現実に起きた1932年の「首なし娘事件」で心にとどめ置きたいのは、“頭が切断され持ち去られていた”という箇所と、“頭には長い頭髪がついたままの女性の頭皮をカツラのようにかぶり、女性用の毛糸の下着の上に黒い洋服を着て”という部分だ。最初の状況は『GONINサーガ』(2015)を、後の方は『GONIN』(1995)のそれぞれの場面を彷彿とさせる。
特に『GONIN』にて、二重に現実離れした展開をなぞってみせるジミー(椎名桔平)の末期は、当事件に触発されたと考えてまず間違いない。ナミィー(横山めぐみ)を目前でなぶり殺され、自らも瀕死の態となった男は、かたわらに落ちていたナイフを拾い上げて実行し、身に纏い、よろよろとした足取りで仇の待つ事務所に歩んでいった。例によって凄惨な奪衣の場面は私たちの視界から隠され、観客はいきなり扉の奥から現われたぼろ雑巾のような風体の男に驚かされるのだった。
いや、大いに戸惑ったというのが本当のところであろう。当初『GONIN』を観たとき、私も十分に認識し得なかった。血に汚れたおんなの服を重ね着して哀しみの鬼と化した男の凄みは即座に伝わったが、仁王立ちする全身像を捉えたのはわずか数秒のカットであって、また薄暗がりでもあり、違和感を微かに覚えたものの頭皮、毛髪の装着までは察知し切れず、仰天したヤクザがこらえ切れず嘔吐する様子を怪訝にさえ思った。
ようやく女装の詳細を理解しても、あまりに“非現実的”な想像の産物と思えた。こんな馬鹿な事はどんな狂人だってしないだろう、荒唐無稽すぎる、勇み足ではなかったか。どちらかと言えば観念的な描写と断じて、その展開を訝ったのだった。そんな訳だから、今から八十年程前に生を振り切った男の死装束が、愛したおんな遺髪と衣服であったことを事実と知ったときの驚愕といったらなかったし、自身の視野の狭さを大いに恥じると共に石井の劇の階層がいかに厚いかを再認識した。
石井の画業の戦端となったのが、「事件劇画」、「実話雑誌」という実話系の雑誌への短篇やイラスト掲載であった事をここで思い返す必要がある。庶民の生活に渦巻く実在の事件を題材とし、痴情のもつれから傷害や死に至る顛末を描くことが多かった。また、初期の短篇【淫花地獄】(1976)は、雪原に建てられた見世物小屋を覗いた若い姉と弟が小屋の主である男にかどわかされる幻想譚であるのだが、出し物は奇怪な蝋人形を配したジオラマなのだ。江戸川乱歩あたりが好んだ景色であるが、石井の場合、これが上の事件の十年前にあった別の一件、連続少女殺人の再現となっており、犯人である吹上佐太郎(ふきあげさたろう)の相貌を模した怪人が幕の裏側に息ひそめていて油断した姉弟を手に掛けるのだった。
石井は、現実に生きる人間が何かの拍子に軌道から外れ、破滅していく様子を熟知している。それが壁一枚を隔てた場処にてそっと息づき、浸潤の機会を窺っていることを理解している。映画『GONIN』の構想に当たり、かねてより思案の途上にあっただろう1932年の事件の顛末を流用したことは実に自然この上ない展開であって、何処にも無理がない。
彼の劇をリアルではないと迂闊にも書いてしまう人が今も散見されるのだけど、それは自らの見識のいかに足らないかを世間に公言するに等しい。リアルという概念は実は怖しく狭い。世界は不可視の領域を膨大にかかえているのであって、私たちはひと握りの情報や体験をもって大概を知り尽くしたと錯覚しているだけだ。したり顔で真に迫っている、嘘っぱちだと安易に批評しているが、実際のところは相当に曖昧なものに頼っていて的外れになりがちだ。
周りにはどこもかしこも境界線が張りめぐらされ、何かの拍子に越えた先に待ち構える事態を誰も予想だに出来ない。恋情、色情、怨嗟という果てに立ち上がる極限のリアルを石井は数多くの事件簿から探知し、考察のために常にたずさえ、深く静かに潜航して見える。そうして、その一部を劇に注ぎ入れ、重石と成して、より深いこころの淵をめがけて黙々と放っている。
石井隆の世界を考える上で避けては通れぬ関所と信ずるが、やや躊躇してしまう自分がいる。まったく無関係の間柄の事件に触れようとしている。人間同士を、それも一方は犯罪者を、横一列に並べて書くことはいかにも乱暴で稚気が過ぎるのでないか。
改めてここで確認したいのは、石井隆は娯楽の提供者に過ぎないという点だ。社会の一員として生業に励んできた事は私たちのよく知るところだし、堅い倫理観を基盤と為して、物語世界をしっかりと支えている。不穏な方角への漂流を許さず、針路を決して誤らない凄腕の舵取りであればこそ、私たちは長年に渡って身をゆだねてきた訳である。クロノメーターを村木に、六分儀を名美の姿に変えて魂の夜を航っていく、石井の物語は一種の海図であり、人間全般の不思議を探る夢路に過ぎない。
過ぎない、過ぎない、と、まるで高飛車な言い方だけど、このような烈しい語句を用いないと誤解を招きそうな危険水域だ。概要を私の手で要約してしまうと、どうしても主観が加わってしまうから、まずはウィキぺディアから全文を引いてみる。八十年以上も前、世間を騒然とさせた事件のあらましがこれだ。
「首なし娘事件(くびなしむすめじけん)は、1932年(昭和7年)に愛知県で発生した殺人事件。詳細な事情は不明であるが、男が恋愛関係にあった女を殺害し、さらに遺体を切断したものである。解体された遺体の状況が、常軌を逸したバラバラ殺人であった。
事件の概要
1932年(昭和7年)2月8日、愛知県名古屋市中村区米野町の鶏糞小屋で、若い女性の腐乱死体が発見された。体つきから女性と分かったものの、遺体は常軌を逸した損傷を受けていた。頭が切断され持ち去られていた上、胴体から乳房と下腹部がえぐり取られていた。捜査の結果、遺体の身元が19歳(当時)の女性と判明。彼女と恋愛関係にあった和菓子職人の男性(当時43歳)が、1月14日に仕事先の東京から舞い戻り、旅館で彼女と何度も会っていた形跡があった。警察は、聞き込みの結果から、1月22日ごろ和菓子職人の男性が女性を殺害した上、遺体を切り刻んだと推測。彼を指名手配したが、行方はつかめなかった。
ところが2月11日、犬山城にほど近い犬山橋近くの木曽川河原で、被害者の頭部が遺留品とともに発見された。頭部からは頭髪とともに頭皮がはぎ取られていたうえに眼球がえぐられ、下あごが刃物で著しく損壊されていた。
さらに3月5日。頭部の発見現場近くの茶店の主人が、掃除のため別棟の物置を開けようとした。ところが、引き戸は中から鍵が掛けられている。いぶかしみながら扉を外して入ったところ、異様な姿の首吊り遺体を発見した。死後1ヶ月経過した遺体は腐敗が進んで猛烈な臭気を発し、腐乱死体であることを差し引いてもその姿は常軌を逸していた。遺体の正体は中年の男性で、頭には長い頭髪がついたままの女性の頭皮をカツラのようにかぶり、女性用の毛糸の下着の上に黒い洋服を着て、足にはゴムの長靴をはいていた。上着のポケットには女性の財布が入っていたが、その財布に入れていたお守り袋の中身には女性の眼球が収められている。さらに小屋の片隅にあった冷蔵庫には、名古屋市で発見された被害女性の遺体から持ち去った乳房と下腹部が、安置でもするように隠されていた。遺体の正体は、被害女性の頭皮をかぶり、その体の一部分をたずさえた犯人(和菓子職人の男性)であった。
群馬県で生まれ育った犯人は、若い頃から神仏を篤く信仰し、死後の世界の存在を信じて疑わなかった。後に和菓子職人となった彼は東京・浅草で和菓子店を営み、妻と子供にも恵まれていたものの、1923年(大正12年)の関東大震災で店を失う。彼は妻子を捨て、仕事を求める旅に出た。その道中である女性と知り合い、名古屋市に落ち着いて所帯を持つことになる。犯人は饅頭工場で働き、後妻は裁縫を近所の娘達に教えていた。この裁縫教室の教え子の中に、被害女性がいた。やがて健康がすぐれない後妻は裁縫教室を閉じて入院し、被害女性は師匠(後妻)の元へかいがいしく見舞いに通っていた。その生活の中で、犯人は被害女性と関係を持つようになる。1931年(昭和6年)秋、後妻は看病のかいもなく病死。後妻の遺体は献体されたが、犯人は妻の遺体が解剖されていく有様を、目もそらさず見守っていたという。
やがて犯人は、些細なことで工場を辞職。心機一転を図って12月に上京したものの、内向的な性格も手伝って仕事につまずいた。そして、昭和7年1月14日に名古屋に戻り、被害女性を旅館に呼び出した。その後は昼も夜も無く情事にふけった末、彼女を最初の事件現場に連れ込んで絞殺、遺体を損壊した。
犯人は、最終的に愛する女性との一体化を望み、彼女の頭皮や下着を纏って自殺を遂げたものと思われる。
合田一道+犯罪史研究会『日本猟奇・残酷事件簿』扶桑社 2000年 ISBN 4-594-02915-9」
以上がウイキペディア掲載のすべてであるのだが、この手の猟奇犯罪を列挙する書籍に載る内容もそう大差ない。不可視領域が広く、これ以上の深堀は当時も今も難しいと思われる。それにしても凄絶で血なまぐさい景色がこれでもかと脳裏に浮かび、まったく悪夢でも見そうだ。胃のあたりが痺れたようになって、なんだか口の中が妙に酸っぱい。
思考の翼がどれほどの黒雲にもみくちゃにされても、天と地を取り違えることはなかった、劇中に大量の血の雨が降ろうとも、それは一個の人間が想像力を駆使して為した舞台化粧に過ぎなかった、そんな石井隆の画業と、ここまで完全にとち狂った実在の罪人のふるまいを連ねて書くなんて、やはり言語道断で罰当たり以外の何ものでもない気がしてくる。
この事件について、それでは世の識者はどんな見解を抱いたものだろう。異常な顛末であるけれど、犯罪を見慣れた目にはどのように映ったものか。手元に置かれた関連書籍の何冊かをめくり、該当する声を抜き書きしてみよう。
劇作家で評論家でもある山崎哲(やまざきてつ)は、「かれが切り取ったのは女性性徴というより、母性性徴だった」、「母に同一化したかったのだと、なんだかしきりにそんな気がしてならない」と書いている。(*1) ノンフィクション作家および犯罪評論家の朝倉喬司(あさくらきょうじ)は、「異常というもおろかな事件のありさまだが、見方を変えていえば、これは一種の情死、心中である。おそらく2人には、一緒になりたくてもなれない何らかの事情があったのだろう。2人は死の前、名古屋市内の旅館で、セックスに没入していたことが確かめられている。事件は、「性」の濃密さが2人に「死」を越境させ、異常性愛が必然性を帯びて事件になったものと見てよさそうだ」と説いている。(*2) 表層の奇怪さから最初は慄(おのの)くだけであったのだが、なるほどそういう胸中であったかもしれぬと頷き、何となく可哀想に思える。瞳を震わせた緊張がみるみる解けて感じられる。
また、女装行為を主題に据えて日本人の根幹を探る本においては、頁をかなり割いて当事者の心理を考察しているのだけど、読み進むこちらの内に明らかな心象の変化が起きていく。少し長いが書き写す。
「遺屍から各部を奪いとったことは、(中略)最愛の女性(あるいは女性という性)になりきって死にたいという動機から出ているのであり、惨虐行為自体に目的があったとは考えにくい」、「目的は、直後にそれらを身につけ「変身」して自殺するためだったのである。」「阿部定が、殺した相手の陽物を「形見」として持ち歩いたのとは、かなり異るケースだと言わざるを得ない。」
「一女性を超えて、女性一般に帰一しようとしたと思われる節がある。」「事件のわずか二年前、所帯を持っていた(氏名/後妻)を亡くしている。死にあたっての「女装」には、(氏名/後妻)に対する思いも込められていると把えられないか。さらに、死に直面して、生命の始源としての女性に帰一することによって不安をやわらげ、同時に再生を期待するといった心象が、彼に働きはしなかっただろうか。」
「死者の衣服及び外被をあえて身につけることにより、死霊(死穢ではない)を自らに引き受け、それに帰一しようとしたのではなかったか。そして彼が帰一しようとした死霊とは、(氏名/被害女性)の死霊であったと同時に、一女性を越えた女性一般の死霊でもあったのではなかったか。」(*3)
死者には言葉がない。私たちは真摯に思いをめぐらせ、虚空に指先を伸ばすより他に為す術はないけれど、人間の内奥を探求し続けた彼らのつぶやきには力がそなわっている。推論ばかりの文面となってしまうのは仕方ないが、どの意見もこちらの懐に到達してぶるぶる震動し、冷めた体温をやさしく呼び戻すようだ。
文字列を目で追いながら、石井世界の劇中にて倒れていった、いくつもの寄る辺なき魂がゆらゆらと佇立し始める。あの影も、あの所作も、この実在した男女ふたりの最期とどこか似ていると感じられ、木霊するその声が徐々に大きくなっていく。
(*1):「物語 日本近代殺人史」山崎哲 春秋社 2000 117頁
(*2):「都市伝説と犯罪―津山三十人殺しから秋葉原通り魔事件まで」 朝倉喬司 現代書館 2009 192頁
(*3):「女装の民俗学 性風俗の民俗史」下川耿史、田村勇、礫川全次、畠山篤 批評社 1994 104頁、106頁、110頁
事件であれ事故であれ、肉体の損傷がともなうと別格扱いとなる。紙面を飾り、書籍にも繰り返し取り上げられる。特に“切断”という字面には非常用ボタンの役割があって、眼球の後ろあたりのぼんやりした部分をぱっと覚醒させる力が宿っている。恐怖を煽り、ざわざわした生理的嫌悪を抱かせる。もしも身近で起きたときには、誰もが警鐘を鳴らすべく躍起となるように思う。本能に由来するこの咆哮は絶対であり、私たちを強引に引きずっていく。
小説、劇画や映画といった創作劇においても“切断”は際立った色彩を帯びるが、石井の世界においてはどうであろう。魂と肉体が暴力組織に蹂躙されていく状況を好んで描くことから、人体の“切断”が挿入される局面が多々あるのだが、そんな石井の劇画作品と映画作品を通じて、そこに一定の方向性のようなものが見え隠れするように私は感じている。
石井作品のみを凝視してもなかなかこの暗黙の指針は明らかにならないのだけど、よく似た題材の他者のものに触れた後、余韻にひたりながらふと思い至る流れである。たとえば、最近復刻された上村一夫の【悪の華】(1975)(*1)では、数多くのおんなの手足や首の切断が奔放に、ひどく攻撃的に重ねられるのだったが、同様に女性をつぎつぎに拉致しては縄で固定し、アートバフォーマンスよろしく刃物で殺めていく狂人の寒々とした日常を描いた劇画、【魔奴】(1978)や【魔楽】(1986)をこれと比較することで石井特有の拍子が露わになる。遺体を極力そのままにし、解体して玩(もてあそ)ぶ行為がまず見当たらない。土俵際で踏み止まり、するりと回避する慎ましさ、あえかな抑制の手触りがある。
さらに例示するなら、映画『フリーズ・ミー』(2000)はマンションの一室での孤闘を強いられたおんな(井上晴美)が、襲来するならず者を順次殺害していく話であるが、頭骨もその奥に淀んだ身勝手な思考回路もすべて粉微塵になれ、男など全部どこかに消えて無くなってしまえ、とばかりに腕を大きく振り上げるヒロインの繊細な心理描写とは対照的に、ここで石井は叩かれる側の被害状況の説明を回避する。竹中直人演じるやくざ者を殺める際に、動きを封じるために頭をすっぽり布で覆ってから力まかせに撲っていく辺りがそうだし、殺害後に処分に困って業務用の冷凍庫を買い揃えるにあたって、男たちの肉体を切り刻むことなく、すっぽりと収納なる大型の機種を求める部分もそうで、針が大きく振れる前に薄いベールが被せられ、私たちの視野を白く霞ませる。
『GONIN』(1995)で画布(銀幕)の外に追い出された形の小指二本の切断、『夜がまた来る』(1994)で終ぞ寄らぬままで遠巻きに徹した、やはり指詰めの儀式。『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の冒頭、風呂場で展開される家族総出での人体の細分化作業も同様で、カット割りや構図からはやはり隠蔽の跡がありありと読み取れる。
ゴア(GORE)と呼ばれる昨今流行する残酷描写は、コンピューターを用いて精度をいよいよ高めており、また、特殊メイクも迫真性がより増して、現実の人体損傷を完全に再現し得る段階に入ったと受け止めているが、石井は素材として過去も現在もこれを積極的に採用しない。肉片や骨の存在は俳優のリアクションおよび効果音を介しておぼろげに観客に託されるのであって、それ自体の具体的な接写は控えられる。『GONIN』の風呂桶に浸かった腐乱死体や、やはり『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』での地下洞窟にて壁にもたせかけられたミイラの扱い方を眺めればそれは一目瞭然であって、視野角から微妙に外し、また、遺体損傷の細部が観客に読み取れぬ程度の遠目に、ぐっと引いた位置から撮ろうと腐心している。徹底して迂回してみせて、ある意味、細部までこだわる石井らしい采配が効いている。
石井隆という作り手にとって、人体の損壊はそれでは一体どういう位置付けなのだろう。生理的嫌悪から逃げているとは考えにくい。石井世界を貫いている倫理観に基づく、教育的な配慮だろうか。美意識の問題だろうか。それとも、血や肉といった具体的な描画は物語の尾ひれ、付け足しの部類と考えているのか。例えば『サイコ Psycho』(1960)でヒッチコックが世に送った湯浴み場面の卓抜した編集を意識し、傷口を見せない、殴傷、裂傷のあらましを封じる事で観客の想像力の牽引を図ったものだろうか。
そういえば、わたしたちは最近作『GONINサーガ』(2015)においても、上記のルールに沿った死体損壊を目撃している。相棒であるおんな(福島リラ)を喪った殺し屋(竹中直人)は、その亡骸を前に声を限りに叫び、涙の坩堝と化し、その果てにおんなの身体と頭部を切り離してしまうのだったが、切断行為そのものの時間は画布(銀幕)の外に置かれ、私たちの目から巧妙に隠されていくのだったし、台所あたりから見つけたらしいレジ袋にがさがさ、ごとりと入れられたおんなの頭部は、男の腰のベルトあたりに結ばれて死出の旅路へ帯同されていくのだったけれど、白いビニール被膜にて傷口の詳細は隠されて、血なのか涙なのか訳の分からぬ液体にべったり濡れた髪の毛が少しだけ視認されるに過ぎない。隠蔽につぐ隠蔽、撒かれた煙幕。意図的に挿し込まれた、違和感の漂う空隙。
ここに至って、鈍感な私もさすがに変だと気が付いた。単純な倫理観の縛りではなく、もっと重大な何かが石井の劇の人の殺め方、傷つけ方に潜んでいる。夜目遠目傘の内ではないけれど、石井は詳しく“描かない”ことで観客の興味や想いの集束を図っている、それは間違いはないのだが、ここまで切断が多発し、なお且つ露悪的な描写を徹底して避け続けている事は、作者が切断の“描写”ではなく、その“行為”や“意識”に関して並外れてこだわっていて、相当の思い入れなり信念のあることの裏返しだろう。忌まわしきものと捉えるのではなく、確かな道程としてドラマに組み込んでいる。一体全体、そのこだわりとは何であるのか、何処を起源としているのか。石井の真意とは何だろう。
(*1):「悪の華 上村一夫ビブリオテーク」 岡崎英生 著 上村一夫 絵 まんだらけ 2012