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2023年5月7日日曜日

“石井隆が加えた首線<1>” ヴィナスの首飾りについて(4)


 現代の女性たちは老化と醜悪の象徴と誤解する首の横皺(しわ)、「ヴィナスの首飾り the necklace of Venus 」と呼ばれるものがかつては人を引き付ける魅力と捉えていて、絵画的にも大切な装飾となっていたことが分かった。その表現に絵師たちが知恵を絞り、成功した事例においては観る者の感情に鮮烈な印象を刻むことも知った。

 石井隆(いしいたかし)が「ヴィナスの首飾り」もしくはそれに準ずる皺をどう表現していたか、遺した厖大な劇画について振り返ってみれば、先達と比して劣らない、あえかでありながら相当に奥深い技巧をそれとなく凝らした箇所が見つかって驚かされると共に、いかに石井が自分の絵に魂を込めていたか、どれほど腕の立つ匠だったか思い知らされる。

 原則的に石井は自作において、登場するおんなたちを絶えず美しく描こうと尽力した。初期の習作や端役は別にして、メインで描かれるおんなたちを美しく捉えるべく努めた。雨や水、わずかで逆光ともなりがちな照明、時に血に染まり、時に過酷な性的搾取の状況に置かれていても、石井はそんなおんなたちを美しく描かねばならないと考えた。

 おんなという存在を崇(あが)め、哀しみ、指先を伸ばし続けた。神の如き俯瞰を用い、また、拝跪(はいき)するような低位置から凝視め、硬貨一枚ほどの穴から見守りながら、おんなという存在の美しさと強さを紙面とフィルムと電子データに定着させようと自らに課した作家だった。

 そうであれば描かれるおんなの首すじは白く滑らかになり、「美人画」が主体となっていくのは道理である。ハイパーリアリズムで人体や家屋を描き、取材した写真を多用もした石井の劇画や絵画を私たちは現実の写し絵と捉えがちで、おんなたちも肉感あふれる現実の存在と見てしまいけれど、いくらページをめくっても首に横皺は走らない。石井の使命感は紙面の隅々にまで及んでいて、余分な皺は排除されている。

 次に例示するのは、そのような美人画の大海に突如現われた加筆線である。稀に生じている分、石井の作為が感じられるし、そこに託された想いを考えるのは石井世界を思案する上で邪魔にはならないように思う。

 【黒の天使】のエピソード「黒のⅣ ブラックストリッパー」(1981)において、石井はクライマックスの激闘の場面でおんなの首に太い線を描き足している。椅子に縛りつけられた男装のおんなに対し、その性別を探るため衣服を剥ぐという乱暴が為された瞬間、おんなの首すじに線が亀裂か雷光のように走ったのである。読者がそのコマに瞳を凝らして停止飛行する秒数は幾つか分からない。ほんの1秒か2秒だろう。その特殊な線が引かれたことに違和感を認めた者がどれだけいるかと考えると、ほぼゼロではなかったか。

 同じく「ブラックストリッパー」ではもう一箇所、暗殺業務に失敗した主人公の魔世(まよ)が凄惨な私刑に遭い、起死回生を図って逆襲する場面にて首に線が加えられた。両足を使って敵を羽交い絞めにして自由を奪っただけでなく、頚椎を折って相手を無力化するという過激なコマで石井はおんなの首に荒々しい線を描き加えている。

 大きな動作にともなう効果線みたいにも見える。たとえば【過去からの声】(1983)では街路を歩行中にかつての恋人と再会した男が強く振り向き、その際に不自然な太い線が顎付近に走っていて、これは男の激しい身振りを読者に実感させるための効果線として機能していた。

 しかし「ブラックストリッパー」の当該コマをよくよく見直せば、おんなたちの首付近は静止状態か、今まさに静止するところであって、動きのベクトルは希薄なのである。だから、ここで石井が線を描き加えている意図を探れば、これは多分に内面的な、おんなたちの精神面を露呈させた象徴的なもの、もしくは憤激や緊張といった感情の起伏なり湧出を補うための「精神線」として加えられたと捉えるべきだろう。

 すなわち、「美人」であらねばならないという使命が喪失した一瞬なのである。「おんな」であることを拒絶し、純粋な一個の生命体として生き返った場面なのだ。外観は変わらない。変わらないから見せようがない。でも、ここでこの白い首のままではいられないな、と石井はペン先を押し付けた。

 我々読者がいちいちこの線を認識している訳ではない。コマを追うので精一杯なのだし、それ以上の解読を石井も望んではいない。いつも通り、分かる人に分かってもらえれば良いという淡淡とした姿勢のままで原稿を仕上げ、担当編集者に託したに違いない。

 もはや石井にこの声は届かないのだが、恐るべき絵師であったことを再認識させられている。ここまで抑制したのだ。どこまでも筆先をコントロールして、劇を演出し続けたのだ。勢いに任せるのではなく、徹底して世界を組み立てている。とても忍耐強い人だったと思う。





2020年8月10日月曜日

“ありふれた小道具” ~石井隆の時空構成(7)~

 

 漫画で時計の描写に突き当たるたびにいちいち歩みを止め、そのコマに作為なり深甚なる思念を嗅ぎ取ろうとする行為というのは、妄想狂の馬鹿げた奇癖以外の何物でもない。到底つき合っておれぬと匙投げる御仁もおられるだろう。

 たとえば自宅の書棚、同居する家族がおれば彼等のそれでも良いのだが、その前にしばし立って数冊なんでも良いからマンガ書籍を抜き出し、頁をぺらぺらとめくってみれば良い。諸星大二郎の【マッドメン】(1975-82)のような特殊な設定、未開の原生林なり古代中国の黄土を舞台にした作品でもない限り、数冊に一箇所の割合で時計は目に飛び込み、主人公の意識に楔(くさび)を打ち込んでその行動を駆り立てている。アナログ、デジタルと形状は様ざまであるが、現実の写し絵たるマンガの日常に時計たちはくまなく浸透してドラマの普遍的なスパイスとなっている。

 我が家で直ぐに見つかった二作をここで例示すれば、ひとつはつのだじろう、もうひとつは東村アキコの作品内に時計の描写がある。つのだの短篇【あるムシリ物語】(*1)は金に困ったフーテンの娘が主人公の軽妙な作品だ。男に売春を持ちかけ、その実、相手の隙をついて財布を盗もうと目論む娘だったが、ホテルの部屋で男は性的な行為を求めるのではなく、睡眠薬入りのビールを娘に呑ませて眠らせるのだった。その間にホテルの窓から外に忍び出て、目指す家屋へ急ぐのである。男の方こそが本格的な窃盗犯であり、アリバイづくりに娘との一夜を利用したのだ。

 布団を掛けられ独りぼっちで寝かされていた娘がふと飛び起き、部屋に据えられていた時計を見ると明け方近く4時を過ぎたところである。はて自分はどうしたのか戸惑うのだったが、物音がしたので再び寝たふりをしていると窓が開いて男がのっそりと室内に戻ってくるのが見える。ここでは時計の描写に焦点を絞るのでその後の展開は割愛するが、このように時計は私たちの住居環境の古くからの住人であり、さも当然という顔付きで居座っている。

 東村の【かくかくしかじか】(2012-15 *2)は彼女が漫画家としてデビューするに至るまでの歳月を回想形式で描いた自伝的作品で、絵画教室の日高という恩師との交差する時間を喜劇として、時に切々たる調子で丁寧に彫り上げていく。紆余曲折のなかで東村は、一旦親の決めた就職先に席を置くことになるのだったが、カタギの商売の常として早朝枕元の目覚まし時計に叩き起こされている。

 時計の出没する現代劇というのはありふれた存在であり、ある意味合いにおいて凡庸な描写とさえ感じられる。大概の場合、読者の視線は時計のディテールを楽しむ方向には行かず、登場人物の内部に湧き起こる感情の起伏を自らの経験に沿って推察し、さらに共振を深めていくことに夢中なのであって、正直時計はどうでも良いのである。必要な描写とは思っても格別引きずるものはない。

 石井隆の劇画のなかにも当然ながら時計はあって、【黒の天使】(1981)の冒頭では腕時計をめぐる描写が見つかる。闇組織の新入りである若いおんなが腕時計を眺めて、敵地に潜入しているリーダー格のおんなの身を案じ、遅いなぁ…大丈夫かなぁとつぶやいている。このひとコマを描いている石井に特別な想いがあるとは考えにくいし、我々読者も流し読みして構わないだろう。すこぶる「自然な」描写だからだ。

 このように小道具としての時計は、時限爆弾に結線されていれば別物だが、通常の状態、つまり本来の使役にあるならマンガの劇空間に特別の興趣(きょうしゅ)を添えるものではない。そう、本来ならば。

(*1):「あるムシリ物語」 つのだじろう 「女たちの詩SERIES③ 造花の枯れる時」 秋田書店 所載 1989 227頁 目次下に1972年から1975年に「プレイコミック」に掲載された作品とあるが発表年の詳細不明                        

(*2):「かくかくしかじか」 第3巻 東村アキコ 集英社 2014 66頁



2018年4月13日金曜日

“重力にあらがうこと”(5)~雨のエトランゼ~


 昏い電燈の下、石井隆の本を枕元に引き寄せ、そっと薄目で眺める夜がある。身体が火照ってたまらない訳ではないし、生きている実感が欲しくて皮膚(はだ)下の冷えた血をたぎらせるべく、火種を突っ込み煽っているでもない。眠りを邪魔しない、おだやかな小一時間になっている。

 考えてみれば、この初期の劇画群を石井が作ったのは三十代前半であったから、自分はもう随分とその年齢を越えてしまっている。折り返し地点を過ぎてもはや恋情に惑う楽章でもないのだけど、なんだか無性に石井の苛烈な場面に引き寄せられる。作中に点々と置かれた断崖に近づき底の方をじっと覗き込みながら、くぐもった囁き声に耳を澄ます。いずれおまえもそうなる、この頸木(くびき)からは絶対に逃げおおせないよ、そろそろ順序が廻ってくるから身辺整理に入ってはどうなの。変な喩えで笑われそうだけど、死を巡る場面に視線を縛られる。厳粛な気分で頁をめくっている、それが実際嘘のないところだ。

 新旧通じて数多(あまた)の“死教育”を石井隆作品から受けた私たちにとって、また、年齢を経て幾つもの野辺送りを済ませてようやく胸に抱くのは、石井の劇における死の内実は存外リアルなものだという、乾いた、同時にいくらか勃い感懐である。村木たち、名美たちは異常極まる状況に追いやられ、現実にはあまり見ない稀有な死出の貌(かたち)を取るのだけど、そんな画面上で交わされる感情の往還は現実の私たちのそれに近しい。

 其処に天寿を全うする者はほとんどおらず、登場人物の生は中断を余儀なくされる。渡河してからでさえ憂いをいつまでも引きずり、彼らは歩み続ける。冥界が本当にそんなものかどうかを知るすべはないが、なんとなく当たっているような気になる。未整理のまま淵に飛び込み、支離滅裂になっていく寂寥感あふれる険しい局面こそが実際の死じゃないだろうか。ずるずると整理がつかない、そんな物じゃあるまいか。

 そういえば、映画『花と蛇』(2004)と『花と蛇2 パリ/静子』(2005)において、また、先行する劇画【黒の天使】(1981)の挿話のひとつにおいて、石井は高齢者の死を活写していた。テレビモニターやマジックミラー越しに或る日おんなを見初め、粘つくように凝視した挙句に思考を持っていかれる。いつしか記憶の火鉢に溜まった灰の奥から、橙色(だいだい)に息づく情念が顔を覗かせ、男たちは犯罪まがいの際どい蒐集や止むことのない官能遊戯に取り憑かれていくのだった。その末路は混沌を極めるのだが、突如ざっくりと斬り落とされて舞台をのたうっていく。

 望み叶って手中にした仄(ほの)明るい肌のかたわらに横臥し、やがて男たちはおんなにはげしく組み敷かれて死んでいく顛末なのだったが、はたして彼らは昇天し得たのだろうか。煩悩を見事なまでに振り払い、歓喜の渦に抱かれてこれまでの人生の苦役を忘れ、ああ、ようやく終わった、有り難う、と溜飲を下げたのかどうか。実はかなり疑わしいところがある。私見にはなるが、一見幸福そうに描かれた老人たちの臨終の奥まったところは、やはり相も変らぬ急な崖なり薄暗い森との対峙であり流浪であった。

 石井の指し示す死は常に不可解で、無情で、それゆえに忘れ難い。荒涼とした風景が累々と列なって記憶に刻まれていくのだけれど、どうしてここまで鮮明に刷り込まれるかといえば、それは奇観であるよりも以前に現実の死と本源的なところで重なって、容赦がなく、力強いからだ。石井が描いたあの道を誰もが辿るより仕方ない。割り切れぬ節目の刻(とき)を迎え、瓦礫だらけの廃墟然とした路を誰もが歩むに違いない、と読み手の多くが信じてしまう。

 劇中の自死にしても大概がはげしい錯乱をともなうものであり、安らかな幕切れには至っていない。残された友人や係累においては悔恨や疑念に苛まれる域では収まらず、むごい災厄が直接襲いかかる。さながら髪の毛をがしがしと掴まれ、地べたを思いきり引きずられるのが石井の劇の常套、あらがえぬ手順書だから、死はまったく終点ではなく、むしろ起点となって機能している。『夜がまた来る』(1994)しかり、『GONIN2』(1996)しかり。死が幕引きの道具とならない。

 花冷えとなったここ数日は夜気に震え、布団に包まりながら、石井劇画の代表作【雨のエトランゼ】(1979)ばかりを読み返しているのだが、これもまた混迷の度が高いひとりのおんなの死出の山路だった。完全版(*1)がワイズ出版から出されたのは十八年程も前であったが、ミルキィ・イソベの装丁が美しいあの紅い本がどうした訳か見つからない。誰かに貸したままとなったのか、それとも整頓下手の私が迷子にしてしまったのか。仕方がないので古書店から別のものを送ってもらい、昼夜駆けて喉を渇した馬みたいになってがぶがぶと読み返しながら、これは相当に不可思議なひとの最期が描かれた、また随分と石井隆らしい鏡面構造体だといく度も面白く感じた。

 巻末に添えられた反古(ほご)原稿は、石井隆という創造主が秘めた恐るべき執念やワンカットなり台詞ひとつひとつに徹底してこだわる堅牢な作家性をひも解く上で、きわめて重要な付録となっている。作品の熱量と編集人の熱意とが束となって伝導を果たし、こちらの脳髄を温める。やはり名著の風格がある。読み直して良かったと思う。

 出版者、寄稿者の石井劇画に向き合う真摯さにほだされたところが正直あるし、また、このところ私が囚われ続けている考え、人と重力との間をめぐる駆け引きにちょうど巻きつき共振して、【雨のエトランゼ】について考える時間になっている。名美の投身する姿を石井は圧倒的な筆力で紙面に彫り込んでいるのだが、茫然と見送るしかなかった村木同然の虚けた顔になって、なんであんな事になったのか、どうして石井はあの形を選んだのか、めでたい桜の季節なのに、屋上から見やる厚い雨雲ばかりを想っている。

(*1):「おんなの街 Ⅰ 雨のエトランゼ」 石井隆 ワイズ出版 2000

2018年1月6日土曜日

“交差する樹根”~活劇の輸血(2)~




 若い時分の女優の映画スチルと劇画のひとコマを透かし見る行為に、大概の人は呆れているに違いない。妄想癖に付いていけない、誰からも𠮟正されぬのをよいことに当て推量を吐き散らすのは実に危うい話だよ、石井隆を貶めることにもきっとなるに違いないから、いい加減にもう口を閉ざすべきじゃないのか……。

 では、こちらの相似はどうであろう。【黒の天使】(1981)と波長を同じくする殺し屋の話が数篇あり、そこから波及して描かれたのか、それとも先にこっちが産み落とされたのかは不明だけど、単行本「パイソン357」(*1)のカバーを飾った絵がある。1981年に発行された一冊であるのだが、拳銃片手に肉弾戦に臨まんとするおんな殺し屋が、雨のしとしと降りしきる鉄道操車場を駆け回る様子が明暗を強調したタッチであざやかに描かれている。

 幽かな音を聞いたのか、男物の曇った化粧香でも嗅いだのか、それとも粘り気のある邪視をうなじに感じたものか、ぞくぞくっとおんなは戦慄し、勢いよく背後を振り向いたその一瞬の景色が切り取られていた。何という躍動的な絵柄か。年齢相応に新陳代謝が衰えて、腹回りに脂肪を溜め込み始めた自分には到底難しい大きな半身のひねりである。

 瞳はかっと開かれているが、口元に感情は宿っていない。次の瞬間、獲物を見つけた悦びににゅっと口角を上げるのか、それとも不覚、南無三宝、と、きつく真一文字に結ばれていくのか、どちらに転ぶかまるで予測がつかない。相手の銃口が火を噴き、骨が無残に砕かれるかもしれない。鉄道専門用語でバラストと呼ばれるらしい硬い砂利の上で血まみれとなってのたうち、靴音がやがてかたわらに近づいて来て、無防備な白い腹めがけて弾が次々に射出されるかもしれない。

 生と死を巡る闘いの一部始終を読み手に幻視させる、優れて美しい絵画と思う。死線ぎりぎりのところで開花する恋情や愛欲、酷薄な出会いと別れ、想いを裁つ際の勇壮と悲哀。石井の劇調にはそんな綱渡り的な厳しさが内在しているが、これらを凝縮させた渾身の仕上がりだ。“霊腕”という賛辞さえ脳裏にきらめく。

 以前何度か取り上げたように、石井隆の劇画のなかには西洋絵画や映画スチルから派生したカットが交じるのだが、この上体ひねりにも原形となるものがはたして有るのだろうか、と私はずっと気になっていた。これに限った事ではない。石井劇画の総てのコマや描線が暗号となって視神経に貼り付き、何を眺めても相似するものを探し求めてしまう。飢えた冬の鴉さながら、血眼になって頁を繰る狂った自分がいる。

 枕が長くなったが、この絵もまた往年の日活アクション映画(*2)のスチルに基づく。なんだ楽したのか、ずるいな、と短絡されては癪なのでまず断わっておきたいのだけど、石井の行なうこの手の引用は、絵描きの未熟な腕前を補うといった類いの抜け道ではない。この絵にしたってスチルそのものをなぞったものではない。身に纏うジーパンが下肢に食い込んで生じるたくさんの皺や、上着が遠心力でばたつく様子、その柔らかく曲線を作るひだの数々、おんなの髪の毛がさわさわと流れる辺りなど見て取れば、先の浅丘のスチルと同様にモデルを雇い、衣装や小道具を与えた上で映画スチルの俳優の姿勢や動作を再現してこれを根気よく撮影し、新たな静止画と成した上でようやく劇画製作の基礎資料としている。引用と呼ぶには手が込んだ技法が用いられている。

 写し絵ではなく“隠し絵”なのだ。寺社の木鼻や屋根に鳳凰や獅子、巴紋を飾るように、石井は劇中にこれ等映画スチルの面影を強調しながら、時に巧妙にこれを隠しながら無言で配置して、おのれの作品に精気と凄味を注ぎ込もうと尽力して見える。

 浅丘の脇に颯爽と立つのも、また、長い手足をやや折り曲げて身構える二つめのチラシの主も、どちらも赤木圭一郎(あかぎけいいちろう)である辺りにも作者の執着なり企みが窺えるところだ。思えば長編【天使のはらわた】(1978)の冒頭場面において、石井は主人公川島哲郎の妹である恵子を映画館の前に立たせ、頭上の大看板を仰がせているのだが、そこにはその小屋で上映中の作品名が並んでいた。擬似的にはめ込まれた『天使のはらわた』という映画の看板が読者の視野を覆うのだったが、この時二本立てで上映されていた他作品と設定されたのが、赤木の『霧笛が俺を呼んでいる』(1960)であった。

 『霧笛が俺を呼んでいる』は1977年にリバイバル上映されており、『天使のはらわた』の脇に置かれた絵柄の一部はその際のポスターを模写したものだ。実際の上映館にロケした資料を基に作画された可能性が高いが、それだって決して近道ではなかろう。これから連載を開始する劇画のタイトルを擬似看板にして画面に埋め込んだ石井のまなざしに、私たちは映画への強烈な憧憬と志向を読み取っていくのだけれど、実は作者の視線を縛り吸引し、ぎらぎらと乱反射して私たち読者に降りそそがれるのは、そうなることを最初から目論まれたのは、早世した俳優の鮮烈な記憶だったのかもしれない。娘が唇を尖らせ、ふーん、と見上げる角度というのも『天使のはらわた』の方ではなく、『霧笛が俺を呼んでいる』に向かっているところもきっと偶然ではない。

 石井世界とは、祭司である作者の想いが凝結した一種呪術的な大絵巻と言えるだろう。至るところに呪文が添えられていて、絵画や映画への融合が図られ、私たちの意識も無意識も絡めとって、銀幕や誌面に埋もれた暗渠へと誘いこんで行く。総てが何処かで繋がり、激しい伏流水を産み出してなだれ込み、我々を闇へと押し流す。

(*1):「パイソン357 石井隆作品集」 立風書房 1981
(*2):『男の怒りをぶちまけろ』 監督 松尾昭典 1960
(*3):『霧笛が俺を呼んでいる』 監督 山崎徳次郎 1960


 



2018年1月3日水曜日

“樹根の行方”~活劇の輸血(1)~





 女優の浅丘ルリ子の特集本(*1)が届いたので、一頁一頁ゆっくり愛でつつ眺めていたところ、掲載なったスチルの一枚に瞳を射抜かれた。スチルとはスチール、スティルとも書くが、宣伝や広報の素材として用いられる写真のことだ。人口光に包まれた立ち姿はどう見ても劇中場面の再現ではないし、背景は綺麗に消えて身体の輪郭を強調している。街角に貼られるポスターや劇場入り口やロビーを飾るために撮られたのだろうが、その不自然でいくらか硬質の風情が妙にこころを引っ張るところがある。(*2)

 単純に彼女の容姿を好ましく思い、身体パーツのひとつひとつに見惚れていた点を否定はしない。男優のすぐ後ろに立つ浅丘は若く艶やかで、長い髪が波打ちいかにも色っぽい。下半身、ふくらはぎから臀部をカメラ方向に向け、上体はいくらか右方向に回して男優に熱い視線を注いでいる。美しさの基準は時代によってゆるやかに変化するが、半世紀を経た今も女優の官能美はたくましく放射されて読み手の軸心を揺さぶってくる。

 と同時に、例によって網膜に張り付いた石井世界の面影がゆるゆると浮上し、結び目を探して蠢き始めるのだった。わたしが強く想起したのは【黒の天使】(1981)の扉絵の一枚だ。【黒の天使】はひとりのおんな殺し屋“真代”の日常を描いた連作で、熾烈で荒ぶる稼業の実相から彼女の生い立ち、ささやかな恋情とその死までを描いた傑作であるけれど、連載された青年漫画誌においては毎回毎回、小粋な扉絵が劇の冒頭を飾っていた。

 最近の類似する漫画雑誌を手に取りつらつら眺めてみると、連載後の造本を最初から意識してか扉絵を付けない作品が多数を占める。かつて漫画の描き方を子供たちに伝授する教本(*3)には「扉絵は作品の心臓に等しい」とまで書かれてあったのだが、実利中心の世の中にあっては無用の長物と見なされているようである。

 【黒の天使】の執筆時はそこまで窮屈な世相ではなかったから、石井は筆力を尽くして一枚一枚扉を描いていったのだが、その多くは進行中の物語と直接繋がらない顔立ちであり、主人公のおんな殺し屋やその助手の娘が背景のない場処に佇立する姿であったり、寝そべる様子だったり、スパイ映画のヒロイン並に銃を構える華やかな姿であった。つまりそれは映画の宣材撮影のためにスタジオ入りし、衣装や化粧を施されてホリゾントの前に立つ女優の気配に満ちたものだった。

 浅丘の写真を見た私の脳裏で、石井の扉絵は一種のスチルとして改めて認識されて急浮上した訳である。映画狂を自他ともに認める石井であるから、扉絵を映画スチルと同位置に捉えて大事に取り扱うことは大いにありそうな事ではあるまいか。読者には不可視の刷り込みを盛り込むことは、十分に起こり得るだろうと無理なく考えた。

 さて、実際のところはどうであろう。モノクロームの浅丘の立像と、わたしが勝手に連想した石井の扉絵を並べ置くと身体の向きは正反対である。もしかしたら、と左右反転して見比べてみれば、極めて似てはいるけれど単純にトレースしたものではないのが分かる。私の勘違い、早とちりであった。

 浅丘を撮った位置よりずっと低いところに石井は視座を置き、より仰角気味におんなの全身を捉えている。それに石井のおんなは浅丘よりも肉感的であり、胸も大きく、ふくらはぎもむっちりとしている。ぎゅうっと力んで床を踏み締め、盛り上がった筋肉が皮膚下に感じられる。ふたつ並べてようやく気付くのだが、腹から上の姿勢は浅丘よりも堂々と反っていて圧倒的に悠々しい。服のひだや四肢のバランスから、石井は実在のモデルを用いてポーズを取らせ、これを丹念に写実したのは間違いないのであって、浅丘を撮ったスチルをそのまま原像に用いてはいない。

 無理矢理に妄想を引きずり喰い下がって考えれば、浅丘のポーズを自身の雇ったモデルに真似させ、撮った写真を元にして石井が扉を描いた可能性はゼロではないように思う。【黒の天使】という劇に日活映画のアクションを輸血すべく、往時の残影を求め、女豹のような女優のスチルを選んで果敢に再生したのじゃなかったか。想像すればとても愉快だし、もしもそれが本当であれば【黒の天使】の論考も修正されるだろう。

 石井の活劇の樹幹がどのような土に喰い込み、どんな養分を吸ってきたか。フィルムと劇画を連結することを夢見て、徹底して「映画を描いていた」石井とその作品群を語る上で、枝葉だけでなく樹根の先も目で追う必要に迫られるのだし、時にはシャベル片手に掘り起こすことも大事になってくる。

(*1):「女優 浅丘ルリ子」 キネマ旬報社 2014
(*2):「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」 監督 野口博志 1960
(*3):「小学館入門百科シリーズ10 まんが入門」 監修 赤塚不二夫 1971初版発行 手元にあるのは第6刷(1973) 126頁




2017年9月20日水曜日

“救助者”~【魔樂】推想(2)~


 【魔樂】(1986)で人体めがけて振り下ろされ、肌を割り裂いていく斧。単なる小道具を越えた作者の執着が感じ取れるのだけど、これを“趣味”のふた文字で了解して良いのだろうか。

 確かに石井隆は斧を好んで使う。【黒の天使】(1981)のエピソードで狂った元傭兵がびゅんびゅんと振り回すし、脚本を提供した『ちぎれた愛の殺人』(監督 池田敏春1993)での名美(余貴美子)も斧をぶらさげて姿を現わし、最後は夫の村木(佐野史郎)も大上段にこれを構えて人生の幕引きをしたのじゃなかったか。そういえば、【デッド・ニュー・レイコ】(1990)にも大斧を携える屈強な女アンドロイドが登場する。

 なるほど、重量感のある斧は視覚的によく映える。日本刀や小銃の扱いは武芸者なり殺し屋の技量や年季に左右されてしまい、勝敗の予想を狂わせてしまうけれど、斧というやつは誰が振り回しても当たればただでは済まないと思われ、ぶんぶんという風を切る音だけで相手は目を丸くしてたじたじとなる。観客の恐怖を煽り、娯楽色を強める。その辺をわきまえた差配と考えることも出来よう。

 でも、【魔樂】において殺生の対象となるのは、睡眠薬で朦朧状態に陥ったか、当身(あてみ)で気絶させられ、その挙句に手足を縄で縛られて完全に自由を奪われたおんなたちだ。そんな無抵抗の者に向けて鋭利な万能斧を真一文字に振り下ろす行為というのは、武芸とか決闘とは無縁の局面だろう。ここでの斧は武器の範疇には含まれず、端的に言って処刑の道具、もしくは一撃必殺で打ち倒す屠畜用の器具になっている。争いを前提としない一方方向の仕組みとして万能斧は採用され、【魔樂】という劇中で荒い息を吐いている。

 「おんなに打ち込まれる斧」という図柄だけを取り出して視線を注ぐとき、即座にフョードル・ドストエフスキーの「罪と罰」(1866)を想起する人もいるだろう。おいおい、勘弁してくれよ、まさか本気で言っているのかよ、【魔樂】は単なる人殺しの話であって中身なんか皆無の猥本に過ぎないだろう、と、失笑交じりのざわめきが耳に届くようだけど、一時は「劇画界のドストエフスキー」の異名をとった石井だ。簡単に連結をほどいて良いのかどうか、時間を割いても悪くないように思う。

 ドストエフスキーの「罪と罰」は承知の通り妄想癖の強いロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフという男が質屋を営む老女を殺害し、その死体を目撃して硬直した老女の義妹を続けざまに殺して金品を奪うことに端を発する魂の遍歴を描く。ここまで縮約すると𠮟られそうだが、いまは何より殺害場面の熾烈さこそが大事だ。

 老女アリョーナ・イワーノヴの殺害方法は背後から忍び寄り、斧の背部分で後頭部を連打し、頭蓋骨を陥没させて死に至らしめるものだったけれど、主人公ラスコーリニコフを当惑させ、その後ずっと魂を揺さぶり続けるのはこの老女の撲殺ではない。隣室を物色するうち、入り口の方で音がする。惨劇について何も知らずに帰宅した義妹リザヴェータ・イワーノヴナが、血の海を前に立ちすくんでいるのだった。手の平をこちらにかざすだけで顔面を守ろうとさえしないおんなに、真正面から歩み寄り、その頭頂部に斧の刃先を思い切り打ちこんでこめかみの辺りまで深々と叩き割った二度目の行ないに対し、主人公は心底戦き、いつまでも打ち震える羽目になる。このリザヴェータ殺害の場景の切迫した描写というのは相手が無抵抗であるがゆえに、また、斧の刃先が肉体を幹竹割りする惨たらしさゆえに、石井の【魔樂】と重い共振を為している。

 石井の【魔樂】が「罪と罰」に触発され、下敷きにした訳では勿論ない。見える限りにおいては、血だらけの斧以外に共通するところは無い。しかし、石井が「劇画界のドストエフスキー」といつしか呼ばれたその理由に思いを馳せるとき、両者間に共通するものとして、描写の熾烈さ、人物相関の緻密さ、グロテスク・リアリズム、内観の深さという点があったのは間違いない。当時の読書好きの文学青年たちが石井劇画と文豪の小説に通底するものを確かに視止めた、その結果こそがあの譬(たと)えなのだ。だとしたら、【魔樂】だって「罪と罰」並みの重層構造と最初から捉えるのが正しかろう。斧から放射される重奏する面持ち以上に、私たちが留意すべきは実は其処のところなのだ。
 
 連載誌の都合によって中断の憂き目に遭い、単行本化にあたり「かたちばかり書き足してラストらしく繕って」(*1)なんとか物語の体裁を保ったと石井は書く。殺人鬼がさらなる獲物を手にしたという至極簡単な説明であり、それも、第一話の冒頭と酷似したものだった。つまり、物語はふり出しに戻された形にされており、要するに阿鼻叫喚の地獄図は永劫に続くという解釈を読者は強いられた訳である。どこか状況に倦んだ気配が石井にはあって、もうそれで構わないと登場人物たちの一切を棄て置いてしまった。倦んだというのは言い過ぎかもしれないけれど、【魔樂】は撮影半ばに制作を中断させられた映画にも似た状態にあるのは十分意識して良いところだ。

 振り返れば石井の劇は激しい終幕を特徴とする。たとえ主人公が精神を病んで現実から乖離し、魂がきりもみ状態に陥っても、そこに至るまでにはきわめて苛烈で積極性をそなえた(映画的と言ってもいい)境界面の破壊行動がともなうのが普通だ。『花と蛇』(2004)や『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が典型だろう。ループ直前には愛する者、愛してくれる者の犠牲が生じてしまう。現状そのままに揺動もまるで無くするすると閉塞していく、そんな平坦な顛末を石井は好まない。昔と同様の生活を送ろうとする者、送らざるを得ない者には壮絶な痛みをともなう欠損が雷となって襲い掛かる。

 この定型に倣うのであれば、【魔樂】の殺人鬼が「日常」(誘拐と殺害を繰り返す行為ながら、彼にとっては十分に慣れ親しんだもの)を続けるには、“愛着ある何らかの者”の欠損が在らねばならない。【魔樂】という物語はそこまで至っていない。その意味でいまだに幕は閉じられていないし、単行本の内容をもって石井の構想はおおよそ形を成したと捉えるのは見当違いと言わねばならない。劇はまだ序番を終えたところである。

 読者はいかに困難であってもさまざまに想像をめぐらし、石井の過去作や近作と照らし合わせ、また、石井が読んだ、もしくは読んだかもしれない古今東西の名作の残照を手懸かりとし、登場人物の「その後」をどうにか見定めなければならない。【魔樂】という物語は其処を経て、ようやく私たちのこころの入り江に漂着するように思う。

 ふたたびロシアの小説に戻れば、ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ)という娘が筆先から産み落とされる。家族を飢餓から救うため、街頭に立つ決意をした若いおんなだ。地獄を描くことによって「救い」を描く芳年の絵さながらに血まみれの小説世界に着地している。識者が「救助者」(*2)と表現する存在であるけれど、【魔樂】においてこれと同じ役割を担わされたのが第5章の末尾から登場する「山部明香」と名付けられたおんなだったはずである。【魔樂】は先行する【魔奴】(1978)を発展させたものと呼べるから、【魔奴】にて“語り手、目撃者”に選ばれた「愛」という名の少女と同程度、またはそれ以上の厚みなり重さで物語に食い込んだはずだ。

 これまでの石井の作風からして、既に大勢の女性を殺めてしまった男の罪(*3)を司法の手にゆだねるはずはなく、おそらくは血と雨と青白い光に染まった大団円が闇の奥に待ち受けたはずである。当然ながら森の奥の廃屋が背景幕となり、息を呑み呻くしかない終焉が描かれたことだろう。身じろぎ出来ぬまま「救い」について延延と深省する、そんな夜がきっと在ったと考える。

(*1):「魔樂」 石井隆 ぺヨトル工房 1990 あとがき
(*2):「ドストエフスキー人物事典」 中村健之介 朝日新聞社 1990  218頁
(*3):「魔樂」第4章「悪魔のしづく」にて、男の前に被害者の断末魔の影が同時に出現する。数えてみると14人もいる。





2017年9月12日火曜日

“最後の浮世絵師 最初の劇画家”~【魔奴】と【魔楽】への途(みち)~(10)


 【魔奴】(1978)の制作にあたって芳年の絵、特にその無惨絵の継承が図られたと考える根拠は、芳年の再評価と個展開催の時期と【魔奴】の発表が重なる点だ。以下は「月岡芳年画集」巻末にある略年譜から拾った。

昭和四十八年(一九七三) 七月、高橋誠一郎コレクションによる「明治浮世絵展」がリッカー美術館で開催され、清親、芳年、国周が展示される。
昭和五十一年(一九七六) 二月、幔幕絵発見記念の「一魁斎芳年展」が東京の大阪フォルム画廊で開催される。九月、「月岡芳年展」が京都新聞社主催で、京都大丸で開催される。
昭和五十二年(一九七七) 七月、「月岡芳年の全貌展」が西武美術館で開催される。(*1)

 芳年ひとりに絞り込んだ展示会は1976年より始まり、400点もの秀作を集めた翌年の全貌展において世間の反応は沸騰している。そもそもこちらの画集自体が西武美術館での個展の反響を経て出版されたものだし、先述の横尾忠則の小文を載せた古い美術誌の特集にしたって全貌展の開催に合わせて編まれたものだ。石井隆の【魔奴】はこの盛り上がりの直後に描かれている。

 全貌展のパンフレットの墨色に染まった幽玄な顔付きの表紙をめくれば、最初に目に飛び込むのが「最後の浮世絵師 最初の劇画家」(*2)という副題である。これを手にした石井の衝撃とその後の発奮というのは、考えてみれば至極当然なことではあるまいか。前年1976年に【おんなの顔】、【街の底で】、【紫陽花の咲く頃】、【水銀灯】、【赤い教室】、【蒼い閃光】、【白い汚点】と傑作を次々に発表し、長期連載の【天使のはらわた】をいよいよ始めた劇画界の寵児たる石井の眼前に、芳年が“最初の劇画家”として紹介されたわけである。彼の存在を身近に感じると共に、劇画とは何かを考えさせられる契機となっただろう。

 以前書いたように石井と芳年の遭遇はずっと早い段階にあって、おそらく1950年代の終わりか60年代のごくごく浅い時期であり、馴染みの理髪店に置かれていた今風に言えばパートワークに当たる「傳説と奇談  日本六十余州」に使われた「奥州安達ヶ原ひとつ家の図」が最初であった。以来、芳年は石井にとって興味ひかれる絵師となっていく。(*3)  全貌展で石井が実際に目にしただろう幾つか、妖魔や武者を描いたものは既に「傳説と奇談」の中で見ていたはずだが、血生臭い無惨絵をまざまざと瞳に焼き付けたのは多分この時期に集中しただろう。石井世界にあって“不自然”さを付随させた【魔奴】という中篇は、石井の内部に黒い波が押し寄せて走った一種の亀裂だった可能性がある。

 誤解してはならないのは、石井が芳年の無惨絵にむざむざ浸食され、ひれ伏した訳ではないという点だ。画風や物語の様相が残虐一辺倒へと雪崩打つように変化してはいないのであって、むしろ石井が芳年の無惨絵をすっかり消化し、自身の劇画をより深化させている。芳年ブーム以前の【紫陽花の咲く頃】、【水銀灯】、【蒼い閃光】といった作品においても肉体は傷つけられ、血の塊がぼたぼたと落ちていたから、芳年を見てようやく血に目覚めたわけではないのだ。ただそれら全貌展前の人体殺傷の表現は、ヤクザ映画に見られた刃傷沙汰なり、舞台や時代劇に描かれた切腹の再現にするりと収まり、いくぶん定型に陥っていたように感じられる。

 手首や下腹部が真一文字に斬られる様子は痛々しく仰天させられたけれど、調和的というか観念的というか、どこかで見たような気もする刃先と傷口が露出して見えた。沈鬱な空間に手招きされた読者は乾いた石鹸のようにこわばった表情でひたすら頁を繰ったけれど、とめどなく溜め息が漏れ続けても呼吸が止まることはなかった。

 【魔奴】以降の石井作品、劇画に限らず映画の演出でもそうだけど、傷つけられ殺められる肉体描写はより突発的となり、読み手の想定を大きく逸れたものとなった。どこをどのようなタイミングで傷つけられるかを被害者も目撃者も予想できず、痛覚の伝達よりも先に、当惑、不可解、悲哀といったものがもぞもぞと蠢き、その後で恐怖と苦痛にのたうち回った。

 【雨のエトランゼ】(1979 )の墜死とその目撃、【その後のあなた】(1980)での頚動脈の裂傷、【黒の天使】(1981) にて針で貫かれる眼球、腹部から突き刺さり背中まで至る改造三脚、強く握りしめたナイフからしたたる鮮血、【愛の行方】(1980)での無言の強襲、『GONIN』(1995)のドア底の隙間からの弾丸射出と臀部銃創といった血の景色に最初に出会った時を思い返すとき、我が目がまるで信じられず束の間の呼吸停止があった。傷付けられること、命を奪われることは完全に不意討ちに近づき、狙われる部位は定まらずに身体も心もまったく守りようがないのだった。調和など一切なく、不穏さが増した。暴力と死が暴れ狂って思考が瞬時に凍りつくようになった。石井の劇は加速度をつけて現実味を増したように思われる。

 美術評論家は絵画と劇画を別次元と捉えるのだろうが、わたしは芳年の後継者として石井隆がこの世に在ることを信じるし、それはこの上なく普通の事と捉えている。

(*1):「月岡芳年画集」 瀬木慎一 講談社 1978 略年譜 139頁
(*2):「月岡芳年の全貌展 最後の浮世絵師 最初の劇画家」 編集 瀬木慎一、高橋誠一郎  西武美術館 1977
(*3): http://grotta-birds.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html



2016年12月26日月曜日

“ドッペルゲンガー”(4)


 石井世界において“風景”は単なる舞台装置ではなく、人間の精神を拡張させた確かな存在として働いている。どれだけ静慮に価するか、二、三の分身譚を通じて読み解いてきた。

 “風景”の話からはやや横道に逸れるけれど、少しだけ影法師そのものについて想いを馳せたい。「ウイリアム・ウイルソン」等のよく知られた怪談とは異なり、石井の劇では同じ顔立ちの相手と鉢合わせして視線がからんでも、驚愕したり拒絶することなく、即座に自分自身と認めてにじり近寄っていく。具体的には『甘い鞭』(2013)の終局に出現した分身とそれを前にした反応を指すのだが、その様子がなんとも風変わりである。相手に対して一切の反撥を覚えず、同じ磁場に取り込まれたようにして一歩、また一歩と近づいていく展開というのは、私には十分に不自然で独特の展開と思われるがどうであろう。

 厳密にはドッペルゲンガーとは呼べないにしても、石井の劇には相貌を近しくする者への物狂おしい拘泥があり、また、鏡像に対する頓着も明らかだ。これらは同根の事象であり、石井世界を解読する上では容易に外せない点と感じられる。

 たとえば、二、三の作品をここで例示するならば【黒の天使】(1981)の一篇【ブルー・ベイ・ブルース】がまず浮上する。1998年のまんだらけ版で大幅に改稿され、ゲストの不良少女の顔が主人公の殺し屋、魔世というおんなに極めて似た華やかな面貌にことごとく改められた点が印象深い。また、1984年に発表された【赤い微光線】にて、石井の代表作【天使のはらわた】(1977)の主人公‟川島哲郎”を彷彿させる無頼、川島が登場し、名美をめぐってその恋人である優男(やさおとこ)村木と正面から衝突し掠奪を繰り広げる辺りがそうであって、極めて異色でありながらも石井という作家の心髄が露出した瞬間ではないかと思う。特に後者の男ふたりは似た顔立ちであることを宿命づけられながら、双方共にこれに全く触れることなく、化粧台の鏡像のように黙々とおんなを挟んで向き合っていき、さらには終盤におよんで徐々に容姿の段差が埋まっていくのは玄妙この上ない。 (*1)

 心理学や動物行動学では雌雄が惹かれ合う条件は何であるのか、「配偶者選択行動」という題目で研究されているが、それによれば遺伝学的に遠すぎず近すぎず、ほどほどの距離をもった相手が選ばれやすい。夫婦が似るのもそれが一因という。また、ふだん鏡などを通して見る自分の顔を基準とし、似た面立ちの犬を飼ってしまう傾向が私たちにはあるらしく、これを「親近性」と称すると専門家は書いている。(*2)

 確かにそういった現象は散見されるけれど、日常の赤の他人と交り合りにおいては連れ合いやペットを求めるような取捨選択の意識なり行動はともなわない。多くの場面が受け身であったり、無理に押し付けられる出逢いであって、そこでうり二つの相手と対峙する羽目に陥ると自由が利かない分、生理的にいかにも気色が悪い。

 余程の自信家でなければ人は自分と似た他者を即座に受け止め、無条件に愛せるものではない。了見の狭い、歪んだ過剰反応だろうか。私などは相手の厭な部分、それは寝癖が取れぬままの髪や伸びた鼻毛であるかもしれないし、バランスの悪い目鼻立ちや頓珍漢な服装、それに、場慣れせずにおどおどした身振りといった外面の困ったところ、はたまた言葉の端に出る底意地の悪さ、凡庸な頭を晒す滑稽な会話など内面の恥ずかしい部分がやけに目についてしまい、我が身の弱点や未熟さを指摘されたような後ろめたい気がして思い切り遠ざけたくなるか、別のテーブルに逃げたくなる。

 ブラッドベリの短編に双子を題材にした作品があって、ひと言で書けばうつくしい姉妹が徐々に仲たがいしていく様子を描いた内容だけど、これなどは実に気持ちにしっくり来る話だ。顔だけでなく服装も仕草もそっくり似せることを信条とする姉妹の間に波が立ち、弦が切れるようにして心が乖離していく。やがてその肩割れが体型を変え、髪の色を変え、服を変えて抵抗を始める。人には本来、近親憎悪とも言うべき魂の渦があって、なるほど親しみを抱く瞬間もあるだろうが、同程度かそれ以上の嫌悪も生まれ落ちる。(*3)

 石井の劇における鏡像はなぜかそういった不快をもたらさず、愛着の対象にしかならない。作家の性格と言ってしまえばそれまでだが、この絶対的な傾性が石井世界の底のほうでマントルとなって流れており、一定の方角に押し流している。それぞれ独立した作品たちを群体のなかに引き止め、その総身に重い勢いを与えている。

 劇画【黒の天使】の最終話にて、ヒロイン魔世ときわめて似た面立ちでありながらもこれまで繊細に描き分けられていた助手役の娘、絵夢が、死者の服を纏い、遂に主人公の相貌とひとつになって、仇討ちのために裏組織の本拠地に乗り込んでいく姿の切迫しながらもひどく甘苦しい気分というのは、石井の鏡像嗜好のひとつの到達点であり、今もってまばゆい熱源となっていて忘れ難い。


(*1): いずれも石井の劇特有の不自然さが愉しく、以前別の枠で取り上げている。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=312127000&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=216419068&owner_id=3993869
(*2):「美人は得をするか 「顔」学入門」 山口真美 集英社新書 2010  107-111頁 
(*3):「鏡」The Mirror レイ・ブラッドベリ 「バビロン行きの夜行列車」(ハルキ文庫 2014)所載


2015年12月27日日曜日

“ヤングコミック”


 石井隆に最初に触れたのは、図書館の書棚を介して、映画監督実相寺昭雄の著書(*1)に載った数点の挿画だった。発売から少し経っていた。単行本がその時点で何冊も書店に並んでおり、独自のスタイルを確立して色香がより増した【黒の天使】(1981)を雑誌に連載中なのだった。以来愛読者のひとりとなった訳だけど、つまり、わたしは石井劇画が平穏な日常に突如出現し、それが鎌いたちのように世間を切り裂いてどれほど大きな衝撃をおよぼしたか、彼のデビュー当時の目撃体験を全く持たない。この事につき悔しく、残念に思うときがしばしばだ。

 人が実際に感じ切ったその時どきの微妙な気配というものは、その人限りに宿るのであり、後世の誰彼に譲ることは出来ない。全宇宙で唯一無二のものだ。政情の変化や衆意の斜度、戦争との距離はいかばかりで、道ゆく人の頬に弛緩があったのか緊張が走っていたものか、鼻腔に飛び込むのは薫風であったか不潔臭だったか。いかに達筆な文章を読んでも、そんな時代感覚までも残らず共有することは相当に困難だ。他人の体験はどう足掻いたって自分のものとはならない。

 だから、石井隆の過去作を私がいくら探し求めて読んでみても、当時の世間の熱狂を知ることだけは絶対に叶わないし、それが石井という作家にどんな具合に創作意欲を湧かせ、同時にどのような失望を与えたか、そしてそれ等が作風にどんな影響を及ぼしたか、この点を踏まえた俯瞰なり解読がならない。きわめて大切な部分と思うが、ここは山根貞男か権藤晋にでも託すしか道はないだろう。

 石井のかつてのホームグラウンドは「ヤングコミック」であったのだが、同誌に関わる本が最近出されており、目で追いながら歯がゆい思いを抱いた。いずれも別の作家、手塚治虫と上村一夫(かみむらかずお)をめぐる本であり、世代的に、加えて嗜好的に両者に対する興味と憧憬は以前から強くある。また、ふたりの名はインタビュウ中で石井の口から度々出てもいる。彼らを知ることは石井を知ることに繋がるように信じているから、頁をめくる毎に喜びが寄せては来たのだけれど、リアルタイムの熱狂を知らぬもどかしさは解消ならず、渇きは癒されるとは逆に増すばかりであって実に困った。生まれるのが少し遅かったように思う。

 二冊とも“少年画報社創業70周年記念”と謳っている。ひとつは「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」(*2)であり、編集者として時代の先端を歩んだ著者橋本一郎が体感した手塚プロダクションの盛衰と作家の苦闘の様を中軸とし、加えて漫画およびアニメーションのキャラクタービジネスの黎明期をつぶさに描いてみせた労作である。勢いのある筆致に胸を躍らせて読み進めた。金脈を探し当てるのは常に若い情熱であり、そのほとんどが世間の目の触れない場処での泥だらけの採掘と知る。数々のエピソードを通じて苦労がじわりと伝わって、今更ながら頭が下がる思いがした。

 橋本は「増刊ヤングコミック」の編集者として、その頃まだマイナーであった石井隆の作品、具体的には【埋葬の海】(1974)の再録を同人誌に見つけて唸り、彼を登用し、その後の石井の劇画人生、そして映画作家としての新たな幕を切って落とした人だ。当時の熱狂を懐旧して以下のような文章を綴っている。創り手側に起きたどよめき、震動が感じ取れる貴重な証言となっている。

 私がかわぐちかいじの仕事場にあった同人誌『蒼い馬』で見つけた鬼才、石井隆が、増刊にデビューすると、読者ばかりでなくマンガ家、編集者、作家、評論家、映画関係者にも想像を絶する衝撃を与えました。彼のみずみずしく豊潤な情感を流し込んだ作品によって、(中略)劇画は革命的に一変し、部数は右肩上がりになりました。それは私にとってたまらない快感でした。(315頁)

 想像を絶する、革命的に一変、という表現ふたつを、石井世界を愛する者は記憶に刻んでおくべきだろう。

 もう一冊は「ヤングコミック・レジェンド 上村一夫表紙画大全集」(*3)であり、1969年の夏から1980年の春までの10年以上に渡って描かれた上村の表紙画を紹介したものだ。上村のおんなの造形に惹かれる者にとって、絶対に見逃せない内容となっている。該当する号の幾つかを購入し、また、新宿早稲田の現代マンガ図書館で眺めてもいるが、こうして一堂に会した姿というのは壮観であるし、方角を石井とはまるで違えてはいるが、おんなという存在を終生にわたって凝視め続け、筆の先に探し求めた上村という男の鼓動や血流が感じ取れるようで胸に迫るものがあった。

 技法に関する記述としては、これら表紙の構図やテーマ、そして配色に関して編集部(筧悟、岡崎英生ら)とデザイナーも加わっての共作であった点も分かり、視野がぐんと広がった。美女画と共に題字も活き活きと配され、今見ても新しく感じる箇所が多い。現在の書籍の表紙にはホログラフや擬似エンボスが溢れ返り、写真製版も完成された観を呈しているが、70年代には手法も技法もまるで手探りであったわけで、毎号が冒険に次ぐ冒険、掟破りの連続だったことだろう。新しい表現を模索する出版人の息吹き、まなじりが確かに感じ取れるし、商品デザインに関わる人には示唆に富む内容かと思われる。

 石井に関する記述は無いに等しいのだが、掲載された全260枚の表紙が世に出た時期と、石井劇画が「増刊ヤングコミック」からこの「ヤングコミック」本誌にも活躍の場を広げ、名作を創出した時期とは重なるところがある。だから題字の扱い方を目で追っていくと石井作品への読者の支持がどれだけ急激に、巨大に膨らんだのか理解出来るところがあり、その点で貴重な資料となっている。

 1975年夏の初登場からして目立っているのだが、直ぐに題字のポイント数が上がり、置かれる場所もトップポジションとなり、【天使のはらわた】が映画化されると別格扱いとなった。1979年6月27日号では【おんなの街】の連載開始を大々的に報せて、何と作者名と題字は「ヤングコミック」という誌名とほぼ同じ大きさで組まれていて物凄い。

 こうして自身の筆名と自作のタイトルが大きく取り上げられる恍惚と圧力はどれ程のものだったろう。また、そのような神輿(みこし)に担ぎ上げられて後、通常の扱いへと戻された時の淋しさと焦りはどれほどのものだったろう。才能がない自分には無縁のことだし想像のしようがないのだけれど、いまだに人気漫画作家の幾たりかはその後の空虚さに耐えかねて自らの命を断っている訳で、創造を糧とする者、人気商売に関わる者に襲いかかる牙は全く容赦がなく、凄惨この上ないと感じる。

 石井隆という作家を考えるとき、わたしは常に「ヤングコミック」登場時の大きな波を思い描き、その水圧や高低差がどれほどだったかを懸命に手探る。これに耐え抜き、今も泳ぎ続けているしぶとい泳ぎ手として、いまの石井を捉える。
暗礁に叩きつけられ、塩水を呑み、砂を噛む思いをどれだけしただろう。彼のドラマに常ににじみ出る苦労人のまなざしは、こういった背景に醸成されたのではなかったか。

 なにくそ、なにくそ、と懸命に水をかく石井の背中を思うと、自分も負けられないという気持ちが自然と湧いてくる。そういう息の長い作家を偶然知ることが出来たことは、私たちにとって何よりの幸せであるように思う。

(*1):「闇への憧れ―所詮、死ぬまでの《ヒマツブシ》」 実相寺昭雄  創世記  1977
(*2): 「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」 橋本一郎 少年画報社 2015 ウェブで知己を得た手塚ファンがいて、彼の書き込みから著者の経歴と本の内容を教わった。これを読んでくれていたら、感謝です。教えてくれてどうも有り難う。
(*3): 「ヤングコミック・レジェンド 上村一夫表紙画大全集」 少年画報社 2015


2015年10月4日日曜日

“橋面(きょうめん)から見下ろすもの” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(3)~


(注意 物語の結末に触れています)

 『GONINサーガ』(2015)という河には三層があって、水底の流れ、水面の流れに加えて、もう一箇所、さながら川をまたぐ橋の上の方から無言のままたたずみ、じっと下方を見つめる集団が居る。知っての通り“死者たち”なのだけれど、劇中の何処にどんな容貌、いかなる風情で出没するかはあえて書かない。

 強調したいのは、石井作品の劇中において、死を経て霊体化する現象には事欠かないという点だ。『月下の蘭』(1991)、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)、『ヌードの夜』(1993)、『GONIN』(1995)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(同)という作品には先に逝った者が遺された者の“始末”を手助けするがごとく不意を討って出現し、去来する様ざまな想いをこめた瞳で凝っとこちらを見やる場面が登場する。石井作品には霊的存在との共存が常にあって、だから今回の劇中の彼らにつき違和感を一切感じなかったのだけど、19年を経て執拗にまとわりつく彼らの存在感が際立っていて、『GONINサーガ』(2015)という作品の影の主役となって感じられる。

 『GONINサーガ』で明確に実体化した霊魂(および霊現象)につき、私たちはどのように捉えるべきか。考えを若干整理してみたい。それは当作のみならず、石井隆という作家の死生観や彼の創り出す物語全般の見方を探る上で意味ある作業と思えるからだ。

 これまでの石井の劇において、話の大前提として、彼らが実存しているのかどうか、これさえも曖昧であった。熱病や狂気(臨死体験を含む)に侵された者の幻影という状況説明がほとんど並走しており、観客に限らず劇中人物も判断の留保を余儀なくされる。(*1)  明確に自分自身を霊と名乗ることはないのだし、現れたら現れたで、なんとなくその思いの丈を窺い知ることは出来そうなのだけど、目的があるのか無いのか判然としない場合が多いのだった。あまりに唐突に出現して、表情も乏しく、やがて煙のように消え失せてしまう。 

 復讐のために明界(このよ)に舞い戻る「四谷怪談」であったり、処刑される恨みを晴らさんと末代まで祟ってやると絶叫し、それがきっかけで摩訶不思議な物語がスタートする「南総里見八犬伝」の玉梓(たまづさ)のように、霊的なるものが確固たる名乗りを上げ、その強烈な意志や主張が劇の主軸となることは物語空間では膨大な数としてあるのだけど、石井の劇では一見、怨みや祟りが物語の燃焼機関となって燃え盛ることはなく、たたずむ者、見つめる者としての立ち位置を彼らはほとんど崩そうとしない。一貫してその辺りは変わらないのではなかったか。

 しかし、今回の『GONINサーガ』では手を変え品を変え、複数の霊術が挿し入れられており、随分とにぎやかな印象を受けるのだった。これは、今作の目立った表情と言って差し支えないように思う。全くもって騒々しい彼ら(それ等)を強いて呼ぶなら、はてさて、幽霊なのだろうか、それともお化けなのだろうか。怨霊とでも呼ぶべきまがまがしき存在なのだろうか。だいたいにしてそんな色分けが石井世界で為されているものだろうか。

 古い本になってしまうが、「日本の幽霊」池田弥三郎著(中央公論社 1959)を手元に置いて助力を乞う。これと同じ姿かたちのものが、生前の井上ひさしの書庫にも収められていた。あちこちに細かく丁寧なメモ入りの紙片が挟まれており、熱心に消化した形跡があったのが瞳に焼き付いているが、なるほど池田の文体は軟らかく、体系付けて書かれており分かりやすい。論じる速度も緩やかで浮力もあり、凡人の頭でも至極読みやすい。

 池田によれば日本の“ゆうれい”の特色は、「相手がどこにいようとも、特定のその人の目前に現れようとしたら、どこへでも出て来る」(31頁)事だそうである。「人を目指して出現する」これを「幽霊」という漢字を当ててはどうかと説いている。

 また、「雨月物語」の「浅茅が宿」の女の“ゆうれい”は七年以上の別離の間、主人の帰りを待ちわび、また、「今昔物語集」の巻二十七の「人妻、死して後に本の形にとなりて旧夫に会う物語」ではどの程度の月日かは書いていないが、「男のいる任地へなり、出かけて行ったらよさそうなものなのに、出かけないでじっと待っていた」律儀なものとして描かれる。「そのゆかりの土地、場所において、この世に執念の残る者」であり、この手の“ゆうれい”は時として「人を選ばない」、「その場所に偶然行き合わせた者なら誰でもその怪異にぶつからねばならない」存在となっていく。「その代わり、この方のゆうれいに会わないためには、そこを出ると知ってさえいればいいわけで、そこに行くことを避けさえすればいい」のである。池田は先の「幽霊」と区別して、こちらを「妖怪」と称した上で考察を深めていく。
  
 面白いのでもう少しだけ書き写したいのだが、池田はこの「幽霊」と「妖怪」に共通する論点として「恨みのあるなしということが重なって来る」のであり、特に「幽霊」ともなると大概が恨みを持っているがゆえに、常識的に「恨めしや」と言いながら出現する、それが世間一般での考え方と読者に同意を求めていく。確かにそう思わざるをえない。怪談映画のぞっとする場面をたくさん思い出す。

 しかし、ここからが池田の秀でたところで、間髪いれず生前の泉鏡花と交わした会話内容を振りかえり、どうもこの常識的な幽霊像が「ある一部に極度に発達した」ものではないかという疑問を提示し、加えて「歌舞伎芝居」を通じ、特に「敵討ち」の劇を経過することで、「怨霊」として人為的に発動したものらしい、との推察を巡らしている。人が娯楽目的に作った物語が、観客の、さらにはわが国の民俗全般の実態に徐々に影響を及ぼし、「特定の誰彼ばかりではなく、その人を含めた一家一門、あるいはその住む村なり町なりへ、恨みのほこ先が向けられて行く」ように造作されてしまったと結論づける。(38-49頁)

 例外的なもの、特異なものもあるだろうから整然と区分け出来る分野でも当然ない訳だけど、本来の日本的な“ゆうれい”、古くは“もの”(もののけ「物の怪」や、もののふ「武士」というように展開)と呼称された精霊のような存在は、そこまで恨みがましい黒々とした影を引きずってはいなかったらしい。そりゃそうだろう、誰もが深い恨みを抱いて死ぬ訳ではないのだし、けれども誰もが現世にほんの少しの未練を残して命日や盆には生者の元に帰還する。それが私たちの隣人の本来の姿だ。日頃は漠然と恐れていた彼らを、少し身近に、等身大に感じられて得難い読書であった。

 もちろん読んだ目的は石井世界での、何より『GONINサーガ』での霊示や霊障を考える時間であったから、読み進める流れのなかで次々と記憶と知識が結束して随分と刺激を受けている。結論から言えば石井作品での幽霊譚は、『ヌードの夜』(1993)がその代表格だけど、想いを残した人に対して憑くところがあって、現世のあちこちに建っている家屋に住み着くような「妖怪」では決して無いように思う。劇画のタナトス四部作や『フィギュアのあなた』(2006)のような、彼らが住まう夜の廃墟は既に越境を果たして後の冥界(あのよ)であるか、生死の境界上に裂けたほころびと決まっているのであって、未練がましく明界(このよ)の現存する不動産物件に身もこころも縛られては見えない。

 恨みを深く抱き、祟(たた)ることも皆無なのであって、池田の指すところの古き“もの”に性質は極めて近しいように思われる。たとえば劇画【黒の天使】(1981)で主人公のおんな殺し屋が営むスナックに夜霧とともに出没する被害者たちは、誰もが押し黙ってカウンター席に座るのみであって、これからおんなの身を襲うだろう数奇な運命を微かな片笑みを作って暗示するばかりだ。彼らは乱暴ではなく、どちらかと言えば非力だ。

 石井の作品を観ていて常に感じるのは、人間という存在に対する全幅の肯定なのだが、この視線がそのまま滑空して死者へも行き着いている。彼らは現世を破壊しに舞い戻るのではなく、運命悲劇に苛まれる知人や家族を常に見守る存在となり、時々はほんの少しだけ力を貸していく。『GONINサーガ』の彼らも、だからそのように捉えて良いのではなかろうか。

 言語学を学んだ身でないので勘違いと笑われそうだけど、石井作品全般の雰囲気を簡潔に表わすならば、それは通常の領域からほんの少し強めであったり、ほんの僅か逸脱したりした表現の連結ではないか。つまりは“物”寂しく、“物”悲しく、“物”狂おしく、“物”恐ろしい描写となってはいないか。石井作品とは作者本人が意図したにせよ偶然にせよ、精霊にあふれた風景の連なりと思う。

 長々と書いてしまったが、このたびの『GONINサーガ』の“物”凄い描写の釣瓶打ちは、複数の死者に常に見守られた現場(劇としても、もしかしたら現実としても、)であったように受け止めている。そこを汲んで鑑賞すれば、銀幕の表面積はぐんと広がり、私たちをすっぽりと包み込むだろう。愛しさと儚さが添い歩んで、なんとも言い得ない涙が流れた。

 別の本、加藤耕一著「「幽霊屋敷」の文化史」(講談社現代新書 2009 125-147頁)によれば、18世紀末に発明された映画の前身とも呼べるファンタスマゴリー Fantasmagorieは、鎌を手にした骸骨や革命や政争で露と散った死者を投影する幽霊ショーであったらしいから、映画という道具は本源的に死者と出逢うように作られている。確かにそんな感じを受ける。『GONINサーガ』を観る時間は、死者のことを各人ひとりひとりにじっくり考えさせてくれる、そんな貴重なものとなっている。

(*1):暉峻(てるおか)康隆の「幽霊 メイド・イン・ジャパン」(桐原書店 1991)の中では、明治の開国にともなう近代教育によって、怨霊信仰は「迷信として退けられ、あるいは錯乱状態における幻影と解釈されるようになった」のであり、その末にかろうじて演劇や話芸といった娯楽として生き延びたと解説されている。(198頁) 亡霊に悩まされるのは、その人が神経病の患者となった証拠な訳である。石井の劇ではこういった病理学的な要素を常に盛り込んでいながらも、死者に対する怖れや憧憬を完全には断ち切れていない。西洋的近代的な論理と日本独自の民俗信仰の狭間に置かれた朦朧状態となっており、それは私たちそれぞれの根本に横たわる不透明感としっかり同期している。全くもって見事な、現代日本人の等身大の鏡像と呼べそうに思う。 

2014年7月27日日曜日

“村木の手” ~『甘い鞭』の終局に関して②~



 凶器を握りしめたおんなが、今まさに面前の誰かを殺めんとする。刹那、別の手がにゅっと伸びて画面を横切り、刃(やいば)持つおんなの手首に躍りかかって惨劇をくい止めるのだった。『甘い鞭』(2013)の終幕にて観客の度胆を抜いた“手首掴み”の描写であったが、これに似たものを私たちは石井の過去の劇画で目撃して来た。

 たとえば【天使のはらわた】(1978)において“手首掴み”は、哲郎(ここでは川島姓)と名美の関係を代弁するように象徴的に繰り返されていた。男の広い掌と指が白い手首の内側の橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっくこつ)、二本の骨を万力のごとく締め付け、挟まった神経と血管をじわり圧迫する。おんなの脳髄には電流が駆け上り、甘い官能と希望の瞬きが宿される。そんな風合いのコマが頁を覆っていた。(*1)

 暴力的行為の渦中に突如割って入り、手を挿し込み、その場からおんなを離脱させようとする生一本の天性を、石井がこの哲郎という男に与えているのは明らかであって、第二部の中盤では妹の恵子に対しても同様の事を行わせている。不良グループの用心棒役となった恵子が、対立する相手に自転車のチェーンを高くふりかざし撃ち下ろそうとした瞬間、頭上から手が伸びて頭髪とチェーンをがっと摑まれるくだりがあった。

 哲郎の明らかな属性として“手首掴み”のバリエーションが盛り込まれてあるのだが、捨て身で蛮行を押し止めたこの兄とその不意の出現に仰天して振り返る妹の、頁一枚をまるまる費やして描かれた両者の構図が『甘い鞭』のラストカットと重なって見えるのは、はたして偶然だろうか。石井の劇を支えるひとつの型、歌舞伎の見得と近しいものと捉えた方が良さそうだ。

 【天使のはらわた】を離れて見渡せば、映画『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曽根中生)の骨格となった短篇【蒼い閃光】(1976)の幕引きにも“手首掴み”が観止められる。罠に落ちてブルーフィルムに出演させられたおんなが混迷をきわめて自暴自棄に至り、手提げ鞄に隠し持っていた剃刀で自分の手首を切り裂いてしまう。その刃先は男にも向けられ、大きく傷ついた男はなんとか床を這い進んで、虫の息となって横たわるおんなの身体に必死に手を伸ばし、血を吹く手首を摑んでいくのだった。

   【黒い天使】(1981)では、主人公の殺し屋魔世(まよ)を救う手のひらがあった。深夜、駐車場の前を通りかかったところ、見知らぬおんなが乱暴されかけているのを偶然目撃した魔世はこれを見過ごせずに割って入る。暴漢の逃げ去るのを確認して現場を立ち去ろうとしたところ、突然白刃がきらめいて魔世を襲うのだった。乱暴されていたおんながとち狂い、一部始終を目撃した魔世の口封じに男が置き忘れた刃物を拾ってまっしぐらに襲い掛かったのだ。刃先が魔世のみぞおちに吸い込まれる寸前、いつの間にか横に立っていた男(蘭丸)が凶刃を素手でがっと摑み、魔世の命をからくも救っている。

 【蒼い閃光】のフリーライターであれ、【黒い天使】の蘭丸であれ、さらには【天使のはらわた】の川島哲郎であれ、彼らは面立ちとその人格から典型的な石井のキャラクター“村木”の系譜にあると捉えて良いだろう。これら一連のにゅっと手を出しておんなを救出する顛末は石井の活劇の王道であるのだし、このような行為の裏には常に村木的心情とでも言うべき恋慕や執心が注がれていると仮定しても一向に構うまい。

 また、そのような思案の自然な枝葉として、それぞれの“手首掴み”が男女の、村木的な人格と名美的人格の再会の場に起きている点も私たちは頷きながら受け止めることが出来るだろう。当初は衝突したり眼中に置かずにいた相手が、どちらかの窮地に際してこつぜんと現れ、身とこころを救おうと懸命に手を伸ばす。無関心や誤解から散々な初対面となった二つの魂が、それゆえにどこか引き付けあって、今度こそ裏表のない真実の交信を果たそうと試みる。そういう起死回生の流れが、一連の“手首掴み”の根底に視止められる。

 『甘い鞭』の終局を襲った手についての最終判断は観客のそれぞれに委ねられるし、石井も多種多様な受け止め方を喜んでいる節があるのだけれど、人によっては上に引いたような複数の残像から“村木の手”を想起することだろう。しかし、同時に私たちはそれ等の残像が付帯するものゆえに、“村木の手”の否定が厳然としてなされている点をこそ、ここではすくい取る事が可能となるのだし、むしろ求められていると感じる。

 なぜあの手が男ではなく、若い無名の女優の手で演じられる必要があったのか。そうして、なぜ壇蜜がこれを振り返り、その手の持ち主が誰であるかをまったく認識出来ずに終わっているのか。

  男でもなければ、再会という状況でもないのだ。ここでは“村木”の否定がくどいほど語られている。この事を読み手はよくよく咀嚼し、嚥下しなければならないだろう。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)で飛来したマネージャー(津田寛治)の魂のような湿ったものも無ければ、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の代行屋(竹中直人)のような最期を看取ってくれる熱い腕もない。壇蜜演じる奈緒子というおんなが従来の石井の劇ではあまりない、手の届く範囲からひどく遠くに放り出されたことを示す、なんとも乾き切った終局が示されてあり、二重三重に物憂い。


   幼い魂と身体を自由にせんとする犯罪行為が日々多発し、世を騒然とさせているのであるが、石井が『甘い鞭』を演出するにあたり最後の最後に“村木の不在”を深々と押印してみせたことを、善き読者を自認する者はしっかりと理解し、胸に刻んでおかなければならない。石井の犯罪にむけるまなざしや姿勢がどのようなものか、ひとりひとりが代弁する役割を担っているように私は考えている。調教、理想のおんな、馬鹿を言うな。夢を見るな、そのような暴念の果てに男の立ち位置は残されていない、村木には誰もなれない。そのような無言の叱責と共に、石井の『甘い鞭』は締めくくられている。


(*1):石井の筆づかいは腕を摑まれた名美だけでなくって、私たち読者の生理をも大きく揺さぶるものがあった。読後三十年を経ても記憶にあざやかなのは、そのリアルな肉感がわたしの奥でしっかりした切り口をつくった証だろう。石井のことを劇画家ではなく、絵描きであると感じるのはこういう時だ。