2017年7月23日日曜日

“幽霊画”~【魔奴】と【魔樂】への途(みち)~(1)


 ひとの一生はことごとく収まりの悪い事物の堆積であって、いつかその居心地のまずさは綺麗に解消なると信じ、歯を食いしばってすすむ徒競走みたいなものだ。天災や事故、凶悪事件に巻き込まれて一瞬で平穏を失うという事態に限らずとも、誰もが苦しく身悶えしている。膨大な不調の山を抱えながら暮らしている。皆よく正気を維持しながら耐えているものだと感心してしまう。

 気晴らしとなる趣味の領域でさえ、得心の出来ぬ事柄ばかりであって、日々行なっている石井隆の創作世界探求の道筋においても妙に気に掛かり、意識の果てに追いやれない物が散乱している。映画『ヌードの夜』(1993)のポスター画についてもそうであって、この絵はいったい何だろうかと考え込んでしまう。

 何だろうってどういう意味よ、映画のヒロインの絵だろ、おんなの絵だろ、それを石井が描いたのだろ、どこが腑に落ちないのよ、余程おまえの頭のほうが自分には腑に落ちないのよ、と笑われそうだけれど、公開当時からずっと頭蓋骨に貼り付いて剥がれないのは次の疑問ふたつだ。この絵は女優 余貴美子(よ きみこ)を描いたものなのか、それとも石井のイコン 名美の立像だろうか、という事と、それからこの絵は映画の一場面を表わしているだろうかという点だ。

 石井が余を招聘した背景には承知の通り、演技力もさることながら、余の面影が石井劇画の玉座を占める名美というおんなと似ているからであって、メガホンを握ることにいくらか慣れてきた石井が、映画を目指して描き続けてきた己の劇画世界と映画世界を連結する触媒として起用したところが理由として少なくない。(*1) そうである以上、ポスター画のおんなの立ち姿が余なのか名美なのか、目的通りに曖昧になって陽炎のようにゆらめくのは、それはそれで正解と言えるだろう。

 しかし、『ヌードの夜』の前作『死んでもいい』(1992)で宣材用に使用した石井の絵は主演の大竹しのぶの顔立ちを見事に描き切っているのだし、また、後年の『黒の天使vol.2』(1999)におけるやはり女優 天海祐希(あまみゆうき)の溌剌とした伊達姿と比べてみれば、この『ヌードの夜』は特異な表情を見せていると捉えねばならない。余貴美子の顔立ちを忠実に写し取ることを避け、また誇張することも控え、正体がいまひとつ分からぬ絵にしている。(*2)  幼少年の時期から映画館に通い詰め、東西の女優たちの表情や物腰を聖像とあがめた石井が、自身の技量をあえて折り曲げて女優ならざる者を描き、特別な何かを具現化しようとして見える。

 このところ加齢にしたがい人並みに忘却力が増しているので、『ヌードの夜』の劇中にこのポスター画とそっくりの場面があったものか、はたまた宣伝用に撮られたスチールのなかに似た構図のものがあったかを必死に思い出そうとするが答えが見つからない。雨に濡れて佇むおんなの孤影である。髪がぐっちゃりと濡れて、重みを増して頭部に貼りついている。真横を向き、顎を引き、いや、力なく呆然とうつむき、まぶた付近の筋肉は弛緩して一切の緊張から解放されている。その解放は歓びと直結しておらず、口元に笑みは見当たらない。誰かから声を掛けられる予感も抱かず、思考がしーんと停止してしまい、雨のなかに立ちすくむ為だけに居る、そんな静謐で冷え切った体温が広がっている。

 劇の冒頭で雨に煙る鉄道高架線の下壁が映され、シルエットだけであるがおんなの姿がフィルムに刻まれていた。あの時のおんなは傘を差して雨を避けていた。絵のおんなは黒い服を着ている、髪がほどけている、それでは終盤の男の部屋の名美であろうか。こんなに雨に降られる屋外の場面は映画にあっただろうか。確かにあのさびれた部屋のなかで、切なくぼうっと灯る紅いネオン管を挟んで向き合うおんなの姿態とカメラアングルがあり、ポスター画のおんなととても似ているのだけど、そこに息づくまなざしや気持ちの方向とポスター画のそれには微妙な乖離が認められるように思う。

 この絵のおんなは部屋の中に入る前の屋外、もしくは映画の時空から遮断された場処に棄て置かれた段階を描いたものと考えるのが妥当だろう。つまり、これはまさしく「幽霊画」ということになるのだ。盆参りの時期に、寺院の本堂や位牌堂につづく廊下あたりに掛けられる掛け軸と同じ類いの、成仏を許されぬ魂の末路が描かれている。石井は息をころして雨の飛跡を描き、暗い闇につつまれた孤独な魂を渾身の筆で描き切っている。

(*1):余貴美子の最初の起用は『月下の蘭』(1991)
(*2):これ同様の曖昧さを帯び、それゆえに絵自体が独特の力をみなぎらせていくものとして『夜がまた来る』(1994)のポスター画がある。ただしこちらは劇のクライマックスとなる湾岸倉庫の屋上での激闘の様子を大胆な構図で再現したものだから、ある意味純粋な映画ポスターと言えよう。ここでのおんなの像は、主演女優の夏川結衣(ゆい)の面貌と若干ずれが生じている。




0 件のコメント:

コメントを投稿