2015年8月3日月曜日

「女性自身」~根津甚八“遺作ロケ”に込めた息子への伝言~


 映画『GONIN』(1995)で描かれた、いわゆる“五人組事件”を記憶の淵にさぐれば、まぶしい銃火と粘性ある血だまり、諦観を薫らせた男の背中と、それとはやや対照的な、物憂げながらも逞しく生きようとするおんなの笑顔がすくい出される。誰もがそうかと思うのだけど、これに雑じってわたしの場合、現実の景色、たとえば足を運んだ劇場の外観がありありと蘇えってしまう。すでに閉館してだいぶ経つのだが、あの時の館内にならんでいた赤い椅子だったり、街路から射し入る淡い光に包まれて座るもぎり嬢の横顔なんかが浮んでくる。

 目のふちにたたずむそれ等は、『GONIN』とも“五人組事件”とも無関係の極私的なものだ。仮にも“作品試論”と銘打つ此処に綴るべき事柄でないことは承知だけど、石井隆の新作『GONINサーガ』(2015)が公開への助走にはいった今、どうにもこの手の湧出がおさまらず、頭のなかをひたしてしまう。すっかり思い出に捕らわれている。

 旧作『GONIN』との間の、実に二十年近い歳月の裂け目を石井は縫合し、さらにはそれ以上の融合を果たそうとして見えるのだけど、その勢いのあるたくらみがどうやら胸の扉をこじ開けたようだ。

 言い訳ついでに続けると、わたしが『GONIN』を観た劇場は“ビデオシアター”方式を採用していた。往時の関係者に確認を取ったところ、ソニー・シネマチックというシステムであったらしい。輪郭がややざらついて見えはした。もしも石井にそんな感想を漏らしたら最後、きわめて繊細で作品をとことん愛するらしいから、慌てて連絡など寄越したかもしれない。私としては最新鋭の技術を目にしていると感じ、成り行きとしてこんな試行錯誤があって構わないだろうと思ったから、そう不満は覚えなかった。

 それにしても、あの時の画質や音響と現在のそれとは全くもって別世界の感がある。裏返せば、作る側、石井隆を取り巻く環境だって激烈に変わった訳だ。16ミリ、35ミリといったフィルムからハイビジョンカメラへの移行、パソコン機材主体の編集、照明だって蛍光灯の導入、LEDへの転換と、この間にすっかり現場は様変わりしている。絵の具やパレットを頻繁に替えざるを得ないそんな日々であっても、きっちりと作風を守っている辺りは大したものだ。年齢からいって、また、スタッフに恵まれた結果とはいえ、本当によくぞこれまで飛翔してきたと感じ入ってしまう。

 映画に関わる技術だけでなく、さまざまな出来事がそれぞれの人に発生してもいよう。二十年間、正確には“十九年”という隔たりは、予想外の変転を日常にもたらす。父親であった者はもしかしたら祖父となり、漠然とした未来像に身もだえしていた若者は子を持つ親となっているかもしれない。体型も面貌も、同一の者とは判らないほど大きく変わっている。大病や大怪我をして、寒々しい手術室に横たわったかもしれない。身内の誰かを亡くしたかもしれない。

 驚愕をもたらす避けがたき変化が、十九年なり二十年の本質だ。『GONIN』および『GONINサーガ』を観る上で私たちは、付随する経年変化をどうしても意識せざるを得ないのだが、石井が意識する意識しないにかかわらず、実はそのこと自体が物語の無視できない要軸となっている。

 かつて劇画と映画を通じ、石井隆の作品に頻繁にあらわれたのは、たとえば「五年後」という短い跳躍だった。【天使のはらわた】(1978)では主人公の哲郎が、過剰防衛による致死罪で服役し、名美と一時的に引き裂かれる。『フリーズ・ミー』(2000)ではヒロインちひろ(井上晴美)が暴姦され、死を何とかやり過ごして上京、五年を経たところから物語の歯車が再度動き出す。

 【天使のはらわた】の哲郎であれ『フリーズ・ミー』の無法者であれ、男たちは詰め寄る相手の直近の数年間を、変質、変貌に至らぬ期間と決めてかかっている節がある。住まう環境が変わり、生活の様相が違っても相手の胸に仕舞われた内実までは変わらぬままであって、魂の修復なり、自身とおんなとの関係はきっと回復すると信じ込んでいる。

 石井は彼らに対し、変わらず美しいままのおんなを結局のところは与えてしまい、恋愛の成就だったり欲望の充足を劇中にて描いている。わずか数年程度では人は良くも悪くもそう変わるものではない、という認識がそこには潜む。当時の石井にあって歳月という存在は、少なくとも上の二作品にあっては確実に、四つに組めばやがて引っくり返せると人物に慢心させ、状況打破に挑ませ得る、どちらかと言えば等身大の相手なのだった。

 『GONINサーガ』において旧作の主要人物である元刑事、氷頭(ひず)役の根津甚八(ねづじんぱち)が捨て身の復帰を果たしたことが話題となっており、写真や予告編を見た者からは彼の容色の衰えを指摘する声がある。以前、『花と蛇』(2004)の石橋蓮司を、次いで『花と蛇2 パリ/静子』(2005)では宍戸錠を起用した石井は、老いにともなう肉体変化へ追い詰められた男たちを丹念に活写したのだったが、両者には思い切りブレーキを踏み込み、シフトレバーを一気に下げた感じの明瞭な演技プランが寄り添っていた。しかし、この度の根津の登壇する様子には、化粧や装飾の類いは一切見とめられない。作られたものとは違う、生々しい修復不能の鑿(のみ)痕が刻まれている。

 根津の変貌ぶりを見て驚きの声を発することはいたし方ないが、悪しざまに言う声があるのは実に惜しい。身体の変化は放言する者の身にも確実に起きているのだし、わたし自身だって正直酷い変わりようだ。いつしか沈鬱な脂肪のかたまりが下半身にまとわり付き、目尻は重力との戦いに連敗してずいぶんと溶け落ちた。誰もがこの十九年に大きく変わってしまった。

 本当に大事なのは単純な驚きの先に、一体全体わたしたちは何を見せられているか、何と根津は、そして私たちは戦わされているかを感じ取ることじゃないか。もはや等身大の相手ではない。歳月は化け物じみた様相をしたがえ、巨大に膨らんでいる。根津はそんな月日を一身に体現して、ふたつの作品を隔てる空隙のいかに広いかを提示すると共に、私たち目撃者を映し出す鏡として機能している。単に肉体を指し示すだけでなく、皮膚の下に忍び込んだ夢の残骸をも照射している。(*1)

 容赦なく舞台を追われる世の無情、背中を見せて去っていった人、老いの実感、取り戻せない希望や幸福のまたたきを、潜かに、けれど強く意識して、シャツの内側できゅっと抱き締めた上で『GONINサーガ』を凝視めることを私たちはどうやら強いられる。

 列島の津々浦々にて、同じ感慨にふけっている御仁もきっと居られるのではなかろうか。“十九年”という響きにはゆるゆるとした沈酔を誘うふしぎな距離感が宿っており、うかつに石を投じたら最後、さまざまな音と色彩が波紋をなして襲い来てしまう。懐かしさだけでなく悪酔いに似た慚悔をともなう、どちらかと言えば妙にさびしい気分に陥っていく。

 こうした心の揺れや泡立ちをふくめて臨むことが、本当の意味で『GONIN』という奇譚を看取る時間ではなかろうか、少なくとも映画『GONIN』をリアルタイムに目撃してしまった者の立ち位置として、自らの内側に厚く沈積した感傷、および石井や根津、そして旧作にたずさわった全ての人たちのそれに思いを馳せ、存分に引きずりながら劇場を訪ねることは許される事のように思う。


(*1):根津が『GONINサーガ』への出演を決めた経緯について、そして、撮影を通じて何を願ったものかは、夫人へのインタビュウ記事に垣間見える。要約はウェブ上でも現在読むことが出来るから、未読のひとは目を通しておいて良いように思う。
「女性自身」2015年5月26日号 「根津甚八“遺作ロケ”に込めた「息子に俺の“生き様”を!」 46─47頁 http://jisin.jp/news/2680/8622/



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