2015年12月13日日曜日

"女優ふたり”


 随分前の話になるのだけれど、電車のなかで女優と出会った。いや、会ったなんて大層なものではない、単に目にしたというのが正しい。

 記録しておいた訳ではないのだけれど、それが何年の何月かははっきり分かる。天井から垂れた中刷り広告が目に止まって、長い時間眺めていたからだ。文藝春秋の「ノーサイド」という雑誌の1994年(平成3年)十月号のそれは、「戦後が似合う映画女優」という特集が組まれており、モノクロの写真に赤い題字が鮮やかな表紙であり、また広告であった。写真には桂木洋子と若山セツ子がぴたりと頬を寄せ、腕を回して互いの肩を抱くという異様な親密さを示して写っている。ほんの数日前にこの号は購入済だったから、発売日の9月中旬であったのは間違いない。

 展示会を観に来たのだったか、商談が目的だったのか、その辺はすっかり忘れてしまった。初秋の午後、陽射しはほどほど在って車内を淡く染めていた。用が済んで東京駅の方角へ電車はごとごとと進んでいたのだったが、何度も途中の駅で快速に乗り換えることが出来たにかかわらず、茫漠とした思いのまま鈍行に揺られ続けた。自分が用済みの男、つまらない奴という気がしきりにして、弱くなったこころが人恋しさを募らせた。つやつやした頬っぺたを触れ合わせた若い姿に惹き寄せられたのは、それが理由のひとつだ。白い歯を見せる女たちに慰撫されながら、ずいぶんと見入っていたように思う。

 電車はだから、所要に追われる人の姿がすっかり消え失せてしまい、がらがらを越えて貸し切り状態なのだった。実際車両には私を含めて三人しか居らなかった。非日常の繭にくるまれ、白昼夢の只中を電車はゆっくり進んでいく。その只中で寂然として「映画女優」の広告を飽くことなく見上げる私の様子は、はた目にはかなり奇異に映ったかもしれないが、その女性客は斜向いの席からじっとこちらをうかがっていたのだった。

 彼女の連れは細面の紳士で、並んで座っていたのはゆらめく広告のほぼ真下の席だったのだけど、まさかこちらに視線を注いでいるとはまったく思わない。いくらか慌てたが、別に泣いていたのでもなく、また、こちらの頭の中まで覗かれるとは思えないので平静を保つことはできた。視線を交わして後、改めてこの一組の男女の様子を見てみれば両者とも黒の礼服であり、おんなは着物姿であって、その物腰から弔いの為に移動中なのだと知れる。そのうちおんなは、わたしの顔と頭上の広告とにかわるがわる目をやり始めたのだった。一度ではない、二度、三度とそれを不自然に繰り返す。いくらか細めた目の奥で黒い瞳が悪戯っ子のように光っていた。

 頭の回転がよろしくない私が無反応であるので、おんなは隣の男に顔を寄せて何事かを囁いた。流れる車窓の風景から顔を反らすことなく男は何事かを返す。(気付かないのかしら)(いい加減に止めときなさい)そんな会話と思われた。おんなはそれを受け入れ、男と同じように背筋をしゃんと伸ばして車窓を見つめることに努め、もはや私を視界から締め出した。彼女が誰であるかにようやく気付き、そのことに心底驚いたのは東京駅で乗り換えた特急列車の車中であった。

 計算してみると、そのとき七十歳を越えていただろう。今にしてウェブで検索すると、調度その時期、彼女といっしょに働き、何本か共演した男優が亡くなっている。たぶん葬儀の席を微妙に外しての、ひそやかな弔問の帰り途だったのではあるまいか。

 この老女(と書いているが、老いを連想させぬ装いだった)が蟄息の末に遂には伝説となった元女優の某(なにがし)であった証拠はなく、とんまな私の単なる思い込みであるかもしれないが、それでもそんな事があって以来、わたしの中で女優という存在は地に足を付けた人間、幼な子に似たお茶目で可愛いおんなという位置付けにとどまっている。持ち上げたりする気持ちが湧かない分、当然ながら胸の内が灼熱と化することもなく、それが淋しい気がしなくはないのだけれど、別方向に時おり感情が決壊する。彼女たちが選択した職種の残酷で熾烈なことに思いを馳せ、大変だな、と同情的に捉えてしまう。

 思うに女優という存在は憧憬や畏敬の念を無闇に抱かれ、どうも神格化されやすい。その分、醜聞が立って評判を落とすと皆のこころにみるみる反撥する気持ちが湧いてしまい、義心は一気呵成に膨れ上がる。罵詈雑言を浴びせ掛ける事態へと発展することも少なくない。特にウェブではこれが加速し、苛烈を極めていく。

 第三者の校閲を要さず、奔放な発信を可能とし、その瞬発力と利便性に誰もが甘い愉悦を覚えるウェブなのだけど、時にこれが想像を越えた巨大な黒い波と化して一個人とその家族を打ち負かすことになる訳だから、本当に怖い道具だ。自重というシフトレバーを常に頭の隅に準備しておらないと不味いことになるな、と、最近の一連の、上に書いたのとは別の女優Kをめぐる騒動を見ながら感じている。

 ひとりのおんなが身を挺して偶像役を引き受けるその陰で、興行にたずさわる数多の男女が生きる糧をようやく得ていく流れなのだが、はげしい攻撃にさらされる渦中にあっては守ることどころか手を差し伸ばすことも困難で、石打ちにもよく似た、無惨この上ない私刑染みた景色が延々と続いてしまう。結局、孤立無援に陥るのであって、なんとも哀しい世の定めかと思う。

 わたしは芸能世界に身を置いてはいないし、身近にそれを生業とする者もいない。けれどもこのぐらいの年齢ともなれば、女優の誰それと知人の某が縁戚にあるとか、最近デビューした何々は近所のあの家の娘だとか聞こえてくるようになり、彼らが純金製のつくりには到底見えなくなる。懸命に鍍金(めっき)を施した同じ人間なのであって、綺麗に装う時間は極々限られ、他の部分を占める生活模様なり思考回路はそんなには私たちと違わない。夢のない話であるが、それが正しい距離と姿と思う。

 神とあがめたり単純な類別にぬかるむことなく、冷静に見取らなければ駄目だ。“自らと異なる者”という安直な壁づくりに堕することなく、それこそ同じ町内の八百屋さん、魚屋さんのご内儀ぐらいに思っているのが正解なのだ。目線を低くするという意味ではなくって、対等に向き合うということ。そう考えれば、汚れた言葉は自ずと呑み込まれ、唇はふんわりと閉じられるのではないか。

 都心の電車内での不思議な出会いから二十一年が経過してしまい、その間に幾重もの禍福をわたしは体験し、人並みに脛(すね)に傷をこしらえた。人間は誰もが弱く、聖人君子でいる訳にはいかない。間違いも犯すし、取り返しのつかない失敗も起こす。それらを黒い年輪として重ねるより道はないのだし、個人的には傷痕や轍(わだち)を全く負わぬまま悠然と過ごす人はどうかな、大丈夫かな、とも思う。むしろ哀しみの淵に追いやられ、涙の河に手を挿し入れてすくい、これを呑み干し、かろうじて生き長らえている人の方に親近感を抱いてしまう。過ちを糾弾し、正義を叫ぶ資格を少なくともこの私は持たない。

 Kよ、おんなたちよ、沈黙する声なき励ましに耳を澄ませ、膝折ることなく歩んでほしい。同じ時間の流れを泳ぐ同輩として、落胆せずに、元気に人生の遡上を続けられることを心から祈っている。

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