2016年12月26日月曜日

“ドッペルゲンガー”(4)


 石井世界において“風景”は単なる舞台装置ではなく、人間の精神を拡張させた確かな存在として働いている。どれだけ静慮に価するか、二、三の分身譚を通じて読み解いてきた。

 “風景”の話からはやや横道に逸れるけれど、少しだけ影法師そのものについて想いを馳せたい。「ウイリアム・ウイルソン」等のよく知られた怪談とは異なり、石井の劇では同じ顔立ちの相手と鉢合わせして視線がからんでも、驚愕したり拒絶することなく、即座に自分自身と認めてにじり近寄っていく。具体的には『甘い鞭』(2013)の終局に出現した分身とそれを前にした反応を指すのだが、その様子がなんとも風変わりである。相手に対して一切の反撥を覚えず、同じ磁場に取り込まれたようにして一歩、また一歩と近づいていく展開というのは、私には十分に不自然で独特の展開と思われるがどうであろう。

 厳密にはドッペルゲンガーとは呼べないにしても、石井の劇には相貌を近しくする者への物狂おしい拘泥があり、また、鏡像に対する頓着も明らかだ。これらは同根の事象であり、石井世界を解読する上では容易に外せない点と感じられる。

 たとえば、二、三の作品をここで例示するならば【黒の天使】(1981)の一篇【ブルー・ベイ・ブルース】がまず浮上する。1998年のまんだらけ版で大幅に改稿され、ゲストの不良少女の顔が主人公の殺し屋、魔世というおんなに極めて似た華やかな面貌にことごとく改められた点が印象深い。また、1984年に発表された【赤い微光線】にて、石井の代表作【天使のはらわた】(1977)の主人公‟川島哲郎”を彷彿させる無頼、川島が登場し、名美をめぐってその恋人である優男(やさおとこ)、村木と正面から衝突し掠奪を繰り広げる辺りがそうであって、極めて異色でありながらも石井という作家の心髄が露出した瞬間ではないかと思う。特に後者の男ふたりは似た顔立ちであることを宿命づけられながら、双方共にこれに全く触れることなく、化粧台の鏡像のように黙々とおんなを挟んで向き合っていき、さらには終盤におよんで徐々に容姿の段差が埋まっていくのは玄妙この上ない。 (*1)

 心理学や動物行動学では雌雄が惹かれ合う条件は何であるのか、「配偶者選択行動」という題目で研究されているが、それによれば遺伝学的に遠すぎず近すぎず、ほどほどの距離をもった相手が選ばれやすい。夫婦が似るのもそれが一因という。また、ふだん鏡などを通して見る自分の顔を基準とし、似た面立ちの犬を飼ってしまう傾向が私たちにはあるらしく、これを「親近性」と称すると専門家は書いている。(*2)

 確かにそういった現象は散見されるけれど、日常の赤の他人と交り合りにおいては連れ合いやペットを求めるような取捨選択の意識なり行動はともなわない。多くの場面が受け身であったり、無理に押し付けられる出逢いであって、そこでうり二つの相手と対峙する羽目に陥ると自由が利かない分、生理的にいかにも気色が悪い。

 余程の自信家でなければ人は自分と似た他者を即座に受け止め、無条件に愛せるものではない。了見の狭い、歪んだ過剰反応だろうか。私などは相手の厭な部分、それは寝癖が取れぬままの髪や伸びた鼻毛であるかもしれないし、バランスの悪い目鼻立ちや頓珍漢な服装、それに、場慣れせずにおどおどした身振りといった外面の困ったところ、はたまた言葉の端に出る底意地の悪さ、凡庸な頭を晒す滑稽な会話など内面の恥ずかしい部分がやけに目についてしまい、我が身の弱点や未熟さを指摘されたような後ろめたい気がして思い切り遠ざけたくなるか、別のテーブルに逃げたくなる。

 ブラッドベリの短編に双子を題材にした作品があって、ひと言で書けばうつくしい姉妹が徐々に仲たがいしていく様子を描いた内容だけど、これなどは実に気持ちにしっくり来る話だ。顔だけでなく服装も仕草もそっくり似せることを信条とする姉妹の間に波が立ち、弦が切れるようにして心が乖離していく。やがてその肩割れが体型を変え、髪の色を変え、服を変えて抵抗を始める。人には本来、近親憎悪とも言うべき魂の渦があって、なるほど親しみを抱く瞬間もあるだろうが、同程度かそれ以上の嫌悪も生まれ落ちる。(*3)

 石井の劇における鏡像はなぜかそういった不快をもたらさず、愛着の対象にしかならない。作家の性格と言ってしまえばそれまでだが、この絶対的な傾性が石井世界の底のほうでマントルとなって流れており、一定の方角に押し流している。それぞれ独立した作品たちを群体のなかに引き止め、その総身に重い勢いを与えている。

 劇画【黒の天使】の最終話にて、ヒロイン魔世ときわめて似た面立ちでありながらもこれまで繊細に描き分けられていた助手役の娘、絵夢が、死者の服を纏い、遂に主人公の相貌とひとつになって、仇討ちのために裏組織の本拠地に乗り込んでいく姿の切迫しながらもひどく甘苦しい気分というのは、石井の鏡像嗜好のひとつの到達点であり、今もってまばゆい熱源となっていて忘れ難い。


(*1): いずれも石井の劇特有の不自然さが愉しく、以前別の枠で取り上げている。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=312127000&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=216419068&owner_id=3993869
(*2):「美人は得をするか 「顔」学入門」 山口真美 集英社新書 2010  107-111頁 
(*3):「鏡」The Mirror レイ・ブラッドベリ 「バビロン行きの夜行列車」(ハルキ文庫 2014)所載


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