2016年12月30日金曜日
“ドッペルゲンガー”(5)
“風景”に話を戻します。石井隆の創造世界に視軸をどっしりと据え、歳月をある程度経ていくと、いつしか各作品の台詞と道具、構図や哲学なりが別の作品と二重三重となることに気付く。繊細な糸で結ばれていて、その刻刻にもたらされる愉楽は大きい。ある時は艶やかな共鳴があり、ある時は長く尾を引く疼痛に悶える。
この理屈で言えば、【おんなの街 赤い暴行】(1980)とそっくりの現象がどこかで起きていてもおかしくない。目を凝らし、慎重に記憶を手繰ってみる。もちろん前述のとおり、『甘い鞭』(2013)の地下室があり、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)でおんなの魂を侵した風呂場があるが、今欲しいのは作劇の根幹、彼の“風景”とは何かを明示する刻印である。
陰森として凄気漂う【赤い暴行】の風景分裂、これと相前後して石井は独りのおんなが冥府をめぐる連作短編を著していて、(*1) その中に名作【おんなの街 赤い眩暈】(1980)が含まれる。この譬(たと)えは作者に嫌われるかもしれないが、石井隆版【ねじ式】と呼べそうな趣きだ。(*2)
あらすじを綴ることに意味が有るのかどうか、また、上手く伝わるとも到底思えぬ幻想譚だけど、これから書く推論を分かってもらいたい一心から短くまとめればこんな具合だ。
かんかん照りの舗装路をおんなが汗を拭き拭き歩いている。ゴーッという突然の地鳴りが聞こえ、横断歩道に亀裂が走っておんなは横倒しとなる。頭部をしたたか打ったおんなの意識は滑空を開始し、路地やトンネル、廃墟の容相を呈した夢うつつの空間を彷徨い、やがて案内人の手を借りて“あっち”へと歩み去る。ぽつねんと佇むおんなの影が大きな瞳に映じ、ぐっと手前に視座を移せば、それは地べたに血を流して倒れるおんなの半身なのだった。周囲に人影がある。「救急車呼んだからね ガンバンだよ!」「轢き逃げらしいわよ 車逃げて行ったもん」とめいめい勝手に言葉を発しながら、痙攣するおんなを為す術もなく見下ろしている。
劇中には具体的な背景が大量に挿入されて在り、どれもが印象深い。一部は複数の西洋絵画を縫合させた物と推察されるのだけれど、それ以外のほとんどは取材に基づく実在の景色と思われる。(*3) 着目すべきは、冒頭の転倒時の背面に描かれたのどかな街路と、最後の見開き頁に横臥したおんなを取り囲む人だかりの後方、にょきにょき生えてそびえる高層ビルの群れだ。前者は写真を基に描かれ、後者はコントラストを強調されたコピー画像が使われている。技法こそ違うが石井がその足でおもむき、その目で切り撮って来た場処が採用されている。
転倒事故を起点とした臨死体験を描いたもの、と捉えた場合、冒頭と終幕の背景ふたつは面立ちを重ねてもっと気持ちに馴染んで良いはずなのに、よくよく冷静に考えてみればいかにも不自然な取り合わせとなっている。むしろ石井は、極端なパーツをわざわざ選んで配置しているように思う。波打つ大地に足をすくわれて傾ぐおんなの背後を、チン、チンと一台の古めかしい市電が鐘を盛んに鳴らして通り過ぎる。新宿に市電は走っていたか、そもそもこれはいったい何処なのだ。
また、冒頭では天頂近くに紅炎(こうえん)揺らめかす太陽を配置してあるのに、一転して幕引き場面では漆黒の闇が摩天楼の上空を埋めているのであって、時間軸上の折り合いさえつけようとしない。よくご覧よ、変なのが分かるかい、どういう事だと君は想う、と石井は例によって黙って映像を差し出している。
倒れて意識障害を起こした人間が起き上がること叶わず、けれど思考を混濁させたまま夢に迷って指先をさわさわと蠢かす。強風に吹かれるどんぐりのごとく、ごろごろと寝転びながら道路を横断し、もそもそと階段を登り、交通機関を蛇のように這って乗り継ぎ、西新宿までようやく辿り着いたのではもちろんないのだし、そんな狂った苦行を経る間にいつしか午後の陽射しは消え去り、ネオンの灯る熱帯夜に至った訳でも当然ない。終幕に描かれた夜こそが現実で、その数コマ以外はすべて黄泉路、石井劇に特徴的な人の精神が拡張した“風景”が起動したと解釈すべきだろう。
そんなのは読めば誰だって分かるさ、くだくだしい説明はいらないと立腹の御仁もおられようが、私がほんとうに書き遺したい点は実はそこではない。
【赤い眩暈】の開幕を飾る市電について調べてみたのだが、これは昭和二十三年から昭和二十七年に新潟鉄工所において一台あたり700万円で新造された半鋼製二軸ボギー車であり、石井の生まれ育った街の戦後復興期の主力として活躍した「100型」と呼ばれる電車と分かった。昭和四十四年に交通局においてワンマン化改造工事がされ、昭和五十一年の終業時まで運行されている。(*4)
【赤い眩暈】の発表は昭和五十五年であるから、その時点では市電運行は終了していたのであって、だからずっと以前の段階に石井が撮り溜めたフィルムから、鐘を鳴らして蘇えり、焼き付けられた写真が原形なのだと分かる。電車の窓の下に「ワンマン」の看板が読めるから、石井がこの景色をファインダー越しに見たのは昭和四十四年より後となり、つまり学生の時分以降の光景と判断される。
おんなの精神を包みこんでいるのは途切れ途切れの記憶というよりも、ここでは過去という時間そのものなのである。そこのところがきわめて肝心と思う。昼とか夜とか、そんな短い切り貼りではない巨大な跳躍が、隠し絵さながら秘かに組み込まれている。それも【赤い暴行】の白い崖とふたつ揃って、“故郷”の原風景が次々と私たちに無言の内に示されていた次第なのだ。
新宿以外の背景素材が欲しくなり、古いキャビネットの奥に仕舞われたアルバムを引っ張り出してきた可能性がゼロでないにしても、名美を愛しく、死の経緯を情念こめて描いて、その度に“故郷”へと先導するその筆先には詩的な側面がつよく薫っている。
【赤い眩暈】の構造は他の劇画作品と融合した上で、石井の近作『フィギュアなあなた』(2013)に結実したが、そこに観客のほとんどは地獄を垣間見た気がして悪寒を覚えた。うら若い男女が配置され、つるつるの染みひとつない肌が露わとなり、踊躍(ようやく)し、舞踏する肉体を見せつけられた私たちではあったが、舞台となった廃墟ビルや棄てられた人形、雨ざらしの屋上、荒廃したアパートの小部屋が背景を覆い尽くし、死という空間が見捨てられた場処、不要と見なされた人間の放り出されるゴミの山とも思った。
はたして石井のまなざしの奥に拡がる“あっち”とは、荒廃を極めるばかりの廃棄物処分場であるのかどうか。チン、チンという穏やかで懐かしい鐘の正体をこうして知ってみると、もう少し前向きな、多角的な想いが込められていると感じられる。
死とは、時間軸に縛られることを宿命付けられた生身の人間が冷たい頸木(くびき)から解き放たれ、時間流とは無縁の新たな舞台に一歩だけ踏み出すこと、と、石井は解釈する。劇画や映画は、それを現世で視覚化し得る唯一の奇蹟でありはしないか。時間という圧倒的な流れの前に無力な人間が最後に投げつける持ち札として、命がけの抵抗の果ての褒賞としてそれはあり、渡河した瞬間から私たちが過去と呼ぶ時空がやさしく待ち止める。
見知った人の訃報を耳にすると無惨な断裂の想いに苛まれるのが常であるが、そのように信じてみれば、救いの手がそろり目の前に伸ばされて感じ取れる。こんな歳の瀬ではなおさらだ。頑強な足腰と快適なウェイダーの与えられ、微笑みつつ心ゆくまで時の川と戯れる‟風景”の訪れを切に祈るのみだ。
(*1):私たちファンは勝手に“タナトス四部作”と名付けてみたが、それ等を構成する素材を丁寧に調べていくと、病的なもの、破壊的な物ばかりでない事が分かる。“タナトス”という括りは性急過ぎるかもしれない。
(*2):【ねじ式】 つげ義春 1968
(*3): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157506539&owner_id=3993869
(*4):仙台市交通局 仙台市電保存館 展示資料より
2016年4月2日土曜日
“ウジから人間が生まれた”
四枚のディスクで構成された「GONINサーガ ディレクターズ・ロングバージョン BOX」には、主要キャストやスタッフ参加のオーディオコメンタリーが収められている。石井隆はここで、劇中に飛ぶ蠅について語っていた。小説版から抜き出せばこんな場面だ。
「明神の指がトリガーを引き、ドドドドド!とウージーピストルが炸裂(さくれつ)して麻美を襲うが、今度はその側で死んでいる慶一の体を砕き、次の瞬間、慶一の死肉を食らっていた蠅が、ブーンと羽音を唸(うな)らせて慶一から飛び立ち、それはまるで慶一の血肉を食(は)んだ蠅が慶一自身と化したかの様に明神に向かって翔(と)んで行く。」(*1)
含みがあって裏読みを誘う文章だけど、マイクを前にした石井はこの蝿を亡者の化身として描いた旨、淀みなく打ち明けるのだった。人間が最期には一匹の蠅へと化している。殺し屋に纏わりついて離れなかったあの小さな影は、柄本佑が演じた警官のなれの果てなのだ。『GONINサーガ』(2015)は、前作『GONIN』(1995)のこまごました事象や台詞を連連と再生してみせ、血脈であるとか、回る因果にむけて観客の意識をきつく束ねるからくりであって、この蝿への変身もそんな反復のひとつだ。石井世界の彷徨者には自明ゆえ驚くに当たらないのだが、初めてこの石井のたくらみを耳にした読み手は当惑を覚えるに違いない。
十九年前のわたしがそうだった。「映画芸術」に掲載された石井と山根貞男の対談の冒頭で、荻原(竹中直人)の惨殺された家族の蠅への転生が、さも当たり前のようにふわりと軽い物言いで記されてあるのを読み、大いにうろたえた。石井世界の森羅万象は漠然と配置されたものではなく、ひとつひとつがかなり周到に準備された精密な装飾であり、物によってはその背後に無限の不可視領域を抱えたまま黙って控えている。畏怖すべきサブキャストとして、映される全要素を捉える必要がある。底知れぬ罠や複線を懐胎した結晶空間なのだと私は肝に銘じ、それからは自ずと留まる時間を増やしていったのだし、粘り腰の鑑賞をするのが常になった。
前述のとおり、小泉八雲がその著書に記し、また、別の識者も専門書で説くように、人のたましいが蠅に姿を変えるという内容の民話や伝説は珍しくない。(*2)(*3) 勉強嫌いのうえに先達の声に耳を貸そうとしない傲慢不遜の私が、その手の知識に疎かっただけであって、化け物の妖しげな飛跡は古来から人間の死線に寄り添っていた訳である。たとえば、先に取り上げた大林太良(たりょう)による「葬制の起源」の中にも、蝿(ここでは幼虫であるウジ)が重要な位置に座る人類創生の神話が紹介されている。
「《ひっくり返しの法則》とはいったいなんであろうか?早くいえば、起源についての観念が、終末についても適用されたり、終末についてのと同じ考えが起源についても述べられることである。(中略)死体が腐ってくるとウジがわく。ところが、これを逆にして、ウジから人間が生まれたという神話が生まれる。ポリネシアのトンガやサモアの神話がそうである。ターガロア神はその娘のトゥリをヤマシギの形で天降(あまくだ)らせた。裸の岩に生物を住まわせるためである。このようにして発生した蔓草(つるくさ)の一つが枯れ、その葉からウジムシが生まれた。トゥリは嘴(くちばし)で、このウジムシをくだくと、なかから人間をつくりだしたという。」(*4)
ウジを直視するカットは『GONINサーガ』に盛り込まれておらないから、この南海の古代神話と映画とは直接像を重ねない。けれど、私の奥には目覚めの亀裂をもたらし、鼓動にも似た弾んだ音が止まらなくなる。最下層と目される場処から新たな人間が誕生するという、極めてコントラストの強い舞台空間での浮上イメージは、どこか石井世界と通底してはおらないか。
汚辱の暗い淵におもむろに出現する聖性、悲壮なまでのその照り返し、苦悶の隙間を突いて湧き出す生命の閃きを、思えば石井隆という作家はこだわって描いてきた訳である。『GONINサーガ』にて残飯や排泄物といった汚穢(おえ)にこれでもかとまみれていく強調表現と、その後に待ち構える激烈で神々しい死闘も、これと軌を一にするものと捉えて良いし、蝿も単なる羽虫ではなく、程なく聖性を帯び始める。
劇の終盤、ダンスフロアの床下に潜んだ若者は、傷つき膿んで臭う身体をしばし横たえる。何処からやって来たものか、その傷口には蝿の幼虫がたかり、徐々に身体が乗っ取られていくのだが、凄惨の極北にあるそんな姿というものが忌まわしい糞袋の域を脱していき、やがては妙に温かな人間味なり活力を帯びて感じられるから不思議だ。蝿にまつわる神話を縷々(るる)見ていけば、スクリーンに蠢くものの光彩は違って来るのは当然で、なるほど錯覚と言われればその通りなのだけど、石井隆のつむいでいるのはやっぱり神話と感じられるし、いつしか奇蹟の証言者、神降ろしの目撃者に選ばれているという堅い自覚が芽生える。
コメンタリーの中で石井は「日本人の宗教について描こうとしている」旨をつぶやいて、これを悪い冗談ととらえた面々に一笑に付される箇所があったけれど、あながちそれは本音ではなかったか。たとえば、『死んでもいい』(1992)の終局に置かれた高層ホテルの浴室にて、叩かれ失神し、血反吐に汚された身体を男の手で洗い清められ、綺麗に着替えまでされて寝台に横たわる大竹しのぶの一連の始末に関して、湯灌(ゆかん)という言葉が日本にはあるのだ、とするりと説いてみせるのが石井隆という作家の怖さであるから、彼のドラマ創りの根幹に膨大な民俗学や葬送の知識があると考える方が至極自然である。
石井世界の劇で用いられる素材なり物語を支配する死生観は、荒唐無稽の思いつきではないのだ。出たとこ勝負の混沌状態ではない。作調は常に破壊に次ぐ破壊、寒々しい情景であるのだけど、荒れ放題になった庭園の趣きではなく、どちらかと言えばその逆の徹底した理詰めの作業を経て、綺麗に整列なった植樹が為されている。選ばれたその木々が多く、それぞれ豊かに葉を茂らせ森の様相を呈しているだけであって、内実はずいぶんと手が込んだ造園なのだ。
『GONIN』と『GONINサーガ』において、息絶えた身体からの離脱(霊の出現をふくめて)が繰り返し描かれている点を、こうして丁寧に消化していけば、新旧二篇を貫く線は縦方向の“昇天”ではなく、横方向への“滞留”もしくは“転生”であると気付くのだし、そこにはたぶん現在の作者の死生観が盛り込まれている。煩悩まみれの現世で、伽藍の建立と寄進に踏ん張る男のまなざしが宿っている。宗教画としての側面が『GONINサーガ』には確実にあって、蝿は花押(かおう)となってそこに留まりつづけている。
(*1): 「GONIN サーガ」 石井隆 角川文庫 2015 377頁
(*2): 「葬制の起源」 大林太良 中公文庫 中央公論社 1997 85-86頁
(*3):http://grotta-birds.blogspot.com/2011/11/blog-post.html
(*4):http://grotta-birds.blogspot.jp/2015/10/blog-post_22.html
2016年2月11日木曜日
“ほうらない”
先述の横穴墓(よこあなぼ)は、傾斜のきつい石段を辿ってようやっと行き着く山の頂きにあった。今でこそ遊歩道となっているその坂は、かつては未整備で草が生い茂り、足元もぬるぬるに滑ったはずである。遺骸を運んだ一行はさぞや苦労した事だろう。どんな思いを抱いて岩を削り、ここまで這い上がって来たのか。いかなる常世(とこよ)を彼らは脳裏に描いたものか。
帰宅後、古墳墓関連の幾冊かを借りてきて夜毎めくってみたが、埋葬品(舟型の木棺や壁の装飾)の詳細なり羨道(えんどう)や玄室(げんしつ)の土木工学的な計測が多くて、さすがに往時のひとの心まで筆は及ばない。千五百年も前ともなると研究者の手が届かぬ領域がぐんと増し、当然ながら学術色が増せば増すほど文章は寡黙となる。その中で斎藤忠という人の本だけは、やや踏み込んだ内容であって面白かった。二箇所ほど書き写してみよう。(*1)
「「遺骸を葬る」「埋葬」「葬式」「葬礼」のように「葬」の文字が用いられ「ほうむる」という言葉でいわれている。「葬」は、本来サと一と死との合字で、死者は台にのせて草の下におくことにもとづくといわれている。では「ほうむる」という言葉はどんな意味によったものだろうか。(中略)いくつかの解釈を紹介しよう。1 ほうる、すなわち放棄という考え。(中略)2 祝(はふ)るとする考え。(中略)3 「火埋る」または「火蒙る」とする考え。(中略)これらの中で、3にいうように火葬との関係を求めることは無理である。2も、必ずしも首肯できない。そうすると、1がもっとも穏当のようであるが、しかし、この言葉は、古くから遺骸をみな放棄したとする証明にはならない。」(*2)
「古代人の死または死者に対する思考には、複雑なものが重層していた。まず、考えられることは、霊魂というものの存在は、案外早くからみとめていたのではないかということである。霊魂は「たましい」であり「たま」である。そして、これは肉体の中に常住し、死後になっても、肉体が腐朽しても、その肉体から離れて消滅するということはないという考え方があった。原始・古代社会の葬礼、ことに「もがり」の儀礼などは、このような「たま」に対する知って了解されるものであり、喪屋における日を重ねての行事も供膳も歌舞も哀悼傷身も、死というものを確認し、そこにはじめて「たま」の肉体から遊離を信じ、その鎮まることを念じたことにもとづくものと考えられる。(中略)この「たま」の落ちつくところについても錯雑した観念があった。その一つは「よもつ国」であり、暗黒な幽冥な世界であった。その一つは「底つ国」であり、「根の国」であった。その一つは、天上であり、あるいは遠く海の彼岸であった。このような思想の混融性に、古代日本人の精神生活の特色も指摘されなければならない。一方、死者に対する考え方にも、これを汚穢なものと考え、恐怖し畏怖し、死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯した二面が、つねに彼らの精神生活の中に錯綜していた。」(*3)
前文で斎藤は、古代人が手のかかる横穴墓や墳墓を作って死者を丁重に埋葬する行為が、到底「ほうる、すなわち放棄」には当たらず、どうして「ほうる」という響きが我が国に定着してしまったのかを訝しんでいる。確かに言われてみれば奇妙だ。“野辺送り”という言い方もある訳だから、風葬に近しい形で故人を弔った時代は少しはあったことだろう。けれど、「ほうる」という乱暴な物言いが儀式全般を指差すのは変な気分だ。後の文では「思想の混融」に触れていて、それは古代人に限らず私たちの心にも根を張って感じるくだりだ。「死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯」があるという斎藤の解析は、実際その通りと思われる。「ほうらない」、いや、「ほうれない」私たちの心の輪郭が露わとなって、目のふちに涼しい風が吹いて当たったような快感があった。
天頂への安置を先祖は切望し、それを成し遂げた人たちの生まじめで「ほうらない」その想い。忘却すること、追い払うこと、遠ざけること、焼き払うこと、埋めること。別離に際して私たちは得てしてそんなイメージや義務感を抱きがちだけど、本来は逆の目的があったのであって、それは積極的な追慕の次元ではなかったか。とことん想い、まなざしを注ぐ長い長い時間ではなかったか。もともと汚れた気配は無かったが、墓所の印象がわずかに修正なった気がする。穏やかさが増して清澄な場処と思えてくる。
石井隆のこのところの作品を観て感じる固い手触りと連結し、ゆるゆると伝導を果たすものがある。先にわたしは「葬らない生き方」と題した『GONINサーガ』(2015)の感想(*4)を書いてしまったが、どこか言葉足らずに思われて腹の座りが悪かった。考え方が逆さまだったかもしれない。そうなのだ、石井隆ほど人の死を「ほうらない、ほうれない」作家もいないし、その作品は常に心魂をささげる「葬送」の道程にあって、「供膳、歌舞、哀悼傷身」にさえ近しい。『月下の蘭』(1991)然り、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)然り、『甘い鞭』(2013)もまた然り。
死を十把一絡げにして追い払うのではなく、最後まで個別の終焉として見つめつづける。そんな決着を軸芯に選んで、石井の劇は在りはしないか。近代に根付いてしまった弔いの自動化をそっと手のひらで押し返して、石井は本来ひとにそなわっているはずの生と死の間合いを劇中に手探って見える。真摯に「葬る生き方」をつづけている。
(*1): 「墳墓の考古学 斎藤忠著作選集4」 斎藤忠 雄山閣出版 1996
(*2) :同 14-15頁
(*3): 同 205頁
(*4):「キネマ旬報 2015年10月上旬号 №1699」 34-35頁
2016年2月9日火曜日
黄泉路(3)~『GONIN サーガ』の床下~
石井隆の劇には、決まって“黄泉路捜し”がある。たとえば、『赤い縄 果てるまで』(1987 監督すずきじゅんいち)の終幕を飾った雨煙る樹林には、おんなの肌から立ち昇る生の充実と共に、甘く粘っこい死出の手向けがむせ返るほど薫ったし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)で主要登場人物の一行が揃ってたどり着いた巨大な石切り場は、石井渾身の造形にして典型的な冥界だった。
そこに金銀財宝は眠っていない。どころか、鮮血の生臭さや肉片がもたらす腐臭が風に乗って襲い来る始末だ。しかし石井はその先にこそ、純度ある魂が横臥する静謐な場処が準備されると囁く。己の運命やこれまで向き合った親しい人を思い返す転回点と位置付けられる、そんな死場処が連なって在る。私たち受け手は“墓盗人”となる覚悟でこれに踏み込み、彼ら死人と共に黒い結露を吸わねばならない。
『GONIN サーガ』(2015)に触れて石井は、「墓」という表現を使って劇中の舞台を語っていて、その事が指差すのは当作品の真髄の在り処だ。「『GONIN サーガ』ではさらに床下が出てきて、“地下墓所”の底で物語が展開する。言ってみれば、あの世にもこの世にも属さない場所ですが。なぜか冥府に惹かれるんです。」(*1) クラブ「バーズ」のダンスフロアの真下こそが黄泉路であった。
秘かに息づき、立つこともままならぬ窮屈な床裏。観客を大いに戸惑わせた、いつ果てるとも知れない潜伏シーンであった訳だけれど、私たちは石井がそこに横穴墓(よこあなぼ)の役割を投射していた点を改めて意識し直し、再度目を凝らして良いように思われるし、その作業を経ずして『GONIN サーガ』の鑑賞は完了しないだろう。
石井の近作を振り返れば『花と蛇』(2004)には“天使”を模した呼び鈴があり、“ゴルゴダ”が再現され、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では“ドゥオーモ Duomo”という響きが全篇を彩り、『フィギュアなあなた』(2013)には重力のくびきを解かれた死者が“ウェルギリウス”並に舞い踊った。『甘い鞭』(2013)で横棒に縛られ鞭打たれる少女の姿は、見るもの全員に“磔刑”を想起させるべく企てられたのは明らかだ。拝跪にも近しい切実さを湛えて、このところの石井は血まなこになって聖画をフィルムに編み込んでいる節がある。これ等に続くかたちで発表された『GONIN サーガ』に、宗教的な題材が一切刷りこまれていないと考える方がよほど変な話だ。
「墓」での横臥が三日間に渡って行なわれ、その後、フタをこじ開けて地上に這い登る子供たちの姿には“復活”が重なって見えはしないか。柄本祐演じる重傷を負った警官に蛆たかる描写(映画では直接写さずに音と気配で示している)を執拗にくり返す石井の筆先には、黄泉国(よもつくに)で “宇士多加礼許呂呂岐弖(うじたかれころろきて)”と描写されるイザナミ(伊邪那美)の当惑と哀しみが宿ってはいなかったか。(*2)
前者は死者の帰還であり、後者は生者との永別が描かれる。劇のクライマックスで私たちは死と生が烈しく牙剥き、共食いし、雨の中でのたうちまわる様子を目の当たりにして、訳もなく涙を流していたのだけど、考えてみれば強靭な神話を、もしかしたら二つも裏縫いした物語が『GONIN サーガ』であった可能性もあるわけで、そうであれば胸つぶされ喘ぐのは自明であってまったく不思議はない。
例によって勝手な妄想と笑われるかもしれないが、イザナミの方はともなく、「四日後」と定められた結婚披露宴に向けて走り出す後半の“不自然さ”はどうだ。警官が虫の吐息で「二日と5時間……」と答える辺りの耳朶に残る日数の強調は、物語上ではなく、物語に潜在するものとして強固な必然が宿っていたように思われる。
(*1):「『GONIN サーガ』劇場用プログラム」 KADOKAWA 2015 「監督 石井隆」 取材・文 轟夕起夫
(*2):「GONIN サーガ」(石井隆 角川文庫 2015)の中には、傷にたかる蝿の幼虫の凄惨な場面が幾度も描かれている。まず、「蝿がブンブン唸っている」のに対して「申し訳ないです。腐り具合はどうですか?」(328頁)と答え、やがて「腹と脚はもう腐り掛けていて、(中略)床が液体で濡れ光り、異臭を発し、ブンブンと銀蝿が飛び回っている」(336-337頁)状態になり、死期を悟った警官は「蛆が這う大腿部を見下ろしながら」(347頁)もはやそれを追い払おうとする気持ちもなく、淡々と喋り続ける。「蒼白な顔でジッと脚を這う蛆を見ているだけ」(349頁)となり、遂に蛆は「腐りかけている慶一の死肉を食らいに集っている蝿」へと羽化して殺し屋へと飛び立ち、暴力組織「全滅」への仕上げにかかる。
2016年2月7日日曜日
黄泉路(2)~【その後のあなた】の縦抗、【赤い暴行】の横抗~
石井隆がかつて【その後のあなた】(1980)で描いた黄泉路は、暗闇にそこだけ光った地階への出入口であった。必死に手をのばす村木の呼び掛けに応じぬまま、傷心の名美はそこを一歩、また一歩と下っていく。『フィギュアなあなた』(2013)の幕開きを飾ったドレPaul Gustave Doré の「神曲」挿画とよく似た趣きの扉と光源をそなえており、開口部の大きさもほぼ同じであった。
また、【おんなの街 赤い暴行】(1980)は「タナトス四部作」の一篇であり、【赤い眩暈】(1980)同様、陰鬱でありながらどこか安らぎも覚える冥府めぐりの話なのだが、おんなが踏み入った森の最果てには崖が待ち構えており、反対側の急斜面には横穴墓(よこあなぼ)に似た洞窟が設けられていた。おんなはその穴に、自身の骸(むくろ)が横たわる姿を幻視する。上の【その後のあなた】での地階への降下イコール冥府めぐりというのは、(ドレとの連環はさておき)世にあふれた図案であるのだけれど、こちらの崖の中腹に掘られた死場処というのは極めて突飛であり、石井独自の秀抜な景色となっていた。
【赤い暴行】のおんなは酒で大量の睡眠薬を胃の奥に流し込んでいて、まともな思考ができない状態と設定されているのだけれど、現世への未練が残って、脳裏に浮かぶのは過去の思い出ばかりだ。そんな宙に浮いて整理のつかない心模様と、深い昏睡に陥り、心拍停止を目前にした身体機能の危うさがここでは断崖中の横穴という不自然な形で表現されており、石井世界の舞台背景というのがいかに精神と密接なものであるか、そして、人物の言動といかに同等の立ち位置にあるかを示唆していた。
それにしても思うのだが、石井の描く心霊描写、特に黄泉路の舞台設定が多岐に渡っている点、つまり、様式がばらばらで一環していない点は着目すべきではなかろうか。そこには石井という作家が死の実相や冥府の景色につき信じ切れていない、いや、信じつつも手探りは止められず、常に揺れ続けていることが透過する。石井という作り手のなかにこそ(私たち受け手以上に)霊的世界への斜め目線があるのであって、作家という仕事上の、加えて私人として、一生を費やすべき保留案件となって「あの世」は立ちはだかっていると感じられる。
インタビュウにおいて石井は繰り返し幼少時の霊体験を語っているのだけど、それと同時に彼ら幽体の襲来が喘息の発作で臥せっていた最中に起きたことを打ち明ける。病に起因する呼吸困難、高熱の発症、服用した薬の影響もどうやら背後にあるらしいことを自分なりに解析して見せている訳だ。もしも石井が霊媒としての特性をそなえ、発熱や服薬で朦朧とすることもなく、日毎夜毎に彼ら異人たちと対面していたなら、幼少時の枕元を脅かす存在ばかりをインタビュウで開陳することはないであろうし、劇画や映画製作における霊性に関わる描写に自ずと「定型」が編み出されても可笑しくあるまい。あんなにも死に際に執着していながら、実は石井にとっても死は未知の領域なのだ。
毎日欠かさず亡き妻、恩人に対して一杯の水を供える信心深さと共に、なかなか訪れてくれない奇蹟への渇望が作者の内に同居して押し合いへし合いしており、それが多角的なまなざしとなって作品全般を彩っている。短絡過ぎるかもしれないが、そういうところが少しは有るのではないか。
石井の劇画製作が“映画”の踏襲を徹底して目指し、主要な酒場や住居に留まらず、ちょっとした移動のための車両や裏通り、草むら、線路ばたの野草といった簡単な道具ひとつおざなりに出来なくなり、これと決めた場処にカメラを持ち込んで膨大な写真撮影を行なって、まずコマの背景から埋め尽くしていた事は既に書いた訳だが、その延長で現世とは異なる黄泉路なり冥府を描く際にも、現実風景の写し絵でこれを構築せざるを得なくなったという技術上の特殊な事情もここには加わっているだろう。ハイパーリアリズムを画風として定着させてしまった結果、絶えず野辺や書物を渉猟し、毎回違った顔立ちの異界を採用しなければならなかったのではあるまいか。油断して使い廻すと紙面はマンネリ化する怖さがあるだけでなく、背景が心理描写と直結して饒舌であるがゆえに、物語が変われば人の心も当然変わり、合わせて現実の舞台も、黄泉路も全て変わらなければならない。
映画にしても地獄は大概ロケーションが基本となり、森や廃墟、時には閉鎖された病院がこれに当てられて来た。特殊メイクアップで造形された鬼や怪物は跋扈しないし、コンピューターグラフィックで描かれた火を噴く山もない。現実風景の上にどこまでも重層的に築かれていく。
黄泉路なりあの世の劇空間への突然の闖入が、石井の劇に独特の肌合いを育てたのは違いないのだが、常に「現実」が冥界として採用され、唸り声を上げながら起動していくという繰り返しの果てに訪れる境涯というものは、実は相当に神妙な領域に軸足が移動することになる。薄薄は観客も気付いているし、石井も承知で突き進んでいる気配があるけれど、石井世界において此岸と彼岸の境界はとことん曖昧となる理だし、既にしてこの現実のどこもかしこも地獄なのだ、という拡大解釈さえ産まれ落ちる。
紙とインクではなく、また、樹海の奥でもなく、今日の東京の街だけで冥府めぐりをすべて撮り切ってしまった近作『フィギュアなあなた』の混沌ぶりというのは、劇画製作の折から今に至る地獄探し、ロケハンのたびに足運ぶ冥府にすっかり染まってしまった石井の生々しい感懐が前面に出たものではなかったか。この世自体が生きた心地のしない、息のできない空間であって、もはや死んだも同然という諦観というのか、それとも逆説的な希望の光とでも言うべきものが具現化した作品と捉えている。
2016年2月6日土曜日
黄泉路(1)~【おんなの街 赤い眩暈】のトンネル~
お役御免となったがらんどうの倉庫や坑道を覗いたり入ってみるのは、恐いし勇気がいる。過日訪ねた鉄道操車場跡にも湿ったほこりが充満して、さわさわと首筋を撫でられるようだった。そういえば石井隆「タナトス四部作」の一篇、【おんなの街 赤い眩暈】(1980)の中にも、造作は異なるけれど荒涼としたトンネルが描かれていた。地震に遭って転倒し、しこたま頭を打ったおんなが死出の路を歩む。冥府めぐりの入口は人気のないトンネルであり、おんなの痩せた背中を包み込んで闇が渦巻いていた。
穴蔵やトンネルを生死の境界と設定する劇や小説は他にもあって、【赤い眩暈】の描写は特別なものではない。古くから人は冥府や幽霊の出現を暗がりに疑い、かずかずの作品に書き残している。映画の舞台に選ばれることも多い。(*1) もしかしたら闇の一段と深いへりには霊体か何かが巣食う可能性はゼロではないけれど、一方、どうしてこんな現実の淋しく、辺鄙な場所に彼らが住まい続けると言えるのか、考えてみれば理屈に合わない。
時を越え、場所を問わず、特定の人にいつまでも憑きまとうと言われる人魂が、山奥の廃屋やトンネルに集うというのは無理な話だ。うら若い女性ならともかく、私みたいな変人の来訪をひたすら待つというのも妙だ。凡庸な風采の中年男がのそのそ近寄って来ては、きっと彼らだって不安だし迷惑だろう。さっさと引っ越すはずじゃないか。
被験者に何十日も寄り添い、幻影の出没するタイミングをこまめに調べた研究から導かれた結論なのだが、暗闇に閉ざされた場処に長時間拘束され、はたまたギブス等で自由を奪われ続けると神経が極端に鋭敏になっていき、見えないものを懸命に探し、聞こえない声に耳をそばたてるものらしい。ついには幻覚や幻聴、幻嗅が発生する。(*2) どうやら遮断された知覚を再開させようと大騒ぎしてしまう復旧回路が私たちの脳内にはありそうだ。トンネルなり廃屋の光と音を奪われた閉鎖環境と心霊の目撃には、たしかな連環がある。私が古い操車場で感じた怖さというのも、実はそういう類いのものだったらしい。
霊体や魂の存在を完全に否定できないのが本音だけど、だからと言って不可解な現象すべてを霊体験と決めつける気にはならない。怪談好きの人には申し訳ないが、地縛霊だ、祟りだと断じる声や報告には気持ちが一歩退いてしまう。人生には保留すべき事柄が山のように在り、中には死ぬまで解答を控えねばならない問いも交じる。簡単に話を括ってはいけない。
石井隆の劇画や映画にも霊性を強調する場面がいくつも挿し込まれており、それを興味深く観ている日々だけど、やはり没入型ではなく、技巧や作為を紐解く斜め目線に終始している。マニアックで作者には困った楽しみ方だろうか。いやいや、そのように距離を置くことで初めて見えて来る地平だって世のなかにはきっと在るはずである。
(*1): 鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(1980)の釈迦堂切通し、黒澤明『夢』(1990)などが印象深い。
(*2): 「見てしまう人びと 幻覚の脳科学」 オリヴァー・サックス、大田直子 翻訳 早川書房 2014 58-59頁
2015年10月4日日曜日
“橋面(きょうめん)から見下ろすもの” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(3)~
(注意 物語の結末に触れています)
『GONINサーガ』(2015)という河には三層があって、水底の流れ、水面の流れに加えて、もう一箇所、さながら川をまたぐ橋の上の方から無言のままたたずみ、じっと下方を見つめる集団が居る。知っての通り“死者たち”なのだけれど、劇中の何処にどんな容貌、いかなる風情で出没するかはあえて書かない。
強調したいのは、石井作品の劇中において、死を経て霊体化する現象には事欠かないという点だ。『月下の蘭』(1991)、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)、『ヌードの夜』(1993)、『GONIN』(1995)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(同)という作品には先に逝った者が遺された者の“始末”を手助けするがごとく不意を討って出現し、去来する様ざまな想いをこめた瞳で凝っとこちらを見やる場面が登場する。石井作品には霊的存在との共存が常にあって、だから今回の劇中の彼らにつき違和感を一切感じなかったのだけど、19年を経て執拗にまとわりつく彼らの存在感が際立っていて、『GONINサーガ』(2015)という作品の影の主役となって感じられる。
『GONINサーガ』で明確に実体化した霊魂(および霊現象)につき、私たちはどのように捉えるべきか。考えを若干整理してみたい。それは当作のみならず、石井隆という作家の死生観や彼の創り出す物語全般の見方を探る上で意味ある作業と思えるからだ。
これまでの石井の劇において、話の大前提として、彼らが実存しているのかどうか、これさえも曖昧であった。熱病や狂気(臨死体験を含む)に侵された者の幻影という状況説明がほとんど並走しており、観客に限らず劇中人物も判断の留保を余儀なくされる。(*1) 明確に自分自身を霊と名乗ることはないのだし、現れたら現れたで、なんとなくその思いの丈を窺い知ることは出来そうなのだけど、目的があるのか無いのか判然としない場合が多いのだった。あまりに唐突に出現して、表情も乏しく、やがて煙のように消え失せてしまう。
復讐のために明界(このよ)に舞い戻る「四谷怪談」であったり、処刑される恨みを晴らさんと末代まで祟ってやると絶叫し、それがきっかけで摩訶不思議な物語がスタートする「南総里見八犬伝」の玉梓(たまづさ)のように、霊的なるものが確固たる名乗りを上げ、その強烈な意志や主張が劇の主軸となることは物語空間では膨大な数としてあるのだけど、石井の劇では一見、怨みや祟りが物語の燃焼機関となって燃え盛ることはなく、たたずむ者、見つめる者としての立ち位置を彼らはほとんど崩そうとしない。一貫してその辺りは変わらないのではなかったか。
しかし、今回の『GONINサーガ』では手を変え品を変え、複数の霊術が挿し入れられており、随分とにぎやかな印象を受けるのだった。これは、今作の目立った表情と言って差し支えないように思う。全くもって騒々しい彼ら(それ等)を強いて呼ぶなら、はてさて、幽霊なのだろうか、それともお化けなのだろうか。怨霊とでも呼ぶべきまがまがしき存在なのだろうか。だいたいにしてそんな色分けが石井世界で為されているものだろうか。
古い本になってしまうが、「日本の幽霊」池田弥三郎著(中央公論社 1959)を手元に置いて助力を乞う。これと同じ姿かたちのものが、生前の井上ひさしの書庫にも収められていた。あちこちに細かく丁寧なメモ入りの紙片が挟まれており、熱心に消化した形跡があったのが瞳に焼き付いているが、なるほど池田の文体は軟らかく、体系付けて書かれており分かりやすい。論じる速度も緩やかで浮力もあり、凡人の頭でも至極読みやすい。
池田によれば日本の“ゆうれい”の特色は、「相手がどこにいようとも、特定のその人の目前に現れようとしたら、どこへでも出て来る」(31頁)事だそうである。「人を目指して出現する」これを「幽霊」という漢字を当ててはどうかと説いている。
また、「雨月物語」の「浅茅が宿」の女の“ゆうれい”は七年以上の別離の間、主人の帰りを待ちわび、また、「今昔物語集」の巻二十七の「人妻、死して後に本の形にとなりて旧夫に会う物語」ではどの程度の月日かは書いていないが、「男のいる任地へなり、出かけて行ったらよさそうなものなのに、出かけないでじっと待っていた」律儀なものとして描かれる。「そのゆかりの土地、場所において、この世に執念の残る者」であり、この手の“ゆうれい”は時として「人を選ばない」、「その場所に偶然行き合わせた者なら誰でもその怪異にぶつからねばならない」存在となっていく。「その代わり、この方のゆうれいに会わないためには、そこを出ると知ってさえいればいいわけで、そこに行くことを避けさえすればいい」のである。池田は先の「幽霊」と区別して、こちらを「妖怪」と称した上で考察を深めていく。
面白いのでもう少しだけ書き写したいのだが、池田はこの「幽霊」と「妖怪」に共通する論点として「恨みのあるなしということが重なって来る」のであり、特に「幽霊」ともなると大概が恨みを持っているがゆえに、常識的に「恨めしや」と言いながら出現する、それが世間一般での考え方と読者に同意を求めていく。確かにそう思わざるをえない。怪談映画のぞっとする場面をたくさん思い出す。
しかし、ここからが池田の秀でたところで、間髪いれず生前の泉鏡花と交わした会話内容を振りかえり、どうもこの常識的な幽霊像が「ある一部に極度に発達した」ものではないかという疑問を提示し、加えて「歌舞伎芝居」を通じ、特に「敵討ち」の劇を経過することで、「怨霊」として人為的に発動したものらしい、との推察を巡らしている。人が娯楽目的に作った物語が、観客の、さらにはわが国の民俗全般の実態に徐々に影響を及ぼし、「特定の誰彼ばかりではなく、その人を含めた一家一門、あるいはその住む村なり町なりへ、恨みのほこ先が向けられて行く」ように造作されてしまったと結論づける。(38-49頁)
例外的なもの、特異なものもあるだろうから整然と区分け出来る分野でも当然ない訳だけど、本来の日本的な“ゆうれい”、古くは“もの”(もののけ「物の怪」や、もののふ「武士」というように展開)と呼称された精霊のような存在は、そこまで恨みがましい黒々とした影を引きずってはいなかったらしい。そりゃそうだろう、誰もが深い恨みを抱いて死ぬ訳ではないのだし、けれども誰もが現世にほんの少しの未練を残して命日や盆には生者の元に帰還する。それが私たちの隣人の本来の姿だ。日頃は漠然と恐れていた彼らを、少し身近に、等身大に感じられて得難い読書であった。
もちろん読んだ目的は石井世界での、何より『GONINサーガ』での霊示や霊障を考える時間であったから、読み進める流れのなかで次々と記憶と知識が結束して随分と刺激を受けている。結論から言えば石井作品での幽霊譚は、『ヌードの夜』(1993)がその代表格だけど、想いを残した人に対して憑くところがあって、現世のあちこちに建っている家屋に住み着くような「妖怪」では決して無いように思う。劇画のタナトス四部作や『フィギュアのあなた』(2006)のような、彼らが住まう夜の廃墟は既に越境を果たして後の冥界(あのよ)であるか、生死の境界上に裂けたほころびと決まっているのであって、未練がましく明界(このよ)の現存する不動産物件に身もこころも縛られては見えない。
恨みを深く抱き、祟(たた)ることも皆無なのであって、池田の指すところの古き“もの”に性質は極めて近しいように思われる。たとえば劇画【黒の天使】(1981)で主人公のおんな殺し屋が営むスナックに夜霧とともに出没する被害者たちは、誰もが押し黙ってカウンター席に座るのみであって、これからおんなの身を襲うだろう数奇な運命を微かな片笑みを作って暗示するばかりだ。彼らは乱暴ではなく、どちらかと言えば非力だ。
石井の作品を観ていて常に感じるのは、人間という存在に対する全幅の肯定なのだが、この視線がそのまま滑空して死者へも行き着いている。彼らは現世を破壊しに舞い戻るのではなく、運命悲劇に苛まれる知人や家族を常に見守る存在となり、時々はほんの少しだけ力を貸していく。『GONINサーガ』の彼らも、だからそのように捉えて良いのではなかろうか。
言語学を学んだ身でないので勘違いと笑われそうだけど、石井作品全般の雰囲気を簡潔に表わすならば、それは通常の領域からほんの少し強めであったり、ほんの僅か逸脱したりした表現の連結ではないか。つまりは“物”寂しく、“物”悲しく、“物”狂おしく、“物”恐ろしい描写となってはいないか。石井作品とは作者本人が意図したにせよ偶然にせよ、精霊にあふれた風景の連なりと思う。
長々と書いてしまったが、このたびの『GONINサーガ』の“物”凄い描写の釣瓶打ちは、複数の死者に常に見守られた現場(劇としても、もしかしたら現実としても、)であったように受け止めている。そこを汲んで鑑賞すれば、銀幕の表面積はぐんと広がり、私たちをすっぽりと包み込むだろう。愛しさと儚さが添い歩んで、なんとも言い得ない涙が流れた。
別の本、加藤耕一著「「幽霊屋敷」の文化史」(講談社現代新書 2009 125-147頁)によれば、18世紀末に発明された映画の前身とも呼べるファンタスマゴリー Fantasmagorieは、鎌を手にした骸骨や革命や政争で露と散った死者を投影する幽霊ショーであったらしいから、映画という道具は本源的に死者と出逢うように作られている。確かにそんな感じを受ける。『GONINサーガ』を観る時間は、死者のことを各人ひとりひとりにじっくり考えさせてくれる、そんな貴重なものとなっている。
(*1):暉峻(てるおか)康隆の「幽霊 メイド・イン・ジャパン」(桐原書店 1991)の中では、明治の開国にともなう近代教育によって、怨霊信仰は「迷信として退けられ、あるいは錯乱状態における幻影と解釈されるようになった」のであり、その末にかろうじて演劇や話芸といった娯楽として生き延びたと解説されている。(198頁) 亡霊に悩まされるのは、その人が神経病の患者となった証拠な訳である。石井の劇ではこういった病理学的な要素を常に盛り込んでいながらも、死者に対する怖れや憧憬を完全には断ち切れていない。西洋的近代的な論理と日本独自の民俗信仰の狭間に置かれた朦朧状態となっており、それは私たちそれぞれの根本に横たわる不透明感としっかり同期している。全くもって見事な、現代日本人の等身大の鏡像と呼べそうに思う。
2014年12月21日日曜日
“脱衣する人物”~石井隆の雨について(3)~
石井隆の劇空間では、精神が破綻しつつあるか、それとも、激烈な戦闘に臨んで傷つき、幽明の境にたたずむ際に“全一の景観”とでも呼ぶべき境域が訪れる。それは人物の足元に滴下し、視界をみるみる覆っていくのだった。
『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のドォーモと呼ばれる巨大洞窟、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)でおんなを呑み込む記憶の混濁、『甘い鞭』(2013)の終幕に降臨する異形者のいったものが最初にあげた精神崩壊に端を発するものであり、『GONIN』(1995)の暴力団事務所の前に降りしきる幻怪なる青き雨のホリゾントなどは、その次の闘技場での景色となる。ゆらめく光と影が、私たちをひどく圧倒する。「タナトス四部作」(*1)で睡眠薬を大量に服用してみたり、水たまりに首根っこを押さえつけられ朦朧とする名美を手招きした冥府回廊も、石井隆ならではの“全一の景観”と捉えて良いだろう。こちらも網膜につよく刻まれ、生涯忘れ得ぬものになっている。
面白いことに石井の劇で“全一の景観”に取り込まれた大概の者は、衣服を剥ぎ去ることに執着する。蝉の殻(から)から抜け出る風にするすると脱衣して自身の背中を鞭打つドォーモ内での佐藤寛子や、世界はすべて我が骨と内臓とでも断ずる勢いで、電車の椅子や廃墟病院の屋上でもろ肌を晒す『人が人を─』の喜多嶋舞の姿態、放り出された雨の路上にて気がふれ、シャツや防弾着を脱ぎ捨てて裸となる『GONIN』の永島敏行という具合に列挙することはたやすい。作者の生理に基づくのか創作上の理念に因るのかは不明なれど、多発する所作として石井世界を貫いている。
彼らは衣服を剥ぎ取ることで、より一層景色に埋没なるのを念じて見える。端的にはべったりと死に撞着していて、その軌道からどうにも逃れ得ない。現実に生命を断っていく人のなかには上着のみならず肌着さえ脱ぎ捨てて素裸になり、それからおもむろに一歩踏み出す者が多くいるが、どうやら立ち位置はあれに近い。(*2)。一見エロティックに見える女優たちの脱衣も、だからデスウィッシュにまみれ、タナトスに手引きされている場合とで内実は半々だ。面差しのよく似た表土の裏には逆流する地下水系も抱えていて、思いのほか複雑な土壌となっている訳である。
読者や観客の期待に応え、ヒロインの素肌なり性愛行為を石井は多く描くのだけど、その定型にちゃんと達していながらも真逆のまなざしが注がれていることを忘れてはなるまい。(*3) その時、石井の描く人物の背景もまた妖しく変貌しており、登場人物のみならず、最終的に私たちの身体やこの想いまでも細粒化して、生と死を隔てる川向こうの闇、そして、雨へと溶け込ませんとねっとりと歩み寄って来る。石井の劇で本当にそら恐ろしいのは、肌を露わにして私たちを睨め回すおんなたちより、こっちの背景を覆うしじまではないか。
(*1):1980年に相次いで発表された小編【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣】、【真夜中へのドア】を指す。
(*2): 先逝く彼らの異常と言われるそれを、わたしは狂気の沙汰とは捉えない。淋しいけれども不自然ではない、という思いを抱いている。そのような切迫した局面においては、鳥が目をつつきに来るだろうか、魚や虫にじわじわ食われてしまうだろうかと憂慮するのと並行して、自身の肉体と魂が分解なり風景に溶け込んでいけるのではないかという誘惑が繰り返し人に働き、いざなっていくに違いないからだ。
石井とはまるで無関係なのだけれど、最近読んだ本も少しばかり思考に影響を及ぼしている。「被ばく列島 放射線医療と原子炉」(小出裕章、西尾正道共著 角川oneテーマ21 KADOKAWA)という薄い本で、わたしたちの肉体を一定の方向へと動かして生命を維持する分子レベルの結合に対し、このところの環境の激変がどう左右するか、憂慮する識者ふたりの意見が収まっている。広範囲におよぶ宿命的事態だから、悩んだところで身動き取れないし、こんな本を今さら手に取って悩みの種を蒔く意味はないと分かっているのだけれど、読めば読んだなりの驚きがあって止められない。
なんでも「私たちの生命を支えている分子結合」、たとえば「水素や酸素や炭素が結びついているエネルギー」というのは「エレクトロンボルトという単位で測れるほどの微小な力」であるのに対し、今回私たちの身近に風に乗って飛ばされてきた物質は低いものでも「人体の分子結合の1000倍以上のエネルギー」である「5.7キロエレクトロンボルト」とか、さらにはその百倍もの「662キロエレクトロンボルトという猛烈なエネルギー」を持っており、「そんなものが体に飛び込んでくれば、生命体を形作っている分子結合がぼろぼろにやられていくことは、分かっている」(138頁)という話だ。
読んだ瞬間にはぞっとするのみであったのだけど、しばらくしてどこか穏やかになるところも持った。私たちのこの心身は偶然にも集合したさまざまな粒子が微小な力で結束し、かろうじて構成されていて、生命活動を停止すればそれがゆるゆると崩れて細粒化し、再度世界に散っていく運命なのだと分かる。既に取り決められた定めであって、それを思うと気持ちは軽くもなるのだった。いずれ私もばらばらになり、目に見えない微細なものとなって宙を舞い、街を行き来する誰かの肩に舞い降りたり、それとも気流に乗って海を越える大冒険に出掛けるかもしれない。もしかしたらおせっかいな蝿に転生し、愛するひとの周りを飛んで危険を知らせるかもしれない。いや、既に私の手元に降りてくる雨や雪は、ひとの想いを含んだ粒子かもしれず、そうやって見渡せば世界は険しくもまた麗しいように想う。ほんの僅かではあるが、そんな空想には“救い”の味がする。
(*3):表裏(おもてうら)ある描写を常に意識して行なっている節が、石井隆という作家には至るところで視止められる。この世の事象を立場や見方を替えて凝視することを自らに課しているようで、世間でありがちな形容や理解は受容しつつも、独自の解釈で風景を組み直している。
2014年7月5日土曜日
“砂伴霖(サバンナ)”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(2)~
数ヶ月ぶりに沿岸の町へ足を運んだところ、道路の修繕が一段と進み、片へりには黒々とした毒蛇のごときケーブルを先に這わせたコンクリートの柱が立ち並んでおり、復興の手がいよいよ此処にも届いたかと大層驚かされた。茫洋とした真空地帯の面持ちは既にない。大型の工事車両が威勢よく行き交い、海岸線に目を転ずれば建設途上の白い防波提が万里の長城よろしくどこまでも連なり、異様な迫力をもって目に映るのだった。巨大な資金と労力が投じられた凄いものを見せつけられている感じがして、胃のあたりがざわめく。
もっとも手品のようにするすると空中を渡って流れる電線の、分岐し、繋がっていく先は、一階をやられ、かろうじて二階部分で踏ん張りながら人が暮らしているらしい様子の数軒の深傷を負った家があるばかりであって、新築は見当たらない。黒い波の記憶に果敢に抗って郷里を再生せんと発奮する国や県の想いは伝わらないではないのだけれど、元々が過疎化の加速していた場処であったし、正直な話、このあたりの土壌を測ればやや高い数値が出るとも聞いている。以前あった町並みがすっかり元に戻るまでの道のりは、想像を超えた年数が必要かもしれない。
業者以外の影がなく、道の左右は空き地となっている。瓦礫が取り除かれたざくざくした泥土から建物の基礎部分だけが鎖骨のように突き出し、海風に吹き洗われながら痛々しく陽に晒していた数ヶ月前までの平野が、いまや野辺になっている。視線の遥か先には陽の光に照り輝く堤の尾根(おね)がうねうねと続いているわけだが、そこまでは膝下ほどの背たけの夏草が隙間なく生え、緑色に埋め尽くしているのだった。人の倍ほどの高さの樹がところどころに、それもまばらに一本、また一本という具合に佇立し、左右対称に枝を伸ばしている。もちろん新たに植えられたものではなく、あの天災を生き残ったものである。この風景を前にして外国に来たようだ、アフリカのサバンナのようだと語るひとがいるが、確かに写真や映画で見るあの感じにひどく似ているのだった。
間近で見たそんな奇妙な光景と、先日来ずっと考え続けている『GONIN サーガ』(2015)のことが頭の奥でくっついたり離れたりして、私のなかで渦を巻いている。石井の劇の原風景とどこか哀しく重なって見えた。たくさんの命が奪われた現実の地と、切った張ったの娯楽映画とを連結させて考える私の病癖に対し、不快を感じる人は当然いるに違いないけれど、わたしは石井世界を単なる夢の話とは捉えておらなくって、心の拠りどころ、いや、取り外しの利かない回路のようにして過ごしている。石井世界を考えることは自分を知る術であり、世界の淵に指先を伸ばして何かの端っこをつかみ取る方策である。
表面上は可視できない領域となってしまったが、この草むらは長らく住まった人の、たくさんの係累が連れ去られたままとなった場処に違いはなく、そこを歩きながら、だからこそ余計に強く家族というものへ思いが馳せたのだった。突如生まれたこのサバンナには、記憶が確かに埋っているし、破壊された“家庭”が草の奥からそっとこちらを覗いている。
振り返れば石井映画のほとんどが、可視化し得ないものとして家族を扱い、はたまた可視し得ない涯へと家族を追い込んでいる。冒頭で激甚な災厄が襲い狂って徹底的に破壊されるのだし、または、それさえ描写する暇も無く、あらかじめ解体されてしまっている。生き残った家族へも風が吹き寄せて、か細い炎はゆらめいて至極不安定だ。この執着は奇妙ながらも石井隆という作家を貫くひとつの特性、感性として無視出来ぬ点であろう。
たとえば『死霊の罠』(1988 監督池田敏春)での怪人や『GONIN』(1995)の根津甚八と竹中直人なんかが演じた男たちは、すでに消散した家族の記憶を背負いつつ物語に登壇するのだったし、『月下の蘭』(1991)、『黒の天使 Vol.1』(1998)などでは幕が開いた直後に家族は殺害されていく。『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)にしても『死んでもいい』(1992)にしても家族は散り散りになる間際にあって、実際そのような道をたどってしまう。
『フリーズ・ミー』(2000)、『フィギュアなあなた』(2013)では、主人公の苦境を救えたかもしれぬ家族は遠い田舎住まいであって、話すにしても電話の受話器越しに当たり障りのない内容をもぞもぞと交わすだけであるのだし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)にあっては、せっかく母がいて姉がいて、父親らしき存在さえあるのに彼ら自体が鬼畜の振る舞いで主人公の精神を圧壊させてしまう。ここまで家庭を消失させることに尽力して見える創り手は、東西を見渡しても稀有ではないか。
『夜がまた来る』(1994)は苛烈な体験の数々がヒロイン名美(夏川結衣)を襲うのだったが、なかでも慄然とさせられるのは夫(永島敏行)が殺害され、火葬を終えた直後の場景であった。整頓し、小さな後飾りの壇を設けて骨壷と遺影を飾ったばかりのアパートの一室に名美とは別の人影がある。夫なのか名美なのか、どちらの係累にあたるか分からぬが、身振り口ぶりから近しい血筋の者と知れるのだったが、打ち沈む名美を独り置いて彼らはさっさと退場し、それを待ったようにして悪漢数名が部屋へ入り込んで暴れまくるのだった。家族というものが、係累というものがこんなに無力感を持って描かれる場面はあまり無いように思う。
家族を追い立て、打ち倒していくことに作者がこだわる背景にあるのは、怨憎ではなくって、その逆の愛情なり憧憬が在るように感じ取っている。あえかに、けれど執拗に家族への回帰を望む吐息が全篇に薫る。『GONIN サーガ』を演出するに当たって石井は “家族たち”という語句を繰り返す、これまであまり見ないコメント(*1)を寄せているのだが、それは甘ったるい話を書くということで決してなく、凄絶な生き死にを通じての、肉親への裏返った愛慕の発露がこれまで以上の勢いとなって芽生え、萌えあがり、紅蓮の花弁を付けるという予告であろう。足元に埋もれた黄泉をひたすら覗きながら、野獣の群れなすサバンナを自らも野獣となって疾走することの宣言だろう。それを想うと今から緊張が避けられず、もの恐ろしい気分に包まれている。
(*1): http://www.cinematoday.jp/page/N0063839
2014年2月27日木曜日
“最後に名美になる”~『甘い鞭』の涙~
全身をどす黒い鮮血に染め上げ、身も世もなく慟哭するおんなのすがたが『甘い鞭』(2013)の終幕には収められている。これと似たものを、私たち石井隆の世界を注視する者はあまり知らない。石井の劇画に、そして映画に刃傷沙汰(にんじょうざた)は付き物であるから、紅蓮の景色をいくつか思い描くことはたやすいのだけど、あれ等は劇の途上に大概出現し、その後はバスルームのシャワーや雨に清められ、のっぺりして静かな白い空間に戻される流れだった。
ぶしゅっと血が噴き上がり、肉体なり顔を飛びかかってべっとりと濡らして間もなく画面は暗転し、加害者には氷結した穴ぐらめいた時間が用意されたのではなかったか。ずるずると果てなく血をしたたらせて歩くおんなの様子は、それだけで衝撃があった。重い波となって押し寄せ、身体の芯をゆさゆさと揺らした。
血のりの量にも大層驚いたが、なによりも抑えきれぬ嗚咽に腹をへこませ、背を丸め、唇を歪めて泣き続ける様子というのにどうしようもなく心が騒いだ。
直前に刺して転がる死骸に対して申し訳なく感じるのか、壇蜜演じるおんなは前かがみとなり、鮮血に染まった床面に向けてわあわあと泣き沈みながら、一歩また一歩とかろうじて進んでいく。後悔の念にはげしく苛まれ、自己破壊を希求する方向へとどんどん押し出されていくおんなと銀幕越しに対峙して、すっかり伝染してもらい泣きしながらも、この泣き方は“名美泣き”ではない、とも感じたのだった。原作本(大石圭)とそこに描かれた奈緒子という存在を、演出者石井隆が解析した時間とも一瞬思った。
号泣を許され“名美に成らざる者”の刻印を押された奈緒子は、現実と過去、正気と狂気を混濁させた妖しい時間を過ごしているのであるが、不意の出来事が彼女を襲い、針の振り切った時空へと連れ去っていくところで『甘い鞭』は幕を下ろす。留意すべきは、その刹那、強い衝撃がおんなと私たちを同時に震撼させる訳なのだが、それにより水音高く流れていた情動の川筋が爆砕され、生じた大量の岩石でぷっつりと堰き止められる点だろう。圧倒され、おんなは泣くことを忘れている。ここでも、やはり涙は隠蔽されるのである。
『甘い鞭』は『死んでもいい』(1992)に似た構造を持ち、“名美に成らざる者”を“名美的な者”、つまりは周回を重ねた者へと導く過程を描く作品とも言えるだろう。名美として生きることは地獄そのものに他ならないのだが、石井は『甘い鞭』の奈緒子を名美に転生させてあえて地獄に引き込み、おそらくは“本来辿り着くべき地平”へと横滑りさせたのだ。涙を奪うことで、土壇場でのぎりぎりの救済を、緊急避難を石井は果たそうとする。
生業と呼ばれる以上の、ひりつくような途方もない思念にあふれた仕事であり、畏怖という言葉はこういう時に使うのだろうかとぼんやりした頭で考えている。
2013年10月24日木曜日
“林道”
先日の豪雨によって枯れ葉や土が斜面から流れ、びたびたとかさぶた状になって道を覆っている。にちゃりとした振動が背中にも伝わり、気色悪くて仕方がない。旅の友にと買い求めたコンパクトディスクの江守徹、それとも荻野目慶子だったか、さっきまで嬉しく聴いていた朗読はまるで耳に入らなくなり、苦しくなって停めてしまった。
こんな奥に樹齢八百年と言われる古木が在るのだろうか。ホテルのロビーにあったリーフレットでその存在を知り、一期一会の機会をもらったと信じて足を伸ばしたのだった。途中立ち寄った小さな駅の、番をしていた背の高い駅員はどこまでも先へ進めと言ったはずだが、ナビゲーションを操作して彼方へ、さらにその向こうへと地図をたぐってみても、それらしき印や文字は全然出て来ない。そもそもが教わった分岐点を見誤り、自分はとんでもない方向へと迷い入っているのじゃなかろうか。どうしよう、いよいよ道は狭くなる、あきらめて引き返そうか。
汗でぬめつく手で右へ左へとハンドルを切るうち、突然、朱色の鳥居が目に飛び込んで来た。どうやら辿り着けたのは良かったが、ああ、やっぱり、停まっている車は一台もなく、当然ながら辺りに人の気配はまるで無いのだ。安堵と不安がない交ぜになった溜息をつきながら、車外へと降り立つ。
小板で土留めしてあつらえた階段の、半ば朽ちかけ、落ち葉の堆積してざらついた様子から、最近参拝なり観光に訪れる者がいない事が察せられた。直ぐ間近で、ぎゃうぎゃうという異様な鳴き声を聞く。耳を澄ますと無限の木立を通し、微かに、ぎゃう、ぎゃうと吼えて答えるのが分かるから、鳥ではなくって野猿かもしれない。
こいつ一匹で来やがった、地上に這いつくばる馬鹿な奴、皆で襲って食ってやろうか、と、ひさしぶりに侵入した人間を樹上から監視しているだろう彼らの、群れてゆらゆらする影を想像すると恐怖が増すのだけれど、向き合った“神の木”の威容と妖しさはそれをねじ伏せ、忘れさせてくれるものはあった。恐るべき歳月を無心に、無欲に幹と根を伸ばしてここまで大きくなった、その存在感は強烈だった。飽かず眺め続け、柄にもなく祈りもした。何か願をかける気持ちはなくって、ただただ生命力に圧倒されて頭が下がるのだった。
前置きが長くなってしまったが、道中の不安を追い払う目的もあって私は窓越しに流れる森の景色と石井隆の劇画とを重ね見ようと努めたのだった。主にタナトス四部作と【魔樂】(1986)であったのだが、この現実の寒々とした林道を石井の描いて来た名美に代表されるおんながふらつき、または追っ手を逃れて駆けてくる情景を思い描いた。
が、どうしても上手くいかない。もわもわした草の茂りであるとか、男根や乳房のごとき瘤を抱いて佇立する樹木、空を覆って密生する枝葉などが頁の隅々まで丹念に描き込まれ、埋め尽くされたのが石井隆の森であるから、こうしてリアルな密度ある樹林に囲まれていると、確かにあの風景のようだ、あそこにそっくりだ、と感じられてくる。そこにおんなが配され、ふらふらと彷徨(さまよ)い出ることは、だから石井の世界をそっくり再現することになるはずなのだが、どこか味気なく、空疎でいんちき臭いものになってしまうのだった。
本州の最北端に位置する地域の、さらに集落から離れた場処だからか。主に新宿の裏通りに寓居(ぐうきょ)する石井のおんなが、夢に破れ、自傷する己自身を繰り返し幻視したあげくに疲労を極め、ついに薬の小瓶(びん)を握りしめてしまう。はたまた、投身するきっかけを探って歩み出してしまう。そんな彼女たちがこころ定める目標としては、あまりにも此処は遠く隔たっているのは確かである。その途方もない距離感が、私のなかの夢想を妨げるところがあった。
石井が劇中に用意する幽冥(あのよ)というのは、けれど、路地裏と荒野を、海中と雑居ビルを、風呂場と石切り場を容易に橋渡しするものであるから、新宿だ、東北だ、地の果てだとする言い訳は説得力を持たない。人がいる限りにおいて、石井の森というのは身近に在り続ける。
結局、わたしの想像力の決定的な乏しさがおんなを招(よ)ばないのだろうか。いや、緑の屏風を背景とする一本道の向こうから、ワンピース姿のおんなが必死に手を伸ばすのは見えていたし、愛しく想う容貌風姿をそっと霊木の脇に立たせるくらいは決して難しくはない。しかし、それは日毎夜毎にお茶の間の液晶モニターに映し出される安直な犯罪ドラマか恋愛劇の一場面に何故か思えてしまい、これまで私が熱視(みつ)めてきた石井の描く劇画なり映画の手触りとは少し違うのだった。
一体全体、何がどうして違うのだろう。帰ってから一ヶ月も経つのだけれど、そんなことをずっと考えてしまい、気持ちは林道から戻れずにいる。
2013年6月23日日曜日
“森を歩くもの”
「キネマ旬報」誌上の撮影現場ルポ(*1)と特集(*2)にもあるように、石井隆の新作『フィギュアなあなた』(2013)はポール・ギュスターヴ・ドレ描くところの「神曲」挿画で幕を開く。人生の途上で森に迷った男が、天上にて見守るひとりの女性“ベアトリーチェ”に導かれ、地獄めぐりをする話である。
石井が過去ダンテ・アリギエーリの「神曲」に触れたのは、雑誌に掲載なった四頁の絵物語(*3)のみと記憶している。1974年に発表されており、作歴上ずいぶんと早い時期に置かれた作品だ。下降と上昇を劇中に織り込み、観客の生理を独特の緊張なり昂揚に導く石井の劇にはどことなく「神曲」の影響を感じさせるものが有るが、39年も前にそのものズバリをモティーフに選んでいて、世界観の交差が明示されている。石井の方では隠す意思など最初から無いのである。石井が「神曲」を劇中に再度掲げることは、その点から言っても奇異なことではない。
それにしても劇の冒頭で高々と両手で掲げるようにして「神曲」を示す、その語り口の烈しさはどうだろう。幼少の頃から絵画集に親しみ、ルーベンスやデルヴォーをおのれの創作世界に(気負いなく)馴染ませる石井であるから、ドレの版画が新作を飾っていても何らおかしなところはないのだが、メインタイトルと同時に銀幕に長々と押し出される様子は只事ではない。劇の内実をひもとく鍵なり符号が含まれている、剋目すべしと石井が指差している、そのように解釈するのは当然だろう。
四方田犬彦と伊藤俊治の両氏はだから揃って「神曲」にからめて解題して見せるし、その方向はたしかに誤っていないように思う。。“死者の召喚”(四方田)、“地獄を突き抜け、浄化力を秘めた煉獄へ向かう”(伊藤)という解釈は絶対的に正しい。(*4) 特集「映画作家の肖像 石井隆の性(エロス)/死(タナトス)」で先陣を切る石井自身のインタビュウの内容をこれに重ねれば、自ずと私たちが進むべき航路は示されるだろう。彼らの向こうを張る意識はないのだけれど、ここでは私なりに「神曲」越しに覗く『フィギュアなあなた』についてもう少しだけ踏み込んで語り、創作者の特質に幾らかでも近付きたいと思う。
本当を言えばわたしが「神曲」を読んだのは年齢もだいぶ経ってからであり、あまり偉そうに語る資格はないかもしれない。ドレの版画を添えたA4変型の本を1989年に購入し、谷口江里也の訳で読んだのが最初であった。その前には星野之宣(ほしのゆきのぶ)の「美神曲 APHRODITE INFERNO」(1981)を「週刊ヤングジャンプ」で目撃して、其処にやや強き磁場を覚えもしたし、大江健三郎の「懐かしい年への手紙」(講談社1987)にも多数引用されていたことも幾らか背中を押したのだったが、そもそも体質的に冥界やら悪鬼、死人(しびと)といったものに惹かれることもあって、また、書店で手に取った際に挿画にも魅了されて自然に持ち帰ったように記憶する。
地下深く漏斗状となってひしめく階層を一段一段と降り立つごとに凄惨この上ない地獄の情景が展開するのだったけれど、添えられたドレの絵画の緻密さは神々しくさえあって、裸身をさらす亡者たちの身をよじる様子も大層美しく感じられたものだった。ウイリアム・ブレイクによる水彩とは違い、単色でおごそかなあの世の状景は石井の劇画が懐中している鋭さ、冷たさとも似た気配があったように思う。友人に紹介したり、無理に押し付けて読ませてみたりもし、要するにわたしの波長に大いに合ったのだった。石井がいつか「神曲」とがっぷり組んで、その面影を劇中に取り込んだら面白かろう、さぞかし胸に迫る作品となるだろうと勝手な夢想もしていた。
焼き鏝(ごて)で「神曲」と押印された具合の『フィギュアなあなた』は、だから石井にとっても、私にとっても(並べて書くとなんだか偉そうな感じになるが)意味深い作品となっている。生半可な感想を返しては済まないものと緊張するし、同時にこうして丹念に咀嚼するのが無性に楽しくもある。心もとない己の読解力をおぎない消化を進めるには薬の助けが是非とも必要と思われたものだから、いそぎ解説書を入手してひもとき、まずダンテの「神曲」を理解するところから始めたのだった。
選んだテキストは(映画を観て興味を覚えた人には是非薦めたいのだけど、)「神曲」の翻訳者でもある比較文学者の平川祐弘(ひらかわすけひろ)が実際に講義した内容を文字に起こし、それに加筆を加えた「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社 2010)である。大著ではあるが、随所で頷かされ、笑わされ、驚かされしながらそれ程の日数をかけずに読了している。にわか仕込みの知識ではあるけれど其処を起点として振り返る『フィギュアなあなた』は、もしかしたら石井の劇で顕著になっている“救済の意志”がとんでもなく色濃い、そういった意味合いでは極めて大切な作品と考えられるのだった。“誰を救おうとしたか”について私たちはよくよく噛んで呑みこむ必要がありそうだ。
文の最初の方で、「神曲」を人生の途上で森に迷った男が天上にて見守るひとりの女性に導かれ、地獄めぐりをする話、と説明した。ひとりの男(詩人=ダンテ)と永遠のおんな(ベアトリーチェ)との、高度差を物ともせずに注ぎつづけ、絡めあう視線の物語(*5)──平川の「講義」を読むまでは私もそのように「神曲」を理解していたのであるが、これは実際の旅の諸相ではない。名を付された登場人物すべてに力点は配分されており、おんなの影はむしろ後退するのだった。人生の森に迷った男が、天上の存在のこころを汲(く)んだ先師“ウェルギリウス”に導かれて地獄めぐりをするのが「神曲」という物語であり、ダンテはこの先師の描写に主人公やおんな以上に言葉を費やしていく。卒倒してばかりいる主人公をいたわり、声掛けしながら先導する先師の存在感には独特の密度と体温がある。
『フィギュアなあなた』と「神曲」を重ねて透かし見れば、登場人物の輪郭は完全に合致はしないにしても誰がどの役割を担うのか、おおよその見極めはつくだろう。詩人は柄本祐(えもとたすく)演じる内山であるのは見ての通りだし、廃墟に巣食う悪漢三人組(伊藤洋三郎、山口祥行、飯島大介)は詩人の退路をはばむ三匹の野獣(豹、獅子、狼)、もしくは三つの頭を持つケルベロスではなかろうか。佐々木心音(ここね)演じる等身大フィギュアは若者に影となって終始寄り添うから、どうやらベアトリーチェではなくって、性別こそ違えどもウェルギリウスの立場を担わされている。
それは佐々木の動作にも反映していないか。劇中でのフィギュアには急回転や飛翔といったアクションに付随する“浮遊感”と、身体に宿る“重量”が執拗に肉付けされ、それ等はめざましい勢いで交互に起こって“不自然”に強調されている。(山口祥行を弾き倒す、あの途轍もない重さは一体全体なんだろう!) 半ば崩壊してぐらつく岩場をウェルギリウスは悠然と渡り歩いて見せて、後を追う詩人を呆然とさせるのだったけれど、佐々木の劇中での遊泳はそれと同質の不可思議と言えるだろう。そうとなれば、私たちは一気に『フィギュアなあなた』の足元を見きわめ、この物語(地獄めぐり)がどんな使命を負っていたかを理解することが可能ではないか。
ダンテより遥か以前に世を去った魂が、地獄にも幽閉されず、かと言って天国にも召されず、辺獄(へんごくlimbo)という中途半端な場所に止め置かれて物憂げにたたずんでいる、それが「神曲」におけるウェルギリウスの今である。そんな永久(とわ)に座礁して虚ろとなった魂をフィギュア(佐々木)は白い肌に写し染めしている訳なのだが、若者は地獄を模した廃墟からこれを連れ帰り必死に介抱していく。これの意味するところは何か。
洞窟のような昼とも夜とも判別出来ぬ場処のさらに奥深く、死骸のごとく硬直し続けるマネキンが山積みなっており、炎の舐め走るようにして真っ赤に照らされている、その光源は何だろうかと目を凝らせば、それは蓮(はす)の花弁のような形をしたライトであるのだし、人形たちの四肢に群がり絡んで床を波打つロープライトは、これも泥に埋まった黒い池を気味悪く這い茂る蓮の根っこのようである。思えば上に書いた石井の初期の絵物語は、地獄の第七圏、第二の環である“自殺者の森”を描いたものであった。亡者はその身体を樹木に変えられ、硬直して自由が利かず、魔鳥に目やら耳やら手足を突かれて痛みに泣き叫ぶも誰も救ってはくれないのである。両者は色彩こそ違えども植物の群生と死体の堆積が交錯して描かれて、同じ認識のもとで創出された風景と見て差し支えないと思われる。その森に交じり置かれていたフィギュアが呪縛を解かれて立ち上がり、からくもその場処を離脱して人間の街に戻っていく。これの意味するところは何か。
石井が原作本を映画の脇に置くとき、そこに凄まじい救済の念が生じて劇の根幹を揺さぶることがあるのを、私たちは『花と蛇』(2004)で学んでいる。(*6) あの時と同じような劇烈な化学結晶が生じている気がしてならぬ。不況で組織から追い払われ、存在意義を見失ってのたうつ一人の若者を描くことが主旋律ではあるだろうが、裏側に縫い付けられたものは別の大胆不敵な救出劇ではなかったか。
どこからそんな希求が湧き上がるのか、そこまでして手を差し伸べる気持ちになるのはどうしてなのか。問い掛けに答える者はおらないが、石井の指先が現世と彼岸の境を越えたところにも及びはじめた事だけは、どうやら確かなようである。「神曲」という壮大且つ永劫なる書の隙間から、希望を抱くことさえ許されぬ囚われし魂や、死して後に樹木に姿を変えられ泣き暮らすおんなを連れ還ろうとするのである。なんという救出劇であろうか、なんという気概であろうか。そのような強いまなざしを持った創作者を、私は石井隆以外には知らない。
(*1):「キネマ旬報 2013年5月上旬号 №1635」 86-87頁
(*2):「キネマ旬報 2013年6月下旬号 №1639」 36-49頁
(*3):【悲しい奴】 「SMキング」 1974年5月号
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=210007688&owner_id=3993869
(*4): そのようにして細やかな視線で鑑賞するに値する“読む映画”になるほど『フィギュアなあなた』は成っているとも思われ、ふたつの重い文章は私の目には石井世界に馴染んで思われた。映画という媒体が一過性のものではなく、木霊(こだま)を呼んでしばらく残響する“魂の交歓作業”であると伝えるところがあって、この度の「キネマ旬報」は読んでいて二重三重に幸せだった。
(*5):上にあげた星野の漫画作品にしてもそのような性急さが全篇を覆っている。灼熱の惑星に地質調査のために送り込まれた宇宙船のシステム“ダンテ”がエラーを起こし、作業員を次々に事故死させていく。それは地獄のごとき苛酷な環境に耐え切れなくなったコンピューターの嘆きや悲鳴が顕在化したものであった。最後、宇宙船は高温のガスと溶岩に沈むのであるが、溶解寸前の宇宙船から発せられたホログラムが一筋、天空に真っ直ぐのびて女神“ベアトリーチェ”像を結び、孤寂する存在からのまなざしを受け止めるという結び方である。ダンテとベアトリーチェは直線で結ばれ、他の者は傍観の身に徹するしかない。一応“ウェルギリウス”も登場するが、やはり添え物の域を出ることはない。
(*6): http://grotta-birds.blogspot.jp/2011/12/blog-post.html
2013年2月11日月曜日
“寺院”
不忍池のベンチにてしばし憩い、ユリカモメの群れなして飛翔するのを目で追いながら公園を歩いた。都美術館で開催されていたエル‐グレコ El Grecoが目的ではあったのだが、さらに足を伸ばして以前から気にしていた場処へと向かう。赤いレンガ壁の東京藝術大学や、安藤忠雄の手が加わって再生なった旧帝国図書館から歩いて間もないところに、もっさりと乾いた面持ちでその小さな寺院は直ぐに見つかった。
地盤はやや低くなっており、四方を囲むアスファルト道路や年数の経た民家に調度抱きかかえられるかのような風情である。石段をいくつか踏んで降り立った境内にはひとの姿はなく、鳥さえ鳴かず、休日のせいか車通りも少なくって、時折電車の通過する音だけがかすかに蒼い空を渡ってくる。なんとはなしに淋しい。ひとり歩きの遣る瀬なさは増すばかりなれど、その分ためらいなく時間を費やし、懸命に景色を愛でた。やんわりと時間が静止しかかったような、いささか茫洋として目に映るこの境内を、石井隆は自身の劇画作品の背景に以前使用していた。
劇画のトーンはすこぶる暗いものだった。黒く塗り固められた闇の底に縛られたおんなの真白き肌がぽつねんと配置され、薄墨色に置き換えられた鮮血がそれを切り裂くように縦断しては勢いよく天井までしぶいた。天の川のようにまだらに拡がってはさわさわと紙面を覆っていった。これでもか、どうだこれで、まだまだ、と陰惨で残虐な描写が連なっていき、何か危ないものに描き手は憑かれたのじゃないかしらんと訝(いぶか)ってしまう、そんな針の振れ切った物語であった。人がひとを殺めるその酷薄な一瞬のみをあげつらう者が、だから、どうしても多くなった。いや、そもそも読み手のほとんどは息を潜めて怖々と覗(うかが)うのがやっとであって、素直に読んだこと、感じたことを公けにしていく次の行動自体が稀(まれ)だった。大概は口つぐみ、目を伏せたままとなり、記憶の底にゆるゆると潜行するままに仕舞い置かれた。
だから、【魔樂】(1986)という作品は世に知られたような知られないような、奇妙な立ち位置にいつまでも在る。作家、石井隆を語るときですら辺境に排され、どうしても解釈を迂回される傾向が強い作品であって、その物語の中盤に挿入された場面とほほ同じ景色がいま、わたしの目の前に出現して広がっていることの感懐をあれこれと綴ることの真意が、果たしてどれだけ伝わるものかもはなはだ不安だ。(上手く届くといいのだけど──)
劇中どのような場景であったかと言えば、巻頭から巻末まで徹底して殺人を繰り返す主人公の男“野上”の、もはや彼の人生にとって表側なのか裏側なのか判然としない妻と娘とで坦々と過ごす日常の、とある休日の点描なのであった。節分も間近となった小雪まじりの晩冬である。今年はしなかった初詣の真似事だけでもやっておくかと思い立ち、親子連れ立って神社に向かったのだったが、参拝を終えた帰り道で突如一陣の風がヒューッと吹き抜けて、男だけが別の場処へと意識が跳んでしまうのだった。
連れて行かれたのは無数の地蔵像が並んだ場処であるのだが、その菩薩の群れがみるみる男の前で変幻していき、これまで自らの手で殺めてきた無数のおんなたちの面影となって迫るのだった。嗚咽し、悲鳴をあげ、命乞いする哀れなおんなたちの姿を眼前として男はひどく仰天し、冷や汗をたらし、思わず両手で顔を覆ってしまう。娘の呼ぶ声に正気(なのか狂気なのか、それももはや判然としない様子であるのだが)を取り戻した男はにこやかに家族に声を返し、参道をなにごとも無かったようにして後にする。(*1)
殺めたおんなが人ならぬ姿と化して殺人鬼の前に顕現することは、物語世界ではごく当たり前の展開である。たとえば民谷伊右衛門の前には岩が、間久部緑郎の前に岩根山ルリ子(*2)が、愛憎両面を宿した情念の存在となって出現したが、これと似たことが石井の劇でも起きた、ということに過ぎないだろう。
しかし、実際にこうして自ら悪夢の舞台に降り立ってみると、男を襲った衝撃の広さや大きさがよく分かると共に、上にあげた作劇空間で散見される“彷徨(さまよ)う魂”とはやや性質の異なる事態を石井は我々に提示していることに気付かされる。この境内に等身大のおんなたちがぞろぞろと立ち現われ、あちらこちらに佇んでも良かったのだし、男の勤める会社や自宅のなかをそれら霊魂が風のように行き来しても同等の衝撃を野上という男に、そして私たち読者に与えることは十分に出来たであろう。
そのような彷徨い方でなく、石仏のひとつひとつにプロジェクションマッピングか特殊造形を仕込むようにして哀れな犠牲者を浮き彫りにしていく石井の思惑とは何か。“風景そのもの”が私たち人間の思念や情念によって大きく歪み、膨らみ、彩りや手触りをまるで変えていくという(石井ならではの)筆運びに他ならない。容易に水溶しては液体に馴染んでいく成分が飽和状態をわずかに超えた途端に、一気にじゃりじゃり、ざくざくに結晶してしまうように、性愛なり恋慕といった荒ぶる魂の領域に身をひたし続けた末に、一線をついに越えてしまい、魂の跳ね跳び瓦解して世界をひどく変容させていく、その一瞬がこの境内を借りて起きている。
本来はのどかな、さわやかな景色なのである。寺の縁起を立て札に読めば、地蔵のひとつひとつは家族や自身の健康、ささやかな願いの成就なるのを祈って寄進されたとあり、内省的で細やかな感覚をそなえた若い恋人たちが寄り添い、手をつなぎ、愛や運命の不思議や奇蹟を語り合うにふさわしい場処なのだ。その穏やかな風景をあえてどろどろと溶融させてみせた石井の、臨界を越える危険を冒してまでも魂にすり寄っていく容赦ない語り口に対し、粟立つような、ほんの少しだけ泣いてみたいような心もちで門を潜り、近くの駅までの道を歩いた。
(*1):第4章「悪魔のしずく」 初出「漫画さくら組」1987年2月28日増刊号
(*2):手塚治虫 【バンパイヤ】 1966-69
2012年7月24日火曜日
“たまゆら”
硬さや湿度を保って永らえる物も稀にあるけれど、人のこころの大概は環境や流行に左右されて変幻する。私みたいないい加減な男はなおさらのこと、振り返ればあのときの心模様はどうしたものか、なぜあそこまで斜度を深めたかと首をかしげることも多い。
先日綴っためそめそした感傷は当時の偽らざる内実であり、渦巻く川面を鼻先にした思いは確かなのだが、あれから時間もずいぶんと経ってさすがにふっ切れたところはある。大切なものを守らんと発奮する人に触れ、本を読み、映画に学んで平衡を取り戻した。五線譜を音符で埋める手わざは限られた人への贈り物だろうが、そんな天賦の才は与えられずとも誰もが唯一無二の旋律を奏でながら暮らしており、それは我が身からも絶えず放たれていると今は信じられる。大事にしなきゃと思う。
第一、私のようなひどい弱虫で痛がりが自分から命を絶つことなど土台無理というか、まるで似合わぬ話でしかない。いざ境界またぐ列車に飛び乗ってみれば“痛み”は臆面なく相席を欲してくるもので、旅中ずっと“死ぬ思い”をさせられるに決まっている。この“死ぬ思い”に耐え切れぬから人は機能を停止する訳なのだが、軟弱な我が身をかえりみれば耐え得る、耐え切れぬの前段階でさっさと白旗を掲げて下車を願い出るに違いないのだ。刹那の地獄を想うとそれだけで身体のあちらこちらは萎縮し、呼吸が乱れる。
実際、からきし意気地がない。先月に入って左の足裏に違和感があり、しげしげと見やれば土踏まずに1センチ大の円形の盛り上がりがある。風雪にさらされ変形し、サイズの合わなくなった古い靴を捨て惜しんだ報いであろうか。靴ずれの進んだものと思い、いたわって様子をしばらく見たものの一向に痛みは去らない、どころかいよいよ触れると画鋲を踏み抜くような鋭さとなる。これは厄介な“できもの”の類(たぐい)と判断して薬局におもむき、説明書にしたがって薬を塗りこんだりしたけれど、それでも完治なる気配がないからそこでようやく匙を投げ出し、足を引きずり引きずりしながら皮膚科の門を潜ったのが今月の初めだった。
壁にかかった博士号の免状から私よりひとつ下と知れるS医師は、女形のようなかん高い声で喋る中肉中背の眼鏡の男であった。一瞥(いちべつ)しただけで“ウイルス性のいぼ”と断じて、初老の看護婦に小さな金属容器を用意させる。綿棒を中に突っ込み、透明の液体を含ませるやいなや患部にペタペタと押し付けはじめた。最初は何とも感じなかったが、数秒して錐(きり)で突くような痛みがやって来た。液体窒素により人為的に凍傷を起こし細胞を壊死(えし)させ、下に新しい皮膚が出来た頃を見計らって死んだ部分を小刀でざくざくと切り剥がす、そんな野蛮この上ない治療法である。それ自体はよく知られた話だから耳にしてはいたけれど、何も間髪いれずマイナス196度の液体を押し付けることはなかろう、と思わず目を剥く。
痛くて声が出る。寝屋(ねや)でついつい漏らした淫声を相手に聞かれたおんなの心境とはこんなものかと思う、というか、いい大人が悲鳴をあげて滅茶苦茶に恥しいのだけど。誤魔化そうとひり出した冗談をものともせず、S医師は執拗に冷水を押しつけるばかりで余計泣けてくる。ソビエト製のSF映画(*1)のなかで絶望したおんなが液体窒素を呷(あお)って自死する件(くだり)があったのを思い出し、あのおんなの痛みはこの数十倍か数百倍であったかと思うと、急にそのおんなの哀しみや煩悶の深い淵を覗いたように感じられてちょっと嬉しかったのだけど、痛いものはどうしたって痛いから、オウ、オウ、と水族館のアシカみたく鳴くしかない。生死を分かつ河を渡るに際しての痛みの、数千分の一ぐらいは透けて見えたような気がした。そんな恐ろしい河、近づかずに済むのであればそれに越したことはないだろう。そんな風なことを最近しきりに思っている。
さて、映画のなかで液体窒素を呑み干したハリーという名のおんなは、黄泉の国からさ迷い出たような不安定で常軌を逸した造形であるから、やがて横たわる床面の上ではげしい痙攣を繰り返しながら蘇生を果たすのだったが、その様はフィルムを逆回転させた巧みな演出も加わって人間の身体表現の域を遥かに超えた凄絶なものだった。弛緩と緊張がおんなの四肢を交互に支配していく様子は(死から生へと逆行する流れであっても)渡河のはげしさ、酷さ、神々しさを見事に現わして何度見ても言葉を失うものがある。
このような“渡河の光景”に険しさや厚みをふんだんに盛り込んでは独特の間合いや気合を劇中に籠(こ)めていく作り手の一人として、ここで石井隆の名を上げることにきっと誰もが抵抗を覚えないのではなかろうか。石井は人間の皮膚なり骨の質感、厚みや重みであるとか、体温、弾力といったものを実に丁寧に活写していくのだけれど、その一環として劇中挿入される臨終の場も丁寧に紡いでいくところがある。グロテスクな特殊造形の登用は極力控え、それが準備万端整ってセットに置かれていてもカメラはゆるやかに針路をそれて凝視することはない。その慎ましさの奥に居座る生々しい“肉体”は鮮血にまみれていてもどこか元気に自己主張するようであり、実際その役目を割り振られた役者たちはおのれの精力や技法を残さず投じて渡河の顕現に努めるのである。
たとえば『死んでもいい』(1992)の終幕、ホテルの浴室でひっくり返り炭火の徐々に消え去るごとく体温の奪われて見える室田日出男の、そのぼってりとした肉付きの良い背中や臀部であるとか、『フリーズ・ミー』(2000)で湯船に沈むにあたり、主人公のちひろ(井上晴美)にのしかかって存分に体重を実感させていく北村一輝の頑強な骨と筋肉であるとか、目、鼻、口など有りとあらゆる体孔を極限まで広げてみせ、世界の虚空と精神の洞穴を連結して見せる同作および『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)における竹中直人の断末魔の形相であるとか、呼吸はおろか血流すら止めたかと観ているこちらを慌てさせる、やはり『愛は惜しみなく─』の津田寛治とか、馬鹿が付くほど丹念に“渡河の光景”を演じ、また描いている。逝く者にここまで雄弁に語らしむ演出家は洋の東西を問わず、そうそうはいないように思う。
特に『フリーズ・ミー』で頭頂部をおんなに撲られ、間欠的にはげしい痙攣を重ねて河を越えていく鶴見辰吾の姿は恐怖をこえて笑いを誘い、笑い転じて憐憫へと変容するだけの長い時間を観る者にずるずると与えていて、先のハリーという名のおんなと同様に一度見たら最後、消え去らぬ昏(くら)い面影となって脳裡に巣食うのだったが、独特の低位置に据えられたカメラはこの時、横臥しふるえる男に添い寝してその内側に逆巻く当惑や哀しみを代弁しつつ惚れたおんなを見上げることをなかなか止めないのであって、そこには主役にではなく、今まさに退場を迫られつつある側に注がれた強いまなざしが香っている。
捨て駒として劇内に点々と置かれ、おはじきを操るようにして唐突に退場を強いられがちな助演者や脇役に対して石井の姿勢は首尾一貫しており(*2)、 主役だろうとチンピラであろうと恋路の障壁であろうと最期は同列に扱われていく。たまゆらであれその背中に気持ちを傾けて、生い立ちなりささやかな(もしくは誇大な)希望に敬意を払い、けれど粛粛と看取っていくのである。全方位へ向かうこのなよやかな親身なり目配りの徹底が石井の劇を“救い”の息吹で満たしていくのであり、無明感や焦燥を日々抱きながら生きていかざるをえない私たち市井の徒からすれば、スクリーンを越えて我が身にまでその慈しみは及ぶように感ぜられる時だってある。阿鼻叫喚の地獄絵に放り込まれても石井の物語にどこか安心して居られるのは、きっとその為なのだろうと思う。
(*1): Солярис 監督アンドレイ・タルコフスキー 1972
(*2):たとえば『花と蛇2 パリ/静子』(2005)は画家の妄執を扱うのではなく、絵画を愛していながら自らは筆を握らぬ画商の話である。影の立役者、脇役として生きようと決めていた男が死を目前にして“人生の主役”の座に拘泥して暴走していく物語であって、実に石井らしい吐息と采配に染まった作品と思う。
2012年6月9日土曜日
“水と魂との親和性”
石井隆の劇空間にて際立つ“水と魂との親和性”について、輪郭をより鮮明にするために二、三の例を振り返る。とは言え、石井世界の虜(とりこ)となった読み手ならばかねて周知の場景ばかりであるので、いまさら何を喚(わめ)いているかと冷笑、叱声を矢弾のように浴びかねない。
何故去らぬ、いまさら何だ、という思いは正直わたし自身も幾度となく抱くのだけれど、ここ“GROTTA // Birds // Rouge”は「日記」を兼ねる。本来「日記」とは重大で秘匿すべき事項には露ほども触れず、(万一なにがしかの言葉を添えるにしても大概は記号化され、さりげない体で埋め込まれるものであって、)ほとんどの頁はありきたりの情景で占められるのが常だろう。海底(うなぞこ)より舞い上がり、さわさわ、くぷくぷとささやき群れなす気泡たちの全部を海神とて黙らせ得ぬように、沸き立つ記憶の残滓がわたしに書け書けとしきりにうながすのであって、これはもう抵抗しても勝ち目は無いのだ。“周知の場景”であるにしても、淡々と、されど奔放に想いをつなぐうちに考えが整理なる、そんな一瞬が無性に嬉しくって、それを頼りに離群索居(りぐんさっきょ)を耐えている次第である。
さて、一言に“水”といっても姿かたちは様ざまな訳だが、ここでは先日取り上げた『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)の終幕に掘られた“水たまり”にこだわってみたい。天空より降りそそぐ馴染みの雨ではなく、また、素肌を撫ぜる浴室のシャワーでもない。地面に横たわって光を捕り込み、ぶわり反射させては存在を強く主張する“まとまった水”についてである。棒切れを刺し入れ、ずるずると引きずりながらその流路を究めていく。
映画『赤い教室』の公開に前後して「別冊新評」(*1)は青年劇画誌の旗手で時のひと、石井隆を全力で取り上げており、その特集号のうしろの方に挿まれた同作の脚本第一稿を読むと完成なった映画とは彩りを違えていることに気付かされるのは先に書いた通りだ。正確を記すために奥付を写せば、「別冊新評」は1979年1月10日に発行されていて、映画の方はと言えば同年1月16日公開(*2)である。劇場公開よりわずかに早い。掲載にあたって「決定稿ではありませんが、もっともオリジナルなものであり、石井隆氏の希望によります」と但し書きが添えられているのだが、そこにこもる想いは、だから決して静穏でなかったことが汲み取れる。当惑なのか悄然としたのか、それとも憤激だったのかはうかがい知れぬけれど、劇作家石井隆の気概と誇りがまばゆく照射されて無視できない迫力がある。
そんな『赤い教室』に描かれた“水たまり”とよく似た形と大きさのものが、かつての劇画に視とめることが出来る。【おんなの街】と題された連作の初回を飾った【赤い蜉蝣(かげろう)】という短編である。苦界からの足抜けをはかったおんなが追っ手につかまり、人通りのないさびれた空き地に連行される。制裁をさんざんに加えられたあげく「水責めだ そこらに水溜まりがあったな」ということになり、その顔をさばりと水面に沈められるのだった。おんなの意識は冥府を駆けめぐって、現世に還ることなくそのまま天に召されてしまう。
劇画【赤い蜉蝣(かげろう)】は「増刊ヤングコミック」の1979年2月13日号に掲載されているから、『赤い教室』をめぐる石井と曾根、才人ふたりの確執のそれこそ渦中に置かれた作品と言える。断りなしの改変に対する意趣返しではないとしても、“水溜りを使う”とすればこうしたい、こうありたいという、当事の石井が膨大な思索の震幅を経て手中にした描画、構築(*3)であったと捉えて良くって、なるほど曾根が地べたにあっさりと穿ったものと比してみれば、石井らしい想いを滲ます底無しの深さと魔力を具えた怖い役どころを担っている。目の隅で流れ去ってしまう背景ではなくって、こころをからめ取り、こころを変えていく風景となって在る。
水原ゆう紀の名美が女性らしい逞しさを露呈させて“水たまり”から去ったのに対し、【赤い蜉蝣(かげろう)】のおんなはその逆で“水”に取り込まれている。前者が(よく評されるように)男女間に横たわる溝を暗示し後ろ髪ひく恋慕へ毅然として決着を告げる形なのだとしたら、後者の、まっ逆さまになって氷海に消えゆく豪華旅客船さながら、伏した頭部を黒い水溜まりにごぼごぼと突っ込まれるおんなのかたちが指し示すのは何であろう。恋慕のさらに高まり、おのれの制動をいよいよ失いひどく傾いでしまった心模様であろうし、されど、ここに至り来たれば、もはやこの世との決別すら厭(いと)わないという(曾根版『赤い教室』とはまさに対極の)捨身往生(しゃしんおうじょう)の面差しであろうか。“ひとを想う”行為の寄せては返す波に洗われ弄(あそ)ばれて、総身呑まれて恋死(こいじ)にしていく、溝にはまってどうにもならぬ魂の末路が浮かび上がる。
(*1):「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」 新評社 1979
(*2):「官能のプログラム・ピクチャア」 フィルムアート社 1983 218頁
(*3):この【赤い蜉蝣】の溺死の風景は今井正『越後つついし親不知』(1964)での佐久間良子と重なってみえるし、前述の通りベルイマン作品とも通じるようにわたしは想像している。映画を起点として旺盛に細胞分裂していく、それが石井の創造世界のまぎれもない一面であるだろう。映画を愛する人の胸に印象を刻むのは、だから当然かもしれない。
※追記
何か引っ掛かるところがあってワイズ出版の「おんなの街 Ⅰ」を見返していたところ、初出一覧に誤植があったようです。【赤い蜉蝣】が連作「おんなの街」の初回を飾ったというのは間違いで、1980年の2月13日号が正しいらしく、『天使のはらわた 赤い教室』公開から1年以上を経て世に出ています。上に書いたのはどうやら私の完全な妄想でありました。お詫びいたします。
実際の掲載順序は次のようであった模様です。
【雨のエトランゼ】 1979
6月27日~8月22号
【果てるまで】 1979 9月12号
【停滞前線】 1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】 1979
11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980 1月9日号
【赤い暴行】★ 1980 1月23日号
【赤い蜉蝣】★ 1980
2月13日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)
また馬鹿をやっちゃいました。ごめんなさい。 2012.06.23
2011年11月4日金曜日
“蝿のはなし”

軟らかな面紗(めんしゃ)のような霧が早朝の街路を覆うようになった。風のなかに枯れ草の甘重い匂いを感じ、夜毎奏でられた虫の音もいつしか絶えた。庭木に張られた女郎蜘蛛の巣には艶が失われ、寄り添っていた小さな雄の姿も見当たらない。季節の端境を越えてしまったことを知る。
先刻から一匹の黒い蝿が纏わり付くように飛んでまわって、とっても煩わしい。この小さな蝿にしても早晩寒さにこごえ、寿命を閉じるにちがいないのだ。そう思うといささか哀れを感じる。ちょうど石井隆の物語にこつ然と現われる“怪異”について、と、言うよりも『GONIN』(1995)の中の“蝿たち”について考えていたところだった。
事業が立ち行かなくなる、はたまた、リストラの対象となり職を失う。ロック歌手に憧れ上京してみたはいいが寄る辺なく、その日の糧にも事欠いて恐喝まがいの悪事に手を染めねばならぬ。そんな行き詰まった男たちが、何の導きによるものか偶然に出会ってしまうのだった。苦境を脱け出す算段をさっそく始めたはいいが、誰の顔にも焦燥や疲労の色がうすく滲み、肺腑の奥ではぼんやりした諦観が渦巻いている。もう疲れちゃったよ、この辺でひと暴れしたら俺の人生、幕を引いちゃってもいいのじゃないか、みたいな心棒の変質を吐息や紫煙とともに吐き出して見える。
奇想というべきか捨て鉢と呼ぶべきか、あろうことか暴力団の事務所にある金庫に目をつけ、目出し帽被って男たちは急襲する。まんまと現金強奪に成功してしまうのだったが、怒った組織は凶暴この上ない二人組の追っ手を雇い、やがて死体の山が累々と築かれていく。血と反吐のすえた臭いに惹かれたか、羽音をぶんぶんと唸らせ蝿が寄りたかる。石井隆の映画『GONIN』は豪華キャストに彩られ、色香あふれた外貌が魅力この上ないけれど、正直言えばお話はそんな下降線をたどる陰惨な内容である。
荻原(竹中直人)と三屋(本木雅弘)の鼻先に蝿は飛翔を繰り返し、観客の嫌悪感をぱんぱんに膨張させていく。遺体から発せられる腐臭やどろり濁った運河のヘドロ臭がつんつんと幻嗅されて、逆撫でされた神経が危険や不安を訴える。緊迫を煽る常套手段として時計の秒針のカチカチと刻まれる音がよくあるように、男たちの惨めな逃避行を醸し出す小道具として“蝿の羽音”がここでは登用されたと誰もが思う。の、であるが、石井はかつての対談(*1)のなかで、この蝿が死者の転生した姿であると言い切っている。
何ら思わせぶりなカットなり台詞を劇中に挟むことなく、映画雑誌の対談でそっと秘めた思いを吐露してみせた石井の言葉に心底から驚愕し、以来頭の隅からその事が消えずにいる。手塚治虫の【火の鳥】や南米の未開人の死生観を引いて、自分なりに咀嚼した想いを以前mixiにも書いているがいまだにすっきりしない。(*2)
この春の震災とそれに続く原子力災害が落とす影の色は黒々として、生きることや死ぬことについて考えさせられる瞬間が幾度となく巡って来る。死して後、誰であれ輪廻転生の定めに則(のっと)り“何ものか”に生まれ変わらざるを得ないにしても、『GONIN』のような“蝿”になるという選択は在り得ないように感じられて身悶えしてしまう。どうにも落ち着かぬ。
自分の内部でなぜかくも頑固な抵抗を感じるかといえば、一匹の蝿ごときに変身するのが万物の霊長たる人間さまとして耐えられない、という驕りでは決してなく、だいたいが自分に託された役割や使命など人類史の悠久たる流れの中ではささやかなもので、“芥(あくた)もくた”の存在に過ぎない。蝿になるならそれでも仕方ない。
つまり感じるのはこういうことだ。一向に色褪せることなく逆巻きつづく思慕──、悔恨や慙愧と呼び表される重石の大きさと冷たさ──、果てなくさえずる欲心、欲念──、暗き土中からむくり芽を起こし蔦をのばし、我が身を縛っていく飢えと渇き──そういった手に余って仕方ない煩悩たちの堆(うずたか)く積まれて多層となったものが、あんなコンパクトな羽虫の頭なり身体に収まるとは到底思えない、その疑念が転生のイメージを撥ねつける。
総じて石井隆の劇は観客に消化不良を残すというか、胃液で溶かしきれぬ塊(かたまり──これが魅力なんだけど)を含んでいるものであるが、石井の『GONIN』は私のなかで解決せず、残光がずっと尾を引いてしまい記憶にとどまった。
ところが先日、往時の食文化を調べるつもりで購入した小泉八雲(こいずみやくも)の作品集のなかに『GONIN』の現象に通じるくだりを見つけてしまった。京都の商人、飾屋久兵衛(かざりやきゅうべえ)の屋敷に雇われていた若狭の国生れの下女“たま”が急に病気で亡くなり、それから十日後に大きな蝿となって再訪するくだりがある。(*3) 仰天するというよりもただただ不勉強を恥じ入るばかりであるが、我が国の先人にとって死者の“蝿”への転生は面妖不思議なことなれど、拒絶したくなるほど不自然とは思わなかったようである。
石井の戦歴を振り返って見ると『ヌードの夜』(1993)の同年にテレビドラマ用の脚本を書いており、それは『怪談 KWAIDAN Ⅱ』と銘打ったオムニバスであって、石井は『ろくろ首』を担当した。原作はもちろん八雲である。(*4)
処女作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)でも、また、この二年ほど前に発表された『月下の蘭』(1991)においても魂の飛翔する様が描かれているわけだし、画集「死場処」(1973)においても現世と幽冥との壁が剥がれた昏い情景が目白押しであった訳だから、元々石井のなかにある体質として霊魂なり転生は活きている。
活きているけれども、こうして八雲を読み終えてみれば『ヌードの夜』のあの名美(余貴美子)も、あの行方(なめかた 根津甚八)も、『GONIN』のあの蝿も地続きになって峰を連ねるように思える。真摯に仕事をこなし、その都度に貪欲に吸収して綾を増しながら成長を重ねていく石井世界。その硬軟自在の体質に舌を巻くしかない。八雲を呑み、あやかしを懐中に入れて“日本人の情念”の創出に挑む石井の姿が夢想され、さらに奥行きが増して今は感じられる。恐るべき多層が石井には巣食うように思う。
盛んに飛んでいた蝿が見当たらない。感化されやすい性質(たち)だから、何者かの化身、自分の見知った先人の生まれ変わりであったらどうしようと心配になり、誰なの、どうしたのよ、と声出して尋ねたりもしたのだった。傍から見たらもう立派な狂人である。励ましに来たか、叱りに来たかと見下ろしてみたが、当然ながら返答などなかった。どこか部屋の隅で凍えているものか、それとも黄泉の国帰ったものか。
連絡の絶えてひさしい友人を想う。元気でいてもらいたい、そう願うばかりでいる。
(*1): 「映画芸術 通巻377号」編集プロダクション映芸(映画芸術新社) 平成8年 (1996)1月発行 石井隆vs山根貞男「GONIN」 本木雅弘演ずる若者が恋慕っていた佐藤浩市を喪い、途方に暮れ、哀しみに沈んで運河の浮桟橋に係留なった廃船に独り隠れ潜んでいる。自死を試みるものの踏み越えられずに蒼白い夜を悶々と明かしていく抒情あふれる名場面なのだけど、若者の傾斜していく思いを遮るように飛翔する蠅の羽音がそこでは幾度かインサートされ、それはてっきり運河なり廃船の汚れ具合を強調しているものと普通の観客ならそのように読み取る、そんな描写だったのだけど、石井はこの蠅こそが竹中直人の転生した姿なのだと山根の前でさも当たり前のように話している。
──例えば、本木君が自殺しようとしたところで、ブーンと殺された竹中さんから生れた蠅が飛んで来て思い止まらせる、とか(笑)
(*2): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1554536726&owner_id=3993869
(*3):「蝿のはなし」 小泉八雲 「骨董」(1902)所載 手元にあるのは上田和夫訳の「小泉八雲集」 新潮社 55刷
(*4): 『怪談 KWAIDAN』(1992)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E8%AB%87_KWAIDAN
『怪談 KWAIDAN Ⅱ』(1993)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E8%AB%87_KWAIDAN_II
2011年5月8日日曜日
「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」 佐藤寛子写真集

自ら監修して世に送り出した「写真集」は、これが石井隆にとって(劇画家時代のものは含まなければ)三冊目となる。喜多嶋舞と組んだ前作“映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」写真集”にも圧倒されたのだけど、佐藤寛子を主演に招いた今作は世辞抜きに物凄いことになっている。心胆凍らしむ壮絶な仕上がりで、重たく密度のある“寒気”に幾度も襲われた。孤高の創造者がなりふり構わず“地獄図”を構築している。この“突き抜け方”こそが人の言う「石井ワールド」の醍醐味だ。
映画「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」のフィルムブックという体裁をも遥かに超えている。突き抜けている─、越境している─、破壊している──。頁をめくる度に剣先でざくざく喉元を突かれているような、尖(とが)った想いが明滅する。艶色(えんしょく)誇るタレントが若々しい裸身を捧げる「ヌード写真集」の枠組みを軽々と超えてしまった。
“超える”という言葉で、ふと思い返す。とあるドラッグクイーンがインタビュウを受けて、自分たちは“女性化”している訳でなく“超男性”なのだと答えているのに以前出くわした。ひたすらポジティブな面持ちであって、“生”のエネルギーに満ち溢れて見えた。
なるほどと感じ入ったのだったが、思えば彼らに限ったことではなかろう。人は時に“超えること”を狂おしく希求するものだ。表層的にでなく内面的なレベルであれば尚のこと、自らを囲う殻を破りたいと身悶える。気持ちだけは何がなんでも折れるもんか、負けるものかと歯を喰いしばって新生を試みるいたいけな存在が人間ってやつだろう。“生きる”という流れはそういう「破壊と再生」の繰り返しに在る。エロス的な超越の在り方を手探りしながら、大なり小なり人は変わっていく。
そのような正方向への変容の仕方、建設的な化け方ではまるで無い、尋常ならざる不気味な跳躍がこの写真集には植え込まれている。叩きのめされた。質が、覚悟がまるで違う。いや、善し悪しの次元ではなくって、戦局を開く場処が世間の常識とは真逆である。
写真という領域から先例をたぐれば、似た味わいのものが記憶の淵から浮上もする。八十年代中頃からのシンディー・シャーマンを連想する人が少なからずいるのではなかろうか。ラバーやかつらを多用して撮られた彼女のセルフポートレートはどれもこれもが異様な風体であり、目撃者の動揺を激しく誘った。女性が美しさや可愛らしさという仮面を捨て置いておどろおどろした“死者”なり“無機物”へと変貌していく。一枚の写真がさまざまな想いを喚起させて、ひとしきり無我の境地に浮遊されられたものだった。
あのときの戸惑いや衝撃が震度4か5とすれば、石井隆と佐藤寛子が与えたものは震度8以上の激震である。
女優が自らの名前を冠した「写真集」を発刊する際には、どの写真を載せるべきであるか、彼女なり所属事務所なりの許諾が必要となるは当然のなりゆきだろう。拡大ルーペを通して熱心にポジフィルムなり手札判に焼かれた己の姿を凝視し、胸にざわつくカットにはマジックペンで赤々とバツ印を残したりするものだ。佐藤寛子は掲載候補に選ばれた写真に目を通し、じっくり思案する機会を得たはずなのだ。
それなのに、どうだ──、
時折挿し込まれる形相は、これは一体全体どういうことか──。
数えてみれば七十ほどの画像がこの本には収まっているのだけれど、全身の毛が逆立つような佐藤寛子の表情が待ち構える。4葉目、5葉目の、浴室のシャワーの滴に濡れた面影の、半眼のままわたしたちを睥睨(へいげい)してみせる佐藤がまずもって怖い。魂が遊離しかけて夢とうつつを行き来しているような、曖昧で、何かしら黒い印象を与える眼差しにぞっとさせられる。29葉目、30葉目では天井をぐいっと仰ぐ横顔があり、見開かれた瞼から丸く覗いた水晶玉のような眼球はこちらの感情を一切合切なにもかも拒絶するようなヌメッとした輝きを放っていて、命(いのち)宿るものとは到底思えない。
バランスのとれた体躯に豊かな胸部を具えて、現代女性を代表するがごとき満満とした外観を誇るタレントであるが、同時に奥ゆかしさと知性を湛(たた)えた愛らしい瞳が強い印象を残す“目力(めぢから)のある娘である。美貌に恵まれた存在、美しい女(ひと)と言い切って良いだろう。このみずがめ座生れのおんなは内面から輝いて美しい。それが彼女の本質だと私は思っているのであるが、
はたして上に掲げた彼女の表情は、彼女の瞳は、“美しい”だろうか。鼻筋はすっと通り眉も整い、唇だけを見れば吸い込まれるような肉感があって虜(とりこ)になってしまいそうなのに、全体として言いようの無い不安を誘発するところがある。どこかに欠損を抱えている者のような、裏返ったものが紙面に巣食っている。
編集スタッフの不手際なのだろうか、それとも、締め切りに追われた挙げ句のやっつけ仕事の成れの果てで、滅茶苦茶な選定と構成が為されたものなのか。どうして佐藤はこれを止めなかったのか──。疑念を抱きつつ、さらに頁をめくっていって遂に合点がいくのだった。佐藤寛子という憑代(よりしろ)を得て、石井は極北の情景、タナトス的な突き抜けかたを真っ向から狙い定めている。重大な決意をもって禁じ手であるはずの“歪み”や“狂い”が捕らえられている。
42葉目にて佐藤の裸身は輪郭を失い、あたかもゴムの人形か軟体生物のようになって暗がりで息づいていくのだったし、さらに60葉目、62葉目において変容(メタモルフォーゼ)は極まって此の世のものとは到底思えぬ妖しさを刻んでいく。
伊藤晴雨の絵に「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)図」があり、あれは男の怨霊を描いた傑作だったけれど、犬歯覗かす佐藤の歪んだ唇、あらぬ方向を凝視する鳥のような瞳はこれを想起させるに十分なものがある。ヌードグラビアとしての定石とは完全に剥離した、豪胆な試みが為されていると捉えていい。
石井隆と佐藤寛子はこれまでの“ヌード写真集”の常識を破壊し、また、佐藤が地道に獲得してきた健全な常世(とこよ)のイメージを脇に押しやってまでして、幽冥の地平を拓(ひら)かんと突き進んでいる。傍目には無謀とも思えるとんでもない闘いを二人して挑んでいる。
古来より伝承される説話にはおんなの変容(メタモルフォーゼ)を顕わしたものが多くあるが、石井と佐藤が表現しようとしているのはまさにその潮流であるのだろう。奥州安達ヶ原の鬼女、蛇身へと変じて恋しい僧を追い立てる姫君──かれら異形の者たちはひとを想う気持ちがあまりにも高じた末に、人を殺めずにはおけなくなった“超えた存在”だった。佐藤はこれを捨て身で演じ切り、石井は全世界を敵に回しても良いという必死の覚悟で形に為した。人が人を愛する臨界に訪れるだろう“化身”や“霊界”が黒々と描かれている。
65葉目で大きく目を見開いて驚愕する佐藤の、その視線の先にそっと置かれた64葉目の画像。“ドゥォ-モ”の巨大で湿った岩肌の、ずんと縦に穿(うが)たれた裂け目に不自然な山吹色の鈍い光が宿っており、よくよく目を凝らせばその奥に何か得体の知れぬものが潜んで此方を窺(うかが)っているようにも見える。ああ、何だろうこれは──勘弁してくれ、妖し過ぎる、恐ろしい。
あの表情、あの光をしばらく振り切れそうにない。とてつもない「奇書」がぽつねんと此の世に産み落とされてしまったことに心底仰天し、ただただ唸りまくるばかりでいる。死線をさ迷った者にしか知り得ない、生き果てた先の先に在る“業(ごう)”に触れた想いがある。


2011年3月19日土曜日
“愛しきものたち”による結晶~石井劇画を構成するもの~

この一週間の出来事の仔細と今も目の前で繰り広げられている悪い夢にも似た光景の数々を書き留めて記憶に刻み、次の世代に伝えようかと余程思わないでもないのだけれど、エアポケットに落ち込んだような週末の静かなこの午後に記しておきたい内容はやはり石井隆と彼の作品に関する思索のあれこれだ。
真黒い大波に洗われることなく、家族や知人も皆が無事であったことの幸福に浮かれ騒いでいるつもりは決してなく、こういう表現がこの時機ふさわしいかどうか判らないけれど“土壇場”、“瀬戸際”という感じに絶えず圧迫されているせいだ。三十年という歳月を跨いで観て、読んで、考えてきたものを早く形にしておきたい、こうしてモニターに向かっていられるような時間は一切合切無くなってしまうのではないかと背中を銃口で小突かれている気分でひどく焦っている。
深呼吸をして、ふたたび石井の“冥府”に気持ちを戻そう、と、したのだけれど今度は“不謹慎”という言葉が頭の隅の方でちらちら明滅する。思えばここ一週間、映画、小説、テレビドラマといったフィクションに気持ちが一切傾かない。生物としての原始的な部分で何かしらの回路が遮断されたみたいで、飲酒その他の身体的欲求がいずれも大きく減じてしまった。戦時下の日本で娯楽、音楽を徹底して禁じ、美粧を控えたことを思い返して、なるほど、そういう厳しい局面では無理強いなどしなくても自然に誰もがそうなったのかもしれないな、なんて想像を巡らしてみたりする。こんな時に映画や漫画のことを書き連ねることは他人からはずいぶん“不謹慎”に見えることだろう。
けれど、わたしの目に石井隆の世界はひとりの個性的な絵師による「宗教画」に準じたものに見えているから、語ること、紹介することを卑俗で無価値とは毛頭思っていない。わたしの“私らしい人生”には大事なことと考えているのだけれど、沿岸部の惨状や受話器越しに聞く知人、友人からの切な過ぎる話と衝突して逡巡するものがある。もう一度、深呼吸してみよう。
石井は『死んでもいい』(1992)公開時に行なわれた対談(*1)でフランスの監督ロジェ・バディムRoger Vadimについて突然に相手から振られた際、即座に『血とバラEt mourir de plaisir』(1960)のタイトルを上げて、劇場に「何度も通った」作品と返している。この『血とバラ』の中には幻想的な夢のまとまりが在って、その中のひとつは後年石井が描いた【真夜中へのドア】(1980 タナトス四部作に含まれる)の一場面と繋がって見える。
身の丈もある大きな窓を境にして現世と冥界とが隔てられており、向こう側は水槽か海のような具合になっている。石井の作品においてはひどい火傷を負って死線をさまよっている名美の母親がゆらゆらそこを漂い、徐々に光の届かぬ暗い方へと遠ざかって行く。慌てふためいた名美は窓を必死に叩いて母親を引き止めようとするのだったが、黄泉の死者はもはや手遅れと取り合わないのだった。
上の対談において石井は『血とバラ』には確かに何度も通ったけれど「他にもそういうのはあります」と言い添えて、バディムに拘泥したのではない事を強調している。なるほど石井は“バディム派”と括られる程には同監督作品に酔ってはおらず、『血とバラ』という作品についてだけ極端に酩酊して見えるのだ。
石井の劇画には多くの映画、絵画の面影が投入されているのだけれど、どれもが閃光のように断片的なのが特徴となっている。雨滴が車のサイドミラーの下辺にへばり付き、丁度差し込んだ朝日を屈折させてしばし凄まじい真っ赤な光を投げかけてきて、程なく力尽きて地上に落ちていくことがあるけれども感じはあれに似ている。つまり人気作品に便乗して筋運びや人物像をそっくり真似るとか、丸々まとまった場面をそのまま盗用するという性格のものとはまるで違っている。一瞬だけを組み込むのである。
本当は石井劇画に散りばめられた多くの事象をひとつひとつ取り上げ、比較検証しながら石井世界とは何かを究めて行こうと思っていたのだけれど、世間の事情があまりにも騒然として先が見えない状況であるから私なりの結論を急げば、石井世界は呑まれることなく、相手をどんどん呑む。絵画、映画スチール、グラビアといった一瞬の情景を幾つも呑み込んで花ひらいた結晶体の面影がある。ロマンティークな男女のドラマの其処此処に別な物語の息づきが挿入されて、せわしく懸命に、健気に肩寄せ合って活動しているように見える。
そして大事なことは、それら挿し込まれた細片のどれもが石井隆にとって愛すべき記憶の断片に等しく、劇の骨格と同等に想いがひとつひとつ込められているという事だ。コマを埋めるためにルール無用にあたり構わず切り貼りされたのでなく、愛着ある光景なり恋している女優の容姿といったものに充たされてあるが為にコマのひとつひとつが生命を得て語り始めるのである。
この細分化されながら全体を皆で担っているという石井劇画独特の構造が後年の映画演出にも影響し、日本映画には類を見ない“群像劇”へと発展していった。少し急いでしまったけれど、そのように自分なりに読み取っているところだ。
(*1):「月刊シナリオ」 1992年10月号 桂千穂〈作家訪問インタビュー〉クローズアップ・トーク

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