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2023年8月6日日曜日

“見えてくる犠牲者”~『ろくろ首』考(8)~


  『ろくろ首』の終幕近く、柳葉敏郎の目を借りて私たちは野武士のねぐらを急襲する。其処で拐(かどわ)かされた複数のおんなを目撃し、その只事ではない様子に戸惑う。荒くれ者にかしづき、性愛の玩具とされて泣き顔の者、格子戸の奥に監禁され、聖職者に対して下半身を晒して媚を売る狂った行為が次々とブラウン管に映された。

 石井の劇画や映画と無縁の生活を送っていた家庭人は、廃寺での女たちの白い肌に目を丸くさせるだけだったし、放送から三十年を経て初見の機会を得た者は、往事のテレビジョンの放送コードの緩さを愉快がるのが関の山だが、この場面の根底に流れるものは相当にどす黒く、笑いごとでは済まない事実だ。

 戦国の世では、乱妨取り(らんぼうどり)、もしくは乱取り(らんどり)と呼ばれる武士たちの略奪行為が蔓延していた。主(あるじ)を持った侍たちでさえ、時に野獣と化していたのだから、戦に敗れて潰走した者が憐憫や情愛を保てる余裕など無かった。欲望のおもむくまま強引に、娘たち、おんなたちの自由を奪った。連れ去られた彼女たちの境涯は、安穏といまを生きる我々の想像の域を越えている。

 石井は権藤晋(ごんどうすすむ)のインタビューの中で、自身を育てた映画作品に数多く触れているが、そこに黒澤明(くろさわあきら)の『七人の侍』(1954)が顔を覗かす。(*1)  国内外の厖大な映画人の魂をつかみ、将来の夢や指針となって燦然と輝くこの名作を石井が口にすることは自然であるが、『ろくろ首』の荒れ果てた山寺の糜爛(びらん)した光景を見ると、無理なく『七人の侍』の山塞(さんさい)急襲の場面と重なっていく。

 土屋嘉男のさらわれた女房、島崎雪子(しまざきゆきこ)が望みを捨てて放心し、やがてぬめりを帯びつつも烈しい瞳で虚空を睨んでいくあの演技と展開である。観客の心臓をぐさり射抜いて、野武士の残虐性、非道さを体感させる描写であった。あの拉致監禁の顛末が無ければ、『七人の侍』は野武士集団と傭兵部隊の腕比べの気軽さに終始したに違いない。

 果たして石井が台本執筆の依頼を受けて、黒澤作品を参照し、尊敬の念を込めて相似する場面を挿し込んだのかどうか、これは確認のしようが無い。しかし、男たちの果てしない諍いの陰で犠牲となる存在を置き忘れることなく、むしろ主軸として劇中全篇に盛り込んだところは瞠目に値する。

 脚本家石井隆の想いが切実で真摯なスタンスであったと想像されるさらなる理由は、この苦界描写に関わる劇構造が石井世界の伽藍とまたもや重なる点にある。『ろくろ首』は、冒頭の強姦場面と後段に訪れる再会の場から『天使のはらわた 赤い教室』(1979監督 曾根中生)と通底するものがあり、『夜がまた来る』(1994)とも根茎を繋ぐからだ。そこには一歩たりとも作風を変えまいとする硬い姿勢が垣間見えるが、さらに劇の詳細を凝視するならば、実は二歩目、三歩目からはより酷薄な方角へと足を踏み入れている事が分かる。

 『天使のはらわた 赤い教室』で水原ゆう紀が漂着した露地裏のバー「ブルー」のその二階で催される悪魔的光景を前にして、蟹江敬三は目を伏せ、タタミに額をこすり付けてうずくまるだけであった。救出は失敗したのだ。されどこの苦界におんなは根を下ろし、腐肉の沈んだ水を吸収し、不敵な無表情を連れ合いと為して、それでもまだ「生きている」。『夜がまた来る』での夏川結衣は、根津甚八に手を引かれて「生きて」脱出の機会を得た。

 『ろくろ首』の廃寺にはおんなの「生きた姿」はなく、腐敗寸前の首だけが空しく置かれてあるだけだ。「劇の当初から救出に失敗している」「おんなは死んでいる」という非道い話になっていて、石井世界の数多の劇の中でも群を抜いて暗澹たる内実を含んでいる。テレビジョンの演出は明快な台詞まわしと過度な表情づくりへと役者を誘導して、地を這うような脚本家の想念を拭き払ってしまった次第だが、石井隆の世界を考えるとき、その剽軽(ひょうきん)な演出に誤魔化されてはいけない。

 この陰惨な廃寺の風景というものも恐らく冒頭の再現と同様に、柳葉に対して夏川演じる月乃というおんなが、もしくは脚本家石井隆が、意図して「見せている」ものだ。首を斬られる前にどれ程の辛酸を嘗め、痛みを味わったか、男よ、男たちよ、おまえには見えているか。境界に踏み込んで別次元の存在となったおんなが、そして、どこまでも犠牲者に寄り添おうとする独りの作家が切々と訴えている。

 英雄譚、冒険談の裏側で何があったか、石井は無視出来なかったのだ。時代劇とは本来どうあるべきか、彼なりの答えが『ろくろ首』であった。

(*1):「記録の映画③」聞き手 権藤晋 「石井隆コレクション3 曼殊沙華」まんだらけ 1998所載



2018年11月10日土曜日

“放冷を誘うもの”~隠しどころ~(6)


 『フィギュアなあなた』(2013)で人形を見つけた青年(柄本祐)は熱狂し、その独り言はけたたましさを増すのだったが、私たちはそんな反応にただ乗って気分を疾走させることが出来ない。文字通りの死体の山が築かれ、その上に横たわっているおんな(佐々木心音)の奇妙な様態を固唾呑んで見守るのがやっとである。

 一個の静物となって風景の断片となりながらも微温と違和感をにじませて横臥する様子は、振り返れば石井の初期の短篇【淫花地獄】(1976)の終幕近くに生き人形に加工された少女の姿に通じるし、抵抗する術も気力もなく、呼吸さえまるでしない様子で浴室に横たわる『夜がまた来る』(1994)での夏川結衣であるとか、一眼レフのカメラを携えて夕暮れや深夜、黒い木立の脇に半裸のモデルを横たえさせて撮った一連の写真作品にも通じるものがあり、石井が好んで採用するモティーフとなっている。

 そこでじわじわと這い上がってくる感慨は、欲情とは裏腹の速やかな“放冷”を誘うものだ。いずれも殺害や強姦といった性暴力の痕跡を彷彿させる構図と面持ちであって、熱狂とは無縁のしんしんとしてどこまでも昏い性質の絵柄となっている。今この瞬間にもどこかの密室や隔絶した場処で起こっている弱き者への暴力。人によっては最近見聞きしたニュースをまざまざと思い出し、脳内で結びつけるかもしれない。実際わたしは性暴力の被害者にしてその根絶を目指す活動者が著名な国際賞を受賞したことを紹介する報道に目を奪われ、一瞬後、石井が半生を賭して積み上げている物語世界の伽藍と彼らの闘争が完全に通底すると感じた。

 現実世界の酷薄さと自身の世界を直結させることを石井は嫌うだろうか。私はそうは思えないでいる。読者や観客の内側に醸成される新たな視点、ちょっと待てよと足踏みや振り返りをする時間を彼は本気で望んでいるように感じる。これまでのインタビュウなり単行本のあとがきを読むと石井が実際に起きた事件やこれを伝えるニュース映像に言及することが多く、自身の創作活動と世間が無縁でないことが分かるのだし、おのれの物語に対して複数の切り口を常に用意し、世間一般の読解とは異なる風を絶えず懸命に送り込んでいるのは察しがつく。その風に煽られて受け手がよろよろと体勢を崩し、日頃とは違った仰角で景色を見直すことを強く念じているし喜んでいる気配がある。

 時には鬱々とつづく内省を強いられる類いのものだが、物語が世間に果たす役割にはそういう重いものが有って良いはずだし、むしろそのような学びの時間を劇場で自分はもらえたのだ、陰惨な陽の射さないきびしい境遇を描いて何が悪いんだ、と、ヒール(悪役)を担う覚悟を決めて見える。つくづく男であることが厭になり、性欲という熱源を抱える身体を恨めしくなる。一時的であれ性能力を奪い、断種に導く負の圧力で満たされる。それが石井世界の激烈な薬効となっている。

 石井隆の劇には前景と背景があり、それが同一画面に混在すると先に書いたが、視座や価値観の“往還”が起こると言い替えても良い。私たちは石井の物語を前にしてしばしば道に迷い、時に逆転した場処へと招かれて自身の思い込みを粉々に砕かれ、茫然として過ごす羽目になる。

 そのとき、私たちの身に何が起きるかといえば、あれだけ性愛にまみれた描写を前にしながら、刺激や官能から距離を大きく取った、いくらか後退した、謙虚で不思議と乾いた、堅実な視線を託される気がする。単に私がある程度の年齢を経て性愛のビジュアルにすっかり飽いてしまい、生殖機能も落ちて、欲望の感度がいちじるしく鈍ったせいだろうか。いや、石井隆の作品とは最初からそうであった。血の池めいた地獄の淀みを潜りながら、なぜか汚臭を感じることなく、やがて透明度があがっていく。光は届かず先はまるで見えないが、指先や髪の毛を撫でる流れに濁りはいっさい無くなっていく。そんな水底のイメージがいつもしていた。

 劇画も漫画に限らず小説も絵画もそうだが、詰まるところ物象のすべてをどのように捉えるかは完全に個人に帰属しており、胸に飛び込んでから先はひとつとして同じものは無い。わたしの受け止める石井作品と、あなたのそれは見え方も感動の反射具合も少しずつ違っている。読者や観客の資質なり観賞にのぞんでの真剣度により段差が出るのは止むをえないが、それでも石井作品に触れて、多くの読み手の内部がかき乱され、女性観や道徳観といったそれまで抱え続けた一元的な主観を分裂させられた事は間違いない一定の事実と思う。


2016年7月31日日曜日

“サバイバーズ・ギルト”


 かつて栄華を誇った領主とその一族の霊廟を訪ねた。俗世間から隔絶した山の中腹に位置し、参道脇の夏草が緑あざやかに茂っている。杉木立の太い幹には蔦漆(つたうるし)が盛んに絡んで、ぐるぐると螺旋を描いて空を目指していた。自分の住まう地域とは違った景色で面白く、ずいぶんと温かい街なのだと再認識する。

 草木が活性している分、ようやく辿り着いた廟の方はちょっと気圧される具合であって、想像よりちんまりして見えた。何とはなしに淋しいのは本殿の扉が固く閉ざされたままだからで、遮蔽された視線が行き場を失って宙をさまようせいだ。無表情の書庫という連想がしきりにした。衆生の身で何を言っても始まらないが、どうやら此処は魂の交信を夢見るところではない。

 唯一視線が滞空したのは、黒塗りの本殿の脇にたたずむ雨ざらしの石塔であって、数は十基以上に及ぶ。据えられた説明板を読むまでもなく、すぐに洵死者の墓と分かった。彼らの視線は主君の眠る本殿へときつく縛られたままで、私たちなどまったく眼中になさそうだけれど、その生前最後の日々を透視すれば途端に石の表面に粘り気の有るものが付着して感じられ、血の臭いと寒気を覚えた。

 さすがに現代では殉ずるに値する主君など見当らぬが、肉親なり異性を愛し過ぎて頭が変になる事は誰にだってある。その苦悶の涯てに待ちうける終局は如何なるものか。昔もいまも幽明の境越しに綱引き合戦が繰り返され、身罷った者をはげしく追慕するあまり、自らの手で命を絶ってしまう者がいるのだし、その逆に死者が生者のかたわらに舞い戻り、蜘蛛が羽虫をからめ捕る具合にして冥界へと連れ去ったりもする。後者については主に映画や演劇で目にするしかないけれど、正しい正しくないといった尺度は通用せぬ妖しい命の往還が私たちの周りには散りばめられる。

 彼ら昔日の渡河者の末路そのままの道を私たちがこれから歩まないと、いったい誰がどうして断言出来よう。当たるかどうかは分からぬが他人の為した行いは、どれもが予言みたいなものだ。いのち尽きるその瞬間まで固唾を飲んで辺りを見渡し、ひたすら即興劇の出番を待つより仕方ないのだ。

 石井隆の作品はこの点どうだったかを振り返ると、多くが生の充溢を手探るうちに迂闊にも死の棘に触れてしまい、抜き差しならなくなる顛末であって、まさに綱引き合戦のフィールドに踏み入った観を呈するのだが、劇中人物の川越えの様子をつぶさに見ていけば、無謀すぎる行ない、つまりは“自殺的行為”こそ見られるものの、思いのほか直接的な自死という終幕を持たないのだし、霊に憑りつかれて頓死を遂げる明確な表現も見られない。殉死、後追い、破滅的心中といった自らの手によるところの幕引きはあまり見当たらない。

 長年に渡って石井世界を見つめて来た人は多分ここらで首をひねるはずだ。劇画にはタナトス四部作があるのだし、【雨のエトランゼ】(1979)の名美もいる。そこから派生した幾たりもの投身者はどうするつもりだ、おいおい、ふざけるなよ、海の底に消えていった『ヌードの夜』(1993)の余貴美子だって居るじゃないの、だいたい『GONIN2』(1996)冒頭の多岐川裕美の明らかな形をおまえはどう見るのよ。

 言われてみればなるほど相違ないが、前にも書いた気がするけれど石井隆の劇の基調というのは自壊する刹那に強く閃光を発する生命力であるとか、墜ちようのない処まで墜ちた末にいよいよ発生する浮力といった、本来あえかなるものを渾身の筆づかいで描こうとするのであって、ひたすら墜ちた先に広がる暗黒の奈落を目的地と定めてはいない。

 たとえば『GONIN』(1995)の閉幕にて愛する者を喪い、寄る辺なき身となって高速道を遡上するビートたけしと本木雅弘が、虚ろなまなざしを互いに注ぎつつ銃弾を放ち、相撃ちとなって椅子に沈んでいっても、あのとき、彼らの待ち望む終着点は死そのものであったとはなかなか断じ得ない。最終的に両者の生体活動は全停止するのだけれど、希望叶ってそうなったかと言えばそれはどうも手ざわりが違う。

 また、『甘い鞭』(2013)で袋小路に陥った壇蜜に対し、遂に面前に佇んでみせた若い時分の己の姿、つまりは黄泉の使者ドッペルゲンガーたる間宮夕貴へと向かってぬめ光る凶刃を握り締めながらようやっと歩み寄る場面がある。こりゃ間違いなく刺すな、自死をもって魂の幽閉を解くより道は残されていないのだな、と観客が半ば諦めて凝視する中でまさかの奇蹟が噴出し、寸でのところで終局を回避するあたり、間違いなく石井の死生観には自死行為を良しとしない一種独特の闘いのポーズが根付いている。無尽蔵の死を描きながらも誰もが死を目指していない、という特殊なスタイルであって、石井隆を語る上でこの点は大切なところだ。

 なんでくだくだしくこんな話をしているかと言えば、私の奥で近作『GONINサーガ』(2015)が今もって木霊を響かせるからだ。柄本祐が演じる森澤という名の警官が気になっている。物語が進むにつれて男の過去が明らかとなっていくのだが、十九年前の雨の大殺戮の現場で夫を喪ったおんな、つまりは森澤の母親は、追慕する余り事件から一年後に練炭による親子心中を企てる。おんなは亡くなるが、物語の回転軸となる息子の方は生き残ったという設定である。殉死の否定という刻印が思い切り押されている。
      
 前作『GONIN』と姉妹篇の『GONIN2』(1996)のスタイルを踏襲した群像劇として『GONINサーガ』は綿密に綾織られたのだったけれど、前作の劇中人物の係累(子供たち)を主役に据えたことにより、母と子のペアが次々に増殖して収拾が付かなくなった。物語をすっきりと見せるための剪定を石井は強いられてしまい、練炭自殺という手っ取り早い手段を使って頭数を削ったのだ、という解釈も当然成り立たなくはない。しかし、これまで石井の劇を観続けた者としては別の波長が放たれて見える。

 石井世界において心中はゼロではないが、燎原の火ほどの勢いはない。むしろ稀有な出来事に数えられる。それだから直ぐに結線を果たす次第なのだが、石井は森澤というキャラクターに【天使のはらわた】(1978)の川島の遺伝子を注入していないか。川島の母親は深く思い悩んで、娘の恵子を道づれにして鉄道自殺を図るのだった。異常を察した恵子はぎりぎりのところで線路脇に逃げ、母親だけが轢死してしまうのだが、生き延びたその事が負い目となって兄と妹のその後を苦しめる。

 【天使のはらわた】の川島哲郎という男は同じく哲郎という名を持った村木の前身であるから、実質的に森澤には村木的な面立ちや思考が宿されたと了解すべきだ。役者の細い顎やすべっとした肌、繊細そうな髪の質感や流れ具合と私たちの内側に定着した村木像とがなかなか重ならず、ついつい見逃してしまう点なのだが、彼を村木と捉え直して『GONINサーガ』を見返せば、さまざまな場面が息を盛り返し、馥郁とした香りを発し始める。

 素性を隠して暴力組織に潜入する『夜がまた来る』(1994)の村木像が再現されるのだし、日陰で声をひそめて暮らす女性を訪ね、真摯に耳を傾けていくフリーのライターとしての『天使のはらわた 名美』(1979)等の村木のいでたちな訳であって、風体と役割の多重性から言っても、石井が森澤に託す想いというのは相当の比重であった。村木役者の代表格である根津甚八が不自由な身体を押して再戦し、満身創痍のその身を横たえる病室ベッドのかたわらに村木の系譜の森澤が寄り添い続けたことは、構図的にも物語的にもさらに密度を上げるところがあって、つくづく凄味ある次元をかたち作っていた。

 根津甚八の現実と役どころが共振し、それをもう一人の村木がサバイバーズ・ギルトに軋んで悲鳴をあげる背中を丸めて見下ろしている。この病室の描写を物語の単なる中継地点と見るのではなく、石井世界を横断投射する幾筋もの光が結像した一瞬と捉えることは可能と思うし、むしろ自然であるだろう。

 『GONINサーガ』は登場人物がことごとく死に絶える大団円を迎えるが、そこには病的な鬱血は認められず、どこか清清しい血潮が巡っていた。愛する存在に先立たれようとも、苦境に息が上がるとも、目指すゴールを死とは定めずに生きられるだけ懸命に生きていく。墓標の下に眠ろうといまだ欲せず、地面を蹴って歩みを開始するのが石井隆であり、その子供たちであって、詰まるところ石井の創作を貫くものは「不死性」とも言えるだろう。







2016年3月10日木曜日

“哀悼傷身・樹上葬・台上葬”


 石井隆の劇にはどことなく硬質な佇まい、眼窩周りにきゅっと力がこもる生真面目さが宿る。人によってはこれを“倫理的”と称してみせ、なんて的を射てきれいな指摘と舌を巻いた。語彙の足らない私はぐずぐずと吃るばかりで決着に至らず、言霊(ことだま)の山野を今日もまた歩き回っている。石井世界のコアとは何か、石井隆とは何を成す者か。焦りやもどかしさに囚われるせいか脳内回線は開きっ放しで、日常のありとあらゆる事象でもって結線を試みてしまう。

 仕事や飲食、勉強に読書、公私問わずささやかな所作や媒体を通じて、幽かな火花が発せられる時があるから嬉しい。古い墓所を目にすれば自ずと劇中の地下空間へと想いが馳せていくし、これまで気付かなかったディテールに焦点が移っていく。大概は思い過ごしだけど、石井世界はそれさえ受け止めて揺るがず、むしろ奥行きを増して見える。遺跡の歴史や構造を専門書に手探れば、そこにも火焔があがり道を照らすのであって、たとえば、先日の読書中に突き当たった“哀悼傷身(あいとうしょうしん)”という字面を前にして不意に泡立つものがあった。

 時おり石井の劇には自傷行為が描かれる。読み手側にとっては胸えぐられる場面で、粛然とした舞台空間に導かれる訳だが、置かれた足場はどれもが同じ高さではない。そこに至る成り行きには何か得体の知れない部分が潜んで感じられ、しっくり来る表現が見当たらずに悶々と過ごしてしまう回も雑じってくる。そうか、あれは哀悼傷身であったか、そのように捉え直せば今になって随分と落ち着くところが実際あるのだ。

 辞書検索で調べると、次のように在る。「哀悼の意あるいは服喪を表現するために,自己の身体の一部を傷つける習俗をさす。その方法としては歯を抜く(ポリネシア,中国のケラオ族),指を切り落とす(ニューギニア,メラネシア,ポリネシア)などの例もあるが,世界的に広く分布しているのは,顔や身体に傷をつけることや,髪を切ることであって,ユーラシア,アメリカ,アフリカ,オセアニアに広がっていた。断髪は一般的に言って傷身の緩和された形式と言えよう。哀悼傷身はユーラシアとポリネシアでは王侯や夫の死に際し,臣下や妻が行い,殉死の代用的な性格が強いが,南アメリカでは階級分化のみられない未開農耕民や狩猟民が行っていて,浄めの機能をもつといわれる。」(*1)

 私が新たに手にした大林太良(たりょう)著「葬制の起源」(*2)によれば、哀悼傷身は徐々に儀礼化、様式化、また肥大化し、意に沿わぬ者を強制的に傷つけたり膨大な洵死者を作る悪循環も出て、やがて権力者側が禁じたり自然と廃れていったらしい。この日本国ですら断髪(つまり出家)ではなく、壮絶な自傷のしきたりが世に蔓延した時期があった事が記録からも読み取れる。いずれにしても過去の習わしのひとつだ。

 【デット・ニュー・レイコ】(1990)のような一部を除けば、石井の劇はおしなべて現代の街が舞台である訳だから、古色蒼然とした語句をここで引き合いに出して解読を図るのは奇異に映るだろうけれど、たとえば劇画【天使のはらわた】(1978)の第三部において、幼なじみを手にかけた主人公の川島哲郎が、友の形見の櫛(くし)でもっておのれの手首をグズズーッ、ズッと傷つけていくくだりであるとか、『花と蛇2 パリ/静子』(2005)の幕引きで、夫を喪った杉本彩が延々と自らの背中を鞭打つ場面であるとか、それ等自傷の現場に巣食う物悲しさ、重い旋律というものは、まさに“哀悼傷身”という表現のみが適当であって他の形容では隙間が埋まらない。
 
 彼ら自傷する者たちが烈しい自責の念に苛まれているのは違いないのだけれど、捨て鉢になっての自罰、自死願望、ありがちな破滅型の造形といった黒い轍(わだち)に足を取られた訳ではなく、温かい血が脈打ち、一種超然たる境地に置かれている点を読み手は注視して良いだろう。変な例えだけれど、背を正しての自傷行為がそこでは繰り広げられている。彼らは生き残ったこと、生き延びることを否定してはおらないのであって、破壊と前進の両面性が絶えず付帯する点は見逃せない。
 
 『夜がまた来る』(1994)での村木(根津甚八)の指詰め、『甘い鞭』(2013)での主人公のSM世界への拘泥には各々それらしき理由づけはあるのだが、これを哀悼傷身の一環と捉え直せばもはや奇抜でも頓狂でもない。古代の儀式は世に消失して久しいが、その根底にあった本能の蠢き、原初的な人間の雄叫びや悲憤と同類のものが劇中に挿し入れられて有る。石井の作劇らしい、表の理屈と裏に潜む真情の重奏。弾みのついた跳躍が認められる。

 同じく大林の書中には、我が国ではあまり見られない葬送の奇習が紹介されているのだけど、地上から離れた場所に死者を横臥もしくは縛りつけ、遺骸の散逸を防ぎながら内臓や体液の腐敗、乾燥を完遂させて、肉体と魂が最終的に再生されることを祈念する“樹上葬”や“台上葬”についても語られている。これなども石井の劇に顕著に現われる“高層階の地獄”といくらか重なって感じられ、私には大きな刺激があった。

(*1): コトバンク 世界大百科事典 第2版
(*2):「葬制の起源」 大林太良 中公文庫 中央公論社 1997


2015年8月14日金曜日

“墜落”


 スカイダイビングの入門体験に臨んだ私は、方向の異なる複数の目的を抱えていた。

 身近にのっぴきならない事態が起きており、死という非常出口に向って傾斜が深くなっていた。直ちに実行に移す元気はなかったが、予行練習とまではいかないものの一体全体それは如何なるものか、シルエットや気配なりを味わってみたかった。

 夏の空にわたしをいざなったジャンパーの、その物腰や口調に、独特の硬さと金属を連想させるひりつく冷気があったのは、彼が直感的、いや、むしろ本能的に、このおかしな中年野郎の奥底に暗い波長がへばりついているのを察知したからだ。身勝手な好奇心に取り憑かれて空港にふらり立ち寄る不埒な連中を、おそらく過去に数多く見知っていて、きっと同じ臭いがすると警戒したに違いない。空中で暴れ出したらどうなるだろう、道連れにされては敵わないと彼の方こそがひどい緊張を強いられたはずであって、今にして思えばたいへん不調法なことをしたと反省している。

 これと同時に、思い切った身投げ、とんでもない高度からのそれを通じて、気持ちの隅々までを整理し尽くしたい、するりと脱皮して成長を遂げたいという祈りに近いものが育っていた。南太平洋バヌアツの通過儀礼ではないけれど、死と再生のすじ道を自分なりに探し当て、ようやっと辿り着いたところがあった。実際この跳躍を経ることで、少なくとも投身の誘惑をきれいに断ち切ったのは本当のことだし、ずいぶんと若返った心持ちがする。

 ひとの営みの大方のものは、第三者の目にはひとつの動作としか映らない。食べることであれ、寝ることであれ、はたまた愛し合う行為であれ、それぞれが単一の動作と思われてしまう。寝食を忘れて一心不乱に取り組まない限り、実際はそんなことは決してないのであって、動作の背後にはいくつもの目的や狙いが混在していて、複雑な思索が延々と重ねられる。感覚としてはマリオネット人形の仕組みであって、色彩や材質の違うたくさんの想いの糸で私たちは巧みに操られ、それでようやく何かを成し得ている。

 ダイビングのさらなる目的は、石井隆の描く“投身する人物”の状況と心情につき、自分なりに肉薄したいという願いがあったのだった。笑われそうだが本当のことだ。

 石井が劇画や挿絵を世間に発表し始め、やがて独自のスタイルを究めて支持を得た頃、そして、その人気に乗じて映画会社が石井に脚本執筆を依頼して、それが陸続と撮られていった頃、劇に登場する人間の多くが自死することにのめり込み、愛憎綯(な)い交ぜの混沌とした物語空間のなかで消えている。

 劇画作品では1979年から1980年にかけて発表されたいわゆるタナトス四部作、【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣(かげろう)】の頃に石井の描写には拍車がかかり、さまざまな死の様相が提示された。ひときわ読者の心を揺さぶり、作者自身をも虜にしたのはビルの屋上や岸壁から投身する者とこれを看取る者とを同一の時空に置いた場面設計であった。劇画【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979)で完成されたそれは、石井の自家薬籠中の物として劇画と映画を通じて幾度も再生を繰り返す。

 脚本作品では『沙耶のいる透視図』(1986 監督和泉聖治)、『魔性の香り』(1985 監督池田敏春)がそれに当たり、監督作品では『ヌードの夜』(1993)、『フリーズ・ミー』(2000)が該当する。石井のインタビュウをつぶさに読むことで、『死んでもいい』(1992)と『夜がまた来る』(1994)の描かれなかった結末も、この血筋にあったと捉えて構わない。

 私たちは反復するこの投身の儀式の陰に、作者が抱懐する強い美意識を嗅ぎ取ってきた。『ヌードの夜』、『フリーズ・ミー』、それに『死んでもいい』と『夜がまた来る』はいずれも後追いであって、これはこれで鮮烈であるのだけれど、【雨のエトランゼ】とその直系にあたる『沙耶のいる透視図』、『魔性の香り』に宿されたメッセージの深甚さは予想を超えて胸に響いた。

 生死の境界を踏み越えてしまった刹那の、ほんとうの最期の一瞬、自身の姿とまなざしを愛する者の網膜に焼き付け、せめてその胸中に忘れえぬ記憶となって生き続けようと懇願する男なりおんなの切々たる心情に私たちは声を失い、長い吐息を漏らしたのだった。特に【雨のエトランゼ】で窓の外を背中側から落下していく名美の、手前にいる村木を見やる瞳の哀しさ、温かさは脳裏に日光写真の残像のように居ついて消えてくれなかった。気が滅入ったときや何か大きな失敗をやらかして死の幻想を抱いたときには、決まってわたしの目の前にちらつくのだった。

 スカイダイビングで自由落下する行為は、我が身を彼女の時間に重ね、今際の際の感覚を体感する絶好のチャンスであったのだし、その事を経てより一層、隙間なく石井世界に寄り添えるものと期待した。

 さて、実際のところはどうだったかと言えば、雲ひとつない蒼空に突き落とされる行為と、古くて小さな雑居ビルの屋上から墜ちていく事では最初からまったく状況は違うのであって比較のしようがなかった。それは最初から分かりきった話なのだけど、猛速度で雲のベールを何枚も突き抜けながら、このような目まぐるしい状況でわずか畳一枚ほどの狭い窓枠の中を覗き見して、室内の奥まった位置に立った男の動作を視認して永別のまなざしを贈り合うことなど、実際上は不可能という印象を持ったのだった。

 石井隆はきわめてロマンティークな筋立てをリアルで重厚な絵柄で描き、強引に推し進めるところがあるが、この投身する名美と村木とが一瞬の邂逅を成し遂げる場面は、劇画や映画でしか創り得ない奇蹟のようなもの、と位置付けてよいだろう。

 実際に世にあふれる墜落、墜死とは、思考を差し挟む余地のない空虚で慌しい時間と思われた。そういえば以前、はしごから落ちて腰をしたたか打ったことがあったけれど、フリーフォールとあれとで実感はそんなに違わない。【雨のエトランゼ】の哀しい名美が仮に実在したならば、脚立から落ちるようにしてあっという間に地面に激突し、唇をすぼめた驚いた顔、きょとんとした目をしてきっと逝ったに違いない。

2015年1月12日月曜日

“魂の追尾”~「根津甚八」 根津仁香 著~


 市井のひとの評価は、内奥が透かし見える航跡の周知と思慕あふれる声掛けとで構成された“弔辞”に良くも悪くも集約される。その点において先日の会は清清しいものがあった。七十歳を目前にして病いに散った人の葬送で、生前の面影をあざやかに照射する一文が奉読された。壇上の遺影の微笑みが強まって感じられ、生き生きと血が通って見えてくるから不思議だったのだけど、多分会場のどこかで故人もこの手紙を聞いて喜んでおり、それが現われたのじゃなかったか。

 こころのこもったひとつでも聞けばそれだけで随分と救われた気持ちになるものだが、高齢化と核家族化が影響して赤十字社からの名ばかりの感謝状、それも代読という味気ない文面で幕をひく弔いがここのところ多い。そんな席に交ざるとつくづく生とは何かを考えさせられ、帰路に着く頃にはどんよりと重たいものに包まれる。痕跡を持たない泡(あぶく)のような終わり方、それが私たちの向う先かと嘆息せざるをえない場面が周りに増えていて、仕方ないと思う反面、やはり、どこかもどかしくも思う。

 交歓の日々の、せめて断片だけでも後世に残せれば素敵なのだけど、思い出は“かたち”に変換されずに朧(おぼろ)となるは避けがたい。弔辞はそれに抗するわずかな機会となるが、考えればその大半だって箪笥や机の引き出しの奥に程なく埋もれてしまう理屈だから、有るような無いような至極ぼんやりしたものであって、“かたち”あるものとは到底言えない。
 
 一部の著名人、芸術家たちの場合、かれらの半生なり思想、肉声といったものは良くも悪くも伝記やインタビュウという“かたち”となって複製され、時代をまたいで伝えられていく。天邪鬼なわたしは彼ら特別な存在の名声や富に対して左程の嫉妬を覚えないのだが、こういった航跡の在り在りと世に残せることには強い眩しさを感じてしまう。

 この流れで引き合いに出すのは失礼に当たるかもしれないが、たとえば「根津甚八(ねづじんぱち)」という、その名もずばりの一冊(*1)を先日読みながら、私はそこに書かれた俳優の足跡とこれを“かたち”にしてみせた執筆と編集の道程に深く嫉妬した。俗世とは表も裏も異なる芸能世界に暮らすことは想像を絶する苦難をともなうはずで、どれ程の緊張や衝撃を日毎夜毎に抱えるものか。加えて根津甚八という役者の半生の凄絶な様相はページを繰る指を震わせ、呼吸を乱すほども酷い顛末の連(つる)べ打ちだから、それを羨ましいと評するのは全くの間違いなのだけど、それでもやはりこの本は心底まぶしい。

 石井隆の絢爛たる映像世界の中軸に座り、疾走し、牽引したその姿は脳裏に刻まれて今も忘れられない。『月下の蘭』(1991)、『ヌードの夜』(1993)、『天使のはらわた 赤い閃光』(1994)、『夜がまた来る』(1994)、『GONIN』(1995)、そして『黒の天使 Vol.1』(1998)に相次いで出演し、石井がかつて描いた端正な顔立ちの川島や村木といった男の、胸元に立ちゆれる色香や遠いまなざしを見事に遺伝継承し、劇画世界の裾野を映画の山稜へと繋ぐ森の役目を果たした。ときに風を受けて鳴動し、ときに紅蓮に染まってつよく酔わせた。冬枯れした木立となって手招きし、肌恋しさにざわつく観客の孤弱を慰めた。

 本書にはそのような石井各作品に関わったその時どきの根津の身体の調子や裏話も含まれてあるから、石井世界に耽溺する人は一読の価値がある本とは思うのだが、タレント本以上の重さと密度をもって胸に迫るところが正直言えばあるのだった。評論家や記者、はたまたゴーストライターの手になるのでなく、これが根津の細君によって編まれたものであり、夫の病症と事故の詳細、置かれた苦境が迂回されることなく実物大のディテールをともなって開示されていることが理由として大きい。

 加えて、ほとんどの男がそうだと思うのだけど、自宅では黙して語ることの少ない仕事場での軋轢や衝突、追悔につき、この妻は正確な記述を目指して当事者をひとりひとり訪ねて回り、そこで根津甚八という役者はいったい何だったのかを彼らに問い掛けるのだった。答えを手繰りあわせて、己と読者の視線を徐々に束ねていくその道程に宿る切実さ、清廉なるところがじんわりと甘く胸に堪えるのだ。

 第三者ではなく、共に暮らす妻に師弟や関係者を取材させる構図に対して、根津が、それとなく抵抗を示していく様子も文中に幾度も見てとれる。その辺りの生理も男同士としてよく伝わるものがあり、取材から編集、出版へと無事に到達出来るのか、読んでいてはらはらさせられる局面が雑(ま)じっていく。回顧録や資料本とはまるで違った感懐に捕らわれるのは、そんな心の綱引きが行間に常に垣間見れるからだ。

 石井が好んで描く題材に、おんなの過去を探すうちに身もこころも一体化していく記者や探偵の話があるが、あれとちょっと似た面持ちがある。根津の航跡と同時に筆者のそれも読者は発見してしまい、二本の筋が撚(よ)り合わされていくのを目で追う仕掛けであって、読み進むごとに胸のあたりが手のひらでゆっくりと押された具合に温まる。つまりは血が通ったルポルタージュであり、それも目的の粋をはるかに越えてしまっている。根津仁香(ねづじんか)というおんなが頼まれて根津甚八という男を調査し、そのうち彼の胸の奥の洞窟の深いところまで次第次第に下りて行く訳なのだが、過去を探りながら実際は“今”へと手を差し出しているのだった。内奥までを透かし見せる経歴の明示と思慕の言葉の数々が、現に生きている相手に向って愛する者の口から発せられていることに感動し、これは何だろうと、こんな本は読んだことがないと気付いて目の奥がぐんと明るさを増していく。

 プロローグを彩るのは自宅の居間で撮られた根津の孤影であったものが、終章での見開きには、ソファに座るその背中に寄り添う形で筆者もまた印画紙に取り込まれている。編集担当者の透徹したまなざしに助けられながら、一幅の絵巻が完成されているように思う。鈴木成一デザイン室の装丁も好い。照柿をより深くした趣きのカバーは、粗めの触感の地紙の選択と相まって光を吸い込み、根津という引力を具えた役者を巧く表現した。そこに幾らかにじむ感じで置かれたゴシック体の大きな題字「根津甚八」に従う、妻である筆者の名前がすっきりと胸張った感じの明朝体で控えめに置かれてあるのも、魂がもうひとつの魂に健気に追走していく、そんな崇高な両者の在りようを示して可憐過ぎる。

 奥付を見ると発行日は2010年の9月27日とあって、かなり前に出ていた本なのだけど、書店で見て手に取った記憶が一切ない。おそらく、その後しばらくして起きた震災でわたしの精神状態がひどく変調し、書棚の間をゆったりと回遊する余力を失っていたのだろう。人に出逢うタイミングがあるように、映画や本との出逢いもまた時期を選ぶ。今こうして遅れて手にする事は、きっと歳月がわたしの神経を慰撫して視界を拡げた結果なのだろう、と漠然とあれやこれやを想い描いている。

(*1):「根津甚八」 根津仁香  講談社  2010

2014年9月18日木曜日

“参列”


 上りかまちに腰をおろし、革靴の汚れをぬぐう。療養の甲斐なく知人が逝き、これから弔いの輪に加わらねばならぬ。つき合いはかれこれ二十年にもなるだろうか。腰掛けて細い足をひょいと組み、半身斜めにした姿が瞳によみがえる。歯を出して快活に笑う様子が懐かしい。つま先に靴墨をのばしながら、彼とのやりとりを思い返した。無理をたくさん聞いてもらったし、合間に交わす世間話もこころ和ませる時間だった。

 それにしても葬儀のための身づくろいというのは、実に厭なものだ。黒服が婚礼の場でも使われる慣習もあって、その辺りの記憶が蘇っていくにつれ気持ちがじぐざぐになる。等身大の自分とはやや違った、嘘くさいモノにすり替わっていく醒めた感じが付きまとう。

 霊前に供える紙幣には折り目をつけて袋つめするのに、礼服は汚れのないように徹底して気を遣うのはなぜか。不意討ちをされた驚きなり悲しさを体現するのが葬儀の場であるなら、あえて靴先は汚れたまま駆けつけるべきでないのか。背中には糸くずの一本ぐらい踊っていた方が自然ではないのか。いやいや、そうではない、互いに気配をころし、会場の闇に溶け込み、そうして遺影と遺族を静かに囲めばよいのであって、各人のこころ模様は二の次だ。そつのない身ごなしこそが参列者の務めだろう。───湿度や速度の異なる感情が、首の後ろあたりでふわふわと漂う。

 そういえば石井隆の劇において慶弔の席が描かれることは稀有であり、あれは一体全体何故だろうと首をひねる。死に至る瞬間や遺骸をあれほど丹念に描きながら、それを弔う場面を入れないのは石井作劇のひとつの特徴と言える。たとえば『夜がまた来る』(1994)で暴力組織への潜入捜査がばれて葬られた永島敏行は、雨降る埠頭にようよう身体を引き上げられると、次の場面には小さな骨箱へと成り果てて自宅アパートの壁際の棚に置かれてしまう。

 斎場や寺、献花や弔辞、それに家族や友人といったものが一切無いような唐突で大きな跳躍がある。承知の通り『GONIN』(1995)の終幕にもこの跳躍はそっくり再現され、ターミナル地下で殺された佐藤浩市はその後の葬儀や荼毘の様子がものの見事に割愛されているのだった。幕引き間際になってから長距離バスの座席に骨箱となって現れ、命脈の尽きる様子は駆け足でもって締めくくられる。
 
 祝い事についても同じ傾向は読み取れるのであって、年ごろの女性が数多く描かれながら実際に花嫁衣裳を目撃することは皆無に等しい。劇画の掌編【愛の景色】(1987)にかろうじて披露宴の様子が描かれているが、頁の大半は着付けをされていく花嫁がこれまでの恋愛遍歴を長々と回想する内容であるのだし、いざ宴席のただ中に歩み入れば出席者も新郎も表情は硬く、抑制された描画にとどまっている。

 式典の仔細を巧みに回避する石井の真情については知る由もないが、衣服の柄や素材、背後にある家具や装飾に至るまでを徹底してコントロールする事を自らに課した劇画作品群の、呆然とさせられる緻密な描写をここで思い返すならば、会場に群れなす者それぞれの表情や言葉、仕草といったものを彼らの勝手気ままに任せること自体がまず生理的にきびしいのかもしれぬ。

 人影で埋まるパーティーや闇のオークション会場が『花と蛇』(2004)や『花と蛇2 パリ/静子』(2005)において出てくるが、仮面を装着させてみたり、照明をぐっと落として表情や言葉を奪っていくのはそういう深慮が働いたからではなかったか。頭数を可能なかぎり削ぎ落とし、彼ら選ばれし人間に濃厚な魂を吹き込もうとする。石井の創る舞台でモブシーンは、根幹を成すことはない。赤裸々な想いなり表情を刻印する作業を、さながら白兵戦のごとく、物狂おしく重ねていく。

 いや、待てよ、『GONIN  サーガ』(2015)ではエキストラまで動員されて撮影が行なわれたと聞いた。目的はライブシーンと共に“結婚披露宴”を撮るためと言うのだから、これは一体全体どう捉えたら良いのか。よもや仮面付きの披露宴、ということはあるまい。なんてことだ。

 私だけでなく石井世界を凝視し続けた者にとっては、もうそれだけで十分に鳥肌の立ってしまう話だ。旧作の『GONIN』ではディスコでの群舞があり、レストランで飲食に興じる人の遠いざわめきがあったが、石井世界を俯瞰するとあのような人の群れ集う様子を描くこと自体が尋常ではなく、相当の冒険や混沌であり、熱狂と呼べるだろう。石井はあの19年前の“活劇”の世界観を踏襲すべく確かに動いており、加えてこれまでは回避していた“式典”を正面から撮り込もうとしている。決意や覚悟は相当のものだとそれだけでも知れるところであって、現場で発生している武者震いの波動はこちらをも揺すっていく。
  
 うしろの方の席で背中を丸め、そんな事をうっすらと思う。気持ちを外へ向けて飛ばさないと大泣きしてしまいそうだ。故人の若さとその突然の別れに誰もがひどく動揺している。補助椅子まで出された満員の会場は静まりかえり、嗚咽に染まった哀しい弔辞が続いていた。目をくりくりさせる遺影の笑顔がこころに沁みて、忘れられない式になってしまった。
 





2014年7月5日土曜日

“砂伴霖(サバンナ)”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(2)~


 数ヶ月ぶりに沿岸の町へ足を運んだところ、道路の修繕が一段と進み、片へりには黒々とした毒蛇のごときケーブルを先に這わせたコンクリートの柱が立ち並んでおり、復興の手がいよいよ此処にも届いたかと大層驚かされた。茫洋とした真空地帯の面持ちは既にない。大型の工事車両が威勢よく行き交い、海岸線に目を転ずれば建設途上の白い防波提が万里の長城よろしくどこまでも連なり、異様な迫力をもって目に映るのだった。巨大な資金と労力が投じられた凄いものを見せつけられている感じがして、胃のあたりがざわめく。

 もっとも手品のようにするすると空中を渡って流れる電線の、分岐し、繋がっていく先は、一階をやられ、かろうじて二階部分で踏ん張りながら人が暮らしているらしい様子の数軒の深傷を負った家があるばかりであって、新築は見当たらない。黒い波の記憶に果敢に抗って郷里を再生せんと発奮する国や県の想いは伝わらないではないのだけれど、元々が過疎化の加速していた場処であったし、正直な話、このあたりの土壌を測ればやや高い数値が出るとも聞いている。以前あった町並みがすっかり元に戻るまでの道のりは、想像を超えた年数が必要かもしれない。

 業者以外の影がなく、道の左右は空き地となっている。瓦礫が取り除かれたざくざくした泥土から建物の基礎部分だけが鎖骨のように突き出し、海風に吹き洗われながら痛々しく陽に晒していた数ヶ月前までの平野が、いまや野辺になっている。視線の遥か先には陽の光に照り輝く堤の尾根(おね)がうねうねと続いているわけだが、そこまでは膝下ほどの背たけの夏草が隙間なく生え、緑色に埋め尽くしているのだった。人の倍ほどの高さの樹がところどころに、それもまばらに一本、また一本という具合に佇立し、左右対称に枝を伸ばしている。もちろん新たに植えられたものではなく、あの天災を生き残ったものである。この風景を前にして外国に来たようだ、アフリカのサバンナのようだと語るひとがいるが、確かに写真や映画で見るあの感じにひどく似ているのだった。

 間近で見たそんな奇妙な光景と、先日来ずっと考え続けている『GONIN サーガ』(2015)のことが頭の奥でくっついたり離れたりして、私のなかで渦を巻いている。石井の劇の原風景とどこか哀しく重なって見えた。たくさんの命が奪われた現実の地と、切った張ったの娯楽映画とを連結させて考える私の病癖に対し、不快を感じる人は当然いるに違いないけれど、わたしは石井世界を単なる夢の話とは捉えておらなくって、心の拠りどころ、いや、取り外しの利かない回路のようにして過ごしている。石井世界を考えることは自分を知る術であり、世界の淵に指先を伸ばして何かの端っこをつかみ取る方策である。

 表面上は可視できない領域となってしまったが、この草むらは長らく住まった人の、たくさんの係累が連れ去られたままとなった場処に違いはなく、そこを歩きながら、だからこそ余計に強く家族というものへ思いが馳せたのだった。突如生まれたこのサバンナには、記憶が確かに埋っているし、破壊された“家庭”が草の奥からそっとこちらを覗いている。

 振り返れば石井映画のほとんどが、可視化し得ないものとして家族を扱い、はたまた可視し得ない涯へと家族を追い込んでいる。冒頭で激甚な災厄が襲い狂って徹底的に破壊されるのだし、または、それさえ描写する暇も無く、あらかじめ解体されてしまっている。生き残った家族へも風が吹き寄せて、か細い炎はゆらめいて至極不安定だ。この執着は奇妙ながらも石井隆という作家を貫くひとつの特性、感性として無視出来ぬ点であろう。

 たとえば『死霊の罠』(1988 監督池田敏春)での怪人や『GONIN』(1995)の根津甚八と竹中直人なんかが演じた男たちは、すでに消散した家族の記憶を背負いつつ物語に登壇するのだったし、『月下の蘭』(1991)、『黒の天使 Vol.1』(1998)などでは幕が開いた直後に家族は殺害されていく。『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)にしても『死んでもいい』(1992)にしても家族は散り散りになる間際にあって、実際そのような道をたどってしまう。

 『フリーズ・ミー』(2000)、『フィギュアなあなた』(2013)では、主人公の苦境を救えたかもしれぬ家族は遠い田舎住まいであって、話すにしても電話の受話器越しに当たり障りのない内容をもぞもぞと交わすだけであるのだし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)にあっては、せっかく母がいて姉がいて、父親らしき存在さえあるのに彼ら自体が鬼畜の振る舞いで主人公の精神を圧壊させてしまう。ここまで家庭を消失させることに尽力して見える創り手は、東西を見渡しても稀有ではないか。

 『夜がまた来る』(1994)は苛烈な体験の数々がヒロイン名美(夏川結衣)を襲うのだったが、なかでも慄然とさせられるのは夫(永島敏行)が殺害され、火葬を終えた直後の場景であった。整頓し、小さな後飾りの壇を設けて骨壷と遺影を飾ったばかりのアパートの一室に名美とは別の人影がある。夫なのか名美なのか、どちらの係累にあたるか分からぬが、身振り口ぶりから近しい血筋の者と知れるのだったが、打ち沈む名美を独り置いて彼らはさっさと退場し、それを待ったようにして悪漢数名が部屋へ入り込んで暴れまくるのだった。家族というものが、係累というものがこんなに無力感を持って描かれる場面はあまり無いように思う。

 家族を追い立て、打ち倒していくことに作者がこだわる背景にあるのは、怨憎ではなくって、その逆の愛情なり憧憬が在るように感じ取っている。あえかに、けれど執拗に家族への回帰を望む吐息が全篇に薫る。『GONIN サーガ』を演出するに当たって石井は “家族たち”という語句を繰り返す、これまであまり見ないコメント(*1)を寄せているのだが、それは甘ったるい話を書くということで決してなく、凄絶な生き死にを通じての、肉親への裏返った愛慕の発露がこれまで以上の勢いとなって芽生え、萌えあがり、紅蓮の花弁を付けるという予告であろう。足元に埋もれた黄泉をひたすら覗きながら、野獣の群れなすサバンナを自らも野獣となって疾走することの宣言だろう。それを想うと今から緊張が避けられず、もの恐ろしい気分に包まれている。

(*1): http://www.cinematoday.jp/page/N0063839







2014年2月27日木曜日

“たったひとりの物語”~石井世界の涙①~


 四半世紀ぶりにフランスの恋愛劇(*1)を観直す機会があったので、これに合わせて演出家のインタビュウ本(*2)を書棚から引っ張り出し、関連する箇所をたどって過ごした。

 かりそめの恋をかたくなに信じ、若い将校を追って海を渡り、集落から孤立した挙句に発狂した実在の女性を天才肌の女優が演じていた。幸いそんな時期を過ぎた身とすれば、ひたすらご愁傷様と思い、痛ましく感じるばかり。我ら人間という器の不完全さ、あまりの脆弱さ、その反面生まれ落ちる多様性、時に目を瞠るたおやかさと大跳躍に首を傾げたり共振したりの二時間だった。

 さて、作品について語る監督の言葉に乱反射する箇所があったので、書き写して思案の口火にしようと思う。恋慕の焔(ほむら)に焼き焦がされたおんなはわたし達に向けて二度、三度と落涙してみせるのだったが、トリュフォーはそんな景色にからめて以下のような発言をしていた。

「今回わたしが気に入ったのは、たったひとりの愛の物語を語ることができるということです。中尉などはほとんどどうでもよい存在です。アデルの愛は彼女の頭のなかだけの愛なのです。それはひとつの妄執(もうしゅう)です。今度だけは批評家も、わたしがなまぬるい映画を撮ったとは言わないでしょう。この映画には涙を流すシーンが多い。われわれはもう滑稽であることを恐れたりはしませんでした。」(*3)

 “滑稽であること”とは勢いのある言い様である。無遠慮ではあるが絶妙な投げ掛けで、あれやこれやと想いが湧いてくるのだった。涙を見せて泣くという行為自体をはしたないと感じるのか、それとも役者から台詞を奪う間を無駄な空隙と捉えての発言であったか、木づちの音がこつこつと聞こえるような颯爽たる話術を駆使する監督であったから、きっと後者なのだろう。嗚咽(おえつ)はリズムを裁ち切り、劇の停滞を招く。許されるとすれば、それは対人関係を持たない一人称の詩篇に限られるのではないか。アデルの狂気を描くことは徹底した独唱であるから涙や嗚咽(おえつ)は進行の邪魔をしない、そんな感じにきっと違いないのだが、それにしても泣くという行為がここまで表現者に“恐れ”を抱かせるものかと思うと、とても興味深くてしばし頭の奥で反響した。

 幼少時から今に至る自身のことや、あの映画はあの漫画はどうだったかしらと懐旧する中に、やがていつものように石井隆の世界を手探る時間となった。これまで意識して考えたことは無かったが、石井は涙の表現につき慎重であるのだし、トリュフォー並みに、いやそれ以上にこだわり抜いて来たことが解かってくる。

 同時代を席巻した他の作家、たとえば上村一夫(かみむらかずお)の劇画をどれでも良いから手元に置いてめくれば、程なくおんなの頬をはらはらと流れる涙を視止めるはずである。やがて一箇所で円(まる)く溜まって花弁と化し、蝶になり、世界を投影する銀色の球体になったりする。そこまで抒情的な技巧を凝らさぬまでも、多くの表現者は泣くという所作なり透明な分泌物を己の作中に前向きに、道具のひとつとして採り入れることに躊躇しない。(*4)

 石井の劇はそうではない。恋情や性愛を題材に選んだ劇が大半であるから、登壇する者は濁流に放られた小船のように揺さぶられ消耗していく。座礁して忍び泣きたい場面にだって突き当たるのだけど、石井のおんなも男も実に巧妙に涙を隠そうとするのだった。いや、そのように書くと泣き顔を滑稽と思い、落とす涙を恥と感じて虚勢を張るという意味合いが出てくるが、そうではなく、石井の劇空間自体がその瞬間にゆらめき、震動し、涙や嗚咽を隠す方向に動いていく。

 【女高生ナイトティーチャー】(1983)と【裸景の漂流】(1984)は同時期に発表された小編であるが、共にひとコマに限って涙は描かれている。あっ、泣いているんだ、と気付いた刹那、前者では飄々とした日常の雑音が、後者では一陣の風が紙面を覆っていき読者が、そして、おそらくは登場人物が感傷へと雪崩れることを食い止めるのだった。

 中篇【赤い微光線】(1984)の終盤においては、同棲している名美と村木が衝突し、背後からの怒声に反射した名美は生活の疲弊を嘆き、こころの磨耗を訴える声を迸(ほとばし)らせるのだったが、それを耳にするや否や聞き手は即座に背を向けて枠(わく)外へと退出する。そればかりか作者は、おんなの密度ある長い黒髪をうなだれる顔おもての前に簾(すだれ)のごとく垂らし、読者の視線を完全に遮るのだった。酔いと絶望から俯(うつぶ)していくおんなの右手にはアルミ缶が握られてあるのだが、徐々に傾き、飲み口から黄金色の液体が垂れてベッドを湿らせていくのは涙の隠喩に他ならないから、この時、明らかに泣いているはずなのに、石井はその状況描写を意識的に回避する。

 コマと頁を多く割きがちな涙顔(なみだがお)を様々に工夫して隠蔽することに注力して見える石井の話術は、劇画から映画へと連なる潮流においても一貫する。たとえば『夜がまた来る』(1994)で潜入捜査官の夫を殺されたおんな(夏川結衣)は、その後、復讐のため修羅の渦(うず)に身を投じていくが、局面ごとに苦痛に晒され絶叫することはあっても“泣くこと”を執拗に避ける。苛烈な大団円を迎えた夜明けの屋上で遂に身もこころも砕けて、あきらかな泣き声が朗々と響き渡るのであったが、その時、カメラはおんなの側からそっと離れて宙に浮き、天空をふり仰ぎ、尾を引いてたゆたうその声は紫の大気と楽曲に吸い込まれて消失(きえ)るのだった。涙はここでも隠蔽される。人物造形の点でも舞台造形の面でも極めて特徴的なものであり、これに目を凝らすことは石井隆の世界全体に想いを馳せる上で有効と感じている。


(*1): アデルの恋の物語 L'Histoire d'Adèle H.  監督フランソワ・トリュフォー 1975
(*2):「トリュフォーの映画術」 アンヌ・ジラン編 和泉涼一、二瓶恵訳 水声社 2006 
(*3): 同 362頁
(*4):参照画像は 離婚倶楽部 下巻 上村一夫 まんだらけより2013年12月に上梓されたもので、初出は1974‐75年。






2013年7月11日木曜日

“手を添えて洗うこと”



  若者(柄本祐 えもとたすく)と廃墟ビルから拾われてきた等身大フィギュア(佐々木心音 ささきここね)とのほろ苦い同棲模様を描く一端として、『フィギュアなあなた』(2013)にはシャワーシーンが挿し込まれている。狭いブースに押し合うように立ち、硬直して動かぬフィギュアを男が一方的に洗い清めていくのだった。フィギュアの肩から足先をシャボンの白い泡が薄っすらと覆っており、男は柔らかい声で言葉を投げ掛けながらその表皮を撫ぜていく。

  胸の奥にたたずむ羽根車に風を吹き込み、からころと回してはエロティックな夢想へ手引きする役目がある種の映画には担わされていて、『フィギュアなあなた』もどうやらその範疇に含まれる。豊かな乳房やくびれた腰、ふんわりとふくらんだ腹などが大きく舐めるように映されていくのだったし、男の手の甲と長い指先がさわさわと滑り降り、やがて谷間に入って奥を探る気配であって、私たちの瞳は自然と銀幕に縫いつけられてしまうのだった。

  恋慕う相手と共に浴室に入って肌を撫ぜてみたり、湯をほとばしらせて洗い清めることは誰にとっても嬉しい行為だ。もたらされる五感のときめきは原初的な悦びと直結しているから、柄本演じる若者だって手ごたえのある快感を得たに違いない。視覚と触覚をいたく刺激するこの浴室の情景は、だから裸を見せたいだけなのだ、扇情目的なのだ、と割り切るのが当然と言えば当然だろう。

  それはそれで結構なのだけど、石井の映画というのは熟考をうながし違った角度の意見を受容する力がそなわっている。別な視方はないだろうか。私事で恐縮だが、かつて手を怪我してギブスの世話になったことがある。『フィギュアなあなた』を想うとき、あの時の景色がどうしても思い出される。

  二週間をひとサイクルとして古くなったギブスは裁ち割られる。電動カッターで一文字に切れ目が入れられ、開排器と呼ばれるいかめしいハサミ型の道具でみしみしと割られてひさしぶりに自分の手のひらを見たのだった。包帯の奥に幽閉された人間の皮膚というものに始めてお目にかかった訳だが、全体的に黄色かかって生気なく、さすがに痛々しくって哀れなものである。隅の流し台に案内され、ざっと洗った後にすぐさま新しいギブスにくるもうとする、そんな慌ただしい流れなのだけれど、筋肉はひどく硬直しているし、なにぶん利き手でもある。縫合の痕は紫色のかさぶたとなって触ると痛いから、力の入れ加減こすり加減が分からずに難渋した。

  突然におぞましい景色が出現して蒼ざめた。老廃物が手袋よろしく堆積しており、それが水を浴びてしばらくするとふやけ出す。こすればたちまち糸状、もっと直線的に喩えれば、おびただしい数の回虫が手にたかってヌタヌタと蠢くような陰惨この上ない様相を呈したのだった。聞いてはいたが、こんなにひどいとは思わなかった。無尽蔵に垢(あか)はひり出され、いくら洗っても洗っても一向に減ってくれない。恥しさを覚えてたじろぐ。

  “穢(けが)れ”ということをそのときに実感したのだった。塗料や粉塵、食品残渣から出る汁、煤(すす)にもろもろの油、そこに労働や運動にともなう汗を加えてもいいのだけれど、それらは表層に貼り付いた“汚れ”であり、根本的にこれとは異なる。肉体の奥に強制的に溜め込まれてしまい自力では回避しえないそれが、直腸や陰茎といった宿命(さだめ)られた器官ではない、本来は清潔を保つことが容易な素肌なり四肢を割り裂いて突出すること、その様を他人に見られることがひたすら悔しいし、たまらないのだった。さむけと恥辱の火照(ほて)りがない交ぜになって、居心地は最悪だった。

  私の緩慢な動きを封じる勢いで看護師は両手を差し出し、挟み込み、シャボンを泡立てて洗い始めた。表にも裏にも気負いは一切感じられず、それでこちらも無心のまま、それこそ人形にでもなった心持ちで身を任せていった。あまりに自然過ぎて礼を言うタイミングすら摑めなかったほどだ。医療にたずさわる人の鍛え抜かれて鋼(はがね)と化した心は、垢(あか)に覆われてざらつく患部に触れることなど何程のこともなかったのだろうが、それでも見事と思うし、つくづく有り難い一瞬だったと感じる。


  『フィギュアなあなた』のシャワーブースでの若者とフィギュアというのは、もしかしたらそのような看護師と患者にも似た間合いにあった、と捉えるべきではなかろうか。廃墟ビルに棄てられた無数のマネキン人形たちと同様に佐々木演ずるフィギュアもまた虚栄や欲望を煽るための道具として酷使され、十年分かもしれない夜露やほこりにまみれ、ひどく穢(けが)されていたはずなのである。何がしかの深慮が及んで銀幕には示されぬだけであって、排水口に渦を巻いて去った洗い水は、正体の分からぬ残滓を交えて黒く濁ったはずなのだ。

 時に石井は禊(みそぎ)の景色をはめ込んだ、踊り場めいた空間を創出してきた。性愛を目的として衣服を脱がせるのでなく、肌のなめらかさと弾力に舌鼓を打つために洗うのでもない。地に倒れて心を閉ざしてしまった相手を同じ生きものとしていたわり、手を添えて回復を図っていく、そんな場面だ。つまり、私たちはここで『天使のはらわた 名美』(監督田中登 1979)の終盤の浴室や『夜がまた来る』(1994)での地下室を振り返り、穢(けが)れたおんなの身体を懸命にぬぐっていく男を想起して良いのではなかろうか。くたびれ果てた身体を男に預け、ゆっくりと蘇生していくおんなを想っても良いのではないか。

 シャワーシーンに前後して執拗に繰り返される一連の児戯にしても同様であって、あれを単なる“ままごと”と見るか、それとも廃人寸前の魂にぴたり寄り添った“介護”や“リハビリテーション”と捉えるかで、この『フィギュアなあなた』という物語の深度と色彩はがらりと転じるように思う。




2013年3月23日土曜日

“定義”



  石井隆の【魔奴】(1978)、【黒の天使】(1981)、【夜が冷たい】(1985)、【魔樂】(1986)、【眠れない夜のあなたに】(1987)といった劇画作品や一部映像作品には、男性器や性具をこえた鋭利なもの、硬いものが突如として襲いかかる凄絶この上ない景色が描かれている。人目をはばかる描写に若い頃のわたしは慌ておののき、これを家人なり知人に見られては誤解される、一巻の終わりではないかと本棚の前で大いにうろたえた事だった。戸棚をごっそりと引き抜いた後に覗き見える背板との狭い隙間、地下空間めいた棚の底面といった日の差さぬ暗がりに急遽隠したのだったが、けれど正直言って、その行為にこそ何か後ろめたい気持ちを強く持ったのが本当のところである。

  石井の作品を背徳に満たされたもの、狂人の戯言、忌避すべき悪書と捉えることは毛頭なかったからだ。強引に衣服を剥ぎ取った上で人体を拘束し、傷付け、刺し貫いて死に至らしめる酷烈な描写が連綿とかき連ねてはあるが、そこには傷付けられ、貫かれることの不快さと怯え、苦痛が強く寄り添って離れなかった。石井隆の作風を称して世間が(また、インタビュウにおいて石井自らがなかば捨て鉢に)使うカタカナの卑俗な形容とは隔絶した、揺らぐことのない地平を石井の物語に感じていた。上手く言い表わす自信がないから苦しまぎれに隠しもしたが、作者の倫理観に対して絶対的な信頼を置くところがあったのだ。

 先日、精神と肉体を粉砕せしむ現実世界の性暴力に関して、もう少し実態に則した知識を得たくて図書館まで足を運び、幾冊かと向き合う時間をもった。その中に興味引かれる記述があった。アメリカの弁護士で法律学者でもあるキャサリン・マッキノンCatharine MacKinnonが1984年に起草した規制条例に関する内容である。(*1)

  マッキノンは「ポルノとは“映像や言葉を通じて女性を従属させるような性的にあからさまな素材”である」と捉え、性犯罪、性暴力を助長するポルノを社会から根絶することが悲劇を減殺(げんさい)する近道と考えた。その見地からインディアナポリス市の条例(*2)を起草したのだった。根絶すべき“ポルノ”とはいかなるものか、彼女なりに定義したのが次の6つの条件である。

①、女性が苦痛や屈辱を楽しんでいる性的対象物として表現されている。
②、女性が強姦されることで性的快楽を味わっている性的対象物として表現されている。
③、女性が縛りあげられ、切り刻まれ、切断され、青あざを作られ、肉体的に傷つけられ、あるいは、手足をもぎ取られ、頭部を切り取られ、肉片にされ、身体の部分に切り離される性的対象物として表現されている。
④、女性が物や動物で貫かれているものとして表現されている。
⑤、女性が侮辱され、傷つけられ、低級なものとされ、拷問される筋書きの中で、みだらなものとして、卑しいものとして、血を流しているものとして、あるいは青あざだらけのものとして描かれ、あるいは、これらのことをセクシーにする文脈のなかで傷つけられるものとして表現されている。
⑥、女性が支配され、征服され、侵害され、略奪され、所有され、利用されるための性的対象物として表現され、あるいは奴隷状態や従属状態におかれ陳列される物として表現されている。(なお、これらの条件は女性のみならず、男性にも子どもにも同じ状態があれば適用される。)

 石井隆の作画には③、④、⑤、⑥に該当する箇所があるから“ポルノ”ということになってしまうのであり、彼女の目線にたてば自然と規制の対象ともなって世間から締め出されてしまうのだろう。しかし、読んでいてどうしても腑に落ちない。石井世界を“ポルノ”と呼ぶことには抵抗を覚えてしまう。マッキノンの条項を一部流用し、石井世界の実状にあわせて改めればこんな具合だろうか。

①、性的対象物として表現されるが、そのことに女性が苦痛や屈辱を感じている。
②、女性が強姦される性的対象物として表現されているが、そこで性的快楽を味わえない。
③、女性が傷付けられ、物で貫かれていることに理不尽、哀憫、憤怒を見い出している。
⑤、侮辱され、傷つけられ、低級なものとされ、拷問される文脈のなかで蠱惑的な姿態を女性が見せるとき、それは危機を回避する緊急避難策として立ち上がっている。
⑥、女性が支配、征服、侵害、略奪、所有、利用されるための性的対象物、あるいは奴隷状態や従属状態におかれ陳列される物からの離脱や闘争を描いていく。

  これが石井世界の一貫した流れとなっている。裸体の乱舞する舞台だけれども、そこから立ち上がる面差しはやや異なる光を放つように思う。快楽とは数歩距離があって、日本において地にまみれた感のある“ポルノ”や“エロ”とは当然ながら立ち位置がずれている。暴力の荒野からの救済にこそ力点が置かれ、男の抱え込む情動に対してやり切れぬ思いが重たい霧のように漂っている。(書棚の奥に仕舞っておくべき類いのものとは性格が異なっているのであって、むしろ大いに読まれてしかるべき、観てしかるべき作品も含まれると思う。)



  劇画家から映画監督に転進し年数を重ねた石井であるが、スクリーンに向かっていると、きついだろう、と思える一瞬が間間ある。嚥下し得ない異物を呑み下すようで、苦しくどうにもやり切れない、そんな厳しい時間である。きついのは私たち観客も確かにそうではあるのだけれど、それ以上にメガホンをとっている石井隆が内心どうだろうかと慮ってしまう。

  映画『夜がまた来る』(1994)の中に暴力組織に潜入した刑事(根津甚八)が出てくるが、わたしは石井の作劇全般に対してあの村木という男の傷ましい背中を想起してしまう。殲滅をもくろみ虎穴に踏み入るが、さらに中枢に溶け込んでいくために背中一面に刺青(しせい)を入れねばならなかった生真面目な男の後ろ姿である。“女性の救済”を描く上で、作劇上どうしても不可避な“受難の景色”を自らの手で産み落とす必要に迫られる石井の立場、作風というのは、どこか注射針を腕に突き立て、ときに殺人にすら手を染めていく、そんな村木の修羅と重ならないものだろうか。

 
(*1):「性差別と暴力 続・性の法律学」角田由紀子 ゆうひかく選書 2001 ポルノへの法的対応への試案 152-154頁
(*2):後日、出版社や書店が条例は憲法違反であると訴えを起こし、連邦最高裁判所もその判断を支持した。このために条例は、実際の施行には至らなかったようだ。

2013年2月21日木曜日

“塵芥”~天使のはらわた 名美~



 廃棄物の埋め立て処分場に足を踏み入れたことがある。集落から離れた、細く曲がりくねった坂道のどん詰まりに掘られていた。屏風のように山を背後に従え、下界からの視線を遮っている。金網や門がめぐり、構内の撮影を一切許さない旨の看板が実にいかめしいのだった。すり鉢状の穴が穿たれており、最も深い層は私が立つところからは随分と離れて見える。まるで石組みの闘技場か野外劇場のようだ。

  落ち着かない場処だった。得体の知れない利権が渦巻いて感じられ、自分たちとは違う世界、あまり知るべきでない区域に思えて逃げるようにして帰って来た。他にも規模や様相は違っているが、焼却場や民間処分場に立ち寄ったことがあるけれど、どこも妙に寒々しく感ぜられ、興味なり夢想のつけ入る隙は見当たらなかったように思う。大量のゴミやこれに付随する景色には人の思考を萎えさせ、情動の隆起を押さえ込み、想像する力を全停止させてしまうところがありそうだ。 

 何故こんな事を思い出したかと言えば、石井隆の劇画作品群を原作(*1)とし、石井自らが脚本を書いて提供した映画『天使のはらわた 名美』(監督田中登 1979 以下『名美』)のDVDが間もなく発売なると耳にしたからだ。荒漠とした“ゴミ埋立地”が物語の前半に現われ、そこで壮絶な暴姦劇が繰り広げられていた。

  公開にあわせて小特集が組まれた「キネマ旬報」(*2)で、石井のインタビュウ共々掲載なっていた『名美』の脚本を読み返していたし、しばらく間を置いてから映画の方を目にしたものだったから、ああ、こんな絵になったかと流し見するだけの余裕が私にはあったのだけれど、先入観なく銀幕に対峙させられた観客はさぞかし衝撃を受けたことと思う。化粧水やおんな本来の甘酸っぱい匂いを幻嗅せんと胸はずませて来たのに、鼻をつく腐臭や虫の羽音がむわむわと寄せて来る。鬱然として息を止め、物語の成り行きを見守ったに違いない。

  石井が劇画家として掌編を寄稿していた当時の雑誌(*3)には、この『名美』の撮影リポートが掲載されている。午前2時に撮影所を出発し、羽田の埋立地にて撮影が開始されたのは4時半、「早朝の寒さとゴミの放つ異臭とハエが飛びかう中で」ふたりの女優が文字通り捨て身となって転がっていく様子が四頁に渡って紹介されていた。「マスクをしている我々が何か後ろめたくなった」と執筆者が語るのもうべなるかな、暴行事件の被害者を演じるおんなは泥土(でいど)に膝を折り、卒塔婆のごとき立杭に縛られ、烈風に肌をさらして号泣するのだったし、片や“らっきょう”だの“メークイン”、“レタス”と、かろうじて判読なるひしゃげたダンボール片と膨大なゴミ屑の中に横臥し埋もれていく。やらせる方も鬼なら、もはや演技に没入するおんなたちも女夜叉(にょやしゃ)と化している。舞台も過酷極まるが、創り手たちの劇に対する傾斜度がさらに過激であって尋常とは思えない。

                    ◇     ◇     ◇     ◇

  さて、石井の劇の際立った特徴のひとつに数えられるのが、この『名美』に点描されているような、荒廃したり汚水にまみれた“ありえない場処”をことさらに選んで、そこに修羅の前線を設営してみせる極端さ、苛烈なのだが、これについて少し想いを馳せようと思う。

  劇画の代表作でもある【天使のはらわた】(1978)では、川島哲郎が逃げる名美を“鉄道の操車場”に追い詰め、降り止まぬ雨の中、そこでの交接を試みるのだったが、思い返せば似たような手触りの屋外、もしくは空間認識が不明瞭で至極曖昧な舞台、冷静に考えれば状況的に“ありえない”景色が石井の劇中には多数見受けられるように思う。


  犯罪白書をひも解くまでもなく、暴力や脅迫をともなう性行為の強要や薬物等を使って朦朧とさせた上での交合は主に屋内で為されることが多く、野外というのは割合的に少ない。一戸建て住宅、マンションやアパートの一室やホテルの小部屋といったある意味快適な日常空間にこそ、実は地獄の口はぐわっと開いて紅蓮(ぐれん)の焔をちらつかすものだろう。(*4) 当然ながら石井はこの事を承知しているのであるが、扉の外へと当事者を追い立て、より寒々しい場処へと視座を架け替えるのだった。

  相手の意思を捻じ曲げて一方的に情交を迫る濁流のごとき時間にあっては、逃げ惑った末に意図しない場処(たとえば屋上)へとたどり着いてしまったり、後先もなく勢いだけで相手を(たとえば操車場に)引きずっていく事が起こるものだ、それが欲情なり性暴力の実態じゃないか、と一笑に付されればここで話はお終いになるのだが、石井の劇にあっては、登場人物が状況を十分に制御し、快適な場処へと上手く誘導できるだろう局面にあっても、“ありえない場処”へ相手を追いやり行為を目論むところがあって、それはやはり物語の勢いに押し切られてのことじゃなくって、たえず作為的なまなざしが注がれての結果なのだ、と解釈するのがどうやら正しい。

  たとえば『夜がまた来る』(1994)の中で暴力組織の組長(寺田農)の殺害にしくじった名美(夏川結衣)は、裸に剥かれて尋問されたあげく複数の男の餌食となるのだったが、そこは地の底に潜む下水溝のような場処であって、ひたひたと足元を汚水が流れる風に見える。『GONIN』(1995)では、精神に変調を来たした男によってその妻子全員が撲殺された家の居間で、あろうことか腐乱しかけの遺体のひとつを面前にしながら殺し屋ふたりが情交を結んでいる。

 暴力の荒波に溺れて暮らす男たちは、嗅覚が鈍磨し、清潔であることを嫌い、汚物や汚水にまみれるのをむしろ至上の歓びと感ずるものだろうか。魚や野菜の(果ては人間の)腐敗する臭いに恋情や欲望が高ぶり、靴裏の奇妙な弾力や粘りつく感触に浮き立つ気分をさらに煽られ、そうした中で性の交歓を夢見る奇矯な者たちであろうか──まさか、そのような事はあるまい。

  【天使のはらわた】(*5)の哲郎が吐露していたように、そのような場処は誰にとっても“まるで賽(さい)の河原”のような光景に当たるはずだ。砕石や割れたコンクリートが膝を刺して痛みに身悶えする場処であり、悪臭に顔をしかめ、あらゆる意欲を減退させる最果ての地である。性交にともなう甘い夢想を裁ち切り、暖色の陶酔を叩きつぶして覚醒へと導く、そんな水垢離(みずごり)にも似た機能が托されているように私には見える。


  銀幕の『名美』を覆う大量のゴミやこれに付随する景色にしても同様であって、暴漢が地理に明るく、ここであれば誰も来ないと考え選んだのではなく、私たち観客のご都合主義や楽観を萎えさせ、欲情の隆起を押さえ込み、想像力を別方向へと捻じ曲げるための仕組みとして物語にあてがわれたのだろう。煽情の装置でなく、覚醒のための装置となって風景が起動し、男たち(私たち)の身勝手な意識を混濁させていくように映る。

  男たちに加えて風景は、おんなたちの内奥とも当然つながっていく。顔面の筋肉や皺を駆使し、さらに瞳孔の微細な変化や眉の位置とかたちを用いて人間は喜怒哀楽を巧みに表現する動物である。語句の豊かさがこれを助けて、より鮮明に気持ちを伝達してもいく。だから、弱き者たちの魂を粉砕せしめた性愛の険しさや酷さを表わすにあたり、女優の台詞なり表情をもって臨めば、それで十分とまではいかずとも相応に響いていく演出は可能と思われるのに、石井は風景を歪めて“ありえない場処”へと変貌させ、おんなたちの魂と共振させた上でその振幅の極大化を図っている。

 整然として並んだ調度品や照明器具、白いシーツ、柔らかな布団に目もくれず、そこにダンプカー一台分ほどもある泥土や雨水、血反吐や塵芥を大量に持ち込むと一面にどっと流し込んで、“居心地の悪さ”作りに尽力していく。容赦ない、熾烈極まる仕事、と思う。


 黒い泥水や正体のわからぬものたちに覆われたそんな物語世界にあって、一輪の蓮(はす)の花を見出せるかどうかが、物語にとっても、そして私たちにとっても岐路となっていくのであるが、撥ねる泥水は目に入り、指先に触れるのが根茎なのか、はたまた死人の頭髪なのかももはや分からぬ。容易に白き者は目に入らないし、手に取ることは叶わない。終いまで目に入らなければ、手に触れなければ、そこは殺戮と獣欲と悪臭に限った原野となって救いがなくなるのだ。石井隆の作品はそういう危うい綱渡りを続けているのであって、予定調和に充ちた、透明度のある娯楽作品の境域を遙かに越えてしまっている。



(*1):どの原作が使われているかは、mickmacさんの書く以下のブログに詳しい。
http://teaforone.blog4.fc2.com/blog-entry-524.html
(*2):「キネマ旬報」 1979年7月下旬号 キネマ旬報社
(*3):「漫画タッチ」 1979年8月号 白夜書房
(*4):屋内での暴力的な姦淫については石井の劇にも一部当てはまり、『フリーズ・ミー』(2000)や近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)などが直ぐに目に浮かんでくる。いたいけな存在、無辜(むこ)なる魂が扉の奥で大きな手のひらに押し倒され、自由を奪われ、深々と傷ついていく様子が描かれていくが、そのような屋内空間の描写は石井の劇空間において(あくまで私見であるが)より酷さが加わり、傷口は縫合し得ないほど深く、広く破壊されていくように見える。屋外にあって縦横に飛翔を開始する外連(けれん)が自ずと封殺されるためか、それとも現実に繰り返される事件が木霊するためか、段差をつくって凄絶さが一気に増す傾向が視止められる。
(*5):【天使のはらわた】第1部 少年画報社 226-227頁「あそこ石ころだらけでよ……… まるで賽の河原でやってるみたいだったぜ……」



2012年8月6日月曜日

“石井隆の青”



 真綿のごとき熱風にくるまれて座っていると素肌と大気の境がぼんやりとなって、己を見失いかねない危うさである。外を行き交う鳥たち、虫たちも心なしか憔悴して見える。つがいで訪れていた鳩も今は一羽きりでいて、疲れた風情でベランダの柵を行き来する。いつもは一尺足らずしか伸びぬ雑草が群れなし腰高にまで育って、亡霊のようにたたずむ。なかなかの手ごわい夏になっている。

 何を書こうとしたのだったか。そうだ、石井隆の光や色、特に“青色”について少し触れてみたかった。炎熱の砂漠で水をもとめるように、あの青い光がひどく恋しい。

 解像度と明度を増した最近の日本映画は高熱にうなされるように赤だの緑だの、その他雑多な色ガラスを照明に咬ませたり、おどろおどろした壁紙に人物を抱かせてみたりして、さながら色彩の絨毯爆撃となっている。ひとの半身に鬱勃(うつぼつ)として煮え狂う妄執や劣情、残懐(ざんかい)なりをどぎつい配色で代弁し得ると考える作り手は多いのだが、年齢を経て感度が鈍ったせいなのか、そんなにぎにぎしい演出をどうも受け付けなくなってから久しい。戸惑いばかりが先に立って、そのうち役者の出演料や広告費、版権といった些事ばかりがもやもやと気になっていき、やがて座席の硬さに閉口するのが最近の流れである。

 一方、石井の劇といえば、これにしたって日常の安息を題材としない破壊と再生をともなう徹底した情念の物語であって、昨今の作品よりも遥かに執拗なるまなざしと熱帯びる吐息に充ち充ちた世界である訳なのに、その描写には以前からひどく抑制されたものがあるように思う。あれだけ過剰で突出した映像を脳裡に叩き込む石井作品であるのに、構成する色数は驚くほど限られている。むしろモノトーンの慎ましさすら視止められるのだが、これってよくよく振り返れば不思議な話ではなかろうか。

 天井より放たれる青白き光芒や青色の小道具、たとえばビニール傘などが時折り登場しては目を引くけれど、そこに際立った気負いは読み取れない。登場人物の想いをこっそりと孕(はら)ませてみたり、また、怨憎の念がまぎれて息とめ、出番をうかがいながら舌なめずりするような短調さ、押し出し(*1)は見られない。

 日常ではなかなか御目に掛からぬ光彩であって、これは舞台上にてピアニストを照らし出すライト、もしくはアトリエに置かれてモデルを染めていく灯りに余程近しいように思う。観客の視線は背後にぶれることがなく、だからおんなたち、男たちから興味が乖離しないのだ。匂い立つ官能や哀愁、痛みともなう諦観や滅私にもろとも圧倒され、心はいよいよ漂着して取り込まれていく。

 この“石井の青”が放つ凄味を実感するのは連続体(映画)の上ではなく、だから録り抜いた静止画とあらためて対峙した時である。ここも実に面白いところと思う。ぱらぱらと連なっては新たなコマに座を譲るしかないフィルムの特性ゆえ、劇場なりモニターを面前とした私たちは何が起っているのか思案するゆとりを与えられないでいるが、動きを休めた一コマをぽつんと置かれた時、そこでようやく絵画然とした息吹に触れ、思わず声失い、長々と見惚れるということが常となる。『花と蛇2 パリ/静子』(2005)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、そして『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の近作三篇の公開に合わせ試みられている“写真集(という名目の画集)”に如実に現われているし、此処で紹介させてもらっているキャプチャでも一端はうかがえよう。

 映画としてあるときは役者を立て、物語を際立たせる。静止画としてあるときは一幅の絵画となって心を射抜く。挿絵家、劇画家を経て映画の道に入った石井ならではの、卓抜した構図と色彩に目がくらむ。私たちは一体全体何を目撃しているのだろう、映画なのか、絵画なのか、とんでもない物を見せられている気持ちになって来る。前面に置かれた人物が“青の力”を借りて強烈に放ち始める“神話性”についても、もっともっと盛んに語られ研究されて良いと思う───


 わたしの住まう町は列島を俯瞰して塗り絵様に色分けするいわゆる“汚染地図”によれば、無色透明ではなく薄っすらと色づけされた区域に取り込まれている。塗られたあの色は当然実感されない。今は夏の白い光に照らされるばかりだ。灼灼(しゃくしゃく)として変わらぬ景色を見渡せば、私たちの喉元や心筋を狙う凶悪な粒子が一体全体どこに潜むものか想像力がまるで働かない。健康やいのちに関わる話と重々知っているけれど、人間とはあくまで五感にしたがうものであって、予兆やざわめきといった第六感や知識だけでは軸足を移す訳にはなかなかいかないようだ。実際に可視できない“色”を相手に闘いを挑むことはどうしたって難しく出来ている。

 人間の知覚ほどあやふやなものはない。世界は見えるもの、匂うものが全てではなく、見えぬ色、香らぬ塵(ちり)に満ち満ちているのだ、懸命にそれと向き合っていかねばならぬのだ、と最近つくづく考えさせられている訳なのだが、そんな得体の知れぬカタカナのものでなく、どうせなら“石井隆の青”のような人間のこころや存在を引き立たせるものに埋もれたかったものだ、と、網戸越しに白昼夢のような緑の庭木を眺めながら、今更考えてもすっかり手遅れのことを汗みずくで反芻している。

(*1):インタビュウなど読むと、石井は色に託された寓意や狙いを多く語らない。設計家やエンジニアではなく、どこまでも画家の趣きがある。






2012年7月7日土曜日

“オラトリオ”


 石井隆の物語空間における死とエロスとは、皮膜を隔てて寄り添う間柄にある。皮膜は雨やシャワー、水たまりに触れるとすぐに曖昧になり、両者はいよいよ混然となって渦巻き、目撃者を圧倒するのだけれど、その哀しみと悦びのメイルストロムをつぶさに見返していくと一つの特徴に行き当たるように思う。あれだけの死を累々と築きながら、自死へと至る顛末が少ない。

 もちろん“タナトス四部作”と呼称される劇画作品が1980年に展開され、そのひとつの【赤い暴行】は睡眠薬を大量にあおって死んでいくおんなの話だったわけだし、直前には石井ドラマの輪郭を決定付けて見える、あの【雨のエトランゼ】(1979)が横たわってもいる。屋上からの名美の投身をもって断絶する【雨のエトランゼ】は、『魔性の香り』(監督池田敏春 1985)、『沙耶のいる透視図』(監督和泉聖治 1986)、『ヌードの夜』(1993)、『フレーズ・ミー』(2000)といった具合に幾度となく趣きを変えながら石井の物語を彩っているから、その航跡を見る限りにおいては“自死”はたしかに連鎖して止まらない。

 オレンヂ色の灯がともる寝屋(ねや)に白刃がきらめき流れ、無防備な手首をすうっと真一文字に切り裂いていく。たとえば【蒼い閃光】(1976)であり【緋の奈落】(1976)であったりするのだが、紅蓮地獄が突如目前に浮上したような血の大噴出をともなう場面さえあって、読者をどんと突き放すそんな酷烈な幕引きが印象に残る石井の物語群に対し“自死が少ない”と書くのはなるほど可笑しな言い草かもしれぬ。惨死の群れなす陰鬱なお話ばかりじゃないか、でたらめを書くなよ、と首を傾げる御仁も居よう。

 人それぞれの世界観の読み解きがあって良いのだが、私にとっての石井の劇とはむしろ死に抗(あらが)う行為の連続であって、“生還と延命の絵巻”と捉えて来たところだ。ゆらめく影に恐怖して跳びすさり、幽かな足音に怯え疲れて地面をいざりながら、もう無理だ、死んでしまおうと思案のまな板に“死”を載せる局面はなるほど頻発するのだけど、いよいよとなって実行に移せぬまま煩悶の足踏みに入るのが石井の劇を支えるもう一方の“みめかたち”ではなかったか。端的には『ラブホテル』(監督相米慎二 1985)の村木(寺田農)であったり、『夜がまた来る』(1994)の名美(夏川結衣)だったり、『GONIN』(1995)の三屋(本木雅弘)の系譜である。

 夜通し海原を奔る連絡船の客となり、デッキから目を凝らして遠ざかる波の飛沫をにたどれば、海蛍(うみほたる)の青くざわめき筋をなして漆黒の闇に伸びていくのが視とめられるという。虚無と思えた黒い空間に無数の小さき生き物がそうやって群れ集い、懸命におのれの存在を主張するように、死の誘惑に手向かい、苦悶の色濃い面貌にさらに皺を刻んで生き延びようと足掻き続けた男たち、おんなたちがいくつも石井の劇には見つかるのであって、たとえば死線を一度はまたぎかけるが寸でのところで回避していく初期の劇画作品【天使のはらわた】(1978-1979)の川島哲郎もそうなのだけど、私の記憶の淵には彼ら石井隆の“抗う者”がいまも居座り続けて、ときどき思い出したようにして声を送ってくる。

 年齢を重ねるということはそういう事で驚くには値しないだろうが、わたしは知り合いを三人、自死というかたちで見送っている。身内や親族ではない。匿名とは言え、このような公の場でその事実を綴れる程の知人、友人としての距離のある間柄である。それでも折に触れ、彼らの事を考える時間がある。ひとりは望んでそうなったか、それとも無理強いされたのか判然としないのだけれど、この震災の混沌とした状況で絶望し魂の手綱を放して流浪を始めた男と一緒に寝起きしてしまい、最後は淋しく暗い場所を選んで逝ってしまった。死をわざわざ手招いて天寿に背いた幕引きに違いはなく、思い返す度に酸っぱいものが喉を逆流する。

 私にしたって様々な方向から大小違った弓矢が射ち込まれる毎日であって、撃たれどころが悪ければたちまち致命傷にもなるのだし、薙ぎ払うのに一杯いっぱいの余裕のない時だってある。甘えて白状すれば、我が家の玄関からほど近い場所に十坪ばかりの空き地があり、この時代に珍しく黒土が露出したところに樹齢どのぐらいか分からぬが胴回りが1メートルほどにも育った梅が数本最近まで並んで立っていた。(庭師に尋ねたところ百年は経過した老木とのこと)──自責の念に酷くさいなまれる出来事が数年前にあって、連夜日付が変わる頃まで二時間、三時間と上がり口に腰を沈めて、向かいにそびえる木々の中ほどでおのれの足先がさかんに空を蹴る場面を想った。物置から自動車の牽引用ロープを引き出したり、椅子を持ち出すことを幾度も繰り返して想像した。

 からくも窮地を脱して以来、梅の木たちは内奥をよく知る者として身近な存在となってしまい、朝な夕なに無言の挨拶を交わして来たのだった。けれど、先日、強風が列島に吹き荒れて各地に甚大な被害をもたらしたことを契機にして、我が家を含む周辺へ迷惑を及ぼすことをおもんばかった心配性の持ち主により職人が手配されてしまった。今はすべて伐(か)り払らわれて、白く平らな断面をさらした切り株を点々と残すばかりとなっている。

 伐採(ばっさい)の前夜、上等の地酒を幹や根に惜しみなく注いで別れを告げながら、内心“助かった”という気持ちがないでもなかったのだ。このまま行けばいつか苦しい日々が再度巡って来たときに、この木の枝にぶら下がって息絶えていた自分自身の可能性は否定出来なくって、そんな危うい場処を綺麗さっぱりと奪われることに実は安堵したところがあった。

 “生の終わり”を想う時間はこのように日常茶飯で他人事ではない。先に逝った知人の位牌や死場処に花を手向け瞑目して浮かぶのは、彼らが特異でおかしな人では決してなかったという感慨であり、さわやかに微笑んでいる表情と穏やかな声である。そこに至った事は決して特別とは思えない。人間はかくも弱く、崩れるときは一気に崩れていくものと思う。条件がある程度整ってしまえば、粉砕なり決壊はたやすい。

 あの真夜中、蛍光灯に寒々と照らされた戸口で座り込む私を救ったのが石井の“抗う者”の発した“こだま”であったとまではここで書かないけれど、石井の作品群を性欲と暴力、おんなの裸と拳銃ばかりの物語とつまらぬ括り方をした上で軽んじている文章などを見ると、それを書いた人間もつまらぬ者に見えてならない。(幸せな人とも思うが、うらやましいとは感じない。)

 誰もが似たり寄ったりで生と死の汀(みぎわ)にたたずんでいるのであって、逝くも残るも成り行き次第という受け止め方を最近ではしている私は、石井隆の世界を荒唐無稽の“異界”とは到底思えないでいる。魂に届くオラトリオと信じて耳をそばだて、水際までの間合を見定めるきっかけにしている。洗練されているとは総じて言い難い石井の“抗う者たち”の悪戦苦闘ぶりを見つめながら、ほんの少しの勇気を譲られ、今日に明日を繋いでいるところが確かにある。