2015年10月4日日曜日
“釣り人と野獣” ~『GONINサーガ』が奏でるもの(2)~
(注意 物語の結末に触れています)
父親たちの流した血や精の臭いに曳かれるようにして、若者たちが鮭のごとく過去へと時空の川を遡上していくのが『GONINサーガ』(2015)の印象と先に書いたが、スクリーンに再度目を凝らせば、岸辺の岩陰に潜んでいる別の存在のあることに気付く。喩えるならば“釣り人”に当たるのが菊池麻美と呼ばれるおんな(土屋アンナ)であって、これがなかなかの曲者であり、また同時に実に健気な娘でもあって、ここに視座を据え直して観る『GONINサーガ』はかなり強靭で貪欲な復讐劇へと開花していく。
石井隆は土屋の創る表情に、一瞬だけ前後の拍子とは異なる不穏なる一拍を刻んでみせるのだが、それは古くから石井世界に注視している読み手には馴染みの【おんなの顔】である。過去の石井の例えばどの作品と連環するかは先日の「キネマ旬報」誌(*1)に書かせていただいた通りだ。名美的人格を具えたおんなが世界を破滅に追い込む、石井劇の典型的な色調が『GONINサーガ』にはさりげなく宿されている。
華奢な体躯に想像を超えた瞬発力を湛えたその白い肌の釣り人は、岩陰に隠れ、網を張り、時にはウェーダー(胴長靴)をまとい川に半身を浸しながら、水面下に群れ集う鮭たちを一網打尽にすべく息を止め、とげとげしい気配を柔肌の奥に消していくのであって、そのとき川面(かわも)は水鏡となって、そんな孤独な狩猟の路を選ぶしかなかったおんなの影を映していく。善と悪、衝動と打算、自己愛と献身、さまざまに分裂するおんなの容姿を鏡面が映し出し、複雑な光を幾重にも反射し続ける。
地位と異性をめぐって、ばちゃばちゃと水しぶきを上げながら同士討ちを続ける男たちの様子を一歩高い場所から覗き見しながら、この美しい釣り人は内心してやったりと微笑んだのかもしれないのだが、石井は背後から黒く獰猛な「運命」という凶暴な野生熊を解き放ち、けしかけ、川底でのたうつ瀕死の鮭たちを大きな爪で切り裂き、ついでこの釣り人も血祭りに上げている。川辺に下り立ち、容赦なく魚影を襲い、おんなの細いのど笛に喰らいつく羆(ひぐま)化した演出家のまなざしに、恐怖とも安心とも区別のつかぬ長い溜め息をついてしまった。無残この上ない逆襲劇、逡巡の間を許さぬ窒息感こそが石井隆の「風景画」であって、大作『GONINサーガ』に隠されたダブルイメージとなっている。
物語の顛末に関わるので詳細は伏せるが、土屋アンナという人間が持つ彼女本来の才覚は、劇中の役どころ、麻美の出自や気性と隙間なく合致しており、輸血管を通じて血液を交換するが如き一体感が築かれて絶品と思う。喝采に値するキャスティングであって、明らかに作品の体温を数度上げている。この点も含めて『GONINサーガ』は、石井世界をしたたかに貫く女性映画の奔流の確かな一滴として記憶に長く留まるだろう。
(*1):「キネマ旬報 2015年10月上旬号 №1699」 34-35頁
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