2013年11月14日木曜日

“森に溶ける”



  
  当時連載ものを託された雑誌の、その編集部による膳立てなのだろう、被虐性愛に主題をすえた専門書籍でつとに知られた写真家杉浦則夫(すぎうらのりお)の作品集(*1)に、石井隆は一枚の絵と短文とを寄せていた。

 面白いのは杉浦の特性を称(たた)えるために別の写真家を引き合いに出している点であり、それも一見場違いと思える相手を大胆に挿し挟むのだった。「けもの道 Animal Paths」(*2)という本を上梓したばかりの宮崎学(みやざきがく)がそれであった。少女やおんなを被写体に選んでぎりぎりの至近距離から凝視(みつ)め続ける杉浦の、体臭なり吐息が紙面から放散されるかのような本の末尾に、「けものみち」と題したもの(*3)をひょいと対置してみせる。石井という作家は、やはり目の付けどころが違うのだった。

  読んでみると回りまわって書いた当人、石井自身の嗜好なり体質を露わにする箇所が認められ、実はこの事こそが特筆に価する点である。「山道に赤外線感知装置付きのカメラを設置して、深夜人知れず行き来するけものたち演技なしの道行きを、ストロボで写し止めた写真集である」のだが、「偶然が生んだ快感に似た何か」に包まれた本なのだと熱く語っていた。林道からそれて草むらに分け入り、「道行きの素顔」を見たいばかりに森のかなたへゆっくりと溶暗していく写真家の孤高、そして、彼が切り取ってみせた数々の景色に対して明らかに石井は共振して見える。

 いや、単なる親近感を越えて、両者は表現者として歩み寄るように思う。 もちろん、宮崎のそれにはヒメネズミ、ニホンカモシカ、ノウサギ、テンといった動物ばかりが写されているのであって、人間はほとんど姿を見せない。気付かずにセンサー横切ったのだろう、登山靴のいかつい足元だけが二葉ほど息抜き程度に紛れ込んでいるだけであるから、石井が追い求めてきたおんなのおの字も見当たらない訳なのだが、漂う気配は石井の劇画をどこか連想させるのだった。「ストロボで停止された雨の線が暗闇をバックに写ってい」たりして、端的にはその辺りが強く印象を刻みはするのだけれど、決してそればかりではない。

  石井の撮った写真、たとえば「けもの道」と同時期に出された「石井隆写真集/ダークフィルム 名美を探して」(*4)の中から森や林を舞台にした画像を抜き取って両者を並べてみると、いよいよその感は強まっていくのだった。

  「ダークフィルム」の末尾を飾る座談会で、同席した編集者が極めて重要な発言をしている。「石井さんは、場所設定の注文ばかりで、モデルをあの女がいいとか、名美に似てる女を、とか注文よこした事はなかったですね。湖のある山奥とか、廃屋とか、屋上とか……それも夜で、雨が降ってなければダメとか」(*5) ──これに対して石井は、「ヌードを撮りたかったわけじゃない。」「ポツンと放置されているイメージを、この世の果てといったイメージを撮りたかった」(*6)と返していた。

  この会話ひとつからも石井隆の目指すもの、示されるものが“背景込み”であることが読み解けよう。宮崎の「けもの道」とも通底する点であるのだが、風景のパーツそれぞれが、同等に世界を支えていくのである。雨や土、草や枯葉といった“背景”と偶然そこにさ迷い入ったかと想像される“被写体”とが、同じ密度なり存在感をもって目前に迫る。互いに反撥したり拒絶することなく、より合わされて一体化していくのだったし、それら全体が私たちの内面をずぶずぶと侵していき、どうにも振り払い難い“ざわめき”を産み残していく。

 作品が醸(かも)し出す凄み、緊張、その逆の安堵、法悦といったものが人物の面差しなり台詞のみで表現されるのではなくって、背後から、地べたから、変幻する天空から、陽射しから、視界の一部を遮る草からさえも穏やかに示されていく。

 そういう独特の親密さ、もしくは騒々しさが石井世界には宿るように思う。


(*1):「早春譜 ヘイ!バディ12月号増刊 杉浦則夫写真集」 白夜書房 1980
(*2):「けもの道 Animal Paths」 宮崎学 共立出版 1979   
(*3):“女のけものみち” 絵と文 石井隆
(*4):「石井隆写真集/ダークフィルム 名美を探して」 白夜書房 1980
(*5): 同「あとがきにかえて スタッフ一同お疲れサマ座談会」157─158頁
(*6): 同 158頁




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