単純に彼女の容姿を好ましく思い、身体パーツのひとつひとつに見惚れていた点を否定はしない。男優のすぐ後ろに立つ浅丘は若く艶やかで、長い髪が波打ちいかにも色っぽい。下半身、ふくらはぎから臀部をカメラ方向に向け、上体はいくらか右方向に回して男優に熱い視線を注いでいる。美しさの基準は時代によってゆるやかに変化するが、半世紀を経た今も女優の官能美はたくましく放射されて読み手の軸心を揺さぶってくる。
と同時に、例によって網膜に張り付いた石井世界の面影がゆるゆると浮上し、結び目を探して蠢き始めるのだった。わたしが強く想起したのは【黒の天使】(1981)の扉絵の一枚だ。【黒の天使】はひとりのおんな殺し屋“真代”の日常を描いた連作で、熾烈で荒ぶる稼業の実相から彼女の生い立ち、ささやかな恋情とその死までを描いた傑作であるけれど、連載された青年漫画誌においては毎回毎回、小粋な扉絵が劇の冒頭を飾っていた。
最近の類似する漫画雑誌を手に取りつらつら眺めてみると、連載後の造本を最初から意識してか扉絵を付けない作品が多数を占める。かつて漫画の描き方を子供たちに伝授する教本(*3)には「扉絵は作品の心臓に等しい」とまで書かれてあったのだが、実利中心の世の中にあっては無用の長物と見なされているようである。
【黒の天使】の執筆時はそこまで窮屈な世相ではなかったから、石井は筆力を尽くして一枚一枚扉を描いていったのだが、その多くは進行中の物語と直接繋がらない顔立ちであり、主人公のおんな殺し屋やその助手の娘が背景のない場処に佇立する姿であったり、寝そべる様子だったり、スパイ映画のヒロイン並に銃を構える華やかな姿であった。つまりそれは映画の宣材撮影のためにスタジオ入りし、衣装や化粧を施されてホリゾントの前に立つ女優の気配に満ちたものだった。
浅丘の写真を見た私の脳裏で、石井の扉絵は一種のスチルとして改めて認識されて急浮上した訳である。映画狂を自他ともに認める石井であるから、扉絵を映画スチルと同位置に捉えて大事に取り扱うことは大いにありそうな事ではあるまいか。読者には不可視の刷り込みを盛り込むことは、十分に起こり得るだろうと無理なく考えた。
さて、実際のところはどうであろう。モノクロームの浅丘の立像と、わたしが勝手に連想した石井の扉絵を並べ置くと身体の向きは正反対である。もしかしたら、と左右反転して見比べてみれば、極めて似てはいるけれど単純にトレースしたものではないのが分かる。私の勘違い、早とちりであった。
浅丘を撮った位置よりずっと低いところに石井は視座を置き、より仰角気味におんなの全身を捉えている。それに石井のおんなは浅丘よりも肉感的であり、胸も大きく、ふくらはぎもむっちりとしている。ぎゅうっと力んで床を踏み締め、盛り上がった筋肉が皮膚下に感じられる。ふたつ並べてようやく気付くのだが、腹から上の姿勢は浅丘よりも堂々と反っていて圧倒的に悠々しい。服のひだや四肢のバランスから、石井は実在のモデルを用いてポーズを取らせ、これを丹念に写実したのは間違いないのであって、浅丘を撮ったスチルをそのまま原像に用いてはいない。
無理矢理に妄想を引きずり喰い下がって考えれば、浅丘のポーズを自身の雇ったモデルに真似させ、撮った写真を元にして石井が扉を描いた可能性はゼロではないように思う。【黒の天使】という劇に日活映画のアクションを輸血すべく、往時の残影を求め、女豹のような女優のスチルを選んで果敢に再生したのじゃなかったか。想像すればとても愉快だし、もしもそれが本当であれば【黒の天使】の論考も修正されるだろう。
石井の活劇の樹幹がどのような土に喰い込み、どんな養分を吸ってきたか。フィルムと劇画を連結することを夢見て、徹底して「映画を描いていた」石井とその作品群を語る上で、枝葉だけでなく樹根の先も目で追う必要に迫られるのだし、時にはシャベル片手に掘り起こすことも大事になってくる。
(*1):「女優 浅丘ルリ子」 キネマ旬報社 2014
(*2):「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」 監督 野口博志 1960
(*3):「小学館入門百科シリーズ10 まんが入門」 監修 赤塚不二夫 1971初版発行 手元にあるのは第6刷(1973) 126頁
0 件のコメント:
コメントを投稿