案の定それは手足を投げ出した動物の骸(むくろ)であり、なんと白鼻芯だった。尻尾まで含めると三尺ほどもある立派な成獣で、茶色の毛並みは艶があり、よく肥えている。目を見開いて口をゆがめているのが少し苦しそうで哀れだったが、大きな傷口はなく、ぱっと見は血だまりもない。後で分かったのだが反対側の地面に接した口の端から滴ったものがあって、シングルレコード程の大きさに広がっていた。
周囲を見渡すと道路の真ん中で衝突したのは明らかで、其処のところだけ重吹(しぶ)いた痕があった。車の往来が途切れるのを待ち、寄って立ってみれば、けれど凄惨な感じは全然なくって、真っ赤な一輪のガーベラの花弁が散ったような、ささやかな真紅の痕なのだった。おそらく白鼻芯はそこでぶつかった後、我が家のところまで走って来て、そこでついに力尽きたものと思われる。
家族に知れて悪戯に騒ぎ立てられるのは面倒だし、気持ちの上でも波が起きるのは避けたかった。大きめのビニール袋を物置から持ってきて、シート越しに細長い身体を素早く持ち上げ(結構重たかった)、念仏など唱えつつ二重に袋で包み込み、ダンボール箱の中にそっと仕舞ってやる。衝突地点は車の行き来もあるし、とりあえず家の前の血だまりだけをバケツに水を何度か汲んで往復し、洗い流し、形跡の除去に努める。血はさらさらしてまだ軟らかく、そう時間も経っていないらしかった。
役所の担当部署に引取りをお願いしたのだったが、その際に公共の場、すなわち道路上に屍骸がないと持ち帰れぬ規則と言う。直ぐに回収車を立ち寄らせるとのこと。やって来た職員との押し問答は面倒だから、事故の現場はそのまま温存すべきと考えた。また、実際のところ、道の真ん中までバケツとブラシを携えて行き、ごしごしと清掃するのがやり過ぎの気持ちもして、あとは雨に任せよう、自分の役目はこれで終いと思った。しばらくするとピンク色の回収車が現われ、可哀相な白鼻芯を詰めた粗末な紙の棺(ひつぎ)はどこかへと運ばれて行った。
あれからまだ雨は降らず、落花とも花火とも見える痕跡は道路に貼り付いたままだ。道行く車も歩行者も、自転車で通学する高校生も、まるで気付くことはなく其処を通り過ぎていく。一個の命が残した印を、私以外の誰も分からぬまま走り去り、やがて幾度か雨が降れば、あの四方へと赤く線を描いて飛ぶ最期の名残りも一切が流れ去ってしまい、私でさえ忘れてしまうだろう。
仮に道路にカメラを向けて撮ったならば、何かが写るものだろうか。一部がほんの僅かに黒ずんでいるだけの、おそらくは至極ありふれた町の風景が定着なるだけであって、空っぽの、何も起きていない、何もいない空間だけが広がっているのじゃないか。あの立派な身体と愛嬌ある顔の獣が、颯爽と道を横切る姿を幻視できる者はほとんどいない。空虚のみが其処に居座っている。
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