2015年12月27日日曜日

“ヤングコミック”


 石井隆に最初に触れたのは、図書館の書棚を介して、映画監督実相寺昭雄の著書(*1)に載った数点の挿画だった。発売から少し経っていた。単行本がその時点で何冊も書店に並んでおり、独自のスタイルを確立して色香がより増した【黒の天使】(1981)を雑誌に連載中なのだった。以来愛読者のひとりとなった訳だけど、つまり、わたしは石井劇画が平穏な日常に突如出現し、それが鎌いたちのように世間を切り裂いてどれほど大きな衝撃をおよぼしたか、彼のデビュー当時の目撃体験を全く持たない。この事につき悔しく、残念に思うときがしばしばだ。

 人が実際に感じ切ったその時どきの微妙な気配というものは、その人限りに宿るのであり、後世の誰彼に譲ることは出来ない。全宇宙で唯一無二のものだ。政情の変化や衆意の斜度、戦争との距離はいかばかりで、道ゆく人の頬に弛緩があったのか緊張が走っていたものか、鼻腔に飛び込むのは薫風であったか不潔臭だったか。いかに達筆な文章を読んでも、そんな時代感覚までも残らず共有することは相当に困難だ。他人の体験はどう足掻いたって自分のものとはならない。

 だから、石井隆の過去作を私がいくら探し求めて読んでみても、当時の世間の熱狂を知ることだけは絶対に叶わないし、それが石井という作家にどんな具合に創作意欲を湧かせ、同時にどのような失望を与えたか、そしてそれ等が作風にどんな影響を及ぼしたか、この点を踏まえた俯瞰なり解読がならない。きわめて大切な部分と思うが、ここは山根貞男か権藤晋にでも託すしか道はないだろう。

 石井のかつてのホームグラウンドは「ヤングコミック」であったのだが、同誌に関わる本が最近出されており、目で追いながら歯がゆい思いを抱いた。いずれも別の作家、手塚治虫と上村一夫(かみむらかずお)をめぐる本であり、世代的に、加えて嗜好的に両者に対する興味と憧憬は以前から強くある。また、ふたりの名はインタビュウ中で石井の口から度々出てもいる。彼らを知ることは石井を知ることに繋がるように信じているから、頁をめくる毎に喜びが寄せては来たのだけれど、リアルタイムの熱狂を知らぬもどかしさは解消ならず、渇きは癒されるとは逆に増すばかりであって実に困った。生まれるのが少し遅かったように思う。

 二冊とも“少年画報社創業70周年記念”と謳っている。ひとつは「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」(*2)であり、編集者として時代の先端を歩んだ著者橋本一郎が体感した手塚プロダクションの盛衰と作家の苦闘の様を中軸とし、加えて漫画およびアニメーションのキャラクタービジネスの黎明期をつぶさに描いてみせた労作である。勢いのある筆致に胸を躍らせて読み進めた。金脈を探し当てるのは常に若い情熱であり、そのほとんどが世間の目の触れない場処での泥だらけの採掘と知る。数々のエピソードを通じて苦労がじわりと伝わって、今更ながら頭が下がる思いがした。

 橋本は「増刊ヤングコミック」の編集者として、その頃まだマイナーであった石井隆の作品、具体的には【埋葬の海】(1974)の再録を同人誌に見つけて唸り、彼を登用し、その後の石井の劇画人生、そして映画作家としての新たな幕を切って落とした人だ。当時の熱狂を懐旧して以下のような文章を綴っている。創り手側に起きたどよめき、震動が感じ取れる貴重な証言となっている。

 私がかわぐちかいじの仕事場にあった同人誌『蒼い馬』で見つけた鬼才、石井隆が、増刊にデビューすると、読者ばかりでなくマンガ家、編集者、作家、評論家、映画関係者にも想像を絶する衝撃を与えました。彼のみずみずしく豊潤な情感を流し込んだ作品によって、(中略)劇画は革命的に一変し、部数は右肩上がりになりました。それは私にとってたまらない快感でした。(315頁)

 想像を絶する、革命的に一変、という表現ふたつを、石井世界を愛する者は記憶に刻んでおくべきだろう。

 もう一冊は「ヤングコミック・レジェンド 上村一夫表紙画大全集」(*3)であり、1969年の夏から1980年の春までの10年以上に渡って描かれた上村の表紙画を紹介したものだ。上村のおんなの造形に惹かれる者にとって、絶対に見逃せない内容となっている。該当する号の幾つかを購入し、また、新宿早稲田の現代マンガ図書館で眺めてもいるが、こうして一堂に会した姿というのは壮観であるし、方角を石井とはまるで違えてはいるが、おんなという存在を終生にわたって凝視め続け、筆の先に探し求めた上村という男の鼓動や血流が感じ取れるようで胸に迫るものがあった。

 技法に関する記述としては、これら表紙の構図やテーマ、そして配色に関して編集部(筧悟、岡崎英生ら)とデザイナーも加わっての共作であった点も分かり、視野がぐんと広がった。美女画と共に題字も活き活きと配され、今見ても新しく感じる箇所が多い。現在の書籍の表紙にはホログラフや擬似エンボスが溢れ返り、写真製版も完成された観を呈しているが、70年代には手法も技法もまるで手探りであったわけで、毎号が冒険に次ぐ冒険、掟破りの連続だったことだろう。新しい表現を模索する出版人の息吹き、まなじりが確かに感じ取れるし、商品デザインに関わる人には示唆に富む内容かと思われる。

 石井に関する記述は無いに等しいのだが、掲載された全260枚の表紙が世に出た時期と、石井劇画が「増刊ヤングコミック」からこの「ヤングコミック」本誌にも活躍の場を広げ、名作を創出した時期とは重なるところがある。だから題字の扱い方を目で追っていくと石井作品への読者の支持がどれだけ急激に、巨大に膨らんだのか理解出来るところがあり、その点で貴重な資料となっている。

 1975年夏の初登場からして目立っているのだが、直ぐに題字のポイント数が上がり、置かれる場所もトップポジションとなり、【天使のはらわた】が映画化されると別格扱いとなった。1979年6月27日号では【おんなの街】の連載開始を大々的に報せて、何と作者名と題字は「ヤングコミック」という誌名とほぼ同じ大きさで組まれていて物凄い。

 こうして自身の筆名と自作のタイトルが大きく取り上げられる恍惚と圧力はどれ程のものだったろう。また、そのような神輿(みこし)に担ぎ上げられて後、通常の扱いへと戻された時の淋しさと焦りはどれほどのものだったろう。才能がない自分には無縁のことだし想像のしようがないのだけれど、いまだに人気漫画作家の幾たりかはその後の空虚さに耐えかねて自らの命を断っている訳で、創造を糧とする者、人気商売に関わる者に襲いかかる牙は全く容赦がなく、凄惨この上ないと感じる。

 石井隆という作家を考えるとき、わたしは常に「ヤングコミック」登場時の大きな波を思い描き、その水圧や高低差がどれほどだったかを懸命に手探る。これに耐え抜き、今も泳ぎ続けているしぶとい泳ぎ手として、いまの石井を捉える。
暗礁に叩きつけられ、塩水を呑み、砂を噛む思いをどれだけしただろう。彼のドラマに常ににじみ出る苦労人のまなざしは、こういった背景に醸成されたのではなかったか。

 なにくそ、なにくそ、と懸命に水をかく石井の背中を思うと、自分も負けられないという気持ちが自然と湧いてくる。そういう息の長い作家を偶然知ることが出来たことは、私たちにとって何よりの幸せであるように思う。

(*1):「闇への憧れ―所詮、死ぬまでの《ヒマツブシ》」 実相寺昭雄  創世記  1977
(*2): 「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」 橋本一郎 少年画報社 2015 ウェブで知己を得た手塚ファンがいて、彼の書き込みから著者の経歴と本の内容を教わった。これを読んでくれていたら、感謝です。教えてくれてどうも有り難う。
(*3): 「ヤングコミック・レジェンド 上村一夫表紙画大全集」 少年画報社 2015


2015年12月13日日曜日

"女優ふたり”


 随分前の話になるのだけれど、電車のなかで女優と出会った。いや、会ったなんて大層なものではない、単に目にしたというのが正しい。

 記録しておいた訳ではないのだけれど、それが何年の何月かははっきり分かる。天井から垂れた中刷り広告が目に止まって、長い時間眺めていたからだ。文藝春秋の「ノーサイド」という雑誌の1994年(平成3年)十月号のそれは、「戦後が似合う映画女優」という特集が組まれており、モノクロの写真に赤い題字が鮮やかな表紙であり、また広告であった。写真には桂木洋子と若山セツ子がぴたりと頬を寄せ、腕を回して互いの肩を抱くという異様な親密さを示して写っている。ほんの数日前にこの号は購入済だったから、発売日の9月中旬であったのは間違いない。

 展示会を観に来たのだったか、商談が目的だったのか、その辺はすっかり忘れてしまった。初秋の午後、陽射しはほどほど在って車内を淡く染めていた。用が済んで東京駅の方角へ電車はごとごとと進んでいたのだったが、何度も途中の駅で快速に乗り換えることが出来たにかかわらず、茫漠とした思いのまま鈍行に揺られ続けた。自分が用済みの男、つまらない奴という気がしきりにして、弱くなったこころが人恋しさを募らせた。つやつやした頬っぺたを触れ合わせた若い姿に惹き寄せられたのは、それが理由のひとつだ。白い歯を見せる女たちに慰撫されながら、ずいぶんと見入っていたように思う。

 電車はだから、所要に追われる人の姿がすっかり消え失せてしまい、がらがらを越えて貸し切り状態なのだった。実際車両には私を含めて三人しか居らなかった。非日常の繭にくるまれ、白昼夢の只中を電車はゆっくり進んでいく。その只中で寂然として「映画女優」の広告を飽くことなく見上げる私の様子は、はた目にはかなり奇異に映ったかもしれないが、その女性客は斜向いの席からじっとこちらをうかがっていたのだった。

 彼女の連れは細面の紳士で、並んで座っていたのはゆらめく広告のほぼ真下の席だったのだけど、まさかこちらに視線を注いでいるとはまったく思わない。いくらか慌てたが、別に泣いていたのでもなく、また、こちらの頭の中まで覗かれるとは思えないので平静を保つことはできた。視線を交わして後、改めてこの一組の男女の様子を見てみれば両者とも黒の礼服であり、おんなは着物姿であって、その物腰から弔いの為に移動中なのだと知れる。そのうちおんなは、わたしの顔と頭上の広告とにかわるがわる目をやり始めたのだった。一度ではない、二度、三度とそれを不自然に繰り返す。いくらか細めた目の奥で黒い瞳が悪戯っ子のように光っていた。

 頭の回転がよろしくない私が無反応であるので、おんなは隣の男に顔を寄せて何事かを囁いた。流れる車窓の風景から顔を反らすことなく男は何事かを返す。(気付かないのかしら)(いい加減に止めときなさい)そんな会話と思われた。おんなはそれを受け入れ、男と同じように背筋をしゃんと伸ばして車窓を見つめることに努め、もはや私を視界から締め出した。彼女が誰であるかにようやく気付き、そのことに心底驚いたのは東京駅で乗り換えた特急列車の車中であった。

 計算してみると、そのとき七十歳を越えていただろう。今にしてウェブで検索すると、調度その時期、彼女といっしょに働き、何本か共演した男優が亡くなっている。たぶん葬儀の席を微妙に外しての、ひそやかな弔問の帰り途だったのではあるまいか。

 この老女(と書いているが、老いを連想させぬ装いだった)が蟄息の末に遂には伝説となった元女優の某(なにがし)であった証拠はなく、とんまな私の単なる思い込みであるかもしれないが、それでもそんな事があって以来、わたしの中で女優という存在は地に足を付けた人間、幼な子に似たお茶目で可愛いおんなという位置付けにとどまっている。持ち上げたりする気持ちが湧かない分、当然ながら胸の内が灼熱と化することもなく、それが淋しい気がしなくはないのだけれど、別方向に時おり感情が決壊する。彼女たちが選択した職種の残酷で熾烈なことに思いを馳せ、大変だな、と同情的に捉えてしまう。

 思うに女優という存在は憧憬や畏敬の念を無闇に抱かれ、どうも神格化されやすい。その分、醜聞が立って評判を落とすと皆のこころにみるみる反撥する気持ちが湧いてしまい、義心は一気呵成に膨れ上がる。罵詈雑言を浴びせ掛ける事態へと発展することも少なくない。特にウェブではこれが加速し、苛烈を極めていく。

 第三者の校閲を要さず、奔放な発信を可能とし、その瞬発力と利便性に誰もが甘い愉悦を覚えるウェブなのだけど、時にこれが想像を越えた巨大な黒い波と化して一個人とその家族を打ち負かすことになる訳だから、本当に怖い道具だ。自重というシフトレバーを常に頭の隅に準備しておらないと不味いことになるな、と、最近の一連の、上に書いたのとは別の女優Kをめぐる騒動を見ながら感じている。

 ひとりのおんなが身を挺して偶像役を引き受けるその陰で、興行にたずさわる数多の男女が生きる糧をようやく得ていく流れなのだが、はげしい攻撃にさらされる渦中にあっては守ることどころか手を差し伸ばすことも困難で、石打ちにもよく似た、無惨この上ない私刑染みた景色が延々と続いてしまう。結局、孤立無援に陥るのであって、なんとも哀しい世の定めかと思う。

 わたしは芸能世界に身を置いてはいないし、身近にそれを生業とする者もいない。けれどもこのぐらいの年齢ともなれば、女優の誰それと知人の某が縁戚にあるとか、最近デビューした何々は近所のあの家の娘だとか聞こえてくるようになり、彼らが純金製のつくりには到底見えなくなる。懸命に鍍金(めっき)を施した同じ人間なのであって、綺麗に装う時間は極々限られ、他の部分を占める生活模様なり思考回路はそんなには私たちと違わない。夢のない話であるが、それが正しい距離と姿と思う。

 神とあがめたり単純な類別にぬかるむことなく、冷静に見取らなければ駄目だ。“自らと異なる者”という安直な壁づくりに堕することなく、それこそ同じ町内の八百屋さん、魚屋さんのご内儀ぐらいに思っているのが正解なのだ。目線を低くするという意味ではなくって、対等に向き合うということ。そう考えれば、汚れた言葉は自ずと呑み込まれ、唇はふんわりと閉じられるのではないか。

 都心の電車内での不思議な出会いから二十一年が経過してしまい、その間に幾重もの禍福をわたしは体験し、人並みに脛(すね)に傷をこしらえた。人間は誰もが弱く、聖人君子でいる訳にはいかない。間違いも犯すし、取り返しのつかない失敗も起こす。それらを黒い年輪として重ねるより道はないのだし、個人的には傷痕や轍(わだち)を全く負わぬまま悠然と過ごす人はどうかな、大丈夫かな、とも思う。むしろ哀しみの淵に追いやられ、涙の河に手を挿し入れてすくい、これを呑み干し、かろうじて生き長らえている人の方に親近感を抱いてしまう。過ちを糾弾し、正義を叫ぶ資格を少なくともこの私は持たない。

 Kよ、おんなたちよ、沈黙する声なき励ましに耳を澄ませ、膝折ることなく歩んでほしい。同じ時間の流れを泳ぐ同輩として、落胆せずに、元気に人生の遡上を続けられることを心から祈っている。

2015年11月8日日曜日

“詩人の運命”


 この場の副題に触れながら、李商隠(りしょういん)について語ってくれた人がいる。中国の詩人らしいのだが、浅学で返す言葉に詰まった。元々が詩歌の素養に欠けている。江口章子(えぐちあやこ)の評伝、原田種夫の「さすらいの歌」 (1972) を以前読んで胸を打たれたから、ああいう語り口で李商隠という“人間”を描いたものであれば読み通せそうと思え、好機と捉えて関連本を一冊求めた。高橋和巳の「詩人の運命」(*1)を選んで毎夜頁を繰ったのだが、さすがに千年も経つと足跡も輪郭も明瞭でないらしく、主に作品解題にばかり頁が割かれている。漢文の授業を受け直している気分がした。

 けれど、間欠泉のごとく噴き出す高橋の発想や絵解きが実に楽しく、それを励みにしてどうにかこうにか読み終えたのだった。時にばゆく、濁った頭を雷撃して嬉しい。印象深い箇所を整理を兼ねて書き写そう。引用と呼ぶには行数があまりに多いけれど、これ以上四散させては書き手の訴えるところが伝わりそうにない。

 「哀悼はその存在の無化に向けられるだけではなく、肉を超えて残されようとして残りえぬ志の共有があるとき、いっそう切実である。なぜなら共通の志向を介在してこそ、人間存在の有と無の対比は、とりかえしようもない断絶であることが認識されるからである。李商隠が、まだそれほどに人生の辛酸をなめたわけでもない若年のころから、すでにこの面で卓越していたことは、いずれは泥にまみれるべきものながら、彼にもなにほどかの抱負があったからであり、その哀悼がほとんど挫折者にむけてのみたむけられているのは、彼を未来へひきずってゆく何かの予感のためだったかもしれぬ。いや文筆の魔性は、しばしば他者にむけて書かれたことが次の瞬間に運命的にみずからのこととなる皮肉にもみられるが、それは共感というものが、単に過去の経験の相似によるばかりでなく、未来の予感からも発するものだからである。」(184頁)

 「フランスのある寓話に、貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われたときに覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮かんでくる。その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解してよい。それ故にまた、そこに表現される意味が享受者の精神の玉に何らかの像を結べばそれで充分であり、それ以上の穿鑿は必ずしも必要とはしない。それが文学なる人間のいとなみが持つ最大の効用であるだろうから。」(316頁)

 個人的には「共感が過去の経験の相似によるばかりでなく、未来の予感からも発する」という箇所に最も胸を貫かれ、深く頷くところがあった。将来を予測することはどんな些細なことでも難しいが、それを投げ出さずに続けた先には他者への共感が生れる。劇場で展開される他者の境遇に私たちは涙するのだけど、思えばそれは未来予測が有ればこそであって、端的に言えば、別れや死、失敗、膠着、罪悪感、これに対する慰撫といった負の未来を透視する力に支えられている。劇中人物に向けられるものに限らず、紙面や現実世界を前にして湧き上がる他者への痛切な想いは、いわば自身の未来図を透かし見た結果なのだ。これに気付けば彼らに対する親近感はより増すのだし、短絡的な言動も自ずと抑え込まれる。言われてみればその通りであるけれど、私にとっては完全に盲点であり、体温をともなう読後感があった。

 さて、これらの文章は、もちろん高橋が李商隠“だけ”を語ったものに過ぎないから、これを別の作家への懸け橋に用いることは土台からして間違っているし、断章取義以外の何ものでもない。けれど、ここにはまず高橋本人の捉える文学の役割が明示され、文筆家としての己の姿勢やまなざしがありありと浮ぶのだったし、絵画や文学に挑む創作者たちが次々と脳裏に立ち現れては、その内実が透けて見える。私たちが絵や小説、映画といったものに何故これほどまで共振するのかが説かれているし、不思議なくらい石井隆が挑む創造の荒野の諸相と合致する。それも実に面白かった。

 「人間世界のもろもろの事象のうちの、なにに焦点をあわせるか、それ自体は嗜好と直観の領域に属するが、その直観の中にはすでに一つの態度が秘められている。なぜなら、人間社会の諸事象はただ単に自然的世界の存在物のように、そこに存在するだけではなく、長い伝統と習慣による価値意識が浸透していて、今まで注目されなかった一つの関係性なら関係性を他の関係性に対して拮抗的に高くもちあげるということは、すでに一つの主張だからである。たとえば戦いのさなか、勇壮な戦争画が好まれる時代に一人の画家が一輪の薔薇のみを執拗に描きつづければ、その薔薇はすでに垣根沿いに偶然咲いている一輪の花ではない。」(158-159頁)

「何が彼の規範なのか。それは凡そこの世において最もはかなく、最もうつろいやすく、最もとらえどころなく、最も頼りないもの、つまりは愛であった。人間の悲喜劇を彼は、力の葛藤や権威の変遷としてはみない。その者の運も不運もその者の手のとどかないところで決定されえてしまう、そういう立場つまりは女性の側からみようとする。」(161頁)

 「百年の哀楽はすべて他者による、女性の側に立つこと、それは表の価値、政治そのものを底辺から批判することも意味する。」(161頁)

 「李商隠の文学の幻想性も実は、確立された彼の立場、もっとも儚いものの側から現実を撃つ立場と密接に関係するものなのである。なぜならば、胸いっぱいに秘めた悲哀も、胸はりさけんばかりの怨みも、遂に現実を何一つ動かし得ないことが解ったとき、人は必然的に幻想的にならざるを得ないからである。冤罪の者のはねられた首が、血しぶきをあげながら相手に飛びかかったり、一人の女の悲歎が万里の長城をこわしたりする幻想を何故、人はいだくのか。それが現実には起こりえないからである。なぜ小説の文学、荒唐無稽な幻想が、痛めつけられる階層から生れ、痛めつけられた階層の共感をよぶのか。現実にみずからの負価を解消することができないからである。そして幻想的な文学がなぜひたすら男女の間という狭い管を通して世界をみようとするのか。もっとも儚くもっとも頼りにならぬ情念こそが、痛めつけられた存在の、最後の砦だからである。それは現実の組織にも体制にも何らの打撃を与ええない。だが悲しいことに、組織や体制のあり方が変化したのちの個人の胸をも撃ちうるのである。」(161-162頁)

 「知己の死に遭うことの多かった現実の偶然を、いつしか内面において運命化し、いわばみずからを精神の僧職に位置づけるにたる必然性をも彼は持っていた。(中略)非在に対するより敏感な精神、それは実は、人間の諸価値のうち愛に執着することの陰画なのである。他者との関係性を利害や支配や快楽において見ず、愛情の相において把えたいと欲する価値意識の持主であればこそ、その関係性の断絶に敏感であり、その悲しみが彼の心絃を齢を重ねるに従って最もかなしい五十絃にまで完成させもする。人間存在の不安定性は、愛と死においてこそ、爆発的に啓示されるものなのである。」(183-184頁)


 李商隠と石井とを同一視する訳にはいかないが、ふたりの男の世界観には通底するものを感じる。石井は「政治そのものを底辺から批判する」ことはしないが、ここで政治を別の言葉と置き換えてみれば良い。「百年の哀楽はすべて他者による、女性の側に立つこと」を辞さない石井の姿勢の、その先に対峙するのは“男”であり、“男社会”であって、それらへの批判は一貫している。これはある意味、政治よりもはるかに難敵だろう。加えて近年の石井作品には、知己との関係性の断絶と歳月の隔たりを中軸にすえるものが増えてもいる。『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)しかり、『甘い鞭』(2013)しかり、『GONINサーガ』(2015)もそうだった。愛するものとの離別を描く女性主体の映画を作ろうと模索し、結果、映画の「魔性」が発動して男である作者自身の周りにも激しい渦が生れている。渦がさらなる渦を呼んで逆巻いている。

 その白波や陽炎を私たちは察知してしまうものだから、石井の作品を語ることはやがては作者の内奥に触れる段階に歩を進める事となる。関心は作品と作家の間をしなやかに、時に烈しく往還する。私たちの奥まった部分と石井世界は結線を果たし、否応なく共振していく。読み方としてそれを過剰とも暴走とも思わないし、そこに至らずに石井の劇画本を閉じ、映画を観終えた端から忘れていく人を私は残念と思う。

 石井隆の「一輪の薔薇」とは何か、彼の作品が「陰画」であるとすれば何がそれを定着させたのか、石井世界が「青い玉」であるならば、それを覗き見する私たちは何を目撃しているのか。考えを廻らせると直ぐに発光し、返信されて来るものがある。静黙を貫く作家に対して、ただそれだけの理由で一切の思考を停止してしまうのは、飽食や浪費といった古い習性の名残りではないか。そろそろ私たちは重心を低くし、腰を据えて物事と向き合う時期と思う。少なくとも石井隆には、そうするだけの価値がある。

 「詩人はその生涯の努力を、詩的な認識や措辞の深化にかけるとともに、また、みずからの主題と素材領域を常に拡大しようとする。同一表現を反復することが、文筆家の墓場である以上、絶えざる努力による領域拡大もまた詩人の不可避的な運命である。」(182頁)

 『GONINサーガ』(2015)を前作の繰り返し、「同一表現を反復」しているとしか読めない人もいるが、その仔細に目を凝らせば、石井が「墓場」に近接した難しい場処にあえて自らを立たせながら、「絶えざる努力」で「主題と素材領域の拡大」を図っているのは明白だ。「不可避的な運命」に立ち向かっているとも感じられ、敬畏の念に胸が満たされる。どうしてそこまでして「墓場」にこだわるのか、そんな事も考えさせられた。

 「詩のうちに含まれる認識上の価値や詩人の体験的真実を、詩の全体の結晶美を度外視して性急に摘出することは、あたかも妙なる音曲を奏でんがためのピアノを壊して事務机に使う愚にも等しい」(287頁)

 ここは随分と痛く感じた箇所だ。私なりに誠実に石井隆という作家を読み解こうとしているけれど、急ぐあまりピアノを壊している瞬間がある。注意しなければいけないな、と深く反省させられる。先日の『GONINサーガ』の読み解きの中にも、実はそういった部分があったと分かっている。この場を訪れる人にはどうか鵜呑みはされず、御自身の目で世界を探って行ってもらいたい。

 今回の読書のきっかけもそうだが、ウェブで思いがけない思念の交流が続いていくのは嬉しい「運命」からの贈り物と思う。過去からも、未来からも、思念の糸が投げ掛けられ、人の言葉が人のこころを勇気づけ、きっと優しく支えていく。業種や世代を軽々とこえて、また、生死を分かつ川を跨いで、私たちは確かに繋がり始めている。 

 雨が冷たさを増し、このところしきりに追い立てられるような気分だ。頻繁に此処に戻り、自由に想いを滑空させることも出来なくなっていくだろう。しばらく連絡が絶えても互いに元気な証拠と思って、各人の「運命」を生きていきたいと願う。

(*1):「高橋和巳作品集 別巻 詩人の運命」 高橋和巳 河出書房新社 1972 文中の括弧内は引用頁を指す。

2015年11月1日日曜日

“時間旅行機” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(9)~


(注意 物語の結末に触れています)

 一ヶ月に渡って、石井隆の『GONINサーガ』(2015)を噛み砕いてきた。
 
 群像劇なので複数の視座を持ち、それ所以の混沌と足踏みがあるにしても、石井らしい決着を各パーツでつけた巧みさ、緻密さを最初に思った。濡れた銀幕に、村木的なもの、名美的なものが乱反射して、どこに焦点を絞っても独特の景色に仕上がっている。また、不可視的領域がそ知らぬ顔で組み込んであり、シーン毎に不穏な残り香がある。幾重にも絵の具を画布に塗り込む多層感のある描写であって、画家石井隆の健在ぶりを示していた。観客の多くは不可視部分に気付かず、もやもやした興奮と不安を抱えながら過ごす羽目になるだろうが、それも含めて石井の狙いだろうから嬉しいばかりだ。

 旧作で退治された悪党を、【天使のはらわた】(1978)の川島哲郎に準じた存在、自身の希望というでもなく、生活のためか、それとも人間関係に縛られてか、いつしか組織の中で生きていくしかなかった普通の男と捉え直し、陰画から陽画に一気に反転してみせたのも面白かった。これまで書いた内容をまとめると、そんな具合になるか。

 探せばいくらだって書ける。たとえば、闇と光のコントラスト配分を考慮した結果なのだろう、暗い領域に置いてけぼりを喰らったようなヤクザ組織の面子が、揃いも揃って黒々と単色で塗り込まれているのも愉快だった。(もちろん役柄としてだけど)獰猛で享楽的、知性よりも本能を強調した面構え。菅田俊(すがたしゅん)、井坂俊哉(いさかしゅんや)、屋敷紘子たちは、おのれの腹の奥底まで墨一色に染め上げてみせ、石井の思惑によく応えた。銃撃をまともに受け、痙攣するごとく弾かれ壁に吹き飛び、どさりと地べたに叩き付けられていく身体の動きに陶然としながらも、観ていて全く後ろ髪を引かれないのが素敵だった。誰が彼ら(役どころの彼ら)に家族や係累のあることを想像しようか。旧作『GONIN』(1995)のような灰色の領域を増やせば、運命悲劇の連鎖は永遠に終わらなくなってしまう。彼らは『GONINサーガ』の黒い縁取りとなり、式典を最期まで支え切って健気だ。

 ひと呑みにして消化出来るはずがなく、反芻の末にようやっと血肉となるのが石井作品だ。筆を置く気は毛頭ないけれど、人間ってやつは何時死んでも不思議はない。区切りは大切だろう。ここに至っては封印を解いて構わないと思うから、終幕の描写に少しだけ触れ、現時点での感想を閉じよう。

 『GONIN』と『GONINサーガ』のふたつの物語を俯瞰した時、そこに1995年と2014年という二つの年数が立ち上がるのだが、よくよく見ればその航路上にはもう一箇所、不自然な停泊港が視止められるのだった。それは井上晴美が演じる未亡人の営む酒場の装飾にもあるように2000年の世紀の節目であった。どうしてこの2000年に物語は立ち寄る必要があったのか、石井隆を熱心に読む者は思いを巡らして良いだろう。

 2000年に降り立つことで、ヤクザの遺児役の東出昌大と桐谷健太のふたりは、物語設定上、二十歳前という難しい年齢を演じなければならなかった。この中継地点を踏まない方がどれだけ語り口は滑らかになったか分からない。どうして石井はここに立ち寄ったのか。それは、登場する人物の誰もが特別な響きを持った2000年という年を跨いで生きてきたのであり、そんな華やかな世間の足取りの裏側で大量殺人の関係者という陰惨なレッテルを貼られ、俯いて歩かざるを得なかった苦境や怨憎を描きたかった──訳ではないだろう。また、『フリーズ・ミー』(2000)の主演女優である井上晴美の頭上にそれを飾り、敬意を表した──訳でもおそらくはない。

 劇映画という手段と石井隆の意思がその年にカメラを固定し、雨の中で佇み、花を手向けている相手は一体誰であるのか。私たちはそこを強く意識して良いように思うし、石井の願うものが私の憶測通りであるならば、石井は映画という手段を時間旅行機(タイムマシン)に準じたものと捉えている。その意識を踏まえて作られた『GONINサーガ』という作品には、当然ながら時間流を遡って何事かを為し得ようとする強い視線が託される。

 旧作『GONIN』と今作との間には血脈があり、生殖と成長の日々が連なり、それは生き物の宿命として逆戻りを決して許されない絶対の下降ベクトルであるのだが、映画はそれを悠々と逆行してみせ、その上で成し遂げられる事だってあるのだ、と、石井はどうやら小声でつぶやいている。想いを馳せる特定の日々に立ち戻ることができる、そんな奇蹟を歌って見える。

 石井は『GONIN』の修正を試みたのではないか。いや、もはや修正の施せぬ『GONIN』に肉付けして、新作に取り込み、現在到達した自身の境地に完全に合致した作品として連結し直そうとしている。もっと具体的に言えば、万代樹彦(ばんだいみきひこ 佐藤浩市)の村木化を図って見える。冒頭のナレーションと劇の終わり方が示すように、そもそも『GONINサーガ』とは、万代樹彦について再考をうながす物語であろう。

 議論百出を覚悟して書けば、『GONIN』は石井の作品群の中にあっては異分子とまでは言わないが、色彩的に隔たったところがあったのだし、2000年以前の作品の典型として現在の石井の作風とは馴染まない箇所がある。先日、遂に石井は『GONIN』の三屋純一(本木雅弘)が土屋名美の系譜に当たり、『GONIN』の主軸に村木と名美の物語が置かれていたことを開示したのだったが、結果的に『GONIN』は石井世界とは別種のバイオレンスアクション劇と世間に見なされ、独自のファン層を築いて来たのだった。石井世界の稜線に在ることは違いないのだが、やや亀裂を生じて見える。

 先の色彩コントラストの例えを再度持ち出せば、石井は『GONINサーガ』を用いて、白い印象だった万代樹彦を黒く塗りつぶすことに努め、独り歩きしたイメージの解体を行なっており、曖昧なこれまでの印象を思い切って払拭している。元ミュージシャンで肝が据わり、実業家の才覚もあるのだが、たまたま景気が悪かった、バブル経済の罠に落ちた不運なヒーロー、という従来の仮面を剥ぎ取り、その代わりに“実力もなく、ひとりよがりで甲斐性のない、愛する家族を不幸に落とし込む男”、そして、“愛する者を駄目にした後で血でも吐くような気持ちで懺悔し続ける”村木哲郎像へと引きずり落としている。そうする事で『GONIN』の他の“村木たち”と同様の立ち位置に戻している。

 実際、『GONINサーガ』を覗き穴にして冷静に振り返ってみれば、万代樹彦という男は何をやっただろう。芸能界にデビューして、既に同世代から人気を博する年頃の娘がいるにもかかわらず、また、その娘が暴力団の芸能部門に捕り込まれつつあるのを知ってか知らずか、その辺は判然としないのだけど、どちらにしても愚かな発想しかひり出せず、一発逆転のホームランばかりを狙ってぶんぶんとバットを振り回しているのだった。結果的に親思いの娘を、生きたままで地獄に蹴落としている。万代のイメージは完全に倒立した。地に墜ちた。そして、ようやく地上に降り立って歩き出したのだった。

 『GONIN』の“村木たち”は、愛する者を巻き込み、苦境や死に至らしめる点で道程をひとつにしている。氷頭(根津甚八)もジミー(椎名桔平)も、そして今や万代さえもやっている事は狂気の会社員荻原(竹中直人)とそうは違わない。酷い話には違いないのだが、多かれ少なかれ男が生きて家族を持つという事はそれに近しい景色を内包するものだ。大概の男はこれを薄っすらと予感し、身震いしながら日常を足掻いている。

 以前この場に書いたように、2000年以前の石井の物語は死をもってばっさりと流れを裁ち切って清算する内容が多かった。散華を劇的に描き、観客はこれを涙して受け止めた。けれど、『花と蛇』(2004)以降の石井はもう少し慎重に糸を紡ごうとして見える。万代を無軌道的に死に急ぐ独身者ではなく、黒い尾を引きながらも生活に追われる“生きた男”に今更ながら戻したかったのではないか。神格化した万代像と決別し、私たちの背丈に近づけ、『GONIN』を2015年の一皮剥けた石井世界に立ち返らせている。過去に遡上し、誤ったイメージを修正することで、かえって万代という男の身を焼く業火は勢い付き、苦悩がいや増すに違いないのに、さらにそれは振り返って作者自身をも苛むこととなるに違いないのに、火鉢に腕を突っ込んで木炭の向きを変える具合にして石井はそれを行っていく。反吐を吐き、汗を流しながらも過去と今を手探っている作家が見える。(*1)

 先日、フィンランドの女流画家ヘレン・シャルフベック Helene Schjerfbeck の個展を観る機会があったのだけど、死を目前にしながらも鏡越しの自己に向き合い、消滅に至る過程すらキャンバスに刻んでいた事に圧倒された。今回の石井の姿勢にも非常に似たようなものを感じている。生業である以上にひたすら想いを注ぎ、自身の苦悩と歓びの総体を作品に盛り込んでいる。ファンを楽しませる工夫をすると同時に、ある時はファンを敵に回してでも自身の魂に沿った加筆修正に挑んで、全く逃げようとしない。孤高を怖れずに突き進んでおり、その闘志にこちらの胸が焼け焦げる程だ。

 スター映画なのだと石井は語り、確かに『GONINサーガ』そうなっているのだが、同時に紛うかたなく石井隆の絵画であり、その筆致や創作意図を探る旅でもある。死屍累々の幕引きを迎えるが、作者石井の生きた営みが押し寄せるのであり、観る悦びの質量は計り知れない。それこそがリアルな、生きる糧になり得る物語だと信じる。

 わたしは随分と洗われた気分だ。耳を澄ますと、今も雨だれの音は続いている。

(*1):人によっては『GONIN』旧作の破壊とも受け取める今回の万代像の再生作業であるが、石井の劇画作歴が加筆修正の連続だった点をここで改めて思い出してみれば、それほど逸脱した行為とは思われないし、むしろ其処にこそ“石井隆”の真剣を感じる。

“大きな、不似合いな” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(8)~


(注意 物語の内容に触れています)

 物語の構造や撮影の技巧を裁定するのでなく、知識の吸収をするでもなく、また、現実からの逃避でもない、いわば魂の糧を得るために真摯に向き合う、そんな側面が映画の鑑賞には混じっていく。魂というものは各人の生い立ちや記憶と密着する訳だから、千差万別が当たり前であって、そこで生じる化学反応や結晶化は常にばらばらであろうし、意見が分岐するのは致し方ないことだ。何が当人の内部で起きたかを書き留める行為は、だから万人を説得する論理性を持たず、極私的でささやかな感想文の域を出ない。大概は評論の名には値しない。

 この場処に“試論”と銘打ち、過去の挿画や劇画を含む作品や他の作家の映画などを連結させて書き綴っていながら、これは拙い感想文でしかなく、名前負けも甚だしいと心から恥じて苦しくなる時がある。映画史を語れるほどは古い作品を観てないのだし、劇場に足を運ぶ際にはかなり偏った選択をしている。映画や劇画全般のどの位置に石井隆が居るか、その辺りを解説したり縫合する力がない。

 権藤晋や山根貞男が石井隆論の決定版的な大冊を出してくれないかという切望は止まず、いや、彼らでなくても良いのだ、新進のドキュメンタリー作家や脚本家が古今東西の文芸や映画作品を引き合いに出しながら、石井隆という作家の実像に切り込んでくれないかと夢見るのだけれど、売り物にならなければ出版社は動くまいから、いまはどうにも仕方がない。笑われようがけなされようが自分なりの心模様を下手な表現でトレースしながら、膨大にして密度ある作品群を地道に咀嚼していくだけだ。

 再び『GONINサーガ』(2015)の感想に戻るが、私の胸をひどく打った場面がひとつ有って、それは屋内に置かれた調度品や装飾なのだった。式根親子(テリー伊藤、安藤政信)の行き来する事務所や妾宅の壁を飾るジョン・マーティン John Martinの絵画「The Great Day of His Wrath」を今は言いたいのではなくって、瞳に刺さったのは同じ親子でも大越家の方の住居だった。十九年前の事件で殺された組員の遺された妻、加津子(りりぃ)と息子の大輔(桐谷健太)は、ワンルームの小さなマンションで夜露をしのいでいる。そこでの展開は無いに等しく、物語の波形に全く影響しないから大概の人は気にも留めない事だろう。どのような調度であったか、石井の原作本(*1)を引けばこんな感じだ。

賃貸アパートの1DKの狭く暗い部屋に入って来る。5年前、何部屋もあったマンションを引っ越す際に詰め込み、それから何度引っ越しを繰り返したか、面倒になって仕舞ったままだが、『オヤジのスーツ』『オヤジの着物』等と殴り書きした段ボール箱が収納する場所も持たずに未だに所狭しと積まれている。父の大越が使っていた大きなベッドの枕元には大きな仏壇と大越の遺影が飾られ、この部屋には不似合いな鎧兜(よろいかぶと)が鎮座している。部屋の隅には綻(ほころ)びた赤い皮のサンドバッグが吊られ、厚化粧をした老いた母がテレビを付けっ放しでロッキングチェアで眠っている。(131頁)

「お出かけだ。化粧するんだろう?早くしな」
そう言われて母の加津子は楽しそうにドレッサーで厚化粧の真っ最中だ。(249頁)

平岡が雑然と物で溢れる狭い部屋に立ち尽くしながらしんみりと言う。
「これが元組長の部屋なんですか……」(324頁 この場面は映画ではカットされている)

 鎧兜は確認できなかったのだけど、窓の側に腰の高さ程もある大きな素焼きの壺がひとつ、いや、二つだったか置かれていたように記憶している。映画では合わせても三十秒もあるか無いかの短い場面であるのだが、胸の奥で拡散して実に痛ましく響いた。

 仕事場に適応し、齢相応に組織を束ねて部下の信任も厚く、家族にも恵まれていくに従い、男は身の丈にあった巣作りを行なうようになる。油断ではなく、安全な環境を得ようと本能が強く後押しするのであって、時には借金を重ねるリスクを負ってまで住まいを整えよう、大きくしようと躍起になる。そうして、組織内での失脚や会社の倒産、病臥や事故死、社会的な失墜等によってこれが維持し切れなくなるとき、その果てにどのような暮らしが待つかを、映画の中の狭い部屋が的確に描いていた。

 承知の通り、住まいの甲乙は床面積の比較で単純に決まるものではない。居住する人の数と構成、家計、社会との関わり方に応じて善し悪しは固まってくるものだから、“何部屋もあったマンション”がワンルームに転じた点を痛ましい、不幸だ、と言っているのではない。“収納する場所も持たずに所狭しと積まれ”、“大きな”家具や調度品が“不似合いな”まま押し込まれているのがどうにも哀切で堪らないのだ。これは実際に、身近に、そういう目に遭った係累や知人を持たないと具現化しにくいものであって、石井もしくは美術担当者の至近距離に不幸な現実があった証だろう。

 人の一生には誰も想像しえない転機があって、懸命に拡張させてきた住まいを根こそぎ奪われる、そんな深刻な局面に見舞われる事がある。避けがたい波濤にざぶりと洗われたとき、時間も、手持ちの余裕もなく、人手も欠いた私たちは、身の回りの家具や衣服を必死の思いで運び出すより術がないのだし、一度そうして避難先に収まってしまった必需品というのは処分や整理の機会が訪れないまま、多くが生き長らえて所有者と共に漂流を続けていく。

 物を捨てるに金と労力がかかる時代であるし、家具や置き物のそれぞれに思い出が色濃く刻まれてもいる。同居する全員の気持ちが一致しないと手放せない性格の物だから、互いに衝突を回避しているうちに時間ばかりが経っていく。いつしか床面に根付いたような具合となって、不似合いに大きな彼らはいよいよ壁を埋め尽くし、空間を占拠してしまうのだけど、膝を打つような方策は見当たらなくって、保留状態でそっと気持ちに蓋をする以外に道はない。

 『GONINサーガ』は思春期前に父親を失った子供たちを主人公とする一種の青春映画だけれど、根底に置かれてあるのは中年男を長(おさ)とする家に突如不幸が襲いかかり、環境を暴力的に変質させていく禍々しくも普遍的で、リアル過ぎる人生の実相だ。胃が痛くなるような日常の硬直した面立ち、生きながら化石となってしまう苦しさだ。作り手たちの追悔を寄り添わせた、生々しい困窮が二重写しに描かれている。
 
(*1):「GONIN サーガ」 石井隆 KADOKAWA/角川書店 2015 文中の括弧内は引用頁を指す。

2015年10月25日日曜日

“誰に似たんだ” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(7)~



(注意 物語の結末に触れています)


 『GONINサーガ』(2015)の製作が発表されたとき、真っ先に連想したのが
黙阿弥や、圓朝の怪談噺「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」で、ああ、これは石井隆の本格的な“運命悲劇”になると予感した。親同士の殺し殺されが巡りめぐって芽を吹き、蔦(つた)となってからまり、子供たちを追いつめていく。血脈に囚われし者が漏らす吐息や、傷負い滴って地面を染める鮮血を幻視し、これは確かに石井にしか横断し得ない断崖と感じたし、実際、完成した映画は十九年という歳月をずぶりと貫いて、怨憎や愛慕で溢れ返っていた。

 映画を短時間に限る小旅行と捉えれば、『GONINサーガ』はやや盛り沢山の内容であって、十分に消化し切れず朦朧状態となる観客もいるだろう。けれど、代を跨いだ血の宿命を主題とする場合、茫洋とした趣きの前段となるのが普通だし、固有名詞や過去の事象を蛇のごとく引きずり、夢現(ゆめうつつ)に吐き散らされる台詞の山を経て、ようやく真相に至るものだ。運命とは本当に見通しのきかないもので、一介の駒となって黙々と歩むより他ない。極端な話、血脈や先祖の為した因果について、まるで承知せぬまま退場する役どころさえある。
実際自分たちの日常にしたってそうではないか。四肢にからまる糸というのは煩わしけれど、勝手に断ち切れるものではない。

 テレビジョンの普及によって映画館から奪われたものに、おどろおどろした思念を引き継ぐシリーズものがある。共に市川雷蔵主演によるところの『大菩薩峠』三部作(1960-61)、眠狂四郎(1963-69)なんかを凝視して育った石井隆にとってみれば、『GONINサーガ』の劇空間に派生し錯綜する因果は、紅茶に添えられた砂糖みたいな定番の約束事であっただろう。

 映画という媒体に分かりやすい起承転結や自己完結をつい求めがちな私たちは、実は提供する側が用意した小さな型に押し込められ、記憶する力や推察する能力、粘り腰で思案することの楽しみを奪われているのではなかろうか。石井は映画館の暗闇に息づいていた連続活劇の力と、積極的に記憶や思念を携えて劇場に向かう観客との蜜月を再生する、そんな姿勢で『GONINサーガ』に臨んだのではあるまいか。私たちを縛り付ける映画像を一度解体し、俯瞰して見れば、堂々たる舞台を石井は今回も創ったように思われる。


 前置きが長くなってしまったが、『GONINサーガ』は血脈に関わる運命悲劇であって、それも登場する複数の人間がそれぞれの内なる血に自縛して七転八倒するわけで、ある意味、実に贅沢な話となっている。悲劇の五重奏がそこに在る。


 ここで言う五重奏の“五”は題名から取ったものだが、そもそも五人とは誰を指すのだろう。前作で殺されたヤクザの遺児、久松勇人(東出昌大)と大越大輔(桐谷健太)、事件に巻き込まれて殉職した警官の子供、森澤慶一(柄本佑)、元グラビアアイドルの菊池麻美(土屋アンナ)をまず指折って数えた上で、私たちはそこに元刑事の氷頭要(ひずかなめ 根津甚八)を加えがちだ。映画の宣伝文においても最後の一人として根津を紹介し、この復帰を世間は大々的に取り上げた。


 しかし、血脈に関わる運命悲劇は氷頭の身に潜まない。そこに巣食うのは荒々しくも単調な復讐心でしかない。私たちは別の最後の一人を探し、石井の作為を改めて認識し直し、それを前提にして『GONINサーガ』を俯瞰すべきだろう。映画宣材における立ち位置とネームバリュから言って、私たちは安藤政信が演じる五誠会三代目、式根誠司にもっと目を向けて良いはずなのだ。五人目は氷頭ではなく、間違いなく誠司だ。


 裏社会ながらも血統書付きの出自を与えられた誠司という男は、主人公の遺児二人に対して拳固でもって叩き、足蹴を食らわし、また、元アイドルの人格を認めず、間接的にではあるにせよ刺客を放って警官の息子を深く傷つけている。彼らと対峙する悪の総領として観客に意識付けられるに十分な蛮行を重ねて『GONINサーガ』に君臨するのだけれど、そのような単層で一方的な暴君の役割に留まるのであれば、石井は著名且つ美麗な安藤という役者をこれに当てないのではないか。


 三代目誠司の父親として式根隆誠(テリー伊藤)という二代目会長が登場し、現金を強奪された誠司の失敗を詰(なじ)る場面が挿入されている。その叱責する声と狂った所作を目撃した観客は、誠司という男の持って生まれた境遇に哀れみを覚える。ヤクザ者の家に生まれたばかりに気の毒と思う。忍耐の限度を超えた誠司が着衣を剥ぎ取り、裸となって激昂する様子に演技の巧みさを見て取り、安藤起用の理由を認める人が多かったに違いないのだが、物語の仇役としてならばこの狂った二代目ひとりで間に合いそうではないか。


 石井の原作本(*1)を取り出し、再びこれを書き写しながら考えてみたい。上の場面でパナマ帽の二代目は奇妙な台詞を口にしている。


誠司は泣き顔で土下座しながら、

「許して下さい」
必死に謝っていて、隆誠が呆れて言う。
「誰に似たんだ?その胆力で五誠会が……」(252頁)

「オイ!ここ撃てよ、ここ!殺せ、この野郎!」

誠司が精一杯、怒鳴り返して心臓の辺りを叩く。
それを見た隆誠は口元を緩めながら、
「誰に似たんだ?孫の顔を見るまでは、未だ死ぬ訳にはいかんな」(253頁)

 テリー伊藤の演技を見るだけなら、最初の“誰”は母親を指しそうだし、後ろの“誰”は自分を指すのだろう。家長として強面で振舞う父親が、ほんとうは溺愛する未熟な息子を叱っていく流れで、秘めた愛情を瞳の奥に隠しつつ居るという場面に見えるが、それにしても奇妙過ぎる、心に引っ掛かる台詞ではないか。「誰に似たんだ」と不自然に繰り返して、観客の意識に楔(くさび)を打ち込んでいる。そんな根性無しでどうする、なんだ母親(あいつ)に似たのかと煽り、その後で、やっぱり俺の血だな、と、何故普通には喋れないのか。


 バーズのパーティ会場に設置されたスクリーンの裏側で、襲撃のタイミングを計り待機する子供達に混じり、ヒロイン麻美は自分がかつてどのような経緯で暴力団に捕り込まれたかを説明する。「この写真をマスコミにバラ撒かれたくなかったら、五誠会の跡取りを産めって……。二代目と三代目の情婦になって」(352頁)──この発言と先の妙ちきりんな二代目の言い回しからは、この親子の歪(ひず)みが明らかとならないか。血統書に怪しい影が差さないか。


 麻美が芸能界に飛び込んだ時、既に五誠会には生意気盛りの誠司が肩で風切って歩いていたのであって、それにも関わらず跡取りを産むように強いられるとは一体全体どういう事なのか。金と暴力でいくらでも女性を囲い、妾腹で良ければ何人でも子供を作れそうな二代目に、一人息子の誠司しか見当たらず、それが二十歳ほどにも伸び伸びと育っていながら、跡取りがいないのだ、世継ぎを産めと若いおんなに強要する事は不自然な言動ではないだろうか。


 さらに言えば、そのようにして軟禁状態にされた若い娘が性的に奉仕させる以上の目的、つまり妊娠と出産の為に捕り込まれた事実と、そのような期間を十年以上を経て出産に至らないまま今日に至った事態を透かし見すれば、二代目隆誠、三代目誠司、そして麻美を取り囲む紅蓮の炎の輪郭が露わとなり、身近に迫り来るさまが窺えよう。(*2)


 閨房(けいぼう)で何が展開されていたかを覗く権利を観客は持たないが、不可視領域であればこそ、様ざまな光景も浮かんでくる。隆誠もしくは誠司のどちらかが不能者であった可能性、麻美が流産を繰り返した可能性、誠司が隆誠の実の子供ではない可能性、誠司が旧作に登場した五誠会初代会長(室田日出男)の子供であった可能性──いずれも妄想の域を出ないが、どこに転がっても相当に血生臭い話となる。これが『GONINサーガ』という物語が抱き込んだ地獄だ。テリー伊藤と安藤政信というキャスティングについても、これはかなり露骨に“鬼子(おにご)”である事を提示しているのであって、周到に計算され尽くしたものでなかったか。


 皿に盛られた料理を携帯画像で撮りまくり、食べ散らかした後に欠点ばかりを書き殴る粗暴な趣味がどうした訳か世間でまかり通っているが、同じ調子で石井の劇を扱ってはなるまい。『GONINサーガ』とは、映画製作に長く携わった石井が心血を注いで調理したものだ。高度な料理には削ぎ落とされ、漉され、捨てられていく残渣は多いものであって、それら工程の全容を視野から外して迂闊に喋ることは危険なことと思われるし、何より勿体無い話と思う。


(*1):「GONIN サーガ」 石井隆 KADOKAWA/角川書店 2015 文中の括弧内は引用頁を指す。

(*2):五人組事件から五年が経過した雨の午後、勇人と大輔が病院前の駐車場で再会する。そこでの台詞には、早い段階で麻美という少女の身に異変が起きたことが示されている。「勇人、麻美のファンだったよな?芸能界から消えたけど、未だ三代目……時々二代目の……たまに、見かけるよ。」(126頁)

2015年10月24日土曜日

“根絶やし” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(6)~



(注意 物語の結末に触れています)

 『GONINサーガ』(2015)の劇場公開が終盤を迎えたので、劇中の仔細にいくつか触れたいと思う。点在する旧作『GONIN』(1995)や過去作の明らかな反復をことさら大仰に書き散らし、ひとり悦に入るつもりは毛頭ないし、別の媒体を通じて今後『GONINサーガ』と出会うだろう膨大な数の視聴者にも配慮して書き進めるつもりだが、真っ当な感想を綴る上でどうしても飛び込むより道はない。台本の代わりに石井隆による原作小説「GONINサーガ」(*1)を手元に置き、銀幕上での“不可視領域”にも若干踏み込んでいく。

 ルポライター富田(柄本祐)の正体は、“五人組事件”の乱闘に巻き込まれて殉職した警察官の遺児、森澤慶一であった。この森澤だけが十九年前の事件のほぼ全容を知っているのだし、また、遺族の今の苦境や、暴力団“五誠会”の変貌ぶりを把握しているのだった。警察官という立場を活かし、また、生真面目な性格も手伝って徹底して調べ尽くしただろうこの男の言動は、だから最初から重心がきわめて低く、事態が呑み込めずに濁流に喘いで見える他の人物とは当然目方に差があるのだし、私たちも違ったまなざしで観察すべき相手となっている。

 実際、森澤の台詞は断定口調が多く、酒場を訪問して偶然そこに居合わせた大越大輔(桐谷健太)に向かい、いきなり彼の姓名を正しく告げてみせ、状況の解析が怖ろしく徹底している事を銀幕の内外に印象づける。先に挙げた闇金店長の射殺に際しても、組織内での捨て駒に過ぎぬからどこかに埋められて終わりなのだ、と立て板に水の勢いで説明して仲間の動揺を収めている。

 仕事でも人間関係でも、視界の利かぬ場処で頭に血を上らせたまま突き進めば、大概は足を滑らせたり壁にぶつかりして傷が絶えないのが普通であって、そんな最中に口を衝いて出た言葉は大量の本音が含まれ、また、弱音が混じり、吐露するタイミングを完全に誤っていたりして混乱に拍車を掛ける。川の浅瀬でのたうつ弊死寸前の鮭の如き、勇人(東出昌大)や大輔の不様な様子がまさにそれなのだが、詳細な地図や方位磁石を懐中した猟師、森澤の言葉は完全に選ばれたものであり、真意の大部分がまだ腹の奥に秘めたままであるから、端々にはいつも謎が含まれ、怪しむべき裏面がある。

 独特のそんな深度を、石井は最後の幕引きまで森澤という男の造形に負わせている。劇中に散乱する森澤の台詞と行動を一度列記してみれば、そこに心胆を寒からしめる“針路”が浮かんで来るように思うがどうであろう。森澤の目指すものと共に、それは物語を俯瞰し得る石井という作家の目指す方向でもあるだろう。

「このままでは死ねません!二代目とか来るんですよね?奴ら、根絶やしにしないと」(315頁)

「惜しかったですね、五誠会全滅でしたね……ハハハ」  
麻美が来れば、凄い戦力になって、五誠会を全滅出来たのに、惜しかったですね、と若干違ったニュアンスで慶一が言い(330頁)

強い怨念の渦を巻きながら、慶一は自分一人で這ってでも出口を探そうとしていた。とにかく、誠司の結婚披露宴に姿を現す五誠会の二代目とその一派を全滅とはいかないまでも、一矢を報いたいと悲願しながらも、思うように動いてくれない自分の体にジレンマしていた。(337頁)

 石井は森澤の台詞およびト書きに“全滅”といった言葉を編み込み、いかに怨念肥大化し、生々しく顫動(せんどう)する事態に至っているかを告知する。日常ではほとんど聞かれない、使ってもせいぜい雑草相手にしか使えない“根絶やし”という烈しい表現には特に石井の作為がにじみ出て感じられる。仇討ちの対象は通常、加害者を特定して復讐を果たそうとする対個人であるのが、いつしか組織全体、その一派へと移行しているのが実に妖しい。

 そのような妄執の鬼、森澤は、「結婚式で愛人の歌流すなんて、さすがに狂ってますね、親子して」(335頁)という終幕近くの台詞からも分かる通り、十代の早い時期に麻美(土屋アンナ)というおんなが五誠会に捕りこまれ、二代目組長の式根隆誠(テリー伊藤)と三代目の誠司(安藤政信)の双方に愛妾、もしくは性奴隷、もしくは特別な役目をもって夜伽を強いられている者と承知している訳である。

 そこで疑問に思うのは、森澤の目から見た麻美というおんなの立ち位置だ。強制されたとはいえ、半年や一年ではなく、十九年かそれに近しい長い歳月、五誠会の首領に己の肉体を与えてきたおんなという存在は、“五誠会の二代目とその一派”ではないのか。“根絶やし”するべき相手ではないのか。性愛とはそういう、なんとも切り離しにくい癒着ではないか。他者と他者を肉体上連結し、理性や知識を蹂躙する本能の熱でもって溶接する。そのようにして過ごした千の夜を、簡単に無かったことと割り切ることなど誰もできない。

今度こそ大輔に拳銃を渡さなければ、私も殺される!やっとの思いが果たせたのに!と慶一の手から拳銃を捥ぎ取ろうとスクリーンの中に体を伸ばして、必死に必死に踏ん張るが取れない。(375頁)

 そのようにして結局のところ麻美は、明神(竹中直人)の撃った機関銃の弾を背中にもろに受け、血の海の中に沈んでいくのだけれど、森澤の死後硬直が始まって銃を離そうとしなかった指には、どのような思いが籠(こも)っていたものか。麻美が撃たれて鮮血を噴いて後、ようやく顕現する奇蹟の、いかにも遅く、もどかしいような、ずれているような歯がゆいタイミングの悪さは、私には森澤の“根絶やし”という台詞を舞台全体が唱和している事の、成るべくしてなった結果に見える。

 『GONINサーガ』は活劇ではあるけれど、悪夢的な響きがあって、そして妙な例えとは思うが、うつくしい調和に満ちている。落城後に捕らえられた城主の妻子、側室が河原に引き出されて斬首されていく光景を遠目にするような、逃れえぬ運命悲劇の凄絶な美にどこまでも染め上げられていく。

(*1):「GONIN サーガ」 石井隆 KADOKAWA/角川書店 2015 文中の括弧内は原作本の引用頁を指す。


2015年10月22日木曜日

“蝉のはなし”


 インタビュウで石井自身が明言しているから構わないと思うが、『GONIN』(1995)、および『GONINサーガ』(2015)における蝿(はえ)の描写は“魂の転生”に関わっている。小泉八雲が同様の伝承を記録に留めたことは、以前この場に書かせてもらった。(*1)

 このところ幽霊とか、ろくろ首についての書籍を続けざまに読むうちに、実はこういった転生譚が世界には無数にあって、それも彩り豊かなことを知る。高峰博という人の『傳説心理  幽靈とおばけ』(洛陽堂 1919)では、上田秋成「雨月物語」の「夢應(むおう)の鯉魚」を取り上げ、さらには東西の民間伝承、旅行記などをいくつも並べ置いて、霊魂が動物に化身したり、おぼろな火球(“たましい”という呼称は“たまし火”から来ているとのこと)といったものが口や鼻の穴から抜け出て、ゆらゆらと彷徨う様子を伝えている。まとめた文を書き写すとこんな具合だ。

「是の如き霊魂出遊の思想は、上述の通り、各民族に存し、随って、或は蠅、或は土蜂、蛇や蜥蜴、鼬、鼠、蟋蟀、鴉、鯉となり、其の他、セルビア人は妖巫が睡魂の胡蝶化を信じ、乃至、虎となり、大蛇となる話等、実に千差萬別である。」(動物形の魂魄 307頁)

 驚いた、蠅どころではない。トカゲやカラス、いたちやネズミにさえ、人間の魂は転生するものらしい。降雨や水たまり、一陣の風、はためく布地といったものに詩情をこえた妖しい鼓動を見止め、アニミズム色が濃厚な、古代から連綿と続く祝祭空間にでも引き込まれた心地となる場面が石井隆の作品には散見されるのだけれど、こうして地球規模の動物転生の記録とこれに準じた『GONIN』での映像表現を重ね見ると、石井の劇というのは国という枠を軽々と突き破った物であり、つまりは“人間の劇”という思いが湧いてくる。邦画を観ている気がしない、そんな芳醇な香味に酔うのは当然と言えば当然だ。

 転生といえば、以前こんな事があった。親戚が亡くなったとの報せが真夜中に入る。病院は車で数分の距離であったから、直ぐに着替えて駆けつけた。自律呼吸をしてはいたが、意識ないままの療養が随分と長かった。誰もが覚悟していたのだったが、それでも寂然たる思いに包まれる。

 静まり返った建屋の末端に霊安室があって、家族のほとんどは故人の迎え入れの準備に自宅に戻っていた。短い間だけであったが、一切の動きなく横臥する肉体と、その長男、そして私だけが薄暗い小部屋に残った。体温との隙間が分からない、暑くもなく涼しくもない夜だった。風はそよとも動かず、厚みのある闇に満たされていた。

 会話もなく、白い布にすっぽり包まれた身体を見下ろし、其処に居るためだけに居る。微かなまどろみに襲われながら、パイプ椅子に腰掛ける傍らの長男の様子をそっと見遣る。大分前に母親を送りはしたが、必ずしも経験が力となる局面ではない。これから数日間、いや、数年間、家長として様ざまな決断を強いられ、挨拶と打ち合わせに忙殺されるに違いない。誰も替わってはくれず、つくづく重い役回りと思う。

 そんな時だった、開いた窓から不意に蝉(せみ)が飛び込んで来て、寝台の上でせわしく旋回した末に壁沿いに着地した。ジジッと一声、つよく鳴いたのだった。ふたりして驚き、一呼吸した後で「ああ、蝉に生まれ変わったのか」と、潤んだ声を長男は漏らした。

 私はこれに応じず、悲愁に囚われた彼に代わってどうにかしないといけないと考えた。老人の転生した姿が仮に蝉だったとして、一体どうすることが出来ようか。家に連れて帰るのか、一緒に寝起きして過ごすのか。早晩、蝉は息絶えるに決まっているのだ。それは何者の死なのか、それをどう解釈したら良いのか。

 家族が戻って、床にうずくまる虫をめぐって会話が為されるのは場にそぐわないし、そこで意見の衝突が起きるのは見たくなかった。一方が信じ、一方がそれを笑うのは辛い場面だ。逃がさぬようにゆっくりと両手でくるむと、部屋を出て廊下の突き当たりから外に出る。植え込みの松の幹につかまらせようとしたが、ぱたぱたと羽音高く飛び上がり、遠くの街路灯の方角に消えてしまった。

 闇のなかで煌々とそこだけまばゆい霊安室を、きっと太陽と見誤り、蝉は飛び込んで来たに過ぎないのだが、今にして思えばこれを亡き親の転生と信じたひとの胸中がよく分かり、あんなに急いで連れ出すまでもなかったと悔やまれる。そうして思うのは、死という抗いがたい瞬間に、人は魂の存在や生まれ変わりを確かに信じられるのであって、その事は極めてリアルで誠実な、哀しみに包まれた人間のごくごく自然な反射なのだ。

 私があの時に揺らがなかったのは、直系の家族でなく喪失感が浅かったからであって、立場が違えばきっと虫の飛来という偶然に奇蹟を見出し、心身ともに縋(すが)り付いたに違いない。いや、一概にこころの迷いと決め付けるのは乱暴じゃないか、もしかしたら、本当に奇蹟だったのかもしれない。情の薄い、冷血な自分が気付かないだけじゃないか。そんな気持ちに今はなっている。

 『GONIN』および『GONINサーガ』で魂の転生を描いた石井隆は、哀しみを抱き続けている人だと思う。死という抗いがたい運命を考え続け、ぐらぐらと揺れ続けていなければ、ここまで強く魂の存在や生まれ変わりを描き続けられまい。誠実でなければ、ここまで生命の境界にこだわれないだろう。娯楽提供の場において、素の自分、胸の奥の洞窟を斯くも厳然と投影させていく作家は稀有ではなかろうか。

(*1): “蝿のはなし”http://grotta-birds.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html

2015年10月12日月曜日

“熟達” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(5)~


(注意 物語の内容に触れています)

 石井隆による小説「GONINサーガ」(*1)は、同名映画の台本に大幅な加筆をほどこしたものと想像されるが、これを丹念に読み込むことで銀幕上の“不可視領域”にようやっと光が当たり、おぼろげだったものが姿を現わす。物語の軸心となる景色も陰影を転じて、意味合いがまるで違ってくる。

 たとえば、映画においてフリーのルポライター富田慶一(柄本祐)の正体が、“五人組事件”の乱闘に巻き込まれて殉職した警察官の遺児だと割合と早い段階で示される。今は巡査の身となった己の職業身分をひた隠しにしたまま、同じく遺児として育った組員の子供に急接近し、彼らと共に上部暴力組織“五誠会”の金庫襲撃に加わることになるのだが、その際、抵抗した組員のひとり(飯島大介)に対して強盗団は発砲して、これを打ち倒している。

 観客は飯島の大振りな動作と頓狂な台詞が、十九年前の『GONIN』(1995)で彼自身が演じてみせた男のそれを忠実に再現していることに気付く。また、旧作で連鎖殺人の口火となった同様の発砲が、竹中直人演じる気の触れたサラリーマンによる暴発であった事を思い出し、網膜の裏にこれを再生してデジャブに近い酩酊を味わう。どっと床に倒れてみせる姿に役者の妙味と演出の毒を感じ、記憶の甘美なるトレースを味わいながら笑いを押さえ切れずにいた訳である。

 だが、闇金店長を亡き者にしたこの度の号砲を、一体誰が鳴らしたか、その点を吟味する時間は一切与えられない。私を含めた大概の観客は、雑居ビルの一隅での切迫したやり取りに五感を押し切られてしまい、そんな“些細な事”にこだわっておられないのだった。目を見開き、全てを見ていながらも、気に止める余裕が無い。

 それがどうした、誰が撃ったところで関係なかろう、と考える人だって多いに違いないが、私には、観客の興味を引かないこの描写が、石井が意図的に照明を反らした“不可視領域”の好例と思える。そこからは、何らかの囁きが発せられていないか。大切な何かを語って来ないか。

 原作小説に当たれば、この店長には“小池宗一”という名が与えられおり、前歴はどうだったかといえば、「あの雨の夜に死体置き場の検死を仕切っていた元マル暴の刑事」(151頁)とある。確かに言われてみれば、映画でも縁なし帽子を被った小池が病院前の駐車場にいて、暴力団員と遺族との切迫したやり取りを遠目に確認しながらも不自然に距離を置く姿が認められるのだった。

 暴力団関係者が乱暴に押し寄せるのを「不審げな態度の警察官を制して」(110頁)入場させたり、団員のひとりの「松浦が小池に挨拶して、何やら情報交換をしている」(111頁)様子を石井は小説中のト書きで描いてもいるから、この当時から小池という男は裏社会に取り込まれていた訳である。こういう脇役の背景を映画では曖昧にぼかしており、小説(台本)の精読なくしては到達し得ない。

 この襲撃場面では、ブレーキ無用と心に決めたらしい石井が説明を吹っ飛ばしている箇所がさらにあって、それはルポライター富田が周到に準備した変装用リアルマスクに関する仔細だ。現実にあるマスク製作会社のホームページには、写真一枚から作成が可能という記述があるが、富田もまた手持ちの写真を提供してマスクの造形を依頼したと想像される。小説中でマスクに触れる箇所を書き写してみる。石井は“不可視”を巧みに操ることがある旨、先に書いたけれど、以下の記述を読むことで納得してもらえるのではないか。

 慶一が大きなバッグの中から、誰の写真で作ったのか、その人とそっくりそのまま、実物大の凹凸まで再現したリアルマスクを三個取り出して二人に渡した。
「ええええ?誰かに似てね?」
「勇人、お前にそっくりじゃね?」
「何処がですか?でも、よく似てるな~ジュニアに」
「俺じゃねって。マッポかな?」
 子供のような笑顔で被(かぶ)りながら、笑いがこみ上げて来て、止まらない。(221頁)

 ジュニアとは大越大輔(桐谷健太)のことであり、マッポは富田のことだ。変装用に警察の制服を準備して来たことに驚き、勇人(東出昌大)と大輔は富田のことを警察マニアと決め込むのだった。仕上がった映画においては上記の問答がほぼ全て割愛され、突如登場したリアルマスクを三人は頓着なく使用するに至るのだが、石井はわざわざ順を追って三人とは似ていないことを説明している。この持って回った台詞はどうだろう。

 おまえじゃないかと振られた富田はこれに答えないから、不自然な空白がぽっかりと捨て置かれる。これから強盗に入る犯人が自分そっくりのマスクを作るはずもないし、実際映画でのそれもルポライターの顔とはそれほど似ていないから、話は尻切れトンボで終わっても無理が掛からぬ道理だ。実在する人間の顔と寸分違わぬリアルさでも、自分らと似ていなければ問題ないのだ。しかし、それにしても誰の顔なのか、どうして説明をしないのか。

 マスクも、それから上の鑑識の身なりで佇む小池にしても、これ等はありありと銀幕上に現われているにかかわらず、さながら目に映らぬ霊魂のごとく“不可視の性格”をもって私たちの意識からそらされ、巧妙に隠匿されている。この油断ならぬ沈黙こそ、石井世界の醍醐味であり怖さと経験的に思う。ふと立ち止まって思案を始めると、これが実になかなか剣呑で奥深い。

 奇妙な会話と前後の流れから私たちは、このリアルマスクの元となった写真は殉職した警官、森澤(富田)慶一の父親の顔を写したものに違いないと今になって確信する訳だ。ふん、それがどうした、と言う声がまた聞こえてきそうだ。最初は私もそうだった。それがどうした、“些細なこと”じゃないか、劇の大勢に影響はあるまい。だが、そこに至っておもむろに指し出される事実を何度か噛み締めているうちに、いつしか恐怖し、どうにも震えが止まらなくなる。

 すなわち、森澤(富田)は父親と同じ服装と父親の顔で殴りこみをかける、そういう捨て身の、露悪的で極めて無謀な、片道切符の復讐劇に一歩足を踏み出しているのであり、かつての父親の同僚で裏切り者の元警官小池を、最初から殺すつもりで狙い撃ちしたという事が無言のまま提示されているのだった。劇中、森澤(富田)の射撃の腕は“熟達”レベルという説明もあるから、あの時、急所を外す事などいとも簡単だったろうにそれをしていない。前作の素人による偶発的な射出とは、外観こそ相似していながら全く異なる事態が発動している。現金強奪ではなく、意識的な人殺しが最初から劇の前半に置かれているのであって、蒼く冷たく燃えさかる復讐の炎が、森澤(富田)という男の全身の穴という穴から吹き上がって感じられる。

 もしかしたら最初から殺すつもりだった男を葬っておきながら、黒々とした歓喜を噯(おくび)にも出さない森澤(富田)は、その後も能面のように表情を閉じ込めながら事件に関わる全てを焼き尽くしていくのであるが、何も森澤(富田)の胸中に限ってはいないのだ。これと似た重大な“不可視”が『GONINサーガ』の至るところに在るのであって、それを多角的に読み解き、上映中は思案が許されなかった空隙を埋める作業を行なうのは重要な事と思う。『GONINサーガ』の世界は確実に変貌する。変貌を経て、そこで『GONINサーガ』は完成する。

(*1):「GONIN サーガ」(石井隆 KADOKAWA/角川書店 2015) 文中の括弧内は引用頁を指す。


2015年10月11日日曜日

“不可視” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(4)~


 こんな場面を想い描いてもらいたい。貴方が馴染みの画廊に足を運んで、一枚の風景画に見入っていたとする。夕暮れの人気のない河原が描かれた10号の作品で、空には雲がたなびき、薄(すすき)が揺れている。水面がきらきらと落陽に輝いている。

 画家が偶然居合わせており、画廊のおんな主人から一緒にお茶でも飲もうと声を掛けられる。挨拶して話を聞くうち、先程目にとまった河原の絵について貴方は質問したくなる。自分のほかに客もいない事に甘えて、少しだけ絵描きの内面世界に近寄りたい、そんな欲張るこころが生まれたのだ。どこを描いたのか、この町の川辺だろうか。画家はこれに誠実に答えた後、貴方に気持ちを許したのだろう、絵の中の光線に亡き家族を重ねていると吐露したのだった。

 さて、貴方は画家の言葉を聞いてどう思うだろう。大概のひとは胸を射抜かれ、わずかに息を止めて静かに頷き、改めて壁の絵に目をやるのではなかろうか。反射して白くざわめく光の粒や雲間からやわらかく射して地に落ちていく帯(おび)状の陽光のなかに、亡き人のまなざしを認めると共に、それを希求して止まない画家の切実な祈りを感じていく事だろう。

 では、これに続いて画家が貴方に向って、ご覧なさい、あの光の右の帯と左の帯に挟まれて細い隙間があるでしょう、そこに居るじゃありませんか、と初めて聞く画家の家族だったらしい人の名前を上げたならどうだ。光ではなく、その脇の隙間とは───どんなに目を凝らしても其処には、空っぽの、何も起きていない、何もいない空間が広がっているばかりなのだ。画廊の主人の手前、貴方は目を細めて絵の方に顔を向けながら、画家という職業の抱える業の深さにおののくに違いない。絵画とはそこまで魂と直結した表現なのか、自分はなんて浅はかだったろう、画布の表面しか見れていないじゃないか、と、もしかしたら自分の不明を恥じ、画家との予期せぬ出逢いを感謝したかもしれない。

 もしも、それが絵画ではなく写真だったら、では、貴方の気持ちはどうであろう。茫漠とした景色の広がる中に、雲間から光が射している。ご覧なさい、光の脇のところ、そこに居るじゃありませんか、と呼び掛けられた直後、あなたはその座を辞したいと願うはずだ。空虚のみが居座って見える風景の奥に、強い調子で故人の立ち姿を指摘されて唖然としない者、恐怖しない人は皆無だろう。

 上の話は私がひり出した下手な例え話に過ぎないのだが、実は似たような打ち明けを私たちは石井隆から、インタビュウ記事を通じて何度か囁かれている。劇空間で葬られたはずの者が、明界(このよ)に残る知り合いの周辺に出没することが石井世界では数多くある。もちろん幽霊譚は石井の専売特許であるはずもなく、ジャンルを越えた創作全般に君臨するモチーフであり、これまでも、そして今後も絶えず採用され続ける普遍的な描写に過ぎないけれど、私がここであえて書こうとするのは通常の描き方を遥かに超越した意外な表現手段であって、それを石井は今でも絶えず模索しているらしいという推測だ。

 ここまで書くと石井世界の追尾を行なっている評論家や熱心なファンは気付くだろうけれど、石井は『ヌードの夜』(1993)の終盤で、根津甚八が演ずる行方(なめかた)という男の亡霊をフィルム上に“空隙(くうげき)”という手法で描いた。借金に追われて精神錯乱した男(岩松了)に名美(余貴美子)が銃で撃たれて床に崩れる場面があるのだが、そこで石井は名美の座るソファの隣りに大人一名が座れるだけの空きを用意し、不自然な構図で撮影する事で男の亡霊のそこに身じろぎもせず座り、事の成り行きを凝っと見守っていることを表現してみせたのだった。これは本当に驚愕すべき手法であって、一歩間違えば狂人扱いされかねない危険な描画であろう。

 私は霊の存在を一概に否定しないし、この世に彼らと交信したり、彼らの姿を日常空間で目撃している特別な素質の有る人がいても不思議はないと考えている。しかし、現行の撮影技術では霊体を明確な対象として定着させる術はなく、仮に劇空間に彼らを登場させる場合には生きた役者であれ、ギミックを用意し、また、光や音響を駆使して輪郭を揃えることで“可視化”するより他ない。太陽光や虹、星のまたたき、流れ星、蝋燭の火のゆらぎ、一陣の風、はためくカーテン、時には空っぽの空間に向って話し掛けたり耳を澄ます人物を配置し、自然描写と広く呼べるものを代用して画面に宛(あて)がい、霊体の“可視化”を試みていく。

 今のところは“不可視”なものはとことん“不可視”なままであり、銀幕に映されない存在である以上は、どうにかこうにか手段を講じて“可視化”した上で観客に差し出すより仕方ないのであって、これら技巧なくして霊体の出没を第三者に伝えることは難しいのだけれど、『ヌードの夜』において石井は禁じ手とも呼べる“不可視”の提示に踏み切った訳である。

 さすがにこういった大胆不敵で分かりづらい、というよりも石井が開示せぬ限りほとんど誰も分からない表現手法を、その後の石井は自らに封じて来たのだけど、それでも彼ならではの創意が続いているのは最新作『GONINサーガ』(2015)を観ても明らかだろう。

 霊魂の出現や心霊現象はオーソドックスな方法を採った『GONINサーガ』だったが、それとは別に人物の描写において、“不可視的領域”とでも称すべき暗部が広がっている。すなわち、観客が観賞中には掌握し切れないか、はたまた観客の目や耳からは隠蔽された“見えざる情報”が幾つも有るのに、石井はそれに逡巡することなく、いや、むしろ確信犯的に、物語中に一気呵成に押し込み、最後まで突き進むという不敵この上ない筆づかいに撤している。説明が過多との感想が多いけれど、私の目と耳には全くその逆であって、これ程までに暗闇の色濃い作品はあまり無いように思う。

 玩読(がんどく)する時間を与えられぬまま、私たち観客は凄まじい銃撃戦を次々に目撃し、身体をうち震わせながら座席に取り残されるのだけど、その後で原作小説本の行間を読むなり、残像を繋ぎ合わせ、再度劇場に足を運ぶことでようやくそこで現況や過去、登場人物の心理が“可視化”されていく。いよいよ熟考と推測が私たちの内部で開始され、自分なりに答えを導く次元に至ったとき、『GONINサーガ』はさらに酷烈な地獄の口を開いていく。



2015年10月7日水曜日

“ガーベラ”

 先日、車で帰宅の際、家に近づくにつれ、手前三十メートルあたりから違和感に襲われた。黒色のこんもりした物体が玄関脇に置かれてあり、直ぐに不吉なものと分かった。これから行なわなければならない一連の仕事を思うと、ひどく気が滅入った。

 案の定それは手足を投げ出した動物の骸(むくろ)であり、なんと白鼻芯だった。尻尾まで含めると三尺ほどもある立派な成獣で、茶色の毛並みは艶があり、よく肥えている。目を見開いて口をゆがめているのが少し苦しそうで哀れだったが、大きな傷口はなく、ぱっと見は血だまりもない。後で分かったのだが反対側の地面に接した口の端から滴ったものがあって、シングルレコード程の大きさに広がっていた。

 周囲を見渡すと道路の真ん中で衝突したのは明らかで、其処のところだけ重吹(しぶ)いた痕があった。車の往来が途切れるのを待ち、寄って立ってみれば、けれど凄惨な感じは全然なくって、真っ赤な一輪のガーベラの花弁が散ったような、ささやかな真紅の痕なのだった。おそらく白鼻芯はそこでぶつかった後、我が家のところまで走って来て、そこでついに力尽きたものと思われる。

 家族に知れて悪戯に騒ぎ立てられるのは面倒だし、気持ちの上でも波が起きるのは避けたかった。大きめのビニール袋を物置から持ってきて、シート越しに細長い身体を素早く持ち上げ(結構重たかった)、念仏など唱えつつ二重に袋で包み込み、ダンボール箱の中にそっと仕舞ってやる。衝突地点は車の行き来もあるし、とりあえず家の前の血だまりだけをバケツに水を何度か汲んで往復し、洗い流し、形跡の除去に努める。血はさらさらしてまだ軟らかく、そう時間も経っていないらしかった。

 役所の担当部署に引取りをお願いしたのだったが、その際に公共の場、すなわち道路上に屍骸がないと持ち帰れぬ規則と言う。直ぐに回収車を立ち寄らせるとのこと。やって来た職員との押し問答は面倒だから、事故の現場はそのまま温存すべきと考えた。また、実際のところ、道の真ん中までバケツとブラシを携えて行き、ごしごしと清掃するのがやり過ぎの気持ちもして、あとは雨に任せよう、自分の役目はこれで終いと思った。しばらくするとピンク色の回収車が現われ、可哀相な白鼻芯を詰めた粗末な紙の棺(ひつぎ)はどこかへと運ばれて行った。

 あれからまだ雨は降らず、落花とも花火とも見える痕跡は道路に貼り付いたままだ。道行く車も歩行者も、自転車で通学する高校生も、まるで気付くことはなく其処を通り過ぎていく。一個の命が残した印を、私以外の誰も分からぬまま走り去り、やがて幾度か雨が降れば、あの四方へと赤く線を描いて飛ぶ最期の名残りも一切が流れ去ってしまい、私でさえ忘れてしまうだろう。

 仮に道路にカメラを向けて撮ったならば、何かが写るものだろうか。一部がほんの僅かに黒ずんでいるだけの、おそらくは至極ありふれた町の風景が定着なるだけであって、空っぽの、何も起きていない、何もいない空間だけが広がっているのじゃないか。あの立派な身体と愛嬌ある顔の獣が、颯爽と道を横切る姿を幻視できる者はほとんどいない。空虚のみが其処に居座っている。

2015年10月4日日曜日

“橋面(きょうめん)から見下ろすもの” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(3)~


(注意 物語の結末に触れています)

 『GONINサーガ』(2015)という河には三層があって、水底の流れ、水面の流れに加えて、もう一箇所、さながら川をまたぐ橋の上の方から無言のままたたずみ、じっと下方を見つめる集団が居る。知っての通り“死者たち”なのだけれど、劇中の何処にどんな容貌、いかなる風情で出没するかはあえて書かない。

 強調したいのは、石井作品の劇中において、死を経て霊体化する現象には事欠かないという点だ。『月下の蘭』(1991)、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)、『ヌードの夜』(1993)、『GONIN』(1995)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(同)という作品には先に逝った者が遺された者の“始末”を手助けするがごとく不意を討って出現し、去来する様ざまな想いをこめた瞳で凝っとこちらを見やる場面が登場する。石井作品には霊的存在との共存が常にあって、だから今回の劇中の彼らにつき違和感を一切感じなかったのだけど、19年を経て執拗にまとわりつく彼らの存在感が際立っていて、『GONINサーガ』(2015)という作品の影の主役となって感じられる。

 『GONINサーガ』で明確に実体化した霊魂(および霊現象)につき、私たちはどのように捉えるべきか。考えを若干整理してみたい。それは当作のみならず、石井隆という作家の死生観や彼の創り出す物語全般の見方を探る上で意味ある作業と思えるからだ。

 これまでの石井の劇において、話の大前提として、彼らが実存しているのかどうか、これさえも曖昧であった。熱病や狂気(臨死体験を含む)に侵された者の幻影という状況説明がほとんど並走しており、観客に限らず劇中人物も判断の留保を余儀なくされる。(*1)  明確に自分自身を霊と名乗ることはないのだし、現れたら現れたで、なんとなくその思いの丈を窺い知ることは出来そうなのだけど、目的があるのか無いのか判然としない場合が多いのだった。あまりに唐突に出現して、表情も乏しく、やがて煙のように消え失せてしまう。 

 復讐のために明界(このよ)に舞い戻る「四谷怪談」であったり、処刑される恨みを晴らさんと末代まで祟ってやると絶叫し、それがきっかけで摩訶不思議な物語がスタートする「南総里見八犬伝」の玉梓(たまづさ)のように、霊的なるものが確固たる名乗りを上げ、その強烈な意志や主張が劇の主軸となることは物語空間では膨大な数としてあるのだけど、石井の劇では一見、怨みや祟りが物語の燃焼機関となって燃え盛ることはなく、たたずむ者、見つめる者としての立ち位置を彼らはほとんど崩そうとしない。一貫してその辺りは変わらないのではなかったか。

 しかし、今回の『GONINサーガ』では手を変え品を変え、複数の霊術が挿し入れられており、随分とにぎやかな印象を受けるのだった。これは、今作の目立った表情と言って差し支えないように思う。全くもって騒々しい彼ら(それ等)を強いて呼ぶなら、はてさて、幽霊なのだろうか、それともお化けなのだろうか。怨霊とでも呼ぶべきまがまがしき存在なのだろうか。だいたいにしてそんな色分けが石井世界で為されているものだろうか。

 古い本になってしまうが、「日本の幽霊」池田弥三郎著(中央公論社 1959)を手元に置いて助力を乞う。これと同じ姿かたちのものが、生前の井上ひさしの書庫にも収められていた。あちこちに細かく丁寧なメモ入りの紙片が挟まれており、熱心に消化した形跡があったのが瞳に焼き付いているが、なるほど池田の文体は軟らかく、体系付けて書かれており分かりやすい。論じる速度も緩やかで浮力もあり、凡人の頭でも至極読みやすい。

 池田によれば日本の“ゆうれい”の特色は、「相手がどこにいようとも、特定のその人の目前に現れようとしたら、どこへでも出て来る」(31頁)事だそうである。「人を目指して出現する」これを「幽霊」という漢字を当ててはどうかと説いている。

 また、「雨月物語」の「浅茅が宿」の女の“ゆうれい”は七年以上の別離の間、主人の帰りを待ちわび、また、「今昔物語集」の巻二十七の「人妻、死して後に本の形にとなりて旧夫に会う物語」ではどの程度の月日かは書いていないが、「男のいる任地へなり、出かけて行ったらよさそうなものなのに、出かけないでじっと待っていた」律儀なものとして描かれる。「そのゆかりの土地、場所において、この世に執念の残る者」であり、この手の“ゆうれい”は時として「人を選ばない」、「その場所に偶然行き合わせた者なら誰でもその怪異にぶつからねばならない」存在となっていく。「その代わり、この方のゆうれいに会わないためには、そこを出ると知ってさえいればいいわけで、そこに行くことを避けさえすればいい」のである。池田は先の「幽霊」と区別して、こちらを「妖怪」と称した上で考察を深めていく。
  
 面白いのでもう少しだけ書き写したいのだが、池田はこの「幽霊」と「妖怪」に共通する論点として「恨みのあるなしということが重なって来る」のであり、特に「幽霊」ともなると大概が恨みを持っているがゆえに、常識的に「恨めしや」と言いながら出現する、それが世間一般での考え方と読者に同意を求めていく。確かにそう思わざるをえない。怪談映画のぞっとする場面をたくさん思い出す。

 しかし、ここからが池田の秀でたところで、間髪いれず生前の泉鏡花と交わした会話内容を振りかえり、どうもこの常識的な幽霊像が「ある一部に極度に発達した」ものではないかという疑問を提示し、加えて「歌舞伎芝居」を通じ、特に「敵討ち」の劇を経過することで、「怨霊」として人為的に発動したものらしい、との推察を巡らしている。人が娯楽目的に作った物語が、観客の、さらにはわが国の民俗全般の実態に徐々に影響を及ぼし、「特定の誰彼ばかりではなく、その人を含めた一家一門、あるいはその住む村なり町なりへ、恨みのほこ先が向けられて行く」ように造作されてしまったと結論づける。(38-49頁)

 例外的なもの、特異なものもあるだろうから整然と区分け出来る分野でも当然ない訳だけど、本来の日本的な“ゆうれい”、古くは“もの”(もののけ「物の怪」や、もののふ「武士」というように展開)と呼称された精霊のような存在は、そこまで恨みがましい黒々とした影を引きずってはいなかったらしい。そりゃそうだろう、誰もが深い恨みを抱いて死ぬ訳ではないのだし、けれども誰もが現世にほんの少しの未練を残して命日や盆には生者の元に帰還する。それが私たちの隣人の本来の姿だ。日頃は漠然と恐れていた彼らを、少し身近に、等身大に感じられて得難い読書であった。

 もちろん読んだ目的は石井世界での、何より『GONINサーガ』での霊示や霊障を考える時間であったから、読み進める流れのなかで次々と記憶と知識が結束して随分と刺激を受けている。結論から言えば石井作品での幽霊譚は、『ヌードの夜』(1993)がその代表格だけど、想いを残した人に対して憑くところがあって、現世のあちこちに建っている家屋に住み着くような「妖怪」では決して無いように思う。劇画のタナトス四部作や『フィギュアのあなた』(2006)のような、彼らが住まう夜の廃墟は既に越境を果たして後の冥界(あのよ)であるか、生死の境界上に裂けたほころびと決まっているのであって、未練がましく明界(このよ)の現存する不動産物件に身もこころも縛られては見えない。

 恨みを深く抱き、祟(たた)ることも皆無なのであって、池田の指すところの古き“もの”に性質は極めて近しいように思われる。たとえば劇画【黒の天使】(1981)で主人公のおんな殺し屋が営むスナックに夜霧とともに出没する被害者たちは、誰もが押し黙ってカウンター席に座るのみであって、これからおんなの身を襲うだろう数奇な運命を微かな片笑みを作って暗示するばかりだ。彼らは乱暴ではなく、どちらかと言えば非力だ。

 石井の作品を観ていて常に感じるのは、人間という存在に対する全幅の肯定なのだが、この視線がそのまま滑空して死者へも行き着いている。彼らは現世を破壊しに舞い戻るのではなく、運命悲劇に苛まれる知人や家族を常に見守る存在となり、時々はほんの少しだけ力を貸していく。『GONINサーガ』の彼らも、だからそのように捉えて良いのではなかろうか。

 言語学を学んだ身でないので勘違いと笑われそうだけど、石井作品全般の雰囲気を簡潔に表わすならば、それは通常の領域からほんの少し強めであったり、ほんの僅か逸脱したりした表現の連結ではないか。つまりは“物”寂しく、“物”悲しく、“物”狂おしく、“物”恐ろしい描写となってはいないか。石井作品とは作者本人が意図したにせよ偶然にせよ、精霊にあふれた風景の連なりと思う。

 長々と書いてしまったが、このたびの『GONINサーガ』の“物”凄い描写の釣瓶打ちは、複数の死者に常に見守られた現場(劇としても、もしかしたら現実としても、)であったように受け止めている。そこを汲んで鑑賞すれば、銀幕の表面積はぐんと広がり、私たちをすっぽりと包み込むだろう。愛しさと儚さが添い歩んで、なんとも言い得ない涙が流れた。

 別の本、加藤耕一著「「幽霊屋敷」の文化史」(講談社現代新書 2009 125-147頁)によれば、18世紀末に発明された映画の前身とも呼べるファンタスマゴリー Fantasmagorieは、鎌を手にした骸骨や革命や政争で露と散った死者を投影する幽霊ショーであったらしいから、映画という道具は本源的に死者と出逢うように作られている。確かにそんな感じを受ける。『GONINサーガ』を観る時間は、死者のことを各人ひとりひとりにじっくり考えさせてくれる、そんな貴重なものとなっている。

(*1):暉峻(てるおか)康隆の「幽霊 メイド・イン・ジャパン」(桐原書店 1991)の中では、明治の開国にともなう近代教育によって、怨霊信仰は「迷信として退けられ、あるいは錯乱状態における幻影と解釈されるようになった」のであり、その末にかろうじて演劇や話芸といった娯楽として生き延びたと解説されている。(198頁) 亡霊に悩まされるのは、その人が神経病の患者となった証拠な訳である。石井の劇ではこういった病理学的な要素を常に盛り込んでいながらも、死者に対する怖れや憧憬を完全には断ち切れていない。西洋的近代的な論理と日本独自の民俗信仰の狭間に置かれた朦朧状態となっており、それは私たちそれぞれの根本に横たわる不透明感としっかり同期している。全くもって見事な、現代日本人の等身大の鏡像と呼べそうに思う。 

“釣り人と野獣” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(2)~


(注意 物語の結末に触れています)

 父親たちの流した血や精の臭いに曳かれるようにして、若者たちが鮭のごとく過去へと時空の川を遡上していくのが『GONINサーガ』(2015)の印象と先に書いたが、スクリーンに再度目を凝らせば、岸辺の岩陰に潜んでいる別の存在のあることに気付く。喩えるならば“釣り人”に当たるのが菊池麻美と呼ばれるおんな(土屋アンナ)であって、これがなかなかの曲者であり、また同時に実に健気な娘でもあって、ここに視座を据え直して観る『GONINサーガ』はかなり強靭で貪欲な復讐劇へと開花していく。

 石井隆は土屋の創る表情に、一瞬だけ前後の拍子とは異なる不穏なる一拍を刻んでみせるのだが、それは古くから石井世界に注視している読み手には馴染みの【おんなの顔】である。過去の石井の例えばどの作品と連環するかは先日の「キネマ旬報」誌(*1)に書かせていただいた通りだ。名美的人格を具えたおんなが世界を破滅に追い込む、石井劇の典型的な色調が『GONINサーガ』にはさりげなく宿されている。

 華奢な体躯に想像を超えた瞬発力を湛えたその白い肌の釣り人は、岩陰に隠れ、網を張り、時にはウェーダー(胴長靴)をまとい川に半身を浸しながら、水面下に群れ集う鮭たちを一網打尽にすべく息を止め、とげとげしい気配を柔肌の奥に消していくのであって、そのとき川面(かわも)は水鏡となって、そんな孤独な狩猟の路を選ぶしかなかったおんなの影を映していく。善と悪、衝動と打算、自己愛と献身、さまざまに分裂するおんなの容姿を鏡面が映し出し、複雑な光を幾重にも反射し続ける。

 地位と異性をめぐって、ばちゃばちゃと水しぶきを上げながら同士討ちを続ける男たちの様子を一歩高い場所から覗き見しながら、この美しい釣り人は内心してやったりと微笑んだのかもしれないのだが、石井は背後から黒く獰猛な「運命」という凶暴な野生熊を解き放ち、けしかけ、川底でのたうつ瀕死の鮭たちを大きな爪で切り裂き、ついでこの釣り人も血祭りに上げている。川辺に下り立ち、容赦なく魚影を襲い、おんなの細いのど笛に喰らいつく羆(ひぐま)化した演出家のまなざしに、恐怖とも安心とも区別のつかぬ長い溜め息をついてしまった。無残この上ない逆襲劇、逡巡の間を許さぬ窒息感こそが石井隆の「風景画」であって、大作『GONINサーガ』に隠されたダブルイメージとなっている。

 物語の顛末に関わるので詳細は伏せるが、土屋アンナという人間が持つ彼女本来の才覚は、劇中の役どころ、麻美の出自や気性と隙間なく合致しており、輸血管を通じて血液を交換するが如き一体感が築かれて絶品と思う。喝采に値するキャスティングであって、明らかに作品の体温を数度上げている。この点も含めて『GONINサーガ』は、石井世界をしたたかに貫く女性映画の奔流の確かな一滴として記憶に長く留まるだろう。

(*1):「キネマ旬報 2015年10月上旬号 №1699」 34-35頁

“遡上”~『GONINサーガ』が奏でるもの(1)~


(注意 物語の結末に触れています)

 暦を一枚めくると、夏の余熱が街路から失われ、肌になじんだ大気が途端に冷たさを増して感じられる。あんなにも優しかった愛撫が、容赦ない平手打ちへと一変する。呆然して口をつむぎ、しばらくは思考が滞(とどこお)る。

 いつもそんな端境(はざかい)の時期に当たるのだけれど、住まいからごく近い場所を流れる、幅は大して広くはない川を、鮭の一群が遡上(そじょう)する様子が観察される。橋の欄干から身を乗り出して川面(かわも)に目を凝らすと、黒い魚影がいくつもたゆたい、うち何匹かは雌を追いかけて盛んに周回している。生殖を目的として集う彼らからは盛んなエロスが放射されるせいもあって、見ると決まって興奮を覚える。それより何より、この地が80kmほども内陸にあり、沿岸部から遠く離れていることに心底驚く。周囲は緑濃い山波に覆われている。よくぞここまで泳ぎ着けたものだ、と見下ろす度に感に堪えない。

 どうしてこんな事を書くかと言えば、先日観た『GONINサーガ』(2015)がつよく連想を誘うためだ。まだ観ておらぬ人に対して非礼とならぬよう、輪郭なり全般的な色彩につき語るより仕方ないのだけど、『GONINサーガ』という映画には“遡上”のイメージが付きまとっている。いや、構造上ありありと刻印されてもいる。冒頭で何を描き、結末に何をどのような手法で置いたのか、その点だけでも作り手内部の遡行しようとする劇構造が十分に読み取れる。

 もっとも、これは個人の抱いた心象にすぎないから、人によっては全然違って見えるかもしれない。たとえばウェブを手探ると、膨大な感想がゆらゆらと立ち昇るのを遠目にできる段階なのだけれど、その中には“底”から“天”へと突き抜ける上昇流を目撃してしまった人もいて、なるほど、そういう捉え方もあるかと感心してしまう。そもそも映画という媒体は、多層性や多面体であることが肝だろう。百人いれば百様の『GONINサーガ』が産まれるのが理(ことわり)だ。どのような反応を生じても不正解がないのが『GONINサーガ』という映画なのだけど、いまの私は“天”を仰ぐことが適わずにいる。劇中に点在するのは、物狂おしいまでの横移動だったからだ。上昇運動をそれとなく抑制し、観客の感情を軽くしないように工夫する演出が見受けられた。

 『GONINサーガ』に繰り返される横移動は、暴力的な襲撃場面や、瀕死の人物が床を這う動作に代表される訳だけど、思い返せば石井作品において横移動というものは、忌まわしさ、死へと傾斜を深める踏み台として機能していた。失神寸前で廃屋に引きずられてゆく者、たとえば『甘い鞭』(2013)での間宮夕貴であるとか、今際の際にある男が運命の相手と信じるおんなに這い寄ろうともがく、たとえば『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督池田敏春)での阿部雅彦や『花と蛇』(2004)の石橋蓮司などが石井世界の横移動の極北として在るのだが、そのために私の奥では緊張を強いられてしまって最初から最後までどきどきさせられ通しだった。

 石井作品の過去作には稲妻のごとき走り、陸上短距離選手に似た疾走描写もあり、『GONIN』(1995)でバスターミナルから逃げ出す本木雅弘や、『黒の天使 Vol.2』(1999)の開幕を飾った天海祐希の姿勢の良い駆け姿を瞬時に思い出すのだが、『GONINサーガ』のそれは似た状況ながらいつもと風合いが違っていた点は特筆すべきだろう。若く強靭な肉体が右往左往していく様子であって、こういう何処に転がるか先が読めない左右に揺れた歩行の畳み掛けは石井作品ではあまり前例がない。足裏が地面に着かない仮死状態であるならば、こちらもすっかりまな板の鯉と観念して流れに身を任すことになるのだけれど、『GONINサーガ』は私たちの推量や得心を蹴散らす強固な迷走感をそなえている。

 目撃するのは、銃火にさらされ、緊張にこころをぺしゃんこに潰され、砲弾の雨に逃げまどう前線のとりわけ塹壕戦での兵士の風体なのだった。例をあげれば中盤に挿し込まれる賭博場での銃撃シーンなんかがそうであって、長い通路をひた走る東出昌大(ひがしでまさひろ)の背中は丸まり、床面に手を付くような超低空飛行の体であって、格好は見た目にはあまりよろしくない。

 旧作でも主要な舞台となったディスコ「バーズ」のダンスフロアの床下には暗渠めいた隙間があったという設定で、そこに彼らが潜入する場面があるのだけれど、間狭なセットに押し込められ苦労して移動する若者たちの様子なども含めて、戦争映画に似た手触りがある。「キネマ旬報」に連載された撮影日記(*1)から、この「バーズ」の基礎部分の天井の低さは意図的にぎりぎりまで縮めた結果なのだとも分かっている。

 『GONINサーガ』で顕著なこの“匍匐(ほふく)前進”に近しい重量感ある平行移動のイメージは、だから石井によって執拗に、かなり意識して仕込まれたと言えるだろう。「バーズ」のダンスフロアは広い階段を登り詰めた上層階にあるはずなのだが、床下への潜入時にはエレベーターを使っての昇降場面を一切省き、あたかもダンスフロアが段差のない一階に位置すると錯覚させるような巧みな編集さえ施しているのであって、結果的に私たちの気持ちを地べたに縛りつけることに成功している。

 『GONINサーガ』を鮭の遡上と重ね見る理由は、以上にあげたような幾度も挿入される前傾もしくは腹這う姿勢での切迫した局面や、はげしい風雨に抗う者たちの“のたうつ”ビジュアルが有るからだ。痛手を負い、もがきながらも歩みを止めない劇中の若者たちと、背びれや胴体の上部を危険な水上に晒し、浅瀬のごつごつした岩に腹をぶつけ、おびただしい切り傷を負いながらも“源流”へむけて死に物狂いで遡上する魚たちの様子は通底するところがあり、あながち的外れな連想とは捉えていない。

 だいたいにして映画『GONINサーガ』は、母親たる存在が一部描かれはするものの、圧倒的に父親にまつわる思慕、憧憬に終始している。胎内回帰の物語ではなく、放精(ほうせい)に対する幻視や本能のささやきが後押しする母川(ぼせん)への旅の物語と捉えてよい。(*2)

 父親たちの生き死にが描かれた旧作『GONIN』が、幕引きの長距離バスでの都落ちが象徴するように、上層から下層へと流れ落ちる話であったのに対し、『GONINサーガ』は現在から過去へと、彼らの肉体と精神の今を形成した特別な刻(とき)と特別な場処へと旅していく。生命の焔(ほむら)が最もかがやく繁殖期の鮭たちと同様に、『GONINサーガ』の若者たちも怖れを知らず、死を意識せず、ひたすらに水流を縫って川上を目指すのであって、その辺りもまた石井世界にあっては特殊で猛々しい顔立ちとなっているのが大変に面白かった。

 物語にうごめく人物は幾たりかを除いて泰然として血色よろしく、自尊心を持った者として描かれたのも、石井の劇世界においては異色であった。彼らは社会の不適格者、運に見放されたもの、捨てられた者、常軌を逸して後戻りできない者とは自身を完全には見切っておらず、苦境のなかでも目線を下げることがない。これはバブル終焉から年数が経過し、社会人となった当初から辛苦にまみれて暮らしている2015年現在の若者像に同期するところであって、この逞しさ、したたかさを実にリアルなものと受け止めているところだけれど、そんな活きの良い若い世代の俳優たちが、活きのよい役柄を演じつつ見せる豪快な泳ぎを見るのが『GONINサーガ』鑑賞の心得と言えるだろう。

 ここまで書いてしまうと、なにやら『GONINサーガ』とは今をときめく東出、桐谷健太(きりたにけんた)といった男優たちが逆三角形の締まった裸身を惜しげもなく晒してする水泳大会と思われてしまいそうだが、石井隆は人間という存在の“始末”について当初から描き続ける「血の作家」である以上、穏やかなまま彼らが泳ぎ切れるはずもないのは自明であって、そのあたりは決して譲らず、断固たる仕上げを行なっている。それが何時にも増して凄絶で驚いた。

 放精と産卵を終えると急激に衰えを見せ、あれほど生命力を充溢させていた鮭たちは一週間足らずですべてが死に絶える。これを“弊死(へいし)”と呼ぶらしいのだが、遡上を果たした『GONINサーガ』の若者たちも当然ながら浅瀬に打ち上げられるようにして、唐突な死を迎える。昨今の映画雑誌を飾るグラビア然とした綺麗ですがすがしい終わりを用意することなく、生臭さを幻嗅(げんきゅう)させる血と水がどろりと混ざり合った汚水に彼らの骸(むくろ)は捨て置かれるのだが、その一切の遠慮の無さがやはり映画監督にして画家石井隆の到達点なのだ。当方のひそかに準備した脳内ビジュアルを軽々と凌駕してみせて、ただただひれ伏す気持ちでいる。

(*1):「キネマ旬報」2015 9月下旬号 №1698 「新たな伝説のはじまり「GONINサーガ」最終回 撮影日記Ⅲ 阿知波孝 鈴木隆之」 
(*2):発売中の原作本「GONIN サーガ」(石井隆  KADOKAWA/角川書店 2015)を読むと、登場人物それぞれの行動の動機に母親の存在が密接に関わっていると分かってくるので、単純にこの物語を父と子をテーマにしているとは言い切れない。しかし、怒涛のような映画を面前とした場合、自ずと浮き彫りとなるのは父親の方ではあるまいか。

2015年9月2日水曜日

“ナルキッソス”~「別冊プラスアクト」 東出昌大×石井隆


 大地に横臥して、満点の星空を仰ぎ見る。うす墨で半紙に一文字を引き、そのにじみ具合をカメラで撮って白黒反転させれば、きっとこんな具合になるものだろうか、天空の河がゆらゆらと白く霞んで視界を縦断している。まばゆい光跡がすぐ側をかすめていく。いくつも、何度も、それを目で追いながら、頭に巣食っていた憂鬱なことごとをしばし忘れた。自分が負っている苦労など、宇宙の中では塵あくたに過ぎないと思う。

 前照灯の先に野兎が不意に現われ、ばたばたと跳躍する、そんな真夜中の小道を登ってきた。どっぷりと沈みこんだこんな山腹まで至ればこそ、ようやく見えて来る儚い光たち。何万年も旅してきたかもしれない星屑の終焉、最期のともし火。よく言われる喩え話だけれど、明るければ何でも見えるわけではなくって、むしろその明るさが視界の邪魔をすることって往々にしてあるものだ。見えないからといって、存在しないとまでは言い切れない。闇に足を踏み入れ、はたまた穴に蹴落とされて、そこで目を凝らすことで色んなものが見え始めることがある。そっと息づき、身を硬くしてこちらを窺っている存在にようやく出逢える。

 わたしは石井隆の作品を大切に、大事に観続けているつもりだけれど、そのように気持ちを集中することで、時どき流れ星のようなものに出くわすことがある。いや、何も特別な場処に招かれるとか、図書館の蔵書のかげにとんでもない発見をすると言った大袈裟なものではない。一介の読み手に過ぎないから、手に持ち、銀幕で真向かうものは、誰もが目にする一般的な事物に過ぎないのだが、そこに見過ごし得ない閃光を見てしまう。一瞬後、目の奥や胸のうちが煌々と照らされる時間が訪れる。

 先日も「別冊プラスアクト」という雑誌(*1)を読んでいて、これは眼福、素敵な眺めだ、とうれしさの余り膝を打った。この号には「東出昌大×石井隆」という両者の対談が採録されており、これはもちろん新作『GONINサーガ』(2015)の宣伝の一環な訳なのだが、合わせて載せられた写真数葉がなんとも魅力的なものだった。

 床から背後から、目に留まるすべてが重たい調子の暗幕で覆われたスタジオにて撮影されていて、腰をおろした東出の手前には大きな鏡が、冷えた面(おもて)を天井にむけて横たわっている。東出の様子が鏡に映じて、さながら水辺に休息する牡鹿か、水面にしだれる忍冬(すいかずら)のような風情だ。

 この構図は石井がこれまで幾度も自作に採用したものであって、挿絵や劇画作品の扉絵、そして映画にも反復して登場している。たとえば劇画作品【聖夜の漂流】(1976)、【赤い教室】(1976)、【停滞前線】(1979)の各扉絵(*2)や、近作では『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の冒頭や、そのメイキングDVD(*3)のカバー画像がそうだった。カラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio が描く「ナルキッソス」にも似る、闇、鏡、屈んだり座った人体、鏡像、両者を斜め上から捉えた構図。寂寂たる湿霧に包まれながら、鏡面もしくは水面と一個の人体が向き合うこの絵面(えづら)を、石井はとても好んで描き続けている。

 単なる偶然ではないように私は思う。たまたま意図せずに編集者が求めたのであれば、それはそれで面白い星めぐりであるのだし、意図的に“石井世界”の再現または連結を図ったものであるなら、これは記憶にとどめて良い大きな波紋であろう。撮影は本多晃子(ほんだあきこ)とある。映画の演出にも挑む新進のフォトグラファーのようだ。透明感のあるポートレイトを得意とし、実績も手堅く積んでいる。信頼を得て、多くの若手俳優が身もこころも任せているようだ。

 撮影の前後には石井も同席したようであるから、そこにはさまざまな想いが交差したのではあるまいか。東出と本多が石井世界に敬意を表した可能性もあるし、石井がコンセプトを任せられ、東出をふたたび自身のふところに招いたのかもしれない。この辺りの経緯は私たちには分からないのだけれど、こういう不思議な符号は見るだけで嬉しいし、なにより楽しい。

 これから先、いくつこんな流れ星にめぐり合えるだろう。まだしばらくは、この夜の遊歩を続けてみよう。転ばぬように、熊に咬まれぬように注意しながら、歩けるだけ歩いていくつもりだ。


(*1):「別冊プラスアクト」第21号 「東出昌大×石井隆  19年という“時の旅”を経て『GONIN』シリーズが復活!『GONIN サーガ』主演・東出昌大と監督・石井隆が今作の撮影を振り返る」
ワニブックス  2015年8月21日発売
(*2):これら石井劇画の扉絵を模したのが、『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督池田敏春)のポスターだ。背景のホリゾントに鮮烈な赤を配しており、石井の静謐な空気感とはすこしだけ乖離があるけれど、石井世界の良き理解者であった池田だけに丁寧な仕上がりだ。同心円の波紋を描いて、今に至るまで共振をつづけている。
(*3):『女優・喜多嶋舞 愛/舞裸舞 映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」より』 東映ビデオ 2007


2015年8月15日土曜日

“転回点”


 『GONIN』(1995)の公開から12年を経た2007年、いまから8年ほども前になるのだが、DVD3枚組の「GONINコンプリートボックス」が発売された。収録された『GONIN REAL EDITION』はリストアが為されて情感と艶色がいや増し、複数のバージョンを持つ『GONIN』の、現時点での決定打となっている。加えて石井隆と撮影の佐々木原保志ほかによるオーディオコメンタリーが収められており、撮影と編集の妙をこまめに開示してみせて実に愉しいものだった。

 たとえば目出し帽をかぶって暴力団事務所を襲撃する場面で、五人組のひとりがテーブルの上に飛び乗って走るくだりがある。実物はわずか2メートルかそこらのテーブルであるのに、カットの切り貼りによって体感する広さが倍化している。ばたばたと全力疾走する男の様子に私たちは目を奪われ、不意討ちされた組員とともに目を丸くし身体を硬直させた。また、雨音ざわめく闇夜を本木雅弘演じる青年が銃を懐手に駆け寄ってくる場面においても、足元のアップやミドルショットを幾重にも繋いで、実際は7メートル程に過ぎないアスファルト道路を無限の空間に変えている。本来の時間を二重三重に膨らませて、襲われる側の困惑と襲撃者のもどかしさを演出したのだった。見事な手わざと思う。

 上が好例だけど、映画や劇画、さらには小説や詩歌の時空というものは、ときに意図的に捻じ曲げられ、縁日の飴細工のように伸び縮みを繰り返す。先に上げた【雨のエトランゼ】(1979)の永劫たる一瞬、つまり自由落下の途上にある名美と、室内に残された村木とがまなざしを交わし、そこにおのれの存在意義をすべて託すような奇蹟の瞬間は、この観点に立てば十分に起こり得る場面であるのだし、まさにそれこそがフィクションの外連(けれん)であり、物語に身をゆだねる際の醍醐味とも言えるだろう。

 先に書いた個人的な体験(スカイダイビングでのフリーフォール)と石井の創造空間を単純に比較するのは、だから、野暮天以外の何ものでもない。その点はむろん承知だし、何より【雨のエトランゼ】の輝きはそうたやすく失われるものではない。作者の介添えがあって、あの雨の夜に時間は歩みを止め、名美と村木は刹那見つめ合って魂の交感を果たしている。

 ただ、現実に自由落下を体感した身にとって、従来の劇空間がほんの微かに変容を来たして見える点はこれもまた嘘のない事実であって、単純にフィクションだから、劇画だからと割り切ることが出来ないでいる。

 遊びの一環でいんちきの身投げをした私ですらこの始末なのだから、実際に事故や災害で墜落なり転落を味わった人であればなおさらであろう。投身に限ったことではない。自死という節目の付け方を誰かが選択するのを面前とし、これに共振をもって応えることは年齢を経れば経るだけ難しくなる。家族や知人を看取る経験がひとつ、またひとつと増すに従い、どうしても死の概念は弾力をうしなって人は甘い夢を寄せなくなるものだ。

 紙面やデジタルデータに貼り付けられたままで身動きできないフィクションに対し、私たちの方が角度や位置を変えながら見ていくものだから、当然、物語から発せられる反射光もまた強弱なり色調を変えていかざるを得ない。年月は人を変え、人が変われば世界の面持ちも変幻する。それは仕方のないことだし、また、一方では面白いことと思う。
 
 蜜月の終了や様相をまるで違えて見える再会は、何も私たち読み手と作品との間にだけ生じるのではなくって、生身である作者と作品との間にも頻繁に起こっていく。ひとりの作り手がほぼ同じ手法と題材で何ごとか連作した場合、最初の頃と画風の転換するのは、思えば当然の話だ。石井隆の作歴を辿るとき、ある時期から作調にあきらかな変奏が見止められるのは、恐らくはそんな理由による。

 そこには、自死に対する頑なな抑制が視とめられる。石井当人の内部で死の概念が弾力をうしない、甘い夢を付帯させることが難しくなっている。『ヌードの夜』(1993)、『夜がまた来る』(1994)、『フリーズ・ミー』(2000)で描かれた死は救済の色調を湛えていたのだったが、石井はこれを封印して、代わって狂気への渇望と最終逃避の道程を描き始める。『花と蛇』(2004)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(2013)といった作品に佇立する狂気は、かつてはドラマチックな死が居座ったポジションであった。

 この折り返しに一切触れぬままで石井世界の深察に入れば、やがて大きな誤読をもたらす可能性が高いように思われるし、それは来月いよいよ公開される『GONINサーガ』(2015)を読み解く上でも絶対に避けられない重要点ではなかろうか。


2015年8月14日金曜日

“墜落”


 スカイダイビングの入門体験に臨んだ私は、方向の異なる複数の目的を抱えていた。

 身近にのっぴきならない事態が起きており、死という非常出口に向って傾斜が深くなっていた。直ちに実行に移す元気はなかったが、予行練習とまではいかないものの一体全体それは如何なるものか、シルエットや気配なりを味わってみたかった。

 夏の空にわたしをいざなったジャンパーの、その物腰や口調に、独特の硬さと金属を連想させるひりつく冷気があったのは、彼が直感的、いや、むしろ本能的に、このおかしな中年野郎の奥底に暗い波長がへばりついているのを察知したからだ。身勝手な好奇心に取り憑かれて空港にふらり立ち寄る不埒な連中を、おそらく過去に数多く見知っていて、きっと同じ臭いがすると警戒したに違いない。空中で暴れ出したらどうなるだろう、道連れにされては敵わないと彼の方こそがひどい緊張を強いられたはずであって、今にして思えばたいへん不調法なことをしたと反省している。

 これと同時に、思い切った身投げ、とんでもない高度からのそれを通じて、気持ちの隅々までを整理し尽くしたい、するりと脱皮して成長を遂げたいという祈りに近いものが育っていた。南太平洋バヌアツの通過儀礼ではないけれど、死と再生のすじ道を自分なりに探し当て、ようやっと辿り着いたところがあった。実際この跳躍を経ることで、少なくとも投身の誘惑をきれいに断ち切ったのは本当のことだし、ずいぶんと若返った心持ちがする。

 ひとの営みの大方のものは、第三者の目にはひとつの動作としか映らない。食べることであれ、寝ることであれ、はたまた愛し合う行為であれ、それぞれが単一の動作と思われてしまう。寝食を忘れて一心不乱に取り組まない限り、実際はそんなことは決してないのであって、動作の背後にはいくつもの目的や狙いが混在していて、複雑な思索が延々と重ねられる。感覚としてはマリオネット人形の仕組みであって、色彩や材質の違うたくさんの想いの糸で私たちは巧みに操られ、それでようやく何かを成し得ている。

 ダイビングのさらなる目的は、石井隆の描く“投身する人物”の状況と心情につき、自分なりに肉薄したいという願いがあったのだった。笑われそうだが本当のことだ。

 石井が劇画や挿絵を世間に発表し始め、やがて独自のスタイルを究めて支持を得た頃、そして、その人気に乗じて映画会社が石井に脚本執筆を依頼して、それが陸続と撮られていった頃、劇に登場する人間の多くが自死することにのめり込み、愛憎綯(な)い交ぜの混沌とした物語空間のなかで消えている。

 劇画作品では1979年から1980年にかけて発表されたいわゆるタナトス四部作、【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣(かげろう)】の頃に石井の描写には拍車がかかり、さまざまな死の様相が提示された。ひときわ読者の心を揺さぶり、作者自身をも虜にしたのはビルの屋上や岸壁から投身する者とこれを看取る者とを同一の時空に置いた場面設計であった。劇画【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979)で完成されたそれは、石井の自家薬籠中の物として劇画と映画を通じて幾度も再生を繰り返す。

 脚本作品では『沙耶のいる透視図』(1986 監督和泉聖治)、『魔性の香り』(1985 監督池田敏春)がそれに当たり、監督作品では『ヌードの夜』(1993)、『フリーズ・ミー』(2000)が該当する。石井のインタビュウをつぶさに読むことで、『死んでもいい』(1992)と『夜がまた来る』(1994)の描かれなかった結末も、この血筋にあったと捉えて構わない。

 私たちは反復するこの投身の儀式の陰に、作者が抱懐する強い美意識を嗅ぎ取ってきた。『ヌードの夜』、『フリーズ・ミー』、それに『死んでもいい』と『夜がまた来る』はいずれも後追いであって、これはこれで鮮烈であるのだけれど、【雨のエトランゼ】とその直系にあたる『沙耶のいる透視図』、『魔性の香り』に宿されたメッセージの深甚さは予想を超えて胸に響いた。

 生死の境界を踏み越えてしまった刹那の、ほんとうの最期の一瞬、自身の姿とまなざしを愛する者の網膜に焼き付け、せめてその胸中に忘れえぬ記憶となって生き続けようと懇願する男なりおんなの切々たる心情に私たちは声を失い、長い吐息を漏らしたのだった。特に【雨のエトランゼ】で窓の外を背中側から落下していく名美の、手前にいる村木を見やる瞳の哀しさ、温かさは脳裏に日光写真の残像のように居ついて消えてくれなかった。気が滅入ったときや何か大きな失敗をやらかして死の幻想を抱いたときには、決まってわたしの目の前にちらつくのだった。

 スカイダイビングで自由落下する行為は、我が身を彼女の時間に重ね、今際の際の感覚を体感する絶好のチャンスであったのだし、その事を経てより一層、隙間なく石井世界に寄り添えるものと期待した。

 さて、実際のところはどうだったかと言えば、雲ひとつない蒼空に突き落とされる行為と、古くて小さな雑居ビルの屋上から墜ちていく事では最初からまったく状況は違うのであって比較のしようがなかった。それは最初から分かりきった話なのだけど、猛速度で雲のベールを何枚も突き抜けながら、このような目まぐるしい状況でわずか畳一枚ほどの狭い窓枠の中を覗き見して、室内の奥まった位置に立った男の動作を視認して永別のまなざしを贈り合うことなど、実際上は不可能という印象を持ったのだった。

 石井隆はきわめてロマンティークな筋立てをリアルで重厚な絵柄で描き、強引に推し進めるところがあるが、この投身する名美と村木とが一瞬の邂逅を成し遂げる場面は、劇画や映画でしか創り得ない奇蹟のようなもの、と位置付けてよいだろう。

 実際に世にあふれる墜落、墜死とは、思考を差し挟む余地のない空虚で慌しい時間と思われた。そういえば以前、はしごから落ちて腰をしたたか打ったことがあったけれど、フリーフォールとあれとで実感はそんなに違わない。【雨のエトランゼ】の哀しい名美が仮に実在したならば、脚立から落ちるようにしてあっという間に地面に激突し、唇をすぼめた驚いた顔、きょとんとした目をしてきっと逝ったに違いない。

2015年8月13日木曜日

“自由落下(フリーフォール)”



 かれこれ五年程も前にスカイダイビングの入門体験をしている。私の見るもの聞くものは偏っていて実戦の役に立たない気がするし、興味ある人は調べたりクラブの門を実際に叩けば済む話だ。この場に記したいのは次の二点だけ。飛翔する直前と自由落下(フリーフォール)中の五感についてだ。もちろん素人が独力で飛べるはずもないから、タンデムと呼ばれる二人一組でジャンプする形だった。

 背後に付いてくれたベテランのジャンパーは、黒豹のように引き締まった体つきの寡黙な若い男で、ぎらつく白刃を連想させる怖い印象だった。陸上競技場のフィールドに観客席から降り立って、出走間際のアスリートを至近距離で見ると多分こんな感じかと思った。

 三千メートルの上空に小型機が到達し、胴体に開け放たれたスライド式ドアから彼に抱きかかえられるようにして飛び降りたわけなのだが、その直前のほんの少しの間、つまり、扉のへりに腰をおろして両足を虚空に突き出した際に湧いた奇妙な感覚は、おそらく死ぬまで忘れ得ない。

 恐怖というのではなく、何だろう、頭の奥で疑問符がもわもわと噴きあがる感覚。本能レベルの領域で、俺はまだ了解していないぞ、変だぞ、おかしいぞ、とオートチェックが働いた。危険信号を発するのとも違って、のっぺりした正体不明の当惑が感じられた。

 やさしく秒読みをしてくれるでもなく黒豹は、背後からわたしをぐいぐいと押しやり、あっという間に空中に放り出されてしまった。ぜい肉だらけの我が身と、鋼(はがね)の筋肉で仕上がった黒豹のしなやかな身体、それに落下傘等の器具一式を合わせて百五十キログラム以上はあっただろうか、団子状の塊りが重力に引かれて一直線に落ちていく。

 むき出しの頬が風に叩かれて痺れ、雲を突き抜けて進む間は霧雨に包まれて全身が濡れそぼるようだった。灰色の霞みの向こうに何か見えはしないかと目を凝らすうち、そのせいで背中が丸まってしまったのだろう、黒豹がもっと両手を広げて、体を反らせて、と大声で叫んだ。安穏としてはおれない危険な状況なのだと再認識して、慌ててえび反りしようとしたけれど、そんな姿勢は普段したこともない。たぶん大して反らなかったに違いないが、ふん、ふん、と鼻孔をひろげて胸を張ることを繰り返すうち、急にパラシュートがばさばさと音を立て、やがて眼下に雄大な景色が広がった。ゆったりした遊覧飛行に移っていった。

 あの瞬間、飛行機の胴体から宙ぶらりんとなった足裏の、実にもの淋しい感覚を通じて思うことは、高所から飛び降りる行為というのは実に厄介で不自然なことであり、きわめて居心地の悪い時間になるということだった。飛行場に日夜集結して、自由奔放に天翔けていくジャンパーたちが示すように、鍛錬を重ねればいずれは負の感覚をきれいに克服して創造的な営みに変貌することは理解するのだけれど、そうなるまでは誰にとっても疑問符だらけの厭な行ないであって、どのような事態に陥っても安易に選んでよい道とは思えない。

 壁に突き当たり、自分の無能を責めたて、何もかも放擲して解放されたいと切望することが今後の人生で仮にあったとしても、わたしは高所から身を投じる事は決してないように思う。投身という行為はぎりぎりまで現実感をひきずり、まったくもって不快きわまる作業だった。

2015年8月3日月曜日

「女性自身」~根津甚八“遺作ロケ”に込めた息子への伝言~


 映画『GONIN』(1995)で描かれた、いわゆる“五人組事件”を記憶の淵にさぐれば、まぶしい銃火と粘性ある血だまり、諦観を薫らせた男の背中と、それとはやや対照的な、物憂げながらも逞しく生きようとするおんなの笑顔がすくい出される。誰もがそうかと思うのだけど、これに雑じってわたしの場合、現実の景色、たとえば足を運んだ劇場の外観がありありと蘇えってしまう。すでに閉館してだいぶ経つのだが、あの時の館内にならんでいた赤い椅子だったり、街路から射し入る淡い光に包まれて座るもぎり嬢の横顔なんかが浮んでくる。

 目のふちにたたずむそれ等は、『GONIN』とも“五人組事件”とも無関係の極私的なものだ。仮にも“作品試論”と銘打つ此処に綴るべき事柄でないことは承知だけど、石井隆の新作『GONINサーガ』(2015)が公開への助走にはいった今、どうにもこの手の湧出がおさまらず、頭のなかをひたしてしまう。すっかり思い出に捕らわれている。

 旧作『GONIN』との間の、実に二十年近い歳月の裂け目を石井は縫合し、さらにはそれ以上の融合を果たそうとして見えるのだけど、その勢いのあるたくらみがどうやら胸の扉をこじ開けたようだ。

 言い訳ついでに続けると、わたしが『GONIN』を観た劇場は“ビデオシアター”方式を採用していた。往時の関係者に確認を取ったところ、ソニー・シネマチックというシステムであったらしい。輪郭がややざらついて見えはした。もしも石井にそんな感想を漏らしたら最後、きわめて繊細で作品をとことん愛するらしいから、慌てて連絡など寄越したかもしれない。私としては最新鋭の技術を目にしていると感じ、成り行きとしてこんな試行錯誤があって構わないだろうと思ったから、そう不満は覚えなかった。

 それにしても、あの時の画質や音響と現在のそれとは全くもって別世界の感がある。裏返せば、作る側、石井隆を取り巻く環境だって激烈に変わった訳だ。16ミリ、35ミリといったフィルムからハイビジョンカメラへの移行、パソコン機材主体の編集、照明だって蛍光灯の導入、LEDへの転換と、この間にすっかり現場は様変わりしている。絵の具やパレットを頻繁に替えざるを得ないそんな日々であっても、きっちりと作風を守っている辺りは大したものだ。年齢からいって、また、スタッフに恵まれた結果とはいえ、本当によくぞこれまで飛翔してきたと感じ入ってしまう。

 映画に関わる技術だけでなく、さまざまな出来事がそれぞれの人に発生してもいよう。二十年間、正確には“十九年”という隔たりは、予想外の変転を日常にもたらす。父親であった者はもしかしたら祖父となり、漠然とした未来像に身もだえしていた若者は子を持つ親となっているかもしれない。体型も面貌も、同一の者とは判らないほど大きく変わっている。大病や大怪我をして、寒々しい手術室に横たわったかもしれない。身内の誰かを亡くしたかもしれない。

 驚愕をもたらす避けがたき変化が、十九年なり二十年の本質だ。『GONIN』および『GONINサーガ』を観る上で私たちは、付随する経年変化をどうしても意識せざるを得ないのだが、石井が意識する意識しないにかかわらず、実はそのこと自体が物語の無視できない要軸となっている。

 かつて劇画と映画を通じ、石井隆の作品に頻繁にあらわれたのは、たとえば「五年後」という短い跳躍だった。【天使のはらわた】(1978)では主人公の哲郎が、過剰防衛による致死罪で服役し、名美と一時的に引き裂かれる。『フリーズ・ミー』(2000)ではヒロインちひろ(井上晴美)が暴姦され、死を何とかやり過ごして上京、五年を経たところから物語の歯車が再度動き出す。

 【天使のはらわた】の哲郎であれ『フリーズ・ミー』の無法者であれ、男たちは詰め寄る相手の直近の数年間を、変質、変貌に至らぬ期間と決めてかかっている節がある。住まう環境が変わり、生活の様相が違っても相手の胸に仕舞われた内実までは変わらぬままであって、魂の修復なり、自身とおんなとの関係はきっと回復すると信じ込んでいる。

 石井は彼らに対し、変わらず美しいままのおんなを結局のところは与えてしまい、恋愛の成就だったり欲望の充足を劇中にて描いている。わずか数年程度では人は良くも悪くもそう変わるものではない、という認識がそこには潜む。当時の石井にあって歳月という存在は、少なくとも上の二作品にあっては確実に、四つに組めばやがて引っくり返せると人物に慢心させ、状況打破に挑ませ得る、どちらかと言えば等身大の相手なのだった。

 『GONINサーガ』において旧作の主要人物である元刑事、氷頭(ひず)役の根津甚八(ねづじんぱち)が捨て身の復帰を果たしたことが話題となっており、写真や予告編を見た者からは彼の容色の衰えを指摘する声がある。以前、『花と蛇』(2004)の石橋蓮司を、次いで『花と蛇2 パリ/静子』(2005)では宍戸錠を起用した石井は、老いにともなう肉体変化へ追い詰められた男たちを丹念に活写したのだったが、両者には思い切りブレーキを踏み込み、シフトレバーを一気に下げた感じの明瞭な演技プランが寄り添っていた。しかし、この度の根津の登壇する様子には、化粧や装飾の類いは一切見とめられない。作られたものとは違う、生々しい修復不能の鑿(のみ)痕が刻まれている。

 根津の変貌ぶりを見て驚きの声を発することはいたし方ないが、悪しざまに言う声があるのは実に惜しい。身体の変化は放言する者の身にも確実に起きているのだし、わたし自身だって正直酷い変わりようだ。いつしか沈鬱な脂肪のかたまりが下半身にまとわり付き、目尻は重力との戦いに連敗してずいぶんと溶け落ちた。誰もがこの十九年に大きく変わってしまった。

 本当に大事なのは単純な驚きの先に、一体全体わたしたちは何を見せられているか、何と根津は、そして私たちは戦わされているかを感じ取ることじゃないか。もはや等身大の相手ではない。歳月は化け物じみた様相をしたがえ、巨大に膨らんでいる。根津はそんな月日を一身に体現して、ふたつの作品を隔てる空隙のいかに広いかを提示すると共に、私たち目撃者を映し出す鏡として機能している。単に肉体を指し示すだけでなく、皮膚の下に忍び込んだ夢の残骸をも照射している。(*1)

 容赦なく舞台を追われる世の無情、背中を見せて去っていった人、老いの実感、取り戻せない希望や幸福のまたたきを、潜かに、けれど強く意識して、シャツの内側できゅっと抱き締めた上で『GONINサーガ』を凝視めることを私たちはどうやら強いられる。

 列島の津々浦々にて、同じ感慨にふけっている御仁もきっと居られるのではなかろうか。“十九年”という響きにはゆるゆるとした沈酔を誘うふしぎな距離感が宿っており、うかつに石を投じたら最後、さまざまな音と色彩が波紋をなして襲い来てしまう。懐かしさだけでなく悪酔いに似た慚悔をともなう、どちらかと言えば妙にさびしい気分に陥っていく。

 こうした心の揺れや泡立ちをふくめて臨むことが、本当の意味で『GONIN』という奇譚を看取る時間ではなかろうか、少なくとも映画『GONIN』をリアルタイムに目撃してしまった者の立ち位置として、自らの内側に厚く沈積した感傷、および石井や根津、そして旧作にたずさわった全ての人たちのそれに思いを馳せ、存分に引きずりながら劇場を訪ねることは許される事のように思う。


(*1):根津が『GONINサーガ』への出演を決めた経緯について、そして、撮影を通じて何を願ったものかは、夫人へのインタビュウ記事に垣間見える。要約はウェブ上でも現在読むことが出来るから、未読のひとは目を通しておいて良いように思う。
「女性自身」2015年5月26日号 「根津甚八“遺作ロケ”に込めた「息子に俺の“生き様”を!」 46─47頁 http://jisin.jp/news/2680/8622/