2015年3月28日土曜日

“湖面”


 大事な面談を終えた後、このまま日常へと舞い戻るのが嫌になってしまった。話の流れの只中に何か鬱屈する気分を抱え込まされた訳ではないのだけれど、手足をぶんぶん振り回したいような、大声を上げたいような、そんなどうしようもない苛立ちというか、こころの沸騰するところがあった。以前から気にしていた山奥の、町の水がめを訪ねることにする小学校の遠足コースにもなっている人工で、良い機会だと心を決めた。

 数日前に古い雑誌を入手し、そこで石井隆の初期の作品を目にした事も背中を押した。【夜の深海魚】(1975)というタイトルの掌編で、秘密クラブの接待係を強いられたおんながその舞台となった魔窟で覚醒する話だ。やがて悠然と暮らし始め、古株のおんなを顎で使うまでに変幻する。捕縛する側、虜囚となって屈辱を受ける側といった上下の関係が逆転する顛末が描かれていた。おんなが自身のことを深海に暮らす魚に例える場面があって、読み込むうちに無性に暗い水面を凝視めたくなった。

 車を使えば三十分もかからぬ近場で、うねうねとした林道を登りつめた先に広がって在るのだけれど、これまで意識して訪ねることを避けてきた。理由はふたつあって、自分でもそれはよく解かっている。ひとつは池の底に低濃度ながら有害物質が確実に蓄えられていて、その上澄みを日々飲んだり使っているというお寒い現実と対峙することが怖く、思考から遠ざけたい部分があった。四年という歳月が経過した。もう忘却へと歩み出してよい、そう考える人も多いだろう。それぞれなりの判断があるに違いないけれど、私の内部ではいまだにざわつくものが居ついて去ってくれないし、時折暴れてさえいる。

 目の前に広がる水の面(おもて)は氷結して青白く染まり、その下には雪解けの水が満満と蓄えられているはずなのだが、視界から覆い隠され、いまひとつ容量実感されないものだから、なかなか安心する気持ちが醸成されない。天変地異がゆるやかに繰り返される狭い国土であるから、いつかは延々とした日照りがこの地を襲うに決まっている。湖底の黒土が無残に露出したとき、そこをひさしぶりに降った雨が激しく叩くとき、私や私たちの血筋の者は掘り返されて汚れた水を生きるために口にしなければならないのか。そのとき行政は、政治家たちは、この町の住人のために安心できる水をどこからか調達し、一定期間でも配布し続け得るものだろうか。

 若葉が萌えるのを目前にして、虫も飛ばず、鳥もいまだ鳴かぬ静謐した時間を味わいながら、この先ずっと気候の変わらず、豊かな恵みの雨の有ることを祈らずにはいられない。

 回避してきたもう一つの理由は、かなり以前の話になるのだが、この池に知人のひとりが身を投じて亡くなっているからだ。店の経営に行き詰まり、真夜中過ぎにここまで登って来たらしい。ショックに感じて、以来ずっと逃げてきたのだった。地方紙の社会面を小さいながらも騒がせた事件性から、葬儀を行わず、家族だけでひっそりと弔ったように聞いている。

 十日ほどしてから自宅を弔問している。仕事場での豪気な彼しか知らなかったから、川の堤の傾斜脇に建てられた古くて小さな借家を前にして戸惑う気持ちが渦巻いた。遺影さえ置かれていない粗末な祭壇に手を合わせ、疲労の色濃い細君に見送られて外に出ると、入れ違いに別の来客があった。新たな弔問者かと思って一礼したのだったが、細君は無言で奥に引っ込むと遺影のある部屋で手探りして、一、二枚の紙幣を手に戻ってきた。男は借金取りであるらしかった。上がり框(かまち)に帳面を置いて時間をかけて領収書を切り、細君に二言三言なにか囁いていた。家の前の傾斜に作られたささやかな家庭菜園の脇道を、学生鞄を持った中学の制服姿の娘がうつむきながら降りてきて、私たち大人に目もくれずに黙って家の奥に入っていった。

 濡れて重くなった彼の身体が引き上げられただろう湖岸を面前にしながら、あのときの遠い午後の惨たらしい記憶を繰り返し脳裏に再生した。手こそ合わせなかったが、夜道を駆け登り、此処に終に至ってしまった男の修羅と、残されたおんなたちの地獄を想いながら、今更ながら冥福を心から祈った。自分自身の足元の危うさを改めて強く感じながら、決して浮かれることのないよう、見えない重石を抱えながら生きていかねばならないと噛み締めるように考えた。



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