2015年10月4日日曜日

“橋面(きょうめん)から見下ろすもの” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(3)~


(注意 物語の結末に触れています)

 『GONINサーガ』(2015)という河には三層があって、水底の流れ、水面の流れに加えて、もう一箇所、さながら川をまたぐ橋の上の方から無言のままたたずみ、じっと下方を見つめる集団が居る。知っての通り“死者たち”なのだけれど、劇中の何処にどんな容貌、いかなる風情で出没するかはあえて書かない。

 強調したいのは、石井作品の劇中において、死を経て霊体化する現象には事欠かないという点だ。『月下の蘭』(1991)、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)、『ヌードの夜』(1993)、『GONIN』(1995)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(同)という作品には先に逝った者が遺された者の“始末”を手助けするがごとく不意を討って出現し、去来する様ざまな想いをこめた瞳で凝っとこちらを見やる場面が登場する。石井作品には霊的存在との共存が常にあって、だから今回の劇中の彼らにつき違和感を一切感じなかったのだけど、19年を経て執拗にまとわりつく彼らの存在感が際立っていて、『GONINサーガ』(2015)という作品の影の主役となって感じられる。

 『GONINサーガ』で明確に実体化した霊魂(および霊現象)につき、私たちはどのように捉えるべきか。考えを若干整理してみたい。それは当作のみならず、石井隆という作家の死生観や彼の創り出す物語全般の見方を探る上で意味ある作業と思えるからだ。

 これまでの石井の劇において、話の大前提として、彼らが実存しているのかどうか、これさえも曖昧であった。熱病や狂気(臨死体験を含む)に侵された者の幻影という状況説明がほとんど並走しており、観客に限らず劇中人物も判断の留保を余儀なくされる。(*1)  明確に自分自身を霊と名乗ることはないのだし、現れたら現れたで、なんとなくその思いの丈を窺い知ることは出来そうなのだけど、目的があるのか無いのか判然としない場合が多いのだった。あまりに唐突に出現して、表情も乏しく、やがて煙のように消え失せてしまう。 

 復讐のために明界(このよ)に舞い戻る「四谷怪談」であったり、処刑される恨みを晴らさんと末代まで祟ってやると絶叫し、それがきっかけで摩訶不思議な物語がスタートする「南総里見八犬伝」の玉梓(たまづさ)のように、霊的なるものが確固たる名乗りを上げ、その強烈な意志や主張が劇の主軸となることは物語空間では膨大な数としてあるのだけど、石井の劇では一見、怨みや祟りが物語の燃焼機関となって燃え盛ることはなく、たたずむ者、見つめる者としての立ち位置を彼らはほとんど崩そうとしない。一貫してその辺りは変わらないのではなかったか。

 しかし、今回の『GONINサーガ』では手を変え品を変え、複数の霊術が挿し入れられており、随分とにぎやかな印象を受けるのだった。これは、今作の目立った表情と言って差し支えないように思う。全くもって騒々しい彼ら(それ等)を強いて呼ぶなら、はてさて、幽霊なのだろうか、それともお化けなのだろうか。怨霊とでも呼ぶべきまがまがしき存在なのだろうか。だいたいにしてそんな色分けが石井世界で為されているものだろうか。

 古い本になってしまうが、「日本の幽霊」池田弥三郎著(中央公論社 1959)を手元に置いて助力を乞う。これと同じ姿かたちのものが、生前の井上ひさしの書庫にも収められていた。あちこちに細かく丁寧なメモ入りの紙片が挟まれており、熱心に消化した形跡があったのが瞳に焼き付いているが、なるほど池田の文体は軟らかく、体系付けて書かれており分かりやすい。論じる速度も緩やかで浮力もあり、凡人の頭でも至極読みやすい。

 池田によれば日本の“ゆうれい”の特色は、「相手がどこにいようとも、特定のその人の目前に現れようとしたら、どこへでも出て来る」(31頁)事だそうである。「人を目指して出現する」これを「幽霊」という漢字を当ててはどうかと説いている。

 また、「雨月物語」の「浅茅が宿」の女の“ゆうれい”は七年以上の別離の間、主人の帰りを待ちわび、また、「今昔物語集」の巻二十七の「人妻、死して後に本の形にとなりて旧夫に会う物語」ではどの程度の月日かは書いていないが、「男のいる任地へなり、出かけて行ったらよさそうなものなのに、出かけないでじっと待っていた」律儀なものとして描かれる。「そのゆかりの土地、場所において、この世に執念の残る者」であり、この手の“ゆうれい”は時として「人を選ばない」、「その場所に偶然行き合わせた者なら誰でもその怪異にぶつからねばならない」存在となっていく。「その代わり、この方のゆうれいに会わないためには、そこを出ると知ってさえいればいいわけで、そこに行くことを避けさえすればいい」のである。池田は先の「幽霊」と区別して、こちらを「妖怪」と称した上で考察を深めていく。
  
 面白いのでもう少しだけ書き写したいのだが、池田はこの「幽霊」と「妖怪」に共通する論点として「恨みのあるなしということが重なって来る」のであり、特に「幽霊」ともなると大概が恨みを持っているがゆえに、常識的に「恨めしや」と言いながら出現する、それが世間一般での考え方と読者に同意を求めていく。確かにそう思わざるをえない。怪談映画のぞっとする場面をたくさん思い出す。

 しかし、ここからが池田の秀でたところで、間髪いれず生前の泉鏡花と交わした会話内容を振りかえり、どうもこの常識的な幽霊像が「ある一部に極度に発達した」ものではないかという疑問を提示し、加えて「歌舞伎芝居」を通じ、特に「敵討ち」の劇を経過することで、「怨霊」として人為的に発動したものらしい、との推察を巡らしている。人が娯楽目的に作った物語が、観客の、さらにはわが国の民俗全般の実態に徐々に影響を及ぼし、「特定の誰彼ばかりではなく、その人を含めた一家一門、あるいはその住む村なり町なりへ、恨みのほこ先が向けられて行く」ように造作されてしまったと結論づける。(38-49頁)

 例外的なもの、特異なものもあるだろうから整然と区分け出来る分野でも当然ない訳だけど、本来の日本的な“ゆうれい”、古くは“もの”(もののけ「物の怪」や、もののふ「武士」というように展開)と呼称された精霊のような存在は、そこまで恨みがましい黒々とした影を引きずってはいなかったらしい。そりゃそうだろう、誰もが深い恨みを抱いて死ぬ訳ではないのだし、けれども誰もが現世にほんの少しの未練を残して命日や盆には生者の元に帰還する。それが私たちの隣人の本来の姿だ。日頃は漠然と恐れていた彼らを、少し身近に、等身大に感じられて得難い読書であった。

 もちろん読んだ目的は石井世界での、何より『GONINサーガ』での霊示や霊障を考える時間であったから、読み進める流れのなかで次々と記憶と知識が結束して随分と刺激を受けている。結論から言えば石井作品での幽霊譚は、『ヌードの夜』(1993)がその代表格だけど、想いを残した人に対して憑くところがあって、現世のあちこちに建っている家屋に住み着くような「妖怪」では決して無いように思う。劇画のタナトス四部作や『フィギュアのあなた』(2006)のような、彼らが住まう夜の廃墟は既に越境を果たして後の冥界(あのよ)であるか、生死の境界上に裂けたほころびと決まっているのであって、未練がましく明界(このよ)の現存する不動産物件に身もこころも縛られては見えない。

 恨みを深く抱き、祟(たた)ることも皆無なのであって、池田の指すところの古き“もの”に性質は極めて近しいように思われる。たとえば劇画【黒の天使】(1981)で主人公のおんな殺し屋が営むスナックに夜霧とともに出没する被害者たちは、誰もが押し黙ってカウンター席に座るのみであって、これからおんなの身を襲うだろう数奇な運命を微かな片笑みを作って暗示するばかりだ。彼らは乱暴ではなく、どちらかと言えば非力だ。

 石井の作品を観ていて常に感じるのは、人間という存在に対する全幅の肯定なのだが、この視線がそのまま滑空して死者へも行き着いている。彼らは現世を破壊しに舞い戻るのではなく、運命悲劇に苛まれる知人や家族を常に見守る存在となり、時々はほんの少しだけ力を貸していく。『GONINサーガ』の彼らも、だからそのように捉えて良いのではなかろうか。

 言語学を学んだ身でないので勘違いと笑われそうだけど、石井作品全般の雰囲気を簡潔に表わすならば、それは通常の領域からほんの少し強めであったり、ほんの僅か逸脱したりした表現の連結ではないか。つまりは“物”寂しく、“物”悲しく、“物”狂おしく、“物”恐ろしい描写となってはいないか。石井作品とは作者本人が意図したにせよ偶然にせよ、精霊にあふれた風景の連なりと思う。

 長々と書いてしまったが、このたびの『GONINサーガ』の“物”凄い描写の釣瓶打ちは、複数の死者に常に見守られた現場(劇としても、もしかしたら現実としても、)であったように受け止めている。そこを汲んで鑑賞すれば、銀幕の表面積はぐんと広がり、私たちをすっぽりと包み込むだろう。愛しさと儚さが添い歩んで、なんとも言い得ない涙が流れた。

 別の本、加藤耕一著「「幽霊屋敷」の文化史」(講談社現代新書 2009 125-147頁)によれば、18世紀末に発明された映画の前身とも呼べるファンタスマゴリー Fantasmagorieは、鎌を手にした骸骨や革命や政争で露と散った死者を投影する幽霊ショーであったらしいから、映画という道具は本源的に死者と出逢うように作られている。確かにそんな感じを受ける。『GONINサーガ』を観る時間は、死者のことを各人ひとりひとりにじっくり考えさせてくれる、そんな貴重なものとなっている。

(*1):暉峻(てるおか)康隆の「幽霊 メイド・イン・ジャパン」(桐原書店 1991)の中では、明治の開国にともなう近代教育によって、怨霊信仰は「迷信として退けられ、あるいは錯乱状態における幻影と解釈されるようになった」のであり、その末にかろうじて演劇や話芸といった娯楽として生き延びたと解説されている。(198頁) 亡霊に悩まされるのは、その人が神経病の患者となった証拠な訳である。石井の劇ではこういった病理学的な要素を常に盛り込んでいながらも、死者に対する怖れや憧憬を完全には断ち切れていない。西洋的近代的な論理と日本独自の民俗信仰の狭間に置かれた朦朧状態となっており、それは私たちそれぞれの根本に横たわる不透明感としっかり同期している。全くもって見事な、現代日本人の等身大の鏡像と呼べそうに思う。 

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