしばらくは村木の身辺に寄り添い、その日常を通じてこの男の真情を垣間見ようと努めるはずだった。別の出版社を辞めてまでエロスを模索し、三年もの間試行錯誤を続けている、内向的でやや湿った情熱を秘めた男の日常が淡々と綴られるはずだった。曽根はそういう堅苦しい描写は観客をうんざりさせると踏んだのか、完成作品では名美のブルーフィルムの仔細とそれを見て凍りつく村木の様子をいきなり見せてしまった。

 物語がゆるゆると上昇をはじめ、安定飛行に入った辺りになって名美は村木の眼前に出現し、そこで気流が大いに乱れるはずだった。それがシーン12である。ところが、脚本の1から10番あたりまでの日常描写はすべて12の後方へと迂回させられ、6番目に配置されていた村木と裕子とのホテルでの情事も同様に劇の中ごろへと跳ばされてしまった。つまり、裕子の出番は主演女優に席を譲るかたちで遅らせられた訳である。

 石井原案での裕子というおんなはシーン6の自らの出番を終えると村木の前からいったん退場し、完全に気配を殺している。「三年後」に妻となり母となって再登場するのは同じだけれど、裕子にとっては村木と名美との出会いやそれに対する村木の灼熱、そして、煮えたぎる奔流に足をすくわれてじたばたする男の動向というのは一切感知し得ない遥か彼方に置かれてあるはずだった。

 村木と名美の間に神話的とも言える荒ぶる狂恋なり暴走をうながす為に、邪魔になる裕子という存在をそっと石井は舞台袖へと引き入れたに違いないのだが、曽根の改訂によって名美という暴風圏は開幕直後に発生してしまったのだし、裕子は舞台からしりぞく機会を失い、劇の中頃を風に玩(もてあそ)ばれる木の葉のように行きつ戻りつする羽目になった。“名美の表情にすでに囚われ”、魂が“ひかれている”男が裕子の前に無残にも立たされ、村木は神から生身の男に立ち戻って保身にひた走る体たらくとなったわけである。

 蟹江を追悼する記事が週刊誌をいくつも飾ったが、その中のひとつで曽根は『赤い教室』に蟹江を起用した経緯を次のように語っている。「家庭があるのに女に惚れてしまい、かといって仕事を投げ出すほどはのめり込めない、このような忸怩(じくじ)たる思いに駆られる男を、ただ居るだけで演じることができる人がいないか? と同じ映画監督の神代さんに尋ねました。すると、『蟹江ってのが、中々良いよ』と教えられたのです」(*1) 

 三十五年も前の仕事場の風景なり会話を、どれだけ人は鮮烈に記憶にとどめ得るのか。大抵は不可能と思うから、記述どおりのやり取りが実際にあったかどうかは分からない。けれど、これが曽根の内部にある『赤い教室』の輪郭なり影であるのは間違いないだろう。「家庭があるのに女に惚れてしまい、かといって仕事を投げ出すほどはのめり込めない、このような忸怩(じくじ)たる思いに駆られる男」が“村木”とは。ここまで石井の描く男の内情を縮約(しゅくやく)してしまえば、神話性が崩れて減速するのは自明である。

(*1):「週刊文春」四月十七日号 「追悼蟹江敬三 ロマンボルノ監督が明かす迫真の“寝取られ演技”」 32頁




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