2020年7月1日水曜日

“駅を呑み込む”~石井隆の時空構成(3)~


 平穏な景色が程なく変異して、回復不能な乖離へと至り往く石井隆の劇。日常と非日常、伝統的なモラルと情愛、その境界をあっさりと跨いでいき、時には生命の輪郭さえも曖昧になる。石井隆の劇における特殊な生死(しょうじ)すれすれの舞台につき、いまは「電車」や「駅」に絞って考えている。

 たとえば『ヌードの夜』(1993)を観ている最中、私たちは物語の展開に無我夢中となり、また演出の巧みさに乗せられて見逃しがちなのだが、中盤の電車の使い方などはよくよく考えるとかなり異様な、つまり、石井の劇でありがちな“不自然”な展開が認められる。まんまとだまされて殺人の濡れ衣を着せられた男(竹中直人)が、高層ホテルの客室から逃亡したおんな(余貴美子)を探し当てる。勤め先帰りのおんなを待ち受け、電車のなかで再会を果たすのだった。その手には死人を無理やり詰め込んだスーツケースを携えている。

 放り込まれたドライアイスがかろうじて腐敗を引き延ばしているにしても、同じ車両に居合わせたほかの乗客はその重たく忌まわしい遺体が直ぐそばに居合わせているのを露とも知らない。前代未聞の生と死の混在する空間を石井は笑いを誘うような役者の物腰と台詞でフィルムに定着させながら、その実は画集【死場処】(1973)と同列の危急の光景を淡淡と描写するのである。

 同じく道具立てに電車が選ばれた作品を引き合いに出せば、石井の初期の劇画【夜がまた来る】(1975)が適当と思われる。【死場処】とも製作年が近しい。石井は自作単行本を絶版とするのをこれまで常としたから、この【夜がまた来る】を実際に読んだ人は残念ながら限られるだろう。簡単な説明が必要と思われる。

 まず題名に関して言えば、後年撮られた夏川結衣主演の映画『夜がまた来る』(1994)と同じ字面であるのだが、両者を構成する要素にあからさまな共通項は見当たらない。石井はこれぞというタイトルを懐中で温め、歳月を経てから別の作品に冠することが度々ある。たとえば『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)の台本が「ヌードの夜」と当初呼ばれていたという話はよく知られるところだ。石井隆という特異な作家が、ゆったりと思考し堅実に前進を遂げる性格と窺い知れよう。

 個別の物語として観客は認識するものが、存外石井の中には題名を“くびき”と為して何がしかの切実な祈念なり共振するサイドストーリーを底流させることは往々として有ることだから、劇画【夜がまた来る】と映画『夜がまた来る』の間にはそんなひそやかな連結の意図が含まれるかもしれない。いや、実は大いにあり得ることで全く油断ならないのが石井隆という作り手の怖さなのだが、いったんこの題名の件は風呂敷を畳んでいずれの機会に譲ろう。

 劇画【夜がまた来る】にだけに焦点を合わせ直し、その内容を縮訳すれば次のようになる。高校の同窓会帰りの男ふたりが始発電車に乗り込む。夜通し乱痴気騒ぎをした訳でもなさそうで、強烈な睡魔に襲われ正体を無くす程ではないのだ。他愛もない会話がいつしか始まる。朝の冷気を裂いて走り出す電車の車両には、彼ら以外に乗客の姿はまるで無い。

 背広を着込んでいる男は既に社会で出たらしいが、もう一方は普段着のジャンバー姿でいささか童顔である。背広の男は相手の今の暮らしぶりを探ろうとするのだが、若者は世間慣れしておらず会話はいよいよ弾まない。非日常から日常に向けて電車はがたがたと進むなかで、それぞれを虚ろな喪失感、淡い屈託のようなものが包み始める。

 そんな列車が駅に停まるとひとりのコート姿のおんなが乗り込んでくる。あいかわらず他に乗客は見当たらず、密室に三人の男女が閉じ込められた形となる。悲鳴がして若者が見やれば、男がおんなに無理強いをしようと暴れている。加勢を求められた若者は成り行きで手伝ってしまう。

 背広の男は次の駅で降りてしまい、おんなと若者だけが残される。ここから劇は変調する。おんなはロングブーツの脚を巧みに使い、トラバサミさながら若者の下半身を捕獲して性交のつづきを強要するのである。若者はすっかり心身のコントロールを奪われ、おんなの肉体に埋没していく。事が済んで、視線を交わさぬままに無言の時間を手探っていくうち、いたたまれなくなった若者は逃亡を図ろうとする。次の駅に到着して発車のベルが鳴り響くのを聞きながら、このおんなとは金輪際会うまいと決めるのだった。無言のまま、のっそりとホームに降り立っていく。

 しばし意味もなく高架下なんかをうろついた後で、帰宅のために駅舎へと舞い戻る若者である。そもそも降車予定の駅はとっくに過ぎていたし、今日は日曜で仕事が休みだ。気を取り直して家路へと急ぐのだった。閑散としたプラットフォームに着いたところで目に飛び込んで来たのは、あのコート姿のおんなが何故か列車から下車しており、うつむきがちに佇立する姿なのである。足元の小石なんかを蹴っているが、男を待ち構える気配が濃厚に漂う。今やおんなの方が狩りをして男を玩ぶ時間なのである。若者の顔から血の気がさっと失せ、頬に冷や汗が流れ落ちるところで物語は幕を閉じる。

 石井隆の電車がいささか突飛な位置にあることが、この【夜がまた来る】からも読み取れる訳である。特に若者が駅構内に再度足を踏み入れ、そこにおんなを発見するところなどは極めて奇抜で印象に刻まれる。

 【夜がまた来る】に起きた男女間での立場の反転は、石井隆の世界と長く親しむ読者や観客には馴染み深いものだ。理不尽な男性優位社会にあって当初女性が性的に虐げられていくがその様相が突如反転していき、今度は女性側が底無しの生理機能と強靭な精神を存分に用いて男を完膚なきまでに組み伏せていく。この図式は承知の通り、石井作劇の心柱(しんばしら)となっている。

 虚勢を張るだけの空疎で弱い生き物に男は過ぎず、最終的におんなの敵ではないという【夜がまた来る】に穿たれたピリオドは、石井の他の劇画作品【埋葬の海】(1974)、【紫陽花の咲く頃】(1976)、【街の底で】(1976)、【おんなの顔】(1976)、【やめないで】(1976)、【墜ちていく】(1977)等と明らかに通底し、それぞれと深く共振していく。劇画と映画の境界を破って、『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)にも当然ながら繋がっていく。

 その意味で【夜がまた来る】を真摯に語るつもりならば、石井隆の劇を縦断するこの性差をめぐる不動の構図、飽くことなく反復される声明(しょうみょう)にも似た石井の一途な想いに手を伸ばして、これを覚悟持って飲み干し、その上で“人間”なり“社会”を語ることが正しい役回りと機会なのだと感じる。いずれ優れた評論家や研究者により石井が徹底して論じられる機会は訪れると信じているし、その際に性差をめぐるこの手のテーマは盛んに取り上げられるはずだ。

 この主題の前では電車という大道具は存在感を減じ、はっきり言って瑣末な事柄となる。どこまでも粘着してやれ電車だ、やれ駅だと騒いで言葉を継ぐのは石井が望む方角とはまるで違って野暮の極みかもしれない。少なくとも真っ当な作品論とは呼べないだろう。この世界で役立たない無駄な道程であると私だってそう思わなくはないのだが、まあ、一種の隙間産業である。外野席から声を枯らして応援するだけのベンチを温める順位にも入らぬ自分は、他人からは滑稽で阿呆な奴と言われてもこのまま可笑しな列車談義を続けよう。

 航空機、車両、列車といった公共の交通手段のなかでの扇情的な場面というのは古今東西の物語中に数限りなくあり、それ自体は珍しくない。何がひとをそのように駆り立て、どうしてそれが私たちの娯楽へと直結するのか、心理学の専門家でない自分には答えが出せない。吊り橋理論やタブーを侵犯することで人間の軸芯にある性がめらめらと発火する、そういう事は有りそうな気がするが確かな事は言えない。

 同じ時代に人生を歩みながら、それぞれに与えられる機会の数も物象も段差があって一律ではない。これを読むどこかの誰ぞは動く車両の旅客となる内に、それとも埃まみれのプラットフォームに降り立って、幸いにしてか不幸にしてか愛憎渦巻く局面に遭遇してしまい、今も魂にあざやかな痕跡を残しているかもしれないけれど、私にはそういう浮いた出来事は多く起こらなかったし、おそらくこのまま平凡な生を全うするに違いない。

 こんな年齢となっても情念の荒野が未開拓なままの自分が【夜がまた来る】に描かれた列車について、では一体なにをどう語れるかと言えば、ただただ石井が日本の鉄道車両を丹念に取材し、当時の表現に従えばゼロックスで運転席をのぞむ先頭車両の姿、客車内の誰もおらない座席群、ドアの外に広がる茫洋とした小さな駅の様相、高架下や階段といったものを熱心に転写しては紙面に組み込み、劇を編成してきたことへの言及となる。

 ロケを重視した映画的手順を導入し、「映画そのもの」を誌面に産み落とそうと石井は夢描いて孤軍奮闘した。そのなかで写真の多用が起きたことは周知の通りである。それがどうしたのよ、石井の劇画はそういうモノだろ、モノクロのざらざらした街路や木立やビルがひしめく世界だろ、何も特別なことはあるまいよ、いい加減にしろと憤懣覚える人もいるだろう。

 此処はきわめて大切なポイントであった。本来自由闊達にペンを走らせ、深宇宙での苛烈な王位争奪戦でも地中の恐竜王国でもケーキで出来た城での魔女からの脱出だって何だって描ける漫画の表現空間にあって、ひたすら現実風景を淡淡と取り入れていった行為は、石井隆という作家の針路を自ずと決めたところがある訳だし、そのほとんど変えることが無かった描法が物語の色度(しきど)の振れ幅を調整し、強固な「作風」を彼にもたらした点は特筆すべき出来事だろう。

 そうして、そのこだわりが遂に「電車」や「駅」を呑み込んで何が起きたかと言えば、石井隆の劇に「時間」の概念ががっちりと刻まれ、隅々にまで「時刻」が根を張って行ったのであり、この展開は石井世界を縦覧する上でも絶対に見逃せない関所ではないかと考えている。

2020年6月17日水曜日

“電車という背景”~石井隆の時空構成(2)~


 天空から不如帰(ほととぎす)が舞い降りて、けたたましく鳴きはじめた。車の往来もなく森閑とした住宅街に鳥の声のみ響き渡る。時計を手元に引き寄せてみれば、それも真夜中の午前3時24分である。

 まんじりともせず様子をうかがうが、なかなか鳴きやみそうにない。勘弁してくれと身悶えしつつ、その一方で憧れに似た気持ちが湧いてくる。夜気につつまれながらさぞ当人は気持ち良かろう。本能おもむくままにさえずり、遠慮のかけらもない朗朗たる雄叫びである。それに引き換え、我らの萎縮した日常はどうであろう。人の口元を調べ、紙や布の遮蔽物の奥で言葉を呑み込みながら、ひどく声量を抑えて暮らしている。

 鳥は東に移り、やがて南へと羽ばたき、さらにこれを忙しく繰り返しながらキョッキョッキョキョキョキョと豪快に鳴いている。さすがに物狂おしい気分に襲われる。うるさい奴、あたりは死んだように静かじゃないか。そんなに鳴いても同胞が返事をかえす気配もないのに何を独りいきんで叫ぶのか。

 それが先日の明け方だった。考えてみれば私とて彼奴の同類かもしれぬ。ウェブ空間に時折ひきこもって、好きな作家のことだけ思考して溜飲をさげている。深夜の孤鳥の忍音(しのびね)とそう変わらない。誰もこんな穿鑿(せんさく)など顧みるものはなくなった。新型ウイルスが無差別に街を呑み込んでいる時、映画や劇画内で詩情を誘う駅も鉄道もあったものではない。人々は明日の命がわからないのだ。

 愚痴を言っても詮無いから、先日のつづきを狂ったようにさえずってみる。「鉄路とプラットフォームをめぐって石井の内部に持続する一定の想いがある」と書いたが、これまで石井のインタビュウや単行本のあとがき等に鉄道に淫している旨を打ち明けるくだりはいっさい見当たらないから、これはあくまでも主観に基づくふわふわした思い込みでしかないし、そもそも石井隆を鉄道愛好の士であるとは最初から考えていない。操車場、プラットフォーム、改札口などが過去の劇画や映画作品に点描されるのだが、いずれもその描写は他の物象、たとえば商店街のさびれた店頭風景、たとえば冬枯れのすさんだ野原、たとえば水滴を蛇口からこぼす台所の流しなんかと同じ目線でしか捉えられていない。ここで言う持続する一定の想いとは、鉄道という物体そのものへの過熱した執着を指すものではない。

 ならば具体的に何を言うかと自問してみるが、どうも上手い言葉が導かれずに足踏み状態になってしまう。一向に筆が進まないから降参し、映画や小説と鉄道がどう関わってきたか、ふたりの識者の書籍を読み耽って頭の整理を始めた。選んだのは川本三郎(かわもとさぶろう)の「小説を、映画を、鉄道が走る」(*1)であり、臼井幸彦(うすいゆきひこ)の「駅と街の造形」、「シネマの名匠と旅する「駅」 映画の中の駅と鉄道を見る」、「シネマと鉄道」の計4冊である。(*2,*3,*4)

 一読して最初に感じたのは、同じ事象を目の前にして見方がここまで違っていくか、というシンプルな驚きであった。評論家、翻訳家の川本は1944年7月生まれであり、一方、大学卒業後は一貫して鉄道業界で生きてきた臼井もやはり1944年に生まれている。世代的にぴたり並んでいる両者が同じ映画を観てこうも違った反応を示すのが実に面白く、人間とは実に多彩な生き物だと改めて感心する。

 石井隆は彼らから少し遅れて1946年に生まれている。石井のなかにどんな色彩の鉄路が広がっているか、同世代のふたりの感想を読み込めば何かつかめる気が当初はしていたのだけれど、そんな単純な話ではないなと早々に諦める。ではまるで無駄足だったかと言えば読書自体は十分に面白く、また、さすが何冊も上梓している文筆家だけあって示唆に富む箇所がいくつも飛び出して楽しかった。いささか脱線気味であるが川本、臼井の記述で印象深い箇所をここで抜き出してみる。

 川本は野村芳太郎の『張込み』(1958)を引いて「夜行列車の旅は楽ではない」(*1 10頁)、「格差を身体で感じている人間には、夜行列車の旅情など思うゆとりはない。むしろ満員の車内に嫌悪感を覚える」(*1 30頁)と続けていく。また幾つかの日本映画を並べながら、「汽車には、近代日本を支えてきた交通機関でなければ表現出来ない日本の庶民の悲しさ、切なさが確かにある。それは高度経済成長以後の豊かな社会の乗り物といっていい飛行機や新幹線ではあらわせない」(*1 311頁)、「あの時代、多くの出征兵士が汽車に乗って戦地へと送られていったのだから、汽車は兵士たちの悲しみも運んでいる。戦争の記憶を刻みつけている。戦争の記憶を持たない飛行機や新幹線とそこが大きく違う。汽車が去る場面がいま見ても悲しいのは、戦争の記憶のためといってもいい」(*1 313頁)と綴っている。

 つらい現実からの一時の退避を庶民に約束する役回りの映画や小説に対し、川本は真っ向からその責務を拒絶する勢いで歴史に刻まれた切実な実景へと立ち戻る。「煤煙(ばいえん)の苦しみ」、「奉公」、「集団就職」といった単語が数珠つなぎとなって押し寄せ、映画のフィルムのコマごとに現実世界の哀しみを透かし見るべく読者にも強いてくる。実際それだけの重い風景を川本は間近にしながら育っていて、生々しい記憶の数々が苛烈な刺青となって彼を丸呑みして離さないのだ。肉体の痛苦と離別の愛惜が瞬く間に体内から浮上し、銀幕にハレーションをにじませるのである。

 私見となるが石井の劇を鳥瞰しつづけて得たひとつの感懐として、ここまで物語と現実の記憶が過酷に癒着する二重構造を石井世界は持たない。どちらかといえば次に並べる臼井の文調と石井の劇は線を結ぶように思われた。

 臼井は川本と同じく野村芳太郎の複数の作品を引いた上で、「駅の映像から始まる主人公の列車による移動を、単に移動の行為とするだけでなく、主人公が移動している「場」を感情としてとらえようとしている」(*3 188頁)と書いている。ここには長距離移動につき纏う肉体と精神の忍苦は影もかたちも消え失せ、替わってドラマに渦巻く感情がより大きく育って客車内部に充満している。石井隆の作劇上の「物」の捉え方の一端には、これに似た感情の寄り添いや思念の膨張が見受けられる。

 臼井が成瀬巳喜男の『乱れる』(1964)を引けば、「列車の座席という不思議な孤立空間に演出された無言のシーンは、二人が伝統的なモラルを越えて、互いの情愛を求める男と女に変容したことを暗示している」(*3 174頁)と書くのだったし、リーンの『旅情』(1955 )等の恋愛映画に触れれば、まず、「駅の空間は街の中の「ケ」の部分を濃密に引きずっている」(*2 5頁)、「駅に集散する人々の希望と失意、喜びと悲しみ、出会いと別れといった相対立し矛盾する思いが同時に交錯し、込められている」(*2 5頁)、だからこそ「駅では観客の心の襞に触れる憂いを帯びた表情を持つ人物が似合う」(*2 5頁)と解析してみせる。駅という空間が境界線上にゆらめく幻影城だと捉え、そこに人びとの屈託がとぐろを巻いてうねっていると捉えている。

 その上でつまりは「日常と非日常を繋ぐインターフェイスとして」(*3 131頁) 駅という特殊な場処があると畳み掛け、「これらの映画は、非日常の情事に溺れかけるが、結局は日常の生活にかろうじて戻っていく女性心理を巧みに描いている」(*3 131頁)と還して、駅や鉄道と情動が左右の車輪となって物語を前進させていると説くのである。この辺の文脈は石井隆の劇と通底するものが感じられる。

 石井の創作空間において鉄道が描かれるとき、それは初期の画集「死場処」(1973)からして既にそうなのだが、電車の内装も乗り合わせた乗客も普通の面立ちでありながら妙に不安を煽るところがある。おんなはバッグ片手にのっそりと立っていて、絵のなかで軸心となっているがゆえに密度ある存在感が与えられているのだけれど、そのたたずまいが最初からさりげなく不穏、剣呑であって、微妙に非日常を香らせている。

 「死場処」に収められた数葉の絵についてこれまで詳しく解題してみせた評論家はおらず、発行部数も少ないこともあって、ここで言葉を尽くして語ってみたところで大多数はさっぱり腑に落ちないはずである。いまはその書籍の輪郭についてさらっと語るにとどめなくてはなるまい。上の臼井の表現を借りれば、「日常と非日常を繋ぐ境界面」としての「場処」が描かれている。「日常と非日常」に加えて綱引きされるのが「伝統的なモラルと情愛」であろう。

 けれど承知の通り、石井の恋情劇は「結局は日常の生活にかろうじて戻っていく」という曖昧な収束で幕をおろさずに突き破ってしまう。そこでは「生と死を繋ぐ境界面」が執拗に描かれ、息をする者と息絶えた者が往還したり混在する段階にまで容易に達してしまう。ここでの背景画は人物を際立たせる添え物ではない。どこもかしこも「死場処」となり得るよね、貴方が今立ったり座ったりする場処だって随分と怪しいところだよ、そういう見えない渦に巻かれているのが人間だよね、実際そうだろ、そういうもんだろ、と囁きつづけるのである。

 石井の画集「死場処」に含まれる電車の場景や草むらにたたずむおんなというのは、人によっては帰還可能な日常が点描され、前後して挿まれた死者の絵とは水と油のように分離して見えるかもしれないが、あれ等は総て後戻り出来ない局面ばかりが描かれている。その切迫感を受け止めることが石井作品と真向かう上での要(かなめ)となる。 

(*1):「小説を、映画を、鉄道が走る」 川本三郎 集英社文庫 2014
(*2):「駅と街の造形」臼井幸彦 交通新聞社 1998
(*3):「シネマの名匠と旅する「駅」 映画の中の駅と鉄道を見る」  臼井幸彦 交通新聞社 2009
(*4):「シネマと鉄道」 臼井幸彦 近代映画社 2012

2020年5月10日日曜日

“鉄路から想うこと”~石井隆の時空構成(1)~


 このところ嫌な夢を立て続けに見るのは、たぶんテレビジョンや新聞で険しい話ばかりを押しつけられるせいだ。厄介な重石を抱かされた上に密閉容器にぎゅうぎゅうに押し込まれる、かくも長くこんな毎日を続けては誰だって大なり小なり変になろう。少し前までは連日仕事の夢が続いて、さすがに頭も身体も妙な塩梅となった。

 それでも自分はまだ眠れているだけ幸せと思う。鳩尾(みぞおち)付近で鎮まっていたものが立ち上がり、夜な夜な手を引かれて見知らぬ城下町へといざなわれる、そんな程度の内容であって、ずいぶんと呑気坊主で恵まれている。現在の騒動の渦中にあっては、まんじりともせずに夜を過ごす人がたくさんいるはず。大変な世の中になったものだ。

 夢は未編集の映画みたいで、慣れ親しんだ日常へと帰還していく事をいっこうに妨げない。どんなに酷い内容で目覚めがつらくても、やがて首のうらあたりで悲壮も恍惚もとろとろに溶けていく。私とすれば眉をしかめつつ洗面台の鏡と向き合い、あかんべえして舌を磨いたり髪を撫でつけたりの身支度をしながら、未練たらたら、もぐもぐと反芻をするぐらいの至って気楽な毎朝だ。

 石畳の細道に面した古い門を潜って玄関に至る、日本料亭の湿った質感をそなえた構え。その奥、狭く急な階段やうねうねとした廊下をさまよい、障子戸越しに見え隠れする布張りの椅子や沈重な顔付きの黒漆(こくしつ)の机をただ黙って眺めている、そんな場景が目玉の裏側に点々と粘りついて来る。あんなに歩きながら誰とも行き当たらないのは妙なことだ、不思議な柄と色の壁紙だった、あれはいったい何処かしらなんて他愛なく考える。今朝はそんな静かな景色に連なり、珍しく駅のプラットフォームを歩む様子が繋がっていた。

 山田洋次の喜劇か山田太一のホームドラマに触発された気配がどうやら濃厚であるけれど、それ程大きな駅ではないようだった。身体と心がそろって気軽な外出や小旅行を欲しているのだな、そりゃそうであろう。やはり本編前に流れた映画予告編みたいに受け止めて了解し、そこで振り返るのはもうお終いとした。

 芸術家ならまだしも、凡人である市井のわたしが涯ての見えない夢と四つに組んで格闘したところで得るものはたぶん何もない。気持ちを切り換えて、それからはひとしきり石井隆の劇中に現われる鉄路やプラットフォームについて考えた。精神衛生上、その方がはるかに健全と思われる。

 今どきの若い男女はどう捉えるものか知らないが、ある程度の年齢以上の人にとって鉄道とプラットフォームは恋愛における王道であり聖域であり、出逢いと別れを象徴する装置となってそれぞれの人生観において君臨しつづける。もちろん人によっては駅ではなく、もしかしたら空港の待合室で何度か涙にむせんだかもしれないし、もしかしたら幹線道路脇のドライヴインや燃料スタンドに鮮明な記憶を刻んだ人がいるのだろうが、多くの人にとって魂の拠り所は何と言っても鉄路ではなかろうか。

 それ程の堅牢かつ寛容な器であるところの駅や列車という仕組みは、だから映画と相性が良いのは当然である。これまで『旅情』(1955)や『男と女』(1966)、『逢いびき』(1974)といった無数の人情劇で涙を誘い、圧倒する名場面を裏から支えてきた。まとまった直線移動を可能としフィルムにとてつもない躍動感をもたらし、茫洋としてゴールの見えぬ消失点へとまなざしを導き、見る者の情動をいくども後押しする。

 石井の劇画や映画でも鉄道車両や駅が登用されており、たとえば『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)の幾つかの場面はいまだに生き生きと胸に刺さる。レール酸っぱい粉塵と機械油の粗い粒子がプラットフォームでのたうつ中、そこに混じって薄っすらしたおんなの香水が艶やかに明滅する。官能の芳香が鼻腔のとば口に幻嗅されて、観る者の胸をひとしきり騒がせるのだが、駅の構造物や列車の登用それ自体は決して珍しいものではなく至極一般的な道具立てに過ぎない。

 自動車ではなく鉄道に依存した日常を送る人物なのだ、そういう一生なのだ。造形にこだわり、彼らの暮らしと人格に肉薄する目的から、そして物語を前へ前へと回す必要から、また絵的にも好ましく思われて、プラットフォームを踏みしめるおんなの姿態がたまたま両作で登用されたに過ぎない。そう解釈するのが自然だし、それで一向に構わないだろう。

 ただ、石井隆の世界を拡大鏡で覗き、加えて鳥瞰して眺めることを長く重ねるうちに、事はそう単純ではないと感じられるようになった。鉄路とプラットフォームをめぐって石井の内部に持続する一定の想いがあり、その発展と収縮を飽くことなく行なって来た実験的な創作の経緯を実感する。駅や鉄道車両といった場景ひとつひとつの裏側に、石井のまなざしが確かに息づいている。

 作り手がそっと注ぎ込んだ真意を探り出し、よく汲まなければ十分に消化し切れない箇所が石井の劇世界には点々と横たわる。人知れず行なわれたその試行がやがて更なる時空の発展を呼び寄せて、「石井世界」の軸芯へと太くたくましく育っていった過程を夢想している。

(*1):『旅情』 Summertime 1955 監督デヴィッド・リーン 
(*2):『男と女』 Un homme et une femme 1966 監督クロード・ルルーシュ
(*3):『逢いびき』 Brief Encounter 1974 監督アラン・ブリッジス