2011年5月9日月曜日

“足の裏のアップとか”


 近作映画に連動して上梓なった写真集「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」(2010)の評価が、例によって二分した。落胆し不満を露わにする声の数々をウェブ上で拾い集め、その幾つかを並べてみると、かえって石井隆の世界とはどのような空間であるか見えてくるように思われる。

暗い基調の写真が多く、その写真も顔や体の部分を写したものが多い、
つまり全身のヘア・ヌード写真が無いということ。足の裏のアップとか───

また顔の表情がよく見えない写真もある。全体的に暗く不鮮明。
せっかくヌードになっているのに顔がはっきりしない写真が多くて、
佐藤寛子かどうか分からない感じ───

 四ツ足で這いずり回った動物の時分から変わらない、根っ子みたいなものを私たちは抱えている。どうしても異性の身体から生え茂る体毛や毛髪、腰つきや乳房などに目線を奪われがちであって、その本源的なメカニズムを利用して芸術や芸能といった娯楽や文化、恋や仕事の駆け引きが盛んに行なわれているのは承知の通りだ。例えば古くは陶磁や土壁に、昨今ではグラビアやDVDやウェブ上に裸の男女の、入れ代わり立ち代わりして乱舞する様子が止む気配がない。

 その手の情報や導きなくして人類の繁栄と継続はおぼつかないとする岸田秀の論なんかに深く頷くところもある私は、猥褻とか不道徳の語句をかざして否定したり拒絶する気がさらさら起こらない。夜空の星々と数もまばゆさも双璧となって、まるで地上を埋め尽くす勢いであるのが実に壮観に思える。

 ただ、ステレオタイプにしなしなと曲線を作り、強烈な性的記号(サイン)を際立たせながら受け手を導くものを(愛着ある物言いにて)ここで「破廉恥」という形容で仮に括った場合、石井隆の私たちに提示するものは、幾らかその流れから逸脱したものとなって見える。上の意見はそのことを端的に言い表しているように思う。

 なるほど『花と蛇』(2004)以降、白い裸身に妖しく彩られ続けた祭事空間に世間は大いにざわめき立ち、公開間近ともなれば宣伝役を担った週刊誌、写真誌がにぎにぎしくカラー頁を割いてきた。言葉巧みにこちらを煽りまくり、ちりちり、さわさわと内奥を刺激する題字と文面で飾り付けられた女優のあられもない姿にこころ奪われ、烈しく揺さぶられた私たちは石井の作品を色情にひどく囚われ、幽閉された世界と捉えがちだ。

 『死んでもいい』(1992)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が典型だけれど、性愛や恋情に筋を乗っ取られ、抑制をまるで失ってしまって破滅の淵へとひた走っていく傾向が石井の劇には強い。これを破廉恥と呼ばずに何をそう呼ぶか、と思わなくもない。けれど、世間一般の枠組みで次々と提供されている目線とは隔絶した、妙に重苦しいものが寄り添っているのは違いなく、どう異なっているかはなんとも微妙なところで一言、二言では表わしにくいのだけど、肉体を“風景”として見守っているかのようなやや奥まった気配を私はずっと石井の手元に感じてきたのだった。

 例えば硬く閉ざされ続ける唇、それに、閨房で半眼のまま観察を解かずに終始して決して閉じられないおんなの目蓋といったものは、ずいぶん以前からファンの間で石井らしい描写として囁かれるところだ。身体の芯をくすぐり発熱させる“記号”としては石井の描く(演出する)女性像は不適格なところがある。

 男たちの欲望を完遂にいざなう“記号”を演じることを拒絶して、石井のおんなたちは別な何ものかになろうと蠢き続けていく。それは同時に私たち男をも別な次元に連れ去ろうとするのであって、この石井の差し出す別回路をしかと見定め、流れに乗れるかどうかが、詰まるところ石井作品の評価の分かれ目になっているように思う。

 人間の内奥に潜む陰翳をひたすら凝視し、どうにか印画紙やフィルムに定着させようと図る石井隆の世界は“暗い基調の写真が多く”、被写体の精神の多層に迫って“自分が見知っていたおんなかどうか分からない感じ”になっていき、“表情がよく見えない”分だけ緊迫を孕んで、所作や息づきといった全てから目が離せなくなる。

 “足の裏のアップとか”から、おんなのこころを読まざるを得ない、そんな追いつめられ方をされていく。森に入って耳を澄まし、風を読み、これから雨になるのか雷が来るのかを予測するように、指先にこもった力や膝頭と肩の微かな揺れ、化粧や装飾の度合、唇のわずかな歪みを懸命に見詰めていかねばならぬ。石井のおんなは記号ではなく、だから風景として佇む。生き残りを賭けた真摯なまなざしが霖雨(りんう)のように果てしなく注がれ続けて、視界をまぶしく覆っていく。


2011年5月8日日曜日

「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」 佐藤寛子写真集


 自ら監修して世に送り出した「写真集」は、これが石井隆にとって(劇画家時代のものは含まなければ)三冊目となる。喜多嶋舞と組んだ前作“映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」写真集”にも圧倒されたのだけど、佐藤寛子を主演に招いた今作は世辞抜きに物凄いことになっている。心胆凍らしむ壮絶な仕上がりで、重たく密度のある“寒気”に幾度も襲われた。孤高の創造者がなりふり構わず“地獄図”を構築している。この“突き抜け方”こそが人の言う「石井ワールド」の醍醐味だ。

 映画「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」のフィルムブックという体裁をも遥かに超えている。突き抜けている─、越境している─、破壊している──。頁をめくる度に剣先でざくざく喉元を突かれているような、尖(とが)った想いが明滅する。艶色(えんしょく)誇るタレントが若々しい裸身を捧げる「ヌード写真集」の枠組みを軽々と超えてしまった。

 “超える”という言葉で、ふと思い返す。とあるドラッグクイーンがインタビュウを受けて、自分たちは“女性化”している訳でなく“超男性”なのだと答えているのに以前出くわした。ひたすらポジティブな面持ちであって、“生”のエネルギーに満ち溢れて見えた。

 なるほどと感じ入ったのだったが、思えば彼らに限ったことではなかろう。人は時に“超えること”を狂おしく希求するものだ。表層的にでなく内面的なレベルであれば尚のこと、自らを囲う殻を破りたいと身悶える。気持ちだけは何がなんでも折れるもんか、負けるものかと歯を喰いしばって新生を試みるいたいけな存在が人間ってやつだろう。“生きる”という流れはそういう「破壊と再生」の繰り返しに在る。エロス的な超越の在り方を手探りしながら、大なり小なり人は変わっていく。

 そのような正方向への変容の仕方、建設的な化け方ではまるで無い、尋常ならざる不気味な跳躍がこの写真集には植え込まれている。叩きのめされた。質が、覚悟がまるで違う。いや、善し悪しの次元ではなくって、戦局を開く場処が世間の常識とは真逆である。

 写真という領域から先例をたぐれば、似た味わいのものが記憶の淵から浮上もする。八十年代中頃からのシンディー・シャーマンを連想する人が少なからずいるのではなかろうか。ラバーやかつらを多用して撮られた彼女のセルフポートレートはどれもこれもが異様な風体であり、目撃者の動揺を激しく誘った。女性が美しさや可愛らしさという仮面を捨て置いておどろおどろした“死者”なり“無機物”へと変貌していく。一枚の写真がさまざまな想いを喚起させて、ひとしきり無我の境地に浮遊されられたものだった。

 あのときの戸惑いや衝撃が震度4か5とすれば、石井隆と佐藤寛子が与えたものは震度8以上の激震である。

 女優が自らの名前を冠した「写真集」を発刊する際には、どの写真を載せるべきであるか、彼女なり所属事務所なりの許諾が必要となるは当然のなりゆきだろう。拡大ルーペを通して熱心にポジフィルムなり手札判に焼かれた己の姿を凝視し、胸にざわつくカットにはマジックペンで赤々とバツ印を残したりするものだ。佐藤寛子は掲載候補に選ばれた写真に目を通し、じっくり思案する機会を得たはずなのだ。

 それなのに、どうだ──、
 時折挿し込まれる形相は、これは一体全体どういうことか──。

 数えてみれば七十ほどの画像がこの本には収まっているのだけれど、全身の毛が逆立つような佐藤寛子の表情が待ち構える。4葉目、5葉目の、浴室のシャワーの滴に濡れた面影の、半眼のままわたしたちを睥睨(へいげい)してみせる佐藤がまずもって怖い。魂が遊離しかけて夢とうつつを行き来しているような、曖昧で、何かしら黒い印象を与える眼差しにぞっとさせられる。29葉目、30葉目では天井をぐいっと仰ぐ横顔があり、見開かれた瞼から丸く覗いた水晶玉のような眼球はこちらの感情を一切合切なにもかも拒絶するようなヌメッとした輝きを放っていて、命(いのち)宿るものとは到底思えない。

 バランスのとれた体躯に豊かな胸部を具えて、現代女性を代表するがごとき満満とした外観を誇るタレントであるが、同時に奥ゆかしさと知性を湛(たた)えた愛らしい瞳が強い印象を残す“目力(めぢから)のある娘である。美貌に恵まれた存在、美しい女(ひと)と言い切って良いだろう。このみずがめ座生れのおんなは内面から輝いて美しい。それが彼女の本質だと私は思っているのであるが、

 はたして上に掲げた彼女の表情は、彼女の瞳は、“美しい”だろうか。鼻筋はすっと通り眉も整い、唇だけを見れば吸い込まれるような肉感があって虜(とりこ)になってしまいそうなのに、全体として言いようの無い不安を誘発するところがある。どこかに欠損を抱えている者のような、裏返ったものが紙面に巣食っている。

 編集スタッフの不手際なのだろうか、それとも、締め切りに追われた挙げ句のやっつけ仕事の成れの果てで、滅茶苦茶な選定と構成が為されたものなのか。どうして佐藤はこれを止めなかったのか──。疑念を抱きつつ、さらに頁をめくっていって遂に合点がいくのだった。佐藤寛子という憑代(よりしろ)を得て、石井は極北の情景、タナトス的な突き抜けかたを真っ向から狙い定めている。重大な決意をもって禁じ手であるはずの“歪み”や“狂い”が捕らえられている。

 42葉目にて佐藤の裸身は輪郭を失い、あたかもゴムの人形か軟体生物のようになって暗がりで息づいていくのだったし、さらに60葉目、62葉目において変容(メタモルフォーゼ)は極まって此の世のものとは到底思えぬ妖しさを刻んでいく。

 伊藤晴雨の絵に「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)図」があり、あれは男の怨霊を描いた傑作だったけれど、犬歯覗かす佐藤の歪んだ唇、あらぬ方向を凝視する鳥のような瞳はこれを想起させるに十分なものがある。ヌードグラビアとしての定石とは完全に剥離した、豪胆な試みが為されていると捉えていい。

石井隆と佐藤寛子はこれまでの“ヌード写真集”の常識を破壊し、また、佐藤が地道に獲得してきた健全な常世(とこよ)のイメージを脇に押しやってまでして、幽冥の地平を拓(ひら)かんと突き進んでいる。傍目には無謀とも思えるとんでもない闘いを二人して挑んでいる。

 古来より伝承される説話にはおんなの変容(メタモルフォーゼ)を顕わしたものが多くあるが、石井と佐藤が表現しようとしているのはまさにその潮流であるのだろう。奥州安達ヶ原の鬼女、蛇身へと変じて恋しい僧を追い立てる姫君──かれら異形の者たちはひとを想う気持ちがあまりにも高じた末に、人を殺めずにはおけなくなった“超えた存在”だった。佐藤はこれを捨て身で演じ切り、石井は全世界を敵に回しても良いという必死の覚悟で形に為した。人が人を愛する臨界に訪れるだろう“化身”や“霊界”が黒々と描かれている。

 65葉目で大きく目を見開いて驚愕する佐藤の、その視線の先にそっと置かれた64葉目の画像。“ドゥォ-モ”の巨大で湿った岩肌の、ずんと縦に穿(うが)たれた裂け目に不自然な山吹色の鈍い光が宿っており、よくよく目を凝らせばその奥に何か得体の知れぬものが潜んで此方を窺(うかが)っているようにも見える。ああ、何だろうこれは──勘弁してくれ、妖し過ぎる、恐ろしい。

 あの表情、あの光をしばらく振り切れそうにない。とてつもない「奇書」がぽつねんと此の世に産み落とされてしまったことに心底仰天し、ただただ唸りまくるばかりでいる。死線をさ迷った者にしか知り得ない、生き果てた先の先に在る“業(ごう)”に触れた想いがある。





2011年4月29日金曜日

“ふたりの風景画家”


 昨年十二月、暮れも押し迫った頃に映画監督の池田敏春(いけだとしはる)が世を去った。遺された作品のうち、白都真理(しらとまり)主演の『人魚伝説』(1984)がこのところウェブ上で話題となっている。“原子力発電所建設工事”をめぐる暗躍や対立が物語の背景にあり、ささやかな漁民の生業(なりわい)と家庭が無残に押し潰されていく様子が描かれていた。巷でささやかれる声は、今この瞬間のわたしたちを脅かし続けているさまざまな事柄と映画世界が隙間なくリンクした結果である訳なんだけど、それと共に、池田が舞台(ロケ地)となった港町を再訪し、海に身を投じて自ら生命を絶ったという因縁の深さ、多層さに誰もがこころを惹かれるからに違いない。

 もちろん、事の詳細は部外者である私にはまるで解からない。いかなるプロセスを経てそこに佇んだのか、眼下に臨んだ冬の海が彼の魂にどのように機能したものか。独りぽつねんと対峙してどんな風が吹き巻き、どんな波がそのとき砕けたものか。もはや語る思いも残っていなかったのだろうか。答えの返らぬ質問がおぼろに明滅するばかりなれど、感覚として拒絶は起きない。どころか、むしろ私には馴染む部分さえ、実はある。

 三十代の血気盛んな時期に撮った映画の舞台に、なにかしら追慕するものがあったと想像するのはたやすい。それに、ある程度の年輪を重ねた者であれば、思い当たる節が誰にでもあるのじゃなかろうか。内奥の深いところに癒着してなかなかに醒めやらない、不安定でどうしようもない“場処”のひとつやふたつを抱えながら、どうにかこうにか生き長らえていくのが人間というものだ。迂回して通る時もあれば、ふらり立ち寄って気持ちの整頓をしたりする、そんな場処が確かに在る。

 彼の地が池田にとってそんな場処であったのならば、遺族の皆さんには聞かせられないが、“かたち”としてそれはありがちな、諦観をたたえて見つめることが可能な、おごそかで静謐な場景となって脳裏に投影されるように思う。

 自ら選んだ場処で自ら選んだ区切りを求めた「強靭な執着」は彼らしいな、という感慨もある。盛夏、厳冬の時期ともなれば思考をすっかり滞らせる猛烈な寒暖に襲われてしまう、四方を緑濃い山々に囲まれた狭隘(きょうあい)な盆地に生まれ育った池田敏春という男が、“風景”に過剰な思い入れ抱いた挙句に“風景”に溶け込もうと図るかのような幕引きを演出したのは、同じ北国に育った私の中に、らしいな、という感慨を湧かせて止まないところだ。

 自然を制覇し切ったとうそぶいて見える都会とは違い、葉山信仰や草木塔、山岳修行といった習俗にべったりと染まった東北の地では、町や村は自然から恐る恐る借り受けた特例の区画、自ずと謙虚にならざるを得ない間借り状態となっている。今の世にそれはあるまい、大袈裟なことを喋るものだと笑うかもしれないが、本当にそうなのだから仕方がない。人間もまた自然から猶予を与えられ、猫の額みたいな平地に生かされており、やがて時が満ちれば、鬱蒼たる山々の奥へと帰還して樹や蔦(つた)、花とか草藪(やぶ)に入り交じって一体化するのは感覚として至極当たり前である。

 そのような地で展開される“風景”は精神や思索といったもろもろをはるかに凌駕していて、(“生活”ではなく)“人生”の根底を強く牽引するところがある。終幕に訪れた“海”という風景に池田がどのような眼差しを向けていたか、だから、その一割程度は解かるような気がわたしにはあるのだ。良いとか悪いとか、哀しいとか辛いでなく、きっとそうだったのだろうと想って、今はこころ静かに冥福を祈っている。

 彼の死は新聞に多く取り上げられることはなかったが、追悼する写真付きの小文(*1)が大きく一紙に載せられており、嬉しくそれを読んだ。故人の内実を探り切れずに、やや途方に暮れた感じで断絶してしまう文章であったが、かつて映画青年だったらしい書き手の池田作品への敬意と憧憬を含んだ記述はためらい無く地平線を広げてみせ、石井隆が脚本を書いた『天使のはらわた 赤い淫画』(1981)もすらりと紹介してあって、とても綺麗な筆致だった。

 根岸吉太郎と並んで、石井もほんの少し言葉を寄せている。書き写すとこんな具合だ。

──織田作之助の短編小説の映画化で、大阪を舞台にした男女の純愛物語。「天使のはらわた」などの脚本を書いた石井隆さん(64)は、「秋深き」を見て、主人公の2人が手をつないで歩く姿に目が留まった。以前、池田さんに「こんな風に書いて」と言われ、示されたアメリカ映画「コールガール」(*2)の1シーンに似ていたからだ。それは、「体を売る相手でしかなかった、“男性”という存在を初めて愛した女性の気持ちがよく出ている」印象深い場面だった。

 石井の指す場面とは一体どんなものであったか、そして、池田の遺作との連関は本当にあるのかが気になって、続けざまに観て先の休日を過ごした。

 失踪した中年男の行方を追って田舎町からニューヨークにやって来た私立探偵が、ジェーン・フォンダ演ずる事件の鍵を握っていそうな若い娼婦に接近し、おんなの住まうアパートの一階にある半地下の小部屋に調査の拠点を構える。騒動を嫌って、最初はつっけんどんな態度で探偵をあしらっていたおんなだったが、最上階に位置する自分の部屋の頭上で怪しい影がちらつき、ごとごとと徘徊する物音が天井に響き始める。遂に耐え切れなくなって階下の探偵に助けを求めてしまい、それを機縁にして両者は急接近していくのだった。

 調査と護衛、幾ばくかの恋慕とがない交ぜになった昼夜が重なっていき、なかなか緊張は解けないまま膠着した状態だけが連なっていくのだけれど、ところが、街角で買い物をして過ごす生活臭溢れた場面が不意に挿入されて流れが一変する。紙袋を抱えて先を歩く男の大きな背中を見やる、おんなの瞳の、奥が一瞬ぐらりと揺らいで、次の瞬間にはすっと細い指先が、前に伸び、男の上着の裾をきゅっと摑んで、何事もなかったようにして後を追うのだった。

 男は背中を引かれて違和を覚え、瞬時にそれが何かを理解し、驚くでも破顔するでもなく、片手をおんなの背にさっと回すと、何事もなかったようにして並ばせ、一歩を踏み出していく。おんなの手を掴みふたりが腕組んで歩き始めるまでのその間、台詞は一切ないのが秀抜であった。雄弁な風景に触れた想いがある。石井が盟友たる池田を偲び、『コールガール』のこの場面を引き合いに出したことは記憶に価する言及だろう。

 『秋深き』が池田版『コールガール』であったかどうかは分からないけれど、あいかわらず光と影で掘り込まれた場面が鮮烈であって、最後の最後まで池田は彼らしい“絵作り”を徹した事が読み取れ感服した。さえない中学教師が惚れたおんなに夜道で追いすがり、街灯の下で唐突に求婚するくだりで、ふたりの輪郭をちろちろと真白く発光させるように配された照明の、それに付随して天空より舞い下りて寄り添うカメラの、活き活きとして堂々たる演出に息を呑んだ。

 『秋深き』と『コールガール』の両者と、加えて池田敏春と石井隆という映像作家の間で共振する箇所に想いを馳せれば、台詞以上に絵でもって語る、光と影で世界を波動させる、そんな技法に行き着くように思う。池田の追悼上映で招かれていた根岸が口にした言葉をここで借りれば「ワンカットに過剰に執着する」ことにより「視ている者のこころを揺れ動かす」、そんな徹底した絵作りを共有しているのは誰の目にも明らかだ。“黙して語る”とでも言うのか、“能弁なる風景”とでも呼ぶべきか、奥があって密度の高い絵画世界が峰を連ねていたように思う。

 性愛や暴力を軸とする物語を池田も石井も紡いできたが、その多くは思えば“風景”と総称されるものだった。恋情や欲望を題材にした作品を眼前にすると、カッと頭に血をたぎらせ、杓子定規にやれ陰部だの尻だの陰毛だの、性的だの、わいせつだのと騒ぎ立てては封殺を目論むひとがいるけれど、彼らは風景に畏怖や敬虔を抱けないこころ貧しい都会人に見える。

 わたしたち人間もまた自然の一部であり、風景の一部となって活かされていることを本質的に悟った者でなければ読み切れない映画、絵画、写真というのはあって、まさしく池田と石井はその贈り手であった。大切な画家をひとり失ったと感じている。

(*1):讀賣新聞 追悼抄「悲劇のヒロイン映す」 東京本社文化部 近藤孝 2011年3月7日(新聞の場合、掲載日は地域によって異なることがある)
(*2): KLUTE 監督 アラン・J・パクラ 1971