2012年7月7日土曜日

“オラトリオ”


 石井隆の物語空間における死とエロスとは、皮膜を隔てて寄り添う間柄にある。皮膜は雨やシャワー、水たまりに触れるとすぐに曖昧になり、両者はいよいよ混然となって渦巻き、目撃者を圧倒するのだけれど、その哀しみと悦びのメイルストロムをつぶさに見返していくと一つの特徴に行き当たるように思う。あれだけの死を累々と築きながら、自死へと至る顛末が少ない。

 もちろん“タナトス四部作”と呼称される劇画作品が1980年に展開され、そのひとつの【赤い暴行】は睡眠薬を大量にあおって死んでいくおんなの話だったわけだし、直前には石井ドラマの輪郭を決定付けて見える、あの【雨のエトランゼ】(1979)が横たわってもいる。屋上からの名美の投身をもって断絶する【雨のエトランゼ】は、『魔性の香り』(監督池田敏春 1985)、『沙耶のいる透視図』(監督和泉聖治 1986)、『ヌードの夜』(1993)、『フレーズ・ミー』(2000)といった具合に幾度となく趣きを変えながら石井の物語を彩っているから、その航跡を見る限りにおいては“自死”はたしかに連鎖して止まらない。

 オレンヂ色の灯がともる寝屋(ねや)に白刃がきらめき流れ、無防備な手首をすうっと真一文字に切り裂いていく。たとえば【蒼い閃光】(1976)であり【緋の奈落】(1976)であったりするのだが、紅蓮地獄が突如目前に浮上したような血の大噴出をともなう場面さえあって、読者をどんと突き放すそんな酷烈な幕引きが印象に残る石井の物語群に対し“自死が少ない”と書くのはなるほど可笑しな言い草かもしれぬ。惨死の群れなす陰鬱なお話ばかりじゃないか、でたらめを書くなよ、と首を傾げる御仁も居よう。

 人それぞれの世界観の読み解きがあって良いのだが、私にとっての石井の劇とはむしろ死に抗(あらが)う行為の連続であって、“生還と延命の絵巻”と捉えて来たところだ。ゆらめく影に恐怖して跳びすさり、幽かな足音に怯え疲れて地面をいざりながら、もう無理だ、死んでしまおうと思案のまな板に“死”を載せる局面はなるほど頻発するのだけど、いよいよとなって実行に移せぬまま煩悶の足踏みに入るのが石井の劇を支えるもう一方の“みめかたち”ではなかったか。端的には『ラブホテル』(監督相米慎二 1985)の村木(寺田農)であったり、『夜がまた来る』(1994)の名美(夏川結衣)だったり、『GONIN』(1995)の三屋(本木雅弘)の系譜である。

 夜通し海原を奔る連絡船の客となり、デッキから目を凝らして遠ざかる波の飛沫をにたどれば、海蛍(うみほたる)の青くざわめき筋をなして漆黒の闇に伸びていくのが視とめられるという。虚無と思えた黒い空間に無数の小さき生き物がそうやって群れ集い、懸命におのれの存在を主張するように、死の誘惑に手向かい、苦悶の色濃い面貌にさらに皺を刻んで生き延びようと足掻き続けた男たち、おんなたちがいくつも石井の劇には見つかるのであって、たとえば死線を一度はまたぎかけるが寸でのところで回避していく初期の劇画作品【天使のはらわた】(1978-1979)の川島哲郎もそうなのだけど、私の記憶の淵には彼ら石井隆の“抗う者”がいまも居座り続けて、ときどき思い出したようにして声を送ってくる。

 年齢を重ねるということはそういう事で驚くには値しないだろうが、わたしは知り合いを三人、自死というかたちで見送っている。身内や親族ではない。匿名とは言え、このような公の場でその事実を綴れる程の知人、友人としての距離のある間柄である。それでも折に触れ、彼らの事を考える時間がある。ひとりは望んでそうなったか、それとも無理強いされたのか判然としないのだけれど、この震災の混沌とした状況で絶望し魂の手綱を放して流浪を始めた男と一緒に寝起きしてしまい、最後は淋しく暗い場所を選んで逝ってしまった。死をわざわざ手招いて天寿に背いた幕引きに違いはなく、思い返す度に酸っぱいものが喉を逆流する。

 私にしたって様々な方向から大小違った弓矢が射ち込まれる毎日であって、撃たれどころが悪ければたちまち致命傷にもなるのだし、薙ぎ払うのに一杯いっぱいの余裕のない時だってある。甘えて白状すれば、我が家の玄関からほど近い場所に十坪ばかりの空き地があり、この時代に珍しく黒土が露出したところに樹齢どのぐらいか分からぬが胴回りが1メートルほどにも育った梅が数本最近まで並んで立っていた。(庭師に尋ねたところ百年は経過した老木とのこと)──自責の念に酷くさいなまれる出来事が数年前にあって、連夜日付が変わる頃まで二時間、三時間と上がり口に腰を沈めて、向かいにそびえる木々の中ほどでおのれの足先がさかんに空を蹴る場面を想った。物置から自動車の牽引用ロープを引き出したり、椅子を持ち出すことを幾度も繰り返して想像した。

 からくも窮地を脱して以来、梅の木たちは内奥をよく知る者として身近な存在となってしまい、朝な夕なに無言の挨拶を交わして来たのだった。けれど、先日、強風が列島に吹き荒れて各地に甚大な被害をもたらしたことを契機にして、我が家を含む周辺へ迷惑を及ぼすことをおもんばかった心配性の持ち主により職人が手配されてしまった。今はすべて伐(か)り払らわれて、白く平らな断面をさらした切り株を点々と残すばかりとなっている。

 伐採(ばっさい)の前夜、上等の地酒を幹や根に惜しみなく注いで別れを告げながら、内心“助かった”という気持ちがないでもなかったのだ。このまま行けばいつか苦しい日々が再度巡って来たときに、この木の枝にぶら下がって息絶えていた自分自身の可能性は否定出来なくって、そんな危うい場処を綺麗さっぱりと奪われることに実は安堵したところがあった。

 “生の終わり”を想う時間はこのように日常茶飯で他人事ではない。先に逝った知人の位牌や死場処に花を手向け瞑目して浮かぶのは、彼らが特異でおかしな人では決してなかったという感慨であり、さわやかに微笑んでいる表情と穏やかな声である。そこに至った事は決して特別とは思えない。人間はかくも弱く、崩れるときは一気に崩れていくものと思う。条件がある程度整ってしまえば、粉砕なり決壊はたやすい。

 あの真夜中、蛍光灯に寒々と照らされた戸口で座り込む私を救ったのが石井の“抗う者”の発した“こだま”であったとまではここで書かないけれど、石井の作品群を性欲と暴力、おんなの裸と拳銃ばかりの物語とつまらぬ括り方をした上で軽んじている文章などを見ると、それを書いた人間もつまらぬ者に見えてならない。(幸せな人とも思うが、うらやましいとは感じない。)

 誰もが似たり寄ったりで生と死の汀(みぎわ)にたたずんでいるのであって、逝くも残るも成り行き次第という受け止め方を最近ではしている私は、石井隆の世界を荒唐無稽の“異界”とは到底思えないでいる。魂に届くオラトリオと信じて耳をそばだて、水際までの間合を見定めるきっかけにしている。洗練されているとは総じて言い難い石井の“抗う者たち”の悪戦苦闘ぶりを見つめながら、ほんの少しの勇気を譲られ、今日に明日を繋いでいるところが確かにある。



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