2018年6月17日日曜日
栗本薫「ナイトアンドデイ」(「ライク・ア・ローリングストーン」所収)(2)
「「ナイトアンドデイ」のモデルは、かの石井隆大先生であります。」(*1)
著書栗本薫によってここまであからさまに刻印された以上、読者の知らない石井の実像に迫っていると誰もが思うだろうし、わたしもそれを望んで手に取った次第なのだけど、結論から言えば完全な肩すかし、いや誤謬だらけで看過し得ない内容だった。あまりの事実との乖離にただただ啞然とし、かえって冷静にぱたりと閉じたように思う。そんな訳だからこれから綴る文章は批判めいてくるのは避けられず、栗本薫の信奉者にとっては相当苦い味となる。
誰でも間違いは犯すと思うから、栗本を断罪する気持ちは強く持っていない。だってこの私こそが思い込みが激しい性質(たち)なのだし、勘違いの権化みたいな有り様だから。いい加減に読み解きの能力の無さを悟り、筆を折ってはどうかと逡巡する毎日だけど、後始末の一環として性懲りもなく独りモニターに向き合っている。
栗本の間違い、それとも故意で綴ったのかはよく分からないのだが、それが石井隆というひとりの作家の実像を大きく歪め、彼の作品の印象を闇雲に減損しつづける類のものであるならば、そうして書籍というメディアが人の生死を越えて長命であり、もしかしたら木造家屋を灰塵に帰す戦争や地震といった大災厄に遭っても地中深くの書架などで生き延びて、後世のひとの手にいつしか渡り、そこから再度つぶやく不死身の力を擁すると捉えるならば、焼け石に水でも対抗上それは違うよ、間違っているよ、と誰かがどこかに異論を挟んでおく務めがある。
ウェブの発達は知の集約をかなえ、最終的に情報の誤りは順次訂正されていく仕組みが育っている。でも、ウェブ成立のはるか以前の出版物で再版されぬものについては、誰からも苦言を呈される機会を持たない。いつまでも誤りが誤りのまま姿を保って隠栖(いんせい)し続ける。何者かが考古学者よろしく掘り起こして世間に発表してしまえば、そして、誰もその内容に異議を唱えることがないままで独り歩きを始めたならば、純真な読者なり世間は抵抗なく文面を鵜呑みにし、無自覚に汚染されてしまうのじゃあるまいか。誤りが次の誤りを果てしなく産んでいく、そんな可能性がゼロと言い切れるだろうか。
例によって誇大妄想の女神が背中に忍び寄り、手元をそっと覗き込んでいる。頬に生温かい薔薇色の息を吹きかけて煽るのだけど、もうどんなに笑われたとしても構わない。往時の読者という立場、時代の当事者として素直に感じたままを綴るのみだ。
そもそも「ナイトアンドデイ」は、主観に最初から最後まで覆い尽くされている。二十歳前後の学生「沢井」が行きつけの喫茶店で漫画家「佐崎(サザキ)」と出会い、アシスタントとして雇われるうちに彼の妻「信子」と恋仲になって遁走する。数年後に不動の人気作家となった佐崎に対して沢井は恥知らずにも金の無心をするのだった。実にみっともない恋情の顛末が描かれている。主人公はこの無軌道な若者の方だけど、物語は冒頭から最後まで漫画家佐崎に対するコメントや憶測を連ねることに終始し、ほぼすべて沢井という若者の主観に沿って綴られている。
ひとりの漫画家を客観視する内容では毛頭なく、人生経験の浅い沢井の未熟な視線をもとにした戯言(ざれごと)、絵空事と断じることも可能なつくりである。いちいち目くじらを立てるまでもない、ただの私見じゃないか、たかが小説ではないかと肩をすくめる人がいて当然だけれど、若者の目線がどこまでも悪意一辺倒であり、またモデルである石井隆の作品とはげしく乖離してばかりとなると果たしてどうであろうか。石井の作品をまったく読んだ事がない若い人が、初めてこの「ナイトアンドデイ」を通じて石井隆を取り巻く七十年代を夢想してしまったら、どんな風に瞳の奥を染め上げるだろう。
このにわかに信じがたい小説中の狂った主観に対し、唯一あらがうようにして当時の読者であった私がおのれの主観をぶつけ、異議の真似事をとりあえずしておきたいと考えるのだ。
たとえば、「ストーリーもごくありきたりな──清純な女学生が、痴漢に犯される、というだけの、オチもへったくれもないような話」(*2)と書かれている。また、「電車の中、夜の公園、家の中。背景はどこだってよく、ストーリーなんかあるだけムダというものだ」(*3)という沢井の感想は私には最初から何がなんだか理解できず、首を傾げさせたのだった。
石井隆の劇画本をめくりながら、ありきたりで無駄なストーリーだ、なんて感じたときは一度としてなかった。美術館を回遊していて、見ず知らずの人の声が耳に止まることがある。たとえば藤田嗣治(つぐはる)を前にしてこの三毛猫はよく描けているわね、髭(ひげ)もちゃんと生えているし、誰それさんの何とかちゃんと似てるわね、と談笑するご婦人がいる。佐藤忠良(ちゅうりょう)を前にしてこの上腕の筋肉は本物そっくりだね、よく再現出来たものだな、それだけ言って立ち去るひともいる。実際にそんな背中を見送って大層驚いたものだ。作り手が絵に託そうとする想いや昼夜に渡って注ぎ込まれた熱量や技法など、まったく意に返さない人たちがいる。
表層だけを漫然と眺めて終わりとし、自身のこころの入り江まで作品を曳航させずとも満足できてしまう人は割合と多いのだ。「ナイトアンドデイ」の沢井はまさにこの典型だろう。コマに凝縮された情報を沢井という男はまるで読み取っていない。鼻でもほじりながら絵と台詞をつらつらと眺めるだけが漫画の愉しみ方と考え、内在する作為や送り手の深遠なる葛藤まで想いが至らない。どれだけ膨大な月日を投じているのか想像出来ない。
「佐崎さんのが、いちばん、ストーリーをつくろうとか、一応変化をもたせようという意欲に欠けているみたいだった」(*4)と別な箇所で評するのだったが、一体全体どういう了見であるのか、憤激さえ覚える。石井隆をモデルにしながら著者の栗本は石井の作品をろくに読んでいない、と直感した。
栗本は「名美」というイコンを創造する前の試行錯誤する石井を知らないし、どうやら知ろうともしなかったのである。佐崎という漫画家が無名の雑誌で悪戦苦闘している時期から始まり、やがて世間が注目して看板作家となり、メディアがその人気に気付いて盛んに動き出すまでを描いた小説であるから、同じように時系列的に石井が無名であった頃の作品を買うなり借りるなりして、ざっと眺めてみるぐらいはしたら良いのに、栗本はその作業を完全に怠ったとしか思えない。
粗雑でざらついた紙に印刷された初期の石井劇画のなかには、女殺し屋が吸血鬼と濃霧のなかで死闘するものだったり、不良女子高生グループの果てしない抗争があったのだし、死者の国をさまよう娘を透明感ある絵のなかに置いた幻想画もあったりして、当初はかなり振り幅が大きかった。読者と編集部の嗜好がどこにあるのか手探りしながら必死でつかみ取ったのが一連の「名美」であり、それは故郷の山稜や池にうかぶ睡蓮、踊り子がたゆたう舞台袖といった東西絵画界の先達が紆余曲折を経て選び取った固有の景色たちと同等の、集束された対象物(モティーフ)である。
光線がレンズで屈折して徐々に一点に束ねられていくように、石井隆は題材を替え、描線を変え、大胆に技法を進化させていった。あいまいな揺らぎが消え去り、レーザーにも似た濃厚でまばゆい光軸が出現した。それが石井隆の雨と血に染まったメロドラマであった。その過程をつぶさに見ていれば、いや、せめて見てみようという意志がわずかでもあったならば、どうして「変化をもたせようという意欲に欠けている」なんて書けるものだろうか。
あげくの果てに「ひとつのつよい確信とでいっぱいだった。(この男──気狂いだ)という確信」(*5)と綴り、さらに「(この男は気狂いだ)また、ぼくは思った」(*6)と強調すべく繰り返し、「どうも、この男には、どこかしら、ふつうの人間らしい感情というものが、欠落している、と思われてならなかった」(*7)と書き残している。名誉毀損の訴訟によく発展しなかったと思う。なんて思慮の浅い、粗雑な記述だろう。「ふつうの人間らしい感情というもの」が欠落しているのはどっちだろう。
石井隆が劇画世界でどれだけ大きな風穴を開けたのか、どれだけ画期的な仕事をしたのか、栗本はそれが全然理解出来なかったのだ。世間の熱狂をいぶかしみ、発行部数の伸びを後押しする男性読者は性欲持て余す牡(おす)の群れと処断し、浅はかなやつらと一瞥しほくそ笑んで紙面に黒々とした私見を刻んだのだ。
「どのみち読者は、一部の知識人のさわぎとは別に、この雑誌、この作家、などとえらんで買いもとめているのでありはしなかったようだ。(中略)佐崎賢治も石川豊も、かれらにとってはどういうちがいはなかっただろう。」(*8)
違いが分からないであんな熱狂が起きようか。栗本はなぜ石井が支持されているか皆目わからなかった。他の作家との違いがわからなった。わからなくても全然平気で、さらにわからないまま勝手に自作のモデルに石井を選び、誤ちだらけの解釈を世間に押し付けることを何ら躊躇しなかった。これが灼熱の焼き鏝(ごて)、「ナイトアンドデイ」が内包する禍々(まがまが)しさである。
(*1):「ナイトアンドデイ」 栗本薫 文春文庫「ライク・ア・ローリングストーン」所収 文藝春秋 1986年8月25日発行 あとがき 223頁
(*2): 同 172頁
(*3): 同 181頁
(*4): 同 181頁
(*5): 同 173頁
(*6): 同 176頁
(*7): 同 178頁
(*8): 同 213頁
栗本薫「ナイトアンドデイ」(「ライク・ア・ローリングストーン」所収)(1)
栗本薫(くりもとかおる)の小説「ナイトアンドデイ」(1982)が衆目を集めたのは、これまでに都合三度である。「別冊 文藝春秋」に載ったときが最初で、その後しばらくして単行本「ライク・ア・ローリングストーン」の一編として収まったとき、最後はこれが文庫本となり陳列されたときだ。(*1) 当時の世評を知りたくて何かないかしらと探してみたのだが、実のところ反応も何も今のところさっぱり見当たらない。鈴木いづみが表題作「ライク・ア・ローリングストーン」と別のもう一編にさらりと触れているくらいで、見事に忘れられた作品と言えそうだ。 (*2)
私の場合、初見は文庫版であった。蒼空(コバルト)色のよれよれになった帯がかろうじてへばり付いている。「今月の新刊 70年代の匂い、雰囲気、思い ああ、ぼくらの青春よ!」なんて書かれていて鼻白んでしまうけれど、奥付を見ると1986年8月25日とあるところを見ると多分その頃に購入したのだろう。
あれから三十年以上が経過している。引き足しして当時の年齢を数えれば、列島を北へ北へと移動していた頃だ。六畳かそこらの風呂もなければトイレもない下宿部屋が懐かしく思い出される。書棚代わりにしていたダンボール箱に石井の劇画と共に「ライク・ア・ローリングストーン」は居座りつづけ、ともに寝起きしては流し目を送って寄こした。
1986年といえば、創樹社から石井が自身の名を冠した「自選劇画集」を出したちょっと後ぐらいになる。その頃のインタビュウかあとがきを読み、慌てて買いに走ったのだったかそれともまったくの偶然だったか。人生には運命的な出逢いというやつがあるけれど、この本に限っては石井から教わった口じゃなかったかな。まあ、その辺はさして重要ではないから、保留してさっさと本題に進もう。
著者の栗本薫とは世代にずれがあって、彼女が過ごした七十年代と私のそれは時間軸こそ同一ながら色彩は大きく異なる。三編にひしめく喫茶店や同棲、ギターや長髪は、淡い憧憬を覚えはしてもよくは知らないからコメントしづらい。「安保、内灘海岸、安田落城、マンガブーム、ロックバンド、新宿」(*3)のいずれもが背の届かない先に在って、正直実感するものがない。「匂い、雰囲気、思い」を共有していない以上、口を挿む資格がそなわっていないと言われたら黙るより仕方ない。これまでそんな風に考えてきたし、いまも幾分かはそう感じている。
そもそも栗本薫を読んで来なかった。続きものを数巻買って読んだ時期があるけれど、なんだか肌に合わなかった。人が人と向き合い喋ったり動いたりするほんの刹那にきらめく感興や不快を立ち止まって掘り起こさず、話の筋の勢いだけを重視して見えた。ピント送りがなく照明も不十分な雑駁な映画みたいで落ち着かず、間もなく新刊購入を控えるようになってしまった。そんな読者とも呼べない自分が栗本の何を語れるものだろう。対象物と飽くなき同衾を重ね、汗だくの抱擁を経ずに唇を開けば、言葉はたいがい表情乏しく、たちまち体温を失って虚しい時間に陥りがちだ。
無資格者を自認しつつもこの四十年前の忘れられた著述を蒸し返す理由はどこにあるかかといえば、ひとえにこの小説が石井隆と深く関わるからだ。石井劇画の積年の読者としてならば、また、往時の掲載誌の一読者としてならば、その時分の生身の読後感を振り返り、確固たる調子で意見を投げ返すぐらいは許されるのではあるまいか。乗り遅れの感はあるけれど、それでもなお私は石井劇画が盛んに掲載されていた雑誌の購読者だったし、入手可能な単行本のほとんどを買い揃えていた。その一点を頼みの綱にして、これから少し囁いてみたいと思う。
「ナイトアンドデイ」が初めて掲載された雑誌とその後出た単行本も気になり、あらためて入手している。ざっと三冊を見比べて見たのだが、「ナイトアンドデイ」に限って言えば改訂の跡は見当たらない。栗本にとって迷いのない仕上がりだったのだ。いくつか為す引用は、すべて最終形である文春文庫版からで注釈の頁数もこれに拠る。
(*1):「別冊文藝春秋 161特別号」 文藝春秋 1982年10月1日発行
単行本 文藝春秋 1983年5月1日発行
文春文庫 文藝春秋 1986年8月25日発行
(*2):「退屈で憂鬱な10年―栗本薫『ライク・ア・ローリングストーン』」鈴木いづみ 「鈴木いづみコレクション〈8〉 対談集 男のヒットパレード」文遊社 1998 頁
(*3):単行本の帯に記載。ちなみに惹句は「レクイエム・私の青春」
2018年6月5日火曜日
“絵本”
貸本時代の初期作品は巧みな話術で支持を取り付け、当時の子供たちの脳裏にあざやかな光跡を刻んでいる。その後の掌編たち、【紅い花】(1967)、【ねじ式】(1968)、【ゲンセンカン主人】(同)などに至って、青年層の記憶の裾野に雨滴のごとく滲み入った。素朴な描線の人物像ながら、雷雲の如きただならぬ変動を隠して思えた。読者の心に低くたれこめ、振り払えない蔭(かげ)をもたらした。
ずいぶん前の本のなかで評論家の梶井純(かじいじゅん)は、つげの貸本作品群を評して次のように書いている。「作家の本質的な社会観などとは無関係に理想をえがくことができる子どもマンガ志向をもつことこそ、「一流」の子どもマンガ家が約束される最大の手形であった」のだが、「同じ子どもマンガをかきながらも、つげ義春は、無意識にこの時代の暗部からうきあがることを肯(がえ)んじえなかった」。また、後続の「ガロ」を主体に発表された佳作群については「読者の存在を半ば無視してみずからの作品を切りひらいていく道すじをたどった」とも記している。作品および作家の性向を簡潔に表現して感心させられるが、要するにつげは時代におもねることのない孤峰として在り続けたのだ。(*3)
折々に書棚から引き出してはじっと視線を注いでいく年季の入った読み手だけでなく、いまも若く新しい読者を獲得し続けているところがつげの見事なところだ。加えて間欠泉のごとく噴出をくりかえす研究本、解析本の出版である。その事実の堆積にはただただ舌を巻き、不思議な作家がいるものと感嘆させられる。
石井隆にもつげと同様の、いや、それ以上の引力なり渦がそなわるとわたしは一心に信じているのだけれど、石井が評論や研究の対象に選ばれることは少なく、それが至極残念でたまらない。でも考えてみれば、そもそも一人の漫画や劇画の表現者に対してとことんこだわり抜いた書籍が編まれること自体が珍事なのである。手塚治虫や石森章太郎、水木しげるや白土三平、それに楳図かずおといった鮮烈な作家性を前にしてこれまで幾人もの評論家や研究者が腕まくりして挑んだが、手塚とつげ以外はそれほど目立った出版の隆起はない。
過去の作品群を二言三言で簡潔に紹介しまくるとか、憧憬や尊敬の念をとろりとろりと綴ってみたり、これまでの親交を目尻下げて回顧する、そんな軟らかでモザイク状の構成ならば大概の雑誌の作家特集に見受けられるからさして珍しくないのだが、「読み解き」であるとか「作家論」と冠した重心の低い活字で頁が埋め尽された本というのはそうそう見ない。特に単著は多くない。
青土社の「ユリイカ」や河出書房新社「文藝別冊」のバックナンバーが並ぶ大型書店には、押切蓮介(おしきりれんすけ)、志村貴子、東村アキコ、こうの史代(ふみよ)、古屋兎丸(ふるやうさまる)、江口寿史(ひさし)、岩明均(いわあきひとし)、諸星大二郎、岡崎京子、いがらしみきお、いしいひさいちといった私があまり読んだことがない最近の漫画家と懐かしい作家の名前をそれぞれ背表紙に記した両誌の特集号が並んでいる。どの程度売れるかは知らないが需要はあるのだろう。単独で一冊の作家論を編むまでには至らないものの、往年の「漫画主義」的なかたち、複数で多角的に切り込む布陣はメンバー替えしていまも健在なようだ。「スペクテイター」のつげ特集の構成はどちらかと言えばこれに近い。作業を分担し、ひとりの創作者を取り囲んで皆で迫ろうとする。
一方の「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」は矢崎秀行ひとりの筆によって書かれている。こういうスタイルは確かに見なくなった。何も漫画に限ることではなく、映画についても単独執筆者による作家論の出版は稀である。あっても長いインタビュウを文字に起こし、上手く構成したものが主流と思われる。
単独で上梓することの難しさは一体どこにあるのか。一個人が作家論を試みる上で困難な側面は「歳月」の断崖にある。日常の現実世界で他者、それは友人でも恋人でも良いのだけれど、その人柄とその内部に広がる精神世界をある程度理解するには相当の時間を要する。出会い、幽かな途切れ途切れの交信を開始し、やがて打ち解けてお喋りに興じ、なにかの拍子に深刻な対話を始めてそれを延々と連ねるという行程を踏まえることが肝心となる。いやいや、本当に相手を知るには「時間」なんていう生ぬるいものでなく、「歳月」という強面(こわもて)の集積が求められていく。
私たちが作家に出会うときは喝采を博した後が大概であり、駆け出しの頃など全く知らないのが普通だ。「歳月」を持たずにいきなり人間と対峙する訳だから、どうしても臆病になる。響きがどうも嫌いで普段は使わないようにしているが、人生を賭して創作に挑む作家の孤影をどこまでも“フォローする”こと自体が容易な道筋ではないのだ。まして作家の内奥に迫り、したり顔であれこれ論ずることなど土台最初から可能な次元とは到底思われない。立ちふさがる岸壁の偉容に怖じ気づいて、こりゃ手ごわいと登る気が失せてしまう。
人生を理解するのは結局のところは当人のみじゃないのか。誰もが雨のなかに佇む村木のように、そのかたわらを肩と背中を濡らしながらも歩み行く名美のように、ほんの少し距離をおき離れ離れとなって踏ん張るしかない。足裏に力をこめて大地に仁王立ちし、互いをひたすら見守って見守って、見守り続けるより仕方ない。そんな当たり前の真実に足がすくみ、誰もが口を閉ざしていく流れではなかろうか。
ずるずると長い枕で𠮟られそうだから本題に移れば、このつげ関連の二冊を続けざまに読んで評論の難しさと怖さをまざまざと目にしたのだった。この場はつげについて語る場処ではないから詳細は触れないが、作品に引用された写真の出自をめぐる解釈に段差が生じている。どちらかと言えば「『ねじ式』のヒミツ」の方がすこし分が悪い。執筆者が生真面目な性質(たち)で作品に対する愛着の強さがよく伝わる分だけ、余計に哀しく、吐息を凍らせるものがあった。
人が人に惚れ、理解しようと努める行為はなんと微笑ましく、そして、なんと残酷なことか。ひたすらに気持ちを深めていくが、往々にして道を誤っていく。相手の求めるものと真逆のことをしてしまう、妙ちくりんなことを思いこむ。熱情のとばしりに負けて、胸にそっと貯め置けずにいよいよ苦しくなって、気を許した相手に半熟の私見をべらべらと喋ってしまう。
なんだなんだ、自己弁護にその本を使う気かね、あのなあ、君の勘違いは上の本と比べたら数段ひどいよ、まったく偉そうなことを書けた身かね。分かっている、その通りだ。つまり私は矢崎のこの本から我が身同様の暴走気味の、同時に真面目すぎる性行を受け取り、彼と自分を、そして人間という総体をどこまでも温かいものとして信じたいのだ。同情のような自己憐憫のような湿った気持ちに完全に呑まれている。
間違いは確かに犯したが断罪する(される)までもなかろう、そう思いたいのだ。読み解きのどこかに誤りがあるからといって、作家の内実、魂の基幹部分から大きく外れているとは限らない。今ごろがっくりと肩を落として落ち込んでいるだろう矢崎に近づき、よく迫れている方じゃないかと誉め讃えたい。どちらの本をつげが喜ぶかと言えば、きっとこっちの本の内容や熱情を興味がり微笑んでくれるに違いない、なんて想像する。
実娘の手になる清楚できっちりした装丁の可愛らしい“絵本”をめくりながら、ひとりの人間、ひとつの家族の柔和なまなざしが宿っていると感じる。寡黙な作家と結線を果たそうとする読者の分身が、うつくしい本の形態となってわたしの前に腰をおろしている。
(*1):「スペクテイター〈41号〉 つげ義春」 エディトリアル・デパートメント編集 幻冬舎 2018年2月
(*2):「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」 矢崎秀行 響文社 2018年1月
(*3):「現代漫画の発掘」 梶井純 北冬書房 1979 199頁、201頁
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