2013年1月20日日曜日

“雨に濡れる孤影”


   少し前になるのだが、劇場まで足を運んで映画を観ている。壇蜜(だんみつ)という古典的な面立ちと腰つきの、たとえば鏑木清方(かぶらぎきよかた)が好んで描いた風の濡れたおんなが主役を務める『私の奴隷になりなさい』(2012)という小品だった。(*1) 

 わたしは自身のことを色香の乏しい者とわきまえているし、この期に及んで螺旋(ねじ)を巻いても仕方なかろうという諦めもある。だけど、萎(しな)びがちな自身を最近持て余し気味であり、赤裸々な会話が飛び交う愛憎劇を大画面で賞味し、ゆったりと椅子に身を沈めて若く健康な裸身を愛でるならば冷えた軸心に勃(お)こるものがあるだろう、活も入ろう、きっと発奮もなろう、そのように期するところがあった。無いものねだりというか、欠落感を埋めるというか、なだめすかすと言うか、束の間だけでも酩酊したいという浮いた願いも正直言えばあったのだ。他にもじわじわと興味が膨らみ手伝って、夜の回へと背中を押されたわけだった。

 巧みな切り絵を彷彿させる壇の豊かな髪ともちもちした肉(しし)合いは、優しく目に馴染んでこころを弾ませた。墨絵のようなおんな、という印象も抱いた。これからメディアでの露出も増えて鍛えられていけば自然と色とりどりの表情を見せるに違いないが、今この時期に限られるだろう単色の描線とにじむような染まり加減には健気さ、あどけなさが宿っており、ほんのりと酔わされるところが多かった。
 
  さて、承知の通りこの壇蜜が、石井隆の監督作『甘い鞭』(2013)において主人公の“現在”を演じるらしい。加えて題材が嗜虐症(サディズム)であって、これも石井の最新作と地色を重ねている。

 “お葉”こと永井カ子ヨ(かねよ)というおんなが複数の画家のモデルとなって生き、さまざまに違った顔を残したことはよく知られる話だ。海外ではアリス・プランAlice Prinというおんなが“モンパルナスのキキ”となって絵画や写真に登場し、これもまた多彩な面影を美術史に刻んでいる。画布に写し取られる工程で描き手の魂が濾布(ろふ)となって機能し、雑味が省かれ、意のままに変容された挙句に男たちの“情景”に採り込まれたものだろうか、それとも、おんなの内部に横臥する恐るべき多層が画家たちの視線に共振し、波打ち、やがてべろりと剥離して面貌なり物腰を分裂させていき、さながら花の図鑑が風にめくれるように、それともプリズムが陽射しを浴びた時のように七色にまぶしく照り映えたものだったか。

 絵心のない私にはよく解からないし、不可解なまま幕引きそうな予感もするけれど、二本の壇蜜主演作品はこれに似た“絵画とモデルの関係”を最初から漂わすところがありはしないか。一個のおんなを二人の男、亀井亨(かめいとおる)と石井隆がきわめて似た景色に配置し、描いてみせるという事実が至極愉快だし、それをほぼ同時期に愉しめることに歓びを覚えて居ても立ってもいられない。

 『私の奴隷に─』を石井世界の輪郭を見定めるための“対照群”として使ってやろうという魂胆がそんなわたしにはあったから、いざスクリーンを見つめて物語の行方を追いながらも目線は既にして石井の新作を手探っているところがあった。折り畳み式の椅子に腰掛けた交通量調査のアルバイトにでもなったような心もちで、ここは同じ、あそこは違うと硬く握りしめた(想像上の)カウンターをカチリ、カチリと押していたのだ。作り手に対してひどく不謹慎で最悪の観客だった訳だが、これは事実だから仕方がない。


 劇の冒頭や中盤には(傘は持ったり持たなかったりするが)降雨の中にたたずむおんなのシルエットや影が挿入され、過去の石井の作品『ヌードの夜』(1993 )を想起させるに十分であった。もちろん雨に濡れる孤影ほど情念を薫らせるものはないのだし、視るもののこころ捕らえるものもそう無いのであって、古今東西の絵画や映画でも実際多く取り上げられている。脳裡には『妻は告白する』での若尾文子(*2)や、『サンダカン八番娼館 望郷』における高橋洋子(*3)などがひたひたと濡れてうごめくし、恋するウディ・アレンにさえ雨は降りしきる。『私の奴隷に─』での“傘とおんな”の出現は、だから特筆に値しないありふれた状景に過ぎない。

 故意か偶然かといえば、たまたま似たに過ぎないのだろう。いつもの狂った暴想と首を振りながら、されど、妄念の連鎖はどうにも止め難いものがあるのだった。濡れたおんなの陰影をかすがいにして、両者は混然一体となるようでもあり、その逆に『私の奴隷に─』の諸相が石井世界と馴染むことを許されず、白い飛沫となってぴちゃぴちゃと弾かれていくようにも思えて、最後まで興味深く観賞したのだった。


 『甘い鞭』と『私の奴隷に─』──主演女優の演技を筆頭に、比べる面の大きい作品であるのは違いない。石井世界とは何か、何をどのように描いているのかを粘り強く、無言の裡(うち)にたぐっている者にとっては一度観ておくに値する作品ではないか、そのように捉えている。


(*1):『私の奴隷になりなさい』 監督亀井亨 2012
(*2):『妻は告白する』 監督増村保造 1961
(*3):『サンダカン八番娼館 望郷』 監督熊井啓 1974

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