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2023年8月26日土曜日

“聞く男”~『ろくろ首』考(11)~


 十返舎一九の「怪物輿論(かいぶつよろん)巻之四 轆轤首悕念却報福話(ろくろくびのきねん かえってさいわいをむくふはなし)」と、これを再話した小泉八雲の「ろくろ首 Rokuro-kubi」の間には大して段差はない。両者をここでは一体と捉えても構うまい。

 それではこれら原作群と石井の脚本との「分岐点」は何処にあるのか。一見すると始まって直ぐの柳葉敏郎が夏川結衣を救出する場面に見える。なぜなら、原作には夏川演ずる月乃(月姫)が見当たらないからだ。

 ろくろ首の集団におんなが混じるという記述はある。十返舎戯作では「男女四五人」、小泉Hearn の英文においては「four persons—men and women」「the head of a young woman」という綴りである。しかし、それ以上の特徴なく無個性のまま配置されているから、月乃(月姫)という若い娘の造形は明らかに石井の創意に由っている。(*1) (*2)

 先述の通りこの救出場面はおんなの亡霊が実体化して男たちの前に現われ、自身が被(こうむった)暴姦現場を再現して見せているという、ひどく複雑な組み立て方がされている。視聴者がそれに気付くまでには相当の時間を要する点で石井隆ならではの典型的な「不在、見えざる物」の描写となっていて、原作からの乖離が劇の早い段階に始まることは一目瞭然である。

 しかし私の言う「分岐点」とはあらすじの上の変転ではなく、石井隆なりに原作を咀嚼し、自分の方へと捻(ね)じ曲げたくなった、看過し得なかったポイントは何処であったか、創作のスイッチが入ったのは何という言葉や台詞であったか、いわば「発火点」を指す。

 私見に過ぎないが、頁をめくる石井の手が止まり、行間を読もうと目を細めた瞬間は木樵小屋で身の上話を聞く場面に至った際ではなかったか。

 野宿などせずにおいでください、露をふせぐ軒はあるから、と諭されて案内された小屋のなかで、数名の同居者がいろりを囲んで暖を取る姿が見て取れる。手をそろえて丁寧に挨拶する様子から由緒ある家柄のひとではないか、どういう経緯でこんな人里離れた場処に住んでいるのか、と疑問に感じて水を向ける僧に対して、主は切々と昔語りをするのだった。

 ある大名に仕えて重い役職を担っていたが、酒色に耽って悪行に手を染めてしまったこと。それが原因で一家は破滅したこと。多くの人、おそらく一族郎党がそのせいで死んだこと。今は罪ほろぼしに出来る範囲で不幸な人々を助けていること。祖先の家名を再興する事のできるように祈る日々であること。

 僧はその告白を受けて、自身が授かった仏法にまつわる知識の中から因果応報の故事を何例か説き、若い時分に愚かな行為に染まった人が後年には善行に励んでいく姿を見てきた、どうかそのまま正しき道を進みなさいと返している。

「おことが善い心をお持ちのことは疑わない。それでますますよい運が向くようにと願いますのじゃ。今夜、わしはおことのために経をあげて、これまでの罪業に打ち勝つ力が得られるように念じ申そう」(*3)

“I donot doubt that you have a good heart; and I hope that better fortune will come to you. To-night I shall recite the sûtras for your sake, and pray that you may obtain the force to overcome the karma of any past errors.” (*2)

 小泉Hearnの文章では省かれたが、十返舎一九の「怪物輿論(かいぶつよろん)」においては「對話(たいわ)数刻(すこく)を費(ついや)し」と続いているから、慙愧懺悔(ざんぎさんげ)と鼓舞激励との湿度あるやりとりが三、四時間も続いたと分かる。

 「愚かなことに溺れがちだった人間」(小泉)、「積悪(せきあく)に余殃(よわう)あって」苦しむ者(十返舎)(*4)を遠ざけるのではなく、にじり寄ろう、手を握っていこうとする視線が認められる。この「聞く男」の熱意に石井は立ち止まったのではなかったか。

 原作の後半では一気に凶暴化していく僧である。まるで二重人格のごとき豹変ぶりであった。騙され、喰われかけた事に憤慨したにせよ、それにしても情け知らずである。相手を殴りまくって絶命させ、「その化け物を殺したのはわしであっても、血を流してそうしたのではなく、身の安全をはかるため」であったと役人に自慢げに語り大声で笑う男は、もはや僧ではなく何者かに変貌を遂げた、いや、仏道を投げ捨てて「武士」に舞い戻ったかのようだ。

 ところがどうであろうか、石井隆の男は最後の最後まで彼らの身の上話を信じて、火中の栗を拾おうと奮闘し続けるのである。首を締められても、咬みつかれそうになっても、男は信じようとした、救おうとした。原作から脱線していく改変であるけれど、石井の内実が窺える「分岐点」であり劇の展開となっている。

 『天使のはらわた 赤い教室』(1979監督 曾根中生)、『天使のはらわた 名美』(1979 監督 田中登)の村木哲郎、そうして『ヌードの夜』(1993)と『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(2010)の紅次郎の系譜として回竜という男がこの時起動し、肉付けが始まったと考えられる。


(*1):「怪物輿論 付田舎草紙・滑稽膝栗毛 十返舎一九集6」 中山尚夫 古典文庫497 1988

(*2):プロジェクト・グーテンベルクProject Gutenberg

https://www.gutenberg.org/cache/epub/1210/pg1210.txt

(*3):「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975  六十四刷 2013 209頁

(*4):余殃 よおう 先祖の行った悪事の報いが災いとなって現れること。殃の文字にはわざわいの意がある


2023年7月23日日曜日

“反復する地獄”~『ろくろ首』考(6)~

 


 石井隆は「境界」を無限と捉え、そこにたたずむ人間をかれら側に立って描く作家であった。善と悪、愛と欲、道徳と渇望、美しさと醜さ、生と死といった拮抗する勢力の緩衝地帯が広々と用意され、登場人物はそこを往還し、または彷徨い、大概は人間同士の関係に大きな裂傷なり熱傷を作ってしまういたましい展開に突き進む。

 おそらく石井の想いのなかには、絶対的に揺るがないものなど存在しなかった。人は本当に悲しいとき、悲しそうな表情などしないよ、という言及ひとつからも解かるように、人間観察を重ねて突き詰められた結論は「分からない」という一点に集束した。その曖昧さを大胆に、強いまなざしと共に甘受していこうという毅然とした姿勢があった。

 分かりやすくすることは鑑賞の最中や後の記憶を優しくマッサージし、口腔や鼻腔を甘くとろけさせるが、人間の本質なり社会の実相とは大きく反れていくと考えた。分からない人間に向き合っていくそんな石井のドラマというのは、観る者を不安にさせたり戸惑わせることが多かったけれど、『ろくろ首』の印象はそうではない。

 たとえば、劇の冒頭、夏川結衣演じるおんなが柳葉に向けて不幸な身の上を語る。隣国までの旅の途中で従者にはぐれてしまった、と言うときのたどたどしさ、直截的に言えば「棒読み」口調に対して、多くの視聴者は下手だなあ、いたたまれないなあと感じる。寸劇(コント)をたちまち連想して、なんだ怖い話じゃないんだ、漫画だなと解釈して緊張を解いてしまう。以降は真剣なまなざしを向けることはない。もはや「見切った(分かった)」からである。

 ところがこの「棒読み」は(二重の意味で)演出なのであって、演技の巧拙とは関係がない。つまり夏川は「演技している若いおんな」を演じねばならず、芝居じみた雰囲気をあえて押し出すことを強いられた訳である。真夜中の森の広場での談笑で、また、妖怪化して襲い来た従者が柳葉に撃退されてから白状したように、「自分たちの願いを叶えるための道具」とすべく接近し、あれこれ言い含めて「自分たちのさらわれた首を取り返す」役目を押しつけようとした。その為の大芝居という筋書きであった。

 つまり、『ろくろ首』は演出家の判断で「分かりやすく」されてしまったのだ。テレビジョンは不明瞭さを回避して「分かりやすさ」をとことん追求していき、石井世界からどんどん反れてしまったというのが本当のところだろう。

 石井が自ら演出していたら、ずいぶんと違った様相を呈したはずである。おんなの台詞は棒読み調ではなくて、謎めいて「分からない」ままに進行したろう。夏川と従者たちのお芝居はいかにも誇張されて作り物めいたものでなく、曖昧さをそのまま提示した底知れない人間ドラマとして提示されたに違いない。金曜日の午後9時(*1)という視聴好適時間に自作を投じる機会を得た劇作家の発奮を想像すれば、石井が軽佻な「分かりやすい」執筆で済ますはずなど絶対にない。石井の狙いとはいささか乖離した仕上がりになっていて、つまりは「ルージュ現象」がここでも起きていると自分は解釈している。

 さて、そろそろお解かりの通り『ろくろ首』は懸命に芝居を打つおんなを主軸に据えていることで、『ラブホテル』(1985 監督相米慎二)、『ヌードの夜』(1993)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)、『GONIN サーガ』(2015)とも血脈を通じている。

 個人的にはこれら以上に劇画の短篇【琥珀色の裸線】(1987)の切迫した気配と馴染むものを感じる。【琥珀色の裸線】はこんな話だ。暴姦現場に偶然居合わせた男が関わりを避けようとして、顔をそむけ、耳に飛び込む声を無視してその場を離れる。被害者のおんなはその後、加害者のヤクザから脅迫されて場末の酒場に幽閉され、買春目的で訪れる客に身体を開くことを強要される。

 ある夜偶然に先の男が泥酔しておんなの店に立ち寄ったことから、おんなは苦海からの脱出を夢想し始め、徐々にヤクザと男が鉢合わせする状況を作っていき、「過去の暴姦現場を再現する芝居」を両者の前で打つのである。男は保身のために逃避したあの一刻まで引き戻され、カウンターにあった包丁を握るや否やヤクザの背中に突進していく。

 『ろくろ首』の男女の出逢いが暴姦場面である点と、おんなの懸命な芝居に男が翻弄される成り行きが共鳴を誘う。例によって両者はからみ合って石井世界という一個の生命体を彩っている。

 そうして【琥珀色の裸線】から逆照射された『ろくろ首』は、もはや寸劇みたい、バラエティ番組みたいには見えず、笑えない切実な現実へと容貌を変えるのである。つまり、【琥珀色の裸線】と同様の「過去の生々しい現場再現」が『ろくろ首』では冒頭から展開していることを私たちは理解しなければならない。

 (*1):https://www.allcinema.net/cinema/85520



2020年12月17日木曜日

“結果ではなく”~石井隆劇画の深間(ふかま)(3)~

 石井隆の作品を「因縁(いんねん)劇」と称するとやや語弊がある。与えるイメージを極端に狭めてしまう。血染めの戦国絵巻、あな恐ろしや妖猫奇譚、それとも数世代をまたがる遺産相続ミステリーか。いやいや、そんな大袈裟なものではない、一種素朴な作劇の風土として因縁は幾度も掘り起こされ、随処に活かされていく。

 人間がほかの人間に向き合う際に、肺腑の奥まった辺りから湧き上がる興味や親しみ、これに続く台詞の往還と血肉の交流が石井の劇では至極大切に扱われる。ひどく困っているようだな、神仏の加護には遠く及ばないが何か手伝えることはないか、こんな自分でも役立てないものだろうか、と、ふと仕事の手を休めて遠くを見やり、人知れず気を回していく。過去を聞こうとする意思とこれに絆(ほだ)されて昔語りを試みようとする二つの魂の螺旋を成す舞踏が劇の軸芯としてあり、物語全体の歩調なり方角を左右する。

 代表例が『天使のはらわた 名美』(1979 監督田中登)や『ヌードの夜』(1993)と続編『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のいずれも村木という名の男だ。肉欲というより人情が先走り、青息吐息の者に寄り添おうと努めていく。体温を帯びた共振が託されて、きゅっと硬くなったまなざしが物語の地平を貫く。つまり「因縁劇」というよりも、「因縁(過去)を手探る劇」とここは表現するのが適切だろう。

 結末はどうであろう。蜜がつぅっと糸引き垂れる恋情へと結実させるかといえば、ご承知の通りの苦い顛末である。今更にして過去の「因縁」を語ったところで、また、聞かされたところで大方は役に立たないし、下手に動けば状況をますます悪化させるばかりだ。普段わたしたちが実世界で目の当たりにする如く、主人公の多くは奮闘努力するものの大概は報われないままに終わってしまう。

 石井の劇を前にした受け手の視線は、だから往々にして引き裂かれる。過去へ過去へと潜行して因縁を探ろうとする動きと、黒闇(こくあん)の未来へと背中を押されながら突き進む熾烈な展開に振り回される羽目となる。それゆえに鑑賞行為はかなり手強い体験となるのだが、さらにとどめとなるのが紙面や銀幕の最後に石井がめりめりと押し刻んでいく花押(かおう)である。其処に書かれた文字に目を凝らしてみれば、「人間は他人の境遇を救えない」と彫られて見える。なんてこった。

 場内に灯が点ったとき、視聴を終えてモニターを消すとき、私たちは唇を一文字に閉じ奥歯を噛みしめて席を立たねばならない。寂寂として比重がいや増したおのれの心臓や肺を感じ止めながら、さてさて、よいしょ、と誰にも聞こえぬ程に小さい掛け声などして立ち上がる。

 料金を払う観客の権利として穏やかな大団円を求める風潮が昨今あって、ウェブ等で映画作品の感想をつらつら眺めていると、終幕に訪れるほの酸っぱい悲劇描写を由とせず、声高に憤懣を綴るものが目立って多い。こんな結末、酷(ひど)過ぎる、どうかと思うよ、客のことを考えろよ、疲れたよ。そういう感想が在っても良いし全否定はしないけれど、やや短絡に過ぎるとは思う。彼らは多分石井の映画を観劇した後に、さてさて、よいしょ、という小声ではなく、鬼の首を取ったごとく異議を唱えて拳(こぶし)を振り回すのだろう。「因縁を手探る劇」は確かに成就しなかった、骨折り損のくたびれ儲けだったのだから、彼ら一般客がどよめくのは予期し得る反応だ。

 過去のインタビュウが証左するように、石井隆という作家は雑誌の記事や観客の反応を真摯に受け止め、これを飽くことなく反芻する。上のような一般客の反応も当然耳にしているだろうに、そんな石井がどうして「因縁を手探る劇」を、それも失敗に終わる悲劇的結末を繰り返して撮るのか。読者や観客が当惑するのも構わず、次の作品においても空回りする救出劇を描いてしまう。人間は他人の境遇を救えない、無理なんだよ、無駄なんだよ、とつぶやき続けるのは何故か。

 もしかしたら、我々は石井隆の劇を根本から捉え直す時期に来ているのではないか。「結末」ではなく「道程」をこそ、石井が描きたいのだったらどうだろう。未完となる宿命(さだめ)の逢瀬を何度も何度もめげることなく重ねていく人間(ひと)という存在の健気さ、哀しさを謳(うた)いたいならどうであろう。前作の絶望からの復活こそが、つまり「因縁を手探ること」をまた始めてしまう、その「立ち直り」こそ信じたいし最も描きたい訴えではないか。

 作家性という単語に縮約させる前に、ここまで人生を賭して同質の物を描こうとする行為に対して数歩離れてより俯瞰的に、もう少しだけ息をとめて凝視した方が良い。つまり、「連作」という見方を固め、「長大な世界」を黙々と彫り続けている一個の人間として意識すべき段階に来ている。陰惨な絶望を描く者ではなく、実は諦めずに劇に立ち向かっている「希望の作家」として石井を捉えた方が理に適うのである。

 手を伸ばさずにいられぬ男女の内面を連綿と描く作家の行為は、物語上の人物の特性を突き破って作家のそれと直結する。人間の内奥は闇にまみれており、透視することなど他人には出来ない芸当であるが、私たち石井世界を愛する者はその秘密に想いを凝らし、腕の痺れるまで洋燈(ランプ)をかざして良いだろうし、そうする値打ちがある。

 手段として、一般人の目からは奇異に映るだろう瑣末な事象も拡大鏡を操るようにして時に眺めねばならぬ。それが創作者にとってこころ乱される微妙な領域だとしても避けて通ることは出来ない。作品を愛する以外の他意はないのだ。逆鱗に触れたとしても、南無三(なむさん)、寛恕(かんじょ)を請うばかりだ。祈るような詫びるような訳のわからぬ言葉を経文(きょうもん)よろしく綴ったところで、そろそろ腹を決めて本題に移りたいと考える。


2020年9月1日火曜日

“腕時計が消える日” ~石井隆の時空構成(10)~

 


 石井隆の「劇画」がどれほど細かい彫飾をほどこした伽藍か、時計の描写を通じて説こうとしている。ここで思い切り飛躍して一本の「映画」、石井の監督作のなかでも人気が高い『ヌードの夜』(1993)に触れたい。美しいフィックスが目白押しで、また、俳優ひとりひとりが見事に演技をこなし、照明とカメラの支えもあって鮮やかな血流を得ている。確かな体温を帯びて観る者にひたひたと迫って来る作品だ。

 登場する名美というおんな(余貴美子)は、始終その手首に腕時計をはめている。血を浴びることを想定しての仮装や、飛び込む覚悟で海原を臨んで外すことはあっても、基本は腕時計を愛用するおんなである。例によってその現象にたいがいの観客は興味を覚えない。自然だからだ。おんなが腕時計を操作したところぱっくりと蓋がまくれ、中に妖しげな白い粉が入っていた訳ではないし、未知の科学で作られた通信機へとたちまち変形し、地球外生命体とぴゅるぴゅると妙は発声で会話する訳でもない。普通の腕時計を手首にはめ、普通に時刻を確認する姿でしかないから気に留めないのは当然の話だ。

 このおんなが日中は地味な制服に身を包み、地味な会社の地味な事務員として働き、地下鉄で毎日通勤している事も徐々に分かってくると、余計に腕時計の着装は目に馴染むところがある。また、制服を脱ぎ捨てたおんなは男好みの衣装に着替えて危うい逢瀬を重ねていくが、その手首にも腕時計は巻かれ続ける。いずれにせよ全くの自然体とある。都会に暮らす身寄りのない社会人として常に時間に追われる身であり、真面目な性分ゆえに時計を手放せないのだと誰もが考えるはずである。これがおんなの生活スタイルであり、望んでそのように装っているようにしか見えない。

 石井の脚本中には二度腕時計を確認する様子がト書きに綴られ、完成した映画でもこれを踏襲して時刻を気にする姿が描かれている。


   女、聞くでもなく腕時計の時間を気にしながら、

女 「六本木って凄いんでしょ?よくテレビでやるじゃない。なんてったかしら」(*1)


       女、また時計を気にしている。

次郎「あ、日帰りなんですか?」

女 「ハイ?」(*2)


 おんなは腐れ縁の男(根津甚八)の殺害を目論んでおり、それを今夜実行に移すと決めている。男をホテルに誘い込み、そこで区切りを付けようと考えているから、どうしても時計が気になって気になって仕方がない。これまた自然な振る舞いである。

 しかし、この「自然さ」自体が石井の劇では異例な展開であると気付き、どこか「不自然である」と捉え直せば、単なる腕時計がおんなの内実を光の粒として差し出す一種のマイクロスコープとして機能するのではないか。つまり、『ヌードの夜』のおんなは忌まわしい記憶と対峙し「時間」を丸ごと封殺したおんなではなく、また、そ知らぬ顔を装いつつ対男性社会へのレジスタンスの一員ともなっていないその証しとして、時計を着装し続けているという解釈に至る訳である。

 彼らの過去は決して忌まわしい物ではなかったが故に「時間と共にいる」そんな造形がされている。不運ではあったが不幸せではない、そういう男とおんなが描かれているからこその腕時計と捉えるべきではないか。

 遺体の処分を押し付けられた代行屋(竹中直人)にとっては傍迷惑な展開であったが、エンドロールと共に岸辺に引き上げられる海水まみれの男女の死体というのは変則的な入水心中の幕切れであり、観る角度を変えれば激しくも幸福な生の完遂となっている。

 では、『ヌードの夜』の名美は先述の劇画群の「腕時計を外した」おんなと異なり、石井世界にあっては徹底して異質の者であったろうか。石井の劇につき纏いがちな「屈託」のまるでない一面的なキャラクターであったろうか。

 最終局面で代行屋の面前に現われたおんなの霊体が腕時計を何故かしていない点をやはり見逃してはなるまい。石井は手首をことさら強調して撮らないので、例によって気付く人は少ないのだが深読みすれば実にもの悲しい現象が起きている。

 終幕間際におんなと代行屋は生死(しょうじ)の境界をまたぎ、精神錯乱の只中が描かれている。迷走する光景それぞれを理詰めできっちりと意味付けることは野暮だろうし、意地悪な見方しか出来ない観客ならば、徹夜続きの現場で監督もスクリプターも俳優も疲れ果てていたのだ、着装忘れに最後まで気付かずそのまま撮影を終えてしまったに違いないと考えるだろう。そして、観客の目など節穴で気付くはずがないから、と強引に編集を押し進めた結果と邪推するはずである。

 それは違う、と私は思う。石井隆の劇とはこういう「さりげない異変」に満ちたものだ。石井は意識して腕時計の着脱をおんなに命じているのだが、ほとんどの人はそこまで観ない。「不在の描写」が頻発することを理解しなければ、そのまま気付かないのも無理はない。

 不自然こそが石井の劇画や映画の醍醐味であり、凝視してようやく見える景色がある。冥境より代行屋を訪れたおんなが腕時計をしていないことは、時間の消失した世界へ既に軸足を移し切ったという悲痛な宣言であると同時に、殺してしまった運命の男の呪縛から束の間だけ離れ来て、魂を心ゆくまで解放させた状態なのだと告げている。時間の残されていないぎりぎりの局面で、ようやく時間から(=伴侶から)解放されてたゆたう人間の最期の瞬きが描かれており、人生の自由ならざる哀しさ、苦しさ、中途半端に断裂するより術が無い非情なるその本質が切々と詠われている。石井世界の小道具、背景とはそういうものだ。細部に作家の想いが宿っている。それが活きた人物を作り上げる。

(*1)(*2):共に準備稿より引用

2020年7月1日水曜日

“駅を呑み込む”~石井隆の時空構成(3)~


 平穏な景色が程なく変異して、回復不能な乖離へと至り往く石井隆の劇。日常と非日常、伝統的なモラルと情愛、その境界をあっさりと跨いでいき、時には生命の輪郭さえも曖昧になる。石井隆の劇における特殊な生死(しょうじ)すれすれの舞台につき、いまは「電車」や「駅」に絞って考えている。

 たとえば『ヌードの夜』(1993)を観ている最中、私たちは物語の展開に無我夢中となり、また演出の巧みさに乗せられて見逃しがちなのだが、中盤の電車の使い方などはよくよく考えるとかなり異様な、つまり、石井の劇でありがちな“不自然”な展開が認められる。まんまとだまされて殺人の濡れ衣を着せられた男(竹中直人)が、高層ホテルの客室から逃亡したおんな(余貴美子)を探し当てる。勤め先帰りのおんなを待ち受け、電車のなかで再会を果たすのだった。その手には死人を無理やり詰め込んだスーツケースを携えている。

 放り込まれたドライアイスがかろうじて腐敗を引き延ばしているにしても、同じ車両に居合わせたほかの乗客はその重たく忌まわしい遺体が直ぐそばに居合わせているのを露とも知らない。前代未聞の生と死の混在する空間を石井は笑いを誘うような役者の物腰と台詞でフィルムに定着させながら、その実は画集【死場処】(1973)と同列の危急の光景を淡淡と描写するのである。

 同じく道具立てに電車が選ばれた作品を引き合いに出せば、石井の初期の劇画【夜がまた来る】(1975)が適当と思われる。【死場処】とも製作年が近しい。石井は自作単行本を絶版とするのをこれまで常としたから、この【夜がまた来る】を実際に読んだ人は残念ながら限られるだろう。簡単な説明が必要と思われる。

 まず題名に関して言えば、後年撮られた夏川結衣主演の映画『夜がまた来る』(1994)と同じ字面であるのだが、両者を構成する要素にあからさまな共通項は見当たらない。石井はこれぞというタイトルを懐中で温め、歳月を経てから別の作品に冠することが度々ある。たとえば『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)の台本が「ヌードの夜」と当初呼ばれていたという話はよく知られるところだ。石井隆という特異な作家が、ゆったりと思考し堅実に前進を遂げる性格と窺い知れよう。

 個別の物語として観客は認識するものが、存外石井の中には題名を“くびき”と為して何がしかの切実な祈念なり共振するサイドストーリーを底流させることは往々として有ることだから、劇画【夜がまた来る】と映画『夜がまた来る』の間にはそんなひそやかな連結の意図が含まれるかもしれない。いや、実は大いにあり得ることで全く油断ならないのが石井隆という作り手の怖さなのだが、いったんこの題名の件は風呂敷を畳んでいずれの機会に譲ろう。

 劇画【夜がまた来る】にだけに焦点を合わせ直し、その内容を縮訳すれば次のようになる。高校の同窓会帰りの男ふたりが始発電車に乗り込む。夜通し乱痴気騒ぎをした訳でもなさそうで、強烈な睡魔に襲われ正体を無くす程ではないのだ。他愛もない会話がいつしか始まる。朝の冷気を裂いて走り出す電車の車両には、彼ら以外に乗客の姿はまるで無い。

 背広を着込んでいる男は既に社会で出たらしいが、もう一方は普段着のジャンバー姿でいささか童顔である。背広の男は相手の今の暮らしぶりを探ろうとするのだが、若者は世間慣れしておらず会話はいよいよ弾まない。非日常から日常に向けて電車はがたがたと進むなかで、それぞれを虚ろな喪失感、淡い屈託のようなものが包み始める。

 そんな列車が駅に停まるとひとりのコート姿のおんなが乗り込んでくる。あいかわらず他に乗客は見当たらず、密室に三人の男女が閉じ込められた形となる。悲鳴がして若者が見やれば、男がおんなに無理強いをしようと暴れている。加勢を求められた若者は成り行きで手伝ってしまう。

 背広の男は次の駅で降りてしまい、おんなと若者だけが残される。ここから劇は変調する。おんなはロングブーツの脚を巧みに使い、トラバサミさながら若者の下半身を捕獲して性交のつづきを強要するのである。若者はすっかり心身のコントロールを奪われ、おんなの肉体に埋没していく。事が済んで、視線を交わさぬままに無言の時間を手探っていくうち、いたたまれなくなった若者は逃亡を図ろうとする。次の駅に到着して発車のベルが鳴り響くのを聞きながら、このおんなとは金輪際会うまいと決めるのだった。無言のまま、のっそりとホームに降り立っていく。

 しばし意味もなく高架下なんかをうろついた後で、帰宅のために駅舎へと舞い戻る若者である。そもそも降車予定の駅はとっくに過ぎていたし、今日は日曜で仕事が休みだ。気を取り直して家路へと急ぐのだった。閑散としたプラットフォームに着いたところで目に飛び込んで来たのは、あのコート姿のおんなが何故か列車から下車しており、うつむきがちに佇立する姿なのである。足元の小石なんかを蹴っているが、男を待ち構える気配が濃厚に漂う。今やおんなの方が狩りをして男を玩ぶ時間なのである。若者の顔から血の気がさっと失せ、頬に冷や汗が流れ落ちるところで物語は幕を閉じる。

 石井隆の電車がいささか突飛な位置にあることが、この【夜がまた来る】からも読み取れる訳である。特に若者が駅構内に再度足を踏み入れ、そこにおんなを発見するところなどは極めて奇抜で印象に刻まれる。

 【夜がまた来る】に起きた男女間での立場の反転は、石井隆の世界と長く親しむ読者や観客には馴染み深いものだ。理不尽な男性優位社会にあって当初女性が性的に虐げられていくがその様相が突如反転していき、今度は女性側が底無しの生理機能と強靭な精神を存分に用いて男を完膚なきまでに組み伏せていく。この図式は承知の通り、石井作劇の心柱(しんばしら)となっている。

 虚勢を張るだけの空疎で弱い生き物に男は過ぎず、最終的におんなの敵ではないという【夜がまた来る】に穿たれたピリオドは、石井の他の劇画作品【埋葬の海】(1974)、【紫陽花の咲く頃】(1976)、【街の底で】(1976)、【おんなの顔】(1976)、【やめないで】(1976)、【墜ちていく】(1977)等と明らかに通底し、それぞれと深く共振していく。劇画と映画の境界を破って、『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曾根中生)にも当然ながら繋がっていく。

 その意味で【夜がまた来る】を真摯に語るつもりならば、石井隆の劇を縦断するこの性差をめぐる不動の構図、飽くことなく反復される声明(しょうみょう)にも似た石井の一途な想いに手を伸ばして、これを覚悟持って飲み干し、その上で“人間”なり“社会”を語ることが正しい役回りと機会なのだと感じる。いずれ優れた評論家や研究者により石井が徹底して論じられる機会は訪れると信じているし、その際に性差をめぐるこの手のテーマは盛んに取り上げられるはずだ。

 この主題の前では電車という大道具は存在感を減じ、はっきり言って瑣末な事柄となる。どこまでも粘着してやれ電車だ、やれ駅だと騒いで言葉を継ぐのは石井が望む方角とはまるで違って野暮の極みかもしれない。少なくとも真っ当な作品論とは呼べないだろう。この世界で役立たない無駄な道程であると私だってそう思わなくはないのだが、まあ、一種の隙間産業である。外野席から声を枯らして応援するだけのベンチを温める順位にも入らぬ自分は、他人からは滑稽で阿呆な奴と言われてもこのまま可笑しな列車談義を続けよう。

 航空機、車両、列車といった公共の交通手段のなかでの扇情的な場面というのは古今東西の物語中に数限りなくあり、それ自体は珍しくない。何がひとをそのように駆り立て、どうしてそれが私たちの娯楽へと直結するのか、心理学の専門家でない自分には答えが出せない。吊り橋理論やタブーを侵犯することで人間の軸芯にある性がめらめらと発火する、そういう事は有りそうな気がするが確かな事は言えない。

 同じ時代に人生を歩みながら、それぞれに与えられる機会の数も物象も段差があって一律ではない。これを読むどこかの誰ぞは動く車両の旅客となる内に、それとも埃まみれのプラットフォームに降り立って、幸いにしてか不幸にしてか愛憎渦巻く局面に遭遇してしまい、今も魂にあざやかな痕跡を残しているかもしれないけれど、私にはそういう浮いた出来事は多く起こらなかったし、おそらくこのまま平凡な生を全うするに違いない。

 こんな年齢となっても情念の荒野が未開拓なままの自分が【夜がまた来る】に描かれた列車について、では一体なにをどう語れるかと言えば、ただただ石井が日本の鉄道車両を丹念に取材し、当時の表現に従えばゼロックスで運転席をのぞむ先頭車両の姿、客車内の誰もおらない座席群、ドアの外に広がる茫洋とした小さな駅の様相、高架下や階段といったものを熱心に転写しては紙面に組み込み、劇を編成してきたことへの言及となる。

 ロケを重視した映画的手順を導入し、「映画そのもの」を誌面に産み落とそうと石井は夢描いて孤軍奮闘した。そのなかで写真の多用が起きたことは周知の通りである。それがどうしたのよ、石井の劇画はそういうモノだろ、モノクロのざらざらした街路や木立やビルがひしめく世界だろ、何も特別なことはあるまいよ、いい加減にしろと憤懣覚える人もいるだろう。

 此処はきわめて大切なポイントであった。本来自由闊達にペンを走らせ、深宇宙での苛烈な王位争奪戦でも地中の恐竜王国でもケーキで出来た城での魔女からの脱出だって何だって描ける漫画の表現空間にあって、ひたすら現実風景を淡淡と取り入れていった行為は、石井隆という作家の針路を自ずと決めたところがある訳だし、そのほとんど変えることが無かった描法が物語の色度(しきど)の振れ幅を調整し、強固な「作風」を彼にもたらした点は特筆すべき出来事だろう。

 そうして、そのこだわりが遂に「電車」や「駅」を呑み込んで何が起きたかと言えば、石井隆の劇に「時間」の概念ががっちりと刻まれ、隅々にまで「時刻」が根を張って行ったのであり、この展開は石井世界を縦覧する上でも絶対に見逃せない関所ではないかと考えている。

2020年5月10日日曜日

“鉄路から想うこと”~石井隆の時空構成(1)~


 このところ嫌な夢を立て続けに見るのは、たぶんテレビジョンや新聞で険しい話ばかりを押しつけられるせいだ。厄介な重石を抱かされた上に密閉容器にぎゅうぎゅうに押し込まれる、かくも長くこんな毎日を続けては誰だって大なり小なり変になろう。少し前までは連日仕事の夢が続いて、さすがに頭も身体も妙な塩梅となった。

 それでも自分はまだ眠れているだけ幸せと思う。鳩尾(みぞおち)付近で鎮まっていたものが立ち上がり、夜な夜な手を引かれて見知らぬ城下町へといざなわれる、そんな程度の内容であって、ずいぶんと呑気坊主で恵まれている。現在の騒動の渦中にあっては、まんじりともせずに夜を過ごす人がたくさんいるはず。大変な世の中になったものだ。

 夢は未編集の映画みたいで、慣れ親しんだ日常へと帰還していく事をいっこうに妨げない。どんなに酷い内容で目覚めがつらくても、やがて首のうらあたりで悲壮も恍惚もとろとろに溶けていく。私とすれば眉をしかめつつ洗面台の鏡と向き合い、あかんべえして舌を磨いたり髪を撫でつけたりの身支度をしながら、未練たらたら、もぐもぐと反芻をするぐらいの至って気楽な毎朝だ。

 石畳の細道に面した古い門を潜って玄関に至る、日本料亭の湿った質感をそなえた構え。その奥、狭く急な階段やうねうねとした廊下をさまよい、障子戸越しに見え隠れする布張りの椅子や沈重な顔付きの黒漆(こくしつ)の机をただ黙って眺めている、そんな場景が目玉の裏側に点々と粘りついて来る。あんなに歩きながら誰とも行き当たらないのは妙なことだ、不思議な柄と色の壁紙だった、あれはいったい何処かしらなんて他愛なく考える。今朝はそんな静かな景色に連なり、珍しく駅のプラットフォームを歩む様子が繋がっていた。

 山田洋次の喜劇か山田太一のホームドラマに触発された気配がどうやら濃厚であるけれど、それ程大きな駅ではないようだった。身体と心がそろって気軽な外出や小旅行を欲しているのだな、そりゃそうであろう。やはり本編前に流れた映画予告編みたいに受け止めて了解し、そこで振り返るのはもうお終いとした。

 芸術家ならまだしも、凡人である市井のわたしが涯ての見えない夢と四つに組んで格闘したところで得るものはたぶん何もない。気持ちを切り換えて、それからはひとしきり石井隆の劇中に現われる鉄路やプラットフォームについて考えた。精神衛生上、その方がはるかに健全と思われる。

 今どきの若い男女はどう捉えるものか知らないが、ある程度の年齢以上の人にとって鉄道とプラットフォームは恋愛における王道であり聖域であり、出逢いと別れを象徴する装置となってそれぞれの人生観において君臨しつづける。もちろん人によっては駅ではなく、もしかしたら空港の待合室で何度か涙にむせんだかもしれないし、もしかしたら幹線道路脇のドライヴインや燃料スタンドに鮮明な記憶を刻んだ人がいるのだろうが、多くの人にとって魂の拠り所は何と言っても鉄路ではなかろうか。

 それ程の堅牢かつ寛容な器であるところの駅や列車という仕組みは、だから映画と相性が良いのは当然である。これまで『旅情』(1955)や『男と女』(1966)、『逢いびき』(1974)といった無数の人情劇で涙を誘い、圧倒する名場面を裏から支えてきた。まとまった直線移動を可能としフィルムにとてつもない躍動感をもたらし、茫洋としてゴールの見えぬ消失点へとまなざしを導き、見る者の情動をいくども後押しする。

 石井の劇画や映画でも鉄道車両や駅が登用されており、たとえば『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)の幾つかの場面はいまだに生き生きと胸に刺さる。レール錆の酸っぱい粉塵と機械油の粗い粒子がプラットフォームでのたうつ中、そこに混じって薄っすらしたおんなの香水が艶やかに明滅する。官能の芳香が鼻腔のとば口に幻嗅されて、観る者の胸をひとしきり騒がせるのだが、駅の構造物や列車の登用それ自体は決して珍しいものではなく至極一般的な道具立てに過ぎない。

 自動車ではなく鉄道に依存した日常を送る人物なのだ、そういう一生なのだ。造形にこだわり、彼らの暮らしと人格に肉薄する目的から、そして物語を前へ前へと回す必要から、また絵的にも好ましく思われて、プラットフォームを踏みしめるおんなの姿態がたまたま両作で登用されたに過ぎない。そう解釈するのが自然だし、それで一向に構わないだろう。

 ただ、石井隆の世界を拡大鏡で覗き、加えて鳥瞰して眺めることを長く重ねるうちに、事はそう単純ではないと感じられるようになった。鉄路とプラットフォームをめぐって石井の内部に持続する一定の想いがあり、その発展と収縮を飽くことなく行なって来た実験的な創作の経緯を実感する。駅や鉄道車両といった場景ひとつひとつの裏側に、石井のまなざしが確かに息づいている。

 作り手がそっと注ぎ込んだ真意を探り出し、よく汲まなければ十分に消化し切れない箇所が石井の劇世界には点々と横たわる。人知れず行なわれたその試行がやがて更なる時空の発展を呼び寄せて、「石井世界」の軸芯へと太くたくましく育っていった過程を夢想している。

(*1):『旅情』 Summertime 1955 監督デヴィッド・リーン 
(*2):『男と女』 Un homme et une femme 1966 監督クロード・ルルーシュ
(*3):『逢いびき』 Brief Encounter 1974 監督アラン・ブリッジス

2020年2月23日日曜日

“縁辺へのまなざし”~生死に触れる言葉(8)~


 磔刑の絵柄をフィルムに移植すべく、共に腐心して見える『死霊の罠』(1988)と『花と蛇』(2004)の脚本。両作は本当に似ている。モニター越しに出逢ってしまい、どうにもこうにも恋着して止まない対象がいる。その生身(なまみ)をいよいよ渇望して悶絶するや、暴力でもってこれを勾引(かどわ)かそうと企む。幽閉されて怯えるおんなの面影を、磔刑に処された聖人と重ね合わせる奇怪な行為におよんでいく。

 この相似する展開と磔刑図の執拗な二度書きからは、石井なりの芯のある想いが託されて感じる。聖書を下敷きにして劇を編んでいる、と誰もが想像をめぐらすだろう。深く信仰に染まっており、それでこんな烈しい妄想を抱くのだ。石井作品を身近に感じずに来た人は、特に強く感じるに違いない。

 実際、石井世界の端々に宗教画は溶け込んでいる。劇画と映画を丹念に読んでいくと構図や描写が単に似るだけでなく、その物ずばりの絵画が画面に取り込まれさえする。しかし、石井は決して敬虔な信徒ではない。語弊がありそうだから慌てて言い直せば、インタビュウを多く読み、たゆたうような面持ちのあの内省的な小文をこれまで幾つも蒐集して目で追いながら蓄積なる答えは、石井隆という人は聖画をせせら笑い、ふざけた態度を貫く不義者(ふぎもの)では当然ないにしても、では「信仰心」と世間一般で称される前傾の想いが厚く、教会や寺社へ足繁く通っては法話に耳を傾けるタイプかどうかといえば決してそうでないように思える。

 針の触れ方は一方にだけ傾ぐことなく、私たち同様にゆらゆらと揺れているし、人間とは元来迷いや疑いを抱きながら、そして奇蹟を望みつつも絶望に甘んじていく動物であり、それを承知で周囲なり万物を見渡すべきと頑なに信じているのじゃないか。

 熱心な石井の追尾者のなかには、名美という存在を十字架の聖人と連結させ得た猛者もいて、かつてそれを聞かされた際には大いに舌を巻いたのだけど、では自分の内部で名美なら名美をキリストと隙間なく溶接して一体化し得るかといえば、本音を晒せばよく解からない。泥濘(でいねい)に立つ白鷺のごとき悪夢的コントラストで描かれた性愛の修羅場と、いにしえの聖人の刑死の様相を重ねることは受け手内部の自然な共鳴と了解はする。されど、復活にいつか通じる聖人の苦闘と石井が捉えるどん詰まりの人間模様のそれぞれの輪郭が綺麗に重なっていかない。

 現世という地獄の釜で、烈火にぐらぐらと煮込まれていく人間の運命を哀れとも愛らしくとも見やり、凄絶な美しさをそこに認めて内心たじろぎつつ、ただただ言葉なく立ちすくむばかりの救いのない各作品の終幕を面前にしてしまうと、素直にキリストと合致させることに抵抗を覚えてしまう。

 その同好の士とは一度とことん意見を交わしたいと願っていたのだが、機会を得られぬまま今に至っている。そもそも仮に面談出来たとして、一体どんな答えが導き出せようか。この手の話は堂々巡りとなるのが常である。何となく気恥ずかしい気分にもなる。もしも石井本人に面会し得て、あのような映像をどう考えて透視したものか尋ねたところで、例のごとく微笑むばかりできっと答えてくれないだろう。これはもう誰に委ねることなく、ただただ私見を突き詰めていくより仕方がない次元の話だ。

 石井ほど宗教に近しく、聖人から遠い者はいないように思うがどうだろう。石井の劇は奇蹟の顕現に満ち溢れているが、「神仏」自体による生々しい救済は終ぞ起こらない。肉体と精神が危機に瀕した登場人物の頭上を、お構いなしに悠然と飛び交う旅客機のように、「神仏」は平然と通り過ぎて一向に顧みることがない。明確な救世主の登場はなく、誰もが助からないまま崩れ折れていく。この辺は石井隆を語る上で極めて重要と思う。

 ならば何故に時をまたいで湧出した『死霊の罠』と『花と蛇』の聖人描写におまえは驚き、これを世間に紹介するのか。さも石井隆がキリストの受難を常日頃から意識し、ヒロインの苦役や悲惨を重ね合わせては秘かに「おんな」を崇拝する男と決めつける展開ではないか。生涯かけた男の創作行為をひとつの型に封じ込めるような引用と解釈は、過去とこれからの彼からの発信を封殺しかねない危うさはないか。

 言い訳ではなく、『死霊の罠』と『花と蛇』の台本ふたつの記述を通じて導き出されるものは石井隆を語る上での要諦だが、主軸は聖人「キリスト」ではないのだ。まなざしの「ずれ」が露出している点にこそ目を寄せるべきであり、それこそが私たち読み手にとっての最大の驚きである。

 『花と蛇』でメッシーナの磔刑図を模して描かれたものを前とした際に、中央の聖人へ注がれたまなざしがするすると右へ左へとずれを起こし、両脇のふたりの罪人の肢体にかぶりついていくその「移動視線」。また、さながら絵画集に載った瀕死のキリスト像に顔を寄せまくり、1cm程の至近距離で頭部に冠されたいばらが肌を刺し、深く無数に傷つけていく様子を「凝視」した挙句、これを模して女の顔写真に虫ピンが刺さないでおかれぬ登場人物を創出してしまう『死霊の罠』の狂おしさ。

 物象を視ることに真摯ゆえに石井の視線というのはひたすら「ずれていく」、はたまた「凝視していく」。これ等は明らかに「画家」のそれであろう。一般人が虚ろな顔で流し見してしまう箇所に足を止め、逆にぐいぐいと接近していく。大局や流行にはおかまいなしである。いわば「縁辺(えんぺん)へのまなざし」と呼ぶべきものが石井には具わっていて、作劇を支える根っ子のひとつになっている。これ無くして石井の世界は有り得ない。

 たとえば映画でいえば『死んでもいい』(1992)の冒頭、大月駅の線路隔てたホームを家路に急ぐ大竹しのぶの豆粒ほどの歩む姿であるとか、『ヌードの夜』(1993)で消波ブロックの上に登ってあてどなく行き来する余貴美子のケシの実並みに小さくて心細い風情であるとか、そういった「凝視を求める」構図に見事に活かされていく。また、同じく『ヌードの夜』で床面に毛布をかぶって寝ていて来訪者の視線から完全に外れた位置にいる竹中直人の登場場面に例示されるように、字面そのままの「見捨てられた、顧みられぬ存在」への強いまなざしへと結実していく。天下国家とは無縁の、むしろ一般社会からも半ば放逐されて境界すれすれに住まわざるを得ない人間へと石井のまなざしは注がれ続け、寄る辺なき者の隣にいつの間にか音もなく佇んでいる。


2019年10月19日土曜日

“屈葬”『ヌードの夜』~生死に触れる言葉(2)~


 公言されているので構わないと思うが、石井隆は幼少年期に喘息を病んでいる。朦朧として寝具に横たわるうちに、不安な瞳にこの世ならぬ物象を目撃させもした。若い時分から生死(しょうじ)を深く身近に考えることを強いられた石井が、劇画作品や映画に人間の死を多く取り入れるようになったのは自然な帰結だろう。

 『ヌードの夜』(1993)も、だから死者が出現し、葬られる過程を丹念に描いた作品だった。学生のときに乱暴されたおんな(余貴美子)は加害者の男(根津甚八)の歪んだ愛情に捕縛され、都会の隅で事務員として働きながらも男との密会を延延と要求されてしまう。会うたびに金をむしり取られて、青息吐息でようやく生きてきたのだけど、別な男との結婚話が持ち上がり、膠着状態から脱け出すために男の殺害を企てるのだった。ホテルに呼び出された男は浴室でおんなから襲撃を受け、包丁で滅多刺しにされて絶命する。

 おんなは事前に代行業の男(竹中直人)と接触しており、自分に寄せる好意も計算に入れて、浴室に残し置いた遺体の後始末を仕向けるのだった。何も知らずに翌朝のこのこホテルの部屋を訪れた代行屋は、浴室を見て仰天する。一度は泡を食って逃げ出そうとしたものの、フロントでの受け付けも代行しており、室内に指紋をべたべた残している状態でもあるから早晩容疑者として手配されるのは間違いない。代行屋は部屋のなかを忙しく行き来し、次第に恐慌をきたしていく。

 何か前科でもあるのだろうか、警察に追われれば逃げ切れずに逮捕され、犯人にされてしまうと観念したらしい代行屋はなんとか気持ちを取り直し、一旦自宅に帰って大きな旅行用のキャスター付バッグを持ってくる。死体を中に押し込み、隙間に手当たり次第にドライアイスを詰め込んでバッグと共に遁走するのだった。

 私の手元にこの『ヌードの夜』の準備稿がある。実際に仕上がった映画とは少し趣きが違っているのだが、浴槽で息絶えている男の描写が興味深い。「見知らぬ男(行方)が屈葬スタイルで動かない。バスタブの底も血で赤い」と石井はト書きに記したのだった。(*1) おんなから行方(なめかた)という男の存在を聞いていない代行屋にとっては初対面でいきなりの展開である。その行方が「屈葬(くっそう)」の形で死んでいる。

 役者とスタッフに準備をうながし、円滑な撮影を願って書かれた事務的な状況説明に過ぎないと断じることも可能だ。次のシーン以降に展開する旅行バッグへの押し込み、その行為と様子につき連想を誘う助走めいた役割があったと理解も出来よう。

 でも、「見知らぬ男がうずくまって動かない」とか「見知らぬ男が死んでいる、顔はうなだれ見ることができない」でもなく、「見知らぬ男が窮屈そうに手足を曲げてバスタブの一方にぐったりしている」というのではない。極めて強靭な印象を与える「屈葬」という宗教用語を挿し入れている。その字面と響きには特殊な後押しがあるように感じられる。石井隆の死者への想いを嗅ぐ。

 私たち観客は日常の暮らしや仕事に思いあぐねる身として、劇中でまだ生き残っているおんなと事件に巻き込まれた代行屋に自ずと目が行ってしまうのだけど、石井はこの「屈葬」という語句を投じて、その瞬間から行方(なめかた)という不器用な男の葬送の儀式を人知れず無言で始めている。密やかな弔意を発し続けて、そのまなざしは結局のところ終幕近くまで引きずられていく。生者と死者との間を往還しながら、離れることなく均等に視線は注がれるのである。

 続編に当たる『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)では、今度は風穴を用意し、殺された男の骸(むくろ)を乾いた冷気に晒していく。台詞には死因を特定させないようにわざわざ風穴へ運んで「熟成させている」と説明させ、観客の多くも法医学はよく分からないがそんなものかと納得する訳なのだが、あれなどは「曝葬(ばくそう)」と呼ばれる古(いにしえ)の葬送手法の再現であって、『ヌードの夜』の「屈葬」と対を成す手向けの景色と言えるだろう。

 我々の先祖をさかのぼれば、風葬や洞窟葬を経て土に還った者たちに必ず行き着く。それが当たり前だったのだ。深く土を掘らない、立派な墓石を用意しない、薪や油を大量に投じない、それだからといって弔いに関して真剣さがなかったとは思わない。各地に残る横穴墓などはその遺物と私には見えるし、奄美群島の北東部に位置する喜界島(きかいじま)では明治10年頃まで慣習が生きていた。未開であるとか粗野であるという次元ではなく、死者に対する名残りや愛着から、また常世(とこよ)の捉え方の違いから、彼らは今のわたしたちより緩慢な方法を選んだに過ぎない。

 腰をすえてじっくり死者を見守ろうとする石井の劇は、常に一種の葬送の列となって生者と彼らを同じ空間に置くべく工夫して見えるのだが、その調子は生死(しょうじ)を機械的に扱いがちな現実の弔葬とはやや乖離した、素朴でどこまでも真摯な旧い儀式形態と通底するように思われる。

 生きる者たちを描く表層とは見えざる流れが劇中ひそかに動いていて、時に不自然と目に映る箇所が頭をもたげて出現し、訓練されていない観客には大いに慌てることになる。けれど、粘り強く目を凝らしていけば、その不自然さこそが実は物語の肝であると知れる瞬間が訪れる。作者が総力をあげて劇中人物の生死(しょうじ)を司り、大概の人がたやすく見限る相手を手放すことなく、孤軍奮闘しているのが次第次第に分かってくる。

(*1):『ヌードの夜』準備稿(赤色横書き題字) 36頁 シーンナンバー34 バスルーム

2017年7月25日火曜日

“「魔」の共時性”~【魔奴】と【魔樂】への途(みち)~(3)


 独り合点に陥っていないだろうか。急に怖くなって、もうかなり遅い時間だったけれど『ヌードの夜』(1993)を観賞した。齢とともに感興のオンオフなる部分は違ったけれど、今もって一瞬たりとも目が離せない。傑作と改めて思う。特筆すべきは住居やホテルといった室内場景のリアリティであって、どこからどこまでがロケーションでどこからがセットか皆目分からない。単に美術陣の妙技の結果というだけでなく、演出と演技も加わって相乗効果をもたらしている。風景画家の石井隆らしい、隅々までペン先が入った作品と思う。実り豊かな場面が鎖状に連なりあざやかに展開して、観終えた後の充足感がもの凄い。

 『ヌードの夜』(1993)と続編『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の2本を収めたボックスが2014年に発売され、付録の小冊子において石井はポスター画に関して打ち明ける。轍にはまった具合に私がじたばたしていた部分の答えを、何のことはない石井自らがあっさりと語ってみせるのだった。「結果、描けたのは、ラストに次郎さんの事務所を訪ねて来る黒のワンピースで振り返る幽霊の名美。顔は余さんというよりは、劇画の名美。今回のBOXのイラストは後日描いた別バージョン」(*1) 

 なるほど『ヌードの夜』を観直してみれば、画角に違いはあれどポスターの絵と相似する場面があって、それは淫雨に霞む屋外ではないのだけれど、わびしく掃除機などかけている男の部屋にくぐもった雨音とともに突如来訪したおんなの背中なのであり、黒いワンピースなのであり、白い頬であって、石井はこの風景を網膜に刻んで絵に起こそうと願った、描かずにはいられなかった事が読み取れる。ポスターの右上に朱色で刻印された「男は命を賭けた。振り向いてもくれない女に」という惹句は劇の顛末を物語っているが、この最終幕の場面ではそんな女が遂にようやく男の方を振り返り、それも陽気に微笑んで、さらに自らすすんで挨拶する、こんなくだりであった。

 男の部屋にたたずむおんなの背中が実際にあり、これを撮影現場で目撃した石井が忠実に描いたのであるから、そうとなれば、私が百年も前の絵師の絵をここで引き合いに出すのは完全な誤りであって、妄想以外の何物でもないという事になる。他人の作品の構図がどうとか、影響がどうとか言える余地など皆無だろう。

 それでも私は長年こころに巣食った想いを、跡形も無くすっかり洗い流すことが出来ないでいる。振り向いた女ではなく、寸前の遠い目をした無表情のおんなを何故石井は選んだのだろう。そもそもあの時の硬直した、人間離れした横顔が不自然に幾呼吸分も連なり、その後、異様な明度を持って、まるで電灯のスイッチがカチリと音も鳴らしたように、それとも、カチンコが高らかに鳴り「演技」を始めた女優のように、とでも形容すべきか、あまりにも露骨な転調をわざわざ刻んでいることに石井の作為を見つけ、怪しいざわめきが耳朶に響いて仕方ない。

 月岡芳年(つきおかよしとし)は天保10年(1839年)の春に生まれたとウェブ上に書かれてあり、この記述に誤りがなければ「日本の幽霊のなかでもっとも美しい」と言われた「源氏夕顔巻」(1886)を彼が描いたのは47歳の頃になる。1946年生れの石井隆が『ヌードの夜』のポスター画に挑んだのも同じく47歳だ。

 生まれ変わりとかオカルトの方向に話を持っていきたい訳ではない。画家という存在は描く対象に全霊を傾け、共振を自らに課し続ける役割と思う。敬愛する絵師の画業について思案を深める間に、歳月の窪みを超えた共時性(シンクロニティ)を獲得してしまうことに一切の不思議はないと考える。真似という次元ではない、もっともっと深いところで渦巻いて人間の芯を一方向へと流しやる、運命の潮力がこの世にはある気がしてならない。

 そのようにして芳年の作品群をぐっと引き寄せてみると、過去の石井劇画で醜貌をもって片隅に追いやられた作品たちもすっと馴染んでいく気配があり、俄然息を吹き返していく。

(*1):「ヌードの夜 DVD-BOX」 特製ブックレット 「石井隆 映画の中に“名美”を探して」3頁 取材・構成 塚田泉                          

2017年7月23日日曜日

“もっとも美しい”~【魔奴】と【魔樂】への途(みち)~(2)


 主線(おもせん)(*1)をアシスタントの手に委ねず、己で描き切った手塚治虫の漫画は見応えがある。時折ページをめくる手を休めて、顔をぐっと本に近づける。香ばしい紙とインクの匂いを味わいながら至近距離でコマを凝視し、キャラクターを形づくる輪郭や手足の線を味わうのは私の性癖だ。静止画にもかかわらず強い躍動感がほとばしって感じられる。腰の位置が前後左右に微妙にずれて、人物の内面に宿る気力や好奇心、おごりや怒りを上手に表わしている。そこに四肢が連動して上に下にと優雅に舞って、吹き出しを目で追うまでもなく、極めて能弁に感情や意志を示してみせる。

 手塚の魂入れの執念は指先の反り具合にまで注がれ、見事というほか言葉がない。神技とはこういう描線を指すのではないかと本気で思う。他の作家ではなかなか出来ないと思われるこの滑らかな動作表現は、ウォルト・ディズニーのアニメーションに傾倒した手塚が苦労して体得した至芸だろう。

 手塚とディズニー映画を比較して語っても誰も怒らないと思うのだけど、それは生前の手塚がディズニーへの心酔を口にしていた事が理由として大きい。切り離せない、密着したものとして両者はこの世に在る。それは特別な事例ではないのであって、絵描きの世界とその表現法を考える際には、一個人の枠、一個の肉体に思索を閉じ込めることは出来ない。作家を取り巻いた世相や先達の栄光や挫折を懸命に見定め、それ等との連結なり化学反応にまで思案の指先を伸ばさなければきっと解し得ない、そんな洞窟めいた場処がいくつも隠されているものだ。

 誰に惹かれて、何を目指したのか。他者の影響の有無をひもとく道程は、作品の玩読に不可欠であり、たとえば、上村一夫(かみむらかずお)に対して小村雪岱(こむらせったい)の画面構成、原稿用紙の地色を思い切り生かす手法、墨ベタに込められた美意識を連結させることは極めて重要なプロセスだろう。真似た、真似されたという狭い了見で絵画世界を判断してはいけないのであって、私たち読者は四方八方に目を配り、とことん貪欲に吸収を続けるべきと思う。

 他者の影響を語るなんて漫画家に失礼な話だ、手塚と上村は物故者であるから、それでおまえは甘えて勝手な推論をめぐらせる事が可能なのだ、卑怯者め、と人によっては思うかもしれない。それでは仮に両者が存命だったとしてインタビュウでディズニーと小村の名を出したら、この天才たちはそろって顔をそむけて話の転換を図るものだろうか。むしろ逆ではないか。的を得た指摘は本人を喜ばせ、会話の潤滑油になるように思う。

 わたしの石井隆を語る日々は当の本人がまだ元気で闘っている訳だから、考えてみれば相当に乱暴な言説の連なりなのだけど、意図するのは石井世界の的確な読み解きであって、劇画史や映画史を歪曲させるつもりはない。これでも慎重に岩を切り出し、ゆっくりと掘り進めている。落盤をいちばん怖れているのはわたし自身でもあるし、石井と関係者を傷つけることが無いように随分と気を遣っているつもりだ。

 絵の道筋には常に「手本」があり、憧憬や私淑が画家の腕を成長させていく。石井の視線の先に誰がいるかは秘密でもなんでもなく、知ることは存外たやすい。彼のインタビュウ中に幾人もの名が上がっているので、それを探して読めば良いのだ。上の手塚治虫、上村一夫の名も実はそこに並ぶのだけど、ここでは月岡芳年(よしとし)についてピントを絞込み、石井の作品に垣間見られる共振を取り上げて行きたいと思う。

 石井が女優、余貴美子を土屋名美役として迎えて『ヌードの夜』(1993)を完成させた際に、劇中で息絶えた不幸なおんなを題材として一枚の「幽霊画」を描いた。ポスターやチラシといった宣材に多用された一枚であるのだが、私はここで一縷の可能性を頼りに石井が敬慕の念を持って名を口にする芳年の作品を横に並べ、両者の連環を展開しようと思う。推測の域にも及ばない朦朧とした性質のものだから、先に書いておくけれど断定はもちろん出来ないし、石井が知ったら事実と違うから訂正して侘びを入れるように叱責の便りが届くかもしれない。

 「幽霊画」でなければ、私もここまでは執着しない。普通のおんなの肖像画であれば、このような構図の作品は山とあって世間を愉しませている。たとえば書店の美術コーナーに立ち寄って画集の一冊でもめくれば良い。先日「美人画」という文字をタイトルに含んだ本を私も眺めてみたのだけど、若い作家たちが女体美の創造に取り組み、技巧を尽くしてこれでもかとばかり色香を際立たせ、まったく大したものだと感心した。その上で思ったのだが、どうしても構図は似てきてしまうのがこの手の絵画の宿命らしい。

 おんなの身体を描くのに、頭頂部のつむじや足裏の荒れた角質を画布の中央にどんと置いたりはしない。そんな事に挑む画狂人はもしかしたら石井隆ぐらいであって、普通はしない。美人画の構図というのはそれ程のバリエーションを持たないから、『ヌードの夜』の一枚絵に似た左向きの横顔、背中をこちらに見せる形というのは探せば簡単に見つかる。

 しかし、「幽霊」を描くとなれば随分と話は違ってくるのではないか。怨念を抱き、それとも現世に未練を持ち、私たちに向けて何かを訴える様子で出現する「幽霊」を描くとき、その多くの姿勢にはパターン化したものが見受けられる。こちらに顔を向け、上半身を前方に、私たちに傾けて描かれるのが普通であるのだし、仮に背中を向けていても頭部や顔、瞳はぐにゃり捻じれて振り返り、お前さま、見ましたね、見ちゃいましたね、怨めしや、呪い殺して進ぜよう、と、ばかりに形相いよいよ怖ろしく前へ前へと迫ってくるものである。

 月岡芳年は魑魅魍魎を描くことを得意とするところがあり、幽霊も数多く描いているのだが、そのうち二枚に石井の『ヌードの夜』と趣きが似たものが見つかる。一枚は肉筆絹本で、おんなは後ろ向きでやや左に身体を傾げて立っており、もう一枚は連作「月百姿」にある「源氏夕顔巻」(1886)であって、題名の通り「源氏物語」の一場面を材にしている。こちらも左向きであって、その思念のベクトルは私たちの側に向かわずに何処か遠くに行っているところが『ヌードの夜』と極めて似ている、と言うか、石井の『ヌードの夜』と似た幽霊画はこの二枚以外に私は探せないでいる。一時血まなこになって幽霊画の本をめくってみたのだが、この三枚の独自性はなかなか崩れない。

 国文学者、文芸評論家の松田修(まつだおさむ)は、芳年の「夕顔」について以下のような言葉を残している。「日本の幽霊のなかでもっとも美しい」「このように美しい、寂しい、静かな霊が、顕(た)ちうるのか。それは芳年の能力の一面であり、本質的な一面なのである。」(*2)

 石井隆はこの松田の文を読んだものだろうか。『ヌードの夜』を描くに当たって、どれだけ芳年を意識したものだろう。まったくの私の妄想の可能性もあるけれど、日本でもっとも美しい師の幽霊画を越えるべくライバル心を静かに燃え上がらせ、息を止めて筆を走らせた石井を想像するのは愉しい。百年という歳月を越えた師弟愛を夢想することはなかなか味わい深く、人が人に影響を受け、愛し繋がっていくことの不思議さ、素晴らしさが滲んで、もうそれだけで十分に目頭が熱くなっていく。

(*1):絵やイラストで、輪郭を構成する主要な線。「しゅせん」と普通は読むが、漫画製作の現場では「おもせん」と呼び合う事が多いため、ここではそのように書いた。 
(*2):「美術手帖」 1974年11月号「特集 芳年 狂気の構造」 松田修「〈悲劇〉の傍観者 『月百姿』の背景」 97頁 美術出版社 



“幽霊画”~【魔奴】と【魔樂】への途(みち)~(1)


 ひとの一生はことごとく収まりの悪い事物の堆積であって、いつかその居心地のまずさは綺麗に解消なると信じ、歯を食いしばってすすむ徒競走みたいなものだ。天災や事故、凶悪事件に巻き込まれて一瞬で平穏を失うという事態に限らずとも、誰もが苦しく身悶えしている。膨大な不調の山を抱えながら暮らしている。皆よく正気を維持しながら耐えているものだと感心してしまう。

 気晴らしとなる趣味の領域でさえ、得心の出来ぬ事柄ばかりであって、日々行なっている石井隆の創作世界探求の道筋においても妙に気に掛かり、意識の果てに追いやれない物が散乱している。映画『ヌードの夜』(1993)のポスター画についてもそうであって、この絵はいったい何だろうかと考え込んでしまう。

 何だろうってどういう意味よ、映画のヒロインの絵だろ、おんなの絵だろ、それを石井が描いたのだろ、どこが腑に落ちないのよ、余程おまえの頭のほうが自分には腑に落ちないのよ、と笑われそうだけれど、公開当時からずっと頭蓋骨に貼り付いて剥がれないのは次の疑問ふたつだ。この絵は女優 余貴美子(よ きみこ)を描いたものなのか、それとも石井のイコン 名美の立像だろうか、という事と、それからこの絵は映画の一場面を表わしているだろうかという点だ。

 石井が余を招聘した背景には承知の通り、演技力もさることながら、余の面影が石井劇画の玉座を占める名美というおんなと似ているからであって、メガホンを握ることにいくらか慣れてきた石井が、映画を目指して描き続けてきた己の劇画世界と映画世界を連結する触媒として起用したところが理由として少なくない。(*1) そうである以上、ポスター画のおんなの立ち姿が余なのか名美なのか、目的通りに曖昧になって陽炎のようにゆらめくのは、それはそれで正解と言えるだろう。

 しかし、『ヌードの夜』の前作『死んでもいい』(1992)で宣材用に使用した石井の絵は主演の大竹しのぶの顔立ちを見事に描き切っているのだし、また、後年の『黒の天使vol.2』(1999)におけるやはり女優 天海祐希(あまみゆうき)の溌剌とした伊達姿と比べてみれば、この『ヌードの夜』は特異な表情を見せていると捉えねばならない。余貴美子の顔立ちを忠実に写し取ることを避け、また誇張することも控え、正体がいまひとつ分からぬ絵にしている。(*2)  幼少年の時期から映画館に通い詰め、東西の女優たちの表情や物腰を聖像とあがめた石井が、自身の技量をあえて折り曲げて女優ならざる者を描き、特別な何かを具現化しようとして見える。

 このところ加齢にしたがい人並みに忘却力が増しているので、『ヌードの夜』の劇中にこのポスター画とそっくりの場面があったものか、はたまた宣伝用に撮られたスチールのなかに似た構図のものがあったかを必死に思い出そうとするが答えが見つからない。雨に濡れて佇むおんなの孤影である。髪がぐっちゃりと濡れて、重みを増して頭部に貼りついている。真横を向き、顎を引き、いや、力なく呆然とうつむき、まぶた付近の筋肉は弛緩して一切の緊張から解放されている。その解放は歓びと直結しておらず、口元に笑みは見当たらない。誰かから声を掛けられる予感も抱かず、思考がしーんと停止してしまい、雨のなかに立ちすくむ為だけに居る、そんな静謐で冷え切った体温が広がっている。

 劇の冒頭で雨に煙る鉄道高架線の下壁が映され、シルエットだけであるがおんなの姿がフィルムに刻まれていた。あの時のおんなは傘を差して雨を避けていた。絵のおんなは黒い服を着ている、髪がほどけている、それでは終盤の男の部屋の名美であろうか。こんなに雨に降られる屋外の場面は映画にあっただろうか。確かにあのさびれた部屋のなかで、切なくぼうっと灯る紅いネオン管を挟んで向き合うおんなの姿態とカメラアングルがあり、ポスター画のおんなととても似ているのだけど、そこに息づくまなざしや気持ちの方向とポスター画のそれには微妙な乖離が認められるように思う。

 この絵のおんなは部屋の中に入る前の屋外、もしくは映画の時空から遮断された場処に棄て置かれた段階を描いたものと考えるのが妥当だろう。つまり、これはまさしく「幽霊画」ということになるのだ。盆参りの時期に、寺院の本堂や位牌堂につづく廊下あたりに掛けられる掛け軸と同じ類いの、成仏を許されぬ魂の末路が描かれている。石井は息をころして雨の飛跡を描き、暗い闇につつまれた孤独な魂を渾身の筆で描き切っている。

(*1):余貴美子の最初の起用は『月下の蘭』(1991)
(*2):これ同様の曖昧さを帯び、それゆえに絵自体が独特の力をみなぎらせていくものとして『夜がまた来る』(1994)のポスター画がある。ただしこちらは劇のクライマックスとなる湾岸倉庫の屋上での激闘の様子を大胆な構図で再現したものだから、ある意味純粋な映画ポスターと言えよう。ここでのおんなの像は、主演女優の夏川結衣(ゆい)の面貌と若干ずれが生じている。




2016年5月5日木曜日

“温かい屍体”~着衣の根源⑤~


 故人の衣服を羽織る。この行為を介してゆるやかに想いを持続させ、生者と死者とが手をたずさえて難局を越える一瞬が石井の創作空間には頻発する。針の振れ具合が極大化したとき、『GONIN』(1995)におけるジミー(椎名結平)のように、はたまた『GONINサーガ』(2015)における明神(竹中直人)のように屍体の一部を身に纏うこととなる。神妙な面持ちで形見を譲り受け、撫でさすり愛でるといった軟らかな次元ではなく、死肉そのものを着装するというのだから物心両面で容易な事態ではない。一般には天と地ほども違って見える行為なのだが、石井隆の劇では段差がまるで無いのが興味深いし、本来は醜悪でひどく殺伐とした光景となるべきところが、不思議と温かみを増していくのも面白い。遺体と生者の間に、独特の親和性が生まれている。

 ここで言う劇とは単に筋立てを指すのではなく、石井の演出に基づく劇画や映画の時空をいう。たとえば脚本を提供した『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)と、石井が監督も務めた『ヌードの夜』(1993)、『フリーズ・ミー』(2000)では共に殺人と死体遺棄が描かれており、冷蔵庫やドライアイスを用いて遺体を身近に隠し置こうとする顛末が描かれる点で同じ系譜の映画なのだけど、自他ともに良きコンビと認める池田の演出においてさえ、石井のまなざしとはすこし違った顔付きで死者は面前に現われるのだった。損壊の痕がまざまざと露出し、恐怖の表情を浮かべた肉片となって銀幕から我々を威嚇する。これに対して石井の死者たちは、もはや私たちを脅さない。それどころか生前の粗暴な言動を反省して手を合わせるような沈んだ風貌となり、いかに目を剥いて倒れていても其処に恐怖は潜まない。

 死者の立ち構え(ここでは寝構えとでも言うべきか)の特殊なせいだろう。自らを殺めようと近付く相手に対して人は当然ながら激しく抵抗し、逃げようとじたばたするものだ。映画空間での被害者の多くは、拒絶して突っ張る気持ちを体現して、死してなお苦悶に喘ぐ。しかし、石井の死者たちに残留するベクトルというのは反発する方向に働かない。特定の生者に執心することを止められず、どこまでも寄り添おうと努めて見える。幽かな波動は、愛する者に向かっておだやかに流れ続けるのである。多分、『GONIN』の娼婦と『GONINサーガ』の踊り子は、愛する相手に身を斬られながらも形見と化していくこと、かたわらにもうしばらく居られること、それを通じて男を励ましていくを想い描き、すべてを許容して微笑んだに違いないのだ。

 野の小路に据えられた磨崖仏(まがいぶつ)が長年風雨に洗われるうちに、頭や手足を失いながらも泰然として微笑み返すように、生一本の芸妓が熱いこころを託して切り落とし、愛する相手に送った小指の先端が血に染まりながらも清麗と思えるように、石井の死者たちは空を摑み、節々を硬直させながらも、また遺骸は血をこびりつかせながらも、どこかしら穏やかな面差しを宿していく。生を全うすることのひとつの理想像が、それとなく提示されている。

 昨夜『GONINサーガ』を観直しながら、つくづく人肌の映画と感じる。ああ、石井隆だな、これは石井の体温だな、と思う。非道い人間ばかりが列を為す救いようのない話なのだけど、ひと皮剥けば誰もが善人と感じられる。ただ不器用で、何もかもが後手に回ってふらついているだけなのだ。血と雨でまだらと化したダンスフロアに折り重なった屍者たちを温(ぬく)く感じながら、ほのかな嫉妬心さえ抱いていく。そこに交じりたいような、実に妖しい気持ちのざわめきがある。






2015年10月11日日曜日

“不可視” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(4)~


 こんな場面を想い描いてもらいたい。貴方が馴染みの画廊に足を運んで、一枚の風景画に見入っていたとする。夕暮れの人気のない河原が描かれた10号の作品で、空には雲がたなびき、薄(すすき)が揺れている。水面がきらきらと落陽に輝いている。

 画家が偶然居合わせており、画廊のおんな主人から一緒にお茶でも飲もうと声を掛けられる。挨拶して話を聞くうち、先程目にとまった河原の絵について貴方は質問したくなる。自分のほかに客もいない事に甘えて、少しだけ絵描きの内面世界に近寄りたい、そんな欲張るこころが生まれたのだ。どこを描いたのか、この町の川辺だろうか。画家はこれに誠実に答えた後、貴方に気持ちを許したのだろう、絵の中の光線に亡き家族を重ねていると吐露したのだった。

 さて、貴方は画家の言葉を聞いてどう思うだろう。大概のひとは胸を射抜かれ、わずかに息を止めて静かに頷き、改めて壁の絵に目をやるのではなかろうか。反射して白くざわめく光の粒や雲間からやわらかく射して地に落ちていく帯(おび)状の陽光のなかに、亡き人のまなざしを認めると共に、それを希求して止まない画家の切実な祈りを感じていく事だろう。

 では、これに続いて画家が貴方に向って、ご覧なさい、あの光の右の帯と左の帯に挟まれて細い隙間があるでしょう、そこに居るじゃありませんか、と初めて聞く画家の家族だったらしい人の名前を上げたならどうだ。光ではなく、その脇の隙間とは───どんなに目を凝らしても其処には、空っぽの、何も起きていない、何もいない空間が広がっているばかりなのだ。画廊の主人の手前、貴方は目を細めて絵の方に顔を向けながら、画家という職業の抱える業の深さにおののくに違いない。絵画とはそこまで魂と直結した表現なのか、自分はなんて浅はかだったろう、画布の表面しか見れていないじゃないか、と、もしかしたら自分の不明を恥じ、画家との予期せぬ出逢いを感謝したかもしれない。

 もしも、それが絵画ではなく写真だったら、では、貴方の気持ちはどうであろう。茫漠とした景色の広がる中に、雲間から光が射している。ご覧なさい、光の脇のところ、そこに居るじゃありませんか、と呼び掛けられた直後、あなたはその座を辞したいと願うはずだ。空虚のみが居座って見える風景の奥に、強い調子で故人の立ち姿を指摘されて唖然としない者、恐怖しない人は皆無だろう。

 上の話は私がひり出した下手な例え話に過ぎないのだが、実は似たような打ち明けを私たちは石井隆から、インタビュウ記事を通じて何度か囁かれている。劇空間で葬られたはずの者が、明界(このよ)に残る知り合いの周辺に出没することが石井世界では数多くある。もちろん幽霊譚は石井の専売特許であるはずもなく、ジャンルを越えた創作全般に君臨するモチーフであり、これまでも、そして今後も絶えず採用され続ける普遍的な描写に過ぎないけれど、私がここであえて書こうとするのは通常の描き方を遥かに超越した意外な表現手段であって、それを石井は今でも絶えず模索しているらしいという推測だ。

 ここまで書くと石井世界の追尾を行なっている評論家や熱心なファンは気付くだろうけれど、石井は『ヌードの夜』(1993)の終盤で、根津甚八が演ずる行方(なめかた)という男の亡霊をフィルム上に“空隙(くうげき)”という手法で描いた。借金に追われて精神錯乱した男(岩松了)に名美(余貴美子)が銃で撃たれて床に崩れる場面があるのだが、そこで石井は名美の座るソファの隣りに大人一名が座れるだけの空きを用意し、不自然な構図で撮影する事で男の亡霊のそこに身じろぎもせず座り、事の成り行きを凝っと見守っていることを表現してみせたのだった。これは本当に驚愕すべき手法であって、一歩間違えば狂人扱いされかねない危険な描画であろう。

 私は霊の存在を一概に否定しないし、この世に彼らと交信したり、彼らの姿を日常空間で目撃している特別な素質の有る人がいても不思議はないと考えている。しかし、現行の撮影技術では霊体を明確な対象として定着させる術はなく、仮に劇空間に彼らを登場させる場合には生きた役者であれ、ギミックを用意し、また、光や音響を駆使して輪郭を揃えることで“可視化”するより他ない。太陽光や虹、星のまたたき、流れ星、蝋燭の火のゆらぎ、一陣の風、はためくカーテン、時には空っぽの空間に向って話し掛けたり耳を澄ます人物を配置し、自然描写と広く呼べるものを代用して画面に宛(あて)がい、霊体の“可視化”を試みていく。

 今のところは“不可視”なものはとことん“不可視”なままであり、銀幕に映されない存在である以上は、どうにかこうにか手段を講じて“可視化”した上で観客に差し出すより仕方ないのであって、これら技巧なくして霊体の出没を第三者に伝えることは難しいのだけれど、『ヌードの夜』において石井は禁じ手とも呼べる“不可視”の提示に踏み切った訳である。

 さすがにこういった大胆不敵で分かりづらい、というよりも石井が開示せぬ限りほとんど誰も分からない表現手法を、その後の石井は自らに封じて来たのだけど、それでも彼ならではの創意が続いているのは最新作『GONINサーガ』(2015)を観ても明らかだろう。

 霊魂の出現や心霊現象はオーソドックスな方法を採った『GONINサーガ』だったが、それとは別に人物の描写において、“不可視的領域”とでも称すべき暗部が広がっている。すなわち、観客が観賞中には掌握し切れないか、はたまた観客の目や耳からは隠蔽された“見えざる情報”が幾つも有るのに、石井はそれに逡巡することなく、いや、むしろ確信犯的に、物語中に一気呵成に押し込み、最後まで突き進むという不敵この上ない筆づかいに撤している。説明が過多との感想が多いけれど、私の目と耳には全くその逆であって、これ程までに暗闇の色濃い作品はあまり無いように思う。

 玩読(がんどく)する時間を与えられぬまま、私たち観客は凄まじい銃撃戦を次々に目撃し、身体をうち震わせながら座席に取り残されるのだけど、その後で原作小説本の行間を読むなり、残像を繋ぎ合わせ、再度劇場に足を運ぶことでようやくそこで現況や過去、登場人物の心理が“可視化”されていく。いよいよ熟考と推測が私たちの内部で開始され、自分なりに答えを導く次元に至ったとき、『GONINサーガ』はさらに酷烈な地獄の口を開いていく。



2015年8月15日土曜日

“転回点”


 『GONIN』(1995)の公開から12年を経た2007年、いまから8年ほども前になるのだが、DVD3枚組の「GONINコンプリートボックス」が発売された。収録された『GONIN REAL EDITION』はリストアが為されて情感と艶色がいや増し、複数のバージョンを持つ『GONIN』の、現時点での決定打となっている。加えて石井隆と撮影の佐々木原保志ほかによるオーディオコメンタリーが収められており、撮影と編集の妙をこまめに開示してみせて実に愉しいものだった。

 たとえば目出し帽をかぶって暴力団事務所を襲撃する場面で、五人組のひとりがテーブルの上に飛び乗って走るくだりがある。実物はわずか2メートルかそこらのテーブルであるのに、カットの切り貼りによって体感する広さが倍化している。ばたばたと全力疾走する男の様子に私たちは目を奪われ、不意討ちされた組員とともに目を丸くし身体を硬直させた。また、雨音ざわめく闇夜を本木雅弘演じる青年が銃を懐手に駆け寄ってくる場面においても、足元のアップやミドルショットを幾重にも繋いで、実際は7メートル程に過ぎないアスファルト道路を無限の空間に変えている。本来の時間を二重三重に膨らませて、襲われる側の困惑と襲撃者のもどかしさを演出したのだった。見事な手わざと思う。

 上が好例だけど、映画や劇画、さらには小説や詩歌の時空というものは、ときに意図的に捻じ曲げられ、縁日の飴細工のように伸び縮みを繰り返す。先に上げた【雨のエトランゼ】(1979)の永劫たる一瞬、つまり自由落下の途上にある名美と、室内に残された村木とがまなざしを交わし、そこにおのれの存在意義をすべて託すような奇蹟の瞬間は、この観点に立てば十分に起こり得る場面であるのだし、まさにそれこそがフィクションの外連(けれん)であり、物語に身をゆだねる際の醍醐味とも言えるだろう。

 先に書いた個人的な体験(スカイダイビングでのフリーフォール)と石井の創造空間を単純に比較するのは、だから、野暮天以外の何ものでもない。その点はむろん承知だし、何より【雨のエトランゼ】の輝きはそうたやすく失われるものではない。作者の介添えがあって、あの雨の夜に時間は歩みを止め、名美と村木は刹那見つめ合って魂の交感を果たしている。

 ただ、現実に自由落下を体感した身にとって、従来の劇空間がほんの微かに変容を来たして見える点はこれもまた嘘のない事実であって、単純にフィクションだから、劇画だからと割り切ることが出来ないでいる。

 遊びの一環でいんちきの身投げをした私ですらこの始末なのだから、実際に事故や災害で墜落なり転落を味わった人であればなおさらであろう。投身に限ったことではない。自死という節目の付け方を誰かが選択するのを面前とし、これに共振をもって応えることは年齢を経れば経るだけ難しくなる。家族や知人を看取る経験がひとつ、またひとつと増すに従い、どうしても死の概念は弾力をうしなって人は甘い夢を寄せなくなるものだ。

 紙面やデジタルデータに貼り付けられたままで身動きできないフィクションに対し、私たちの方が角度や位置を変えながら見ていくものだから、当然、物語から発せられる反射光もまた強弱なり色調を変えていかざるを得ない。年月は人を変え、人が変われば世界の面持ちも変幻する。それは仕方のないことだし、また、一方では面白いことと思う。
 
 蜜月の終了や様相をまるで違えて見える再会は、何も私たち読み手と作品との間にだけ生じるのではなくって、生身である作者と作品との間にも頻繁に起こっていく。ひとりの作り手がほぼ同じ手法と題材で何ごとか連作した場合、最初の頃と画風の転換するのは、思えば当然の話だ。石井隆の作歴を辿るとき、ある時期から作調にあきらかな変奏が見止められるのは、恐らくはそんな理由による。

 そこには、自死に対する頑なな抑制が視とめられる。石井当人の内部で死の概念が弾力をうしない、甘い夢を付帯させることが難しくなっている。『ヌードの夜』(1993)、『夜がまた来る』(1994)、『フリーズ・ミー』(2000)で描かれた死は救済の色調を湛えていたのだったが、石井はこれを封印して、代わって狂気への渇望と最終逃避の道程を描き始める。『花と蛇』(2004)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(2013)といった作品に佇立する狂気は、かつてはドラマチックな死が居座ったポジションであった。

 この折り返しに一切触れぬままで石井世界の深察に入れば、やがて大きな誤読をもたらす可能性が高いように思われるし、それは来月いよいよ公開される『GONINサーガ』(2015)を読み解く上でも絶対に避けられない重要点ではなかろうか。


2015年8月14日金曜日

“墜落”


 スカイダイビングの入門体験に臨んだ私は、方向の異なる複数の目的を抱えていた。

 身近にのっぴきならない事態が起きており、死という非常出口に向って傾斜が深くなっていた。直ちに実行に移す元気はなかったが、予行練習とまではいかないものの一体全体それは如何なるものか、シルエットや気配なりを味わってみたかった。

 夏の空にわたしをいざなったジャンパーの、その物腰や口調に、独特の硬さと金属を連想させるひりつく冷気があったのは、彼が直感的、いや、むしろ本能的に、このおかしな中年野郎の奥底に暗い波長がへばりついているのを察知したからだ。身勝手な好奇心に取り憑かれて空港にふらり立ち寄る不埒な連中を、おそらく過去に数多く見知っていて、きっと同じ臭いがすると警戒したに違いない。空中で暴れ出したらどうなるだろう、道連れにされては敵わないと彼の方こそがひどい緊張を強いられたはずであって、今にして思えばたいへん不調法なことをしたと反省している。

 これと同時に、思い切った身投げ、とんでもない高度からのそれを通じて、気持ちの隅々までを整理し尽くしたい、するりと脱皮して成長を遂げたいという祈りに近いものが育っていた。南太平洋バヌアツの通過儀礼ではないけれど、死と再生のすじ道を自分なりに探し当て、ようやっと辿り着いたところがあった。実際この跳躍を経ることで、少なくとも投身の誘惑をきれいに断ち切ったのは本当のことだし、ずいぶんと若返った心持ちがする。

 ひとの営みの大方のものは、第三者の目にはひとつの動作としか映らない。食べることであれ、寝ることであれ、はたまた愛し合う行為であれ、それぞれが単一の動作と思われてしまう。寝食を忘れて一心不乱に取り組まない限り、実際はそんなことは決してないのであって、動作の背後にはいくつもの目的や狙いが混在していて、複雑な思索が延々と重ねられる。感覚としてはマリオネット人形の仕組みであって、色彩や材質の違うたくさんの想いの糸で私たちは巧みに操られ、それでようやく何かを成し得ている。

 ダイビングのさらなる目的は、石井隆の描く“投身する人物”の状況と心情につき、自分なりに肉薄したいという願いがあったのだった。笑われそうだが本当のことだ。

 石井が劇画や挿絵を世間に発表し始め、やがて独自のスタイルを究めて支持を得た頃、そして、その人気に乗じて映画会社が石井に脚本執筆を依頼して、それが陸続と撮られていった頃、劇に登場する人間の多くが自死することにのめり込み、愛憎綯(な)い交ぜの混沌とした物語空間のなかで消えている。

 劇画作品では1979年から1980年にかけて発表されたいわゆるタナトス四部作、【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣(かげろう)】の頃に石井の描写には拍車がかかり、さまざまな死の様相が提示された。ひときわ読者の心を揺さぶり、作者自身をも虜にしたのはビルの屋上や岸壁から投身する者とこれを看取る者とを同一の時空に置いた場面設計であった。劇画【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979)で完成されたそれは、石井の自家薬籠中の物として劇画と映画を通じて幾度も再生を繰り返す。

 脚本作品では『沙耶のいる透視図』(1986 監督和泉聖治)、『魔性の香り』(1985 監督池田敏春)がそれに当たり、監督作品では『ヌードの夜』(1993)、『フリーズ・ミー』(2000)が該当する。石井のインタビュウをつぶさに読むことで、『死んでもいい』(1992)と『夜がまた来る』(1994)の描かれなかった結末も、この血筋にあったと捉えて構わない。

 私たちは反復するこの投身の儀式の陰に、作者が抱懐する強い美意識を嗅ぎ取ってきた。『ヌードの夜』、『フリーズ・ミー』、それに『死んでもいい』と『夜がまた来る』はいずれも後追いであって、これはこれで鮮烈であるのだけれど、【雨のエトランゼ】とその直系にあたる『沙耶のいる透視図』、『魔性の香り』に宿されたメッセージの深甚さは予想を超えて胸に響いた。

 生死の境界を踏み越えてしまった刹那の、ほんとうの最期の一瞬、自身の姿とまなざしを愛する者の網膜に焼き付け、せめてその胸中に忘れえぬ記憶となって生き続けようと懇願する男なりおんなの切々たる心情に私たちは声を失い、長い吐息を漏らしたのだった。特に【雨のエトランゼ】で窓の外を背中側から落下していく名美の、手前にいる村木を見やる瞳の哀しさ、温かさは脳裏に日光写真の残像のように居ついて消えてくれなかった。気が滅入ったときや何か大きな失敗をやらかして死の幻想を抱いたときには、決まってわたしの目の前にちらつくのだった。

 スカイダイビングで自由落下する行為は、我が身を彼女の時間に重ね、今際の際の感覚を体感する絶好のチャンスであったのだし、その事を経てより一層、隙間なく石井世界に寄り添えるものと期待した。

 さて、実際のところはどうだったかと言えば、雲ひとつない蒼空に突き落とされる行為と、古くて小さな雑居ビルの屋上から墜ちていく事では最初からまったく状況は違うのであって比較のしようがなかった。それは最初から分かりきった話なのだけど、猛速度で雲のベールを何枚も突き抜けながら、このような目まぐるしい状況でわずか畳一枚ほどの狭い窓枠の中を覗き見して、室内の奥まった位置に立った男の動作を視認して永別のまなざしを贈り合うことなど、実際上は不可能という印象を持ったのだった。

 石井隆はきわめてロマンティークな筋立てをリアルで重厚な絵柄で描き、強引に推し進めるところがあるが、この投身する名美と村木とが一瞬の邂逅を成し遂げる場面は、劇画や映画でしか創り得ない奇蹟のようなもの、と位置付けてよいだろう。

 実際に世にあふれる墜落、墜死とは、思考を差し挟む余地のない空虚で慌しい時間と思われた。そういえば以前、はしごから落ちて腰をしたたか打ったことがあったけれど、フリーフォールとあれとで実感はそんなに違わない。【雨のエトランゼ】の哀しい名美が仮に実在したならば、脚立から落ちるようにしてあっという間に地面に激突し、唇をすぼめた驚いた顔、きょとんとした目をしてきっと逝ったに違いない。

2015年1月12日月曜日

“魂の追尾”~「根津甚八」 根津仁香 著~


 市井のひとの評価は、内奥が透かし見える航跡の周知と思慕あふれる声掛けとで構成された“弔辞”に良くも悪くも集約される。その点において先日の会は清清しいものがあった。七十歳を目前にして病いに散った人の葬送で、生前の面影をあざやかに照射する一文が奉読された。壇上の遺影の微笑みが強まって感じられ、生き生きと血が通って見えてくるから不思議だったのだけど、多分会場のどこかで故人もこの手紙を聞いて喜んでおり、それが現われたのじゃなかったか。

 こころのこもったひとつでも聞けばそれだけで随分と救われた気持ちになるものだが、高齢化と核家族化が影響して赤十字社からの名ばかりの感謝状、それも代読という味気ない文面で幕をひく弔いがここのところ多い。そんな席に交ざるとつくづく生とは何かを考えさせられ、帰路に着く頃にはどんよりと重たいものに包まれる。痕跡を持たない泡(あぶく)のような終わり方、それが私たちの向う先かと嘆息せざるをえない場面が周りに増えていて、仕方ないと思う反面、やはり、どこかもどかしくも思う。

 交歓の日々の、せめて断片だけでも後世に残せれば素敵なのだけど、思い出は“かたち”に変換されずに朧(おぼろ)となるは避けがたい。弔辞はそれに抗するわずかな機会となるが、考えればその大半だって箪笥や机の引き出しの奥に程なく埋もれてしまう理屈だから、有るような無いような至極ぼんやりしたものであって、“かたち”あるものとは到底言えない。
 
 一部の著名人、芸術家たちの場合、かれらの半生なり思想、肉声といったものは良くも悪くも伝記やインタビュウという“かたち”となって複製され、時代をまたいで伝えられていく。天邪鬼なわたしは彼ら特別な存在の名声や富に対して左程の嫉妬を覚えないのだが、こういった航跡の在り在りと世に残せることには強い眩しさを感じてしまう。

 この流れで引き合いに出すのは失礼に当たるかもしれないが、たとえば「根津甚八(ねづじんぱち)」という、その名もずばりの一冊(*1)を先日読みながら、私はそこに書かれた俳優の足跡とこれを“かたち”にしてみせた執筆と編集の道程に深く嫉妬した。俗世とは表も裏も異なる芸能世界に暮らすことは想像を絶する苦難をともなうはずで、どれ程の緊張や衝撃を日毎夜毎に抱えるものか。加えて根津甚八という役者の半生の凄絶な様相はページを繰る指を震わせ、呼吸を乱すほども酷い顛末の連(つる)べ打ちだから、それを羨ましいと評するのは全くの間違いなのだけど、それでもやはりこの本は心底まぶしい。

 石井隆の絢爛たる映像世界の中軸に座り、疾走し、牽引したその姿は脳裏に刻まれて今も忘れられない。『月下の蘭』(1991)、『ヌードの夜』(1993)、『天使のはらわた 赤い閃光』(1994)、『夜がまた来る』(1994)、『GONIN』(1995)、そして『黒の天使 Vol.1』(1998)に相次いで出演し、石井がかつて描いた端正な顔立ちの川島や村木といった男の、胸元に立ちゆれる色香や遠いまなざしを見事に遺伝継承し、劇画世界の裾野を映画の山稜へと繋ぐ森の役目を果たした。ときに風を受けて鳴動し、ときに紅蓮に染まってつよく酔わせた。冬枯れした木立となって手招きし、肌恋しさにざわつく観客の孤弱を慰めた。

 本書にはそのような石井各作品に関わったその時どきの根津の身体の調子や裏話も含まれてあるから、石井世界に耽溺する人は一読の価値がある本とは思うのだが、タレント本以上の重さと密度をもって胸に迫るところが正直言えばあるのだった。評論家や記者、はたまたゴーストライターの手になるのでなく、これが根津の細君によって編まれたものであり、夫の病症と事故の詳細、置かれた苦境が迂回されることなく実物大のディテールをともなって開示されていることが理由として大きい。

 加えて、ほとんどの男がそうだと思うのだけど、自宅では黙して語ることの少ない仕事場での軋轢や衝突、追悔につき、この妻は正確な記述を目指して当事者をひとりひとり訪ねて回り、そこで根津甚八という役者はいったい何だったのかを彼らに問い掛けるのだった。答えを手繰りあわせて、己と読者の視線を徐々に束ねていくその道程に宿る切実さ、清廉なるところがじんわりと甘く胸に堪えるのだ。

 第三者ではなく、共に暮らす妻に師弟や関係者を取材させる構図に対して、根津が、それとなく抵抗を示していく様子も文中に幾度も見てとれる。その辺りの生理も男同士としてよく伝わるものがあり、取材から編集、出版へと無事に到達出来るのか、読んでいてはらはらさせられる局面が雑(ま)じっていく。回顧録や資料本とはまるで違った感懐に捕らわれるのは、そんな心の綱引きが行間に常に垣間見れるからだ。

 石井が好んで描く題材に、おんなの過去を探すうちに身もこころも一体化していく記者や探偵の話があるが、あれとちょっと似た面持ちがある。根津の航跡と同時に筆者のそれも読者は発見してしまい、二本の筋が撚(よ)り合わされていくのを目で追う仕掛けであって、読み進むごとに胸のあたりが手のひらでゆっくりと押された具合に温まる。つまりは血が通ったルポルタージュであり、それも目的の粋をはるかに越えてしまっている。根津仁香(ねづじんか)というおんなが頼まれて根津甚八という男を調査し、そのうち彼の胸の奥の洞窟の深いところまで次第次第に下りて行く訳なのだが、過去を探りながら実際は“今”へと手を差し出しているのだった。内奥までを透かし見せる経歴の明示と思慕の言葉の数々が、現に生きている相手に向って愛する者の口から発せられていることに感動し、これは何だろうと、こんな本は読んだことがないと気付いて目の奥がぐんと明るさを増していく。

 プロローグを彩るのは自宅の居間で撮られた根津の孤影であったものが、終章での見開きには、ソファに座るその背中に寄り添う形で筆者もまた印画紙に取り込まれている。編集担当者の透徹したまなざしに助けられながら、一幅の絵巻が完成されているように思う。鈴木成一デザイン室の装丁も好い。照柿をより深くした趣きのカバーは、粗めの触感の地紙の選択と相まって光を吸い込み、根津という引力を具えた役者を巧く表現した。そこに幾らかにじむ感じで置かれたゴシック体の大きな題字「根津甚八」に従う、妻である筆者の名前がすっきりと胸張った感じの明朝体で控えめに置かれてあるのも、魂がもうひとつの魂に健気に追走していく、そんな崇高な両者の在りようを示して可憐過ぎる。

 奥付を見ると発行日は2010年の9月27日とあって、かなり前に出ていた本なのだけど、書店で見て手に取った記憶が一切ない。おそらく、その後しばらくして起きた震災でわたしの精神状態がひどく変調し、書棚の間をゆったりと回遊する余力を失っていたのだろう。人に出逢うタイミングがあるように、映画や本との出逢いもまた時期を選ぶ。今こうして遅れて手にする事は、きっと歳月がわたしの神経を慰撫して視界を拡げた結果なのだろう、と漠然とあれやこれやを想い描いている。

(*1):「根津甚八」 根津仁香  講談社  2010

2014年6月14日土曜日

“ここへ辿り着く”~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[11]~


 明け方に見た夢に引きずられている。お前は旗(はた)みたいだな、ばたばたうるさいが薄っぺらな大名旗だ。『天使のはらわた 赤い教室』(1979)をめぐってこの場に綴ってきた感懐に直接触れてはいなかったけれど、夢の男は硬い表情でわたしに告げるのだった。朝の冷気に寝具を引き寄せながら、そろそろ切り上げの時期かと思う。

 重箱の隅を突いて台本との違いをあげつらい、ひとり悦に入っているつもりは毛頭ない。映画を悪く言うのではなく、形で示されたものをすり合わせて石井隆の世界をより深く知りたい、その一心で言葉を接いできたのだけれど、想いの丈は人に話さず仕舞っておくべきだったか。さすがに放言が過ぎた気持ちでいる。  

 終わりに書きたいのは名美(水原ゆう紀)が言う“ここ”の色彩についてだ。『赤い教室』は石井の短篇劇画のいくつかを取り込み、それがおんなの内部に堆積なった層の厚みをうまく表現していることは以前書いた。(*1) 実は石井の台本にはないのだけれど、完成品には別の短篇イメージが挿入されている。熱心な書き手がウェブで指摘もしているが、それは名美が行き着いた酒場の場景であり、マー坊と呼ばれる男(草薙良一)と名美の関係を短篇【街の底で】(1976)から借りて補ったものだ。

 終幕での名美の台詞、「そちらに行こう行こうと思ったら、ここへ辿り着いちゃったのよ」(*2)の“ここ”とは、この小さな店のことだろう。内部で展開される猥雑な見世物と、それにともない名美の胸中で湧き起こる不純物だらけの対流も含めての“ここ”ではあるだろうが、台本にはなく突如銀幕で現れた店内の補足的な景色は曽根中生版の『赤い教室』を考える上でとても大事だ。

 マー坊は正人という本名を与えられ、昔は歌手でレコードまで出したのに芽が伸びずに“ここ”に漂着したことが明かされる。名美という化け蜘蛛に捕まったバッタといった体で、溜まりに溜まった憤懣を科白にしてぶつけて来るのだった。「畜生、死にぞこないが」、「こんなところでくたばっている男じゃないんだよ、分かってるのかよ」、「こんな生活してちゃいけないんだろ」と涙しつつ絶叫するのを映画は丹念に捉えており、どうやら演出家は“ここ”を苦界と見定めて、その混迷ぶりを強調したかったようだ。

 観客の多くは聞き流すだろうが、腰強(こしづよ)を自認する読み手は、これが石井の手で挿入された劇のパーツでないらしい点に気を留め、さらなる想念の飛翔を行わねば嘘であろう。おんなから逃げられずに住まう“ここ”が社会のどん底であり、死者のたむろする牢獄であると男は語り、集う者同士は意思の疎通が上手く行かず、「骨の髄まで」しゃぶり尽くす共食いの日々だと映画は説明するのだが、元々の石井の思い描く『赤い教室』には【街の底で】は連結なっておらなかった訳である。上の言は一切当てはまらない可能性だってあろう。

 石井隆の劇画や映画のなかで私たちは、道端で膝を屈して雨に濡れる苦労人に対しそのまま通り過ぎる事が出来ず、声を掛け、手を差し伸べていく人物を数多く目撃している。また、“意思の共有”なり“境涯への理解”といったものを激しく希求する石井の劇において、酒場とは大概の場合は人間(ひと)の寄り集う場処として描かれ、魔窟であるとか地獄といった単調な突き放し方は通常しない。

 【天使のはらわた】(1978)の第三部で出現したバー「梢」での、仲間をかばい必死にいたわる名美の様子がまず目に浮かぶ。内装は『赤い教室』のそれに似ているが、温さや照度がまるで違っているのだった。『ヌードの夜』(1993)で豪奢な装いのバーを巣窟とする悪党ども、根津甚八や椎名結平らが人間味あふれる細やかな所作を連ねることで憎悪の対象以上の存在として描かれることや、【黒の天使】(1981)にて酔客に微笑むカウンター内の魔世と絵夢の様子をこれに重ねると、石井がどれだけの愛着なり神経を傾けて酒場を舞台に選んできたか解かる。

 一見どん底のごとき店が映されてそこで主人公が忍従を強いられたとしても、たとえば『夜がまた来る』(1994)の余貴美子と竹中直人のように、獄卒の役回りには主役級の俳優を据えて角(かど)を丸くするのが石井の劇の常である訳だし、容赦ない暴力行為の果てに生来の温かいまなざしをそっと点灯させて、観る者を和ませる『ヌードの夜』の酒場のオカマ(田口トモロヲ)もそうなのだが、善悪の立ち位置を二極化することを石井は望まぬし、上とか下といった階層で人間の幸福を決して量らない。映画『赤い教室』での酒場はこれに反して古典調であり、一面的な仕様に陥ってしまっている。

 もしかしたら名美の言う“ここ”は社会のどん底ではなかったのじゃないか。死者のたむろする地獄でもなく、集う者同士で意思の疎通はなって親和性を維持し、語り尽し慰撫し合う共生の場であった方が流れ的には自然だろう。だいたい「ブルー」という店名は【カーニバル・イン・ブルー】(1975)から来ていたのじゃなかろうか。二階の畳部屋で性を切り売りしながら“おんな”を演じ続ける名美と、同じく男を演じ続けていくマー坊とが、プライベートな空間ではお茶を飲みながら“ひと”として向き合い、柔らかく会話し、身を寄せ合っていくという流れの方が石井の想う劇に多分近しい。【街の底で】ではなく【カーニバル】を挿入すべきであったのだが、後の祭りである。

 なんだよ、ハッピーエンドかよ、つまんねえ。わたしの妄想にまみれたそんな結末を皆は鼻で笑うかもしれないが、個人の感覚としてはこちらの方がずっと辛い。名美の世界がいよいよ堅牢なものとなって、村木は手も足も出なくなるからだ。東と西に散り散りとなり、その結果おんなが自暴自棄を繰り返して荒れた生活のまま今に至っていれば、かえって男は嬉しいに違いないのだ。水溜りに映った名美の唇は少し歪み、涙するようではなかったか。そのような救われないおんなが居る限り、男は大した度量も無い癖に舞台への登壇を続けてしまう。誰も頼んでいないのに自身の不甲斐なさを責め、直りかけた傷のかさぶたを剥がし、憐憫に身悶えしつつ浮き出る血の玉を舐めていれば延々と夢は続いていくばかりだ。余計な枝葉を加えて茂った映画『赤い教室』には救えなかったおんなが佇むままに終わるから、可哀相、可哀相でいつまでも続いていき、見守る男の内部では真の別れには至らない。

 石井隆の台本での終幕での名美は雨に濡れた長い髪をなびかせて、村木より先に去っていく。驚くべき跳躍を果たして世界を駆け抜け、表皮と内臓をひっくり返すような豪胆な意識の変革を成し、さらには似たような相手を見つけて“意思の共有”なり“境涯への理解”を完成させたおんなである。苦界にではなく、同じ境遇の友の元に帰っていくのだ。こうなってしまえば、村木は手も足も出ない。恋情の埋め火に当たって濡れたコートを乾かす暇(いとま)も与えられない。己がやり遂げられなかったサルベージを誰かほかの者にやられ、巣篭もりの様子を目の当たりにして、もはや沈黙するしかないのだ。この三年を仰ぎ見ながら息を細く吐いて、思考を凍らせるしかない。

 死線を越えて恐るべき強靭さを手にしたおんなを前に、今こそ永別の一瞬がめぐり来る。救いと呼べる結末では当然ない。しかし、所詮、人間の生活とは大なり小なり塹壕での持久戦ではないか。そこで繰り返される束の間の食事と睡眠、体温の交換を救いと信じる泥だらけの日常ではないか。なかなか呑み込める展開ではないから、おそらく男は長く時間をかけてこれを受け入れ、周回遅れで走り続けることになる。人生はこれからも続くのである。いま、この2014年に自分なりに捉える石井隆の脚本『赤い教室』は、そんな厳しい顔を見せて村木哲郎と、そして読む者を鼓舞するところがある。

 公開前後の映画誌に記事を探すと、評者のひとりが「最近の日本映画には稀な密度を有した純愛映画の傑作」(*3)と述べているが、総じて違和感を訴える不評が目につく。私もそう思う。人によって定義は異なるだろうが、安易に傑作と唱える訳にはいかぬ、いくつもの疑問符を抱えた作品に映画『赤い教室』はなっている。

(*1):http://grotta-birds.blogspot.jp/2013/05/blog-post_26.html
(*2): 「別冊新評 石井隆の世界」 新評社 1979 218頁 
(*3): キネマ旬報 1979年3月上旬号 №755 今月の問題作批評2「空転している旧・純愛映画」亀和田武 157頁




2014年4月7日月曜日

“娘たちの帰還”



 『ヌードの夜』正続二篇と『黒の天使』シリーズ第一作と二作が、共に高画質ブルーレイのボックス仕様で発売された。艶(あで)やかな光の綾、奈落より這い出づるがごとき音響、陰影ある役者の声を自宅に居ながらにして堪能できる。独特の匂ひ香に酔いつぶれる人はさぞかし多く、波紋は拡(ひろ)がってファンを増やし続けるに違いない。それにしても、こんなにも整った形で石井の旧作に見(まみ)える人はそれだけで果報者じゃなかろうか。

 つらつら考えてみるに、『ヌードの夜』の一作目の公開は1993年だからかれこれ二十年も前になる。『黒の天使vol.1』(1998)だって作られてからかなりの年数が経つ。そんな作品群が目を覚ましてむっくり身を起こし、再度市場に斬り込んで来るなんて以前は想像さえ出来なかった。だいたい映画は限定された場処でたのしむものであって、無尽蔵の性格を具(そな)えなかった。

 劇場という密室に映画はとらわれ続け、機会を失したら再会は望めないように思われた、いや、実際むずかしいのだった。今の人からすれば滑稽に聞こえるだろうが、楼上の姫君のように悩ましく、また、千本格子の奥に座る娼妓(しょうぎ)に似てひどく妖しいのが映画だったように思う。彼女らを舐めるがごとく凝視(みつ)めることは許された日時に限られ、劇場まで足を運ぶ行為は貯めた金子を懐にようやく登楼することにも等しく、荒々しい興奮を前の夜から引きずった。

 だから、“映画体験”は優越感や劣等感の温床とさえなったのであって、現に今でも都会に生まれ育った同世代の人がたいへん眩(まぶ)しく感じられ、自身が経験の足らない田舎者という気持ちから引け目を覚える始末だ。映画を観ることはそのぐらい一期一会のもの、奇蹟的な出逢いの産物だった。旧作ともなれば、眩暈が生じるぐらいの跳躍だった。粗悪なコピー品というのでなく、完璧な画質と音をそなえる好条件のそれらを個人が入手し、“初鑑賞”するという昨今の“常識”は私には凄いことと思える。

 空(うつ)けて書き散らしたのは、多分、ボックス付属のブックレットに掲載なっていた石井の言葉に触発されたせいだ。公開から十五年、二十年という歳月を経てようやく当時の騒動や行き違いの仔細が唇にのぼり、創作の根源なり起点と呼んでも差し支えないだろう極私的な記憶の残影もシェアされている。石井世界を愛でる人には必読の文章なのだけど、それと共に石井の自作、とりわけ“映画”に注ぎ続ける思いの丈がいつも以上の調子で綴られているのだった。胸の奥に着水して繁吹(しぶ)いた。自身と映画との道程をひとしきり振り返るきっかけを作った。

 「映画を一本撮ることは一生分の苦労を背負うこと」(*1)、「記録に残して欲しい、とこの歳になって初めて思った。10年後、20年後の映画ファンに、この美しい女優たちを見てもらうために」(*2)──そんな言葉が列を成している。映画という媒体に己の人生を傾斜させ、飛び込み、挫折し、「呼び寄せられ」(*3)、連れ添い、復帰を果たして今に至った努力家の旅の重さを想う。これまで様々な場処で語られたものと重複するところもあるが、鎧を解いた生身の声が発せられている。映画を作るって何なんだろう、映画には何が写されているのだろう、と考えされられてしまった。

 食べるために、また、養うために日々生業と取っ組み合いを重ねているが、それが一生を賭するに値するかを時に疑い、迷いが泡立ち、重い荷物も背負い切れなくなって全放擲したい誘惑が思考を圧することがある。誰もがそういうものだと私は思っているのだが、隠棲したり、存在そのもののスイッチをオフにする妄念がむくむくと沸きあがってやり切れない一瞬が訪れる。それを蹴散らし、リセットする目的からひとは寺院や海辺へと寄り道をしたり、スポーツに興じたり、はたまた劇場という穴蔵に緊急避難して座席に沈んでいく。不思議と気持ちが整頓なる効用にすがっていくのだけれど、確かにいまの私には“映画”を頼りとする余白の時間が月に幾度か挿し込まれて有る。

 すり寄り、膝を借り枕にして二時間ばかり退行し、甘えて過ごす体たらくにあるけれど、そんな映画という仕組みに、逃げるのではなく、傷薬(しょうやく)なすり付けつつ四十年近い歳月を挑み続けている石井の、素通しの、いくらか痛々しい声と対峙していると、薄い銀幕の向うが急に広がって感じられ叱咤されているような気持ちにもなるのだった。僕は苦しくても投げていない、自作も消し去りたいとは思わない、と穏やかに説かれているようであり、萎えた心の張りを取り戻すところがあった。「めげるな、さあ、次」(*4)、と身体に鞭打って映画に向かって再度歩き出す石井を遠目にしながら、この世に石井隆と彼の映画がいてくれて本当に良かった、と心から思うのだ。

 加えて映画という媒体を、大切と信じる相手についつい重ねてしまう発想もあながち間違ってはいないのかなと思えてくる。人が全霊をかけて塑造する物語が生命を得て、そっと息づいていくのは自然なことだ。これまでずっと観つづけて来た石井の映画は、芝居の域を超えた何か刻印のような、痛みをともなう切実なものがこもっていて、どれもこれもが生きもがいていた。高画質となって十数年ぶりに見参した姿を喜び、「信じられない程の幸せ」(*5)と書く石井の口調には、留学を果たして心身ともに磨きをかけて戻ってきた年頃の娘を空港に迎え出た父親のような、厚みのある温もりが感じ取れる。映画を我が娘(こ)と思い、大切に送り出す堅実な親の面影をそこに垣間見て、これもまた実に格好がよいじゃないかと思わず笑みがこぼれてしまうのだ。


(*1):「黒の天使 特製ブックレット」KADOKAWA 角川書店 20頁 
(*2): 同 22頁
(*3):「ヌードの夜 特製ブックレット」KADOKAWA 角川書店 4頁
(*4):「黒の天使 特製ブックレット」 21頁
(*5): 同 22頁